2023年10月19日

螺旋状に深まりゆく我らの生 キリストと米づくりと四季の巡り






日本の国において、アントロポゾフィーを生きるといふこと。それは、この国の精神性を深く掘り下げて行くことであります。


この国の精神性とは、仏教伝来以前の遥か昔より営まれてゐた「神(かむ)ながらの道」に息づいてゐます。その精神性が、いまだ、この国には息づいてゐる。


それは、米づくりといふ農の営みと大和歌(やまとうた)といふことばの芸術が支へ続けてゐるのです。


その農の営みと言語の営みを次の世代に傳へ続けて行くこと、わたしには、それこそが教育の根底として行つていいと考へてゐます。





観て下さつて、どうもありがたうございます。

これからも、アントロポゾフィーに学びつつ、発信を続けて参りますので、どうぞよろしくお願ひいたします。

アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪耕志



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2023年10月15日

ミカエルの秋(とき)@〜B



負ふてゐた我が子に教へられる^^;


意識の目覚めの秋(とき)来たり

安心していいよ


よろしければ、どうぞご覧ください。

これからも、アントロポゾフィーに学びつつ、発信を続けて参りますので、どうぞよろしくお願ひいたします。

アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪耕志


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2023年10月14日

こころのこよみ(第28週)



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棟方志功『R火頌(かぎろひしやう)』より
保田與重郎の和歌
「火の國の阿蘇の神山神の火の魂依りしづか燃えていませり」



わたしは内において新しく甦り、

己れであることの拡がりを感じることができる。

そして、力に満ちた考への輝きを、

こころの陽の力から、

生きることの謎を解きつつ贈ることができる。

いくつもの願ひを満たしつつ与へることができる。

希(のぞ)みはすでにその揺らぎを鎮めたり。




Ich kann im Innern neu belebt          
Erfühlen eignen Wesens Weiten         
Und krafterfüllt Gedankenstrahlen        
Aus Seelensonnenmacht             
Den Lebensrätseln lösend spenden,        
Erfüllung manchem Wunsche leihen,       
Dem Hoffnung schon die Schwingen lähmte.   





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2023年10月13日

前田英樹氏著「愛読の方法」



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この書の題名は「愛読の方法」ですが、いかにして、どのやうにして、本を愛読するかについて説いてゐる本ではありません。


「愛読」といふ、人の精神がなさずにはゐられないひとつの鮮やかな振る舞ひがいかなるものであるかといふこと。


そして、その一冊の本を愛読する読者が、時代を超えて連綿とあり続けることによつて、その本は古典となり、また後世の誰かによつて愛読される。


その愛読といふ行為の人から人への継承が、人の世に精神からの一筋の道を通して来たことのいかなるかが、親しく語られるやうに書き記されてゐます。


たとへば、この人生をいかにして生きるかを問ふてやまない、わたしといふ人が、ここにゐます。


そのわたしが本を読む時、おのづから生じるこころからの振る舞ひ、せずにはゐられない振る舞ひ、それが、愛読といふ行為なのです。


そして、そのやうに求めるわたしには、必ず、向かうから、愛読に値する本がやつて来るのです。


著者の前田氏もこの不思議への信頼を基にして、そのやうな不思議を一途に信じて生き抜いた豪傑たちの列伝を描いてをられます。


愛読に愛読を重ねることのみで、水平世界を突き抜けて、宇宙へと通じる垂直の次元へと至つた豪傑たちです。


そして、また、この前田氏のこの本を愛読するわたしは、この本に語られてゐる豪傑たちの精神に触れることで、自分自身の本の読み方の工夫の仕方を自力で見いだす旅へと出るのです。


本を読むとは、精神が精神をみて取ることを促す、ひとつの導きです。


その尊敬する人が書き残してくれた一冊の本を愛読するとは、その著者の精神が、光の波のやうに我がこころに浸透し、貫いて来ることです。


そのありやうを、前田氏が、ことのほか、上手に指して説いてをられます。


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「影響」とは、ちょっと惹かれて、真似してみたりすることではない。

何かとひとつになって、それまでの自分が消えることである。

消えて、言うに言えない一種の振動だけが、新しくなった自分を満たしている、そういう経験をすることだ。


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文字といふ道具がこの世に生まれて以来、人はみづからを精神の牢獄へと追ひやらずにはゐられませんでした。


物質主義に傾く抽象性と、そこから生まれて来る思ひ上がつた不遜さといふ精神の牢獄です。


道具とは、常に、さういふ面があるといふこと、「なんとかと、鋏は、使ひやう」といふことわざ通りです。


文字は、人によつて生きられてゐた活き活きとしたことばの生命感やおのづから生じる身振り、表情を殺しました。そして人は殺したものを記録して貯蔵しました。そして、その貯蔵された文字を重宝がることによつて、だんだんと人は生きる活気を失ひ、衰へ、死の牢獄の中にみづから入り込んで行きます。


すべての道具には、そのやうに、人をより便利で効率的な生き方へと導きつつ、人を不精、無能にし、つひには死へと追ひやる性質があるのですが、しかし、もう一方の性質があります。


それは、道具の使用に深く習熟していくことによつて、世界の内側の奥へ、奥へと通じて行くことができる、といふ芸術的、精神的な面です。


大工さんは、鋸や金槌の使ひ方に習熟して行くことによつて、木材の内側へと深く入り込み、木といふ植物存在と対話するやうな境へと進んでゆく。さうして、木が依然呼吸し続けてゐるやうな家を、社を、彼は建てる。


米づくりに勤しむ農夫は、毎年毎年繰り返される稲の世話を通して、米粒一粒一粒に神が宿られてゐることを直感するまでになりゆく。


そして、文字といふ道具は、情報の取得や伝達といふ機能を超えて、用ゐられることがある。


いい文章といふものは、その連続された文字の記述に潜んでゐる、ことばのいのちの流れ、響きに満ちた調べ、意味、すべてを含む精神の運動・律動の中へ読む人を引き入れ、その動きが奏でてゐるリズムとハーモニーの世へと導く。


文字といふ道具を通して、人はそのやうなことばが奏でる精神の運動に入り込んでゆくことができます。


愛読とは、そのやうなことばの内に秘められた働きとひとつになりゆくことです。


そして、それは、何の予備知識も要らない、この身ひとつで辿る精神の運動です。


人はいかにして生きるかといふ問ひを持つ人にとつて、すべての道具は、己れの道を歩みゆく上でのかけがへのない導きとなりうるのです。


そのやうな道具との深い付き合ひは、時流に流されることのない、絶えざる生きる喜びを人にもたらします。


一冊の愛読書を持つといふことは、たとへばその一冊が古典であるならば、文字を介して昔の人と自分自身とを繋ぐ歴史のまことの継承を意味し、そのことが人をどれほどの充実感で満たすことでせう。


水平世界の中で閉じ込められた現世での息苦しさから自分自身を解き放ちつつ、垂直の精神の柱を打ち樹て、歴史を貫く宇宙のリズムへと連ならうとする行為、それが一冊の本を愛読することなのです。





以前、この本について書いた読書ノート『愛読のよろこび』2020年2月28日





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2023年10月11日

ルネッサンス以降、明治維新以降、わたしたちが物質主義的になつた訳






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2023年10月10日

「え」といふ母音のもつ三つの次第






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2023年10月07日

宇宙が喜んで受け取るものと受け取りを拒否するもの






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こころのこよみ(第27週)



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セザンヌ「庭師 ヴァリエ」



わたしといふものの深みへと進みゆく。
 
御声(みこゑ)の響きに満ちた憧れを呼び起こし、
 
わたしはわたしを見いだす、己れを見てとりつつ、
 
夏の陽から贈られた萌しとして。
 
秋の調べの中で熱く息づく、
 
我がこころの求める力として。
 
 
In meines Wesens Tiefen dringen:
Erregt ein ahnungsvolles Sehnen,      
Daß ich mich selbstbetrachtend finde,     
Als Sommersonnengabe, die als Keim
In Herbstesstimmung wärmend lebt    
Als meiner Seele Kräftetrieb.  
 
 



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2023年10月06日

神話を見いだす



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若き日のミヒャエル・エンデ



暮らしと芸術が、深いところで通い合っていた時代があった。


その通い合いが、暮らしと芸術の互いを生命力で満たしていた時代があった。


連綿と続く、そういう営み、育みがあるということが、文化に型があるということなのではないか。


文化の型が失われ、いや、文化そのものが失われ始めて、どれほどの年月が経ったのか。


わたしは、文化ということばを、物語と言い替えてもいいかもしれないと思っている。


物語が、わたしたちから失われてしまった。物語るとは、ものを語ることであり、ものとは、そもそも、見えないもの、聴こえないもの、さわれないもののことを指す。


物語りとは、人のこころ、夢、内なる秘め事、表沙汰にはならない隠されていたこと、そして通常の感覚を超えた英知を語ることであり、果ては、神のことを語ることを指す。


だから、物語は、そもそも神話だ。神話とは、神自身が語られたことばをそのまま人が語り継ぐことから始まり(古事記)、神に触れ、神に通われるような、驚くべき、畏るべき経験を語ることであった。


文化に型があった時には、物語の共有、神話の共有がなされていた。


わたしたちは、共有する物語を失い、神話を失い、文化の型を失い、文化そのものさえも失ってしまっている。人と人とをむすぶエレメントを失ってしまっている。


だから、いま、人は、自分自身の神話を見出すしかない。芸術を真摯に生きようとする人は、とりわけそうだ。


ひとりひとりが孤独に夢を織り続け、その孤独の中に、自分ひとりだけの神話を見いだし、聴きとること。そして見いだしたもの、聴きとったものを、下手でもなんでもいいので、外に表し続ける。


そのような神話の個人的な表出の仕方が、いったい何にむすびつくのだろう。


自分自身の足元を掘って掘って掘り進むことによって、見たこともない岩盤にたどり着くかもしれない。その岩盤はとても古く、そしてとても新しい。その岩盤が語りだす物語は、新しい共有性を持つ可能性はないだろうか。


芸術を通して、人と語り合う今日この頃。




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2023年10月05日

新しい祭りづくりを目指して



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京都府南丹市園部の山間の小さな村。齋藤 健司さんと豊泉 未来子さんのゐる青い森自然農園。そこで、ほんの少しだけれども、稲刈りのお手伝ひをさせていただく。


古い農家の中で質実な暮らしをされてゐるおふたりのすがたとこころのひろやかなありやうに、連れて行つたふたりの娘も深く深くこころに何かを受け取つてゐるやうで、大阪の家に帰つて来てから、ひたすら青い森自然農園のおふたりのことを喋つてゐる。


おふたりは、本当に、静かである。


こころが、静かである。


おふたりも、きつと、人生の旅をし続けてをられることと思ふのだが、その静かさが、優しさとなつて、客人を包む。


娘たちは、その静かさ、その優しさが、帰ってきた後も、こころにしづしづと流れて続けてゐるのを感じてゐるのかもしれない。


わたし自身も、そこへ足を運ばせてもらふたびに実感することがあつて、それは、彼らおふたりを通して、日本といふ国の生命がいまだ滔々とみづみづしく流れてゐる、その瀬音を聴かせていただいている感覚である。


米づくりといふ営み。


その収穫の時である、秋。


すべて手で稲を刈り、刈り取つた稲をはざに掛けること。


秋ならではのこの営みを日本人は、何百年、何千年、し続けてきたことだらう。


そこには、機械労働では決して得られない、天と人と地とを繋いで流れてゐる神々の生命に触れる感覚があり、この何百年、何千年間の日本の農を生きた方々との繋がりを持てたやうな喜びを感じさせてもらへてゐるのは確かなのだ。


そして、この収穫した米を炊き、餅に搗き、酒に醸し、神に捧げつつ、その新しき収穫を感謝をもつて神と共にいただく。それが、我が国古来の祭り。そのように神々と語り合ひ、飲み合ひ、祝ひ合ふ、新嘗祭(にひなめのまつり)が、我が国では毎年、旧暦の十一月の末に行はれてゐたし、新暦になつてしまつてゐるがいまも行はれてゐる。その祭りといふ行ひそのものが、そもそも、神々と通じ合ふ、たいせつな営みであつた。


そのやうに、神々の生命に触れることで、人は、甦る。


疲れてゐる人、病んでゐる人も、いのちの甦り、こころの甦りをいただく。


無意識に毎年繰り返される経済の営みとしての農といふあり方を突き抜けて、天と人と地を繋ぐものとしての米づくりといふ意識を積極的に持ち、その勝ち取られた意識から新しく祭りを創つてゆくことが、育ちゆく子どもや若者、そしてすべての大人たちにとつて、どれほど必要なことだらう。


何はともあれ、わたくしごころを排して、いつも、わたしたちを迎へて下さる、おふたりから、そんな祭りの新しい創造へ向かつての基本的な人としてのあり方を学ばせてもらつてゐる。


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2023年10月02日

日本古来の教育とシュタイナー






ルードルフ・シュタイナーによつて、中部ヨーロッパで100年前に生まれた精神科学アントロポゾフィー。

その学問を、日本人が、日本語で、どう捉へ、どう深め、どう甦らせてゆくか。

もつと精確に言ふならば、日本人が自分自身を、どう捉へ、どう深め、どう甦らせてゆくか。

そのことを問ひ続けてゐます。

そもそも、日本古来の人を育てる術、それは常に、単なる「術」でも「方法」でもなく、「道」でありました。

その「道」を、西洋からの輸入物としての学問を通して意味づけすること、説明することには、何の意味もないと、わたしは考へます。

それは、明治の開国以来、文明開化の名のもとになされてきた「文化植民地化」をさらに蔓延らせるだけだと感じてゐます。

しかし、わたしには、日本人自身が忘れ果ててしまつてゐるみづからの懐深くに眠つてゐる日本古来の精神の生命を呼び起こすために、アントロポゾフィーといふドイツ発の精神科学との出会ひが必要だつたのです。

この出会ひを機縁として、わたしは、自分自身が立たせてもらつてゐるこの大地を、先人の方々からの学恩をありがたくもいただきながら、深く掘つてゆかうと思ひました。

この滅びゆかうとしている日本といふ「くに」が、もしこれから甦つてゆくことができるとしたら、己れの出自をしかと確かめ、己れのありやうをしかと認め、その上で、己れの強みをしかと念ひ起こし、希望と理想をたぎらせ、ことばを交はし合ひ、仕事を創つてゆくために己れを磨き続ける、ひとりひとりの意識の目覚めとこころの精進が要る。

わたしは、さう、確信してゐるのです。



観て下されば、幸ひです。

これからも、アントロポゾフィーに学びつつ、発信を続けて参りますので、どうぞよろしくお願ひいたします。

アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪耕志


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言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーの精神科学・アントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想ひ起こさせようとしたのです。

わたくし諏訪耕志は、1993年から、アントロポゾーフ・言語造形家である鈴木一博氏に師事し、2003年より「ことばの家」として、大阪の住吉にて、言語造形、ならびに、アントロポゾフィーを学ぶ場を設けてゐます。



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2023年10月01日

幼な子の欲することば 〜グリム童話「へんな旅芸人」〜



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昨日は、グリム童話の8番「へんな旅芸人」を語りました。


主人公は、旅芸人です。森の中で音楽を奏でます。バイオリンでです。


すると、バイオリンの音色に誘はれて、次々と動物たちが現れます。


しかし、その旅芸人(音楽を生きる人)が、音楽を奏でることで、なんと、森の中の動物たちを次々とやりこめ(統御し)、旅を続けます。


最後に、旅芸人は、森の中で、「人(狩人)」に出会ひます。旅芸人は、動物ではなく、「人」の前で音楽を奏でることができることをことのほか喜び、狩人もその音色に惚れ惚れとします。


そこへ、やりこめられた動物たちが、旅芸人を追ひかけ、つひには襲い掛かつて来ます。


しかし、「人(狩人)」は斧(つるぎ、でもいいでせう)を振り上げ、けものたちを退散させ、旅芸人を守ります。


さうして、旅芸人は、音楽の旅を続けて行くのです。


音楽とは、何でせう。


音楽は、人を精神と繋ぎ、神々しいものと出会はせることができます。


かつ、まことの音楽は、人の内なる動物性を駆り立てるものではなく、統御するものであります。


このお話は、昔より、そんな精神から語られてきました。


そして、語り手によつて、ことばのひとつひとつが、動きとかたちをもつて、語られます。


それは、ことばそのものが、動きの精神を孕み、かたちの精神を秘めてゐるからです。


語り手は、その動きとかたちを顕はにするべく、声にするのです。


語り手の(〈わたし〉による)目覚めて統御された意識。
(アストラルのからだによる)鮮やかな身振りと表情。
(エーテルのからだによる)呼吸の長短。
(フィジカルなからだによる)表現のまるごと、表現のすみずみに動きがあること。


さうして、ことばの精神と物語の精神は、実際に子どもの前で語る数多くの回数の中で実感されてきます。


むかしむかしのおほむかし、そもそも、ことばは、人の意欲への呼びかけでした。


現代のやうに、抽象的な思考をみすぼらしく表現するものではありませんでした。


人は、ことばを聴くたびに、からだがうづうづしたのです。


さらに、それに応ずる動きをしてしまふことが身についてゐたのです。


ことばは、発声器官だけでなく、人の運動器官まるごとのなかに息づいてゐました。


いま、人は、このことを忘れてしまつてゐます。


しかし、幼な子たちは、まだ、このむかしのことばの性質のなんたるかを知つてゐて、それを欲してゐます。


「はじめにことばありき」といふ時の「ことば」のなんたるかを知つてゐます。


「ことば」とは、世を創り、動かし、人を創り、動かすものでした。


そして、いまも、その「ことば」の働きの精神は、少なくとも幼な子には失はれてをりません。


幼な子たちは、お話を聴きながら、ことばとともに走りたがつてゐます。空を飛びたがつてゐます。海に、川に潜りたがつてゐます。


幼な子たちが欲してゐる、そんなことばを与へて行くこと。


それが、幼児教育のひとつの指針です。


そんなことばで育つことができたなら、その子は、後年、大人になつてから、生き生きとしたいのち溢れることばをものにする人生を歩いて行くことができるのです。


そして、ひとりひとりの人のことばが、世を創り、世を切り開き、世に仕合はせをもたらしてゆくのです。





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2023年09月30日

こころのこよみ(第26週) ミカエルの祭りの調べ



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ラファエロ「大天使ミカエルと竜」



自然、その母なるありやう、
 
わたしはそれを意欲において担ふ。
 
そしてわたしの意欲の火の力、
 
それがわたしの精神の萌しのかずかずを鍛へる。
 
その萌しのかずかずが己れの情を生む、
 
わたしをわたしにおいて担ふべく。   
 
  
 
Natur, dein mütterliches Sein,
Ich trage es in meinem Willenswesen;      
Und meines Willens Feuermacht,         
Sie stählet meines Geistes Triebe,         
Daß sie gebären Selbstgefühl           
Zu tragen mich in mir.             
 
 

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2023年09月29日

令和五年(2023年)九月二十九日 中秋の名月



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夕暮れて 望月清き 秋の空 高きにのぼれ ひとりし立ちぬ


涼しくも 秋の夜空を 渡るかな こころ澄みゆく 今宵十五夜 


なかぞらに 照り渡りたる 月読の みことのまにまに 道ゆく我かも








#和歌

posted by koji at 20:34 | 大阪 ☀ | Comment(0) | うたの學び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

八雲立つ出雲 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)の御歌






『古事記(ふることぶみ)』に記されてゐる我が国の神話からの御歌です。

高天原から追放された建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)。

その神が、出雲の国に降りて来られ、そこにて、八岐大蛇(やまたのをろち)といふ大蛇を成敗した後、救ひだした櫛名田比賣(くしなだひめ)を妻とし、晴れて、出雲の国の須賀といふところにお宮を造られました。

そのとき、そこより、雲たちのぼり、すがすがしい念ひをもつて、建速須佐之男命は御歌をお歌ひになりました。


八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を


この「八雲」とは、喜びと誇りを胸に抱くとき、誰のこころにも白く輝きながら湧き上がつて来る情のフォルムであり、「八重垣」とは、己れの内外にしつかりとけじめをつけるべく、こころに築かれた幾重もの垣のごとき意志のフォルムを言ひ表してゐます。

古の世、神の代では、外なる情景と内なるこころのありやうとが、重なり合つてゐました。



「スサノヲノミコトのヤマタノヲロチ退治」(現代語訳) https://youtu.be/sEGjvXtzxBo からのダイジェスト版です。




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言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーの精神科学・アントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想ひ起こさせようとしたのです。

わたくし諏訪耕志は、1993年から、アントロポゾーフ・言語造形家である鈴木一博氏に師事し、2003年より「ことばの家」として、大阪の住吉にて、言語造形、ならびに、アントロポゾフィーを学ぶ場を設けてゐます。

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2023年09月28日

草薙劍(くさなぎのつるぎ)


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安田靫彦「草薙剣」



秋、それは意識の目覺めが訪れていいときです。


夏の暑さ、光、色彩の輝き、さういつたものが鎭まつてゆき、風の音に、蟲の音に、靜かさに、耳を澄ますことのできる季節の到來です。


その靜かさこそが、内なる〈わたし〉の目覺めへと導いてくれます。


秋、それは宇宙から鉄が地球へと、人のからだの内へと、降り注ぐ季節であることを、シュタイナーは語つてゐます。


からだの内を流れる血に鉄が注ぎ込まれる季節、秋。


その鉄は、わたしたちに、みづからに目覺める力、こころを決める力、意志の強さを與へようとしてゐます。


我が國の神話では、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)が八岐大蛇(やまたのをろち)といふ大蛇を成敗した後、その大蛇の尾から取り出したのが、草薙劍(くさなぎのつるぎ)だと語られてゐます。


その劍は、人をあやめるためのものではなく、草を薙ぐためのもの。


こころに生ひ茂る、弱氣、怠惰、虚僞、執念、情欲など、樣々な邪念や惡しき想念、不健康な情を一刀のもとに斷ち切つて、こころの草原を見晴らしの良いものにし、一筋の歩みゆく道を見いださせてくれるもの、それが、すべての人のこころに鎭まつてゐる「草薙劍」です。


それは、ひとりひとりの人が、みづから手に握ろうとすればこそ、その働きをなす、精神からの鉄の劍です。


自分自身のこころに精神の鉄の劍、草薙劍をもち、自分自身が歩いて行く道を見いだし、そして、一歩一歩、自分の歩幅で歩き始める、そんな秋(とき)が訪れてゐます。


わたしたちすべての人に、その劍は與へられてあります。





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2023年09月26日

水平ではなく垂直を生きる






「知る」といふことに、三つの次第がある。

それは、まづは、「敬ふ」ことから始めること。

次に、「世とのハーモニーをもつて」考へること。

最後に、みづからのこころを空っぽにすることで、「世へと捧げる」といふ次第へと我がこころを仕立てること。

この三つ目の次第のことを、この動画では語つてゐます。





観て下さつて、どうもありがたうございます。

これからも、アントロポゾフィーに学びつつ、発信を続けて参りますので、どうぞよろしくお願ひいたします。

アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪耕志






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2023年09月25日

こころのこよみ(第25週)



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ルオー「《受難》1」



畏(かしこ)くもわたしはいまわたしを取り戻し、
 
そして輝きつつ内なる光を拡げゆく、
 
場と時の闇の中へと。
 
眠りへと自然がせきたてられるとき、
 
こころの深みよ、目覚めよ、
 
そして目覚めつつ、陽のたぎりを担ひゆけ、
 
寒い冬のさなかへと。
   
 
Ich darf nun mir gehören        
Und leuchtend breiten Innenlicht     
In Raumes- und in Zeitenfinsternis.   
Zum Schlafe drangt naturlich Wesen,   
Der Seele Tiefen sollen wachen      
Und wachend tragen Sonnengluten     
In kalte Winterfluten.   
 
   

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2023年09月24日

電撃的な一撃 〜言語造形「蛇の輪」〜






生きてゐると、本當に色々なことがありますね。


思ひ通りに行かないこと、欝屈をためてしまふこと、こころが引き裂かれるやうなこと、そして、くたびれ切つてしまふこと・・・。


だけれども、人は、必ず、立ち直るのです。


その力はどこからやつて來るのでせう。


我が國の神話には、タケハヤスサノヲノミコトが蛇の尾から見いだした劍(つるぎ)が描かれてあり、その劍は後に日本武尊に授けられます。


その劍は、草薙劍(くさなぎのつるぎ)といふ神の劍で、そのまことの意味は、人のこころに茂り、蔓延るよこしまな思ひや情や怠惰や弱氣や卑怯を祓ひ除ける意志の劍です。


その劍は、すべての人のこころに鎭まつてゐます。


そして、その劍がしつかりと手に握られ、用ゐられることによつて、人は、何度でも、立ち上がり、己れに立ち返ることができるのです。


秋といふ季節は、こころの内に、その劍が育つて來るときです。


西洋の國々では、ミカエルといふ大天使のお話でも、語られてゐます。


この「蛇の輪」といふお話。


皆さんは、どう、お聽きになるでせうか。


必要ならば、それは、人生そのものに電撃的な一撃を加へる劍ともなります。


それは、生きてゐること、生かされてゐることの、本當の目覺めへと導く一撃でもあります。


コロナウイルス禍が始まつた2020年の春に語つたときの動畫です。よろしければ、どうぞお聽きください。


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ミンヌ『聖遺物箱を擔ぐ少年』






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2023年09月23日

われらが萬葉集 その五 柿本人麿 萬葉集29〜31






近江の荒れたる都を過ゆく時、柿本朝臣人麿がよめる歌

0029 玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひしりの御代よ

   生れましし 神のことごと 樛の木の いや継ぎ嗣ぎに

   天の下 知ろしめししを そらみつ 大和を置きて

   青丹よし 奈良山越えて いかさまに 思ほしけめか

   天離る 夷にはあらねど 石走る 淡海の国の

   楽浪の 大津の宮に 天の下 知ろしめしけむ

   天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども

   大殿は ここと言へども 霞立つ 春日か霧れる

   夏草か 繁くなりぬる ももしきの 大宮処 見れば悲しも

反し歌

0030 楽浪の志賀の辛崎幸くあれど大宮人ひとの船待ちかねつ

0031 楽浪の志賀の大曲淀むとも昔の人にまたも逢はめやも







我が国最古の和歌集『萬葉集』。

言語造形による朗唱でお聴きいただきます。
  
ことばのひとつひとつの意味よりも、響きのリズムと母音の広がり、子音のかたどり、それらの音楽的要素・彫塑的要素を感じてみませう。
  
共に味はつていただくことができればなによりです。


 
なぜ、『萬葉集』といふものが、この世に生まれたのか。
  
それは、当時の日本が危機に直面してゐたからです。
  
我が国の先祖伝来の精神文化が、隣の大国・唐からの最新の文化・文明に、駆逐されさうになつてゐたからです。
  
ご先祖様から受け継いできたものの考へ方、暮らしの立て方、人生の送り方、そして、何よりも、古くからのことば遣ひ、それらが失はれさうになつてゐたからです。
  
明治の文明開化の約一千年前にも、同じやうな深刻な矛盾を、我が国は抱えざるをえなかつたのです。
  
『萬葉集』は、古くからのことばに対する信仰、ことばに対するたいせつな感覚を保持し、未来永劫の日本民族に、そのことばの美、言霊の力、言語芸術を、なんとか残さうとして、大伴家持によつて編まれたものです。ことばの伝統は精神の伝統であり、それを守り、育むことで、民族はその精神文化を保持することができるのです。
  
この『萬葉集』が編まれたことによつて、その後も辛くも、日本は日本であり続けることができたのだ、さうわたしは確信してゐます。


You Tube ライブラリー「われらが萬葉集」



言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想ひ起こさせようとしたのです。

わたしたち「ことばの家 諏訪」は、大阪の住吉にて、その言語造形を学ぶ場を設けてゐます。

「ことばの家 諏訪  言語造形のためのアトリエ」


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われらが萬葉集 その四 持統天皇御製歌 萬葉集28






藤原の宮に天の下しろしめしし天皇とは、第41代持統天皇です。

天の香具山は、夫君であられた先の第40代天皇、天武天皇が、信仰と愛しみを捧げた聖地でありました。

夫君がお亡くなりになり、その大君の喪が明け、臣たちはじめ臣下の者たちがこの国の精神の拠り所である祭祀を行ふべく、衣を白く洗ひ、浄めて、新しい御代のはじまりを迎えようとしている様が持統天皇の眼前、遥か向かうに見えます。

たなびく白。

そして、その清き輝きを見守るかの如く、天の香具山が後ろにしづかに佇んでゐます。

新しきすめらみこと、持統天皇のまごころが、この御製歌に見事に奏でられてゐます。



藤原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
天皇のみよみませる御製歌

春過ぎて夏来るらし白布の衣乾したり天の香具山
(萬葉集28)





我が国最古の和歌集『萬葉集』。

言語造形による朗唱でお聴きいただきます。
  
ことばのひとつひとつの意味よりも、響きのリズムと母音の広がり、子音のかたどり、それらの音楽的要素・彫塑的要素を感じてみませう。
  
共に味はつていただくことができればなによりです。


 
なぜ、『萬葉集』といふものが、この世に生まれたのか。
  
それは、当時の日本が危機に直面してゐたからです。
  
我が国の先祖伝来の精神文化が、隣の大国・唐からの最新の文化・文明に、駆逐されさうになつてゐたからです。
  
ご先祖様から受け継いできたものの考へ方、暮らしの立て方、人生の送り方、そして、何よりも、古くからのことば遣ひ、それらが失はれさうになつてゐたからです。
  
明治の文明開化の約一千年前にも、同じやうな深刻な矛盾を、我が国は抱えざるをえなかつたのです。
  
『萬葉集』は、古くからのことばに対する信仰、ことばに対するたいせつな感覚を保持し、未来永劫の日本民族に、そのことばの美、言霊の力、言語芸術を、なんとか残さうとして、大伴家持によつて編まれたものです。ことばの伝統は精神の伝統であり、それを守り、育むことで、民族はその精神文化を保持することができるのです。
  
この『萬葉集』が編まれたことによつて、その後も辛くも、日本は日本であり続けることができたのだ、さうわたしは確信してゐます。


You Tube ライブラリー「われらが萬葉集」



言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想ひ起こさせようとしたのです。

わたしたち「ことばの家 諏訪」は、大阪の住吉にて、その言語造形を学ぶ場を設けてゐます。

「ことばの家 諏訪  言語造形のためのアトリエ」


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2023年09月21日

10/22 11/4 12/10 京都宇治 言語造形&ベンガラ型染めワークショップ


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京都の宇治。


そこは、日本という「くに」における歴史的・文学的なトポス(重層的な記憶が埋め込まれている場)です。


その宇治にて、一千年以上前に詠われた和歌を声に出してみる。宇治川や朝日山にこだまするように、和歌を声に出してみましょう。


そのとき、わたしたちは、この「くに」において大切にされて来た何かを感じることでしょう。


日本の古くからの国語芸術としての和歌や俳句、または詩を声に出して朗唱し、その響きに耳を澄まし、こころを寄せ合う、そんな芸術を言語造形といいます。


工房utataの齊藤弥生さんによる、古来からの染色法ベンガラによる型染を、着物の小紋柄の伊勢型紙を使って体験していただくワークショップと共に、秋の宇治でのひとときをどうぞお楽しみください。


言語造形講師 諏訪耕志



●日時:
10/22(日)11/4(土)12/10(日) 10時より


●スケジュール:
10時〜12時 言語造形ワークショップ
12時〜13時半 休憩後ベンガラ型染体験
13時半〜15時 希望者のみ ランチ座談会


●場所:
興聖寺・衆寮 
https://www.uji-koushouji.jp/


●参加費:
言語造形+ベンガラ型染  
単発3500円 三回連続10000円

言語造形のみ  
単発2500円 三回連続7000円

なお、回ごとに興聖寺入山料500円かかります。
ランチは別途1500円でご用意できます。


●お申し込み:
次のサイトからウェブチケットをご購入いただきます
https://ticket.tsuku2.jp/events-store/0000213092


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2023年09月17日

こころのこよみ(第24週)



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みづから絶えず創り上げつつ、
 
こころは己れのありやうに気づく。
 
世の精神、それは勤しみ続ける。
 
己れを知ることにおいて、新しく甦り、
 
そして、こころの闇から汲み上げる、
 
己れであることの意欲の稔りを。
 
 
 
Sich selbst erschaffend stets,         
Wird Seelensein sich selbst gewahr;      
Der Weltengeist, er strebet fort        
In Selbsterkenntnis neu belebt        
Und schafft aus Seelenfinsternis       
Des Selbstsinns Willensfrucht.     
 
 

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人よ 気高くあれ






もつと歯応へのあるものを人に与へよ。若者に与へよ。

若き人に、「難しい、難しい」と泣き言を言ふやうな人になつてほしくないと念ふ。


♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾


観て下さつて、どうもありがたうございます。

これからも、アントロポゾフィーに学びつつ、発信を続けて参りますので、どうぞよろしくお願ひいたします。

アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪耕志


♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾


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2023年09月15日

ありがたうといふ水が流れてゐる川






観て下さつて、どうもありがたうございます。

これからも、アントロポゾフィーに学びつつ、発信を続けて参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪耕志



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2023年09月13日

わたしを空しくする






垂直を生きる。

その生き方を学ぶ。

シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』は、その学びへのいざなひです。



観て下さつて、どうもありがたうございます。

これからも、アントロポゾフィーに学びつつ、発信を続けて参りますので、どうぞよろしくお願ひいたします。

アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪耕志



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2023年09月11日

日本古典文学を奏でる人


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詩心とは何だらう。


それは、目には見えず、耳には聞こえないものを、ことばにしようとこころざし、切望するこころだ。


だから、詩心は、この世の物質的なくびきからこころとことばを解き放ち、ことばの響きが産み出す間(ま)と余韻に、ものを言はせようとする。


そこには、言霊といはれてゐる精神の働きが湛えられ、それに耳を澄ませる者をこの地にゐながら天上へと運ぶ。


そこには、ことばの音韻が描く精神のフォルムと動きがあり、そのフォルムと動きに沿はうとするわたしたちを精神の自由へといざなふ。


アントロポゾフィーは、古代人がおのづから持つてゐた、そのやうなフォルムと動きに沿ふ力を失つてしまつた現代人が、意識的に、改めて、その力を取り戻し、そこに遊び、さうして自由を勝ち取るための道を示してくれてゐる。


その道が、言語造形といふ芸術実践だ。


言語造形を通して、詩心を豊かに育み始めることができる。


目に見えず、耳には聞こえない精神のかたちと動きと響きを感覚し、表現していく道を歩むのだ。


世の詩人たちが聴き取つてゐる調べを、言語造形をする者が身をもつて奏でることで、詩人の求めた精神をより大きくより深く響かせる可能性を啓く。


そして、我が国は、言霊の幸ふ国であつた。


日本の古典文学は、本当に豊富に、また無限に深く、その道を拓いてくれてゐる。


とりわけ、天地(あめつち)の初発(はじめ)から語り始め、この国のとこしへに榮へ続ける原理を語る、古事記(ふることぶみ)。


そこで語られることば遣ひは、神々の手ぶりを顕はすものであり、それがそのまま、いにしへの人々の手ぶり、ことば遣ひとして記録されてゐる。


その神々の手ぶり、いにしへの人々のことば遣ひから聴き取られる、このくにの悲願。


その悲願を全身全霊で受け取つた人々によつて詠はれた抒情詩、ことばの芸術が、萬葉集(よろづのよのふみ)である。


その調べを奏でることができるのは、言語造形しかない。


わたしは、しかと、そのことを思ひ定めてゐる。


だから、言語造形をもつて、ともに、古事記と萬葉集をはじめとする日本古典文学を奏でる人を求めてゐる。


それは、この国とわたしたちひとりひとりを精神において甦らせ始めるための、根底の礎を築きゆく仕事である。


地味ではあるが、大いなる仕事である。



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2023年09月10日

こころのこよみ(第23週)



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秋めいて和らぐ、

感官へのそそり。

光の顕れに混じる、

ぼんやりとした霧のとばり。

わたしは観る、場の拡がりに、

秋、そして冬の眠り。

夏はわたしに、

みづからを捧げてくれた。



Es dämpfet herbstlich sich            
Der Sinne Reizesstreben;            
In Lichtesoffenbarung mischen          
Der Nebel dumpfe Schleier sich.         
Ich selber schau in Raumesweiten         
Des Herbstes Winterschlaf.           
Der Sommer hat an mich            
Sich selber hingegeben.       



窓近き いささむら竹 風吹かば 
秋とおどろく 夏の夜の夢
   春宮大夫公継(新古今和歌集 巻第三 夏歌より)





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2023年09月09日

三回連続 京都宇治 言語造形 & ベンガラ型染めワークショップのお知らせ



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言語造形による朗唱を通して、和歌・俳句に潜む日本の美の伝統を味わうひととき。

そして、土から採れてまた土へ還る天然の染料ベンガラによる型染めを、齊藤弥生さんの導きで体験する時間。

美しい秋の宇治で、お会いしませんか。

お待ちしております。


♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾


日時:
10月8日(日)、11月4日(土)、12月10日(日) 10時〜15時


場所:
佛徳山 興聖寺 逝水閣  京都府宇治市宇治山田27
京阪電鉄宇治線「宇治」駅から直進徒歩10分
JR「宇治」駅から東へ、宇治橋渡り東詰を右折、川沿いを徒歩10分


参加費:
言語造形+ベンガラ型染め 税込 3500円  三回連続 10000円
言語造形のみ       税込 2500円  三回連続  7000円


興聖寺入山献香料500円が別途かかります。
ワークショップ後、座談会にご参加の方はランチをご用意いたします(別途1500円)。


当日スケジュール:
10時〜12時  言語造形による和歌・俳句の朗唱ワークショップ
12時〜13時半 ベンガラ型染め体験
13時半〜15時 ランチ座談会


お問い合わせ・お申し込み:
工房うたた 齊藤弥生 
tel 070-2300-0841
e-mail saisai841@aol.com




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2023年09月08日

国を守る根底の仕事



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鎌倉の妙本寺境内にある「萬葉集研究遺跡」の石碑



鎌倉時代、隣国の元からの軍事的襲来の間際、鎌倉の地において、仙覚(せんがく)といふ僧侶は、萬葉集の注釈を施してゐた。


そして、同じころ、日蓮は、法華改宗を宣伝し、来たる国難を叫んでゐた。


このふたりは、ともに、この国を根底から守らうとした人である。


前者の仙覚は、漢字ばかりの萬葉仮名で書かれてゐる萬葉集の和歌を後代の日本人に親しく傳へてゆくために、古い日本語の調べ(訓み方)をなんとか汲み上げる仕事をなしとげた人。


国語を守つた人である。


国のことばを守るといふことがどれほど大切なことか、たいていの人は気づいてゐない。


元といふ大国が日本に侵略して来ようとしてゐる、そのとき、防人たちが日本中から九州北部に集結し、実際に闘い抜いてくれた。


しかし、国語や日本人のこころを守るといふ精神の仕事を仙覚や日蓮は担ったのだ。


この、国を支える根底の仕事である、こころとことばを守り、育てゆくこと。


これこそが、教育の一番の基である。


そして、国防の最も基となるものである。


一国一国が自主独立できてゐるとき、そこに住む人たち、ひとりひとりは、自由を、自主独立を生きることができる。


国難に先駆けて、平時の時から、このことを意識して教育を作り上げてゐることが、わたしには大切なことのやうに思へてならない。


先代の方々の仕事の内、かういつた精神の仕事は、見逃されやすいことではないだらうか。





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2023年09月07日

肌に触れる服の質を大事にして!






観て下さつて、どうもありがたうございます。

これからも、アントロポゾフィーに学びつつ、発信を続けて参りますので、どうぞよろしくお願ひいたします。

アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪耕志


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2023年09月05日

カントとゲーテ






この動画における用語を説明します。

「感官」といふことばは、シュタイナーが用いてゐる原語のドイツ語では「Sinn」で、世から人に向かつてやつて来るものを受け取る器官のことを言ひます。

そして「感覚」といふことばは、「Empfindung」で、その感官に受け取られるもののことを言ひます。「感覚されるもの」であり、「覚え(Wahrnehmung)」とも通じます。

シュタイナー自身、この「Sinn」と「Empfindung」を使ひ分けてゐますので、日本語においても、使ひ分けてゐます。



posted by koji at 21:52 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月03日

こころのこよみ(第22週)



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世の拡がりから光が、
 
内において力強く生き続ける。
 
それはこころの光となり、
 
そして精神の深みに輝く。
 
稔りをもたらすべく、
 
人の己れを世の己れから
 
時の流れに沿つて熟させてゆく。
 
       
 

Das Licht aus Weltenweiten,
Im Innern lebt es kräftig fort:          
Es wird zum Seelenlichte            
Und leuchtet in die Geistestiefen,        
Um Früchte zu entbinden,            
Die Menschenselbst aus Weltenselbst       
Im Zeitenlaufe reifen lassen.    
 
 


憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥 芭蕉





 

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2023年08月29日

言語造形といふ大なる願ひ



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もうすぐ8月も終はるが、この一か月、大阪から、京都、和歌山、新横浜、東京、仙台、そして青森の弘前へと渡りゆき、さらにはオンラインでの機会も併せて、言語造形を重ねて来た。


わたしには、大なる願ひがある。


それは、神ながらに脈々といまだに脈打ち続けてゐる言霊(ことだま)の風雅(みやび)を、言語造形によつて、多くも多くの人々のこころに甦らせること。


そして、その風雅(みやび)が我が国の精神そのものである皇神(すめがみ)の道義(みち)であり続けて来たことを体感すること。


皇神(すめがみ)の道義(みち)は、言霊(ことだま)の風雅(みやび)に顕れる。


さう喝破したのは、『萬葉集古義』を著した江戸時代末期の土佐の国学者、鹿持雅澄(かもちまさずみ)である。


この一か月の間でも、言語造形を通して、萬葉集、古今和歌集、新古今和歌集、百人一首、芭蕉、草野心平と、詩の歴史を下り降りて来た。


抒情詩によつて盛んに情がみなぎり、我々はまごころといふもののまことの響きと調べに、耳を澄まし、身を預ける。


そのまごころは、日本人が古来、大切に守らうとして来た、人としての理想、悲願、永遠である。


まごころを響かせる詩、和歌、俳諧は、その響きに耳を澄ます人に、己が身を超える神なるものへの信頼を育むひとつの機縁となり、唯物主義が極まつてゐるこの現世の桎梏から自由になりうるといふ希みを與へるものなのだ。


代々の志ある詩人は、皆、その願ひを抱いて死んで行つた。


ことばの感官を研ぎ澄まし、その感官に語りかけて来る神なるものとしての音韻の導きに沿ふ人、それが詩人であつた。


言語造形は、その詩人の行為を引き続き、なしゆく営みであり、それは、ある意味、詩を演奏することであり、ことばの甦りをもたらす一(いつ)なる芸術である。


日本の伝統の精神文化の土壌に、言語造形といふ芸術が根づき、打ち樹てられること。


それは、間違ひなく、この国を精神的に甦らせ、人々を弥栄に栄へゆかせる、原動力のひとつとなる。


なぜなら、言語造形が甦らせるのは、この国のいのち、ことばの精神、言霊だからである。


それこそが、我が非才を顧みず願ふ、大なるものである。





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2023年08月28日

こころのこよみ(第21週)



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わたしは感じる、稔りゆくこれまでにない力を。
 
それはしつかりと与へてくれる、わたしにわたしみづからを。
 
わたしは感覚する、萌しが熟し、
 
そして御声(みこゑ)が光に満ちて織りなす、
 
内において、己れであることの力に。
 
          
 
Ich fuhle fruchtend fremde Macht      
Sich starkend mir mich selbst verleihn,    
Den Keim empfind ich reifend        
Und Ahnung lichtvoll weben         
Im Innern an der Selbstheit Macht.     
 
 
 

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2023年08月23日

こころのこよみ(第20週)



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松本 竣介《男の横顔》



わたしはいま、わたしのありやうをかう感じる、
 
世にあるものから遠ざかれば、
 
みづからにおいてみづからが消え失せ、
 
そして己れの基の上にのみ立つならば、
 
みづからにおいてみづからをきつと殺してしまふ。
 
          
 

So fühl ich erst mein Sein,
Das fern vom Welten-Dasein
In sich sich selbst erlöschen
Und bauend nur auf eignem GrundeIn
sich sich selbst ertöten müßte.
 
 
 

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2023年08月17日

アントロポゾフィーからの気質論













気質とは、ひとりひとりの人に埋められてゐる、母なる地球の分け御霊(みたま)である。

みづからに授かつてゐるその気質を、人は磨いて行くことにより、母なる地球とますます繫がり、己れのこの地での生き方、あり方をますます確かなるものとしていくことができるのだ。

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2023年08月13日

こころのこよみ(第19週)



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小磯良平「斉唱」



密(ひめ)やかさに満ちて新しく受けとめたものを
 
想ひ起こしつつ包み込む。
 
それがわたしの勤しみのさらなる意味となれ。
 
それは強められた己れの力を
 
わたしの内において目覚めさせ、
 
そしてだんだんとわたしを、わたしみづからに与へていくだらう。
 

 
Geheimnisvoll das Neu-Empfang'ne
Mit der Erinn'rung zu umschliesen,
Sei meines Strebens weitrer Sinn: 
Er soll erstarkend Eigenkrafte
In meinem Innern wecken 
Und werdend mich mir selber geben.  
 

 

posted by koji at 21:41 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

むすんでひらいて



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するか、しないか。かうするか、ああするか。


人には、みづからのこころを決める力があります。


その、こころをみづから決める力は、しかし、育まなければ、いくつになつても得られません。


これは、若いころからの練習に懸かつてゐるやうに思ひます。さらには、幼いころからの親や教師からの働きかけも大いに深く関はつてゐるやうです。


アントロポゾフィーからの子どもへの教育においては、次のやうに、はからひます。


なんでもかんでも親や教師が外から「ああしろ、かうしろ」と指図するのではなく、その、こころを決める力がひとりひとりの子の内側から、だんだんとゆつくり生まれて来るやうに。


さう、だんだんとゆつくり、ですので、小学生時代から子どもに大切なことについての判断をさせたり、こころを決めさせたりはしません。ゆっくりと、ゆっくりと、やがて思春期を経て二十歳前後にその判断する力、みずからこころを決める力が熟して行くことを促して行きます。


早産させず、かけるべき時間をかけて、待てばこそ、生まれて来るものは、健やかで力強いのです。


そして、人は、二十歳ぐらいから、みづからのこころをみづからで決め始め、おずおずとながら、世へと踏み出して行くのです。


幼い頃から、小学生の頃あたりまで、何でも「自分で考へなさい」とか「自分のことでしよ、自分で決めなさい」と親や教師から言はれて来た子どもは、大人になつてから、逆に、自分自身では何も決めることができない大人になつてしまひます。


何らかの権威の後ろ盾がなければ、ものごとを判断することのできない、判断力の弱い人にならざるをえないのです。


判断力の早産の結果なのです。


ちなみに、ドイツ語では、「こころを決める、みづからを決める」といふことばは、「sich(みずからを) erschließen(まさに結ぶ)」となります。


そして、「開けてくる」といふことばは、「sich(みずからを) entschließen(結びからほどく)」となります。


「こころを決める、こころをむすぶ」と「こころがひらける、ものごとがひらける」とは、対になつてゐるやうです。


対になつてゐるふたつのことばは、精神のいのちの流れにおいて深いところで繋がつてゐます。


人は、みづからこころを決めればこそ、初めて、自分自身も啓けて来、また世界も開けてくるのですね。


こころを決める時、ものごとがひらかれ、自分自身のこころがひらかれるからこそ、腹も座るのでせう。


いま、そして、これから、ますます、大人であるわたしたちこそが、右往左往することから抜け出し、みづからで、みづからの、こころを決める力を培はなければならないと思はれてならないのです。


その力は、暮らしの中で、ひと場面ひと場面ごとに、自分はどう考へるか、どう感じてゐるか、どうしたいかを、意識することによつて、まづは育つてゆくものであり、それは、まぎれもない〈わたし〉の力です。


その〈わたし〉の力が、世を啓きます。





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2023年08月08日

笑顔と感謝と勇気 夏の教員養成 終はりました



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一年前の夏に始まつたおひさまの丘 宮城シュタイナー学園でのシュタイナー教員養成講座。二年目に入り、昨日、三日間を終へました。


まる一年間、年に四回のオンサイトの機会に加へて、毎週一回のオンラインでの学びを、引き続き、引き続き、重ね合はせて来たわたしたちです。


かうして、人と人とが集ふことのできる場と時を持つことができることの奇跡的なありがたさを心底思ひます。


山田泉先生の導きのもと、光と闇の交錯から生まれる色をもつて生命を生きる体験。何気ない先生のひとことひとことが、とても滋味深い余韻をわたしたちに響かせてくれ、目の前の色と響き合ふのでした。


からだまるごとを使つて、フォルムを生きることから始まる、福島玲子先生のフォルメン線描。それは、線といふ理知的、機械的、抽象的なものが、命と情を湛え始めるという喜びに満ち溢れて行く時間なのでした。


わたくし諏訪と共に、昨年から取り組み続けてゐる「古事記(ふることぶみ)の傳へ」。それは、古事記の原文を言語造形を通しておのおの表現していきながら、それをお芝居に仕立てていくのです。


神々の名を唱へるということはその神々に触れられるといふこと。


神々の物語を謡ひ、語り、演じるとは、いまも、天地(あめつち)の初発(はじめ)をわたしたち自身が生きてゐるといふこと。


そんなことばと精神との密接、かつ神秘的な関係を我が身をもつてリアルに体感する時間になれば、そんな思いで皆さんと取り組み続けてゐます。


そして、アントロポゾフィーの講義として、十二の感官について、述べさせていただきました。


十二通りに、自然は、人といふ自然に、いつもいつも、語りかけてゐる。


その自然から自然への語りかけをわたしたちは耳を澄ませて聴くことのできる人になつてゆきたい。


そんな願ひをもつてのこの教員養成講座です。


毎日の食事を用意して下さる方、この場を整へて、集まつてゐるひとりひとりの人のことを気にかけ、細々とした働きに徹して下さつてゐる方、そして、この場そのものに、こころから、感謝してゐます。


日本全国にある、人が精神と繋がり、毎日の暮らしに笑顔と感謝と勇気が注ぎ込まれる、そんな学びの場がこれからも守られますやうに・・・。


(78年前の夏を念ひつつ)







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2023年08月07日

こころのこよみ(第18週)



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藤島武「蝶」




わたしはこころを拡げることができるのか、

こころがみづからを

受けとつた世のきざしのことばに結ぶまで。

わたしは御声(みこゑ)を聴く、きつと力を見いだすと。

こころをふさはしくかたちづくり、

精神のころもへと織りなすべく。   



Kann ich die Seele weiten,               
Das sie sich selbst verbindet
Empfangnem Welten-Keimesworte ?           
Ich ahne, das ich Kraft mus finden,           
Die Seele wurdig zu gestalten,              
Zum Geisteskleide sich zu bilden. 


 



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2023年08月02日

家庭教育の基としての百人一首



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風そよぐ楢(なら)の小川の夕暮れは 禊(みそ)ぎぞ夏のしるしなりける
藤原家隆 (百人一首 九十八番)


百人一首。それは、我が国の家庭教育の基でありました。


近畿地方ならば、どの家にも必ず百人一首のカルタがあつたものです。


それは、ことばといふものの美しい声の調べを子どもたちに伝へる母たちの心用意でした。


和歌やことばの意味は、子どもたちが後に成長してから、時が熟した時に会得されるものでした。


しかし、幼いときに覚えたその調べと律動は、美的でないことば遣ひに対する本能的な拒否となつて、その人の一生を静かに導いたのです。


夏の季節に詠まれた、藤原家隆の歌を挙げてみました。


「楢(なら)の小川」は京都の上賀茂神社境内を流れる川で、わたしの娘たちも幼い頃、何度かこの川で水遊びをさせてもらひました。


川辺の水遊びとは、禊ぎといふ、身の浄まり、甦り、生まれ変はりを促す神事に通じる、我が国古来の日本人の営みです。




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こころのこよみ(第17週)



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世のことばが語る、

そのことばをわたしは感官の扉を通して

こころの基にまでたづさへることを許された。

「満たせ、汝の靈(ひ)の深みを

我が世のひろがりをもつて。

いつかきつと我を見いだすべく、汝の内に」



Es spricht das Weltenwort,
Das ich durch Sinnestore
In Seelengrunde durfte fuhren:
Erfulle deine Geistestiefen
Mit meinen Weltenweiten,
Zu finden einstens mich in dir.  



閑さや岩にしみ入る蝉の聲  芭蕉





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2023年07月30日

前田英樹氏「保田與重郎の文學」



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今年の四月の末に出版された前田英樹氏著『保田與重郎の文學』。2018年、平成三十年二月に出た前作の『批評の魂』から、五年ぶりの新作の出版でした。


この五年間、わたしは前田氏の新しい著作をこころ待ちにしてゐました。


しかし、不覚にも、2018年9月號から前田氏が雜誌「新潮」にこの「保田與重郎の文學」を連載してゐたことをわたしは全く知らなかつたのでした。


だから、本屋に行く度に、該当する棚に、前田氏の新作がないのを見ては、落胆に近い慨然とした思ひを味はつて來たのでした。


もしかしたら、前田氏はもう執筆出來ない何らかの理由があるのではないかと余計な心配までしてゐたぐらゐでした。


しかし、五月のある日、いつもの本屋に行き、この本の背表紙が目に飛び込んで來たのでした。


しかも、題名が『保田與重郎の文學』。


棚にその背表紙を見たとき、一瞬、時が止まつたやうに感じました。


保田與重郎といふ人は、わたしにとつて、唯一無二の本当に特別な人でありました。


さらに、その本の値段を見て、またまた、時が止まつてしまひました(笑)。税込みで14,300円。


これまで前田氏の著作には、2009年、平成二一年二月に出たちくま新書の『独学の精神』を最初の出会ひとして、その後、彼の数多の著作をまさに貪り読んで来ました。


そして、とりわけ、2010年、平成二二年十一月に出た『保田與重郎を知る』といふ一册は、わたしの人生を変へたのでした。


それまでおぼろげに名前だけは知つてゐた保田與重郎。しかも、わたしはその人に対して、戰前・戰中の我が国を軍国主義へと煽動した人物といふ、まことに曖昧で勝手な先入觀を持つてゐたのでした。


しかし、それまで愛読に愛読を重ねてゐた前田英樹氏の新作として、当然の如く、その時もその書を購入しました。


そして、一読、こころの底が拔けたやうな思ひが訪れたのです。


それまでの淺はかな先入觀が剥がれ落ち、この保田與重郎といふ人こそ、わたしが精神の師として求めに求めてゐた人であると直感したのでした。


勿論、それまでにも、内村鑑三、小林秀雄といふ人たちの著作から、深くて熱い感動と精神の糧を戴いてゐました。しかし、これほど、我がこころに刮目を与へ、かつ、どこまでも親しく語りかけて来、我がこころを搖り動かし、我が生を支へゆく力を持つ文學者は、日本人においてこの保田與重郎が初めての人だつたのです。


さう、保田與重郎は、日本人でありました。日本語で、日本といふ「くに」の精神と歴史と文學と生活を語る、まことの日本人でありました。


わたしは、日本語をもつて、文學のことばをもつて、神を語つてくれる人に出会へた喜びに打ち震へたのでした。


そして、その喜びと覺醒をもたらしてくれる保田與重郎に導いてくれたのが、前田氏の『保田與重郎を知る』だつたのです。その一冊は、わたしの人生を本当に、まことに、新しく切り開いてくれたのでした。


それ以来、この十数年、保田與重郎全集、全五十卷の一冊一冊を読み続けて来ました。


だからこそ、このたびの前田氏の『保田與重郎の文學』の出版は、わたしにとつて、何か特別なものを感じてしまひました。


800頁にわたるこの大著を手に取つて、ただちに直感したのは、五年を掛けてこの書をなした前田氏も、もしかしたら、これはご自身の人生のひとつの集大成にあたるものだと思つて仕事をなされたのではないかといふことでした。


高価な値段なので、しばらく、財布工合と相談しながら、日を過ごしてゐたのでしたが、ある日、こころを決して本屋に足を運びました。一冊の本に対する態度が、まるで、明治か大正の貧乏な書生さんのやうだと自分でも思ひます(笑)。
.
.
しかし、わたしは、読む前から、すでにかう思つてゐました。わたしは、この一冊に大切な何かを賭けたい。この本を読み、この本を通して、本当に大切な何かを生きたい。


家に帰り、すぐに、序章「倭(やまと)し麗(うるは)し」を貪るやうに読み始めたのでした。


そして、今日、約二か月かけて、全三十七章を読み終へました。


読み続けつつ、感極まつて、何度も、涙が溢れて來ました。


それは、まだうまくことばに出来ませんが、この書の地下には、まるで、涙の川が流れてゐて、ところどころでその川から人の悲願が吹き上げて来るやうに感じるのです。


日本における精神文明の系譜が、人から人への、いのちのほとばしりとして傳へられてきた樣がありありと書き記されてゐて、その流れは、この本を読んでゐる自分自身にもまぎれもなく流れ込んで来てゐる事を感じるからでした。


そして、敬ひとへりくだりのこころをもつて、古(いにしへ)を知る事が、わたしたちが生きてゐる今といふ今を一新し、さらには未来を創造していく原動力に必ずなる事を信じる事が出来るからでした。


この書は、大伴家持が、紀貫之が、後鳥羽院が、芭蕉が、本居宣長が、そして保田與重郎が、「人とは何か」「人はいかに生きる事が出来るのか」といふことに関して受け継いできた精神の傳統を、身体中を流れる涙の川の流れと共に前田氏が書き記したものなのでした。


それは、21世紀の今、わたしたちが生き拔いて行く上でどうしても直面せざるを得ない、まことに根本的な価値感の大転換を依然として示唆し続けてゐるのです。


わたしは、前田英樹氏に、本当に、感謝するのでした。


このやうな仕事をなしとげて下さつたことにです。


現在を生きる事のみにこころ囚はれてゐる人には感覺し理解することが難しいことですが、いつの代にも、世を根柢で支へるのは、人の悲願を記す文學のことばであり、詩人の精神です。


我々凡人がそのことに氣づくのは、詩人がこの世を去つて何十年、いや何百年あとです。


ですので、保田與重郎が生涯を通して述べ続けた「偉大なる敗北」が詩人には運命づけられてゐます。


まだ一読目ですが、この本を通して、読む前に予感してゐた通り、わたしは新しい生を生き始める事を実感してゐます。




posted by koji at 23:38 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 読書ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8/19(土)から 我が国の精神を学ぶ 〜古典文学「萬葉集」「古事記」〜



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わたしたちが本当に大切にしたいものは何か。本当に護りたいものは何か。本当に子どもたちに残して行きたいものは何か。


その根底は、人のこころの美しい通い合いに尽きると思います。


それは、当たり前と言えば、あまりにも当たり前のことだと言えるでしょうが、このことを支える社会の仕組みは、わたしたちが持つ理念、哲学、精神の如何にかかっています。


この理念、哲学、精神が、空論、机上の論でなく、まさしく、大地に根付いたもの、大地の奥底にまで掘り進むがごときものであったのが、日本という「くに」の最も根底をなす特徴です。


この現代という時代において、そのことを言うことには、まるで、ドン・キホーテのような勇気が要ります。


しかし、歴史の中に、このような勇気を奮った幾人かの方々がいました。


そういう方々が創ったものが、『萬葉集』であり、『古事記』です。


そこには、必ず、人の声があります。先祖代々からの声のリレーがあります。


その声とは、命の運動そのものです。精神のいのちあるものだけが、古典として生き残っています。


しかし、それは、本当に生き残っている、と言えるでしょうか。文字として印刷されてはいますが、それは、子どもたちによって唱えられることもなく、単なる死した「古典」として置き去られているだけです。


そのなんとか死骸であったとしても、残ってくれている古典作品を、わたしたちの声でもって甦らせることで、この「くに」の甦りをまずはわたしたちの内側から育てて行こう、というのが、この言語造形という芸術が持つ、ひとつの大きな眼目だとわたしは考えています。



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日時:
2023年8月19日(土)14時〜16時半
以後、毎月第三土曜日、同時間
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場所:
アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪宅
https://kotobanoie.net/access/
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参加費:
初回体験ご参加 4000円
4回連続ご参加 14000円
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お問い合わせ・お申し込み:
アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪
https://kotobanoie.net/access/
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posted by koji at 14:51 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 講座・公演・祝祭の情報ならびにご報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月28日

四季の巡りと共に生きるこころ  アントロポゾフィーのこころのこよみ






拙ブログ『断想 アントロポゾフィーに学びつつ』にここで述べてゐます「こころのこよみ」を毎週連載してゐます。
http://kotobanoie.seesaa.net/category/10324860-1.html


観て下さつて、どうもありがたうございます。

これからも、アントロポゾフィーに学びつつ、発信を続けて参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪耕志





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地下の水脈

 

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先日、生徒さんと話しをしてゐて、男性性と女性性の話になつたのです。


女性性のことはともかくも、自分は男性であるので、つい自分に引きつけて、「男性は遠くを見晴るかしながら、先のことを、先のことを、考へてゐるやうに思ふ」と話したのでした。


つまり、何かを目指して、目的をもつて、毎日仕事をしていくのが、男性性では、と云ふ思ひでした。


しかし、その後、よくよく、考へ直してみると、何かの目的をもつて仕事をすると云ふのは、表層のことで、こころのより深みでは、「生きるために仕事をしてゐる」と云ふのが本當のところだなと氣づくのでした。


それは、「生きて行くためにはお金が必要でそのために仕事をする」と云ふ意味ではなく、仕事してゐなくては生きてゐる心地がしないと云ふ感覺に近い。


自分の場合は、人樣に言語造形とアントロポゾフィーからの人間學を傳へると云ふことの他、言語造形の稽古と作品創り、そして讀書が仕事なのだが、いづれも、手足を使つて汗を流しながらしてゐる。


手足を使つて仕事をしてゐなければ、生きてゐると云ふ心地がしない。


だから、生きて行くために、毎日、仕事をしてゐる。


さう云ふ仕事をしたいから、さう云ふ仕事をしてゐる。


若し、仕事をしてゐなければ、どんな餘計なことを考へ、どんな餘計なことにいらつき、どんな餘計なことをしでかしてしまふか分からない。


そんな感覺です。


しかし、しかし、更に考へてみると、何かをする、しないにかかはらず、時間が充實してゐると云ふこと。


さう云ふときこそ、人が人として生きてゐると云ふときであり、わたしが<わたし>としてあると云ふことぢやないか。


さう云ふときを生きるためには、こころの内に何かが育ちつつあること、しずかさの内に何かが根附き始めてゐること。


さうして、つまるところ、何をしてゐてもいいし、何もしてゐなくてもいい、と云ふ<わたし>がここにあると云ふ情。


それは、考へと云ふよりも、情。


だから、その情がこころに根附くには、練習の積み重ねが要る。長いときがかかる。


そして、その情が導き手となつて、仕事をして行く。


シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』の中に、こんなことばがあります。


「闇から光を目指してみづからと渉(わた)りあふことをやりぬかうとする人」


道は果てしなく續きます。




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地下の水脈

 

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先日、生徒さんと話しをしてゐて、男性性と女性性の話になつたのです。


女性性のことはともかくも、自分は男性であるので、つい自分に引きつけて、「男性は遠くを見晴るかしながら、先のことを、先のことを、考へてゐるやうに思ふ」と話したのでした。


つまり、何かを目指して、目的をもつて、毎日仕事をしていくのが、男性性では、と云ふ思ひでした。


しかし、その後、よくよく、考へ直してみると、何かの目的をもつて仕事をすると云ふのは、表層のことで、こころのより深みでは、「生きるために仕事をしてゐる」と云ふのが本當のところだなと氣づくのでした。


それは、「生きて行くためにはお金が必要でそのために仕事をする」と云ふ意味ではなく、仕事してゐなくては生きてゐる心地がしないと云ふ感覺に近い。


自分の場合は、人樣に言語造形とアントロポゾフィーからの人間學を傳へると云ふことの他、言語造形の稽古と作品創り、そして讀書が仕事なのだが、いづれも、手足を使つて汗を流しながらしてゐる。


手足を使つて仕事をしてゐなければ、生きてゐると云ふ心地がしない。


だから、生きて行くために、毎日、仕事をしてゐる。


さう云ふ仕事をしたいから、さう云ふ仕事をしてゐる。


若し、仕事をしてゐなければ、どんな餘計なことを考へ、どんな餘計なことにいらつき、どんな餘計なことをしでかしてしまふか分からない。


そんな感覺です。


しかし、しかし、更に考へてみると、何かをする、しないにかかはらず、時間が充實してゐると云ふこと。


さう云ふときこそ、人が人として生きてゐると云ふときであり、わたしが<わたし>としてあると云ふことぢやないか。


さう云ふときを生きるためには、こころの内に何かが育ちつつあること、しずかさの内に何かが根附き始めてゐること。


さうして、つまるところ、何をしてゐてもいいし、何もしてゐなくてもいい、と云ふ<わたし>がここにあると云ふ情。


それは、考へと云ふよりも、情。


だから、その情がこころに根附くには、練習の積み重ねが要る。長いときがかかる。


そして、その情が導き手となつて、仕事をして行く。


シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』の中に、こんなことばがあります。


「闇から光を目指してみづからと渉(わた)りあふことをやりぬかうとする人」


道は果てしなく續きます。




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2023年07月27日

メディテーションへの備へ









成果を期待するのではなく、ただ、こつこつと、練習を続けて行くことのみ、己れに課したいと思ひます。


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2023年07月26日

米づくりの一端に触れさせていただきました



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猛暑極まる夏の京都。しかし、ここは、標高650メートル近くあるとても爽やかな光と涼しい風に恵まれてゐる山あひの一村。南丹市園部町に住まはれてゐる齋藤さんご夫妻のご自宅を訪ね、田に入らせていただき、お米づくりの一端に触れさせてもらふ。


苗の植ゑ付けを遅らせられたとのことで、水はまだ抜かれてをらず、今月初めに植ゑられ終はつた苗たちの根が水の下の柔らかい土に根を伸ばし始めてゐるところ。


水の漲つてゐる田に這ひつくばつて、稲の苗と苗の間の水中に生え伸びてゐる草を引き抜く。二時間ほどだけだが、水田の泥の中に膝まづきながら、匍匐前進していく。それは、稲といふ植物との親しい、密やかな対話をさせてもらつてゐるやうな時間だつた。


稲に対する愛、米に対する敬意がおのづから自分自身の内側に根付いて来る。


そして、そのこころに育つものこそが、暮らしを、生を、人生を織りなして行く予感。それは、社会といふ人と人とのかかはりあひを作る目に見えない基盤なのではないだらうか。


米といふ天与の糧を植ゑて育てて刈り取りいただくといふ「米づくり」こそが、わたしたちの「くにづくり」の基なのだと神話は語つてゐるが、そのリアリティーのほんの一端だけれども触れさせてもらつた。


齋藤 健司さん、豊泉 未来子さん、二日間にわたつてお世話になりました。こころからお礼を申し上げます。本当にありがたうございました。


おふたりとの静かな語らひの時間。語り合ふといふことがメディテーションそのものであるといふこと。そして、からだとこころにひたすら滋養と回復を与へる、こころづくしのお料理。


ありがたい、ありがたい、時間をいただきました。


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