2017年03月20日

聴く文学の喜びと悲しみ(おはなしペチカ・アンケート)


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諏訪千晴による昨日の『おはなしペチカ 003』に、ご来場くださつた皆さんに書いていただいたアンケートから、宮澤賢治の作品「チュンセとポーセの物語」「娼婦ビンツマティーの物語」について、聴き取つてくださつたご感想をここに掲載させていただきます。
 
からだとこころまるごとで聴く文学の喜びと悲しみ。わたしたちは、それこそを、これから多くの人と分かち合つていきたい、さう念つてゐます。
                  
 
 
 
 
●「娼婦ビンツマティーの物語」における「まことの力」、「チュンセとポーセの物語」における「まことの勇気」、 自分の今、向き合っているテーマとぴったりでした。
 
ひととき、ひととき、空間が深まっていき、 足許が抜けて宇宙につながっていく予感を感じました。
 
この空間は本当に貴重ですね。本当に素晴らしい時間でした。
 
なっちゃんやかさねちゃんの声も、息も、この瞬間にしか存在しない、この時の尊さを思いました。今、この息を共有できたことを、幸せに思います。
 
ありがとうございました。 (H・Kさん)
 
 
 
 
 
●意味を考えずに、只感じて聞いていれば良いと言って下さりましたが、言葉の中に飲み込まれて、どうしても深く考えずにはいられませんでした。
 
賢治さんの「手紙四」(「チュンセとポーセの物語」)は、この物語を書いた時の賢治さんの葛藤が、私の中にも広がっていく様な感覚さえしました。
 
言葉が文字としてではなく、音楽や色や温度として聴こえてきました。
 
特に、この話は、賢治さんがとても苦しんだ時の事が、ストレートに書かれていますし・・・。
 
好きな世界の中へ行かせていただけて、とても嬉しかったです。(G・Mさん)


この他にも書いて下さつた皆様、どうもありがたうございます。
これからの創造への励みとさせていだいてゐます。

 


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春、花、蜂・・・


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はるかぜの はこぶはなびら かぐはしき
ほほゑみふふみ みずにうかびて


花は夢 色も調べも 流れゆく 
見れど飽かぬも 聴けど飽かぬも



諏訪耕志



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小町藤 ゆれしふさぶさ なにならむ
こころ目覚めし 春の訪れ

 

みつばちの 羽音さやぎて あふれでる
いのち嬉しや 小町藤波

 

諏訪耕志 

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第三回おはなしペチカ ありがたうございました


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今日の「おはなしペチカ003」、
来て下さつた皆様、
本当にありがたうございました。 

ことばの生命力と静けさ。

言語造形といふことばの藝術を、
かうして来て下さつた皆さんと、
これからも共に創り出し、
生み出していきたい。
さう念つてゐます。

観客の方おひとりおひとりが、
この空間と時間をともに創り上げる協働者です。
 
ことばと人。

その関係を、
まづは舞台藝術を通して見つめ直し、聴き直す。
そのやうな舞台をこれからも創つてまいります。

どうぞよろしくお願い申し上げます。



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2017年03月16日

岡倉天心『茶の本』を讀んで


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天心の詩情溢れる文章。
英文で執筆されたものを、
桶谷秀昭氏の飜譯で讀む。
 
茶が供され、茶が服される。
その一點一事を眞ん中に、
人と人とが、
人と空間とが、
人と自然とが、
人と宇宙とが、
自由な闊達さと安らかな休息の調べを奏でる。
 
さういふ空間と時間が、
いかにして成り立つのか。
茶室といふ場で、
宇宙の大いなる息遣ひとの調和が、
茶人によつていかに織りなされるのか。
茶といふものをあひだにする、
人と人との磨かれたこころのありやうが、
いかにその空間と時間を無限に深いものにしうるのか。
日本人が美の神にいかにして仕へてきたか。
またそのためにいかにして己れを律することに努めたか。
この本では、
それらのことが磨かれたことばで述べられてゐる。
 
小册子だが、
あまりにも拔き書きしたい名文に溢れてゐる。
ひとつだけ書き冩してみる。
  
  おのれを美しくしなければ、
  美に近づく權利がない・・・
  茶人たちは藝術家以上の何ものか、
  藝術それじたいにならうとした。


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4〜7月 第一日曜日 普遍人陋{と言語造形クラス 『根底としての国語教育』


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わたしは、
教育の根底は、
ことばの教育・国語教育
だと考えてゐます。
 
この四月から、 
シュタイナーの『普遍人陋{』で學んだことを、
言語造形を通して、
からだで実感していく。
 
そんな、
人閧ニことばとの関係を、
深く追い求めていくクラス
のお知らせです。
 
人とはどのやうな存在であるのか、
そのことを精神科学的に。
そしてその知見を、
我がからだをもつて確かめていく。
 
毎月一回のその時間、
知識を頭からハートへ、
そして手足の領域にまで降ろしていく。
 
『普遍人陋{』を丁寧に、
一講ずつ進んでいく午前の時間。
からだまるごとを使つて、
ことばを話す練習を重ねる午後の時間。
 
そのやうな定期的な繰り返しを通して、
学びの共同体が生まれてきたら、
さう希つてゐます。
 
まづは、
四月二日から始まり、
五月四日(この回のみ木曜・祝日)、
六月四日、
七月二日までを、
第一期とします。
 
単発でのご参加も受け付けてゐます。
 
春から、新しい學びを、
ご一緒に、始めてみませんか。
 

           ことばの家 諏訪耕志

 

 
 
日時:毎月第一日曜日 
   午前10時〜12時半『普遍人陋{』
   午後1時半〜3時半 言語造形
   2017年5月のみ、4日(木・祝)
 
 
場所:ことばの家 
   
 
 
参加費: 第一期 
     4月から7月までの計四回 22,000円
     単発でのご参加 一回につき 6,500円
     (8月以降も第二期、第三期と続きます)
 
 
お問い合わせ・お申込み:
ことばの家 
 
本は、
精巧堂出版からの、
鈴木一博訳『普遍人間学』
を使ひます。

 

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2017年03月13日

3月19日(日)春分の日のおはなしペチカ『手紙(宮澤賢治)など』


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今週の日曜日、帝塚山の「ことばの家」で、
妻と娘ふたりがする『おはなしペチカ.003』。 

もう第三回目なのだけれども、
わたし自身がやつてゐることを、
こんな風に家族全員でやることになるなんて、
夢にも思つてなかつた。
 
自分自身のこころざしを、
家族に理解してもらふことは、
実は難しく、
また、一番大事なことなので、
このやうな事態は、
奇跡のやうなことだと思つてゐる。
 
ふたりの娘も、
これから様々なことに出逢ひ、
ひとりひとり特別の道を歩んでいくだらう。
 
ただ、家族といふ、
文化の基礎を共にできたことの、
今生の仕合はせを本当にありがたく念ふのです。

「ことばの家」は小さなところですが、
その小さなところで、
人とことばとの関係を大事に育んでいきたい。
さう考へてゐます。
 

お申込み・お問い合わせ: 下記より受け付けております。   
http://www.kokuchpro.com/event/e665050a31114e456b075932e5b32719/
 

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龍ノマナコ


龍ノ形シタ雲ニ、
満月ノ光ガ、
丁度マナコノヤウニ輝クヲミル。
 
もちづきの まなこ光りて 駆けりゆく
如月一夜(きさらぎひとよ) 我も駆けらむ

 
諏訪耕志

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2017年03月10日

大阪・奈良 ゴールデンウィーク 言語造形公演『われらが萬葉集』


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チラシ絵 鹿喰容子

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二回クリックしていただきますと、
ご覧になりやすくなります。




4月29日(土)と30日(日)に行われます、
言語造形 大阪・奈良公演 『われらが萬葉集』
のお知らせです。

日本のことばの芸術。
そこには、日本人が美しいと感じ、
大切にしたいと信じる何かが息づいています。

萬葉集。
それは、我が国最初のことばの芸術作品であり、
我が国の歴史の証言集でもあります。

わたしたちは、
一千二百五十年前に作られた萬葉集を、
一千二百五十年後にも残したいと切に願う者です。

日本人が感じる美しさ、信じるこころざしを、
後の世の人たちにも活き活きと伝えていくための、
最初の第一歩が、この舞台です。

言語造形によって甦る萬葉の歌。
皆さん、共にここに集い、
日本のことばの美とこころざしを讃え、祝い、寿ぐ、
歌の数々、物語の数々に耳を傾けましょう。

そして、これからの若い人たちが、
日本語に籠もる美しさと、
こころざしを引き継いでくれるように、
このことばの芸術作品をより愛し、
より深く知ってゆきましょう。
 
出演者による上演後のアフタートークもございます。
ゴールデンウィークの一日、
萬葉集の世界に、どっぷりと浸かってみませんか。



●大阪公演 ※お陰様で大阪公演は満席となりました。
      奈良公演はまだお席があります。

日時: 平成二十九年四月二十九日(土) 
    開場13時 開演14時 終演16時半予定

場所: ことばの家  大阪市住吉区帝塚山中2-8-20  
    南海高野線「帝塚山」駅より、北東へ徒歩5分
    上町線「姫松」駅より、西南へ徒歩約4分
    地下鉄四つ橋線「玉出」駅3番出口より、東へ徒歩約15分


●奈良公演
日時: 平成二十九年四月三十日(日) 
    開場13時 開演14時 終演16時半予定

場所: 日+月+星(サン・ムーン・スター) 奈良市多門町35-2
    近鉄奈良駅から北に歩いて約20分


●ご参加費: ご予約3000yen  当日3500yen

●お申込み:
参加費はクレジット決済が可能です。
お席に限りがありますので、参加費のお振込みをもってご予約を完了とさせていただきます。
 
4/29(土) 大阪公演のご予約はこちら
http://www.kokuchpro.com/event/manyo_osaka_/

4/30(日) 奈良公演のご予約はこちら
http://www.kokuchpro.com/event/manyo_nara_/

↑ お申込みは事前決済(クレジット)となります。ご予約確認後、30分以内に決済されない場合、手続きが無効となりますのでご注意ください。
 

なお、口座お振込み希望の場合は、以下にお振込の上ご一報ください。

/ ゆうちょ銀行 記号 10260
/ 番号 28889041  諏訪 千晴 (スワ チハル)


また、大阪・奈良、いずれの会場でも、開演時のこころの静かさを大事にしたいと思ひますので、お時間に余裕をもつてお越しください。
 
奈良公演に車でお越しの場合、ナビで直接会場に来られると細い道が抜けられなくなりますので、お近くの駐車場に置いてから徒歩でお越しになられるやう、お願ひ申し上げます。



●出演  鹿喰容子 諏訪耕志 中将ゆみこ 塙狼星


●お問い合わせ・お申込み: ことばの家(諏訪)
Tel 06-7505-6405   e-mail info@kotobanoie.net



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2017年03月05日

先入觀からの自由


淺はかな世相に便乘して、
「ヘ育敕語」を復唱することを大事にしてゐる人たちを、
非難・揶揄してゐる人たちに、とてもこころが痛む。
 
實物の「ヘ育敕語」を讀んだ方がいいと思ふ。
 
そこには、
自國の歴史・文化・精神を汲みとつた、
人として生きていく上での崇高な理念と期待が、
述べられてゐる。
 
それは、
たかだか戰後七十年の間に
固まつてしまつてゐる價値觀を優に超える、
歴史精神に根差したものだ。
 
アンパンマンの歌を歌ふのもいいだらう。
聖歌を歌ふのもいいだらう。
しかし、自分の國を愛し、
ご先祖樣たちが築きあげてきた文化・文明の粹である、
このやうな「ことば」をからだまるごとで響かせることが、
子どもたちの成長にとつて、
人閧フ成長にとつて、
悪く働きかけていくと思ひこんでゐること。
それは、先入觀ではないだらうか。
 
そのやうな先入觀から自由な、
被害者意識から自由な、
自分自身と家庭と母国の出自に、
誇りをもつ、
そんな日本人が、
これからは世界に必要とされてゐるやうに念ふ。
 
「ヘ育敕語」は、
イデオロギーを植えつけるものだといふ先入觀から、
自由になること。
それはひとつの自己ヘ育である。
 
人は、ヘ育を選ぶ自由があつていい。

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2017年03月03日

言語造形と企業研修


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言語造形は、
企業の研修にも応用されてゐます。
 
ビジネスの場でも、
いかにことばといふものが、
大切な役割を果たしてゐるか。
 
人と人との間の、
信頼を築きあげていく上で、
いかにことばの使い方、
ことばの聴き方が、
重みを持つてゐるか。
 
そのことに、
今更ながら、
気づくことのできる研修。
 
そして、
ことばの響きに、
敏感になるほどに、
人のこころを大切にする、
そんな気風が、
社内の中に生まれてきます。

ある企業は、
もう十四、五年の間、
この研修を、
毎月二回から三回のペースで続けてゐます。
 
当たり前に話してゐる日本語。
 
その日本語を話すといふことに、
改めて意識の光を当ててみると、
意識する前とは、
こんなにもことばの響きが変わるものかと、
誰もが、本当に、誰もが、
驚きます。
 
日本の社会に、
この言語造形といふ芸術が、
深く浸透していくことを、
わたしはこころから、
こころの奥底から、
希つてゐます。

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2017年03月02日

伊東静雄といふ男 〜執行草舟氏『友よ』から〜


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執行草舟氏が、
著書『友よ』の中で、
一遍の詩、
「そんなに凝視めるな」を取り上げながら、
伊藤靜雄といふひとりの詩人、
ひとりの男について、
書いてゐる。
 
 
 私は、その詩もさることながら、
 この簡單な人生をこそこよなく尊敬する。
 現今の世の中を見るにつけ、
 伊藤靜雄のやうな旧い男の美しさが
 より鮮明にわかる時代となつた。
 つまり伊藤靜雄の人生を考へる時、
 私は日本の男の生き方を考へてゐるのだ。
 いはゆる恩に生き、
 名聲を求めず、
 簡素に生き、
 默々と働く。
 そして家族の生活を支へ、
 文句を言はず、
 減らず口は叩かず、
 眞の生活から生まれる行によつて、
 肚の底から絞り出されるものだけを
 この世に殘し、
 默つて死ぬ。
 これが眞の日本男子の生き方だと
 考へさせられるのである。

 (原文は、現代假名遣ひ、當用漢字、改行なし)
 
 
 
この文章の後、
詩「そんなに凝視めるな」の一行一行が、
執行氏によつて讀み込まれる。
 
人間の深い優しさから溢れ出てくる、
逆説のことば。
 
そのやうな、
生きることの、
痛みと悲しみを知るが故の優しさ。
その優しさから生まれてくる、
逆説的なことばを発する人に、
わたし自身これまでの人生で接したことがなかつた。
 
それ故、
伊藤靜雄の詩をこれまで愛唱してきたが、
その詩には、長いあひだ、
その内なるたましいを豫感しながらも、
なぜか、こころにほどきえぬ、
隔靴掻痒のもどかしい想ひを抱いてゐた。
 
が、執行氏によつて、
この詩が取り上げられ、
長い年月のあひだのこほりが溶けたやうに感じた。
 
この『友よ』といふ書、
執行氏の全体重がかけられた一文一文で綴られる、
そのやうな文章が全四十五章。
四十五の詩歌が取り上げられ、
どの章を讀んでも、
その詩と詩人に惚れ込んでしまふ。
 
 
伊藤靜雄の詩をここに記しておきます。
 
 
そんなに凝視(みつ)めるな わかい友
自然が与へる暗示は
いかにそれが光耀(くわうえう)にみちてゐようとも
凝視めるふかい瞳にはつひに悲しみだ
鳥の飛翔の跡を天空(そら)にさがすな
夕陽と朝陽のなかに立ちどまるな
手にふるる野花はそれを摘み
花とみづからをささへつつ歩みを運べ
問ひはそのままに答へであり
堪へる痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)だ
風がつたへる白い稜石(かどいし)の反射を わかい友
そんなに永く凝視めるな
われ等は自然の多様と変化のうちにこそ育ち
あゝ 歓びと意志も亦そこにあると知れ
         (「そんなに凝視めるな」伊東静雄)


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ことばの家 第一日曜日 普遍人陋{と言語造形クラス


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この四月から、 
シュタイナーの『普遍人陋{』で學んだことを、
言語造形を通して、
からだで実感していく。
 
そんな、
人閧ニことばとの関係を、
深く追い求めていくクラス
のお知らせです。
 
人とはどのやうな存在であるのか、
そのことを精神科学的に。
そしてその知見を、
我がからだをもつて確かめていく。
 
毎月一回のその時間、
知識を頭からハートへ、
そして手足の領域にまで降ろしていく。
 
『普遍人陋{』を丁寧に、
一講ずつ進んでいきつつ、
からだまるごとを使つて、
ことばを話す練習を重ねます。
 
そのやうな定期的な繰り返しを通して、
学びの共同体が生まれてきたら、
さう希つてゐます。
 
まづは、
四月二日から始まり、
五月四日(この回のみ木曜・祝日)、
六月四日、
七月二日までを、
第一期とします。
 
単発でのご参加も受け付けてゐます。
 
春から、新しい學びを、
ご一緒に、始めてみませんか。
 

           ことばの家 諏訪耕志

 

 
 
日時:毎月第一日曜日 
   午前10時〜12時半『普遍人陋{』
   午後1時半〜3時半 言語造形
   2017年5月のみ、4日(木・祝)
 
 
場所: ことばの家
 
 
参加費: 第一期 4月から7月までの計四回 22,000円
     単発でのご参加 一回につき 6,500円
     (8月以降も第二期、第三期と続きます)
 
 
お問い合わせ・お申込み: ことばの家 

 
本は、
精巧堂出版からの鈴木一博訳『普遍人間学』
を使ひます。


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2017年02月28日

旧暦二月 三日月ノ夜二呟キヌ


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透きとほる 夜空のはてに 眉引きの 三日月みれば 君し念ほゆ
諏訪耕志                                  


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遠世の丘 〜土舞臺を訪ねて〜


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今の奈良縣櫻井市に、
千四百年ほど前に聖徳太子が造られた、
我が國最初の國立劇場と演劇研究所である、
土舞臺(つちぶたい)を訪れました。
 
今は、櫻井兒童公園になつてゐるその場に立つてみて、
千四百年前の漲るやうな情熱とこころざしに對する、
盛んな想像力が自分には必要だと感じました。
 
その丘は、何の飾り氣もない、
決して大きくはない廣場でした。
 
しかし、その周圍は、
遠き世を遙かに見渡すやうな景色が擴がつてをりました。
 
すぐ東には、
三輪山をはじめ、
神武天皇による靈畤(まつりのにわ)を頂上にもつ鳥見山、
西には、
大和三山をはじめとして、
はるか向かうに、
生駒山、二上山、金剛山、葛城山が見渡せます。
 
遠世の丘です。
 
そのやうな場に、
我が國の舞臺藝術の育成を、
意識的に、意欲的に、なしていかれた聖徳太子の精神。
 
そこから、
奈良の春日大社や、
大阪の住吉大社、四天王寺での藝能へ、
さらには猿樂、能などへと、
創造的に發展していつたその發祥の精神。
 
大阪の帝塚山の「ことばの家」へ、
その精神を分け御靈(みたま)させていただきたく、
日本の國史の淵源に繋がりたく、
己れの創造力を太くしてゆきたく、
聖地を訪れました。

posted by koji at 21:33 | 大阪 | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

「覺悟」といふ精神の系譜 〜『保田輿重郎と萬葉集』(小川榮太郎著)を讀んで〜


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『保田輿重郎と萬葉集』(小川榮太郎著)を讀んで
(月刊『VOICE』平成二十八年十・十一月号掲載)

 小川榮太郎氏によるこの論説を讀み、保田與重郎による『萬葉集の精神』を讀み、大伴家持による『萬葉集』をひもとき續ける。そんな毎日が續いてゐる。

 そんな毎日がわたしに何をもたらしてゐるか。それは、「覺悟」といふ精神の系譜である。その系譜を自分自身で踏んで歩くための力である。靜かだけれども、人のこころの奧底に確かに在る「こころざし」そのものの持つ力である。

 新しく小川氏によつて書き表されたこの文章を熟讀する人がゐるならば、かそけきものかもしれぬが、この國にきつと傳來の精神の底流が途切れず保持される。わたしは、さう感じてゐる。

 日本といふ國に於て、皇室の存在意義を搖るがすやうな危機は、これまでの長い歴史の中で幾度かあつた。それは同時に我が國の危機であつた。古き神ながらの道・古神道から離れゆく政治的・文化的情勢の怒涛のやうな流れに對する悲哀と慟哭を強く感覺した者が、まづもつて柿本人麻呂であり、大伴家持であり、幕末維新の志士たちであり、保田與重郎であり、そして、この論説を起こした小川榮太郎氏である。

 その危機が最初に大きく現前した壬申の亂をどのやうに捉へ、どのやうなことばをもつて記述するか。それによつて、以後の一國のあり方が決められていく。地に堕ちた人のことば(言挙げ)だけでやりくりしようとするのか。神々との繋がりの中で響き來ることば(言霊)にみづからをさらしつつ語つてゆくのか。江戸時代の國學者たちは、古事記と萬葉集、とりわけこのふたつこそがことばの力に依つた古典であるとした。さう、ことばの力(言靈)こそが、人のこころを救ひ、國の歴史を定め、後の世の流れを左右するのだ。萬葉集は、そのことばが、イデオロギーに依るのではなく、民の心情・草莽のこころざしから記された我が國最高の古典なのである。

 その國史への悲哀と慟哭が、壬申の亂の後に、大君に仕へる宮廷歌人であり草莽の民である柿本人麻呂によつて詠はれ、そのいくつもの長歌には、この國の精神を救ふ偉大なることばの力が見いだされる。人麻呂は、天智天皇・天武天皇、兩統の間での正邪を斷じて正統性を爭ふやうな言舉げを決してせず、内亂を描いても敵對や分離を示さず、あくまで「國の心の一つに凝り固まらうとする」尊皇によるこの國の根本義をもつて壬申の亂を描く。その人麻呂の詠歌によつて、日本の歴史は救はれ、皇室の純粹性は保たれたのだといふ、家持の直感、保田の深い見識を、小川氏は浮かび上がらせる。

 そのやうな、國の精神を救つた、人麻呂の神ながらともいへるこころざしからのことば遣ひをそのままの精神で掬ひ上げ、萬葉集として記録したのが大伴家持である。しかし、藤原氏の政治的專横・暴虐によつて、自分たち大伴氏族の勢力だけでなく、大君を慕ひ、仕へ奉る勤皇の精神が政治の中樞から失墜し續けてゐる當時の運命的状況の中で、家持は既に人としての迷ひ、弱さ、絶望を充分に味はひ知つた人であつた。だからこそ、彼こそは當時の時流に抗して、明晰な意識をもつてその言靈に宿る精神を記録し、またみづからも詠つたのだつた。その行爲は、己れ以外のものからの壓力や命令によるものではなく、ひたすらに己が身の奧底から溢れ出てくる大君への眞情、草莽のこころざしからのものであつた。小川氏はその家持の「覺悟」を見事に描き出してゐる。「新しい政治・文化状況を認めない。が、政治陰謀には加擔しない。認めない事を、人麻呂以來の歌の傳統を繼ぐことで證立てる。‐ これが家持の覺悟だつたと見ていい。」

 人の世を生き拔き、この世の榮華を勝ち誇るのではなく、政治的に必敗のこのやうな生き方を家持に選ばせたのは、いつたいどのやうな念ひだつたのか。それは、「かけまくも 畏き」「大君の思想」である。人麻呂の神の力に通われたやうなこころざしからの歌。それらを歴史の藻屑と消え去つていくことから掬ひ出し、更にその心境にみづからも重なるやうに己れの歌を詠ひ、そして四千五百首以上の優れたやまとことばによる歌を集めて萬葉集を編むことで、家持は人麻呂の大君への念ひを繼ぐ。その繼承によつて、家持はその念ひを「大君の思想」へと練り上げたのだ。

 現實世界からの逃げではなく、ことばの精神に生きることこそが國を究極には救ふのだといふ、その家持の「見識」「覺悟」こそが、萬葉集といふ我が國最高の古典の源泉、眞髄であり、その覺悟に至るまでの葛藤・勘案が萬葉集を貫くリアリティーだつた。家持は、美學の洗煉の中で古今集以後失はれてしまつたこころざしを述べること、述志こそが和歌の眞髄であることを意識して實行した、一人の人だつたのである。

 少年時代からその萬葉集に親しみ、江戸時代の土佐の國學者・鹿持雅澄の『萬葉集古義』にその「覚悟の系譜」を學び續けた保田與重郎は、大東亞戰爭勃發直前に『萬葉集の精神』といふ著述のために筆を起こした。異常な緊張に漲つてゐた當時、彼は己れの「覺悟」をその家持の「覺悟」に重ねた。 そしてその態度は、戰後も一貫するのである。

 彼は、當時のアララギ派を中心とした近代歌論を明確に否定し、一首一首に表れる美、ひとりひとりの歌人に表れる美學よりも、それらを土臺で支へる「國の心の一つに凝り固まらうとする」こころざしをこそ本質だとする、萬葉集に對するもつとも古く、もつとも新しい見立てを行ふ。

 そして、戰前、戰中、ヒステリツクに叫ばれる國策としての萬葉利用を根柢から侮蔑する。その叫びは、右往左往する國際情勢からの場當たり的な論から生まれたものであり、なんら國のおほもとに立ち返つての搖るがぬこころざしからのものではなかつたからである。

 當時のアメリカと日本の、物量に於る壓倒的な彼我の差は、當然保田にも認識されてをり、その上で絶叫される戰意昂揚などに彼は全く同調することはできない。

 ここで、小川氏は、文業に對する保田の身を賭してのあり方を鮮やかにかう書き記してゐる。
 「戰が始まつたことをまづ神意と見た上で、日本の祷りを行くしかない、これは狂信ではなく、あの時代に一文學者の立ち得る唯一の合理だつたとさへ言へるであらう。その意味で、これは寧ろ、時局を批判しながら、大東亞戰爭の精神を救ふ立場だといふべきではないか。」この立場に徹することが、保田の第一の「覺悟」であつた。
 
 さういふ保田の姿勢を理解したものは、出征していつた多くの多くの若者たちだつた。そして年老いたインテリゲンチャほど、その草莽のこころざしを理解できなかつた。さういふ状況は、彼自身出征し、歸國した戰後も變はりなく、戰前親交を持つてゐた龜井勝一郎にさへ、保田は曲解されてゐる。さうして彼は戰後、アメリカのGHQによる公職追放だけでなく、文壇からの追放といふ四面楚歌のやうな立場に追ひ込まれる。
 
 ここで、二つ目の保田の挺身・「覺悟」が小川氏によつて記されてゐる。それは、友であつた龜井のことばに端的に表されてゐるやうな「ものいひ」に對する戰後のことばである。その「ものいひ」とは、保田の文業が多くの若者を無殘にも戰爭に驅り立てたのではないか、そのことに對する反省は如何、といふものだつた。GHQによる占領檢閲下の昭和二十四年、戰前の日本は全否定され、聯合軍の正義と日本軍國主義の惡は絶對的なテーゼだつた。その時に、保田は龜井勝一郎に答へる形で、「小生は戰爭に行つた日と同じ氣持で、海ゆかばを歌ひ、朝戸出の挨拶を殘して、死す」と書いた。「海ゆかば」とは、大伴家持によつて「大君の邊にこそ死なめ 顧みはせじ」と詠はれた長歌のことである。小川氏は書く。「戰後かういふことを明確に、それもここまで激しい言葉で堂々と言ひ放つた文學者は、川端康成や小林秀雄を含め、殘念ながら他に一人もゐないのである。」

 論説文の最後に、この「覺悟」の系譜を小川氏は改めて家持から辿る。

 壬申の亂後約八十年が経つた後でも、防人をはじめとする草莽の民たちによつて大君への純粹な念ひが詠われる。そして、その純粹を裏切るやうな藤原氏の陰謀の政治。その間に立つて、絶大な責任を感じた家持は歌をもつて「國の柱となり神と民との中間の柱になるものは」自分以外にないといふ自覺に達したのである。

 昭和十年代に於いて保田與重郎は、この家持の自覺・覺悟を引き繼ぎ、我が國未曾有の危機である大東亞戰爭に面して、みづからも文人として、この神と民との間に立つ柱となる自覺を覺える。小川氏は書く。「保田は萬葉集を解いたのではなく、自らの言葉で同じ道を踏まうとしたのである。保田自身が現に經驗してゐた、日本の更に巨きな亡びの自覺が、それを彼に強ひたからだ。」

 そして、この論説文の最後に、筆者小川榮太郎氏の「覺悟」が、韜晦のかたちに包まれて記されてゐる。「・・・眞の戰ひは全く終はらぬまま、『國の柱となり神と民との中間の柱となる』覺悟のない七十年が過ぎ、我々は亡びの過程を今も下降し續けてゐる。萬葉集は決して過去の詩歌集などではないといふやうな言葉が、一體今、誰に屆くのかを怪しみながら、ひとまづ、私は筆を擱く。」

 文學者とは、ともすれば離叛していかうとする精神と物質を仲介する橋にならふとする人である。ことばをもつて、神と民との中間の柱になることを念じ、悲願し、志す人である。さういふこころざしを持つ人の系譜が、柿本人麻呂から大伴家持へ、そして幕末ごろの國學者たち、維新の志士たちへ、更に保田與重郎へと引き繼がれてゐることを小川氏は書き記した。そして、さらに小川氏自身が、この系譜の尖端に立つてゐることをも、わたしは改めて強く感じることである。

 現實の世の混亂・危機から、人のこころを救ふのは、まづもつて、ことばである。人のこころを覺醒させ、非本質的なところから本質的なところに立ち返らせる、そんなことばなのである。小川氏によるこの『保田與重郎と萬葉集』といふ文章は、さういふことばを發し續ける覺悟を固めた人の系譜を記してゐる。

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2017年02月20日

3月5日(日)大人のためのおはなし会(上田美雪さん)


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上田美雪さんが、
言語造形による昔話
「山おとこのてぶくろ」を語つてくれます。
 
このお話は、
日本の昔話の中でも、
わたしにはとりわけ、
こころにしんしんと響きます。
 
その他にも、
絵本の読み聴かせや、
ストーリーテリングも、
きつと楽しめます。
 
兵庫の伊丹の、
昔の酒蔵で行われる、
大人のためのおはなし会。
 
どなたかご一緒にいかがですか?
 

【インフォメーション】
4回目となりました、「大人のためのおはなし会」。
今回は場所と時間を変えて、酒蔵の中での開催です。

週末のひととき、日頃の煩わしいことを忘れて、
お話の世界に浸ってみませんか?
うんと昔、小さかった頃のように、
絵本を誰かに読んでもらったり、お話を聞いたり…… 
そんな豊かなひとときを、
美しい音楽とともに、
みなさまとご一緒できれば大変幸せに思います。
【おはなし】 ぽぽんた+
【トーンチャイム演奏】 トーンチャイムを楽しむ会

日時:2017年3月5日 14:00 - 15:30

場所:伊丹市立伊丹郷町館 旧岡田家住宅 酒蔵
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参加費: 500円(税込み 全席自由)

定員 50名(先着順)

主催 みち草倶楽部
後援 伊丹市教育委員会

★会場は文化財となっております。
 飲食はご遠慮ください。
★時節柄、防寒の必要なことがございます。
 衣服やカイロなど、どうぞ暖かくしてお越しください。

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2017年02月19日

ありがたうございました!「シュタイナー教育における人形劇」(山崎淳子さん)


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今日は、第四回 ことよさしの會
「シュタイナー教育における人形劇」でした。 
 
山崎淳子さんの
深い息遣ひから動かされる、
人形の姿。
そしてことば。
 
物語は、
薄い絹の衣に包まれて、
こころの奥にしまはれました。
 
星の銀貨の女の子も、
お母さんに抱きしめられた男の子も、
子どもたちの今晩の眠りの中へと、
帰つてゐることでせう。
 
来て下さつた皆様、
そして山崎さん、
本当にどうもありがたうございました。

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2017年02月12日

『普遍人陋{ そして言語造形』帝塚山クラス(第一日曜日)のお知らせ


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2017年春からのことばの家での、
『普遍人陋{ そして言語造形』クラス(第一日曜日)のお知らせです。 
 
この四月から毎月第一日曜日に、
大阪のことばの家にて、
シュタイナー著の『普遍人陋{』の講義(午前)と、
ことばの語り方を學ぶ言語造形(午後)のクラスを始めます。
 
月に一囘ですが、昼ご飯を皆で一緒に食べながら、
午前から午後にかけてのクラスです。
 
午前は、
『普遍人陋{』の序文から始めて、第一講、第二講と、
毎月一講義ずつ進めていき、
15ヶ月かけて一冊の本を解きほぐし、語り終える予定です。
 
午後は、
ひとりひとり物語を選んでいただき、
その物語を素語りで芸術的に語ることができるやう、
稽古していきます。

新しく、この春から、シュタイナー教育の礎を共に學んでいきませんか。

                          講師:諏訪耕志
 
 
 
日時: 毎月第一日曜日 午前10時〜12時半『普遍人陋{』
                午後1時半〜3時半 言語造形

    2017年5月のみ、4日(木・祝)
 
場所: ことばの家 

参加費:  第一期 4月から7月までの計四回 22,000円
      単発でのご参加 一回につき 6,500円
      (8月以降も第二期、第三期と続きます)

 
お問い合わせ・お申込み: ことばの家 

本は、精巧堂出版からの鈴木一博訳『普遍人間学』を使ひます。
http://www.seikodo-store.com/show1.php?show=b0031
 
 
 
 
 

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シュタイナーによるこの『普遍人陋{』は、
シュタイナー教育を志す人に向けての基本著書として、
昔から定番中の定番として舉げられてゐるものです。
 
しかし、よく言はれてゐることですが、「難しい」。
 
さう、難しいのです。
 
なぜならば、
世界初のシュタイナー學校を開校する直前に、
アントロポゾフィーを學んで十何年經た、
筋金入りのアントロポゾーフばかり十數人を集めて、
シュタイナーが渾身の念ひをもつて語つた講義録だからです。
 
でも、だからこそ、その講義の内容は、
幾たび讀んでも汲みつくすことができないほど、
味はひ深いものです。
 
そこには、
教育の仕事に於る本質的な事、
そして實用的なことが述べられてゐますが、
その實用とは精神の世界のことであり、 
實用にあたつての動作を教へるものではなく、
あらゆる突發的な出來事に臨んでも驚かない志を教へます。
 
そこには、
人と云ふものがどのやうな存在なのかと云ふことに對する、
深くて確かな洞察があるからなのです。
 
何度も何度も讀書を繰り返すことによつて、
その洞察、見識を確かに手の内にし、更に深めていくのです。
 
さう云ふ、
「讀書百遍意自ずから通ず 」と云ふ學びを始めてみませんか。
 
そして、言語造形を通して、
自分自身の身をもつて、
全身を使つて、
ことばを語ること、ことばを聽くことを、
繰り返し繰り返し習つていきます。
 
「ことば」は、人の内側と外側とをつなぐ、
大切な「精神のあらはれ」です。
 
その人が話すことばとその人自身とが繋がつてゐること。
そのことは、教育にとつて、何よりも大事なことです。
 
内と外をつなぐ練習を繰り返しすることで、
わたしたち自身が、
教育と云ふ藝術に習熟していくことができるのです。

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2017年02月10日

本居宣長 うひ山ふみ


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 吾は、あたら精力を、外の國の事に用ひんよりは、
 わがみづからの國の事に用ひまほしく思ふ也、
 その勝劣のさだなどは、しばらくさしおきて、
 まづ、よその事にのみかかづらひて、
 わが内の國の事をしらざらんは、くちをしきわざならんや

 

よその事にのみかかづらふ、
その口惜しさは、よく分かるやうに思ひます。
 
なぜ口惜しいか。
 
それは、よその事にかかづらはつてゐるうちに、
いつしかおのづから己れの内のことを蔑ろに思ふやうになり、
あちらを優に持ち上げ、
こちらを劣に貶めるやうになつてしまふからです。
 
まことは、優か劣か、といふ問題ではなく、
比較を絶した、
主體性の問題だと思ふ。
 
つまり、「わたしはわたしである」、
さらには、「わたしはある」といふ、
神の名そのものでもある、このことばを、
深く己れのものにすることにあるのでは・・・。
 
己れをみづから貶めてしまふことの弊害は、
恐ろしいものです。
 
個人のことから國家のことにまで、
そのことは云へるやうに思ひます。
 

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2017年02月08日

酒、キザハシナリ


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酒酌みて ひとり想ひは まろみたり あの世のちぎり ここにてなせりと
 
酒に酔ひ うつつか夢か にじみゆく すがたも面(おも)も 天(あめ)の写し絵
 
諏訪耕志

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2017年02月06日

3/19(日)『おはなしペチカ』.003 のご案内(諏訪千晴)


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第三回おはなしペチカのご案内です。 
 
諏訪 千晴による、
今囘の宮澤賢治作品は、
殆ど人口に膾炙してゐない作品ですが、
本當にこころの内側と外側、
それぞれの琴線を震はせる、凄いものです。
 
そして、いまだ己れの魂を己れのものとして確立してはゐない、
8歳と11歳の少女たちの聲は、だからこそ、
より大いなるものの働きかけが及んでゐるのを感じさせます。
 
足利智子さんのティラル&タリタライアーとの響き合ひが、
いまから本當に樂しみです。
 


◆『おはなしペチカ』.003

 
 演目: 「ルリカケスのうた」(こうだてつひろ作)ほか 
      「手紙 四 〜チュンセとポーセの物語〜」(宮澤賢治作)
      「きれいだな」(諏訪かさね作) 
      「手紙 二 〜娼婦ビンツマティーの物語〜」(宮澤賢治作)
 
 語り: 諏訪かさね (小学二年生) ・ 夏木(小学五年生)
      諏訪千晴 (言語造形家)
 
 音楽: 足利智子 (タオライアー)

 日時: 3月19日(日)14:00〜15:30 予定
  
 場所: ことばの家
      南海本線「帝塚山」駅 徒歩5分
      阪堺上町線「姫松」駅 徒歩5分
  
 入場: 大人 2000円  小学生以上 500円 (お茶とクッキー付き)
 
 定員: 30名  要予約 ・ 事前振込制
 
 お申込み・お問い合わせ: お申込みフォーム
 
 
★ 物語の内容から【小学生以上】とさせていただきました。
  どうぞよろしくお願いいたします。

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2017年02月05日

2月19日(日)『言語造形による人形劇の魅力』 


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丁寧に羊毛で創られた人形を用いる、
シュタイナー教育の人形劇。
 
その人形の抑制された動き。
語られるお話しと歌の透明な響き。
そこに生まれる静謐な間(ま)。
それらは、演者の育まれた息遣ひから生まれてきて、
見える人形の姿、聞こえることばの響きを越え、
観る人、聴く人の想ひ描く力を促します。
 
その息遣ひは、
子どもから大人まで、
いまの現代人の多くが、
こころの奥底で乞ひ希つているものだと感じます。
 
言語造形といふことばの藝術は、
物語りだけでなく、演劇や詩の朗唱、
そして今回のやうに人形劇を内側から創りなしていきます。
 
今回の山崎淳子さんによる人形劇を通して、
子どもと大人が精神の糧を分かち合うことのできる場が生まれます。
 
どうぞいらしてください。
 
詳しいインフォメーションはこちら↓
http://kotobanoie.seesaa.net/article/445786929.html

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2017年02月04日

學びつつ歩きつつ 〜歴史と風土教育〜


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崇神天皇の磯城端垣宮の前の景色


以前に比べて、自分も含めて、
神社や歴史的遺蹟を巡り歩いてゐる人が、
多くなつてきたやうに思ひます。
 
多くの人が、
思ひ出すべき何かを思ひ出さうとして、
さういふ所を訪ね歩いてゐるのだと感じる。
 
ここ数年、奈良の大和路の邊りを歩いてゐて、
つくづく感じたことが、
我が國の文化と歴史を知りながらかういふ所を歩いてゐるのと、
知らないで歩いてゐるのとの違ひは大きい、
とてつもなく大きい、といふことでした。
 
そして、かういふ學びと行爲は本來、
小學生、中學生、高校生のときにやつておきたいよな、
といふことです。
 
いまの大抵の修學旅行や遠足などは、
ただのレクリエイションになつてしまつてゐて、
學校では我が國の歴史や文化のなりたち、
敬ふべき大切なものをなんら教へずに、
ただ子どもたちを名所舊蹟に引つ張つていき歩き廻らせてゐる。
子どもたちには何の感興も感動もない。
酷いものになると、
ディズニーランドや、テーマパークなどに連れて行つて、
子どもたちの淺はかな機嫌を取る。
 
歴史や風土を教へるにも、
子どもたちが我が國、我が土地、我が風土に、
誇りと美しさを覺えるやうな、
人の成長にふさはしい教へ方と内容が必要です。
 
そのやうな教育の根源は、我が國に於ては、
幸ひながら、古典作品に收められてゐます。
聲高に叫んだりしませんが、靜かに收められてゐます。
 
我が國の古典作品は、我が國の土着のものでありながら、
どこまでも高くて深い見識をいまだに湛えながら、
わたしたちのこころのとばりの向かう側に、
ひつそりと佇んでゐます。
 
その古典を學びながら、
そこから歴史と文化を知らうとしながら、
その固有の精神・神々と、
土地の精神・地靈の方々との、
交はりを求めてその傳來の土地の上に足を踏み出していく。
 
その足をもつての學びは、
なぜか人に自己肯定感と、
故郷に戻つた時のやうな、
どこまでも深い安心感を齎すやうに思へてなりません。
 
多くの問題、こころの問題のおおもとは、
己れの出自・源に對する不見識、否定感、不信感にある。
 
個人のこととしても、一國のこととしても、
わたしたちは子どもへの教育のあり方から、
大人自身の自己教育の方向性まで、
自分の足元を見直すやうなあり方を探つていきたい、
さう考へてゐます。

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2017年02月03日

身ニ染ミ入ル閑サヤ


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橿原の 杜の奥処(おくか)の 閑さや 凝りほどけし 神のまにまに 
諏訪耕志

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2017年02月02日

大伴氏への念ひ 〜鳥坂神社、橿原神宮をお参りして〜


今日は、奈良の橿原をひとりでぽくりぽくりと歩きました。
 
わたしは、いま、
萬葉集の作品を舞臺化することに取り組んでゐます。
その萬葉集を編纂した大伴家持と云ふ男が、
わたしの中で大きな存在に感じられてきてゐるのです。
 
ちなみに、わたしが住まひを定めて、
「ことばの家」を營んでゐる大阪の帝塚山は、
奇しくも古代、大伴部一族の屋敷があつたところです。
帝塚山古墳も家持の祖先である大伴金村のものだと云はれてゐます。
 
また、奈良の佐保川の邊り、
聖武天皇の御陵のすぐ前にある「日+月+星」で、
今囘の舞臺をさせてもらふことになりました。
その佐保は、家持が自身の文藝サロンを開き、
多くの美しく才長けた女性たちと共に、
日本の歌の美を磨き上げた場所でもあります。
 
帝塚山も佐保も、わたしの意識の外で導かれた場所なのです。
つい最近、さう云ふご縁に氣がつきました。
不思議ですね。
 
 
 
そんな大伴氏への意識から、
今日は、まづ、その大伴家持の祖先である、
道臣命(みちおみのみこと)が創建なされた、
鳥坂神社へ足を運びました。
ご挨拶と何かしらのお禮をお傳へしたくなつたのです。
 
鳥坂神社は、大伴氏の二祖神、
高皇産靈神と、
その子、天押日命(あめのおしひのみこと)を祭神としてゐて、
高皇産靈神は國創りに、
天押日命は天孫降臨の際大功あつた神です。
そして、道臣命もまた、
大伴部を率ゐて神武天皇の東征を援け、
功績のあつた方でありました。

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道臣命が創立された鳥坂神社

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鳥坂神社内の幾柱もの末社。手前の木の根元に鎮座されているのは住吉大明神。
縄が切れてをられたので、結わひつけさせてもらつた。

 

その神社にお參りしたあと、
次に行く橿原神宮までの道のりで何故か、
急に感情がこみあげてきて涙がぽろぽろこぼれてしまひました。
 
そして、日本第一代の天皇、
神武天皇をお祀りしてゐる橿原神宮を訪れました。
 
雪が羽毛のやうに天から舞ひ降りる中、
重みのある澁い面持ちでそこにをられる。
いまだに坐(ゐま)せられてゐる。
そんな神々しさを感じます。

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橿原神宮の外拝殿(げはいでん)


 
更に、その神宮の末社である長山稻荷社。
その赤い鳥居を幾つもくぐつていくうちに、
神の懐へ入り込んでゆく嚴肅な感覺に包まれるのです。
言靈の神でもあられる豐受氣大神(とようけのおほかみ)をお祀りしてゐるからでせうか。
この稻荷社は、橿原神宮御鎮座以前からこの長山の地にお祀りされてゐたさうです。
 
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畝傍山をうしろに長山稲荷社



大伴家持が萬葉集と云ふことばの藝術を記録する際に貫いた、
志と精神。
それをことばでいふことは簡單ではないですが、
いま、「大君への念ひ」といふことばが、
わたしの中に響きはじめてゐます。
 
橿原の道を歩いてゐて、
懐かしい故郷の道を踏んでゐるやうな、
もう二度と戻れない子どもの頃に急に歸つたやうな、
感情の搖さぶりを覺えたのはなぜなんだらう、
さう想ひながら歸つてきました。

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2017年01月30日

大人としての成熟に向けて 〜蒼井悠人さん「Quotes of the day」より〜


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蒼井悠人さんのブログ「Quotes of the day」の中から、
一年半前の記事ですがシェアさせてもらひます。
http://aoiharuto.squarespace.com/quotes-of-the-day/2015/10/15
 
ここで取り上げられてゐるのは、
昭和十一年に書かれた小林秀雄の『現代の學生層』といふ文章。
 
「大正デモクラシー」といふコトバにまみれるやうにして、
日本の世相が近代化の成熟、爛熟に至つてゐた約十五年間。
 
その大正時代を経て、多くの若い人たちが、
物質的な豐かさ故の虚しさを抱えて煩悶してゐたことを、
わたしは多くの先人たちが殘してくれた文章を通して、
知ることができました。
 
「大正デモクラシーをひと口で言ふと『猫なで声』と答へる」
(山本夏彦) 
 
いつの時代でも、若者たちは、志を己れの内に秘めてゐます。
昭和十年代のその秘められてゐる志に向けて、
小林秀雄は己れの志・ことばの矢を放つてゐます。
ぜひ、蒼井さんの記事でお讀みいただければと思ひます。
 
また、この蒼井悠人さんのやうに、
かういつた文章を選んでわたしたちにそつと指し示す人が、
現代にもゐるといふことに、
こころの泉から清い水が湧き出てくるやうな感慨を感じます。
 
成熟した、もしくは成熟を目指してゐる文章を書く人がゐて、
またさういつた文章を讀む力のある人がゐるといふこと。
さういふ書き手と讀み手が互ひに人としての力を高め合ふ關係性。
それは、本当にこころ強いことだと念ふのです。
 
さういふ關係性を通して、ひとりひとりの人が、
ことば・國語との付き合いを丁寧に育てていく。
 
そのやうな昔からの國語教育が、我が國では
少なくとも明治時代の半ばまで殘存してゐました。
 
その國語力の成熟こそが、
つまるところ、民族の成長力、國力として、
世界の中に於ける独自な貢献力へとなり變はつてゆく。
さう信じてゐます。
 
大きなものに、小さなものに、
みずから貢献する力の一部となりたい、
といふ若い人たちの志に火を点けること、 
さういふ關係性こそが、
わたしなど何よりも生きていく上での励みになります。
 
先人の文章といふものに敬意を抱きつつ、
ことばの道、文章の道、文藝の道が、
尊いものであることを念ひ起こしていく運動に、
わたしも馳せ參じてゐます。
 
ことばの美の道です。

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2017年01月29日

新年(旧暦)の祈り 〜止止呂支比賣命神社に参りて〜


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今日は夫婦ふたりして、まつたくのお休み。
ゆつくりゆつたりと過ごした一日。
 
近くの止止呂支比賣命神社(とどろきひめのみことじんぢや)に、
お參りして、舊暦の新年を改めて祝ひ、お祈りを捧げました。
 
ここは、御祭神に素戔嗚尊と稻田姫尊をお祀りしてゐる神社で、
また承久3年(1221年)、
後鳥羽天皇が行宮(かりみや)をお立てになつたところです。
 
我が國の隱遁詩人の系譜の先人として松尾芭蕉が私淑してゐた、
後鳥羽院です。
 
日本のことばの藝術の行く先を見はるかし、
その一筋の道を守り通した、
後鳥羽院の立たれた地に自分が立てることの、
かたじけなさを念ひました。
 
そして、わたしたちの「ことばの家」の行く末を、
一心にお祈りさせてもらひました。

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シュタイナー教育教員養成プレ講座 ありがたうございました


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今日は、大阪の泉佐野でゴールデンウィークから始まる豫定の、
シュタイナー教育教員養成 ファウンデーションコース
へ向けてのプレ講座でした。
 
參加された皆さんのフレッシュな意氣込み!
シュタイナー教育に關心を抱き始めたばかりの方も多く、
今日初めてオイリュトミーや言語造形と出會つたことの喜びと、
學びの仲間に出逢へたことの喜びとが輻輳する、
新しい始まりに向けての一日だつたやうに感じてゐます。
 
荻原史織さんの柔らかく纖細で、
意氣に滿ちたオイリュトミーでの導入、
山西眞理子さんの長いご經驗に裏附けされた講義、
午前中のそのふたつのクラスは、
いづれも穩やかで、かつ、
からだとこころを健やかにする時間でした。
午後はわたしによる言語造形と普遍人間學の時間でしたが、
隨分ととつちらかつたやうな時間になつてしまつたかな・・・?
 
しかし、スタッフのメンバーがそれぞれ、
要所要所で素晴らしい働きをしてくれたお蔭で、
參加者の皆さんの笑顏が美しい一日になりました。
 
和歌山でのシュタイナー學校の開校と歩を共にしながら、
シュタイナー教員養成をひとつの地道な運動として、
關西に根附かせていきたい。
さう希つての始まりの一日でした。
 
教員が必要です。
人間學を己が身の底に沈めてゐる教員が、
關西にももつと必要だと思つてゐます。
 
今日は、舊暦での一月一日。
ここでも大伴家持による萬葉集最後の歌、
新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
を皆で歌ひました。
 
新しい一歩を勇氣をもつて進めることができる一年となりますやうに。

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2017年01月25日

美の世界・國のかたち

 

 



文藝評論家の小川榮太郎氏が創る日本文化の美を見いだしていく番組『美の世界・國のかたち』を毎囘樂しみに觀てゐます。
 
白洲信哉氏をゲストに迎へての最新の「骨董始めませんか?」と「やきもの大國」も本當に面白く興味深いものでした。
 
おほらかに、かつ輕妙に、日本文化傳來の特質を、
親しく打ち解けて談りあふ、そんな番組です。
 
例へば器のやきものならば、
飾り物として保存するのではなく、
人がこころを籠めて持ち、用い、意識を注いだからこそ、
そのものに美が宿るとする、
そんな「ものへゆくみち」を歩む日本人のあり方。

また、
外國から來るものを決して拒まず、
むしろ、鷹揚として受け入れた上で、
それを自由自在に變形・變容させ、
他のどこにもないほどの高さと深さに練り上げていく、
わたしたち日本人の融通無碍なあり方。
 
そんな昔からの日本人のあり方から、
日本といふ國が古來育んできた文化的特質が生まれてゐます。
 
そのあり方の淵源を探るのは、
これからのひとりひとりの日本人に任されてゐますが、
それは本當に興味深い作業で、
なぜなら、それはみづからの出自に誇りを感じていくための、
人にとつてなくてはならない精神的作業だからです。
 
これからの子どもたちに何を傳へていくかは、
樣々ありますが、
その中でも尤も大切なもののひとつとして、
自國の歴史と文化を深く學ぶことがあります。
 
それは、みづからに對する信頼、
自尊心を養ふことへと繋がつていくのではないでせうか。
 
みづからに對する信頼、
決して傷つけられてはいけない自尊心、
それは、他者との關係性の中で、
よりよきものを生みだしていくための基だと思ふのです。
 
難しい理論ではなく、
暮らしの中で手にするもの、肌に觸れるものを通して、
わたしたちの精神文化の深さへの道を歩んでいく。
 
そんな道へのお誘ひが、
この番組だと思つてゐます。

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2017年01月24日

十年にして初めて神話の日に入る


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十年、眞つ向から何かに取り組んだ者にして漸く、
自分のしてゐることは、
自分だけの力で成り立つてゐるのではなく、
他の力との協働でなければ成り立たないことを身をもつて知る。
 
他の力、他力とは、
もう少し、文學的で本質的なことばにすると、
神の力である。
 
十年にして初めて、
創造とは必ず神の生み出すところによる、
といふことである。
 
「十年にして初めて神話の日に入る」
 
これは極めてリアルなことである。
 
十年である。
 
やはり、十年、要る。
 
人爲ではない、「何か」が生み出されるには、
十年間の修業の日が、修羅の日が、どうしても要る。
 
何かを引きずり囘したつもりが、
實はその何かに引きずり囘されてゐたことを知るのに、
十年はかかるのだ。
 
どんな仕事でも、眞つ向から十年取り組んだ人ならば、
そのことをきつと了解してくれるだらうと思ふ。
 
だから、自分たちの役目として、
若い人たちに、
そんな十年の修羅の時を經させることの可能な土台を、
しつかりと用意し、運營していくことができるのか、
といふことがある。
 
何の大きな組織にも屬してはゐないが、
「ことばの家」を通して自分が、
そのやうなことができるのかどうか、
今年はよく考へながら、探つていきたい。


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2017年01月21日

言語造形・名張クラス「こぴす」のお知らせ


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4月からの三重県名張市での新言語造形クラスのお知らせです。
 
基本的なことばの練習を重ねながら、
その人その人にふさわしい物語り、詩などを通して、
定期的に稽古を重ねていきます。
 
言語造形を通して、
ことばの力、輝き、
そして、
人と人とのハーモニーを生みだしていきませう。
 
三重に、言語造形といふことばを大切に扱う氣風が根付き、
ことばの精神が花咲き、言霊が幸ふ國となりゆきますやうに。

                     (講師 諏訪耕志)
 
日程:毎月第3土曜日(9月のみ 第2土曜日)  
 
時間:10時〜13時
 
場所:名張市内
 
定員:8名             
 
参加費:4月15日(土)は体験クラスになります。
    3500円(+講師交通費頭割り)
    
    5月より8月までの第一期 3500円×4=14,000円
               (+講師交通費頭割り)
 
    9月より12月までの第二期 3500円×4=14,000円
               (+講師交通費頭割り)
 
    1月より3月までの第三期 3500円×3=10,500円
               (+講師交通費頭割り)
 
連絡先:yuju30@hotmail.com(南)

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2017年01月20日

籠モリテ語ラハム


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冬一日(ひとひ) 風吹き荒れて 我ひとり 
籠もりて語らはむ 古人(いにしへびと)と

諏訪耕志

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1月28日(土)シュタイナー教員養成コース・プレ講座のお知らせ


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5月のゴールデンウィークから大阪の泉佐野市で、
シュタイナー教育教員養成 ファウンデーションコース
が始まります。
 
これまで、主に関東地方において、
このコースは行われてきましたが、
関西においては、これがおそらく初めてのものです。
 
近畿圏在住の方は、
日帰りで通ふことができるのではないかと思ひます。
 
また、このコースで學ぶことは、
今年の4月の開校を進めてゐる、
和歌山シュタイナー学校(仮)設立準備会
とも歩みを共にしてゐます。
 
このコースで學ぶことが、
和歌山での実際の教育の仕事へと、
ひとりひとりの人によつて繋げられていくことが、
希まれてもゐます。
 
 
わたしは、『普遍人陋{』と言語造形を担当させてもらいます。
 
シュタイナーによるこの『普遍人陋{』は、
教育の仕事における実用的なことが述べられてゐますが、
その実用とは精神の世界のことなのです。
 
実用的なことにあたつての動作を教へるものではなく、
あらゆる突発的な出来事に臨んでも驚かない志を教へます。
 
その志を己れのなかに育みつづける教師を産みだしていく。
そのためのコースです。
 
 
  
二年間のコースに先驅けて、1月28日(土)に、
一日プレ講坐を同じ場所で開きます。
 
これからの二年間を通して行われるこのコースの、
大本・指針を示すやうな時間になると思ひます。
 
わたしが担当させてもらひますのは、
『ことばと子どもの育ち 普遍人陋{第1講と言語造形の體驗』
といふものです。
 
子どもが幼児期から少年・少女期に成長していくとき、
傍にゐるわたしたち大人が、
子どもの成長にとつて、
何を大事なこととして守ることができるか。
 
それは、ふたつ、ある。
 
呼吸。
 
そして、眠りと目覚めの織りなしです。
 
その人間學を言語造形をもつて、
体感していくことを目指します。
 
どうぞ、奮つてのご參加をお待ちしてゐます。
 
 
 
◯日時:2017年1月28日(土) 10:00〜16:50
 
◯対象:教員、教育関係者、シュタイナー教育に興味のある方
 
◯場所:エブノ泉の森ホール会議室(大)
      〒598-0005 泉佐野市市場東1-295-1
     http://www.cf-izumisano.or.jp/izuminomori/
    
 
◯参加費:一般 12,000円 
 
◯お申し込み:
 シュタイナー教育教員養成ファウンデーションコース事務局
 ご氏名・ご連絡先・メールアドレスをご明記の上、
 メールまたはFacebookメッセージをお送りください。
 
 メール:kyouyou.foundation@gmail.com
 Facebook:
   「シュタイナー教育教員養成ファウンデーションコース」  
 
※お申し込みのメールを確認後、こちらから振込先をお知らせ致します。 入金の確認を持ちまして受付完了と致します。
 
※準備の都合上、入金後のキャンセルはお受けできません。
 ご了承ください。
  
 
【当日のスケジュール】
 
9:50〜       受付開始
  
10:00〜11:00   オイリュトミー(講師 荻原史織)
 
11:10〜12:30   講義@
         『子どもの導き手としての
          私たち大人のあり方』
          (講師 山西眞理子)
 
12:30〜13:30   昼休憩
 
13:30〜15:30   講義A・セミナー(講師 諏訪耕志)
         『ことばと子どもの育ち 
          普遍人間学第1講と言語造形の体験』 
 
15:40〜16:40   質疑応答 シェアリング
 
16:40〜16:50   インフォメーション
 
 
 
【講師紹介】
 
オイリュトミー 担当 荻原史織
スイス・ドルナッハにて、
オイリュトミー基礎課程、ゲーテアヌムグループ舞台研修修了。
昨年度までニューヨーク・スプリングバレーにて、
オイリュトミーの舞台公演活動、
オイリュトミー学校にて音楽オイリュトミーを指導。
シュタイナー学校・幼稚園等でもクラスを担当。
今年度より活動拠点をアジアに移し、
現在は台湾にて、
3ei オイリュトミー学校、シュタイナー学校、國立新竹教育大学・シュタイナー教員養成課程にてオイリュトミー指導。
 
 
講義@ 担当 山西眞理子
公立中学校教員時代、中学生は高校受験、その先は大学受験と、子ども達はいつも将来の準備に追われ「今」を生きていないことに気づく。『「子ども時代」にしか味わえないことを大切にしたい』という思いで、シュタイナー思想と出合い、学びを深めるため退職、渡英。マイケルホール(現エマソンカレッジ)にてシュタイナー幼児教員養成コースを卒業。1996年関西初のシュタイナー幼稚園『みのおシュタイナーこども園』を保護者や支援者とともに創設。こども園の保育者を経て、2007年より未就園児親子クラス"ひこばえ"を主宰。
 
 
講義A・セミナー 担当 諏訪耕志
1964年大阪市出身。
1994年より東京都新宿区にあった
ルドルフ・シュタイナーハウスにて言語造形家鈴木一博氏に師事。2004年より大阪市住吉区の言語造形のためのアトリエ「ことばの家」にて自身の活動を展開している。
言語造形の舞台、稽古、ワークショップ、日本古典文学の講義、アントロポゾフィーの講義などを通して活動中。
 
 
自分が擔當する講坐に關するご案内を
書かせてもらひました。
  
『ことばと子どもの育ち 〜普遍人陋{第1講と言語造形の體驗』
 
 ひとりひとりの子ども。
 そして、〈わたし〉といふひとりの人。
 その内側に祕められてゐるものを、
 ゆつくり、ゆつたりと、外側へと引き出していく。
 教育とは、さういふものなのではないでせうか。
 
 教員養成講坐の『普遍人陋{』を通して、
 その内側に祕められてゐるものを皆さんと共に學んでいきます。
 
 そして、言語造形を通して、
 自分自身の身をもつて、
 ことばを語ること、ことばを聽くことを習つていきます。
 なぜならば、「ことば」こそが、
 人の内側と外側とをつなぐ、
 大切な「精神のあらはれ」だからです。
 
 ※プレ講座にご參加される方は事前に、
  『普遍人陋{(精巧堂出版)』第1講
  をお讀みになることをお勸めします。

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2017年01月16日

雪ノ京都ニテ


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京都下鴨神社ノ摂社「河合神社」ニ詣デテ、
ソコニ祀ラレル玉依姫命ヲ訪ネユク。
下鴨に斎(いつ)き鎮まる常乙女(とこをとめ)ほほゑみわたれる白雪の花
諏訪耕志
 
 


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河合神社ヲ出デルヤイナヤ、陽ノ光差ス。
天(あま)照らす光は何のしるしやと斑雪(はだれ)の空に問ひかけし君
諏訪耕志

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2017年01月13日

川端康成『雪國』ヲ再讀ス


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何十年ぶりに川端康成の『雪國』を讀む。
二十代の時に讀んだ時もこの作品には強く惹かれた。
しかし、五十代になってゐるいま、
ここに登場してくる女や男の悲しみが、
以前よりいつさう身に沁みるやうに感じる。
 
昨年暮れ、東京の講演会で桶谷秀明氏の話しを聴き、
その時の彼のことばでとても印象的だったのが、
この作品についての感想であつた。
 
作品の最後のところ、
女が気が狂つてしまつた時、
男は己れのなかへ、
夜空に高く流れてゐた天の河が、
さあと音を立てて流れ落ちて來るやうに感じる。
 
そこのところを、
桶谷氏はとりわけ感銘深く受け取られ、
日本文學の粋であるというやうなことを、
仰つてをられたやうに記憶してゐる。
 
自分自身の宿阿を吹き飛ばすやうな、
人の生死の境に出逢ふ時、
天から何かが急に己れのうちに流れ込んで來て、
それによつて、
激しく揺さぶられ、攫(さら)はれ、洗はれ、
そして、生まれ変わつてしまふといふこと。 
わたし自身、若い時には分からなかつたその感覚。
 
今回はいつさうのリアリティーに迫られて感銘深く頁を閉じた。

後の世代の日本人が、
かういつた文学を愛讀していく、
そんな機縁を生み出していくために仕事をしていくのだ。
 

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2017年01月11日

日本文學を源流から辿る 〜2017年度 ことばの家 活動豫定(2)〜


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ことばの力に滿ち滿ちてゐる、
日本古典文學の魅力を新しく見いだしていくこと。
それが、これからの「ことばの家」からの新しい提案です。
 
わたしたちの學び舎での學びは、
作品の解釋から入つていくのではありません。
言語造形を通して、
作品の一文一文に體當たりしていくかの如く、
我が身をもつて聲を響かせ、手を動かし、
足を運び、こころを躍動させるのです。
 
そのやうにして、からだとこころまるごとで、
語り、謠ひ、演じていくことで、
古典文學の魅力を理屈拔きに實感していくことができるのです。
 
そこからこそ、作品との對話が始まります。
各々の作品がその祕められてゐる祕密を明かし始めてくれます。
ことばに込められた作者と時代の精神とが、
ものものしく語り始めてくれます。
 
それは、
わたしたち日本人のこころの歴史を探つていく試みなのです。
それこそが、わたしたち日本人の歴史、國史といつていいのです。
 
文學研究は、
文學を藝術として樂しみ、味はふことから始まり、
それは歴史を知ることへと續く道なのです。
文學とは、ことばの藝術であり、歴史であり、
わたしたちの道なのです。
その道は、
わたしたちを時に慰め、時に勇氣づけ、時に奮ひ立たせます。
そして、現代に生きるわたしたちを、
遠きご先祖の方々、先つ祖の方々と繋ぎます。
更に、未來を生きる若い人たちに、
わたしたちはこの國の美しさ、氣高さを、
誇りをもつて傳へていく義務があります。
 
言語造形を通しての日本古典文學の學び。
それは、
わたしたちをあらたに日本人としていく學びでもあります。
 
そして、母國語への愛を改めて意識的に育み、
母國語からの愛をわたしたちがまるごと十全に感じていく文化を、
まづは大人たちが取戻し、
そして子どもたちへの教育へとその愛を注ぎ込んでいく。
そんな仕事が待つてゐるのです。
 
神寂びて 調べ息づく ことのはを 我も語らむ やまとの空に 
諏訪耕志

 

火曜・日本神話舞台クラス(月四囘)
「古事記の傳へ・萬葉のいのち 〜言語造形で甦る我が國の神話と歴史〜」

 
古事記(ふることぶみ)、そして萬葉集などから、
我が國の神話と歴史を、
語り物として、演劇として、詩劇として、舞台化するべく、
言語造形に取り組んでいくクラスです。
 
舞台藝術として、
我が國の文化の源流である神話と歴史物語に取り組み、
あわせて、
ルドルフ・シュタイナーの舞台藝術論を學んでいきます。
5月から約一年かけ、
2018年のゴールデンウィークの上演を目指しつつ、
參加される方各々、ご自身の中で、
我が國の神話と歴史が、
己れの物語として、己れの詩として、
根附いていくことが希まれてゐます。
                      
              言語造形指導 諏訪耕志
 
 
お稽古日時  
2017年5月9日より毎週火曜日(月四囘) 10時〜13時
 
 
お稽古場所
ことばの家 
 
 
お月謝
毎月15,000円 (資料代、衣裝代、發表參加費含む)
 
 
お申込み  
ことばの家 
 
 
 
 
 

金曜サロン(月一囘)「萬葉のいのち 〜萬葉集を學ぶ〜」
 
言語造形を通して、萬葉歌を謠ひ、聽き合ひ、
からだまるごとでその感情と精神を感じることで、
我が國の歴史に潛むこころざしを探つていくためのサロンです。
 
千三百年以上前の日本語は、
わたしたちに意味を越えたことばの藝術性、
云はば、言語音樂、言語造形を響かせてくれます。
 
歌に祕められてゐる想ひの深さ。
その歌の背後にある歴史の必然の流れ。
ことばの精神・言靈と、我が國固有の信仰との、重なり。
 
さう云ふ日本文化の根柢となるものを新しく學んでいきませう。
 
我が國最古の詩歌集『萬葉集』は全20卷からなつてゐます。
第一卷から始め、毎月一卷づつ進んでいきながら、
その卷の中のいくつかの歌を取り上げ、
皆さんと共に言語造形を通して味はつていきます。
 
古來我が國で營まれてゐた、
ことばの美を愛し、追求していく、
文學サロンのやうな趣きを湛えるクラスです。
          言語造形指導、萬葉集講義 諏訪耕志
 
 
日時  2017年4月より第三金曜日  10時〜13時
 
 
場所  ことばの家 
 
 
參加費   毎囘3,500円  連續6囘 18,000円
 
 
お申込み  ことばの家 

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2017年01月10日

2月19日(日)第四回 ことよさしの會 〜シュタイナー教育における人形劇〜』


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この春から大阪の箕面で、シュタイナー教育に基づいた、
幼兒保育の仕事を新しく始められる山崎淳子さんによる、
人形劇公演のお知らせです。
 
シュタイナー教育の中でも、
とりわけ幼兒教育に於る人形劇は、
とても大切な想ひを子どもの幼い胸に運びこみます。
 
演者の人形を扱ふひそやかな身の運び、
語られるお話しに於ることば遣ひ、
そして人形劇全體を包み込む演者の意識、
それらは、
藝術的な呼吸・息遣ひに見事なまでに通はれてゐます。
そのやうな人形劇は、
言語造形と云ふことばの藝術から生まれ出ます。
 
羊毛にくるまれた可愛らしい人形には目も鼻も口もありませんが、
だからこそ、雄辯にイマジネーション豐かに語りだします。
だからこそ、靜かな、とても、靜かな時閧ェ生まれます。
 
子どもだけでなく、却つて大人の方が、
そのやうな靜謐な時閧求めてゐるやうに思はれてなりません。
 
言語造形を深く、長く、學ばれてきた山崎さんが、
「ことよさしの會」でそのやうな人形劇の時閧創つてくれます。
 
親子で、そして大人だけでも、どうぞいらしてください。
 
 
●日時 2017年2月19日(日)
第一回目 開演10時半 終演11時15分頃
第二回目 開演12時 終演12時45分頃
 
 
●場所 
ことばの家 
 
 
●参加費 
大人ひとり1,000円
親子一組(子どもは何人でも)1,500円
 
 
●お申込み
ことばの家 
お席の数に限りがありますので、
お早めにご予約をお願いいたします。 
以下のゆうちょ銀行への事前のお振込をもって、
ご予約完了とさせていただきます。
 
◎ゆうちょ銀行 
 記号 10260 番号 28889041 諏訪 千晴 (スワ チハル)


 
 
●演目
「星の銀貨」
「いろいろなところに連れて行ってもらおうとした男の子」
その他、歌、手遊びなど
 
 
●演者プロフィール
山ア淳子(やまざきじゅんこ)
1971年生まれ。大阪府箕面市に生まれ育つ。
日本シュタイナー幼児教育協会教員養成講座修了。
私立幼稚園教諭を経て、早期療育施設に勤務。
2009年から「みのおシュタイナーこども園」に勤務、
2013年からの3年間は担任を務める。
2012年より、言語造形を諏訪耕志氏に学ぶ。
現在は次の活動
(シュタイナーの人間観に基づいた少人数保育の場づくり)
にむけて準備中。
趣味はトランペット。
 
 
●山崎さんからのメッセージ
幼い子どもたちに、
「あなたがあなたになっていくのを楽しみに待っているからね」
という思いをいつも抱きながら、
保育という仕事に携わってきました。
子どもが「その子自身になっていく」過程に、
ひそやかに寄り添うような保育者でありたいと願いつつ、
学びを続けています。

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生誕劇クラスのお知らせ 〜2017年度 ことばの家 活動予定(1)〜


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新しい年が明けて、はや十日が経ちましたね。
2017年度における「ことばの家」の活動を
何回かに分けてお伝えいたします。

まずは、大人たちによる
イエス・キリストの生誕劇創りです。
これは各地のシュタイナー学校で、
子どもたちへの贈り物として、
毎年クリスマスに行われているものです。

生誕劇を通してイエス・キリストの誕生を祝うこと、
それはひとりひとりのこころにともしびを灯すような、
明るい光と暖かな情熱をもたらすような
祝祭行為なのです。

一年の終わりに、
その年を無事に暮らすことができたことへの感謝と、
次の年への新しい希望と意欲を共に分かち合い、
そしてその聖なる劇を、
シュタイナー学校に通っていない
多くの子どもたちにも観てもらうために、
言語造形を通して生誕劇を創っていきます。

言語造形をしたことがない方でも、大丈夫です。
まずは、ことばを丁寧に話す練習から始めて、
からだを使って舞台の上で語り、歌い、動き、
演じることをゆっくりと学んでいきます。
そうして、ことばの響きを大事にする、
こころの籠った生誕劇を、
力を合わせて共に創っていきましょう。

演劇を創っていくことを通して、
自分が発することばと自分のからだの動きを、
ひとつにしていく練習をすることになります。

その体験の連続は、
きっと、普段の暮らしのなかに働きかけていきます。

4月から月に約二回のペースで、
12月23日(土)の本番まで、約九ヶ月間、
「ことばの家」での演劇づくりに、
あなたも参加してみませんか。

諏訪耕志が演出・演技指導させていただきます。
また、歌唱指導として
北欧伝承歌の会の足利智子さんにも
お手伝いをお願いしています。
                   
2017年1月 ことばの家 諏訪耕志



●お稽古日時  
4月より第二・第四金曜日の午前10時から12時半まで
8月のみ第四金曜日のみ
11月は第二・第三・第四金曜日
12月は第一から第四まで毎金曜日

●お稽古場所  
 ことばの家 

●募集人数  
 7名

●お月謝   
 毎月8,000円  12月のみ16,000円 
 (資料代、衣装代、発表参加費含む)

●一括払い  
 75,000円 (資料代、衣装代、発表参加費含む)

●本番日時・公演会場   
 12月23日(土)13時開演予定  
 於 大阪市阿倍野区民センター小ホール予定



※絵はエル・エスコリアルの「無原罪の御宿り」です。




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2017年01月06日

天橋立ニ歸リテ


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伊邪那美(いざなみ)の 恕(ゆる)せし調べ 水面(みなも)にも
春の初めの 天橋立

諏訪耕志

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2017年01月05日

人と國の美しさ 〜天橋立への旅〜


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新春早々、夫婦二人で京都の丹後、天橋立に旅してきました。
 
宮津灣と阿蘇海。
丹後半島の根元にひつそりと奧まつて位置してゐるふたつの海。
天橋立はそのあひだにまるで浮かんでゐるやうです。
 
いづれも靜かに波打つ水面が、
女性的なものを感じさせてくれるからでせうか。
こころを穩やかにときめかせてくれます。
 
そして西から東へ天高く吹く風が、
わたしたちをまるで、
遠い神代の世界に連れていつてくれるやうな、
そんな夢のやうな時間でした。
 
天から乙女らが舞ひ降りてきたのは、
まさにここぢやないかと、感じたのでした。
 
百人一首の歌を想ひ出しました。
 
天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ    僧正遍照

 
 
夜、おいしい魚とお酒を求めて驛前の店に入ると、
思ひもかけず、地元の方にご案内いただいて、
更に旨い店での堪へられない舌鼓と人のこころの優しさ・・・。
 
この宮津と云ふ土地を、
こころから愛してゐる方々と出會へた歡びは、
旅を本當に深く豐かなものにしてくれました。
 
美しい人、そして美しい風土。
 
日本と云ふ國はこんな豐かさと美しさをいまだに湛えてゐる。
そのことを今囘の旅でも全身で感じさせてもらへたのでした。


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2017年01月02日

初春の歌


我ガ氏神様ノ生根神社、ソシテ大海神社ニ初詣ニ訪レテ。
初春の 神のやしろに つどひくる 民よ 我らよ 神代し念ほゆ
諏訪耕志
 

昨年の暮れ、フエイスブツクの「和歌の會」といふ、
やまとうたを愛する人たちが集ふ、
インターネット上のコミュニティーに参加させてもらえたことが、
わたしにとつては、永年憧れだけが募つてゐた歌づくりの道を歩みだす第一歩になつたのでした。
 
そこでは、気張ることなく、しかし、互ひに気遣ひを忍ばせながら、
歌のやりとりがなされてゐて、
まるつきり初心者のわたしでさへもが、
こころ安んじて厚かましく歌を投稿させてもらつてゐます。

歌、とりわけ、和歌(やまとうた)は、
まごころだけが載る、
不思議な文藝です。

和歌こそが日本の文學のおほもとであることを、
この歳になつてからだで感じることができたのでした。
 
「和歌の會」にいざなつてくださつた方、そして會の皆様に、
こころからの感謝を感じてゐるのです。

日本の歌と歌とが出逢う素晴らしい會へと、
「和歌の會」がいつさうなりゆきますやうに。 
 
日本語の奇しきさきはひを慈しむわたしたち。

皆様にとり今年も素晴らしい年になりますやうに。

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2017年01月01日

あけましておめでたうございます


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皆さま、あけましておめでたうございます。
 
昨年中、お世話になりました皆さま、
本當にこころからのお禮を申し上げます。
 
今年も更に「ことばの家」諏訪印は、
皆さんのこころに觸れるやうな仕事に邁進していきますので、 
なにとぞ、どうぞ、よろしくお願ひ申し上げます。
 
平成二十九年一月一日 ことばの家 諏訪耕志・千晴

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2016年12月28日

日本の家庭 (三・完) 〜父の姿〜


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この連載の第一囘目に、
大東亞戰爭の敗戰以前の、
日本の家庭觀、父親像に就いて考へてみたいと書きました。
 
それは、さう云ふ家庭觀、父親像に、
わたし自身が人間と云ふ存在の美しさを感じるからなのです。
 
わたし自身、昭和三十九年(1964年)と云ふ、
高度經濟成長期の眞つ只中に生まれたのにも關はらず、
自分の父親からそこはかとなくそのやうな像を感じてゐたからかもしれません。
 
以下の考察は、
保田與重郎全集第二十二卷収載の『日本の家庭』から、
わたしが自由に書き起こしたものです。
 
仁義禮智忠信孝悌と云つた徳目や神佛への信仰を、
道徳と云ふ形で荷つてゐたのは、昔の日本の父親でした。
 
父は先祖祭りを儀式として荷ひ、
母は祭りの團居(まどひ)に從事してゐました。
 
昔の日本の父は、
現世的な權力や威力によつて、
子弟たちを教育しようとすることは決してなく、
常に神棚と佛壇の前からものを言ひました。
祖先の靈から始まる、幾世もの先つ祖の、
更におほもとである神々を嚴重に信奉しました。
 
汝も日本人ではないのか。
 
祖先の靈をどう思つてゐるのか。
 
そのやうな數少ないことばと、位牌をもつて、
家の道徳、國の道徳を、守つてゐました。
それは決して、
理屈や教義によつて説かれたのではありませんでした。
 
日本の父のそのやうな無口が、日本の支柱でした。
 
そして長男は、父からの神聖な根據に立つ威嚴を具へるやうな、
家を精神的に繼いでいく存在として教育されてゐました。
 
次男、三男は、きつと家庭に因りますが、
軍人として、官吏として、商人として、
願はくば國の恩、世の中の恩に仕へ奉ろうなどと考へられてをりました。
 
しかし、明治の文明開化の代から始まるわたしたちの歴史は、
そのやうな父の意志、意力を、
だんだんと無口な悲しさへと追ひこんで行つたことを教へてくれます。
 
異國風の新しい教育學や思想に對面せざるを得なくなり、
以前よりいつさう無口になつて己れの信ずる祖先の靈と共に悲しんでおりました。
 
日本の家庭に於る教育環境を司り、
教養階級そのものであつた父が、
父たる傳統を失つた、その時から、
この連載の第二囘で述べた爐邊の母の物語も失はれていきました。
 
そして、やがて、日本の家庭が決定的に崩されはじめたのは、
大東亞戰爭の敗戰によつて敷かれたGHQによる占領政策以來のことです。
 
新しい教育學、保育學、教養論が、ますます人のこころを染めていきました。
 
そして、わたしたちは日本人であることを何か劣つた、
恥づかしいこととして、
云々するやうになりました。
自分自身への信頼をだんだんと失つていきました。
 
 
 
しかし、決して理論鬪爭を試みず、
神仏や先祖と繋がれて生きてゐる己れのありかたを
深く信じてゐた日本の父の姿は、
完全に失はれたのでせうか。
 
家の儀式祭祀を司り、
そこからおのづと家の道徳、躾、たしなみを、
ことばを越えたところで子孫に傳へていく父の道は、
果たして消え去つてしまつたのでせうか。
 
わたし自身、そのやうな昔の父の姿、風貌を新しく見いだし、
自分自身の中で新しく育て、
新しく次世代へ守り傳へていかうと考へてゐるのです。
 
第一囘 http://kotobanoie.seesaa.net/article/444941046.html?seesaa_related=category
第二囘 http://kotobanoie.seesaa.net/article/445052442.html?seesaa_related=category 



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2016年12月27日

舞台ニ立チシトキ


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「高瀬舟」公演ヲ前ニシテ。
この薄き 胸を貫き たまきはる いのち響(とよ)みて 世にしきなべよ
 
 
「高瀬舟」公演ヲ終ヘテ。
天(あま)駆ける 神なる龍の 涙こそ これより注ぐ 美(うるは)しの靈(たま) 
諏訪耕志

posted by koji at 22:43 | 大阪 ☁ | Comment(0) | やまとうたの學び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子どものこころの聲 〜学童保育の場での言語造形〜


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東京にある日能研の学童保育の場「まなびわらべクラブ」で、
昔語りをさせてもらひました。
 
身ぶりのたつぷりあるお話しをしてゐるうちに、
小學生たちもどんどん眞似をしだして、
一緒になつて歌ひだします。
 
そして、子どもたちと一緒にからだを動かしながら、
ことばを發していくことを試してみます。
 
子どもたちのこころは本當に、本當に、素直。
一番大切なのは、
子どもたちに何かをさせることではなく、
そのこころの素直な聲に耳を傾けることだと
感じたのでした。
 
何が聽こえてくるか、分からない。
けれども、子どものこころの聲に耳を傾けること、
そのこと自體がとても大切なこと。
そしてそのことによつて、
大人である自分自身のこころを、
纖細になりかはらせていくことが、
とても大切なこと。
 
子どもたち、スタッフの皆さん、本當にありがたう。

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2016年12月26日

大阪ノ住吉ニテ「ことばの家」二仕ヘハベリテ

 
いにしへに 波打ち寄せし 住吉(すみのえ)に あらたあらたに ことのはの波
諏訪耕志

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2016年12月25日

ありがたうございました!「第二囘おはなしペチカ」


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言語造形公演「第二囘おはなしペチカ」を終へることができました。
 
足利智子さんが奏でるタオライアーの響きは、
まるで天上と地上を繋ぐ架け橋のやうに、
聽き手のこころを物語の精神へといざなひ、
更に語り終はつた後、
その響きがわたしたち聽き手を物語の世界の果ての果てにまで
連れて行つてくれます。
 
その響きとともに、
八歳のかさねが語る「星の銀貨」、
千晴が語る「龍と詩人」、
いづれにをいても、
豐穣さに滿ち滿ちた美しい時間が紡ぎ出され、
わたしは終はつた後の餘韻の中に今もゐます。
 
先月の『高瀬舟』公演から引き續いて、
わたしたちは問ふてゐました。
言語造形が日本語の藝術として、舞臺藝術として、
しつかりと自立して存在していくことができるか、どうか。
 
答へは、
これからの舞臺活動によつてひとつひとつ、
出されていくのですが、
わたしたち自身の中に確かな信頼と希望が生まれました。
その確信こそが、
この秋から冬にかけてのわたしたちへの贈り物でした。
 
來て下さつた皆さん、
冩眞撮影してくださった山本美紀子さん!
本當にどうも有難うございました。
これからも、言語造形による舞臺へのご愛顧、ご聲援を、
どうぞよろしくお願ひいたします。

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2016年12月23日

天長節ヲオ祝ヒシテ


光あれ この國あげて ことほがむ この代の君の み光あまねく
諏訪耕志

posted by koji at 09:56 | 大阪 ☔ | Comment(0) | やまとうたの學び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月22日

明日の第二囘おはなしペチカ 〜眠りの世界〜


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明日、言語造形公演「第二囘おはなしペチカ」をことばの家にて迎へます。

これまで共に稽古をしてきて、とりわけ感じるのは、
この語りの藝術は、
過去の女性たちがずつとしてきたであらう、
「神がたり」だと云ふことです。

語りを聽いて、
そのお話の意味を取るのでもなく、
ストーリーを摑むのでもなく、
からだまるごとで息遣ひを浴びると云ふこと、
日本語と云ふことばにどつぷりと滲かると云ふこと、
ことばの精神とひとつになること、
それが、「神がたり」に觸れると云ふことなのです。

そこには、語り手の個人性が可能な限り滅却され、
ことばの精神、お話しの精神が立ち顯れてきて、
お話しを聽いた後、
この時間、いつたい何が語られたのか、判然としなかつたりします。
それは、まるで眠りから目覺めた後、
どんな夢を見たのか、はつきりとは言へないことと似てゐます。

さう、語りの時間とは、語り手にとつても、聽き手にとつても、
ダイビングするかのやうに一舉に眠りの世界に入り込んでいくことなのです。

そのとき、人は神經系でことばを聞くのではありません。
言ひ換へれば、頭を使つてことばを聞くのではありません。
血液系でことばを受け取るのであり、
首から下、胸や腹や下半身で、
さらにはからだを越へたところでことばを聽くのです。

眠りの世界、そこは、
人が精神によつて洗ひ淨められる時間と場所です。

posted by koji at 14:04 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 講座・公演・祝祭の情報ならびにご報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フト鳥ノサヘズリヲ聽イテ


机ノ前ニ坐シテ本ヲ讀ミ耽リシ時、
フト鳥ノサヘズリヲ窓ノ外ニ聽イテ。
まなかひに 二羽のめじろの 睦ましく 葉かげに憩ふ わが胸の奥かも
諏訪耕志

posted by koji at 10:41 | 大阪 ☁ | Comment(0) | やまとうたの學び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする