
10年前に自分が書いた読書ノート(下に記載)をみて、いま、あらためて念うのは、ここに記されてあるような「白い領域」を毎日の暮らしの折々に感じながら生きてゆくということの本当の大切さです。
それは、わたしには三つのリアルな道として感じられます。
そばにいる人への何げない想いやりといとおしい念いを大切にして暮らしてゆくということ。
藝術への念いを常に深めながら稽古し続けるということ。
そして静かさと安らかさと確かさをこころの糧にするために毎日こつこつと、たんたんと、靈(ひ)の営みを重ねてゆくことです。
この三つの道がわたしの暮らしをふさわしいところ(白くて、かつ、暖かい光の領域)へと導いてゆくことを感じています。
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『志村ふくみさんの「一色一生」を読んで』
静かな時間と静かなこころを取り戻し、
花瓶にさされてある花を観る。
その花に通っているいのちが、
こんなにも活き活きとしたみずみずしい色を齎してくれている。
花という外なる自然が、
こころという内なる自然に働きかけてくる。
色の向こうに息づいているいのち。
そのいのちを迎えて、
こころに波のような動きが生まれる。
その内なる動きは、
こころに新しいいのちを甦らせる。
花のいのちが、こころのいのちとなる。
二十年前に購い、愛読した、
染織家、志村ふくみさんの『一色一生』を、
なぜか再び手に取って熱心に読む。
彼女は、ものというものを見るとき、
そこに、ものの向こうに顕れる何かを、
ことばにしている。
これを織った山陰の一人の女性は、
何からこの軽妙洒脱な図柄を盗み取ったのだろう。
まだ明けきらぬ静けさの中で、
ふと蚊帳の一隅を見て触発されたのであろうか。
私はふと、
彼女を包む白い領域とでもいうようなものを思い浮かべた。
彼女は知らずして、
夫や子供のために心をこめて機を織っている。
そのとき、何かが彼女を助け、
白い領域にいざなって
この仕事をなさしめたのではないだろうか。
今の人は精巧な計算尺を持っていて、
驚くほど巧緻な絣を織ることが出来る。
しかし彼女達は質素な計算尺しか持っていなかった。
ただ家族のうえを思う計算尺だった。
ものの向こうに、
暮らしのなかに、
いのちを観る。
こころを観る。
精神を観る。
そのような眼を、
わたしたち日本の民は永く持っていたのではないだろうか。

