2023年05月19日

国語力の表の側面 話す力(一)


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幼児期、ことばを唱えながらたっぷりと身をもって遊ぶことができた子、また、お話をたっぷりと聴かせてもらった子は、その国語力の裏の力、聴く力を携えて小学校にやってきます。


そのように動きに満ちたことばの精神を浴びて来た子どもは、小学校に入ってから、今度は、生き生きと自分の口からことばを発することのできる子へと成長して行きます。


ことばを話す力、それは、国語力における表の力と言っていいものです。


学校制度が始まる前の昔の子どもたちは、どれほど、この生(なま)の生きたことばに包まれ、囲まれて、暮らしていたことでしょう。


幼少時、傍にいてくれた親や他の大人たち、お兄ちゃんお姉ちゃんたちが、活き活きとしたことば、その人その人のこころといのちが通っていることばを話してくれていたからこそ、その子はその裏のことばの力を、表のことばの力へと変換させていきます。


年上の人たちからたっぷりと与えられてきた多くのことばの中から、意味がそれとなく分かり、なおかつ、口にしやすい音韻の並びで出来ていることばを、ここぞというときに瞬間的に選んで、口にする。


その、ことばの選択の神秘。


それは、難しい言い方をしますと、ことばを聴くとき、自分の精神によって、ことばの精神を捉えて来た子どもが、やがて、その捉えたことばの精神を、我がこころ、我がからだにまで引き降ろすことができた、ということなのですね。


ことばの精神を、我が精神からこころへ、そしてからだへと、引き降ろす、受肉させる、それが、聴いたことばを憶え、それを口にするということなのですね。


それは、国語力が裏から表へなりかわること、とも言えますし、また国語力の裏表の行き来を盛んに促しもします。


そうして、だんだんと、自分自身の感じていること、思っていること、欲していること、考えていることを、的確にことばにしていくことができるようになってきます。


昔には、それが、「一人前にものが言える」という、子どもの成長におけるひとつの徴(しるし)でありました。


そうして、子どもたちは、聴く力の充実に裏打ちされた、話す力を育てて行くのです。


そのように、第二・七年期の子ども時代(7〜14歳)、それは、ことばの表の働きにだんだんと通じていくことの始まりであり、それは、やがて、ことばの主(あるじ)になるべく、自己教育していくための礎になります。


その、ことばを話す力は、昔ならば、依然として引き続いている子ども同士の群れの中で、外なる自然の四季の移り行きの中で、ひたすら磨かれていたでしょう。


ことばを話す力は、まさに、その子、その子の固有のものから発せられる、こころを如実に表すもの、心情を確かに顕わすものとして、その子らしいものの言い方を活き活きと発現していたことでしょう。


ことばとその人とが分離していなかった。


いまならば、ひとつの教室の中に長時間閉じ込められている子どもたちにとって、何がその国語力の表の力の育みに資することができるでしょうか。


現代にふさわしい、本当に意識的な教育が必要だと思われます。


シュタイナー教育は、そのひとつになりうると、わたしは思っています。






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2023年05月17日

良心の声に従ふも従はないもその人の自由に懸かつてゐる




良心とは、精神からの語りかけであり、それは9歳前後からこころに密やかに聴こえ始めるもの。

posted by koji at 18:47 | 大阪 | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月16日

暮らしの中の美しいかたち  シュタイナー教育




日本の暮らしの中に息づいてゐた美しさへの感受性。

それは、すべて、宮廷生活を源泉として、全国津々浦々にまで沁みとおつてゐた祭りの営みからのものでした。

posted by koji at 19:27 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月15日

現代文明の利器とハーモニックに織りあふこと




外からやつてくる現代文明の流れ。

その流れに柔軟にハーモニックに応じて行く、内なる精神の力を養ふことの重要性。

posted by koji at 18:59 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アントロポゾフィーハウス和歌山 芸術実践とメディテーションの営み



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今日も、朝から集まり、午前は言語造形を通して物語を語る稽古、午後はシュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』の熟読。


参加者の方の中には、和歌山はとても広い県で、高速に乗って車で一時間半かけて来られる方もいます。


また、今日、初めて参加されたおひとりの方は、車で五分で来られるところにお住まいの方。


本当に不思議なご縁で結ばれていると感じています。


言語造形を通して、ひとりひとりの人から解き放たれる息づかいとことばの響きに、部屋の中にいるわたしたちは皆、想像力を刺激され、まるで、物語で語られている世界がいま、眼前に広がっているようなこころもちになります。


ことばの響きによって、こころの世に描かれる絵姿をありありと観ている、と言ってもいいでしょう。


そのように、語っている人のこころがからだの限りを超えて羽ばたき始めますと、聴いている人のこころも羽ばたき始め、物語の世界に包まれるような感覚になります。


そして、語っている人においても、聴いている人においても、共に、いのちの営みさえもが脈打ち始めるのです。


アストラ―ルのからだが羽ばたき始めると、エーテルのからだが活き活きと脈打ち始めるのです。


そうしますと、息遣いが深くなり、血の流れも活き活きと流れ出し、フィジカルなからだまでもが色づき始め、息づき始めます。


アストラ―ルのからだ、エーテルのからだ、フィジカルなからだ、この三つのからだが芸術という精神からの行いによって、生き生きと織りなしあって働き始めるのです。


わたしは、いま、それらの行いをことばにしていますが、それらのことは、言語造形をしていますと、何の前もっての予備知識などなくても、誰もが直感的に感覚できることです。


この三つのからだの織りなしを導き、統べているのは、その人のその人たるところ、〈わたし〉です。


ですので、言語造形もまた、他のすべての芸術と同じく、〈わたし〉という極めて目覚めてあるべきところから精神の熱をもって、自分自身の三つのからだ(風のからだであるアストラ―ルのからだ・水のからだであるエーテルのからだ・土のからだであるフィジカルなからだ)に働きかけ、ことばに固有な芸術法則に沿ってそれら三つのからだを導き、統べていくのです。


この営みは、本当に人を健やかにすると実感します。


それらの外的でありつつ内的でもある営みを、意識化し、言語化することで、改めて人というもの、芸術というものを知りゆくのが、午後の時間のアントロポゾフィーの学びの時間です。


人の精神、人のこころ、人のからだというものを、芸術実践のあと、講義を通して、知りゆくのです。


アントロポゾフィーは、そのように、芸術実践とメディテーションへと繋がる認識の作業とで、学びが創られます。


それは、人をゆっくりと創ってゆく作業でもあるのです。


このような、からだも、こころも、精神も、まるごとで学ぶアントロポゾフィーの時間を毎月一回ずつですが、和歌山でも創っています。


まるで神の社に来るようなすがすがしい感覚を毎回感じている、と今日参加された方も仰っておられました。


リアルな場と時間を共に分かち合う、そんな学びを共にしています。



♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾



●アントロポゾフィーハウス和歌山


日時:
毎月第三月曜日(休日の時は、第四月曜日) 
午前10時〜お昼ご飯〜午後2時半ごろまで
(お昼ご飯をご持参ください)


場所:
和歌山県岩出市内 個人の住宅内にて
(お申し込み下さった方に住所をお知らせします)


参加費:
単発 5000円
5回連続 20000円
(加えて、講師の交通費を参加者の皆さんで頭割りしていただいています)


※午前の言語造形のために、ご自身が声に出して読んでみたい作品をひとつお持ちください。


※午後のアントロポゾフィーな学びのために、『いかにして人が高い世を知るにいたるか』(シュタイナー著・鈴木一博訳)を用いています。ご参加前にご購入下さい。
SEIKODO STORE
https://www.seikodo-store.com/show1.php?show=b0007


お申し込み:
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/


お振り込み先:
// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041
スワ チハル


// 他銀行から //
店名 〇ニ八(ゼロニハチ)
普通 2888904


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2023年05月14日

ポピュラリティーよりもインディヴィジュアリティーから学びたい





自分自身の慣れ親しんだ感官のあり方に泥まずに、己れなりのあり方を超えて、対象の大きさの前に謙虚に身を披く。

学びといふ学びにおける、その基本的な姿勢をもつこと。

その姿勢こそが、学びの醍醐味をもたらしてくれる。

posted by koji at 21:50 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こころのこよみ(第6週)


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立ち上がる、己れなりであることから、
 
わたしのわたしたるところ。そしてみづからを見いだす、
 
世の啓けとして、
 
時と場の力の中で。
 
世、それはいたるところでわたしに示す、
 
神々しいもとの相(すがた)として、
 
己れなりの末の相(すがた)のまことたるところを。
 
 
 
Es ist erstanden aus der Eigenheit  
Mein Selbst und findet sich
Als Weltenoffenbarung             
In Zeit- und Raumeskräften;         
Die Welt, sie zeigt mir überall
Als göttlich Urbild
Des eignen Abbilds Wahrheit.

 

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2023年05月12日

国語力の裏の側面 聴く力


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小学校に入る前の幼い子どもは、大人たちが話していることばに、じっと、耳を澄ませています。全身を耳にしていると言ってもいいでしょう。からだまるごとが耳なのです。


昔、幼い子どもたちは、群れて集団で遊ぶ中で、たくさんの遊びを通して、わらべ歌や数え歌、その他様々な聴いてすぐ憶えることのできるリズミカルでメロディックなことばの芸術を楽しみながら、ことばを聴く力を養っていました。


また、注意力を最大限に働かせながら、年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんのことばに耳を澄ませていました。


なぜって、見当はずれな下手なものの言い方をして、お兄ちゃんやお姉ちゃん、そして同朋の仲間に、残酷に笑われたくないですから。


そう、ことばを共有できることが、子どもの世界においても、ひとつの通過儀礼のようなものでした。


他者のことばを細やかに注意深く聴く力。


その力を豊かに養う機会が学校や幼稚園と言った特別な施設の外にあった、ということ。


いま、わたしたちは、そういう施設について、教育という精神の活動について、たくさんの問いを持たざるを得ない時代に生きているように感じています。


「ことばを聴く」というのは、難しい言い方をしますと、精神が精神を捉えるということでもあるのですね。


幼い子どもの無自覚な精神が、ことばの精神を本当に賢く捉えます。


それは、国語力の裏の側面であり、それが、「ことばを聴く」ということなのです。


現代において、ことばのその裏の力をいかにたわわに育んでゆくか。


幼い子どもを育てるうえで、昔も今も、特に幼児期においては、厳しい躾は、逆効果です。


むしろ、ファンタジーにあふれた夢のようなお話をたっぷりと聴かせてもらった子が、その聴く力、ふさわしい聴き分けのある性質を携えて成長して行きます。


いま、わたしたち、子どものそばにいる大人自身が、もう一度、身をもってことばの芸術を味わい、自分自身がことばの芸術を生きることが、子どもたちの国語力の育み、聴く力の育みにとって、まずは必要なことです。


大人自身が、ことばを楽しむこと。


ことばとは、情報ではなく、そもそも、神が与え給うた芸術です。


国語力を支え、それゆえ、人生を生きてゆく力を根底で支える「ことばを聴く力」。


その養いから始めて行く仕事をしようと、準備を重ねています。





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教師になるのに神秘修行が必要? シュタイナー教育




子どもたちへの教育にあたる教師にとつて、己れのこころの営みこそを育むことの意味。

posted by koji at 15:23 | 大阪 | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月11日

彩りの豊かさ 第二・七年期の子どもたちにとつての大切なこと シュタイナー教育


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小学校へ入る前の六年余りの間の子どもたちにとって大切なことは、まさしく個と個という関係の中で、子どもと母親、子どもと父親との関係の中で、すべてが完結している。自分自身の親としての経験からそう実感します。


そして、そこには、個と個の関係の中でもっとも基のものと言える夫と妻の関係が、良かれ悪しかれ、とても色濃く子どもたちに影響するように感じます。


もちろん、どちらか一方の親しかいない家庭においても、大人と大人との関係性、子どもに目を注いでくれる誰か他の大人と、子どもの親との関係性が、とても重要になってくるといふことでもあります。


幼稚園にも、共にそこに通ふ園児たちや親御さんたちもゐるわけですが、それでも、そこは先生を親とするもうひとつのより広やかな家庭です。


そこでは、基本的・本来的に、親の役割をしてくれてゐる先生と子どもの、一対一の関係が子どもにとつて大切なものでした。


いまの多くの施設では、そのやうな一対一の、ひとりの子どもにしつかりと目を注ぐことのできるひとりの大人がゐるやうなところは、本当に少なくなつてゐるのかもしれません。


そんな状況において、第一・七年期にある子どもに必要な個と個の関係性を、どのやうにしてひとりひとりの子どもに質的に補つていくことができるか。そのことがとても大事なテーマでもありますね。


さて、子どもは歯が生え変わりだし、小学校へと上がつてゆきますが、第ニ・七年期に入つていく子どもの成長にとって本質的なことは、それまでの個と個の関係性を育むといふことから、だんだんと、個とそのほか大勢の大人たちや子どもたちとの関係を、いかに創つていくかといふことへと移り行きます。


地域の中には、様々な職種につき、様々な価値観で生きてゐる人々がゐます。それまでほとんど親にしか意識が向かつてゐなかつた子どもが、そのやうな人といふ人の彩りの豊かさにどんどん目が奪われていくことでせう。


かつ、クラスといふ集団の中においても、いろんな子どもがゐます。


幼児期においては、子どもの中に生まれ出る意欲や意志は、まるごとむきだしの意欲や意志で、ある意味、原始的なものでした。


しかし、第二・七年期の子どもにおいては、だんだんと、その意欲が感情という衣を着つつ現れてきます。


そして、そのクラスの中で、様々な色の違ふ感情の衣を着た子どもたちに出会ふのです。


その彩りの豊かさの中で子どもは実に多くのことを学びます。


人は、みんな、違うといふこと。


みんな、それぞれ、色合ひが違ひ、向きが違ひ、もつて生まれてゐるものが違ふ。


その違ひが、感情の表れの違ひとして際立つてきます。


ひとりひとりの違ひを尊重する、そして、そこから、ひとりひとりの尊厳を見る、そんなこころの姿勢が教師によつてなされるのなら、どれほど大切なものが子どもたちの内側に流れ込んでいくでせう。


さういふ大人の下で、子どもは、自分という個にゆつくりと目覚め始め、そして、クラスメートや先生、地域の様々な人々の中にある個といふ個に、だんだんと目覚め、その彩りの豊かさに目覚めていきます。


社会といふ集まりの中で、自分といふ個と、大勢の他者との関係を、だんだんと見いだしていく、一対多の関係の本来的な豊かさを、第二・七年期の子どもたちは学んでいくことができます。


もし、そこで、「よい点数を取ることが、よい人になる道です」もしくは、「よい点数を取ることで、あなたは他の人に抜きん出ることができますよ」といふ、ひといろの価値観がまかり通るのなら、子どもの内側から生まれでようとする、その子固有の意欲や意志が削ぎ落とされ、感情が傷つけられ、萎えていくことにもつながりかねません。


小学校において、はや、灰色ひといろの服をみんなで着ているやうなものです。


できるだけ、子どもたちの周り、そして内側を、カラフルにしておいてあげたいですね。


そのためには、わたしたち大人が、各々、カラフルであること、自分自身のあり方を際立たせること、「わたしはわたし」といふところをしつかりと持つて、子どもたちのそばで毎日を生きることが大切なことだと実感します。




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台所での母の鼻歌 シュタイナー教育




人の生涯にわたるこころの営みを、底で支へてくれるのは、幼い頃にいただいた愛。


サムネイルの彫塑は、北村西望作「若き日の母」


posted by koji at 17:34 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月10日

一冊の本を再読・熟読することが人を孤独にする




孤独になることで、孤独から解放される、その不思議。



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大人の内なる子ども シュタイナー教育


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人における「子ども時代」。


それはこの世に生まれたときから、7年周期を3回経て、およそ21歳になるまで続きます。


しかし、実のところ、その「子ども時代」は、その人の一生涯を通じて内側にあり続ける。


よく、シュタイナー教育に初めて接した人の多くから、こんなことばを聞きます。


「わたしも、子どもの頃にこんな教育を受けたかった」


でも、大人になっても、遅くはない。


なぜならば、人の内側には、いまだにその人の「子ども時代」が息を潜めているからなのです。


「子ども時代」が息を潜めて、いまだにその人の中にあるからこそ、シュタイナー教育などに接したときに、そのようなことばが思わず呟かれるのかもしれません。


「子ども時代」を強く保ち続けている人などは、どれだけ年を重ねても、若さを持ちつづけている。


子どもの気持ちにいつでも帰ることができる。


自分の中の子どもに語りかけるように、何かを創ったり、語ったり、書いたりすることができる。


その創られ、語られ、書かれたものが、また、子ども(子どものこころを持つ人)に愛される。


幾つになっても、わたしの中の「子ども」に働きかけることができるとしたら、そのつど、人は新しく人生を始めることができるのかもしれませんね。





posted by koji at 21:45 | 大阪 | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幼な子にとって大切なこと 〜個と個〜 シュタイナー教育


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「子ども時代」の第一・七年期、0歳から7歳にいたるあたりまで、幼い子どもは、自分のすべてを委ねることができるひとりの大人を必要としています。


その一対一の関係を通して、子どもは「世は善きところである」という信頼を、きっと、ますます深めていくことができるのでしょう。


その個と個の関係において、まず最初の<わたし>の健やかな成長がなされていきます。


幼な子は、ひとりの大人の存在を必要としています。


その子の内側から湧き上がってくる「欲する働き・意志・意欲」を、そのままその子固有の「欲する働き・意志・意欲」として受け止めてくれる、ひとりの大人の存在を、です。


その個と個の関係、一対一の関係を育む場として、家庭があり、その延長線上に幼稚園、ないしは保育園がある。


この第一・七年期の子どもの健やかな成長を指し示すような童歌があって、まどみちおさんが作詞した「ぞうさん」があります。


  ぞうさん、ぞうさん、おーはながながいのね
  そうよ、かあさんも、なーがいのよ

  ぞうさん、ぞうさん、だーれがすきなあの
  あーのね、かあさんが、すーきなのよ


幼い子どもが、ひとりのお母さん(もしくは、それに代わる誰か)との結びつきを通して、個と個の信頼を育んでいる姿が描かれていますね。


ひいては、自分自身への信頼をも育んでいます。

第一・七年期の子どもの成長にとっての大切なテーマでもある、この個と個の関係性。


それは、まずは、むしろ、わたしたち、ひとりひとりの大人の間でこそ、育まれるべきものなのかもしれません。


家庭の中における個と個の関係性、家庭の中における夫と妻の関係性、そこには、その人の幼い頃の第一・七年期のありようが映し出されているはずです。


もしかしたら、わたしたちは、その意識を持って、己れ自身の個としてのあり方、そして、相手を個として敬えているのかどうかを見て取る必要があるのかもしれません。


そのことが、もっとも現代的なテーマとして、わたしたち大人が向かい合って行っていいことだと、あらためてわたしは考えさせられています。






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2023年05月09日

子どもたちが生き抜いていけるために シュタイナー教育


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今、この時代に大人が子どもたちにできることとは、何だろうと、考えています。


このときにあって、わたしたち大人がいま、子どもたちのために、もっとも意識して創り上げていくべきもの。


それは、人と人との間の信頼、そしてそこからこそ生まれる「つながり」だということに、今更ながらなのですが、何度でも繰り返して思い至るのです。


この現代の社会的混乱は、わたしたちにいま一度、人と人との間の信頼というものを取り戻せ、そして、大人たちよ、そのために、いま一度、目覚めよ、というメッセージを送ってくれていると思われてなりません。


子どもは、大人たちの間の信頼関係をこそ土台にして、人として成長していくことができる、自分の<わたし>を育んでいくことができる。


もしかしたらこれから、子どもたちにとって、こころの上でも、からだの上でも、健やかに生きていくことが大変厳しい時代になろうとしているのなら、わたしたち大人は、なんとかして、子どもたちひとりひとりの個の成長、子どもたちの内側から発し、伸び、花開こうとする<わたし>の力を、邪魔しないようにしなければならない。


そうして子どもの中で育った<わたし>のみが、外の世からやってくる様々なものに太刀打ちできる。


これからの時代は、世の多くの人が言っていることに従うような人ではなく、ひとりひとりの内側からの<わたし>の力を持つ人のみが、困難な道を切り開いて、生きて行くことができる。


そのための具体的、かつ発展的な示唆が、シュタイナー教育によってなされているのですが、そのような教育上の示唆以上に、子どもの側にあるわたしたち大人のありようそのものが、これからはますます問われていくでしょう。


大人と大人の間の信頼関係を肌で感じることによって、そしてひとりひとりの大人の自己信頼から生まれる気概に接することによって、子どもは自分自身の〈わたし〉を育んでゆくことができる。


人と人との信頼からこそ生まれる「つながり」。


そして、こここそが、最も重きをなすことなのですが、その「人と人との間のつながり」の基は、ひとりひとりの人の内から発せられる自己信頼の光と力にある、ということなのです。


その光と力を己れのものにしていくためには、大人自身が、何よりもまず、みずからを律し、考えと情を整え、ことばと行いを一致させ、毎日を丁寧に生きて行くことがどうしても、要ります。


すべての人間関係の問題、社会問題の根底には、それらへの取り組みの如何が横たわっています。


そのことに真摯に取り組んでいくのに、アントロポゾフィーからのこころの練習の必要性が、ますます、感じられるのです。




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2023年05月08日

隣の人のことを知ること





現代に生きてゐるわたしたちの課題のひとつは、隣にゐる人の精神によつて目覚めること。

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2023年05月07日

「忙しい」といふ形容詞をはずす




時間といふものは、わたし次第で、長くも短くもなるもの。









posted by koji at 20:34 | 大阪 ☔ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ある」から始める


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シュタイナーの『普遍人間學』といふ一册の講義録。


それは、子どもたちを育てるといふ教育藝術に勤しむときの、基となる人間學が全十四講において述べられたものです。


その第一講で、わたしたち大人自身の「エゴイズム」を凌いでいくことの重要性が述べられてゐます。


「エゴイズム」とは、實は、未來を不安に思ふこと、行く先のことを思ひ患ふこと、將來、何かを失ふことを恐れること、そして、そこから必然的に生まれて來るこころの防衞反応だといふことなのです。


エゴイズムは、恐れから生まれてゐる。


「ない」「足りない」「失つてしまつたら、どうしよう」といふ恐れからエゴイズムは生まれて來るのだとシュタイナーは語ります。


そのやうな思ひは、人をどうしても不自由にします。


そのエゴイズムから自由になるためには、わたしたちは、いまだ訪れてゐない未來のことを思ひ患ふことをやめて、ありありてあつた、わたしたちの過去、來し方をかへりみること。


いかに多くも多くの人やものごとに、わたしたちは支へられ、守られて來たかを想ひ起こすこと。


その精神からの想ひ起こしは、わたしたちに、こころの安らかさを取り戻させます。こころの充ちたりを取り戻させます。感謝を念い起こさせます。


ずつと、ずつと、わたしのわたしたるところ、<わたし>は、守られ、支へられ、育まれて來たといふこと。


行く先において何かを失ふこと(お金がなくなる、病氣になつて健康を失ふ、他人からの愛を失ふ、いのちを失ふ・・・などなど)を恐れることをやめること。


これまでにありありとあつた、そして、このいまも、ありありとある、<わたし>を見ること。想ひ起こすこと。この<わたし>は、決して、傷つけられることも、失はれることもなく、とこしへにありつづけます。


一日を「ない」から始めるのではなく、「ある」から始めること。


「あり續けてゐる」「すでにある」「すでにすべてを持つてゐる」といふ考へ、念いから、一日を、毎日を、始めること。


毎日、毎朝のメディテーションとコンセントレーションが、その一日の始まりを創つてくれます。


子どもたちは、その「ありありてあり續けてゐる」精神の世から降りて來たばかりです。


そのことを思ひつつ、教育に勤しむ。


『普遍人間學』の第一講。


そこには、シュタイナーからのそのやうなメッセージが述べられてゐます。


こころの内にどのやうなことを考へ、どのやうな想ひを持つかといふことが、健やかに生きて行く上で、どれほど大切なことでせう。


そして、もちろん、教育といふ仕事においても、その健やかさが缺かせないのです。


このことが心底分かるのには、隨分と人生の酸いも甘いも嚙み分ける時間が必要なのだと、わたし自身、感じます。






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2023年05月06日

いま始めるべきこと






いま、日本といふ国は、危機にある。


だからこそ、ひとりひとりのこころざしある人がみづから、内なるこころと精神を鍛える営みを始めて行かねばならないと強く感じてゐる。







posted by koji at 20:43 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こころのこよみ(第5週)



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光の内に、精神の深みから
 
その場その場で実り豊かに織りなしつつ、
 
神々の創りたまふものが啓かれる。
 
その内にこころそのものが顕れる、
 
広がりつつ、ありありとした世に、
 
そして立ち上がりつつ、
 
狭い己れの内なる力から。
 
 
 
 
Im Lichte, das aus Geistestiefen
Im Räume fruchtbar webend
Der Götter Schaffen offenbart:
In ihm erscheint der Seele Wesen
Geweitet zu dem Weltensein
Und auferstanden
Aus enger Selbstheit Innenmacht.
 
 
 
 

posted by koji at 16:49 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ありがたうございました!ゴールデンウィークの教員養成 in 仙台 シュタイナー教育



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昨日、おひさまの丘 宮城シュタイナー学園主催のシュタイナー教員養成講座第四回目が終了しました。


「十二の感官」をテーマに、古賀美春先生による音楽の芸術実践と、Douglas Newtonさんによる「自然観察」、そして言語造形による『古事記(ふることぶみ)』を体験する三日間。


Douglas Newtonさんの導きによつて、わたしたちは、学園の周りに拡がっている森の中に裸足で分け入り、川の流れに入つて行き、子どものやうに息を弾ませながら、遊び、大地に触れ、風のそよぎに頬を撫でられ、鳥の鳴き声に耳を澄ますのでした。そこでは、自分自身の息遣いを普段以上に感じ、こころがいつしか洗はれてゆくことによって、感官が研ぎ澄まされてゆくのです。


自然のその場その場において、光を観るのです。


その光には、神々しいものが密やかに流れてゐるのを肌で感じるのです。


そのとき、これまでの狭い自分のこころのありやうから解き放たれた、新しい自分がすつくりと立ち上がつてくることを感じるのです。


さう、自然を観る、とは、目で視ることだけでなく、足の裏で観る、からだのまるごとで観るといふことであることを実感することができたのでした。


三日間が終はつたあとの、参加者のみんなのいのちといのちとが流れ合ふやうな清々しいお顔。


そこにメディテーションと精神の学とを重ね合はせる、わたしたちの教員養成講座は、きつと、参加された皆さんの暮らしとこれからの仕事に新鮮な息吹きと心意気を吹き込むことと思ひます。


今回もこの講座を支えて下さつた学園の皆さん、本当に美しい講座を担つてくださった古賀先生、Newtonさん、そして、この講座を上の次元で見守つて下さつてゐる精神の世の方々、こころよりの感謝を感じてゐます。


どうもありがたうございました。




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2023年05月04日

ゴールデンウィークの教員養成 in 仙台 シュタイナー教育






昨日から始まったおひさまの丘 宮城シュタイナー学園でのシュタイナー教員養成講座。https://www.ohisamanooka-steiner.or.jp/kyouin-yousei


今回のテーマは、「十二の感官」です。


そして、芸術実践としての古賀美春先生によるあまりにも豊穣で滋味深い音楽の授業。授業のあり方そのものが芸術であること。授業で美を伝へることは勿論なのですが、授業といふ行為そのものが、すでに美しいといふこと。本当に、勉強になります。


そして、今日からは、自然観察の講師としてDouglas Newtonさんも加はつてくれました。


森の中を裸足で歩く。木陰に座る。目を瞑る。また遠く広く見晴るかす。風を頬に受ける。耳を澄ます。


子どもの頃に帰つたやうに、全身で自然を観る。


一年の内、最も美しいと感じるこの時期、アントロポゾフィーという精神の学を土台にして、人と自然との深い関係を芸術を通して学ぶことの豊かさを感じます。




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2023年05月03日

我が胸のときめき 国語教育と演劇教育を結ぶ シュタイナー教育






ことばを大切にする文化。

文学を深みにおいて捉える教育。

ことばの深みをからだまるごとで表現していく演劇芸術を一作品一作品、創つてゆくこと。

それは、子どもたちへの国語教育から演劇教育を日本で打ち樹てていく。

それが、わたし自身に与へられてゐる「仕事」です。

posted by koji at 22:55 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月02日

意識の拡大






今だけ、金だけ、自分だけ、自分の家族だけ、個人主義の行きすぎがこのやうな生き方をする人の集合体、社会を作つてしまつてゐる。

目覚めたひとりひとりが、まづ、自分自身から、意識の拡大をしていくことが、これからの社会を創りなしてゆくための何よりも基のこと。

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2023年04月30日

「マタイ受難曲」を聴く



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昨日、大阪枚方市の關西醫科大學大ホールにて行はれたバッハの「マタイ受難曲」を次女とふたりで聽きに行きました。


以前、言語造形の公演でチェロを彈いて下さつた山口健さんがフェイスブックで紹介して下さつてゐた公演だつたのです。山口さん、ありがたうございます。本當に素晴らしい公演でした。


娘の誕生日が近いので、誕生日プレゼントのつもりで、當日朝、誘つてみましたら、「行く」と言つてついて來てくれました。


會場に着いてみますと、大ホールの一階はぎつしり滿員、おそらく二階も三階も聽きに來た人たちで一杯で、千人を超えるお客さんでした。


一曲目の合唱曲「來たれ娘たちよ、われと共に歎け」を聽いて、わたしは譯も分からないやうな情がいきなりこみ上げて來て、滂沱の涙です。


前半、後半、それぞれ一時間半、計三時間強の公演、何度、涙が溢れて來たことか・・・。


十字架に掛けられようとしてゐるイエスを弟子のペテロが三度否認し、自分はキリストと何のかかはりあひもないと云つて否定する箇所のあと、そのペテロが外へ出て行き、さめざめと泣いた、と云ふ短いけれども痛切極まりない旋律のことを、音樂評論家の吉田秀和氏が書いてゐました。


「ここを聽いて、胸をつかれないとしたら、その人は音樂を聽く必要のない人だ」と。


果たして、その場面における福音史家役の畑儀文氏の吐く息の中の震へるやうな小さな聲の響きたるや・・・。


終演後、客席からの拍手が鳴り止みませんでした。


歸りの電車の中で、娘は、キリストの意味、神と人との關係、人の罪、その他、樣々なことをわたしに訊いて來ました。


15歳の人にとつて、これからの生きて行く中で、今日の音樂が、どう響き續けるのか。


また、いつの日か、別の角度からでも、樣々なことを語り合へたらいいなと思ひます。






posted by koji at 21:04 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 絵・彫刻・美術・映画・音楽・演劇・写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こころのこよみ(第4週)



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ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」



「わたしは感じる、わたしのわたしたるところを」
 
さう感覚が語る。
 
それは陽のあたる明るい世の内で、
 
光の流れとひとつになる。
 
それは考へるに、
 
明るくなるやうにと暖かさを贈り、
 
そして人と世を、
 
ひとつに固く結びつけようとする。
 
 
 
Ich fühle Wesen meines Wesens:
So spricht Empfindung,
Die in der sonnerhellten Welt
Mit Lichtesfluten sich vereint;
Sie will dem Denken
Zur Klarheit Wärme schenken
Und Mensch und Welt
In Einheit fest verbinden.
 

 
※普通、「Denken」といふドイツ語を訳すときには、「思考」と訳すことが多いのですが、「denken」といふ動詞(考へる)がそのまま名詞になつてゐるので、その動きを活かすべく、「考へる」と動詞的に訳してゐます。


 

posted by koji at 18:45 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月29日

運命を愛する








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2023年04月28日

何度もの生を貫いてゐる〈わたし〉の道






本当に、大いなる旅をしてゐるわたしたち。

わたしたちは、遥かなる道を歩いてゐる者同士。

お互ひにそのことを感じながら、生きて行きたい。

posted by koji at 22:28 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月23日

この学びの眼目 それは人と分かり合ふこと






すべて、問題の原因は、他人にあるのではないこと。

すべて、己れの内にあるといふこと。

アントロポゾフィーは、そのことを身を持つて知るための、切実な学びです。

posted by koji at 20:05 | 大阪 | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アントロポゾフィーを足元に踏む






理想は無理やり飲み込むものではなく、他者から押し付けられるものでもなく、自分自身でひとつの考へを何度も何度も考へ、咀嚼し、消化すること、そして、その考へを自分自身の手足で生きることによつて、初めて、その理想が本物としてこの世に生きる。

アントロポゾフィーといふ精神の学が、人にとつての理想として生きるまで、きつと、ひとりひとりの人が汗と涙を流すことになる。

posted by koji at 09:22 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月22日

こころのこよみ(第3週)



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世のすべてに語りかける、
 
己れを忘れ、
 
かつ、己れのおほもとを肝に銘じながら、
 
人の育ちゆく<わたし>が、語りかける。
 
「あなたの内にわたしを解き放つ、
 
 わたし自身であることの鎖から。
 
 わたしは解き明かす、まことわたしたるところを」
 
 
 
Es spricht zum Weltenall,
Sich selbst vergessend 
Und seines Urstands eingedenk,
Des Menschen wachsend Ich:
In dir befreiend mich
Aus meiner Eigenheiten Fessel,
Ergründe ich mein echtes Wesen.
 
 

posted by koji at 22:08 | 大阪 | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ある授業参観から考えさせられたこと シュタイナー教育



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ある小学校での六年生の授業参観、テーマは「日本の古典(俳句・短歌)を味わおう」です。


先生は、教科書に載っている詩歌の何人かの作者の顔写真を黒板に貼り出します。


なんと、歌の作者は誰かを子どもたちに当てさせる授業でした。


そこで声に出して唱えられる詩歌も、一回だけ、ぼそぼそと発声されるだけで、その詩歌やことばの味わいを残念ながら感じることはできません。


つまり、詩歌ということばの芸術作品を先生はどう扱っていいのか分からないのだろうと思われるのです。


作者の顔を当てさせたり、その詩歌の中にどんな言葉遊びが潜まされているかを子どもに当てさせるのが、子どもたちの気を引く、その時の最上の手段だと思われたのでしょう。


我が国の文化を支える、最も大切なものである国語教育が、小学六年生の時点でこういうものであること。


本当に、様々なことを考えさせられました。


随分と前になりますが、水村美苗氏によって書かれた『日本語が亡びるとき』という本が随分話題になりました。


わたしもその本を幾度も読み返しました。


子どもたちへの国語教育の質いかんによって、わたしたちが営むこの社会を活かしもすれば殺しもすることを多くの人が認識していないこと。


国語教育の腐敗によって、必ず一国の文明は亡びゆくこと。


そのことは、多くの他国の歴史が証明してくれていること。


その時代の典型的な精神は必ずその時代に書かれた文学作品に現れるが、現代文学の実情を「『荒れ果てた』などという詩的な形容はまったくふさわしくない、遊園地のようにすべてが小さくて騒々しい、ひたすら幼稚な光景であった」と帰国子女である彼女は痛覚します。


そんな「ひたすら幼稚」である、現代のわたしたちのことばの運用のあり方から、どのようにすれば抜け出すことができるのか。


未来にとって最も具体的な、ひとつの処方箋を彼女は挙げています。


「日本の国語教育はまずは日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである」


なぜ、そうなのか、この本はとても説得的な論を展開しているのです。


また、水村氏のこの論を、より明確に、より奥深く、批評している小川栄太郎氏の『小林秀雄の後の二十一章』の中の「日本語という鬼と偉そうな男たち」も読み、我が意を強くしました。


国語教育の理想とは、〈読まれるべき言葉〉を読む国民を育てることである。


どの時代にも、引きつがれて〈読まれるべき言葉〉があり、それを読みつぐのがその国ならではの文化であり、その国のいのちなのです。


子どもたちへの国語教育。わたしたち自身の国語教育。


それは、30年後、50年後、100年後を視野に入れた、人の根もとへと働きかける教育なのです。


わたし自身、その仕事を始めて行こうと思っています。





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2023年04月21日

アントロポゾフィーは分かりやすい本を求めてゐない






「分かりやすい」といふことが、もてはやされてゐる今。

だからこそ、「分かりにくい」といふことが、嫌はれてゐる。

人は、すぐに、分かりたい。すぐに、安心したい。すぐに、次に行きたい。

このこころの傾きに、みづから向き合つて行くこと。

そして、ゆつくりと時間をかけて取り組み続けることの価値を知ること。

それは、ある種の冒険である。

しかし、たとへば、六冊の本を次から次へと読むことよりも、読むに値する一冊の本を六回繰り返し読む方が、遥かに学びの深まりに資するといふことを、イギリスの作家ロレンスが『黙示録論』で書いてゐた。

「分かりにくい」ものに何度も挑んで、嚙み砕いては己れのものにしていく、その消化力こそが人にとつての精神の力になる。

とりわけ、一冊の本とは、ひとりの人である。

そして、この動画でも語つてゐるが、そもそも、まるごとの人とは「分かりにくい」ものである。




posted by koji at 21:49 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月20日

てめえ、この野郎!と言ふことのできない現代における教育の難しさ シュタイナー教育






罰といふものが持つ教育的意味は何でせうか。

そもそも、人にとつて「痛み」とは、意識の目覚めを促がす大切な感情です。

何事もさじ加減が難しい今日この頃です。



posted by koji at 11:17 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月19日

日本昔話『 花咲か爺 』 言語造形






花が咲くとき、何がその前になされてゐるか。

そのことに思ひをいたしていい。

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2023年04月18日

エーテル(いのち)の流れ 祝詞の調べ






繰り返されることばの調べ。

そこには、世のエーテルの流れに沿ふ、人のエーテルの調べが湛へられてゐる。

我が国の祝詞、それは神との通ひ合ひから生まれたものであるゆゑに、世のエーテルと人のエーテルの重なりが奏でられてゐる。

posted by koji at 23:16 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月15日

こころのこよみ(第2週)



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外なるすべての感官のうちに
 
見失ふ 考への力が己れのあり方を
 
見いだす 靈(ひ)の世は
 
人がふたたび芽吹いてくるのを
 
その萌しを靈(ひ)の世に
 
しかしそのこころの実りを
 
人のうちにきつと見いだす
 
 
 
 
Ins Äußre des Sinnesalls
Verliert Gedankenmacht ihr Eigensein;
Es finden Geisteswelten
Den Menschensprossen wieder,
Der seinen Keim in ihnen,
Doch seine Seelenfrucht
In sich muß finden.
 
 
 

シュタイナーは、Sinn(感官)とEmpfindung(感覚)とをはつきりと使ひ分けてゐます。

Sinn(感官)は、目や耳などの感覚器官であり、その機能・働きをも言ひます。

Empfindung(感覚)は、Emp(受けて)findung(見いだされたもの)といふつくりで、感官に向かつてやつて来るもののことを言ひます。





posted by koji at 21:25 | 大阪 ☔ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月11日

吉田健一「本が語つてくれること」



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本を読むといふこと、読書するといふことについてしたためられてゐる本を読むことがわたしは好きで、さういふ本を書店で見るとつい手に取つてしまひます。きつと、多くの読書好きの人も、さうではないでせうか。


ここのところ、吉田健一著『本が語つてくれること』を毎晩寝る前に少しずつ読み進めて来て、昨晩読み終へたのです。


これは、約半世紀前に新潮社から出版されたもので、つい最近、平凡社ライブラリーからの一冊としても出版されてゐます。

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彼の文章を読み始めると、最初は、一体、何を言はうとしてゐるのか、あまりにも判然としないその粘液質的な文体に驚き、その癖の強い(と感じられる)ことばの綴り方にアンチパシーを覚えたのでした(^_^;)。


ところで、購入したあと、頁を開き、読み始めて、なぜか、読み進めることができなくて、机の上か本棚の肥やしになつてゐる本があります。いはゆる「積読(つんどく)」ですが、この積読されてゐる本を何年か、もしくは何十年か後に、読んでみようといふ気運が自分の中に立ち上がつて来て、本棚から取り出し、やうやく読み始めることが時々あります。さうして、読み始めるやいなや、なぜかぐいぐいと読み進むことができてしまふことがあります。


ある本に親しむには時間が必要で、読む側の準備が整ふまで、本の方が待つてくれてゐる、そんな感じなのですね。


しかし、この吉田健一の『本が語つてくれること』は、頁を閉じかけたのですが、なぜか、すぐふたたび、手に取つたのでした。


それは、わたしにとつてはとても難解に思へたこの本の文体の後ろ側に、とても高貴な人がひめやかに佇んでゐる気配を感じたからでした。


まるで、静かに揺れながら立つ林のやうな、もしくは、くねりながら流れる川の水のやうな文体。


しかし、その林の奥に入つて行く粘り強さ、水の流れに沿ふやうな柔軟ささへこちらにあれば、つまりは、読むこちら側の精神さへ整へれば、きつと、読んでいくことができるといふ予感があつたのでした。


そこで、腰を据ゑて読み始めたのでした。


すると、間もなく、著者の柔軟にしなりつつ、凛として立つてゐる精神から流れて来る、実に豊かな音楽が静かに奏でられてゐることを感覚し、ことばの林を歩いてゆく喜びがこんこんと湧き上がつて来るではないですか。


さうして、この著者に対する信頼の情といつてもいいやうなものが増してくるのです。これは、とても嬉しく、ありがたいことです。


対象に対するこちら側の成熟だけが問はれてゐるといふ感覚を抱くことができるのは、幸せなことです。


なぜならば、そんな問ひを抱かせてくれる人は、きつと、大人だからです。本当の大人だからです。そんなまことの大人、まことの成熟した人に出会へることは、本当に喜びです。


あくまでも、わたし個人の感覚にすぎないのですが、この本を読み終へて感じてゐることは、そのやうな「大人」が昭和40年頃まではここ日本にも多くいたのではないかといふことです。それは、戦前に教育を受けた人がまだ昭和40年頃まで社会の一線におられて活躍してゐたのではないかといふことなのです。


吉田健一といふひとりの人から生まれたことばを通して、そのやうな風合ひを憶ひ起こすことができたことは、わたしにとつて、まことに嬉しいことでした。


ちなみに、彼は、46代目の戦後の総理大臣、吉田茂の長男で、イギリス、ケンブリッジ大学で学び、英語、フランス語、ラテン語、ギリシャ語に通じ、評論や小説、そして英文学の翻訳などを多数なした方です。


最後に、この本の中でも、比較的、分かりやすい( ´艸`)文章をここに掲げさせてもらひます。



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本を書くといふのは言葉を探すことであつてそれを読むことで言葉を探す手間が省けると思つてはならない。

或る本に一連の言葉が出て来る時にそれを得る前の作者の状態に自分を置いて自分もそれを探すのでなければ言葉は響いて来ない。

そんなことはないと思ふならば実際に何か読んでゐる時の自分の状態に注意を向けるといいのでそこに書いてある言葉の通りと自分でも感じるのはそれを見付けて言つてゐることに確信を得た作者の立場に自分を置くからである。

それでこそ本を読むことで精神が働き出す。

この生気が本を読む時に必要であつて従つてこれはそれを促すだけのものがない本は読むに価いしないといふことでもある。

(140頁)


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posted by koji at 15:21 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 読書ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月09日

こころのこよみ(第1週) 〜甦りの祭り(復活祭)の調べ〜



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世の拡がりから

陽が語りかける 人の感官に

そして喜びがこころの深みから

光とひとつになる 観ることのうちに

ならば拡がり渡る 己れであることの被ひから

考へがここより彼方へと

そして結びつける おぼろに

人といふものを ありありとした靈(ひ)へと



Wenn aus den Weltenweiten
Die Sonne spricht zum Menschensinn
Und Freude aus den Seelentiefen
Dem Licht sich eint im Schauen,
Dann ziehen aus der Selbstheit Hülle
Gedanken in die Raumesfernen
Und binden dumpf
Des Menschen Wesen an des Geistes Sein.





posted by koji at 22:17 | 大阪 ☀ | Comment(1) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生活の便利さが人から敬ひの念ひを奪つてしまふ






こころのアクティビティー。

それさへあれば、人は、きつと、生きて行く上で、活路を見いだせます。

しかし、その人のこころのアクティビティーを殺さうとする力が、便利さ、快適さといふ仮面を被つてわたしたちを覆はうとしてゐます。

現代においては、敬ひといふこころの情は、人がみづからアクティビティーをもつてこころを働かせないと、全く育たないものになつてしまひました。

だからこそ、アントロポゾフィーといふ精神の学が必要なのです。

アントロポゾフィーによつて人はこころを甦らせ、敬ひといふ情を育んでゆくことができるからです。

生きて行く上で何が最も大切なことか。

それは、道のはじめに、「敬ひ」といふ情を据ゑることです。

そこからすべてが始まります。




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【アントロポゾフィーハウス ことばの家 オンラインクラスのご案内】

【「いかにして人が高い世を知るにいたるか」クラス】

 月曜クラス(毎週) 20時〜21時
 木曜クラス(毎週) 20時〜21時
 
●ご参加費
体験単発参加  2000円
お月謝制(基本的に月に4回) 5000円


【「テオゾフィー 人と世を知るということ」クラス】

●開催日時
毎月二回 いずれも土曜日
(正確なスケジュールは、下記の「含まれるクラス」欄にてどうぞご確認ください)
午前10時〜12時

●ご参加費
体験単発参加  3500円
6回連続    18000円


※連続ご参加の場合、ご自身のご都合による欠席は講座費は払い戻しはいたしません。後日、録画した動画をご覧いただけます。

●お振込み先
// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041
スワ チハル

// 他銀行から //
店名 〇ニ八(ゼロニハチ)
普通 2888904

参加費をお振り込みいただいた方に、zoomのIDとパスワードをお伝えします。


●お申し込み・お問い合わせ
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/


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HP「アントロポゾフィーハウス ことばの家」
https://kotobanoie.net/
.
諏訪耕志ブログ『断想・・アントロポゾフィーに学びつつ・・』
http://kotobanoie.seesaa.net/
.
you tube channel「アントロポゾフィーハウス ことばの家」
チャンネル登録、どうぞよろしくお願ひします。



言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーの精神科学・アントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想ひ起こさせようとしたのです。

わたくし諏訪耕志は、1993年から、アントロポゾーフ・言語造形家である鈴木一博氏に師事し、2003年より「ことばの家」として、大阪の住吉にて、言語造形、ならびに、アントロポゾフィーを学ぶ場を設けてゐます。



posted by koji at 20:12 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

甦りの祭り(復活祭)



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今朝の万代池(ばんだいいけ)



万代(よろづよ)の池に集へるもろびとの口もとほころぶ春の一日(ひとひ)よ


さくらばな若葉まぢりて池の辺(へ)を巡りゆく神昇りゆく神


うらうらと春のひとひのおほぞらは光と風と希(のぞ)みをはらむ

posted by koji at 17:05 | 大阪 ☀ | Comment(0) | うたの學び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月05日

幼児教育におけるかなめのこと シュタイナー教育






先日も、母の怪我のために病院に付き添ったのですが、大きな病院の中に何百人もの人が列をなして受付に並んでいました。

なぜ、これほど多くの人が、毎日、病院通いをせざるをえないのか。

様々な要因があるでしょうが、今のお年寄りが幼な子だった頃にも、実は、深い要因がある。

今のお年寄りが幼な子だった時、そばにいた大人の振る舞い、そしてこころのありよう。

それが、その幼な子だったその人のまるごとに働きかけ、やがて、年を経て中年から熟年、晩年になったときのからだの健康状態として顕在化してくるということ。

食べ物も、もちろん、健康状態にかかわっているでしょう。

しかし、幼い頃の環境、さらには、傍にいる大人のありようこそが、その人の晩年の健康状態に深く深く働きかけて行くからこそ、幼児教育に対する精神科学からの見識が要るのです。

どういう大人のあり方が、幼な子にとって健やかさをもたらすのだろう。

そのことを学ぶのが、アントロポゾフィーを学ぶということです。

これほど大勢の日本人が病院に通い、薬を飲み続けている。

そのお金は誰が払っているのか。国民の税金です。そして、その医療費は海外の製薬会社などに大量に流れて行っています。この三十年以上の日本の経済の停滞の大要因のひとつがこれです。

教育なのです。ほんとに教育なのです。教育に対する精神からの見識を広めて行くことが、どうしても要ると、わたしは考えています。



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【アントロポゾフィーハウス ことばの家 オンラインクラスのご案内】

【「いかにして人が高い世を知るにいたるか」クラス】

 月曜クラス(毎週) 20時〜21時
 木曜クラス(毎週) 20時〜21時
 
●ご参加費
体験単発参加  2000円
お月謝制(基本的に月に4回) 5000円




【「シュタイナーの会員への手紙」』クラス】

【日時】
2023年1月20日(金)を第一回目としまして、
毎月第三金曜日午後7時半から9時までオンラインクラスです。 
途中からでもご参加可能です。

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【参加費】
初回体験参加のみ3500円 
以降5回連続15000円
.
参加費をお振り込みいただいた方に、
zoomのIDとパスワードをお伝えします。
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※扱うテキストは、
 わたくし諏訪の拙訳による「会員への手紙」を用います。




【「テオゾフィー 人と世を知るということ」クラス】

●開催日時
毎月二回 いずれも土曜日
(正確なスケジュールは、下記の「含まれるクラス」欄にてどうぞご確認ください)
午前10時〜12時

●ご参加費
体験単発参加  3500円
6回連続    18000円


※連続ご参加の場合、ご自身のご都合による欠席は講座費は払い戻しはいたしません。後日、録画した動画をご覧いただけます。


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『大阪・第三土曜日午前オンサイトクラス
「言語造形 いのちとこころのエクササイズ」』
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人のいのちを司っている「エーテルのからだ」。
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幼児期にはそのからだは、フィジカルな体をなりたたせるためにまさに手一杯です。
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しかし、だんだんとエーテルのからだはそのお役目から解き放たれてゆき、そこに波打っているいのちの力は、考える力、記憶する力へとなり変わっていきます。
.
そして、老いてくると共に、それらエーテルのからだから解き放たれて来る考える力、記憶する力が、その人の<わたし>によってしっかりと掴まれていないと、その人を興奮させ、憂鬱にさせ、果ては認知症への導きとなってしまいます。
.
つまり、考える力・記憶の力と、からだとこころの健康とは、すこぶる近しい関係にあります。
.
わたしたちは、言語造形を通して、また、それに準じるエクササイズ・練習を通して、〈わたし〉とエーテルのからだをしっかりと結びつけるための時間を創って参ります。
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約三年ぶりに再会する大阪「ことばの家」での言語造形の時間。
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これまでよりも、人のいのちとこころの健やかさをかたちづくってゆくことをより意識してクラスをしていきます。
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どうぞ、ご関心のおありになる方、一度、大阪まで、お運びください。お待ちしています。
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講師:諏訪耕志

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【日時】
第三土曜
午前10時から13時までの毎月一回のオンサイトクラスです。
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【場所】
アントロポゾフィーハウス ことばの家 
大阪市住吉区帝塚山中2-8-20
最寄り駅 南海高野線「帝塚山」 
     南海阪堺線「姫松」 
     地下鉄四つ橋線「玉出」
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【参加費】
初回体験参加のみ2500円 
以降5回連続30000円
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※ご参加の方は、声に出してみたい文学作品をひとつ持ってきてください。また、教室でのマスク着用はおひとりおひとりの自由に任せておりますので、どうぞご了承ください。
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【アントロポゾフィーハウス和歌山 クラスのご案内】

日時:毎月第二の月曜日
   10時から12時 言語造形
   12時半から14時 アントロポゾフィーの学び

場所:和歌山県岩出市内の公民館

参加費:初回体験 5000円
    5回連続 20000円

お問い合わせ・お申し込み:
  アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/



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●お振込み先
// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041
スワ チハル

// 他銀行から //
店名 〇ニ八(ゼロニハチ)
普通 2888904

参加費をお振り込みいただいた方に、zoomのIDとパスワードをお伝えします。


●お申し込み・お問い合わせ
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/


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HP「アントロポゾフィーハウス ことばの家」
https://kotobanoie.net/
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諏訪耕志ブログ『断想・・アントロポゾフィーに学びつつ・・』
http://kotobanoie.seesaa.net/
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you tube channel「アントロポゾフィーハウス ことばの家」
チャンネル登録、どうぞよろしくお願ひします。

posted by koji at 22:49 | 大阪 ☔ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月04日

輪廻転生とカルマ(人が再び体をなすことと仕合はせ)






人生における苦しみ、痛み。

それらは、こころに揺らぎをもたらし、おののきを呼び起こします。時に崩壊をもたらしもします。

しかし、それらがあるからこそ、それらが我が身に訪れてくれるからこそ、わたしたちはまことの<わたし>に目覚めることができる機会を持つことができるのです。

その訪れは、人を成長させようとする世の精神からのプレゼントです。

それは、「人が再び体をなすことと仕合はせ」といふ法則のひとつの表れです。

posted by koji at 13:23 | 大阪 | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月01日

こころのこよみ(第52週)〜十字架を生きる〜



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春の吉野川



こころの深みから
 
精神がありありとした世へと向かひ、
 
美が場の広がりから溢れ出るとき、
 
天の彼方から流れ込む、
 
生きる力が人のからだへと。
 
そして、力強く働きながら、ひとつにする、
 
精神といふものと人であることを。
 
 
 
Wenn aus den Seelentiefen 
Der Geist sich wendet zu dem Weltensein 
Und Schönheit quillt aus Raumesweiten,
Dann zieht aus Himmelsfernen
Des Lebens Kraft in Menschenleiber
Und einet, machtvoll wirkend,
Des Geistes Wesen mit dem Menschensein.
 
 
 
ものをぢつと観る。ものがありありとしてくるまで、ぢつと観る。そのとき、こころの深みが動く。こころの力を振り絞つて、そのものとひとつにならうとするとき、わたしの精神とものの精神との交流が始まる。
 
 
眼といふものは、実は腕であり手なのだ。
 

何かを観るといふ行為は、実は手を伸ばしてその何かに触れる、もしくはその何かを摑むといふことなのだ。
 
 
そのやうな見えない腕、見えない手が人にはある。
 
 
何かをぢつと觀る、それはとても能動的な行為だ。
 
 
おほもとに、愛があるからこそ、する行為だ。 
 
 
 
見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑(とこなめ)の
絶ゆることなく また還り見む
          柿本人麻呂 (萬葉集0037)
 
 
  
そのやうにして、アクティブに、腕を伸ばすがごとくにものを観たり、自然の響き、音楽やことばの響きに耳を澄ますとき、方向で言へば、まさに上から、天から、そのつどそのつど、フレッシュな光、息吹き、啓けがやつてくる。
 
 
言語造形をしてゐるときも、同じだ。
 
 
みづから稽古してゐるとき、うまくいかなくても、それでも繰り返し、繰り返し、ことばがありありとしたものになるまで、美が立ち上がつてくるまで、ことばに取り組んでゐるうちに、また、他者のことばをこころの力を振り絞りながら聽いてゐるときに、「これだ!」といふ上からの啓けに見舞はれる。
 
 
そのたびごとに、わたしは、力をもらへる。喜びと安らかさと確かさをもつて生きる力だ。
 
 
精神である人は、みづからのこころとからだを使つて、ぢつと観る。聽く。働く。美を追ひ求める。
 
 
そのとき、世の精神は、力強く、天から働きかけてくれる。
 
 
そして、精神と人とをひとつにしようとしてくれてゐる。
 
 
場の広がりの中で、人と世が美を通して出会ひ(横の出会ひ)、精神との交はりの中で、人と天が生きる力を通して出会ひ(縱の出会ひ)、その横と縱の出会ひが十字でクロスする。


十字架を生きる。
 
 
そこで、『こころのこよみ』は、この第52週をもつて一年を終へ、甦りの日(復活祭)に臨む。
 
 

 
 
 
こころの深みから
精神がありありとした世へと向かひ、
美が場の広がりから溢れ出るとき、
天の彼方から流れ込む、
生きる力が人のからだへと。
そして、力強く働きながら、ひとつにする、
精神といふものと人であることを。
 
 





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2023年03月30日

皆、高い世の知を求めてゐる






人は、35歳あたりまでは、懸命に、「低い世」「地上の世」「物質世界」を生きる術を磨いて毎日を生きてゐます。

しかし、それ以降、人は、「高い世」「精神の世」についての知を求め始めます。

それは、自分自身についての知であり、<わたし>といふものについてのリアリティーを求め始めるといふことです。

その知を得られないと、そして、その知を生き始めないと、人は、己がこころの奥底からの求めに応へることができないからです。

posted by koji at 21:34 | 大阪 | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月29日

大阪のオバチャン



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今日、久しぶりに大阪市営バスに乗ったのです。


すると、来ました来ました、典型的と言ってもいいような「大阪のオバチャン」。


バスに乗り込んでくるやいなや、二人席の奥に先に乗って座っておられたご婦人の横に座って、そのオバチャン、大きな声でお話になり出されました。横のご夫人とは、初めて会った人です、きっと。


「アタシ、ほんまに、この前も、バス乗ったとき、若い人にゆうたんです。お年寄りに席譲ってあげてねって。そりゃ、万にひとりぐらいは、『なんで席譲らなあかんねん、おばはん』ゆうてくる人もいますけど、ていねいに理を尽くしてゆえば、分かってもらえますねん。」


私が座っている席のすぐ後ろで、いきなりそんな話を始められたもんですから、「あっ、俺のことゆうてんのかな、しかし、俺は若ないしな。いや、どうやろ・・・」と複雑な気持ちでいたのです。


そうしましたら、次から次へと話は展開していくのでした。


「いや、ほんまに、今どきの人は、そういうことから始まって、この国のこと、どう思うてますんやろ。生き方ゆうたらええんでっしゃろか、道徳ゆうたらええんでっしゃろか。ほんで、外国のもん、ばっかり買(こ)うて、日本製のもん、買(か)えへんさかい、こんなに産業も衰退して、国も弱あなってるんとちゃいますか。この国は、ほんまにええ国やのに、こんなに恵まれてんのに、それを当たり前みたいに思うてる。どないなってまんねやろうなあ」と明るく元気な声で国のことを憂えてはります。


「そやけど、なんでんな。毎日、アタシも元気発散してますねん。くよくよしてても、しゃあないですもんねえ。この前、バス乗るのに列並んで待ってます時に、前に並んでる人に『お互い、こうやって長いこと立ちながら待ってんのん、しんどいことですなあ』ってアタシいいましてん。ほしたら、その前の人、ニコッと笑うて『ほんまですなあ』ゆうてくれましてん。アタシ嬉しなったから『今年120歳なりましたから、ほんましんどいですわ』言いましたら、列に並んでるみんな、ぎょろっとこっち見ますねん、ぎょろっと。毎日、そんな、アホみたいなことばっかりゆうてますねん。」


まだまだ続きます。


「コロナ前のいつやったか忘れましたけど、今日みたいな天気のええ日に大阪城の下でお花見しましてねえ。その時、隣のシートのグループさんと仲良うなりましたさかい、『まあ、一杯、酒飲みませんか』ゆうてお酒勧めてくれはりますねん。アタシ、嬉しゅうて、『いややわあ、あんまり、飲ませんといて下さいね』いいましてん。ほしたら、そのグループの人、『おばさん、お酒、いけそうなお顔してますやん』言いはりますから、アタシ『そら、二十歳(はたち)は過ぎてますからねえ』言いましてん。これは、嘘ちゃいますやろ。もう、毎日、そんなアホみたいなことばっかりゆうて発散してますねん」


もう少し続きます。


「大阪の人は、おもろい、おもろい、って、よそ様から、ようゆわれますやん。そやさかい、こっちかて、おもろせなあかんかな、思うて、またバス乗る前、列並んでるときに、前に仲良う話してるお母さんと息子さんおりましたから、わたしもいつのまにか話の仲間に入って、話してましてん。話も弾んでだんだん興に乗ってきて、指でピストル撃つ真似したら、知らん人でも大阪人は『ううっ』ゆうてリアクションするゆう話になって、試しにやってみましょか、ゆうことになって、列の後ろの人にやったんです。ほしたら、男の人やったんですけど、何もリアクションしませんねん。『しょうもないことして、すみません』ゆうて、その男の人に謝ったら、その人『弾、はずれたさかい』いいますねん。」


わたしは、前の席で、笑いをこらえるのに、どれだけ我慢したか・・・。多分、バスの中のみんなもそうやったと思います。春のひととき、緩みました( ´艸`)。




posted by koji at 21:56 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月28日

幼児教育におけるかなめのこと







先日も、母の怪我のために病院に付き添ったのですが、大きな病院の中に何百人もの人が列をなして受付に並んでいました。


なぜ、これほど多くの人が、毎日、病院通いをせざるをえないのか。


様々な要因があるでしょうが、今のお年寄りが幼な子だった頃にも、実は、深い要因がある。


今のお年寄りが幼な子だった時、そばにいた大人の振る舞い、そしてこころのありよう。


それが、その幼な子だったその人のまるごとに働きかけ、やがて、年を経て中年から熟年、晩年になったときのからだの健康状態として顕在化してくるということ。


食べ物も、もちろん、健康状態にかかわっているでしょう。


しかし、幼い頃の環境、さらには、傍にいる大人のありようこそが、その人の晩年の健康状態に深く深く働きかけて行くからこそ、幼児教育に対する精神科学からの見識が要るのです。


どういう大人のあり方が、幼な子にとって健やかさをもたらすのだろう。


そのことを学ぶのが、アントロポゾフィーを学ぶということです。


これほど大勢の日本人が病院に通い、薬を飲み続けている。


そのお金は誰が払っているのか。国民の税金です。そして、その医療費は海外の製薬会社などに大量に流れて行っています。この三十年以上の日本の経済の停滞の大要因のひとつがこれです。


教育なのです。ほんとに教育なのです。教育に対する精神からの見識を広めて行くことが、どうしても要ると、わたしは考えています。




posted by koji at 22:51 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

彫塑といふ芸術 音楽といふ芸術 シュタイナー教員養成において シュタイナー教育






地球の真ん中からの重力。

世(宇宙)から流れ込んできてゐるエーテルの力。

このふたつの力の織りなしが、わたしたちの地上のからだを重さと軽さの間で釣り合ひを保たせてゐます。

その織りなしを意識的に生きることへと導くために、とても有効なのが彫塑といふ芸術です。


さらには、星々の世とわたしたちを繋ぐ力を宿してゐるアストラ―ルのからだにおいて生きられる芸術が、音楽です。

音楽とは、そもそも、天上の星々から降りて来るものなのです。


人を人として育てて行くための教員養成に欠かせない、ふたつの芸術実践、それが彫塑と音楽です。




posted by koji at 20:44 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

敬ひの細道 奥の細道






密(ひめ)やかな学びは、「敬ひの細道」を歩き始めることからこそ、始まります。

敬ひといふこころのありやうが、密やかなことごと、精神の方々を引き寄せるためにどうしても欠くべからざるものなのです。

日本の詩人たちも、その「密やかな細道」を歩みゆくことで、ことばの精神、言霊のさきはひに預かることができたのでした。

松尾芭蕉を日本の最後の詩人といつていいかもしれない、そんな風に感じてゐます。

posted by koji at 20:31 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月26日

今日を生きる心意気






今、それぞれのオンラインクラスで、シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』と『テオゾフィー 人と世を知るということ』の二冊を講義させてもらっています。


奇しくも、どちらのクラスでも、テーマがシンクロしていまして、「輪廻転生とカルマ(人が再び体をなすことと仕合わせ)」なのです。


つまり、この肉体の眼では確かめることのできない、いわゆる「スピリチュアル」な事柄なのですね。


しかし、この「スピリチュアル」なことこそ、筋道を辿ってしっかりと考えることを通して、こころの内に、その「スピリチュアル」な階段を一段一段昇ってゆくことができるということを教えてくれているのが、ルードルフ・シュタイナーです。


「感覚」だけでなく、しっかりとしたその「論理性」、つまり考える働きによって、精神の世への道を一歩一歩進んでいく。


その考える働きを、静かに、浄めて行く作業、それがメディテーション(瞑想)です。


毎日繰り返されるそのメディテーションによって、わたしたちは、どこに向かうかと言いますと、それは、先ほど挙げたテーマである「輪廻転生とカルマ(人が再び体をなすことと仕合わせ)」を己が身をもって知ってゆくこと、まことの<わたし>を知りゆくことにあるのです。


そして、その知ったところから、今日という一日をどう生きるかという心意気に転換すること、そこにアントロポゾフィーの学びの最大の眼目があると言ってもいいように私は実感しているのです。


「輪廻転生とカルマ(人が再び体をなすことと仕合わせ)」を学ぶとは、それは、これまでの、長い、長い、時間の中で、わたし自身がなして来たこと、なすことができなかったこと、すべてのわたしの来し方のありようが、今のわたしの毎日の暮らしに運命として働きかけて来ていることの意味をリアルに知ることなのです。


我が運命の意味を知る、とは、その運命が、「幸せ」の仮面をかぶっていようと、「不幸せ」の仮面をかぶっていようと、必然性を持ってわたしの人生に訪れた我が運命を愛することであり、我が運命を抱きしめ、我が運命に体当たりしていくことであります。


その体当たりしていくこと、それが、「今日という日をどう生きるかという心意気」に転換されるアントロポゾフィーの学びの真髄であると、わたしは確信しています。


わたしもまた、ひとりの人として、長い、大いなる旅をして来ました。そして、今、生かされて、ここに、います。


そして、すべての人、すべての子どもたちも、大いなる旅の果てに、いま、生かされて、ここで、出会っている。


できることはたかが知れていたとしても、少なくともわたしが出会うすべての人に、その考えと感覚とを重ね合わせて、お付き合いをしていきたい。


それが、アントロポゾフィーの学びと実践に、相も変わらず、付き合い続けている、わたしの悲願なのです。


地味な歩みですが、確かな道を歩いていると、わたしもまた、実感しています。




posted by koji at 17:01 | 大阪 ☔ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする