2018年07月17日

夏の信濃 ねっこぼっこ合宿 7月27〜29日



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わたしたち、男ねっこぼっこ四人衆がお待ちしています!

『夏の信濃 ねっこぼっこ合宿 7月27〜29日』
 〜詩作と朗読、こころの育み、子どもたちへの贈り物〜
 
来週に迫ってまいりました!
 
大人たちは、静かで、かつ、熱い時を。
子どもたちは、からだもこころも夏の陽射しの中で躍動する。
 
夏の信濃「ねっこぼっこ合宿」のお知らせです。
 
わたし自身、どんな時間になるか、楽しみで仕様がありません! 

 
 

信濃の山里での今回の合宿では、こころの育み「知ることの細道」を辿る根本弘一郎と、詩を綴る稲尾教彦、そして、詩の朗読・言語造形をする諏訪耕志とで、こころとことばとの密やかな出会いを分かち合う時間と場所を皆さんと一緒に創ってゆきたいと思います。
 
また、小学生(3年生以上)プログラムとして、北海道で活躍中のネイチャーガイド、ダグラス・ニュートンが信濃の山を流れる清流や木陰に子どもたちをいざないます。からだの感覚をフルに使って丸三日間遊ぶ体験は、生涯忘れられないような夏の想い出を子どもたちのからだとこころに刻み込むでしょう。
 
夏の信濃の山里で、大人も子どもも、こころとからだを解き放ってみましょう。奮ってのご参加をお待ちしております。
 
                諏訪耕志記
 
 
●日程  2018年7月27日(金)〜29日(日)

※遠方から公共交通機関でお越しの方は、前泊(26日入り)、後泊(30日お帰り)、それぞれ一泊ずつの必要もあります。
 

●場所  ひだまりの家  
長野県伊那市富県2455-1  
電話090―9514―4477 (根本)
 
※交通機関が限られていますので、なるべく車でのお越しをお勧めします。

※会場までの移動手段はご自身で手配をお願いします。 
車でお越しの場合:中央自動車道「伊那インターチェンジ」降りる
電車でお越しの場合:JR飯田線「伊那市」駅
高速バスでお越しの場合:「伊那バスターミナル」
 
 
●大人プログラム
8時半〜8時45分    朝の会
8時45分〜10時45分   講座 こころの育み
11時〜13時      詩作
13時〜14時半     昼食・休憩
14時半〜16時半    詩の朗読 (言語造形)
16時半〜17時     一日の振り返り
17時         解散
 
 
●子どもプログラム
8時半〜8時45分     朝の会
8時45分〜13時     午前の遊び
13時〜14時       昼食・休憩
14時〜17時       午後の遊び
17時          解散 
  
 
大人、子ども、どちらのプログラムもおおよそのものです。細かい変更が当日生じることもあります。
 
 
 
●参加費:
三日間昼食込み 大人38000円
        子ども(小学生3年生以上) 22000円
(小学2年生以下の子どもは、3日間で9000円にて、預かり保育のご相談に応じます)
(朝食・夕食は、各自ご自身でお取りいただきます)
 
 

下記口座にお振り込みをもってお申し込み完了といたします。
◎ゆうちょ銀行 記号 10260 番号 28889041
諏訪 千晴(スワ チハル)
   
 
 
●持ち物  大人  ノートとペン   
子ども 川遊びのための水着とタオル
山野で遊んでも支障のない服装と靴と軍手
雨天時のカッパ類
 
 
 
●お申し込み・お問い合わせ
「ことばの家 諏訪」 https://kotobanoie.net/access/
電話06-7505-6405 
e-mail info@kotobanoie.net
 
 
 
●宿泊のご案内 (宿泊、会場までの移動手段はご自身で手配をお願いします)
 
 
仙流荘 
http://www.ina-city-kankou.co.jp/…/modules/tinyd3/index.php…
 
入野屋 
http://www.ina-city-kankou.co.jp/…/modules/tinyd2/index.php…
 
文校館 
http://www1.inacatv.ne.jp/~bunkoukan/
 
 

 
 
●「講座 こころの育み  根本弘一郎」
本当の自由とはいかなるものなのでしょうか。私たちはあらゆる先入観や感情に縛られて生きています。体の調子にも、其々が持つ個性にも時として縛られます。どんな感情に自分は縛られているのか、生まれ持つ個性にはどのような種類があるのか。「こころの育み」の講座の目的は、自分の心の趣、考えの基調を感覚し知ることによって、「生来の自分」の原点に立つことにあります。自分を知り、志を持ち、そして立ち歩みだすことこそが本当の自由と言えるのかも知れません。本当の自分を見つけてみませんか。 
  
 
●「詩作  稲尾教彦」
詩を紡ぐという営みは、より、わたしそのもののことばと出会うこと。じっと観る、耳を澄ます、注意深く歩く。外界の事象の中に、内界への入り口を見つける。目をつむる、想い起こす。そうして、「問う」ことが出来る。問うことを通して、階段をおりる。みずからの内へ。わたしそのものへ。遥かなるものを通してこころが動くとき、ことばがともしびとなる。
この夏、長野の自然の中で、詩を紡いでみませんか。
 
 
●「詩の朗読 (言語造形)  諏訪耕志」
詩を朗読してみる。それは、ことばという当たり前のものが当たり前のものでないことに気づくことでもあります。ことばは発声されることで、とりわけ、その人のこころとからだのありようを映し出すと共に、ことばそのものの深みを響かせます。そんなことばとの密やかで美しい出会いを、詩の朗読・言語造形を通して、この夏、集中的に体験してみましょう。
 
 
●「子どもプログラム 思いっきり遊ぶ!  ダグラス・ニュートン」
夏の森や川には、子どもにとって無限の宝が詰まっています。ことば遊びや歌や手遊び。森に入って果実を摘み、火を起こします。そして、樹木の枝や丸太や石で道具を作ったり、遊び場を作ったり、冷たい清流に泳いだり・・・。からだの感覚をいっぱい使って、夏を生きる三日間です。
 
 
 
 
●根本弘一郎プロフィール
( 治療教育家 「ひだまりの家」主宰 )
ニュージーランドより帰国後、北海道にて心の学校を開設。自死を試みた若者達と暮らし自由への手引きに携わる。その後、北海道ひびきの村にてシュタイナー教員養成課程基礎コースの担任を務め平成26年に長野県に移住。主に虐待を受けた子どもの心の治療にあたる。
  
●稲尾教彦 プロフィール( 詩人 )
1980年長崎県生まれ。日本大学芸術学部演劇学科劇作コース卒。同大学卒業後、からだを壊したことをきっかけに、詩作・朗読を始め、自然農を川口由一に学ぶ。2013年より、大阪「ことばの家」の諏訪耕志に言語造形を学ぶ。以後、自作詩による言語造形公演を行う。2015年より、北海道に移住。ひびきの村にて、演劇講師、詩作と言語造形の講座の講師を務める。主な作品は、詩集「涙の歌」。
  
●諏訪耕志プロフィール
( 言語造形のためのアトリエ「ことばの家 諏訪」主宰 )
1964年大阪市生まれ。1994年よりルドルフ・シュタイナーハウスにて言語造形家鈴木一博氏に師事。2004年より「ことばの家」として関西を中心に自身の活動を始める。言語造形の舞台、ワークショップ、和歌講座、シュタイナーのアントロポゾフィー講義などを生業としている。日本語の美と風雅(みやび)を甦らせ、子どもたちに伝えていくことが念願。
 
●ダグラス・ニュートン プロフィール Douglas Newton
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身。1987 年~ 1993 年 米国空軍にて、火災救助隊員、救命士。1994 年~ 2002 年 青森県十和田市にて幼稚園教師、児童養護助士。2002 年~ 2008 年 北海道伊達市(※当時、現在は豊浦町)。NPO 法人シュタイナースクールいずみの学校にて、英語教師及び青空教室指導員。現在、壮瞥町を中心としたジオパーク地域でネイチャーガイドとして様々な活動に携わる。昭和新山・火山マイスター。 
 
 



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2018年07月12日

涼しさのおすそ分け 桃尾の滝


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真白にも 落ちてたぎつる 石上(いそかみ)の 
岩肌黒く 鳥の声かな

 
先日、奈良の石上神社の奥の宮といはれてゐる社の少し上流にある桃尾の滝に触れてきました。
 
涼しさのおすそ分け・・・
 

posted by koji at 09:08 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月10日

小西収さんによる『名人伝』ご感想


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先日、行ひました大阪での言語造形公演『名人伝』を聴きに来て下さつた小西 収さんが、日を経て、感想の文章を送つて下さいました。
 
芸術が依つて立つのは、目や耳に感覚できないものの受肉ではなく、むしろ、感覚的・事実的なものの転形・造形なのだといふことを、今回、わたし自身、感じてをりました。
 
芸術といふ、ひとりの人の行為によつて得られた姿・形は、わたしたちを満ち足らせる姿・形であります。
 
その姿・形が、そのまま、精神の顕れでもあります。
 
ことばに、そのやうな姿・形をもたらす。動きをもたらす。いのちをもたらす。
 
音楽における楽譜のやうに、文学のテキストもまたひとつの譜面のやうに扱ふことが可能です。
 
言語造形の試みを、このやうに汲み取つてくださつたこと、それは創造的立場からの極めてありがたい批評で、小西さんには感謝の念に堪えません。
 
密やかにわたしのしてゐることが、ことばをもつて言ひ表されてゐる・・・。
 
それは、本当に嬉しい驚きです。
 
以下、小西さんによる文章を掲げさせていただきます。
 
小西さん、どうもありがたうございます。
 
 

 
======

中島敦のこの短編が,これほどまでに高密度に内容の詰まったものであったとは!来場直前の黙読予習ではまったく想像だにできませんでした。
 
「名人伝」の,短いといっていいあの活字の列が,一文・一節・一句・一語・一音・一韻が,音声となって,場所/空間へ次々に降り立ってくる。言葉の彫刻。
 
できあがった彫刻作品ではなく,今,彫られていっている,行為としての彫刻。その“彫刻刀遣い”の振る舞いの,何という忙しさ!そして,それを聴くという充実した時間。
 
どこをとっても聴きどころであるそれらすべてを,逃さず味わい追っていこうとして聴き手の私もまた目紛しく(“耳”紛しく)集中しました。
 
私はただ客として聴いているだけなのに,まるで目の前の芸術家と同時進行で何かをともに作り上げているかのような喜ばしい錯覚もふと起きたほどです。
 
他では真に得難い,貴重な体験でした。
 
上に「内容」と書きましたが,それは私にとっては,物語の意味内容よりもむしろ言葉そのもの(のつながり)・音韻の妙です。
 
そしてそれらの間にある間(ま)や語の発せられる直前の呼気(吸気?)の息遣いまでもが「内容」となって迫ってきました。
 
例えば,「最早師から」の「も」と「もしそれが本当だとすれば」の「も」の何という違い。でありながら同じ「も」でもあるという,造形。…と,例を挙げてしまうと卑小なことのように聞こえることを惧れます。
 
こういう一瞬一瞬の連続であり総体だった,と受け止めました。その全貌はとても書ききれません…。
 
そうした細部のリアリティーがあってこそ,起昌が,飛衛が,甘蠅師が「そこに現れ」,中島敦の「声がした」のだ…と,思い出しつつ今改めて感じております。
 
「真実は細部に宿る」とは,こういうときのためにある言葉ではないかと想起した次第です。
 
また,(終演後も少しお話ししましたが)今回のご公演を受けて,諏訪先生の言語造形の行為が,私の普段携わる音楽演奏表現の行為と通底するということを改めてますます強く感じ入ることができました。
 
失礼を重々承知で書かせて頂きますと「先生と私は,ひょっとしてまったく同じことをしようとしているのではないか」と,嬉しくなり,これからの自分の活動への大いなる勇気づけを頂きました。
 
深い感謝の気持ちでいっぱいです。
 


posted by koji at 15:19 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誠と嘘

 
自分のゐる場所で、いつでも宮中のやうな静けさを創り、深山へ籠つたやうな深遠さを創り出すこと。
 
このことがわかれば、自分のいまゐる場所がこの世で最高の場所となる。
 
こころとは実に繊細な生き物。こころは、真に美しく静かで豊かな場所でこそ育むことができる。
 
だから、己れのこころを修練し育み成長させたいならば、その環境をみづから、いま、ここで、生み出す勇気をもつこと。
 
肉眼をもつてみえないものを「幽」と言ふ。つまり、外の顕わなものでなく、内の幽なるものを見る練習をする。
 
『静にして閑』とは、この世の中で最も豊かな場所を表す。それは己れが己れの意志で創るのである。
 
門を厳重にして、念には念を入れて戸閉まりをし、また出入りをする人間の質を選ぶ。さうすれば、そこには宮中と同じ厳粛さが生まれ、思索を行ふにまたとない、静かな環境をその人に提供してくれる。
 
そこはまぎれもなく、各々の人にとっての宮中になり、社中となる。
 
これらのことは、以前、執行草舟氏の著書『友よ』の中で読んだことです。
 
「己れ」「家」「宮」とは、大切に守り育みたいものを、じつと見つめる場所。
 
その人の意志次第で、そのやうな時と場所を意識的に創ることができる。
 
その人の意志次第で。
 
いつでも、どこでも。
 
だから、「どこそこへ行かなければ、学べない」とか、「どこそこが本場だ」とか言つてゐるのは、嘘である。
 
さう思ひます。

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8月5日(日) 三重・名張 名人伝再演のお知らせ


IMGP0275.JPG 会場に隣り合ふ昨日の睡蓮の池 


8月5日(日)午後6時より、名張市桔梗が丘にて、言語造形公演『名人伝(中島敦作)』を再演させていただきます。
 
お申し込み、お待ち申し上げてゐます。
 
 
●言語造形
諏訪耕志
 
●日時
8月5日(日) 
午後5時45分開場 午後6時開演 午後8時終演予定
 
●場所
ゆいのいえ
三重県名張市桔梗が丘6番町1街区  
桔梗の森公園(十号公園)そば
tel 090ー4184ー7234
 
●参加費
ご予約 3000円
当日  3500円
 
●お申し込み
ことばの家 諏訪 https://kotobanoie.net/access/
 
お席が少ないので、おはやめの御予約を御願ひいたします。
 
下記口座へお振込の上、ことばの家へご一報くださいませ。
 
 ◎ゆうちょ銀行  
 記号 10260 番号 28889041 
 諏訪 千晴(スワ チハル)
 
お振込の確認をもって、ご予約完了とさせていただきます。

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2018年07月08日

大阪・住吉『名人伝』公演、ありがたうございました


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昨日は、近畿地方に大雨が続く中、言語造形公演『名人伝』にお運び下さつた皆様、本当にありがたうございました。
 
何かと行き届かないところがございましたが、それにもかかはらず、弓の名人になることを目指して生きぬいた一人の男の物語りに、約一時間、皆さん、耳を澄まし続けてくださいました。
 
頂きました皆さんの御感想文が、演じ終はつたわたしに、限りない励ましと、更にこの道を歩み続けてゆくための勇気を注ぎ込んでくれてゐます。
 
これからも言語造形といふことばの芸術を通して、言霊の幸ふ、そんな文化の礎をこつこつと築いていくつもりでをります。
 
ぜひ、また、言語造形の舞台へのご愛顧を、どうぞ、よろしくお願ひ申し上げます。
 
今年の秋、11月30日(金)夜に、阿倍野区民センターにて同じ中島敦作『山月記』を上演いたします。
 
よろしければ、ぜひ、お耳をお貸しください。
 
小学四年生の我が娘も昨日の公演を聴き、感想を書いてくれました。手前味噌になつてしまひますが、それを掲載させていただきます^_^;
 
 


パパ
 
今日はすごかったです!少しむずかしい言葉もあったのだけど、なぜか、意味が分かってきました!
 
ずっと話しをきいていると、話の中に入っていって、ねむたくも暑くもさむくも感じませんでした。聞いていて楽しかったです。
 
次、またやる時は、私がピアノをやりたいな♪
 
今日はたなばた。おりひめさまとひこぼしさまは聞いているのかなぁ。
 
かさね

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2018年06月27日

7月7日(土)大阪言語造形公演「名人伝」のお知らせ


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中島敦作『名人伝』を諏訪耕志による一人語りでさせていただきます。
 
わたしにとりましては、今回の言語造形の舞台が自分自身のデビューだと感じてゐます。
 
空間に拡がることばの芸術を味はつていただきたく、舞台に臨みます。
 
なにとぞ、どうぞ、御来場のほど、よろしくお願ひ申し上げます。お待ちしてをります。
 
 

 
 
名人といふ存在。

それは、数限りない練習や稽古や試合や実践といふものを通して、「人といふもの」をどこまでも追ひ求めていくことから開けてくる、ある位相ではないでせうか。
 
神と人とが重なり合つて生きる姿。
 
精神と肉体とがひとつになつて生きてゐる姿。

中島敦の名作『名人伝』のその位相をできうる限り紛らはすことなく語りでお伝へできたらと念つてゐます。
 
 

●言語造形:諏訪耕志 
 
●日時:7月7日(土) 開場2時 開演2時30分 終演予定4時
 
●場所:大阪市立住吉区民センター 集会室4
http://sumiyoshiwardc-ogbc.jp/map/
 
●参加費:ご予約 3000円  当日 3500円
 
●お申込み:「ことばの家 諏訪」
https://www.kokuchpro.com/event/mejinden/
 ↑
こちらのページの「申込む」ボタンよりお願いいたします。
 
ボタンを押してから 30分以内 にクレジット決済をしていただきませんと、お申し込みが無効になりますのでお氣をつけください。
 
また口座振込をご希望の場合は
下記口座へお振込の上、ことばの家へご一報くださいませ。
 
 ◎ゆうちょ銀行  
 記号 10260 番号 28889041 
 諏訪 千晴(スワ チハル)
 
お振込の確認をもって、ご予約完了とさせていただきます。
 
 

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2018年06月26日

『和歌(うた)を学ぶ会』のお知らせ


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明日の『和歌(うた)を学ぶ会』のお知らせです。
 
尊いもの、美しいものが失はれてしまふ。
 
その失はれてしまつたものを惜しみ、愛しみ、悲しむ。
 
その情は、どうしても深くこころに響きます。
 
柿本人麻呂は、今の琵琶湖の西岸にあつた近江の都が、壬申の乱の後、荒れ果ててしまつてゐる様を目の当たりにしました。
 
彼は激しい情に突き動かされるかのやうに、長い歌ひとつと短い歌ふたつを歌ひました。
 
今回は、その人麻呂の情に沿つてみたいと思ひます。
 
いよいよ、我が国の最初の大詩人、柿本人麻呂に言語造形を通して取り組んでいきます。
 
流れる詩情に全身を浸してみませう。
 
初めての方でも、どうぞ、お気軽に😊
  
 

日時:  
第四水曜日 午前10時より12時半
 
場所・お問ひ合はせ・お申込み: 
ことばの家 諏訪
https://kotobanoie.net/access/
 
参加費: 単発 4000円
四回連続 14000円
 

posted by koji at 23:13 | 大阪 ☔ | Comment(0) | 講座・公演・祝祭の情報ならびにご報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月23日

小西 収さんによる『楽藝の会』


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小西 収さんによる『楽藝の会』の演奏を聴きました。
 
<わたし>といふ意識と、わたしから離れた「おのづからなる働き」といふ無意識の働き。
 
このふたつの間になりたつ美を育てていきたい。
 
そんな小西さんの音楽に対する憧憬と情熱が、精神的に、かつ肉体的に繰り広げられるのを、一気に目の当たりにした。
 
そんな感慨です。
 
本当に、素晴らしい、一瞬、一瞬、でした。
 
柳宗悦の民藝運動の音楽版のやうな活動を、といふ志を持たれてゐる小西さんの『楽藝の会』の活動、わたしはこれからも大注目なのです。
 
小西さん、山崎さん、そして演奏された皆様、今日は本当にありがたうございました。

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2018年06月22日

7月5日・9日 東京での言語造形ワークショップのお知らせ


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東京の渋谷区恵比寿にある本屋さん「ちえの木の実−たいせつな一冊に出会う場所−」のご協力で、言語造形の2回連続クラスをさせていただきます。
 
この機会に、言語造形を通してからだまるごとで日本の古典文学を味わってみませんか。
 
お申し込み、こころよりお待ちしております。
 
諏訪耕志
  
 
 
 
●7月5日(木)18時〜21時
『古事記の文章 〜声から声への伝え〜』
 
 
文学とは、そもそも、声から声への伝えです。
 
天武天皇の御声によってひとりの舎人・稗田阿礼の耳に伝えられた『古事記』。
 
天武天皇は、何に耳を澄まされたのか。それは、神の声です。
 
文学とは、ことばの芸術であり、ことばとは、神から人へと吹き込まれた息吹きであります。
 
わたしたちは、その、いまも、神から吹き込まれている息吹き、そしてことばを、ことばの法則に沿って造形することで、空間に、ことばのお宮、お社を形造っていくことができます。
 
我が国の古(いにしえ)から永遠(とこしえ)へと続く、ことばのお宮創り。
 
言語造形を通して、最古の叙事文学『古事記』を体験してみませんか。
 
 
 
  
●7月19日(木) 19時〜21時
『万葉集のうた 〜血に息づく音楽〜』
 

万葉人の血のうちにあったリズム、メロディー、高らかで、かつ穏やかな韻律。
 
万葉の歌においては、そのすべての内なる音楽が、流れる呼吸の動きの中で、彫塑的な輪郭、建築的な力としても取りまとめられ、解き放たれ、絡み合わされます。
 
それらの歌は、ときに、素戔嗚尊のごとく大地の底から湧き上がり突き上げるような力を感じさせ、ときに、天照大御神のごとく明るく澄んだ陽の光の輪舞のなだらかに繰り出す動きを感じさせます。
 
そこには、すでに、とても複雑な光と陰影が交差しています。
  
万葉の歌が、我が国の国語の基準の高さを明確に示しています。
 
万葉の歌の美と格と律をわたしたちも己れのものにしていく。
 
最古の抒情詩歌集『万葉集』を通して、わたしたちは、意識的に、芸術的にみずからの身を修めつつ、言語のみなもとへと再び辿りゆく道を歩み始める、そのきっかけを見いだしていきましょう。
 
 
 
 
言語造形講師:
諏訪耕志( 「ことばの家 諏訪」主宰 )
https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji
 
 
日時:
7月5日(木)、7月19日(木)午後6時から9時まで
 
 
場所:
ちえの木の実 渋谷区恵比寿西2-3-14
http://www.chienokinomi-books.jp/annai/annai.html
 
 
参加費: 
一回のみのお申込み 5000円
7月5日、19日、二回連続のお申込み 9000円
 
 
お問い合わせ:
「ことばの家 諏訪」 https://kotobanoie.net/access/

お申し込み:
https://www.kokuchpro.com/event/tokyo_ws_07/
(paypalクレジット決済)

恐れ入りますが、参加ボタンを押してから 30分以内 にクレジット決済をしていただきませんと、お申し込みが無効になります。どうぞよろしくお願いします。

または下記口座へのお振込みも可能です。

◎ゆうちょ銀行
記号 10260 番号 28889041
諏訪 千晴(スワ チハル)


お振込みの確認をもって、
ご予約完了とさせていただきますので
ゆうちょお振込みの際にはご一報ください。

 
 
主宰:
ことばの家 諏訪 https://kotobanoie.net/
 
 
協賛:
ちえの木の実 http://www.chienokinomi-books.jp/index.html
 
  

posted by koji at 19:56 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 講座・公演・祝祭の情報ならびにご報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月20日

マリー・シュタイナーによる序文D・完


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ルドルフ・シュタイナー作『Mysteriendrama(秘めやかな事についての劇)』の一場面


●この、『言語造形と演劇芸術』のコースで話されてゐるところを弁へるには、感官への現はれの背後に隠れる世の内容に踏み込むことを要する。このコースでわたしたちに与へられてゐるところを実践に於いてフルに利用するには、その世の内容を生きることが欠かせない。そこにわたしたちが予断や嫌ふ気持ちを差し挟まなければ、その世の内容を生きるであらう。
 
わたしたちがしようとしてゐることは、何をするにも、精神的な観点から、見てとり、感じとり、考へ、取り組んでみるところからであります。
 
ことばの舞台芸術が、物質主義の軛(くびき)から解き放たれて、人のこころと精神を満たすやうなものになるやう、わたしたちは試み続けます。
 
しかし、その道は、ひたすらな練習しかありません。
 
何か特別な秘訣や謎めいた秘密はありません。
 
ただ、練習を続けていくことの中に、見えてくることばの線、聴こえてくる確かな調べ、伴走しうることばの動きを、己れのものにしていくしか、方法はありません。
 
しかし、それらは、明らかに、この世の物質的なものでなく、ことばと作品まるごとに秘められてゐた精神的な法則に他なりません。
 
芸術は、机上の勉強ではなく、汗を流しながらの、精神に向けた新しい認識の学そのものなのです。
 
そして、息を解き放ち、声を発し、ことばを話す人自身が、みづからその線を追ひ続け、調べを聴き続け、動きを動き続けるのは、とても難しい故に、言語造形には、学校が必要なのです。
 
自分で自分の声を聴きとることができるまでには、とても長い年月が要るのであります。
 
自己流では、決して、摑み得ない学びです。
 
 
●そもそも、音韻は精神の使ひであり、息は神々の実質である。そして、演劇は、秘めやかな事から出て来てをり、わたしたちは再びそこに立ち返りうる。
 
こころの柔軟さ、素直さ、アクティビティーが生きてゐさへすれば、そして、様々な予断や、精神を嫌ひ、恐れる気持ちが、道を塞ぎさへしなければ、きつと、客としてのことばの精神(言霊)がわたしたちを導いてくれます。
 
音韻と息が、言語の芸術をする人にとつての素材であり、道具であり、教師であります。

それらの元手をもつて、日本の「秘めやかな事についての劇」を創ることを目指していきたいと考へてゐます。
 
#言語造形 
 


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2018年06月19日

マリー・シュタイナーによる序文C


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●言語造形へと迫るといふことは、音韻の働きかけを、空気、吐かれる息といふ媒体に於いて生きることであり、音韻のつくりなし、音韻の発しかたを手のうちにおくことが、言語の器官の法則と求めに応じ、まさに仕事としてなされるといふことである。
 
●それは、音のインタヴァル、響きの陰影への、シャープに育まれた聴覚である。ことばの線は動きに担はれ、ことば、行、聯(れん)に勢いを与へる。その芸術としての線が、突き動かし、アクティブにし、燃えたたせるところであり、精神からインスパイア―され、芸術の才能を授かる<わたし>によつて摑みとられる。その線がこわばつてはならない。間(ま)に於いてもである。間は欠かせないもので、線を造形する。線が間でふたたび精神に浸され、新たな勢ひをとりこむ。そのつど、みづからのこころに沈み込むのでは、線の動きが殺がれ、つまりは己れを見てとる線がでしゃばつてしまふこと、ナルシスの例で知られるとほりである。

 
 
吐かれる息に乗つて、音韻ひとつひとつが空間に造形されます。そして、その息の連続から、おのづとことばとことば、文と文のあひだに生きた間(ま)が生まれ、その間を見えない線が繋ぎます。その線の動きは、どこまでもダイナミックであり、繊細であり、かつ自由です。その線を見失はないこと。見失つてしまひますと、途端に、己れのマスクがものを言ひだし、ナルシスティックな表現の連続となつてしまひます。
 
そして、日本民族ほど、「間(ま)」にこれほどの動きと生命と精神を感得してゐる民族は、さうはいないやうに実感してゐます。
 
間に於ける響きの陰影、ことばの動的な線、それは、あくまでも、話す人のナルシスティックな像の投影ではもちろんなく、主観的・恣意的な生産物でもなく、客としての息遣ひとことばの音韻がもたらす精神の顕現です。
 
わたしたち日本人は、ことばの生命と精神(すなはち、それこそが、「言霊」です)を、民族精神の伝統としてたいせつに育んできた者であります。
 
日本の精神文化のなかに、改めて言語造形が根付いていくやう、毎日励んでいきたいと希つてゐます。


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2018年06月18日

マリー・シュタイナーによる序文B


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●意識といふことばに怯(ひる)みはすまい。意識は芸術を殺さずに、深める。意識が芸術を<わたし>へと引き上げ、わたしたちのマスクのごときパーソナリティの絆から解き放つに於いてである。
 
芸術とは、常に、意識と無意識とのせめぎ合ひであり、混交であります。頭部・神経系の目覚めた意識と、四肢・血液系の眠れる意識との融合であります。
 
意識だけで、芸術が出来上がるわけもなく、その意識と、訓練され無意識に動くまでになつた「からだ」との重なりこそが、ものを言ひます。
 
そして、その重なりは、その人その人の癖(マスクのごときパーソナリティ)から、ことばと共にその人をも解き放ち、ことばそのものが秘めてゐた精神、その人そのものが秘めてゐた精神<わたし>が立ち顕れて来るのです。そのとき、人は、自由です。
 
 

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マリー・シュタイナーによる序文A


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●今日、悪趣味の時代に、いくつかのことばの頭文字から味気ないことばのすがたが構えられ、精神が追ひ出されるのは、言ひやうもなく痛ましく、深くから芸術でないと感じられる。そのことばのすがたは、骸骨のごとく骸(むくろ)を震はせて嘲笑ふ。
 
●悪の力がことばの力を囲い込み、打ちこわさうとする。そこに救ひ手が出で立つた、ルドルフ・シュタイナーである。その救ひ手が、ことばの癒す力、魔法の働きかけをわたしたちに返し、陽の矢の輝きとことばのうちに投げられる槍をもつて、わたしたちの傷を閉ざす。
 
●その日はいつ来るか。感覚が、ことばの癒す力、魔法の力へ、ことばのもとにうねりつつ開ける精神の波へと、返される日は。
 
●呼吸に於いて生きる、呼吸を造形する、呼吸の鑿(のみ)をもつて空気のうちに造形する。そして震え、細やかなヴァイブレーションを感じる。空気のエーテルの、上音と下音の、ウムラウトの響きに於けるこよなく細やかなインターヴァルのヴァイブレーション。それら精神を通はせるやうになるもののヴァイブレーション。さうした芸術としての、微妙この上ない物質に於ける生みなしは、まこと、気高い仕事である。

 
 
ここ日本に生きてゐるわたしたちも、現代、ことばに於いて、ことばの使ひ方に於いて、ことばの交わしあひに於いて、痛ましく傷ついてゐるやうに感じます。
 
ことばの芸術であらうとする言語造形は、まことの意味で、人を癒さうとし、人を甦らせようとする、精神からの営みです。
 
ことばは、この世で、人だけが授かつてゐるものです。
 
そのことばを、どこまでも、人間的なものにして行かう、磨いて行かう、研いで行かうとする営み。
 
それが言語造形だと思ひます。
 
 

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2018年06月16日

マリー・シュタイナーによる序文@


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『言語造形と演劇芸術』といふルドルフ・シュタイナーによる連続講演録があります。
 
その本の初版の序として、妻であり、仕事の上でのかけがへのないパートナーでもあつたマリー・シュタイナーが記してゐる「クリエイティブな言語」といふ文章の内容を少しご紹介したいと思ひます。(言語造形家 鈴木一博さん訳)
 
彼女は、ルドルフ・シュタイナーの最も近くにゐながら仕事を共にした人であり、言語造形といふことばの芸術をルドルフと共に産みだした人です。
 
ルドルフのことばをどこまでも深く受け止め、消化しつつも、読む人、聴く人にさらに知的かつ意欲的に働きかけるやうな文体をもつて彼女は真摯に語りかけてくれてゐるやうに感じます。
 
 

●言語に於いて人が人の神々しいところをつかむ。音韻がクリエイティブな力であり、人を人のみなもとに結び、人が精神への道をふたたび見いだすに任せる。音韻によつて人が動物の上に上がり、探りながらでみづからの<わたし>に立ちかへる。
 
●いよいよ言語に於いて人のインディヴィジュアルな<わたし>の力が、その音としての表れを見いだし、その力そのものに気づきうる。
 
●人が立ちあがり、動物の横の線が縦になりかはつて、人がみづからのうちに言語の力を解き放つ。

 
 
 
かういつた文章は、実際に言語造形に取り組んでゐないと、リアリティーを感じにくいものであるかもしれません。
 
しかし、言語造形の魅力を知り初めてをられる方々にとつて、これらの文章が何らかのメディテーションの営みへと資するものであれたらと思ひ、掲載してみます。
 

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ぬばたまの黒き斎牛 〜住吉の御田植神事にて〜


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時間の隙間を見て住吉大社にお参りに行くと、御田植神事であつた。
 
神事を観る時間があいにくなかつたのだけれど、御田の代掻きを奉仕する「斎牛(さいぎゅう)」が、お祀りを前にして待機してゐるのを間近に拝むことができた。
 
今年は、京都の祇園祭で牛車を引いてゐる牛が大阪の住吉まで来てくれたさう。
 
黒光りする偉大な姿。
優しい目。
何事かを語つてをられる。
 
 
ぬばたまに 輝く黒は かむがへる
遠きあの世を とはにかきはに

 
諏訪耕志
 
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2018年06月14日

夏の信濃 ねっこぼっこ合宿 7月27〜29日

『夏の信濃 ねっこぼっこ合宿 7月27〜29日』
〜詩作と朗読、こころの育み、
そして子どもたちへの贈り物〜
 
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大人たちは、静かで、かつ、熱い時を。
子どもたちは、からだもこころも夏の陽射しの中で躍動する。
 
夏の信濃「ねっこぼっこ合宿」のお知らせです。
 
わたし自身、どんな時間になるか、楽しみで仕様がありません! 

 
 

信濃の山里での今回の合宿では、こころの育み「知ることの細道」を辿る根本弘一郎と、詩を綴る稲尾教彦、そして、詩の朗読・言語造形をする諏訪耕志とで、こころとことばとの密やかな出会いを分かち合う時間と場所を皆さんと一緒に創ってゆきたいと思います。
 
また、小学生(3年生以上)プログラムとして、北海道で活躍中のネイチャーガイド、ダグラス・ニュートンが信濃の山を流れる清流や木陰に子どもたちをいざないます。からだの感覚をフルに使って丸三日間遊ぶ体験は、生涯忘れられないような夏の想い出を子どもたちのからだとこころに刻み込むでしょう。
 
夏の信濃の山里で、大人も子どもも、こころとからだを解き放ってみましょう。奮ってのご参加をお待ちしております。
 
                諏訪耕志記
 
 
●日程  2018年7月27日(金)〜29日(日)

※遠方から公共交通機関でお越しの方は、前泊(26日入り)、後泊(30日お帰り)、それぞれ一泊ずつの必要もあります。
 

●場所  ひだまりの家  
長野県伊那市富県2455-1  
電話090―9514―4477 (根本)
 
※交通機関が限られていますので、なるべく車でのお越しをお勧めします。

※会場までの移動手段はご自身で手配をお願いします。 
車でお越しの場合:中央自動車道「伊那インターチェンジ」降りる
電車でお越しの場合:JR飯田線「伊那市」駅
高速バスでお越しの場合:「伊那バスターミナル」
 
 
●大人プログラム
8時半〜8時45分    朝の会
8時45分〜10時45分   講座 こころの育み
11時〜13時      詩作
13時〜14時半     昼食・休憩
14時半〜16時半    詩の朗読 (言語造形)
16時半〜17時     一日の振り返り
17時         解散
 
 
●子どもプログラム
8時半〜8時45分     朝の会
8時45分〜13時     午前の遊び
13時〜14時       昼食・休憩
14時〜17時       午後の遊び
17時          解散 
  
 
大人、子ども、どちらのプログラムもおおよそのものです。細かい変更が当日生じることもあります。
 
 
 
●参加費:
三日間昼食込み 大人38000円
        子ども(小学生3年生以上) 22000円
(小学2年生以下の子どもは、3日間で9000円にて、預かり保育のご相談に応じます)
(朝食・夕食は、各自ご自身でお取りいただきます)
 
 

下記口座にお振り込みをもってお申し込み完了といたします。
◎ゆうちょ銀行 記号 10260 番号 28889041
諏訪 千晴(スワ チハル)
   
 
 
●持ち物  大人  ノートとペン   
子ども 川遊びのための水着とタオル
山野で遊んでも支障のない服装と靴と軍手
雨天時のカッパ類
 
 
 
●お申し込み・お問い合わせ
「ことばの家 諏訪」 https://kotobanoie.net/access/
電話06-7505-6405 
e-mail info@kotobanoie.net
 
 
 
●宿泊のご案内 (宿泊、会場までの移動手段はご自身で手配をお願いします)
 
 
仙流荘 
http://www.ina-city-kankou.co.jp/…/modules/tinyd3/index.php…
 
入野屋 
http://www.ina-city-kankou.co.jp/…/modules/tinyd2/index.php…
 
文校館 
http://www1.inacatv.ne.jp/~bunkoukan/
 
 
※この地域の農家民宿が二部屋 (二家族分) ご用意できます。

一泊 大人7500円 子ども5000円
(家庭料理ですが、朝夕二食、供されます)
 
 
 
●「講座 こころの育み  根本弘一郎」
本当の自由とはいかなるものなのでしょうか。私たちはあらゆる先入観や感情に縛られて生きています。体の調子にも、其々が持つ個性にも時として縛られます。どんな感情に自分は縛られているのか、生まれ持つ個性にはどのような種類があるのか。「こころの育み」の講座の目的は、自分の心の趣、考えの基調を感覚し知ることによって、「生来の自分」の原点に立つことにあります。自分を知り、志を持ち、そして立ち歩みだすことこそが本当の自由と言えるのかも知れません。本当の自分を見つけてみませんか。 
  
 
●「詩作  稲尾教彦」
詩を紡ぐという営みは、より、わたしそのもののことばと出会うこと。じっと観る、耳を澄ます、注意深く歩く。外界の事象の中に、内界への入り口を見つける。目をつむる、想い起こす。そうして、「問う」ことが出来る。問うことを通して、階段をおりる。みずからの内へ。わたしそのものへ。遥かなるものを通してこころが動くとき、ことばがともしびとなる。
この夏、長野の自然の中で、詩を紡いでみませんか。
 
 
●「詩の朗読 (言語造形)  諏訪耕志」
詩を朗読してみる。それは、ことばという当たり前のものが当たり前のものでないことに気づくことでもあります。ことばは発声されることで、とりわけ、その人のこころとからだのありようを映し出すと共に、ことばそのものの深みを響かせます。そんなことばとの密やかで美しい出会いを、詩の朗読・言語造形を通して、この夏、集中的に体験してみましょう。
 
 
●「子どもプログラム 思いっきり遊ぶ!  ダグラス・ニュートン」
夏の森や川には、子どもにとって無限の宝が詰まっています。ことば遊びや歌や手遊び。森に入って果実を摘み、火を起こします。そして、樹木の枝や丸太や石で道具を作ったり、遊び場を作ったり、冷たい清流に泳いだり・・・。からだの感覚をいっぱい使って、夏を生きる三日間です。
 
 
 
 
●根本弘一郎プロフィール
( 治療教育家 「ひだまりの家」主宰 )
ニュージーランドより帰国後、北海道にて心の学校を開設。自死を試みた若者達と暮らし自由への手引きに携わる。その後、北海道ひびきの村にてシュタイナー教員養成課程基礎コースの担任を務め平成26年に長野県に移住。主に虐待を受けた子どもの心の治療にあたる。
  
●稲尾教彦 プロフィール( 詩人 )
1980年長崎県生まれ。日本大学芸術学部演劇学科劇作コース卒。同大学卒業後、からだを壊したことをきっかけに、詩作・朗読を始め、自然農を川口由一に学ぶ。2013年より、大阪「ことばの家」の諏訪耕志に言語造形を学ぶ。以後、自作詩による言語造形公演を行う。2015年より、北海道に移住。ひびきの村にて、演劇講師、詩作と言語造形の講座の講師を務める。主な作品は、詩集「涙の歌」。
  
●諏訪耕志プロフィール
( 言語造形のためのアトリエ「ことばの家 諏訪」主宰 )
1964年大阪市生まれ。1994年よりルドルフ・シュタイナーハウスにて言語造形家鈴木一博氏に師事。2004年より「ことばの家」として関西を中心に自身の活動を始める。言語造形の舞台、ワークショップ、和歌講座、シュタイナーのアントロポゾフィー講義などを生業としている。日本語の美と風雅(みやび)を甦らせ、子どもたちに伝えていくことが念願。
 
●ダグラス・ニュートン プロフィール Douglas Newton
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身。1987 年~ 1993 年 米国空軍にて、火災救助隊員、救命士。1994 年~ 2002 年 青森県十和田市にて幼稚園教師、児童養護助士。2002 年~ 2008 年 北海道伊達市(※当時、現在は豊浦町)。NPO 法人シュタイナースクールいずみの学校にて、英語教師及び青空教室指導員。現在、壮瞥町を中心としたジオパーク地域でネイチャーガイドとして様々な活動に携わる。昭和新山・火山マイスター。 
 
 
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わたしたちねっこぼっこ男四人衆がお待ちしてイマス!



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2018年06月11日

名張での言語造形クラス


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クラスを行つてゐる会場の真ん前の睡蓮の池

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月に一回の三重県名張での言語造形のクラス。
 
「ことば」といふものそのものに、学ぶ時間。
 
何の予備知識も準備も要らないのですが、こころの素直さ、柔軟さ、積極性だけは必須であります。
 
集まつて下さつてゐる方々、皆が皆、そんなこころを持ち寄つて下さり、今日も本当に祝福された時間でした。
 
皆さん、本当にありがたうございます。
 
このクラスを取りまとめて下さつてゐる、南ゆうこさんの夏至の朗読会が6月20日(水)午前に名張市内で開かれます。
 
言語造形といふことばの芸術に触れてみる、いい機会です。
 
お近くの方、ぜひ、どうぞ。
 
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2018年06月09日

神さまの計らひ


今日、和歌山行きの電車に、堺の三国ヶ丘駅で急いで飛び乗つたら、言語造形の二十五年来の我が師匠にお会ひする。
 
東京から、彼も和歌山での勉強会に講師として呼ばれたために、列車を乗り継いで来られたとのこと。
 
言語造形をしつかりと仕事としていくことのできる人をここ日本で育てていくことについて、どうしていくことがいいのか。
 
そのことが、ここ数か月、意識の真ん中に座り出したこともあつて、そのことを師匠に問ひ、語り合ふことができた。
 
非常に、非常に、有益な小一時間を、共に過ごさせてもらふことができた。
 
神さまは、本当に、計らつて下さつてゐる。
 

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2018年06月07日

7月5日・19日 東京・言語造形で体験する日本の古典文学 〜古事記と万葉集〜


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東京の渋谷区恵比寿にある本屋さん「ちえの木の実」のご協力で、言語造形の2回連続クラスをさせていただきます。
 
この機会に、言語造形を通してからだまるごとで日本の古典文学を味わってみませんか。
 
お申し込み、こころよりお待ちしております。
 
諏訪耕志
 
 
 
 
 
●7月5日(木)18時〜21時
『古事記の文章 〜声から声への伝え〜』
 
 
文学とは、そもそも、声から声への伝えです。
 
天武天皇の御声によってひとりの舎人・稗田阿礼の耳に伝えられた『古事記』。
 
天武天皇は、何に耳を澄まされたのか。それは、神の声です。
 
文学とは、ことばの芸術であり、ことばとは、神から人へと吹き込まれた息吹きであります。
 
わたしたちは、その、いまも、神から吹き込まれている息吹き、そしてことばを、ことばの法則に沿って造形することで、空間に、ことばのお宮、お社を形造っていくことができます。
 
我が国の古(いにしえ)から永遠(とこしえ)へと続く、ことばのお宮創り。
 
言語造形を通して、最古の叙事文学『古事記』を体験してみませんか。
 
 
 
 
 
●7月19日(木) 19時〜21時
『万葉集のうた 〜血に息づく音楽〜』
 

万葉人の血のうちにあったリズム、メロディー、高らかで、かつ穏やかな韻律。
 
万葉の歌においては、そのすべての内なる音楽が、流れる呼吸の動きの中で、彫塑的な輪郭、建築的な力としても取りまとめられ、解き放たれ、絡み合わされます。
 
それらの歌は、ときに、素戔嗚尊のごとく大地の底から湧き上がり突き上げるような力を感じさせ、ときに、天照大御神のごとく明るく澄んだ陽の光の輪舞のなだらかに繰り出す動きを感じさせます。
 
そこには、すでに、とても複雑な光と陰影が交差しています。
  
万葉の歌が、我が国の国語の基準の高さを明確に示しています。
 
万葉の歌の美と格と律をわたしたちも己れのものにしていく。
 
最古の抒情詩歌集『万葉集』を通して、わたしたちは、意識的に、芸術的にみずからの身を修めつつ、言語のみなもとへと再び辿りゆく道を歩み始める、そのきっかけを見いだしていきましょう。
 
 
 
 
言語造形講師:
諏訪耕志( 「ことばの家 諏訪」主宰 )
https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji
 
 
日時:
7月5日(木)、7月19日(木)午後6時から9時まで
 
 
場所:
ちえの木の実 渋谷区恵比寿西2-3-14
http://www.chienokinomi-books.jp/annai/annai.html
 
 
参加費: 
一回のみのお申込み 5000円
7月5日、19日、二回連続のお申込み 9000円
 
 
お問い合わせ:
「ことばの家 諏訪」 https://kotobanoie.net/access/


お申し込み:
https://www.kokuchpro.com/event/tokyo_ws_07/
(paypalクレジット決済)

恐れ入りますが、参加ボタンを押してから 30分以内 にクレジット決済をしていただきませんと、お申し込みが無効になります。どうぞよろしくお願いします。

または下記口座へのお振込みも可能です。

◎ゆうちょ銀行
記号 10260 番号 28889041
諏訪 千晴(スワ チハル)


お振込みの確認をもって、
ご予約完了とさせていただきますので
ゆうちょお振込みの際にはご一報ください。

 
 
主宰:
ことばの家 諏訪 https://kotobanoie.net/
 
 
協賛:
ちえの木の実 http://www.chienokinomi-books.jp/index.html

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2018年06月05日

人の考へる力 (1)


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最後の大著『本居宣長』を書き終へた小林秀雄

わたしたちのむかしむかしのご先祖さまたちのこと、ひいては、神々のことを、「考へる」こと、それが、わたしたちの歴史を織りなしてゐます。
 
科学的に冷たく分析しつつ検証しつつ考へていくことをわたしたちは学問だ、としてゐますが、日本に於ける本来の学問とは、対象について、親しく、愛をもつて、「考へる」こと、それを学問としてきました。
 
歴史とは、過去に於ける、人々の力と力の争ひや殺し合ひのレポートを書き連ねることではありません。
 
わたしたちの歴史とは、わたしたちひとりひとりが、信をもつて、愛をもつて、親しさをもつて、わたしたちのご先祖さまたちが苦労して積み上げて来たものごとについて「考へる」ことから織りなされていきます。
 
そこから、ご先祖さまたちが、何を民族の理想として考へてをられたのかを、現代のわたしたちが追つて考へること、汲みとること、それがとてもたいせつな歴史の学びであります。
 
その観点にこそ、学問が本当に人間的な学問に生まれ変はる可能性が秘められてゐます。
 
そのやうな過去を遡るべく営まれ育まれる「考へる力」が、さらに、未来を創り出す「考へる力」へとなり変はります。
 
未来の人たちに対する信をもつて、愛をもつて、親しさをもつて、「考へる力」へとなり変はります。
 
歴史を考へる力は、未来を創る力へとなり変はります。
 
そのやうな「考へる力」によつて織りなされた歴史こそが、未来の人たちの生きる指針、生きる理想ともなります。
 
 
考へる力は、過去を検証し、自然に潜んでゐる法則を説き明かすものですが、また、いまだこの世には存在してゐないものを新しく産み出す力でもあります。
 
そのやうな「考へる力」を育んでいく。
 
わたしたち現代人の大きな課題のひとつです。
 



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2018年06月02日

見える音楽 〜福間洸太朗氏のピアノ〜


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多国籍の人々で賑はふ四条大橋の上から美しい夕方の鴨川

昨夜は、京都に福間洸太朗氏のピアノを聴きに行く。
 
圧巻のムソルグスキーの「展覧会の絵」。
 
音楽とは、聴きとられた天の楽音だ。
 
からだまるごとで舞ひ上がるフォルム、切り裂く稲妻、満天に瞬く星々のきらめき、宇宙大に屈伸される上腕と十指によつて描かれる色彩。
 
舞台の遥か上、それらは瞬間の閃光のやうだ。
 
音楽が見える。
 
聴き終へたあとの夜の眠りは、再び、拡大された音楽に満たされてゐる。
 
 
 


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2018年06月01日

こころの環境


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皆が皆、横並びになるやうな生き方に甘んじず、ひとりひとり、高みを目指す生き方をすればいい。
 
各々の精神の向きに従つて、男も女も切磋琢磨して己れを磨けばいい。
 
わたしは、先人に学びたい。
 
先人とは、生きてゐる現世の人ではない。
 
この世を去つて数十年、数百年、数千年経つても、厳としてわたしのこころの前に直立してゐる方々である。
 
彼らが残した仕事の価値は、時の流れの試練をくぐり抜けて、今も果てしなく重く、高い。
 
彼らが残したのは、「ことば」である。書かれた「ことば」である。
 
その「ことば」は、ひつそりと静かに慎んでゐながら、それを読みに来る人、聴きに来る人、摑みに来る人を待つてゐる。
 
その「ことば」にあらはれる人のこころに思ひを致すことがたいせつである。
 
そしてこれからは、そのやうなこころが成り立つ環境を配慮しなければと考へてゐる。
 
人のこころを精神に向かつて高く育て上げる環境を創つていきたいと思ふ。
 

 

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2018年05月30日

7月21日(土)くすのき園にて幼児教育夏期講座


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三年前のくすのき園での樋口先生との『子育て談話〜こころからの幼児教育〜』の様子

7月21日(土) 、22日(日)、くすのき園 - 大阪あびこシュタイナー幼稚園 にて、毎夏恒例の幼児教育夏期講座が開かれます。
 
詳しいインフォメーションは、こちら↓
https://kusunokien.exblog.jp/29810705/
 
樋口早知子先生による、手しごと講座、「幼児期の子どもの育ちに大切なこと」講座と並んで、21日(土)午前の時間をわたしは受け持たせてもらひます。
 
幼児期の子どもとの暮らしにとつて、シュタイナー教育がどれほど確かな視座を与へてくれるか、新しい多くの方々とそのことを分かち合ひたいと楽しみにしてゐます。
 
子育て中のお父様、お母様、ご予定に入れていただければ、ありがたいです。

 
ーーーーーーーーーーーー
 
●講座「ことばと子どもの育ち」
7月21日(土) 10:00〜12:00
 
子どもは、ことばと共に育っていきます。
大人が話すことばを全身で聴きながら育っていきます。
大人が営む息遣いに包まれて育っていきます。
 
お話しの朗読や絵本の読み聞かせを通して、わたしたち自身の息遣いとことば遣いを見直してみましょう。
 
そうして、今日から新しく、子どもと一緒にことばの世界を楽しんでいきましょう。
 
諏訪耕志
 
ーーーーーーーーーーーー
 
 

 


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2018年05月29日

7月7日(土)大阪言語造形公演『名人伝』のお知らせ


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中島敦作『名人伝』を諏訪耕志による一人語りでさせていただきます。
 
空間に拡がることばの芸術を味はつていただきたく、舞台に臨みます。
 
なにとぞ、どうぞ、御来場のほど、よろしくお願ひ申し上げます。お待ちしてをります。
 
 

 
 
名人といふ存在。

それは、数限りない練習や稽古や試合や実践といふものを通して、「人といふもの」をどこまでも追ひ求めていくことから開けてくる、ある位相ではないでせうか。
 
神と人とが重なり合つて生きる姿。
 
精神と肉体とがひとつになつて生きてゐる姿。

中島敦の名作『名人伝』のその位相をできうる限り紛らはすことなく語りでお伝へできたらと念つてゐます。
 
 

●言語造形:諏訪耕志 


●日時:7月7日(土) 開場2時 開演2時30分 終演予定4時


●場所:大阪市立住吉区民センター 集会室4


●参加費:ご予約 3000円  当日 3500円


●お申込み:「ことばの家 諏訪」
https://www.kokuchpro.com/event/mejinden/
 ↑
こちらのページの「申込む」ボタンよりお願いいたします。
 
ボタンを押してから 30分以内 にクレジット決済をしていただきませんと、お申し込みが無効になりますのでお氣をつけください。
 
また口座振込をご希望の場合は
下記口座へお振込の上、ことばの家へご一報くださいませ。

 ◎ゆうちょ銀行  
 記号 10260 番号 28889041 
 諏訪 千晴(スワ チハル)
 
お振込の確認をもって、ご予約完了とさせていただきます。
 



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2018年05月28日

二年目に入りました『普遍人間学を深める会@滋賀』


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滋賀県草津市での月に一回の『普遍人間学(ルドルフ・シュタイナー)を深める会@滋賀』。
 
今日から二年目に入りました。
 
子育て真っ最中のとてもお忙しい中、来て下さつて学び続けてゐるおひとりおひとりの方の熱くて、純粋な思ひ。
 
それは、とても尊くて、この尊さこそが、2020年代、2030年代、2040年代を生きていく子どもたちの生を支へる、精神の力なのです。
 
お母さん方に加へ、お父さん方もご参加し始めてをられます。
 
わたしたち大人自身が、己れの〈わたし〉を育てていく。
 
そこに、この人間学の眼目があります。
 
その人間学の学びこそが、子どもの成長を支えていく何よりの礎になるのです。
 
 

●次回からの開催日程

6/25(月)、9/26(月)、10/29(月)、11/26(月)、
12/17(月)、1/28(月)、2/25(月)、3/11(月)
 
 
●時間:9:45〜12:15(12:15〜12:45までお昼ごはんを食べながらシェアタイム)
 
 
●場所:滋賀県草津市内 個人宅
 
 
●参加費:
単発受講者 3,000円
連続受講者 2,500円×回数(6月から12月までの計5回分)=12,500円
※講師費用と冬場は暖房費を人数割でお支払いお願いします
※ご夫婦はお一人の参加費で一緒に参加していただけます
 
 
●お問い合わせ:諏訪耕志 https://kotobanoie.net/access/

 
 
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写真を撮つて下さり、どうもありがたうございました。
  
 

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2018年05月27日

こころのこよみ(第8週) 〜聖霊が降り給ふ日々〜

 
 
感官の力が長けゆく、
 
神々の創り給ふものに結びつけられて。
 
それは考へる力を沈める、
 
夢のまどろみへと。
 
神々しいものが、
 
わたしのこころとひとつにならうとする時、
 
きつと人の「考へる」は、
 
夢のやうなありやうの中で、静かに慎んでゐる。
 
           ルドルフ:シュタイナー

 
 
Es wächst der Sinne Macht          
Im Bunde mit der Götter Schaffen, 
Sie drückt des Denkens Kraft           
Zur Traumes Dumpfheit mir herab.
Wenn göttlich Wesen           
Sich meiner Seele einen will,
Muß menschlich Denken  
Im Traumessein sich still bescheiden. 
 
 
 
 
感官の力(見る力や聴く力など)は、ものに吸ひ寄せられてしまふこともあるだらう。たとへば、テレビやこのコンピューターの画面などに。
 
しかし、ものに吸ひ寄せられたままではなく、感官の力を、もつと意識的に、意欲的に、働かせ、じつくりと腰を据ゑて、何かを見る、何かに耳を澄ませてみる・・・。
 
考へる力が鎮められ、沈められる位、見てみる、聴いてみる。
 
見れど飽かぬも、まさに、見てとればいよいよ飽かぬも。なぜ、飽かぬのだらうか。それは、見てとる、見る、見ゆ、に先立つて、愛するがあるから・・・。そのとき、そのときの、「愛する」から、からだのおほいさ、実用の大事さが披かれる。
 
その時のこころのありやうは、むしろ、「『考へる』は、夢のやうなありやうの中で、静かに慎んでゐる」と表現することがぴつたりとする。
 
さうすると、わたしたちは、何を受け取り、どのやうに感じるだらう。
 
一週間前から、聖霊降臨祭の週であつた。
 
約二千年前、十字架刑の三日後にキリストは甦り(復活)、その後四十日間に渡つてキリストは精神のからだをもつて現はれ、当時の弟子たちに親しく語りかけたといふ。
 
しかし、キリストはその後十日間、弟子たちの前からその姿を消したといふ(昇天)。
 
その十日の間、弟子たちは「夢のやうなありやうの中で静かに慎んで」ゐた。
 
ひとところに集まつて、静かに熱く、しかし夢にまどろんでゐるやうなありかたで祈つてゐた。
 
そして、聖霊降臨の日、それは聖霊(聖き精神)が、ともに集つてゐる弟子たちに初めて降りてきて、弟子たちがさまざまな言語をもつて(個人個人がおのおの自分のことばで)、そのキリストのことばとしての聖き精神を語り始めた日だつた。
 
前週において、「さあ、来たれ、わたしの予感よ、考へる力に代はつて」とみづからの精神に呼びかけた。
 
その「予感」への呼びかけとは、こざかしく考へることを止めて、より大いなるものからの流れ(世の考へ・キリストのことば)に耳を傾けるといふ行為だつた。
 
それは、「静かに慎む」ありやうをもつて、みづからを浄めつつ待つといふ行為でもある。
 
二千年後のわたしたちは、考へる力が失はれてくる春から夏へのこの季節においても、そのやうな備へをしようとアクティブにみづからをもつていくならば、「神々しいものが、わたしのこころとひとつになる」聖霊降臨祭を、自分たちのいまゐる場所で立てていくことができるかもしれない。
 
「すべては神々の創り給ふものである」「神々しいものとこころがひとつになる」といつたことを、読む、言ふにとどまらず、予感し、実感し、見て、そのことを生きていくために、からだを通して、実際の練習を意識的にしつづけていくことの大切さを感じる。
 

 
 
感官の力が長けゆく、
神々の創り給ふものに結びつけられて。
それは考へる力を沈める、
夢のまどろみへと。
神々しいものが、
わたしのこころとひとつにならうとする時、
きつと人の「考へる」は、
夢のやうなありやうの中で、静かに慎んでゐる。


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2018年05月25日

『和歌(うた)を学ぶ会』〜萬葉人の血〜


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萬葉集から日本のことばの芸術の粋を学ぶ『和歌(うた)を学ぶ会』。
 
萬葉人の血のうちにあつたリズム、メロディー、高らかで、かつ穏やかな韻律。
 
萬葉歌にをいては、そのすべての内なる音楽が、流れる呼吸の動きの中で、彫塑的な輪郭、建築的な力としても取りまとめられ、解き放たれ、絡み合はされます。
 
それらの歌は、ときに、素戔嗚尊のごとく大地の底から湧き上がり突き上げるやうな力を感じさせ、ときに、天照大御神のごとく明るく澄んだ陽の光の輪舞のなだらかに繰り出す動きを感じさせます。

そこには、すでに、とても複雑な光と陰影が交差してゐます。
 
萬葉人が、我が国の国語の基準の高さを明確に示してゐます。
 
「ことばの家 諏訪」で、わたしたちは、道を探してゐます。
 
意識的に、芸術的にみずからの身を修めつつ、萬葉人が生きたことばの美と格と律を己れのものにする道を。
 
分別に仕へるための言語ではなく、言語のみなもとへと再び辿りゆく道を。
 
今週の水曜日のクラスでは、萬葉集第一巻から、額田王によるいくつかの歌、その他の歌を稽古しました。
 
来月も、第一巻から引き続き、とても重要な数々の歌を、机上ではなく、からだまるごとで学んでいきます。
 
 
●和歌を学ぶ会 https://kotobanoie.net/yamatouta/
 

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2018年05月22日

こころのこよみ(第7週)〜吹き込まれ、そして解き放たれる息〜

  
わたしのわたしたるところ、
  
それはいまにも離れ去らうとしてゐる、
 
世の光に強く引き寄せられて。
 
さあ、来たれ、わたしの予感よ、
 
あなたの力に満ちたふさわしさの中に、
 
考へる力に代はつて。
 
考へる力は感官の輝きの中で、
 
みづからを見失はうとしてゐる。

      ルドルフ・シュタイナー

 
 
 
Mein Selbst, es drohet zu entfliehen,
Vom Weltenlichte mächtig angezogen.
Nun trete du mein Ahnen
In deine Rechte kräftig ein,
Ersetze mir des Denkens Macht,
Das in der Sinne Schein
Sich selbst verlieren will.
 
 
 
芸術への感覚、芸術を生きる感覚といふものは、どの人の内側にもある。

ただ、それは意識して育まれることによつて、だんだんとその人のものになり、表に顕れてくるものだらう。
 
その感覚を育むほどに、この『こころのこよみ』を通しての密(ひめ)やかな学びにもリアリティーが生まれてくる。
 
人は、芸術に取り組むとき、ある種の息吹きを受け、それを自分の中で響かせ、そしてその息吹きを解き放つていく。大きな呼吸のやうな動き、風の動きの中に入つていく。

そのやうな大きな息遣ひと自分自身の小さな息遣ひとがひとつに合はさつていくプロセスが、芸術における創造行為だと感じる。

言語造形をしてゐて、そのことをリアルに感じるのだが、きつと、どの芸術のジャンルでも、さうではないだらうか。そして、つまるところ、人が意識してする行為といふ行為が、きつと、芸術になりえる。
 
シュタイナーは、そのやうな、芸術をする人に吹き込まれる息吹きを、インスピレーションと呼んだ。
 
そしてそのインスピレーションから、今度は息を吐き出すやうに何かを創ることが芸術である。
 
わたしたちの地球期以前の、月期からさらに太陽期に遡るときにおいて、世に、物質の萌しとして、熱だけでなく、光と風が生じた頃に、人は、インスピレーションを生きてゐた。(Inspiration は、ラテン語の insprare (吹き込む)から来てゐる)
 
人は芸術を生きるとき、その太陽期からの贈りものとして、光と風を、いまや物質のものとしてではなく、精神のものとして、インスピレーションとして、感じる。
 
 わたしのわたしたるところ、
 それはいまにも離れ去らうとしてゐる

 
一年の巡りで言へば、わたしたちは、秋から冬の間に吸ひ込んだ精神の息、精神の風、「インスピレーション」を、春から夏の間に解き放たうとしてゐる。
 
秋から冬の間、「わたしのわたしたるところ」「考へる力」はそのインスピレーションを孕(はら)むことができたのだ。
 
「いまにも離れ去らうとしてゐる」とは、春から夏の間のこの時期、インスピレーションを孕んだ「わたしのわたしたるところ」「考へる力」が変容して、意欲の力として、からだを通して表に顕れ出ようとしてゐる、大いなる世へと拡がつていかうとしてゐるといふことでもあるだらう。
 
  世の光に強く引き寄せられて
 
その精神の吐く息に連れられて、拡がりゆく「わたしのわたしたるところ」「考へる力」は、外の世においてみづから空つぽになるほどに、光の贈りものをいただける。
 
その光の贈りものとは、「予感」といふ、より高いものからの恵みである。
 
  さあ、来たれ、わたしの予感よ、
  あなたの力に満ちたふさわしさの中に、
  考へる力に代はつて。

 

芸術とは、インスピレーションといふ世の風に吹き込まれることであり、予感といふ世の光に従ふことである。練習を通して初めてやつてくる予感に沿つていくことである。練習とは、身を使ふことである。
 
インスピレーションを孕んだ考へる力が、まづは頭から全身に働きかける。その精神の息吹きを、練習によつて、解き放つていく。その息吹きが練習によつて解き放たれるその都度その都度、予感が、光として、ある種の法則をもつたものとしてやつてくる。
 
インスピレーションが、胸、腕、手の先、腰、脚、足の裏を通して、息遣ひを通して、芸術として世に供され、供するたびに、芸術をする人はその都度、予感をもらえるのだ。
 
この小さな頭でこざかしく考へることを止めて、やがて己に来たるべきものを感じ取らうとすること。
 
こざかしく考へることを止めること。「さあ、来たれ、わたしの予感よ」と精神に向かつて呼びかけつつ、動きつつ、待つこと。それは、秋から冬の間、明らかに紛れなく考へる働きとは趣きがまるで違ふが、アクティビティーにおいては、それに負けないぐらゐの強さがゐる。
 
世から流れてくるものを信頼すること。
 
そして、そのやうな、身の働きの中で、芸術行為の中で、予感が恩寵のやうにやつてくる。
 
だから、この季節において、考へる力は、感官の輝きの中で、手足の働きの中で、意欲の漲りの中で、見失はれていいのだ。
 
  考へる力は感官の輝きの中で、
  みづからを見失はうとしてゐる。

 
 
 
わたしのわたしたるところ、
それはいまにも離れ去らうとしてゐる、
世の光に強く引き寄せられて。
さあ、来たれ、わたしの予感よ、
あなたの力に満ちたふさわしさの中に、
考へる力に代はつて。
考へる力は感官の輝きの中で、
みづからを見失はうとしてゐる。


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2018年05月21日

あそべ をさな子よ


世界といふものは、人を通して、ものごとを通して、ある勢力をもつて、わたしの内側へ押し寄せ、なだれ込んでくる。
 
しかし、こちらの努力が幾層にも積み重ねられてゐれば、なんにも怖くない。
 
しつかりと、立つてゐられる。向かひ合へる。取り組むことができる。そして、こちらのものにすることができる。
 
だから、努力できるといふことは、ありがたいことだ。
 
頑張つて準備できる意欲があるといふことは、何にもましてありがたいことだ。
 
この意欲の力がわたしの内側に根付いてゐるのは、おそらく、子どもの頃、たくさん遊ばせてもらへたからだ。

 
生涯を生き抜いていく力の秘密は、子ども時代にある。



をさな子よ その草深野(くさふかぬ) 踏みしめよ
時つらぬきて おほぞら拓けよ

 
諏訪耕志

 

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2018年05月20日

文学サロンとしての百年長屋


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大阪の玉造にある百年長屋での言語造形クラス。
 
この春で、もう丸四年。不動のメンバーです。
 
皆さん、教師をされてゐた方々。
 
その豊穣な経験から来るふところの深さだけでなく、果敢なチャレンジ精神たるや!
 
古典から現代のものまで、様々な文学作品に毎回チャレンジされて、肉声のことばの響きによる文学サロンと化してゐます。
 
講師のわたし自身、この百年長屋での時間、楽しくて仕方がありません。
 
この百年長屋は、落語や浪曲、講談、狂言などの日本の古くからの語り芸の他、源氏物語の勉強会、水彩画教室や書道教室、オルガン演奏会など、様々な文化の発信地となつてゐます。

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2018年05月19日

わらしべの瞳


次女のかさねと遊ぶために、小学四年生の同じクラスの男の子が我が家に訪ねて来た。
 
かさねが家にゐなかつたので、わたしが玄関に出てその子としばらく話しした。
 
その時のその子の瞳の力が物凄く感じられて、わたしは全身に強く輝く光を浴びたやうに感じた。
 
ちょつとたじろぐ位だつた。
 
 

わらしべの 我にもの言ふ そのまなこ
黄金(こがね)輝き 神しゐませり

 
諏訪耕志
 

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2018年05月18日

朝のメディテーション


清らかな光が溢れ出る

大いなる神が輝いてをられる

あらゆるものへの清らかな愛

わたしのこころも神の如く輝く

わたしは大いなる神と共に安らふ

わたしはわたしみづからを見いだす

大いなる神に包まれて

     ルドルフ・シュタイナー



朝の静けさの中で、この七行の文をこころに唱えて、一日を始めます。

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2018年05月17日

新横浜にて 若い人たちとの言語造形


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今日は、新横浜で朝から夕方まで言語造形。
 
社会人になつたばかりの23歳から25歳までの14名の方々と。
 
自分が選んできた文学作品を朗読することに挑戦してもらつたのだが、これまでの学校生活では、文字を間違ひなく発音することは教へられて来ただらうが、ことばを美しく話すことは全く教へられては来なかつたと思ふ。
 
だから、はじめは、皆とても早口で、ことばの味、ことばの美しさ、ことばの力を表現することができない。
 
しかし、若い人はとても柔軟で、文章に沿つて共に身体を動かしながら、息を解き放ちつつ、声を出していくうちに、見る見る、ことばの話し方が変はつてくる。
 
これから様々な仕事の局面で、人前に出てパブリックなスタイルで話しをすることがだんだんと増えてくるだらうが、今日の体験を想ひ出し、活かしてもらへたらと思ふ。
 
朝から夕方までへとへとになりながらやつて来て、最後に、自分自身が書いた、自分自身についての文章を言語造形をもつて声にしてもらつた。
 
それはそれは皆、目覚ましいばかりの素晴らしい表現だつた。
 

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2018年05月16日

びくともしない美しさ

 
正岡子規といふ人が、毛唐の大砲や軍艦をもつて攻めてきても、びくともしない日本文芸を作るのだ、と、どこかに書いたさうです。
 
明治の人のことばですので、いま、聞くと、二重にも、三重にも、訳が分からず、藪から棒、奇妙奇天烈に感じられるでせう。
 
これは、人のこころの奥深くに育むべき精神は必ず土着のものでなければならない、といふことを言つてゐます。
 
自分の国の古典作品に出会つていくことは、外国作品に出会つていくことよりも、いまは縁遠いことのやうに感じられます。
 
しかし、自国の古典や物語はほとんど知らず、他国の作品には親しんでゐる、そのありやうは、どう考へても、おかしくはないでせうか。
 
自分の国の文物に対する縁遠さは克服していつていいのではないか。
 
言語造形をすること、言語造形を聴くことをもつて、我が国の昔話や古典作品に向かい合ふひとときを重ねていくことができます。
 
そしてだんだんと、この国に暮らしてきた先つ祖(さきつおや)たちの、こころのありように親しみを感じてきます。
 
そのやうに文学に親しんでいくことから、だんだんと、自国の歴史といふものを、情でもつて受け止めてゆく。
 
歴史といふものを、闘ひと殺戮の事件報告ではなく、人が大切な何かを、誰かを、愛さうとしたことを伝へる、精神からの叙事文学であり、抒情文学なのだと捉へる練習を重ねていくのです。
 
先つ祖(さきつおや)たちが歩んできた文化の営みを尊び、愛するほどに、きつと、未来の人たち、未来の子どもたちの暮らしに対する責任の情も、おのづから高まつてきます。
 
それが、過去の人たちと未来の人たちを繋ぐ、わたしたち現在に生きる者の、国に対する愛、地球に対する愛なのではないかと、個人的に捉へてゐます。
 
愛する気持ちだけが、栄えさせる。己れを愛するものだけが、己れを栄えさせるやうに、家族を愛する者が、家族を栄えさせるやうに、国を愛する者が多ければ多いほど、その国は栄えてゆくでせう。
 
ひとつの国が栄えるとは、覇権を誇ることではなく、暖かく開かれたこころと精神がおのづから湧き上がつてくることですし、それは世界まるごとが栄えることに繋がつてゆくことでせう。
 
ひとつの国が栄えるとは、静かに己れの分を守り、己れを愛するほどに他を尊び、静かに他と和することができる、そんな精神のありようが時と共に益々顕れてゆく、といふことです。
 
過去、何千年にもわたつて、日本の美しさは、米作りを中心にした暮らしの中に息づいてゐました。
 
米作りの暮らしから折々の祭りが営まれ、ことばが神と人とを繋ぐ美しさを備へてゐました。
 
そのことばの美しさ、暮らしの美しさがこれからも守られ、育まれるほどに、他国の人から喜びと尊崇の念いとが寄せられるでせう。
 
ケニア人も、アメリカ人も、フランス人も、ロシア人も、中国人も、すべての外国人たちにとつて、日本人おのおのが己れのこころの奥底に流れてゐる美を自覚し、日本で暮らすといふことが独自の美しさを取り戻すほどに、そのことは尊い喜びになるでせう。
 
美しさは儚いものだと言ひますが、あへて、云ふなら、びくともしない美しさ。それこそが土着の精神です。
 
それは、ひとりひとりの人がちよつとしたきつかけを得て、暮らしの中で実践し、発展させてゆくことのできる、文化創造です。
 

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2018年05月14日

名張市での言語造形クラス第一回目でした


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今日は、三重県名張市での言語造形クラス第一回目でした。
 
ことばとは、そもそも芸術である。
 
芸術とは、人と世の秘密を披いていくものである。
 
そんなことばから、今日のクラスを始めました。
 
ことばとは、その発声に取り組めば取り組むほど、ことばそのものの秘密、それを発声してゐる人の秘密、そのことばによつて描かれようとしてゐるものごとの秘密を、だんだんと明かすやうになる、まさしく神から人だけに与へられてゐる「自然」です。
 
そんなことばをすぐに直感で理解してくれる人たちばかりでした。
 
日本に於いて芸術とは、すべて、「道」です。
 
今日は、その「道」の入り口を少し覗いてみる時間でした。
 
今日が記念すべき第一回目のクラス。長く「道」を歩いて行くクラスになればいいなあと思ひます。
 
 
さう言へば、わたしがまだ若くて、随分精神的に未熟だつた頃、フォルメン線描といふ、シュタイナー芸術のレッスンに出た時、わたしが、今から思えば非常に「つまらない」質問を先生にしたことを想ひ出します。
 
すると先生は、「づべこべ言はずに、手を動かせ」と厳しくわたしに言ひました。
 
まだ三十代前半の若い女の先生でしたが、なぜだか、すぐにわたしは羞恥心と共に、「これは、道なのだ」と直感しました。
 
わたしは、日本人のさういふ先生に教へてもらへたことを幸運に思ひます。
 
言語造形も、「道」です。
 
わたし自身が、その「道」をしつかりと歩いて行くための稽古を毎日続け、さうして、毎日、少しづつでも、ことばといふものの秘密を披いていくことこそが、わたしに、ことよさしされてゐることなのです。
 
 

 
 
●名張言語造形クラス 
 
毎月第2月曜日 10時〜12時30分
(今年度は、10月、1月、2月、3月のみ、第三月曜日)
 
参加費  
学期の最初に学期ごとの参加費(4000円×回数分)をまとめてお支払いいただきます。(お休みの際、返却はできませんのでご了承ください)(講師料、場所代含む)
     
初回体験 4500円
 
お申し込みは
 
1期/ 5月14日、6月11日、7月9日 (8月はお休み)
2期/ 9月10日、10月15日、11月12日、12月10日
3期/ 1月21日、2月18日、3月18日

 
持ち物 各自、声にしたい作品をお持ちください
 
場所  名張市桔梗が丘 「ゆいのいえ」
(お申込みいただいた方に詳しい住所をご連絡させていただきます)
 
お問い合わせ お申込み 
メール yuju30@hotmail.com(南)
電話 06-7505-6405 (ことばの家 諏訪)
 

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2018年05月13日

和歌山 キリスト生誕劇創り始まりました


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和歌山県岩出市のMitteの庭のキリスト生誕劇創りが今年のクリスマスに向かつて始まりました。
 
この劇創りに参加することを決めたお母さん方の情熱とまっすぐに伸びていく声と笑顔!
 
子どもたちも、これからだんだんと、おほらかに伸び伸びと声を響かせる練習をしていきます。
 
「静かさと敬虔さと穏やかなユーモアに満ちたクリスマスの夜。こんな年の暮れの過ごし方があるのか」
 
そんな想ひを、和歌山の多くの人と分かち合ふために生誕劇創りに取り組んでいきます。
 
 
 
 
以下に、Mitteの庭の記事をシェアさせてもらひます。
 
ーーーーーーーーーー
 
第2回目のえんげき塾。
 
こどもたちは親子で、手足を動かしながら詩やわらべ歌などを唱えます。
 
大人たちは、本格的に生誕劇の練習に入りました。
 
みな、宗教とは関係なく、この生誕劇に取り組む意味を感じています。
 
クリスマスに向けて、私たち自身の中にある幼子に光を当てながら、ともに創っていくこの生誕劇。
 
そこには、信頼と対話が間違いなく必要です。
 
恐れず私のことばを放つこと、人とつながることで、私たちはまた新たな気づきををたくさんもらいます。
 
みなが演劇を通して自由になること、それぞれの光が輝き出し、そしてそこが信頼を育んでいく場になることが何より幸せなことなのです。
 
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2018年05月12日

こころのこよみ(第6週) 〜生活の中に根付いてゐる信仰〜


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己れであることから蘇る、
 
わたしのわたしたるところ。そしてみづからを見いだす、
 
世の啓けとして、
 
時と場の力の中で。
 
世、それはいたるところでわたしに示す、
 
神々しいもとの相(すがた)として、
 
わたしの末の相(すがた)のまことたるところを。
 
ルドルフ・シュタイナー

 
 
Es ist erstanden aus der Eigenheit  
Mein Selbst und findet sich
Als Weltenoffenbarung             
In Zeit- und Raumeskräften;         
Die Welt, sie zeigt mir überall
Als göttlich Urbild
Des eignen Abbilds Wahrheit.

 

じつくりと見る。
じつくりと聴く。
じつくりと受けとる。
 
そのやうに世に向かつて、人に向かつて、意識的に感官を開くほどに、世も人も、ものものしく語りだす。
 
そして、世と人に向かつて我が身を披けば披くほど、我がこころが起き上がつてくる、立ち上がつてくる、蘇つてくる。
 
たとへば、幼い子どもを育ててゐるとき、大人の忙しさについつい子どもを巻き込んでしまうことがある。
 
そんな時、よく子どもは大人の意嚮にことごとく反発して、ぐずつたり、泣きわめいたりする。
 
しかし、この「忙しさ」といふこころの焦りに、大人であるわたしみづからが気づけた時、目の前の子どもにじつくりと眼を注ぐことができた時、子どもの息遣ひに耳をじつくりと傾けることができた時、子どもが落ちつくことが、よくある。
 
そんな時、子どもがいつさう子どもらしく輝いてくる。その子が、その子として、啓けてくる。
 
そして、さうなればなるほど、眼を注いでゐるわたし自身のこころも喜びと愛に啓けてくる。わたしが、わたしのこころを取り戻してゐる。
 
子どもを育ててゐる毎日は、そんなことの連続。
 
きつと、子どもだけでなく、お米その他の作物をつくつたり、育てたりすることにおいても、それを毎日してゐる人には、同じやうなことが感じられてゐるのではないだらうか。
 
子どもがゐてくれてゐるお陰で、他者がゐてくれてゐるお陰で、ものがあつてくれるお陰で、わたしはわたしのわたしたるところ、わたしのまことたるところを見いだすことができる。
 
他者といふ世、それはこちらが眼を注ぎさへすれば、いたるところでわたしにわたしのまことたるところを示してくれる。
 
他者に、世に、わたしのまことたるところが顕れる。
 
そのことも、不思議で、密やかで、かつリアルなことだが、そのわたしのまことたるところが、神々しい元の相(すがた)に相通じてゐることに気づいていくことは、あらためて、信仰といふことに対する親しさをわたしたちに与へてくれる。
 
生活の中に根付いてゐる信仰。
 
日々、つきあつてゐるものといふものや他者を通してこそ、啓いていくことができる信仰。
 
我が国の信仰は、昔からさうであつた。
 
 
 
己れであることから蘇る、
わたしのわたしたるところ。そしてみづからを見いだす、
世の啓けとして、
時と場の力の中で。
世、それはいたるところでわたしに示す、
神々しいもとの相(すがた)として、
わたしの末の相(すがた)のまことたるところを。

 

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2018年05月11日

演劇の醍醐味 〜生誕劇の稽古から〜


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言語造形による演劇の醍醐味は、俳優同士の呼吸と呼吸が織りなし合つて、精神的だけれども確かにリアルに存在するひとつの演劇空間を創り出していくことです。
 
一人の俳優がセリフを話してゐるとき、もうひとりの俳優もそのことばと息遣ひに全身で聴きながら、己れが話してゐるかのやうに共に動き続けることで、共同で太く活き活きとしたひとつの息遣ひの流れを生み出していきます。
 
今日の生誕劇の稽古でも、はじめのうちはひとりひとりが自分の内からまだ充分には出られず、息遣ひといふ大きな河の流れを生みだせずにいたのが、時間をかけていくうちにだんだんと各々が自分自身のこころとからだから解き放たれて、ともなる息遣ひの世界に生き始めたこと、写真からも見てとることができます。
 
はやくも今年のクリスマスの日の、わたしたちの新嘗祭(にひなへのまつり)を目指して、わたしたちは、先立つて、自分たちの田を耕し始めてゐます。

演劇の仲間に入つてみたい方、どうぞ一度、生誕劇クラス体験にお越しになられませんか。
 
 
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2018年05月09日

春過ぎて・・・


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足引きの 卯月の山を 越え来たり
駆け入る五月(さつき) 緑したたる

 
一日(ひとひ)ごと 移らう春の ながめかな
されどこころに 杖衝き立てむ


 
諏訪耕志

posted by koji at 22:49 | 大阪 ☀ | Comment(0) | うたの學び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乙女座からの贈り物


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先日のシュタイナー教員養成講座でもお話しさせてもらつたのだけれど、子どもたちだけでなく、まづわたしたち大人自身が、ものをよく「みる」こと、じ〜つと「みる」ことから始めることの意味深さ。
  
 
「みる」といふことばの底には、「愛(め)づ」「愛(め)でる」といふ極めて感情的・意欲的なことばが息づいてゐる。「愛(め)づ」といふことばから「めづらし」といふことばも生まれる。
 
人は、何でも見てゐるやうに思ひ込んでゐるが、愛してゐるものしか、実は見てゐないし、見えてゐない。
 
何かを「愛でる」。だからこそ、その何かを「みる」ことができる。
 
その「みる」といふことばは、他の動詞に付くことでその行為をますます意欲的な行為へと押し進める。
 
「触れてみる」「動いてみる」「立つてみる」「嗅いでみる」「味はつてみる」「見てみる」「湯加減をみる」「聴いてみる」「話してみる」「感じてみる」「考へてみる」「会つてみる」・・・。
 
おほよその動詞に付くことのできる「みる」。
 
人がその意欲的な行為をするための働きを、大いなる世から与へてくれてゐるのは、乙女座のお宮である。
 
乙女座。それは永遠の乙女であり、永遠の女性性であることの宇宙的表現である。
 
「みる」といふ行為は、対象に光を当てる働きであり、光を当てることによつて、その対象からその対象たるところ、本質といふものを引き出す愛の働きである。
 
だから、「みる」は多くの動詞に付くことで、その行為を意欲的なものに、愛に満ちたものにする。
 
 
 
本を読むとき。
 
本といふ人格と精神が総動員されてゐるものを、まづは、徹底的に信頼して、愛して、目を皿のやうにして愛でて読むことによつて、本は秘めてゐる秘密を初めて打ち明けてくれる。
 
さうして、そんな「みる」といふ意欲的・感情的な行為から、やがてゆつくりと「考へる」「知る」といふ対話的行為へと、こころが深まつてゆく。
 
そんな行為にいざなふ本こそが、読むべき本だと感じる。
 
 

昔の日本人は、そんな「みる」力を相当強く養つてゐたやうだ。
 
結婚するために、「お見合ひ」をする。
 
そのとき、相手の年齢や職業などをそこそこ弁えるだけで、あとは、ほとんど、「一目でみて」決めてゐた。
 
相手の趣味や収入や性格やその他様々な情報などは置いておき、たつた「一目みて」こころを決める力を持つてゐた。
 
さういふこころの力を育むことが教育の基だと念ふ。
 

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2018年05月08日

双子座からの贈り物 〜天の香具山にて萬葉の歌を歌ふ〜


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お天気に恵まれたゴールデンウィーク、わたしたちは最後の日に、天の香具山の上で萬葉集の歌をはるばると大和の国を見晴るかしながら歌つたのでした。
 
最寄りの駅から香具山まで歩いてゐて、数羽のひばりが田や畑の地から盛んに囀りながら空に向かつて舞ひ上がつてゐました。
 
わたしたちを迎へてくれてゐるなあ、と感じたものです。
 
萬葉集の歌は、我が国のことばの芸術の最高のものだと思ひます。
 
ことばの芸術、それはそもそも、人と人との間で歌ひ交はされるものです。さらには、人と神との間で歌ひ交はされるものです。
 
ことばのお宮、それは双子座にあります。
 
ふたりの子どもが、無心になつて遊んでゐる。
 
そんな遊びの中でこそ、ことばが美へ向かつて息づきはじめます。

遊びといふ遊びは、つまるところ、美へと向かひます。
 
子どもは、美を求めて、遊び続けます。
 
そして、すべての子音は、そもそも世とはこんなにも美しいものなのだということを伝へようとしてゐます。
 
すべての母音は、そもそも人のこころとはこんなにも美しいものなのだといふことを伝へようとしてゐます。
  
大いなる世、マクロコスモスでは、双子のお宮が、ことばを聴きあひ、歌ひあふための感官の働きを、人といふミクロコスモスに贈り物として授け続けてゐます。
 
ルドルフ・シュタイナーとマリー・シュタイナーも、双子が遊ぶやうにして、そんな言語造形といふことばの芸術を産み出したのでせう。
 
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2018年05月07日

江崎道朗氏講演『激動の東アジア、日本の命運』に参加して


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ものごとを現実から取り出すといふことに、
〈考へ〉をつなぐことが最も下手なのが、
社会主義を理論に於いて導かうとしてゐる人たちです。
 
その理論は、
ことばの説き明かしの堕落した形の最たるものです。
 
さういふ人たちは、
現実の何がしかをわきまへてゐるつもりですが、
その人が話し始めると、
空っぽなことばの殻をもつてやりくりします。

 
ーーーーーー
 
上のことばはルドルフ・シュタイナーが『普遍人間学』講座、第七講で話してゐることです。
 
できうる限り、現場に於いて、ものをよく観ること、よく聴くことを基にして、ものごとを現実から取り出すことがどれほど大切か。
 
そのことを近現代史研究家であり、国家安全保障の専門家である江崎 道朗 (Michio Ezaki)氏の講演で、眼から鱗が落ちるやうなお話しと共に今日は学ぶことができた。
 
【正論サロン 江崎道朗氏講演『激動の東アジア、日本の命運』】
 
世には、政治といふ極めて熾烈なバランス感覚を働かせながら、人と人とを結び、国と国とを結ぶために骨身を削つて行はざるをえない仕事がある。
 
さういふことがらについて本で読むだけでなく、今日のやうに、著者ご本人の生の声で学ぶことのできるありがたさよ。
 
この国の文化、暮らしに息づいてゐる人々のこころの安らかさと確かさと健やかさを、わたしも守つて生きていきたい。
 
そのための学びをこれからの日々、懸命に進めていきたい。

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2018年05月05日

泉佐野での三日間連続、シュタイナー教員養成講座


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大阪泉佐野でのゴールデンウィーク三日間連続のシュタイナー教員養成講座。三日間、この赤ん坊もずつとつきあつてくれました。『古事記』の言語造形をしてゐる間も、ずつと笑ひながら、はいはいして、もう、可愛くて可愛くて。
 
参加者の皆さんも、『普遍人間学』、言語造形、共に活き活きと取り組んで下さり、皆さんの熱とわたしの熱が混じり合ひ、嬉しくありがたい限りでした。
 
アントロポゾフィーは、認識の道にせよ、芸術の道にせよ、人をできうる限りのアクティビティーへと促します。
 

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2018年05月01日

古事記の文章


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古事記の文章。
 
それは、天武天皇の御声によつてひとりの舎人・稗田阿礼の耳に伝へられたもの、口から耳へと伝へられたものです。
 
それから約三十年後、阿礼の声が太安万侶の筆によつて文字に書き起こされました。
 
そして、さらに千年以上後になつて、江戸近世の国学者・本居宣長によつて初めてふさはしい光を当てられ、それ以降、多くの学者や芸術家にインスピレーションを与へ続けてきただけでなく、皇室のありやうを密かに支へてきたのです。
 
天武天皇は、何に耳を澄まされたのか。
 
それは、神の声です。
 
文学とは、そもそも、声から声への伝へであり、神の声を聴きとることから生まれるものです。
 
日本の文学は、ここに発します。
 
文学とは、ことばの芸術であり、ことばとは、神から人へと吹き込まれた息吹きであります。
 
わたしたちは、その、いまも、神から吹き込まれてゐる息吹き、そしてことばを、ことばの法則に沿つて造形することで、空間に、ことばのお宮、お社を形造つていくことができます。
 
わたしたちは、造形されたことばを聴くことによつて、ことばのお宮、お社の中に包まれてゐることを体感します。
 
 
 
今回の『古事記(ふることぶみ)の精神』では、冒頭の箇所、「天地(あめつち)の初発(はじめ)」のくだりを、参加された皆さんとで、ことばを造形しながら発声してみました。
 
高天原にまします五柱(いつばしら)の「別(こと)天神(あまつかみ)」の御名を言語造形する。
 
それは、その文章が、まさに神のことば・神語であることを予感・体感するのにあまりある時間と空間を生み出します。
 
その調べは、日本書紀の該当する箇所と比べても、随分と違つてゐます。余計な飾り立てることばがなく、文体は引き締まつてをり、格調高く、詩美の風雅(みやび)が湛えられてゐます。
 
神々の御名を唱へることが、「なむまいだぶ」と唱へることよりはるか以前から、わたしたちのこころに安らかさと確かさをもたらす、よりどころでありました。
 
わたしは、ゆくゆくは、子どもたちに、意味から教へ込むのではなく、この「あめつちのはじめ」のくだりを朗々と朗唱できるやうな教育環境を整へることへと仕事を進めていきたいと考へてゐます。
 
江戸時代、儒教の強い影響から多くの家庭で『論語』の素読・暗唱が子どもの教育において盛んに行なはれてゐたやうですが、やはり、わたしたちにとつて、これからの国語教育、歴史教育、倫理教育の根幹となつていいのは、わたしたち自身の国民文学である『古事記』や『萬葉集』、もしくは『百人一首』ではないかとわたしは思つてゐます。
 
 
 
『古事記(ふることぶみ)』。
 
それは、他の文章、歴史書とは異なり、日本人が数へきれない昔の代から我が身に体してゐた「やまとことば」の語り口そのままのことば遣ひをもつて、我が国の精神と歴史を記さなければならない、との明確な認識のもとに、ものされてゐます。
 
しかも、その文章は、日本といふ国が永遠に神の国であり続けるやう、文化を根柢で精神的に支へつづけることのできるやうな、これまた非常に明確な意識で記されてゐます。
 
そのために、落とすべきものは落とし、汲み上げるべきものはしつかりと汲み上げる。さういふ声から声への伝へ、それが「古事記(ふることぶみ)」です。
 
 
 
昨日の『古事記の精神』の前半におけるワークショップ。皆さん、懸命に「あめつちのはじめ」の文章に取り組んで下さりました。
 
写真を見ますと、神の息吹きを迎へ、響かせ、送るのに、我々日本人は、腰といふからだの要を使ふことがいかに大切かといふことに気づかされます。
 
皆さん、どうもありがたうございました。
 
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ていねい

わたしは、一冊の本をていねいに読んでゐるだらうか。
一枚の絵をていねいに観てゐるだらうか。
 
家族とていねいに時間を過ごしてゐるだらうか。
行くところ、行くところで、ひととき、ひとときを、ていねいに生きてゐるだらうか。
 
たいした用もないのに、こちらからあちらへと、忙しい、忙しい、と言いながら動き回つて、そのとき、そのときを雑に扱ひ、自分自身の存在自体をも雑に扱つてはゐないだらうか。
 
ゆつくりと、腰を落ち着けて、ていねいに、生きる。
 
それだけである。

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2018年04月30日

『古事記(ふることぶみ)の精神』ありがたうございました


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本日、『古事記(ふることぶみ)の精神』、ご参加下さつた皆様、どうもありがたうございました。
 
今回のやうに、日本の古典作品を原文のまま、言語造形を通して表現していくことで、神々への信仰と文学との新しい結びつきの可能性を、様々な面で提示していくことは可能だろうか。そして、わたしたちの文化に、新しい寄与ができるのではないか。
 
そんな問いをもって今日の会に臨んだのですが、その可能性を感じ取つて下さつた方が多数ゐて下さつたことが、わたし自身にとつても驚きと喜びでありました。
 
新しきを産み出すためには、古きをたづねることが実は欠かせないこと。
 
時代は変はつて来てゐるのですね。
 
少し以前なら、かういふ試みは「堅苦しい、難しい、重苦しい」と避けられるだけでした。
 
いま、かういふ試みが、まともに受けとめられるやうになつてきました。
 
わたしたち現代人が、ことばの芸術を楽しみ、またその淵源を古典に探り求め、そこから不滅の活力を汲み出して来る。
 
そんな文化の復興をこころざすことで、おのづから、これからの若い人たち、子どもたちに、歯応えのあることばの芸術を提供できる。
 
そんな仕事を始めていく。
 
その第一日目だつたやうに感じてゐます。
 
発表会を全力で務めあげた、中田ゆかりさん、高橋好美さん、クリスタル・ボールを演奏して下さつた玉井澄恵さん、本当にありがたうございました。そしてお疲れ様でした。今日は、ゆつくりとお休みください。
 
また、今日の日をきつかけに、新たなムーブメントが始まりさうです。
 
皆さま、かさねがさねですが、本当にありがたうございました。
 

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2018年04月28日

『名張言語造形クラス』のお知らせ


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文学をからだまるごとで表現し、からだまるごとで味はふ。
古くて新しい言語造形といふ芸術。
三重県名張での新しいクラスです。
一度、体験参加にお越しになられませんか。

 
毎月第2月曜日 10時〜12時30分
(今年度は、10月、1月、2月、3月のみ、第三月曜日)
 
参加費 
お申し込みは学期の最初に学期ごとの参加費(4000円×回数分)をまとめてお支払いいただきます。
(お休みの際、返却はできませんのでご了承ください)(講師料、場所代含む)
初回体験 4500円
 

 
1期/ 5月14日、6月11日、7月9日 (8月はお休み)
2期/ 9月10日、10月15日、11月12日、12月10日
3期/ 1月21日、2月18日、3月18日

 
持ち物 各自、声にしたい作品をお持ちください
 
場所  名張市桔梗が丘 「ゆいのいえ」
(お申込みいただいた方に詳しい住所をご連絡させていただきます)
 
お問い合わせ お申込み 
メール yuju30@hotmail.com(南)
電話 06-7505-6405 (ことばの家 諏訪)
 

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2018年04月27日

5月6日(日) あめの香具山で萬葉集の歌を歌はう


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天の香久山、山上より、畝傍山、そして遥か向かうに二上山、葛城山、金剛山を望む。

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天の香久山を見上げて

5月6日(日) 午前10時15分にJR桜井線「香久山」駅改札に集合。
 
そこから香具山目指して歩いて約30分。
 
麓から山上までおほよそ15分。
 
天の高天原から降りてきた山といふ伝説が語られてゐる天の香具山。
 
その山上から、大和の風景を見晴るかしつつ、ご一緒に萬葉集の和歌を声に出してみませんか。
 
お昼ご飯は、「香久山」駅付近で取る予定。 
 
お昼ご飯の後、解散予定。
 
雨天中止。  
 
参加費: 無料
 
お申込み: ことばの家 諏訪 https://kotobanoie.net/access/
 
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天の香具山 山腹にまします伊弉冊神社

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天の香久山の山腹にまします伊弉諾神社

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 春過ぎて夏来たるらし白布の衣ほしたり天の香具山 持統天皇




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こころのこよみ(第4週) 〜主と客、重ねて合はせて「わたし」〜

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「わたしは、わたしのわたしたるところを感じる」
 
さう感覚が語る。
 
それは陽のあたる明るい世の内で、
 
光の流れとひとつになる。
 
それは考へる働きに、
 
明るさと暖かさを贈り、
 
そして人と世をひとつにするべく、
 
固く結びつけようとする。

ルドルフ・シュタイナー

 
 
 
Ich fühle Wesen meines Wesens:
So spricht Empfindung,
Die in der sonnerhellten Welt
Mit Lichtesfluten sich vereint;
Sie will dem Denken
Zur Klarheit Wärme schenken
Und Mensch und Welt
In Einheit fest verbinden.
 
 
 
幼児は、たとへば、ことばといふものに、一心に、全身全霊で、耳を傾ける。
 
からだまるごとを感覚器官にして、聴くといふ仕事を一心にしてゐる。
 
そのことによつて、誰に手ほどきを受けるでなく、かうごうしい力、精神によつて、ことばを習得していく。
 
からだは「ことば」の器になつていく。
 
幼児の内に、そのやうに、からだをことばの器にするべく、おのづと力が働いてくれてゐた。
 
わたしたち大人は、意識的に、その人から、仕事をしてこそ、育まれるべきものが育まれ、満たされるべきものが満たされる。
 
このからだは、何歳になつても、まだまだ、育まれて、育まれて、おのれの感覚を深めていくことができる。
 
ものごとに対して判断しなければならないとき、データや数値なども、なんらかの判断材料を提供してくれるが、それに頼り切らず、もつと、おのれのからだを通しての感覚を育んでいくことが、おのれへの、人間への、信頼を取り戻していく上で、大切な指針になつていくのではないだらうか。
 
その、感覚とは、そもそも、わたしたちに何を語つてくれてゐるのか、何を教へようとしてくれてゐるのだらうか。
 
シュタイナーがここで使つてゐる「感覚(Empfindung)」といふことばは、「受けて(emp)見いだす(finden)」からできてゐることばだ。
 
人によつて受けて見いだされた光、色、響き、熱、味、触など。

それらが感覚であるし、また、それらだけでなく、(これまでの生理学や心理学では、さうは言はないらしいが)それらによつて起こつてきた情、意欲、考へも、感覚なのだ。なぜなら、みづからのこころといふものも、世の一部だからだ。
 
色や響きなど、外からのものを、人は感覚する(受けて見いだす)し、情や意欲や考へといふ内からのものをも、人は感覚する(受けて見いだす)。
 
しかし、外からの感覚は、外からのものとして客として迎へやすいのだが、内からの感覚は、内からのものであるゆゑに、客として迎へにくい。主(あるじ)としてのみづからと、客である情や意欲や考へとを一緒くたにしてしまいがちだ。
 
主と客をしつかりと分けること、それは客を客としてしつかりと観ることである。
 
みづからの情や意欲や考へを、まるで他人の情や意欲や考へとして観る練習。
 
明確に主(あるじ)と客を分ける練習を重ねることで、分けられた主と客を再びひとつにしていく力をも見いだしていくことができる。その力が、こころを健やかにしてくれる。
 
主と客を明らかに分けるといふことは、主によつて、客が客として意識的に迎へられる、といふことでもあらう。
 
そして、やつてくる客に巻き込まれるのではなく、その客をその都度ふさわしく迎へていくことに習熟していくことで、主は、ますます、主として、ふさわしく立つていく力を身につけていくことだらう。
 
人が、外からのものであれ、内からのものであれ、その客を客として意欲的に迎へようとすればするほど、客はいよいよみづからの秘密を明かしてくれる。感覚といふ感覚が、語りかけてくる。
 
外の世からの感覚だけでなく、考へ、感じ、意欲など、内に湧き起つてくる感覚を、しつかりと客として迎へるほど、その客が語りかけてきてゐることばを聴かうとすればするほど、わたしは「わたしのわたしたるところ」を日々、太く、深く、成長させていく。
 
客のことばを聴くこと。それが主(あるじ)の仕事である。
 
その仕事によつて、わたしは、みづからの狭い限りを越えて、「わたしのわたしたるところ」をだんだんと解き明かしていくことができる。
 
主によつて客が客として迎へられるといふのは、客によつて主が主として迎へられるといふことであるだらうし、それは、主と客がひとつになるといふ、人と世との、もしくは人と人との、出会ひの秘儀とも言つていいものではないだらうか。
 
そして、主と客がひとつになるときに、「わたし」がいよいよ明らかなものになつていく。

つまり、主=「わたし」ではなく、主+客=「わたし」なのだ。
 
たとへば、セザンヌの絵や彼の残したことば、もしくは、芭蕉の俳諧などに接し続けてゐると、ものとひとつになることを目指して彼らがどれほど苦闘したか、だんだんと窺ひ知ることができるやうになつてくる。
 
彼らは、世といふもの、こころといふものの内に潜んでゐる大きな何かを捉へることに挑み、そのプロセスの中で壊され、研がれ、磨かれ、その果てにだんだんと立ち顕れてくる「人のわたし」といふものへと辿りつかうとした。
 
彼らは、色彩といふもの、さらに風雅(みやび)といふものと、ひとつにならうとする仕事を死ぬまでやり通した人たちだと感じる。
 
ものとひとつになるときこそ、「人のわたし」ははつきりと立ち顕れてくることを彼らは知つてゐた。
 
感覚を客としてふさわしく迎へれば迎へるほど、それは、「わたしのわたしたるところ」の拡がりと深みを語つてくれるし、また、わたしはそのことばを情で聴き取るにつれて、わたしは、客について、おのれについて、「わたし」について、明るく、確かに、考へることができる。そして、わたしと世がひとつであることへの信頼感をだんだんと得ていくことができる。
 
 
 
「わたしは、わたしのわたしたるところを感じる」
さう感覚が語る。
それは陽のあたる明るい世の内で、
光の流れとひとつになる。
それは考へる働きに、
明るさと暖かさを贈り、
そして人と世をひとつにするべく、
固く結びつけようとする。

 
 

posted by koji at 09:51 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする