2022年10月07日

言語芸術としての国語教育 シュタイナー教育の観点から






全身に浴びるやうに言語の芸術である昔話を聴いたり、わらべ歌を共に歌つたりしたい、第一・七年期の幼い子どもたち。

そして、我が胸から言語を空中に解き放ち、空気の中に言語を造形するといふ密やかな憧れを持つて、胸をときめかせたがつてゐる、第二・七年期にゐる小学生たち。

ことばを造形したい、といふ憧れ。

実は、その憧れをすべての人が持つてゐるのです。

2022年9月27日(火)、青森県三沢市の中川塾にて行ひました「アントロポゾフィーハウス青森」での講座からご覧いただきます。

この講座の後のカレーライス、美味かつたなあ・・・☺️


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【アントロポゾフィーハウス ことばの家 オンラインクラスのご案内】


【「いかにして人が高い世を知るにいたるか」オンラインクラス】
●zoomによるオンラインクラス開催日時
木曜クラス(毎週) 20時〜21時
日曜クラス(毎週) 20時〜21時
●ご参加費
体験単発参加  2000円
お月謝制(基本的に月に4回) 5000円


【「テオゾフィー 人と世を知るということ」オンラインクラス】
●zoomによるオンラインクラス開催日時
毎月二回 いずれも土曜日
(正確なスケジュールは、下記の「含まれるクラス」欄にてどうぞご確認ください)
午前10時〜12時
●ご参加費
体験単発参加  3500円
6回連続    18000円


※連続ご参加の場合、ご自身のご都合による欠席は講座費は払い戻しはいたしません。後日、録画した動画をご覧いただけます。

●お振込み先
// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041
スワ チハル

// 他銀行から //
店名 〇ニ八(ゼロニハチ)
普通 2888904

参加費をお振り込みいただいた方に、zoomのIDとパスワードをお伝えします。


●お申し込み・お問い合わせ
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/


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HP「アントロポゾフィーハウス ことばの家」
https://kotobanoie.net/
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諏訪耕志ブログ『断想・・アントロポゾフィーに学びつつ・・』
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2022年10月05日

ミカエルのお祭りの日に









わたしたちは、いま、本当に、目覚める必要があるのではないか、さう考へてゐます。


目覚めるといふことは、安楽なことでも、安易なことでもないですね。勤しみが要ります。


その勤しみのひとつに、アントロポゾフィーの学びと実行があります。


100年前からアントロポゾフィーは、ひとりひとりの人に、目覚めを促がすべく、その人のこころからの勤しみを呼び起こさうとしてゐます。


その営みは、今の多くの人が嫌ふところです。


睡眠薬のやうなことばが、逆に、好まれてゐます。


しかし、そのやうなこころの安楽椅子に座り続けてゐた時、誰が困るかと言へば、その人自身といふよりも、その人の、子や孫の世代なのです。


ある世代が眠りこけるやうな意識に覆はれると、次の世代や、次の次の世代が惨状を被るのです。


つまり、本当に考へるべきことを考へない時空間がある一定期間続くと、そこに、精神のブラックホールのやうなものが生まれ、その時空間に一気に悪がなだれ込み、何年か、もしくは何十年かして、その悪が現象化するのです。


そのことを世界の歴史が証してゐること、アントロポゾフィーからも学ぶことができます。


さて、眠りこけてゐるとは、どのやうな状態を指すのでせうか。一方、目覚めてゐるといふのは、どのやうな状態を指すのでせうか。


わたしたちは、そのことこそを、みづからで考へてみた方がいいやうに思ふのです。


秋の訪れ、それは、人の意識の目覚めを促がす季節の到来です。


いまが、そのときです。


秋のお祭り、ミカエルのお祭りにちなんで、アントロポゾフィーの精神の学の向きで、二回に亙つて語らせてもらつてゐます。


多くの方のこころに届くことを願ひます。わたしたちの子どもたちのためにです。




2022年10月04日

『ミカエルのお祭り』ルードルフ・シュタイナー



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我々、いまを生きる人

靈(ひ)の朝の呼び聲

ミカエルの朝の呼び聲を

ふさはしく聴き取りてしかり

靈(ひ)を知ること

そはこころに啓かむ

まことの朝の呼び聲への聴き耳を



posted by koji at 09:21 | 大阪 ☀ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月03日

10/14(金) アントロポゾフィーハウス 出会ひの会 第二回目のお知らせ!(参加費無料)



毎月、第二金曜日の午後7時から8時まで、zoomを使つて、「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会」を持つてゐます。


それは、日本全国から、もしくは海外からでも、アントロポゾフィーに関心を寄せる人が、まづは、気軽に参加できることのできるオンライン上の場です。


今月は、10月14日(金)午後7時から8時まで、参加費は無料です(時間が延長することもあると思ひます)。


この「出会ひの会」によつて、アントロポゾフィーに出会ひ始めた多くの方が、アントロポゾフィーを学び、生き、アントロポゾフィーから仕事を産み出していかうとしてゐる人々との関はりを持ち始めるきつかけを産み出していくことができれば、さらには、アントロポゾフィーからの社会的な運動へと展開していく何らかの動きを産み出していくことができれば、との切なる念ひを持つてゐます。


この会では、参加して下さつた皆さんのこころとことばが花開くやうな時間になることを願つてゐます。つまり、皆さんからのアントロポゾフィーに対する積極的な思ひをことばにしていただけたらといふ願ひです。


そして、この「出会ひの会」は、アントロポゾフィーのそもそもの精神と現代の精神に鑑みて、公開のものとして、オープンなあり方を試みて行きたいと考へてゐます。


毎回の「出会ひの会」は、録画され、編集したうえで、何らかの形で you tube などを通して公開してまいります。


アントロポゾフィーを通して、世に健やかな発信をしていくことができればとの願ひからの企図です。


とは、言ひましても、肩ひじ張らず、等身大のことばを発し合ひ、聴き合ふ中で、互ひに学び合ふことができたら、いいですね。


新しくアントロポゾフィーやシュタイナー教育に出会はれてゐる方々との出会ひをこころから待ち望んでゐます。


お申し込みいただいた方に、zoomミーティングのIDとパスワードをお送りします。どうぞ、お気軽にお申し込みくださいね。


●お申し込み先  
ホームページ「アントロポゾフィーハウス ことばの家」 のアクセスページからメッセージをお送りください。


※お申し込みの際、簡単な自己紹介文をお書きいただければ、ありがたいです。そして、人数制限をしておりますので、お申込みいただいても、ご参加できないこともありますこと、どうぞご了承ください。


前回の第一回目の録画動画





posted by koji at 22:02 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平等に皆に嫌はれるやうにする?






オンラインクラス『いかにして人が高い世を知るにいたるか』クラスでの越中奉さんとの対話の様子です。

越中奉さん、どうもありがたうございました。


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【アントロポゾフィーハウス ことばの家 オンラインクラスのご案内】


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2022年09月30日

こころのこよみ(第26週) 〜ミカエルの祭りの調べ〜



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ラファエロ「大天使ミカエルと竜」



自然、その母なるありやう、
 
わたしは、それを、意欲において担ふ。
 
そして、わたしの意欲の火の力、
 
それが、わたしの精神の萌しのかずかずを鍛へる。
 
その萌しのかずかずが、みづからの情を生む、
 
わたしをわたしにおいて担ふべく。   
 
  
 
Natur, dein mütterliches Sein,
Ich trage es in meinem Willenswesen;      
Und meines Willens Feuermacht,         
Sie stählet meines Geistes Triebe,         
Daß sie gebären Selbstgefühl           
Zu tragen mich in mir.             
 
 
 
 
先週の『こころのこよみ』で、「内なるこころの光と熱。これほど、頼りになるものがあるだらうか。」と書いた。
 

この頼りになるものを、わたしたちひとりひとりの人にもたらさうとしてくれてゐる精神存在がゐる。さうシュタイナーは語つてゐる。
 

大いなる精神存在、ミカエル。
 

この存在は、どのやうにして、この時期に、わたしたちのこころとからだに働きかけて下さつてゐるのだらうか。
 

今週の『こよみ』を読んでみる。口ずさんでみる。
 

息遣ひも活き活きと、声を解き放ちながら唱へてみる。何度もこころとからだで味わつてみる。意欲をもつて、ことばとつきあつてみる。
 

さうすると、普段以上の意欲をもつてしなければ、何も感じられないことに気づく。
 

そして、積極的にことばを唱へるほどに、こころへと立ち上つてくる意欲といふ熱があればこそ、我がこころとからだが活き活きとしてくるのを感じる。
 

我がからだもこころも、「自然」の内のひとつである。


その熱をもつてこそ、最も近く親しい「自然」を担つてゐると感じることができる。
 

意欲とは、わたしのからだへと、こころへと、下から、足元から、立ち上がつてくる熱である。それは熱心さであり、こころざしの顕れである。
 

その「意欲の火の力」があつてこそ、その火を、わたしが、燃やすからこそ、わたしのからだとこころに、上から、天から、降り注いでくる「考へ・想ひ・こころざし・精神の萌しのかずかず」である光がだんだんと暖められ、鍛へられる。
 

わたしたちは、この時期、上からの光(考へ)と、下からの熱(意欲)とを、織りなしあはせる。その織りなしあひが、こころに「みづからの情」を生む。
 

その情とは、「わたしは、わたしだ」「わたしは、ひとりだ」といふこころの真ん中に生まれる情だ。


その情をもつて、わたしといふ「ひとりの人」は活き活きと甦つてくる。


恐れや不安や物思ひなどを凌いで、「ひとりの人」としてこの世に立ち、目の前にあることにこころから向かつていくことができる。


光としての考へが、こころを暖め熱くするものへと練られ、実行可能なものへと鍛へられていく。
 
 
 
 
そのやうに、自分のこころとからだで、『こころのこよみ』のことばをひとつひとつ味はつていくと、シュタイナーが多くの著書や講演で語つた精神存在を、リアルに親しく感じることができる通路が開かれていくし、さうしていくことによつて、実人生を安らかに確かに積極的に歩んでいくことができると実感する。
 
 
 
これからの秋から冬にかけて、外なる闇と寒さがだんだんと深まつてくる。そしてややもすれば、闇と冷たさがこころにまで侵蝕してくる。
 

そんな時に、内なるこころの光と熱を、ひとりひとりの人がみづからの力で稼ぐことができるやうにと、共に一生懸命働いて下さつてゐるのが、ミカエルだ。
 

一方、闇と寒さを人にもたらす者、それがミカエルの当面の相手、アーリマンだ。
 

人を闇と寒さの中に封じ込めようとしてゐるそのアーリマンの力の中に、剣の力をもつて、鉄の力をもつて、切り込み、光と熱を人のこころにもたらす助けを、秋から冬の間にし、毎年毎年、ひとりひとりの人が、キリスト・イエスが生まれるクリスマスを、こころに清く備へ、整へるのを助けて下さるのが、ミカエルだ。
 

シュタイナーは『こころのこよみ』を通して、ことばの精神の力を四季の巡る世に打ち樹てようとした。
 

祝祭を、世における大いなる時のしるしとして、ひとりひとりの人がみづからのこころにおいて新しく意識的に創つていくことができるやうにと、『こころのこよみ』を書いた。
 

キリスト者共同体司祭であつたミヒャエル・デーブス氏が語つたこととして、以下のことばがある。


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大天使ミヒャエルといふ大いなる方が、精神の世から、すべてのイニシアティブを持つ人に力を贈り始めたのは、1879年だつた。その年、シュタイナーは18歳で、「人における知ることの秘密(認識論)」に取り組み始めた。


そして、33年経た1912年に、シュタイナーはアントロポゾフィー協会を立ち上げ、この『こころのこよみ』を世に贈り出した。


33年といふ時間は、イエスがこの世にフィジカルなからだを持つて存在した時間であり、その誕生から十字架の死を経て、甦るまでに要した時間だ。


シュタイナーは語つたといふ。「いま、起こつてゐることは、ひとつのクリスマスのありやうだ。これから33年後に、その甦りの祭り、復活祭がやつて来るだらう」と。


精神のことがらが、地上において成就するには、その仕事が着手されてから33年かかるのだ。


(ミヒャエル・デーブス『魂の暦について』からの要約)


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このシュタイナーによる『こころのこよみ』とは、大天使ミカエルとの共同作業によるひとつの結実と言へるかもしれない。


『アントロポゾフィーのこころのこよみ』。


「こよみ」とは、事(こと)をよむことであり、言(ことば)をよむことであり、心(こころ)をよむことである。
 

意識的に四季を生きること。四季を『こころのこよみ』とともに生きること。それは、地球をも含みこむ大いなる世(宇宙)と共に、精神的に生きるといふ新しい生き方を、わたしたちが摑む手立てになつてくれるだらう。


また、みづからの狭い枠を乗り越えて、こころの安らかさと確かさと積極さを取り戻す手立てにもなつてくれるだらう。
 
 
 
 
自然、その母なるありやう、
わたしは、それを、意欲において担ふ。
そして、わたしの意欲の火の力、
それが、わたしの精神の萌しのかずかずを鍛へる。
その萌しのかずかずが、みづからの情を生む、
わたしをわたしにおいて担ふべく。




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こころのこよみ(第25週) 〜仕事の季節〜



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ルオー「《受難》1 受難」1935年



わたしはいま、わたしを取り戻し、
 
そして、輝きつつ、内なる光が拡がりゆく、
 
空間と時の闇の中へと。
 
眠りへと自然がせきたてられるとき、
 
こころの深みはきつと目覚めてゐる。
 
そして、目覚めつつ、太陽の熱を担ひゆく、
 
寒い冬のさなかへと。
 
  
 
Ich darf nun mir gehören          
Und leuchtend breiten Innenlicht          
In Raumes- und in Zeitenfinsternis.   
Zum Schlafe drängt natürlich Wesen,        
Der Seele Tiefen sollen wachen           
Und wachend tragen Sonnengluten      
In kalte Winterfluten.   
 
  
 
 
陽の光と熱を浴びながら歩き回る夏の彷徨が終はつて、静かに立ち止まり、内なるこころの光と熱を生きていく秋が始まつてゐる。
 

内なるこころの光と熱によつて、こころが目覚めてゐるといふこと。


「わたしがわたしである」ことに目覚めてゐるといふこと。
 

そして、こころが生きる情熱を感じてゐるといふこと。
 

これほど、頼りになるものがあるだらうか。
 

これがあれば、秋から冬にかけて、たとへ外の世が生命力を失つていき、枯れていつても、内なるこころは、きつと、「ひとりのわたし」として、活き活きと目覚めてゐることができる。
 

夏にいただいた太陽の光と熱の大いなる働きを、内なるこころの光と熱としていく。
 

そして、来たる冬の寒さのさなかへと意欲的にそのこころの光と熱を注ぎ込んでいくことができる。
 

光と熱。
 

それはいまやわたしのこころの内から発しようとしてゐる。
 

そしてこれからやつてくる冬の闇と寒さとのコントラストを際立たせようとしてゐる。
 

太陽の光と熱と共にあの夏をからだ一杯で生きたからこそ、この秋があるのだ。そして、この秋が、冬へと引き続いていく。
 

そのやうな季節のつながり、くりなし、なりかはりをていねいに、確かに、感じること。それが、内なるこころのつながり、くりなし、なりかはりをも自覚することへと繋がつていく。
 

四季を生きること、一年のいのちを生きることが、みづからを知ることへとわたしを導いていく。
 

この『こころのこよみ』に沿ひつつ、四季それぞれに息づいてゐる「ことば」を聴く。
 

ならば、それらの「ことば」が、生命ある連続としてこころにしずしずと流れてくる。
 

夏、外なる光と熱の中にわたしは溶け込み、ある意味、わたしはわたしを見失つてゐた。
 

秋、わたしはわたしを取り戻し、萌してゐた希みが羽を拡げようとしてゐる。
 

さあ、これからが、稔りの季節、粛々とした仕事の季節だ。
 
 
 
  
わたしはいま、わたしを取り戻し、
そして、輝きつつ、内なる光が拡がりゆく、
空間と時の闇の中へと。
眠りへと自然がせきたてられるとき、
こころの深みはきつと目覚めてゐる。
そして、目覚めつつ、太陽の熱を担ひゆく、
寒い冬のさなかへと。



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こころのこよみ(第24週) 〜生産的であるもののみがまことである〜



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みづからを絶えず創り上げつつ、

こころは己れのありやうに気づく。

世の精神、それは勤しみ続ける。

みづからを知ることにおいて新しく甦り、

そしてこころの闇から汲み上げる、

己れであることの意欲の稔りを。
 


Sich selbst erschaffend stets,         
Wird Seelensein sich selbst gewahr;      
Der Weltengeist, er strebet fort        
In Selbsterkenntnis neu belebt        
Und schafft aus Seelenfinsternis       
Des Selbstsinns Willensfrucht.     



創る人は幸ひだ。生み出す人は幸ひだ。育てる人は幸ひだ。
 

金と引き換へにものを買ひ続け、サービスを消費し続ける現代人特有の生活のありやうから、一歩でも踏み出せたら、その人は幸ひだ。


その一歩は、料理を作ることや、手紙や日記を書いてみることや、花に水をやることや、ゴミを拾ふことや、そんなほんの小さな行ひからでもいいかもしれない。


この手と脚を動かし、世と触れ合ふ。


そのやうな行為によつてこそ、みづからを創り上げることができ、その行為からこそ、こころは己れのありやうに気づく。


そして、「世の精神」。
 

それは、一刻も休まず、勤しみ、生み出してゐるからこそ、「世の精神」であり、だからこそ、太陽や月は周期を持ち、四季は巡る。


「世の精神」はそのやうにして絶えず勤しみながら、人に働きかけ、また人からの働きかけを受けて、絶えず己れを知りゆかうとしてゐる。


「世の精神」みづからが、人との交流を通して、己れを知らうとしてゐる。「世の精神」は、人の働きを待つてゐる。


そして更に「世の精神」は、人といふものにみづからを捧げようとし、人といふものから愛を受け取ることを通して、より確かに己れといふものを知りゆき、己れを知れば知るほど、そのつど新たに新たに「世の精神」は甦る。


同じく、わたしたち人は、そんな「世の精神」に倣ひつつ、地球上のものといふものに働きかけ、ものを愛し、ものに通じていくことをもつて、みづからを新たに新たに知りつつ、たとへ、肉体は年老いても、そのつどそのつどこころは甦り、精神的に若返ることができる。


「世の精神」には、人が必要であり、人には「世の精神」が必要なのだ。


我が国、江戸時代中期を生きた稀代の国学者、本居宣長(1730-1801)も、そして、ゲーテ(1749-1832)といふ人も、その「世の精神」に倣ひ続け、「ものにゆく道」を歩き通した人であり、両人の残された仕事の跡を顧みれば、晩年に至るまでのその若々しい生産力・創造力に驚かされる。


シュタイナーは、そのゲーテのありかたをかう言ひ当ててゐる。


ーーーーー


ゲーテは、ひとたび、こんな意味深いことばを語りました。

「生産的であるもののみが、まことである」

それは、かういふことです。
 
人は、きつと、みづからを、まことの有するところとなします。
 
そして、まことは働きかけます。
 
そして、人が生きて歩むとき、まことは、まことであることの証を、生産的であることを通して見いだします。

これが、彼にとつて、まことの試金石でした。

すなはち、生産的であるもののみが、まことです。

(1908年10月22日 於ベルリン 講演「ゲーテの密やかなしるし」より)


ーーーーー


秋には、「己れの力」が「意欲の稔り」として発露してくる。


創ること、生み出すこと、育てることなどの行為は、わたしたち人にこころの確かさ、安らかさ、活発さを取り戻させてくれる。


そして、行為し、ものと交はり、人と交はる時に、各々人は初めて、己れのこころの闇に直面する。壁に突き当たる。


しかしながら、その己れの闇を認め、赦すことからこそ、「わたしはある」「わたしはわたしである」といふ、こころの真ん中の礎である情に目覚め、己れであることの意欲の稔りを、汲み上げていく。


「ものにゆくこと」「生産的・創造的であること」、それがまことへの道だ。

 
 
みづからを絶えず創り上げつつ、
こころは己れのありやうに気づく。
世の精神、それは勤しみ続ける。
みづからを知ることにおいて新しく甦り、
そしてこころの闇から汲み上げる、
己れであることの意欲の稔りを。



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2022年09月29日

理想をことばに鋳直すお祭り ミカエルのお祭り



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秋の祭りである、ミカエルのお祭り。


それは、夏の間、高く大いなる世に拡がつてゐたわたしたちのこころと精神が、冬のクリスマスに向けて、再び、わたしたちのからだへと戻りくることを、強く、確かに、促すためのお祭りです。


だからこそ、この秋のお祭りを創ることによつて、人は、自分自身の本当の理想やまことの考へをふさはしく、精神の鉄の剣をもつて「ことば」にする力、「ことば」に鋳直す力を得ることができるのです。


言語の理想主義。


それは、わたしたちのこころを健やかに甦らせてくれます。


アントロポゾフィーから、そのやうな精神のお祭りを創つてゆく。


それは、アントロポゾフィー運動のひとつの仕事なのです。




posted by koji at 18:37 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミカエルの日 オンラインクラスのご案内



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今日、9月29日は、西の国々で祝はれてゐる「ミカエルの祭り」の日です。


目覚めることの意味を確かめる祭りの日です。


そんな今日の夜、ルードルフ・シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』のオンラインクラスをいたします。


今日といふ日を機会に、この目覚めへの自己教育の集ひに加わつてみませんか。


20時から21時までの一時間、毎週木曜日のクラスです。


このミカエルの日に、新しく、自己教育の道を歩み始めて行きませう。


今日は、その祝ひの日に適ふやうな時間にしたいと考へてゐます。



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2022年09月28日

いまといふ時代



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ルードルフ・シュタイナーは、1916年に、こんな発言をしてゐます。「21世紀の初めに、今はまだ述べることができないやうな形で、悪が現れるでせう」


そして、オランダのアントロポゾーフであつたベルナード・リーヴァフッドが1992年、死の一か月前に語つたことばにも驚かされます。


「この戦ひが最もひどくなるのは、2020年から2040年あたりに来るといふのがわたしの予測です。そのときに、悪魔の奈落が開くでせう。ナチスやボルシェビズム(共産主義的全体主義)はこれと比べれば青ざめてしまふでせう。その時、何百万もの人々が奈落に突き落とされるでせう。しかし、何百万もの人々が抵抗するでせう」(『魂の救済』より)


いま、まさに、そんな時代に突入してゐる。


いま、現実化してゐるのは、多くの愚行が多数派によつて常識とされ、健全な考へを持つ人が変人扱ひされようとしてゐる状況です。


恐怖を与へることによつて大衆をコントロールする全体主義の跋扈が、だんだんと始まつてゐます。これは、確かに、ナチズムよりも、ボルシェビズムよりも、巧妙で恐ろしいものです。


なぜなら、この大衆洗脳を意図するプロパガンダによつて、人は、権力に圧迫されなくても、自分自身から愚行に走るからです。


他人を守る、他人に迷惑を掛けないといふ、美辞麗句の裏では、恐怖がその人のこころを支配し、その恐怖から他人に指図しようとしてゐます。


恐怖といふ網が、人のこころを覆ひ尽くし、社会まるごとをがんじがらめにしてしまつてゐます。


きつと、その影響でせう、若い人の自死が、わたしの周りでさへも、聴かれるやうになつて来てしまひました。


人々をこころの檻の中にがんじがらめにするために、実は、国際資本主義者たちと国際共産主義者たちはひとつに繋がつてゐる。


マスコミやアカデミズムや政府からの声明によつて、表舞台では対立してゐるやうに見えるのですが。


と言ふよりも、どちらも、共通の巨大な経済の力でいいやうに動かされてゐて、その力が全世界を一元化して支配しようとしてゐる。


裏側でうごめいてゐたその悪魔的な動きがはつきりと表面化しだしたのは、コロナパンデミックが始まつた2020年からではないでせうか。


それは、ずつと以前から周到に用意されてきたことだつたことを、わたしは知ることができました。その、「ずつと以前」が、どの位の「以前」なのかを、たとへば、林千勝氏やその他の方々の書物を通しても知ることができました。


いま、まさに、ひとりひとりの人に問はれてゐるのは、「人にとつては物質的生命がすべてであるとする唯物主義」か「生命と同じほど、いや、それよりも大切なものとしてのこころと精神の価値を認める見識と覚悟」か、どちらを選ぶのかといふことです。


わたしも、その意識を持つて、今を生きてゐます。この危機感からアントロポゾフィーハウスを始めてゐます。


この21世紀の今、アントロポゾフィーが必要だと強く感じてゐます。


アントロポゾフィー運動において、わたしたちは小さなグループをいくつも作り、恐怖から自由になり、この時代を生き抜いて行く叡智と勇気を各々ひとりひとりの胸の内に育んでゆくのです。


最後にふたたび、先に書いた、国際資本主義者と国際共産主義者とをひとつに繋げてゐる者たちについて語つてゐる1908年のシュタイナーのことばに帰ります。


「ロスチャイルド家の四人の人物がフランクフルトから世界各地に移住した時のことをお話ししなければなりません。サロモン・ロスチャイルドはウィーンへ、ナータン・ロスチャイルドはロンドンへ、カール・ロスチャイルドはナポリへ、ヤコブ・ロスチャイルドはパリへ移りました。そして、銀行といふものが、彼らの天分によつて、エゴイスティックなものになつてしまつたのです。人といふものが、金銭のために売り渡されてしまつたのです。・・・人であることを無力にする力がすでに蔓延つてゐます。かうして、世界をよく観ると、いかに人といふ人が、いま、唯物主義の深淵に向かつて突き落とされようとしてゐるかが見えてきます。しかし、人であることが救はれえます。ふたたび、精神の世に昇りゆくことができます。内なるこころの力を強めることを通して、人といふものをよそにした資本の力から自由になることを学びつつ、人は救はれるのです」(『ヨハネ黙示録』より)





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2022年09月26日

運命の呼びかけに応じるのか、どうか






ここで語られてゐる「仕合はせ」といふことばは、往々、「運命・カルマ」と呼ばれるものです。人みづからがしたこと(仕事)が、後の人生において、みづからに合はさつて来ることを言ふ、古い日本語です。

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2022年09月24日

天井の上には光り輝く部屋が拡がつてゐる






想ひ患ふことから、考へることへの、シフトチェンジ。

それは、わたしたちが「ひと」になりゆくための、たいせつな技量。


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2022年09月22日

骨に立ち返る



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どんなに不精な人でも、実は、日がな一日、ずつと、手足をぶらぶらさせて生きてゐます。つまり、常に、動いてゐます。からだは、ずつと、動いてゐるのです。


そして、こころも、常に動いてゐます。それは、気持ちの揺れ動き、浮き沈み、こころ変はり、といふやうに言ひ表されますが、現代人であるわたしたちに最も特徴的なのは、常に、考へてゐるといふことです。


しかも、その考へられてゐる考へが、次から次へと、とめどもなく、移り変はつてゆくこと。さらには、その考へが、その人みづからが考へたいことではなく、何か外からの働きかけを受けて、考へさせられてゐることによるものだといふことです。


考へたいことを考へてゐるのではなく、考へさせられてゐるのです。


その考への生には、自由といふものがありません。


その考への生には、精神といふものがありません。


わたしたちは、立ち止まる必要があります。


さう、からだは、常に動きの中にあります。


しかし、こころこそ、自由になるために、立ち止まる必要があります。


こころが立ち止まればこそ、そこに精神・靈(ひ)が現れます。宿ります。留まります。


精神・靈(ひ)は、外からの影響がすべて鎮まつたこころのしづかさの中に現れます。


精神・靈(ひ)は、時間の外に現れます。


こころが、時間の流れから出ることができた時に現れるもの、それが、精神・靈(ひ)です。


こころを止むことのない動きから解放し、しづかさの中へといざなふためには、意識的に、からだの動きをも、ゆつくりとさせる、もしくは、止める、といふことが有効だと感じてゐます。


さらには、こころのしづかさへと至るために、からだの中の骨を意識するといふことがとても有効です。


からだの内なる骨の存在を意識するのです。


からだを動かす時にも、筋肉で動かず、骨を動かす、骨が体の動きを導く、そんな感覚です。


骨は、からだの内で、死んでゐます。


生きてゐるこのからだの内側にあるのにもかかはらず、死が司つてゐる場所なのです。


死んでゐるからこそ、そこに、精神・靈(ひ)が通ひます。


そのやうな骨を意識し始めると、こころに、しづかさが、しづしづと、流れ始め、拡がり始めます。


そのとき、こころはしづまり、安らかさ、穏やかさに立ち戻り、外からの桎梏から解き放たれる自由を生き始めることができます。


しづかさの中で、本当に、わたしが考へたいことを考へる。


その時、人は、自由です。


ミカエルの秋(とき)に向けて、そんなことを念ひます。




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2022年09月19日

母なるいのちの源からの力



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絵は安田育代氏



子どもがこの世に生まれて来て、初めて地上で触れる芸術。


それが、お母さんの声、お母さんのことばですよね。


声といふ芸術は、母なる生命の源から流れ來る、命の川の流れにも似た、人生の始まりを支えるものです。


それゆゑでせうか、人生の終はりにおいても、その源へ帰るといふ情から、戦争などで死んでゆく若者などは、「おかあさあん!」と絶叫すると聞きます。


いのちの流れ、それはエーテルの流れです。


息遣ひに裏打ちされた声とことばは、エーテルの流れに沿つて、人から人へと働きかけ、空間を満たさうとします。


親からことばをかけてもらふことが、幼い子どもにとつて、どれほど欠かせないことか。


子どもに食べ物さへ与へれば、からだは大きくさせて行くことができるかもしれません。


しかし、その子にことばがかけられなければ、その子は、生命力を育むことができないのです。


生命力。生きて行くための力。根源の力。母なるいのちの源からの力。


それは、子どもの傍にゐる、大人からのことば遣ひ、息遣ひによつて、子どもに与へられるのです。


言語造形は、そのことをリアルに感覚するための絶好の芸術です。


幼い子どもたちへのことば。


そんなことばの芸術、「言語造形」の発表会を、青森・三沢にて11月26日(土)に、和歌山・岩出にて12月18日(日)に、行ひます。





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2022年09月18日

目覚めよ



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甲山(かぶとやま)が後ろに控えるわたしが卒業した関西学院大学



昨夜も、とても嬉しいことに、娘たちとたつぷりと話しを交はすことができました。


何気なく話し始めるところから、やがて深い語り合ひにおのづと入つて行く中で、十代の若い人たちが、また、ご縁のある方々が、学ぶ喜びを自分自身で呼び覚まして行く。


それは、ひとりの親としても、また我が仕事としても、コツコツとなして行きたい仕事です。


わたし自身の十代後半の想ひ出として、お恥ずかしいことながらいまだ夢見心地の意識でありましたが、ひたすらに大学といふところへの期待がありました。


はつきりと意識されてはゐなかつたのですが、わたしには、学ぶといふことへの強い強い憧れがありました。それは、すなはち、「人といふもの」を知ることへの強い憧れでした。


だからこそ、人を求めてゐました。


客観的な科学などではなく、学問に、芸術に、仕事に、精魂込めて生きてゐる「人」を求めてゐました。


客観的な、冷たいものではなく、こころからの暖かさに触れたかつたのです。


しかし、大学で、人を見いだすことはできませんでした。


そこには、教室がありました。図書館がありました。研究所もありました。事務所もありました。しかし、「人」はゐませんでした。


別のたとへになりますが、子どもも、若者も、自分たちだけでは、いくら大自然のもとにゐようとも、その自然から何も学ぶことはできません。自然について生きた語りをする大人が、どうしても要るのです。


同じく、文化の営みに入つて行きたい若者も、その文化の営みを生きてゐる大人がそばにゐる必要があるのです。


そして、さらに大切なことは、学び手である若者に、「うやまひ」と「へりくだり」の情が内に育まれてゐてこそ、初めて彼は「人」に出会ふことができるといふことです。


客観的な科学を第一の主要課題とする現代の教育機関では誰も教へてくれないことです。


そのやうな客観的な科学に押しのけられて、ほんものの智慧(この「智」といふ漢字は、「とも」とも読みます)は泣いてゐる。まさに100年前、そんなことをルードルフ・シュタイナーは語つてゐます。


「わたしの名は、客観的な科学の前では名のることを許されてゐない。わたしは、フィロソフィー、ソフィア、智慧である。わたしは、愛といふ恥ずべき名と、その名によつて含まれてゐるものを持つてゐる。そして、それは、人のこころの奥深くの愛と関はりがある。わたしは、人前には出られない。どうしても顔を伏せて歩いてしまふ。「客観的な科学」は、「フィロ(愛)」を含まないことを誇りにしてゐる。さうして、そもそもの「ソフィア(智)」を失つてゐる。しかし、それでも、わたしは歩んで行く。そもそも、わたしは、なほ、人であることの気高い情を内に担つてゐる」(1922年10月4日 シュテュットガルト 「青年のための教育講座」から)


若い人たちは、まどろんでゐます。しかし、そのまどろみをみづから引き裂いて、目覚めたいと切に求めてゐます。


しかし、その求めに応へるには、わたしたち大人こそが、まどろみをみづから切り裂き、目覚めなければなりません。


フィロソフィー(愛智)に出会ふこと。


フィロソフィー(愛智)を生きる人に出会ふこと。


そのやうな仕事を始めて行く必要が、あるやうに思はれてなりません。


そのためには、まづ、わたし自身が、目覚めてゐる必要があります。








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2022年09月17日

敬ふ人(敬ふ精神)がこころにある、といふこと



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わたしのこころの内には、何人かの精神の巨人が、ありありと生きてゐるがごとく、ずつと存在してゐます。


それは、20世紀初頭に中部ヨーロッパで生き、働いたルードルフ・シュタイナーであり、また、この日本の昭和時代を生き抜いた小林秀雄、保田與重郎、三島由紀夫といふ方々です。そして、現存されてゐる方で、執行草舟氏が古典的な精神の人としてわたしの内に存在してゐます。


ルードルフ・シュタイナーは、ひたすらに、ヨーロッパの精神をふさはしい方向へと導くべく黙々と仕事を積み重ねた人であり、人々がまことのキリストのこころざし(Christ Impuls)に目覚めるためのことばを倦まず弛まず語り続けて死んで行つた人だとわたしには思へます。


小林、保田、三島、それらの方々は皆、日本の精神を日本の精神として打ち樹てるべく黙々と仕事をし、人々がまさに日本古来の神ながらの精神にふたたび目覚めるべくことばを倦まず弛まず語り続けた方々であり、そして今も、執行氏はひとりその仕事に邁進してをられます。


西と東において、文化に大きな違ひがありますが、わたしの内においては同じ響きを強く確かに奏でる方々なのです。


それは、人が、精神といふもの、神々しいものを意識に目覚めさせ、その上で、みづからの足で立つこと、自立すること、自主独立すること、人として自由になりゆくこととはどういふことかを、真摯に考へ続け、それを己が身において実行し続けた人である、そんな歌を生涯を賭けて、片やドイツ語で、片や日本語で歌ひ上げた(歌ひ上げてゐる)方々なのです。


キリストのこころざし(Christ Impuls)。


神(かむ)ながらの道。


それらは思念で重ね合はせるものではなく、我が人生においてこそ、その重なりを自得してゆくものである。


それらが重ね合はされるのを待ちつつ稼ぐことが、我が生涯の仕事であります。


だから、毎日、その方々の全集を読み続けることが、我が日々の仕事です。


それは、わたしにとつては、そこに山があるから登る、といふ、登山家にとつての当然の行為の対象であり、また、垂涎の的でもある山に向かふがごとき行為なのです。


敬ふ人(敬ふ精神)がこころにある、といふことは、まこと、幸せなことだと思ひます。




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2022年09月15日

こころのこよみ(第23週) 〜霧のとばり〜



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秋めいて和らぐ、

感官へのそそり。

光の顕れに混じる、

ぼんやりとした霧のとばり。

わたしはみづから観る、場の拡がりに、

秋、そして冬の眠り。

夏はわたしに、

みづからを捧げてくれた。



Es dampfet herbstlich sich            
Der Sinne Reizesstreben;            
In Lichtesoffenbarung mischen          
Der Nebel dumpfe Schleier sich.         
Ich selber schau in Raumesweiten         
Des Herbstes Winterschlaf.           
Der Sommer hat an mich            
Sich selber hingegeben.       



ゆつくりと和らいでくる陽の光。


それとともに、感官へのそそりも和らいでくる。


そして、秋が日一日と深まりゆくにつれて、過ぎ去つた夏と、これからやつてくる冬とのあひだに、立ちかかるかのやうな、霧のとばり、「秋霧」。


その「とばり」によつて、戸の向かう側とこちら側にわたしたちは改めてこころを向けることができる。


戸の向かう側において、過ぎ去つた夏における世の大いなる働きの残照をわたしたちは憶ひ起こす。


夏における外なる世の輝き。


そして夏における内なるこころの闇。


その外と内のありやうを憶ひ起こす。


そして、戸のこちら側において、だんだんと深まつてくる秋における生命の衰へと、来たるべき冬における生命の死とを、わたしたちは予感する。


これからの冬における外なる世の闇。


そしてクリスマスに向かふ内なるこころの輝き。


その外と内のありやうを予感する。


夏を憶ひ起こすことと、冬を予感すること。


こころのアクティブな働きをもつて、その間に、わたしたちは、いま、立つことができる。


さうすることで、きつと、こころが和らげられ、静かでありながらも、意欲を滾らせてゆくことができる。



秋めいて、和らぐ、
感官へのそそり。
光の顕れに混じる、
ぼんやりとした霧のとばり。
わたしはみづから観る、場の拡がりに、
秋、そして冬の眠り。
夏はわたしに、
みづからを捧げてくれた。




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2022年09月14日

人生は、いつでも、これからだ



年齢が幾つになつても、自分自身を成長させて行くことができれば、と念ひます。


だけれども、ややもすると、「変はりゆくんだ」といふ気持ちを忘れてしまひ、「このままでいい」「変はりたくない」「余計なことはしたくない」「わたしには関係ない」といふやうな思ひに、わたしも支配され、外の動きに対してオープンではなくなつてしまふことがあります。


だからこそ、そんな「変はりたくない」といふ怠惰な自分に向かつてやつて来る仕合はせ(運命・カルマ)は、わたしの眠気まなこを目覚めさせてくれるのです。


その仕合はせは、他者からある仕事を依頼されるといふやうな形でわたしを訪れることがよくあるのです。


その外からのわたしへの働きかけに対して、先ほど書いたやうに、自分の怠惰なこころもちから、なかなか気が乗らなかつたり、苦手意識が首をもたげて来たりして、その働きかけに即座に応じることができなかつたりします。


でも、そんなことが起こるたびごとに感じることですが、「えいやっ」と気持ちを引き締めて、その頼まれた仕事に自分自身からアクティブに取り組みだすと、必ず、その仕事は今の自分自身にとつて必要であり、とても有益なものであること、そして己れの成長に実は欠かせないものであつたことに気づかされるのです。必ず、です。


精神の学、アントロポゾフィーに学ぶことは、数限りなくありますが、この、仕事への取り組み方、もつと言へば、仕合はせ(我が運命)への向き合ひ方を習得させてもらふことこそが、わたしにとつて本当にたいせつで、ありがたいものかもしれません。


なぜなら、その練習によつて、わたしは、ますます<わたし>になりゆくことができるからなのです。


わたしと精神・靈(ひ)を繋げることができるからなのです。


結果的に、わたしは人様との関係を信頼に満ちたものへと深めゆくことができる。


そのことは、明らかに、わたし自身、この人生において、最も求めてゐるものであります。


だからこそ、そんな練習に沿へなかつた幾つかの経験を苦く想ひ起こします。ご迷惑をかけてしまつた幾人もの方、ごめんなさい。


人生は、これからだ、と思つてゐます。




posted by koji at 10:50 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月13日

何十年か後に分かる〈考へ〉






人は、ある成熟を経たときにこそ、分かるものがある。

そのとき、分かる〈考へ〉。

そこに向かつて、人と人とが語り合へたら・・・。


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2022年09月11日

いかにして人は学びにどつぷり浸れる場を創るにいたるか 〜日本におけるこれからのアントロポゾフィー運動〜



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先日の「出会ひの会」においても、「アントロポゾフィーの学びにどつぷりと浸れる場がどんどん無くなつて来てゐる」といふ話に深く聴き入りました。


ヨーロッパやアメリカなどにおいても、その傾向はどんどん進んで来てしまつてゐるといふことでした。


ましてや、アントロポゾフィーといふ百年以上前に中部ヨーロッパで生まれた精神の学を、日本語で、日本の文化において捉え直し、日本の土着性の中で根付かせて行かうとしてゐるわたしたち日本人にとつて、そのやうな環境はあるのでせうか、ないのでせうか。


わたし個人の中では、それは「あつた」と言へます。しかし、いまは、「ない」としか言へません。


事実として、約30年前の1993年から、東京都新宿区高田馬場にあつた「日本ルドルフ・シュタイナーハウス」において、わたしは毎日、言語造形といふ芸術実践に就くことができ、アントロポゾフィーといふ精神の学にどつぷりと浸ることができました。


そこには、七年間、通つたのでした。


1980年代に盛んにスイスやドイツに留学した、わたしよりもひとつ前の世代と言つてもいい方々が日本において学びの場を生み、育てて下さつたお陰と言へます。


さう、そのときは、人から人への生きた受け伝へがありました。まるで、江戸の幕末から明治維新後の私塾のやうな形でした。


厳しい指導でした。しかし、間違ひなく、そこには愛があり、涙があり、汗があり、何よりも、掛けに掛けた時間の蓄積がありました。


人が成長するための学びにおいて必要なものとは何でせう。


それは、必要であるならば必要なだけ、時間を掛けることです。はしょらないことです。いいとこ取りしないことです。安全地帯から飛び出して、学びに没頭する一定の時間を持つことです。


さうして、初めて、人は、己れといふものに信頼を持つことができ、少々のことがあつても挫けずに、学びの道を歩き続ける強さが血と肉となつて身につきます。


だからこそ、その学びが、その人の仕事へと転化されてゆきます。一人前の仕事となるべく、仕事も、その人も、共に成長して行きます。


アントロポゾフィーは、ひとりひとりの人の「仕事」になつてしかるべきものなのです。その人の「人生そのもの」「生きることそのこと」になつてしかるべきものなのです。


そのためには、どつぷりと学びに浸る時間の蓄積が、どうしても要る。


さう思はずにはゐられないのですが、そのやうな志は、精神からしか出て来ません。


経済のことや他のしがらみなどのことを考へてゐては、全くもつて、そのやうな精神からの発意は死んでしまひます。


萌してきた精神の発意を殺さずに、発芽させ、成長させていくことを専一に考へ、実行して行きさへすれば、経済的なことやその他のことなどは、後からついて来ます。


わたしのこれからの仕事は、リアルな場とオンラインでの場とを連携させながら、アントロポゾフィーと芸術実践に没頭できる場づくりであり、そのためには、いま一度、わたしみづからが、経済的なことやその他のことなどを措いて、我が精神の発意の芽を伸ばしていくことなんだとこころに決めてゐます。


このままだと、いくらインターネット技術が便利になり、栄へようとも、日本においては、アントロポゾフィーを仕事にする人はゐなくなり、必然的に、アントロポゾフィーといふ精神運動は絶えます。


しかし、ひとりの人からの発意が、何かと結ばれて、日本のこれからのアントロポゾフィー運動のひとつとして、きつと、なりなりてなりゆくのです。



アントロポゾフィーハウス 諏訪耕志

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2022年09月10日

同時代を生きてゐる〜「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会 第一回目」〜






昨日の第一回目「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会」にお集まりくださつた皆さん、本当にありがたうございました。


真摯に、熱く、アントロポゾフィーについて語り合へる、あのやうな場が生まれたのは、ひとへに、ご参加くださつた皆さんのお陰です。


ある人から問ひが発せられ、問はれた人はその問ひを元手に、考へ、そして、その考へをことばにしてみる。


その姿は、美しい。そのやりとりは、自由が息づく空間が拡がつてゆくやうな感覚を感じます。


そして、第一回目を終へ、わたしがとりわけ強く感じましたのは、「わたしたちは、いま、同時代を生きてゐる」といふ情と感覚でした。


何がどうなるか全く分からないこの世において、それでも、わたしたちは踏ん張つてこの人生を生き抜いて行く、その心根と目覚めた意識を持つ人が、アントロポゾフィーの生成に情熱と希望を抱いて、この同じ時代を共に生きてゐる。


この出会ひの会は、はじめてアントロポゾフィーに触れ始めた人が、そのやうな「アントロポゾフィーを生きる」人に出会ふ場でありたいと思ひます。


この会が、アントロポゾフィーといふ「人を知る」学びへの入り口、入門の場になることができれば、とも希つてゐます。


そして、昨日の会でも話題に上つた、「アントロポゾフィーの職能への道」に着手する糸口を探る場に成長していくことができれば、といふ志が、わたしの内に、脈打つてゐます。


アントロポゾフィーには、教育、農業、医学、芸術などの様々な領域があります。


それらすべての実践活動には、すべて、密(ひめ)やかな学び、こころの育みが裏打ちされてゐます。


アントロポゾフィーのその様々な領域に関心を寄せる、様々な人が自由に集まることができる、そんな場にしていきたいと考へてゐます。


そして、この時代を生き抜いていく、暖かく豊かでしなやかな意識を、共に、強め合ひませう。


次回、第二回目は、第二金曜日、10月14日、夜の7時から8時までの予定です(時間が延長することもあると思ひます)。


●お申し込み先  
「アントロポゾフィーハウス ことばの家」ホームページのアクセスページからメッセージをお送りください。


※初めてのお申し込みの際、簡単な自己紹介文をお書きいただければ、ありがたいです。そして、人数制限をしておりますので、お申込みいただいても、ご参加できないこともありますこと、どうぞご了承ください。




posted by koji at 18:33 | 大阪 ☀ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月07日

地道な練習 情を鍛える芸術実践とメディテーション






アントロポゾフィーにおける二つの実践的な柱、芸術実践とメディテーションは、共に、人のこころの営みを精神へと育みます。

とりわけ、情の営みを精神の境へと拡げ、養ひます。

その情の営みは、こころの世において、精神の世において、フォルムを描きます。

そのフォルムをありありと観つつ、生きることへと意識を啓きゆくこと。

そのことの地道な練習の繰り返しが、だんだんと、こころをからだから自由に羽ばたかせていくことへと結びついてゆきます。

こころが、からだを土台としながらも、からだから離れうる、それは、自由なる精神への羽ばたきなのです。



2022年09月06日

こころのこよみ(第21週) 〜問ひを立てる力〜



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わたしはこれまでにない稔りの力を感じる。
 
それはしつかりとわたしにわたしみづからを与へてくれる。
 
わたしは感覚する、萌しが熟し、
 
そして予感が光に満ちて織りなすのを。
 
内において、己れの力として。
 
          
 
Ich fuhle fruchtend fremde Macht      
Sich starkend mir mich selbst verleihn,    
Den Keim empfind ich reifend        
Und Ahnung lichtvoll weben         
Im Innern an der Selbstheit Macht.     
 
 
 
 
「これまでにない稔りの力」とは。
 

それは、夏、こころにおいて稼がれた、新しい感じ方、考へ方、ものの捉へ方を、その後何度も繰り返し自分自身に引き続き、問ふて、問ふて、問ひ続けることから生まれる力のことである。
 

夏は、豊かな自然の輝きが人に語りかけてくるときであつたし、人と人とが出会ひ、交はる季節だつた。
 

しかし、そのやうに外の世が輝いてゐるとき、人と人とが交はる、そんなときこそ、みづからが孤独であることに思はず出くはしてしまふこともあるのではないだらうか。
 

みづからが孤独であることに出くはして、初めて人は孤独であることの意味を見いださうと葛藤し始める。
 

そして葛藤するといふことは、「わたしは、いつたい、どのやうに生きていきたいのか」といふ問ひをみづからに問ふといふことでもある。
 

みづからに問ひ続ける。そして答へを探し求める。
 

その自問自答の繰り返しが、何を育てるか。
 

己れみづからに問ひを立てる力を育てるのだ。
 

その「問ひを立てる力」が、「わたしみづからの力」「己れの力」としての「稔りの力」をわたしにもたらしてくれる。
 

ふさはしく問ひを立てることこそが、手前勝手な答へを作りだして満足することへと自分を導くのではなく、精神といふ高い次元に耳を澄ませる力になりゆくからだ。
 

そして、己れが生まれ変はることへの予感が、ゆつくりと、こころの内に光に満ちて織りなしていく。
 

それは、秋といふ季節ならではのこころの織りなしである。
 

そのやうにして、秋とは内なる意識が明るんでいく季節だ。
 

意識が明るむ、とは何とありがたく、幸ひなことだらう。
 
 
 
 
わたしはこれまでにない稔りの力を感じる。 
それはしつかりとわたしにわたしみづからを与へてくれる。 
わたしは感覚する、萌しが熟し、 
そして予感が光に満ちて織りなされるのを。 
内において、己れの力として。
 

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2022年09月04日

新しく創つてゆく力






考へることによつて、頭でっかちになるだけでなく、心配性や不安やネガティブな思ひに自分自身が巻き込まれてしまふことがあります。

しかし、ルードルフ・シュタイナーは、それは、考へる働きの誤用によるものだと告げてくれてゐます。

考へる力によつて健やかに、創造的になるやうに。

そのために、密(ひめ)やかな学びがあります。


♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾


【アントロポゾフィーハウス ことばの家 オンラインクラスのご案内】


【「いかにして人が高い世を知るにいたるか」オンラインクラス】
●zoomによるオンラインクラス開催日時
木曜クラス(毎週) 20時〜21時
日曜クラス(毎週) 20時〜21時
●ご参加費
体験単発参加  2000円
お月謝制(基本的に月に4回) 5000円


【「テオゾフィー 人と世を知るということ」オンラインクラス】
●zoomによるオンラインクラス開催日時
毎月二回 いずれも土曜日
(正確なスケジュールは、下記の「含まれるクラス」欄にてどうぞご確認ください)
午前10時〜12時
●ご参加費
体験単発参加  3500円
6回連続    18000円


※連続ご参加の場合、ご自身のご都合による欠席は講座費は払い戻しはいたしません。後日、録画した動画をご覧いただけます。

●お振込み先
// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041
スワ チハル

// 他銀行から //
店名 〇ニ八(ゼロニハチ)
普通 2888904

参加費をお振り込みいただいた方に、zoomのIDとパスワードをお伝えします。


●お申し込み・お問い合わせ
アントロポゾフィーハウス ことばの家
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2022年09月03日

『これからの28年』から一年が経ちました



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下の文章を書いてから今日で丁度一年が経ち、改めて念ひます。この一年、わたしにとつて経なければならない紆余曲折、我が穢れを祓ひ落とす禊ぎのやうな出来事を経た後、新しい方々との出会ひ、新しい仕事、新しい人生が、まこと、ありがたくも、始まつてゐます。今年に入つて冬から春へ、そして夏、そして秋へと向かはうとしてゐる今、出航し始めたばかりのこの人生の新しい大海原はどこまで遠くへ広がつてゆくのか見当がつかないのですが、自分自身のオールを握つて、航路を渡つてゆくのだといふこころもちを授かつてゐます。本当に、ありがたいことです。それは、この旅が、多くも多くの方々(生きてゐる人、亡くなつてしまつた人、人以上の方々)に守られ、支へられ、導かれてゐることを感じるからです。
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『これからの28年』


健やかに生きて行くこと。


「あなたが生きて行く上での目標は」などと、たとへば、街頭アンケートで問はれたら、わたしは、たぶん、そのやうな答へをすると思ひます。


からだにおいて健やかであることもさうですが、とりわけ、こころにおいて健やかであることです。


しかし、健やかに生きて行くこと、それは、並大抵のことではありませんよね。


人生の複雑怪奇さに通暁して行くためには、何かが必要だと感じます。


そして、探します。


そして、前の人生からのご縁で、その何かに出会ひます。


様々なものと人に出会ふことができましたが、わたしにとつて決定的だつたのは、ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーとの出会ひでした。28歳の時でした。


そして、いま、56歳です。


この28年間、わたしは、アントロポゾフィーといふ海の中に飛び込み、泳ぎ続けて来ました。


その海は、ルドルフ・シュタイナーといふひとりの人の「行ひ」と「ことば」と「考へ」から、生きて織りなされてゐます。


そして、すぐに気づかされることなのですが、それらの織りなしは、個人性を超えて、深く、深く、世と人類の始原、天地の初発(あめつちのはじめ)に届くものでした。


とにもかくにも、わたしは、その海を泳ぎ続けて来たのです。


そのやうな海の深さがあるのにも関わらず、わたしは水面近くをアップアップしながらの格好のよくない泳ぎ方でしたが、それでも、泳ぎ続けては来ました。


そして、56歳のいま、もし許されるなら、かすかすながらもこの海を泳いできた力をもつて、のちの人とのちの世に少しでも資する仕事をさせてもらひたい。


世と人が健やかになりうるやうな、アントロポゾフィーからの仕事をさせてもらひたい。


さう、こころに決めてゐます。


何ができるのか、本当に未知ではあります。しかし、これまでにして来たことの先に道は長く果てしなく延びてゐます。


アントロポゾフィーといふ精神の学の根源と言つてもいい、「ことばの教育・ことばの芸術」を礎(いしづえ)にした「子どもたちの教育、若者たちの教育、人の教育」を織りなす社(やしろ)造り。


それが、全く新しく、友と力を合はせながら織りなして行きたい仕事です。


たくさんの方々に教へを乞ひながら、これまで海を泳いで来た自身の力を注ぎ込みつつ、友と協力し合つて、やつて行きたい。


これからの28年をもつてです(😆)!




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2022年09月02日

豊穣なる母



サムネイルの絵は、安田育代氏「母と子」



ビルディングを高く聳え立たせ、その高みへと登らう、登らうとしてゐる男たち。(今は、そんな元気も失せがちです)

一方、そのビルディングを支へてゐる大地の豊穣を保ち続けて来た女たち。(今は、そんな根気も失せがちです)

この見方は、あまりにも、前時代的なものでせうか。

男であること、女であることのことたるところ。

父であること、母であることのことたるところ。

それらは、とこしへに人の内に息づく。

精神の学「アントロポゾフィー」の学びから、わたしは確かにさう思ひます。

わたしたちは、性に囚はれない自由な生を謳歌していい時代に生きてゐるのかもしれません。

しかし、神から授かつてゐる性別といふものに、誰かからのプロパガンダなどに惑はされず、これまでよりも深い視点を持ちつつ、このかけがへのない生を生き抜いていきたいものです。






2022年09月01日

かりそめの誠意ではなく



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東山魁夷「白い馬の見える風景」



言語造形の舞台をしてゐる時や、講義や講演をしてゐる時、どうあがいてみても、美しく歌ふことができない時があります。


どうしてだらう。準備も重ねたし、気持ちの面でも意識の上では前向きになつてゐるのに。


しかし、本当は分かってゐるのです。


生活。


生活に原因がある。


毎日の生活のなかで重ねられていく意識はやがて無意識の底に沈められていくのだけれども、その沈められてゐるものの質に原因がある。


生活がまつすぐになつてゐないのである。


生活の中で余計なことをしすぎ、余計なものを喰らいこみすぎている。


そして、作品に対するまごころ、ことばに対する敬意への意識がどこか不鮮明になつてゐるのです。


そのことを念ふとともに、保田與重郎のことばにすぐに帰りました。


 心持が如何にことばの風雅(みやび)の上に現れてゐるかは、
 心持の深さや美しさのものさしとなるし、
 作者が神の創造の思想に達している度合のめもりである。
 かくして言葉に神のものが現れるといふ言霊の風雅(みやび)の説は、
 人各々の精神の努力と誠心とから遊離せぬものである。
 人各々の心にある神が、ことばにも現れたときに、
 その歌は真の美しい歌となるといふ意味だからである。
 我が内に鎮(しづ)まる神が現れることは、
 かりそめの誠意ではあり得ないことであった。
                      (『古典論』より)


與重郎のことばは、わたしにとつて清潔で志の通った山であり、谷であり、川であり、海であります。


そこに帰つていくことで、わたしは漸くそのことばの内に宿つてゐるいのちの泉から清冽な水を汲み、喉を潤します。


美(まこと)は、いかにして、我が身を通して生きうるものなのか。


醜(うそ)は、なにゆえ、我が身に忍び寄り、寄生しようとするのか。


「かりそめの誠意」ではなく、精神からの本当のこころの糧を求め、まごころを尽くす生活を。


だから、どんな険しい経験も、新しい認識となつてくれます。





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2022年08月30日

8/30 子どもの教育の実践に向けて アントロポゾフィーハウス【青森三沢】



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今日は、子どもの教育への実践に向けて、オイリュトミー、そしてお話しの語りの実践練習。さらに、ことばを語るときの三つの次第の意識化。


11月26日(土)の発表会に向けて、各々の意識も引き締まり、高まつて来ました。


そして、クラスが終はつた後の、メンバーの皆さんが用意して下さる美味しいお食事!


ありがたさと充実感みなぎる一日。

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2022年08月29日

8/28 アントロポゾフィーハウス【青森・三沢】イエス生誕劇クラス



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イエス・キリストは、なにゆゑ、この世に現れられたのでせうか。


そのことを解き明かすルードルフ・シュタイナーのキリスト論。


その中でも、『ヨハネ福音書講義』は、聖書に記されてあるひとことひとことのことばを、金の秤にかけるがごとき敬ひと慎ましさをもつて、その値を見て取ることで、人といふものの、来し方行く末を遠く遠く見晴るかす精神の観点から、イエス誕生の意味を、キリスト誕生の意味を解き明かしてゐます。


そこに取り組む午前。


そして、午後には、今年の12月25日に青森の三沢で行ひます「イエス・キリスト生誕劇」に向けての稽古。


わたしたちは、演劇といふ芸術を通して、からだからこころを解き放ち、精神の境へと羽ばたいてゆくことを試みてゐます。


その試みは、キリストその方が今もわたしたち人といふ人に促してゐる、「自由への道」を歩くことなのです。


その促しを「キリストのこころざし Christ Impuls」と、シュタイナーは言ひ表してゐます。


わたしたちは、そのこころざしを学ぶ午前から、そのこころざしに貫かれようと稽古に勤しむ午後へと、今日も走り抜けました。




posted by koji at 18:00 | 大阪 ☀ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月28日

ゆつくりとした身づかひがこころをしづめる







身づかひ、振る舞ひ、からだの動きをもつてのメディテーション。

それは、乱れがちなこころを整へ、しづめてくれます。



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【アントロポゾフィーハウス ことばの家 オンラインクラスのご案内】


【「いかにして人が高い世を知るにいたるか」オンラインクラス】
●zoomによるオンラインクラス開催日時
木曜クラス(毎週) 20時〜21時
日曜クラス(毎週) 20時〜21時
●ご参加費
体験単発参加  2000円
お月謝制(基本的に月に4回) 5000円


【「テオゾフィー 人と世を知るということ」オンラインクラス】
●zoomによるオンラインクラス開催日時
毎月二回 いずれも土曜日
(正確なスケジュールは、下記の「含まれるクラス」欄にてどうぞご確認ください)
午前10時〜12時
●ご参加費
体験単発参加  3500円
6回連続    18000円


※連続ご参加の場合、ご自身のご都合による欠席は講座費は払い戻しはいたしません。後日、録画した動画をご覧いただけます。

●お振込み先
// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041
スワ チハル

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店名 〇ニ八(ゼロニハチ)
普通 2888904

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●お申し込み・お問い合わせ
アントロポゾフィーハウス ことばの家
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諏訪耕志ブログ『断想・・アントロポゾフィーに学びつつ・・』
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you tube channel「アントロポゾフィーハウス ことばの家」
チャンネル登録、どうぞよろしくお願ひします。
https://www.youtube.com/user/suwachimaru


言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーの精神科学・アントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想ひ起こさせようとしたのです。

わたくし諏訪耕志は、1993年から、アントロポゾーフ・言語造形家である鈴木一博氏に師事し、2003年より「ことばの家」として、大阪の住吉にて、言語造形、ならびに、アントロポゾフィーを学ぶ場を設けてゐます。

2022年08月27日

ことばは無限の深みを湛えてゐる






ものといふもの、ことといふこと、すべては、その内に深みを湛えてゐる。


わたし自身は、若い時から、そのことをひたすらに知りたかつたし、いまも、さうです。


とりわけ、「ことばといふもの」に、ここまで深みがあるのだといふことを知り、味はひ、その深みを生きることそのことは、わたしの人生を守り、支へ、育み続けてくれてゐます。


かうして述べさせていただいてゐることのすべては、ルードルフ・シュタイナー、および、師の鈴木一博氏から学んだことなのです。



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言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーの精神科学・アントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想ひ起こさせようとしたのです。

わたくし諏訪耕志は、1993年から、アントロポゾーフ・言語造形家である鈴木一博氏に師事し、2003年より「ことばの家」として、大阪の住吉にて、言語造形、ならびに、アントロポゾフィーを学ぶ場を設けてゐます。


2022年08月25日

こころのこよみ(第20週) 〜享受し、消化し、仕事すること〜



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松本 竣介《男の横顔》



わたしはいま、わたしのありやうをかう感じる、
 
世にあるものから遠ざかれば、
 
みづからにおいてみづからが消え失せ、
 
そして、己れの基の上にのみ立つならば、
 
みづからにおいてみづからをきつと殺してしまふ。
 
          
 

So fühl ich erst mein Sein,
Das fern vom Welten-Dasein
In sich sich selbst erlöschen
Und bauend nur auf eignem GrundeIn
sich sich selbst ertöten müßte.
 
 
 

秋へと少しづつ歩みを進めていくうちに、わたしたちは、夏の憶ひを何度も反芻し、辿りなほす作業に勤しむことができる。
 
 
暑かつたこの夏、何を想ひ、何を考へ、何を感じ、何を欲したか・・・。
 
 
さう想ひ起こし、辿り直すことによつて、人はみづからの内で、だんだんと己れの力が強まつてきてゐるのを感じる。
 
 
それは、<わたし>の目覚めの時期が秋の訪れとともに再び巡つてくるといふことでもある。
 
 
<わたし>の目覚め、己れの力の強まり。
 
 
しかし、今週の『こよみ』においては、その<わたし>の目覚め、己れの力の強まりから生まれてしまふ危うさに対して、バランスを取ることが述べられてゐる。

 
世にあるものから遠ざかれば、みづからにおいてみづからが消え失せ、そして、己れの基の上にのみ立つならば、みづからにおいてみづからをきつと殺してしまふ
 
 
『いかにして人が高い世を知るにいたるか』(鈴木一博訳)の「条件」の章において、「人がだんだんにみづからを外の世に沿はせなくして、そのかはりに、いきいきとした内の生を育むこと」の大切さが書かれてあるが、それはこれからの季節にわたしたちが勤しむこととして、意識されていいところだ。
 
 
しかし、その内の生を育むことが、みづからの内に閉ぢこもることではないことも述べられてゐる。
 
 
 
ーーーーーーーー
 
 
●静かに、ひとりきりで、
みづからを深める一時一時には、
みづからが生きたこと、
外の世が語りかけてきたことを、
まさしく静かに、ありのままに想つてみてほしい。
どの花も、どの動物も、どの振る舞ひも、
そのやうな一時において、
思ひもよらない秘密をあかすやうになる。
 
 
●享受した後に、
その享受したことから
なにかが顕れるやうにする人が、
みづからの知る才を培ひ、育てる。
その人が、きつと、
享受することだけをありのままに想ふとかではなく、
享受しつづけることを諦めて、
その享受したことを内なる働きによつて
消化するといふことをこそ習ひとするやうになる。
 
 
ーーーーーーーー
  
 
 
過ぎ行く現象の中で、何が過ぎ行かず、留まるものか、さう問ふ練習。
 
 
外の世との交渉の中で、みづからの共感・反感そのものを見つめる練習。
 
 
あのときの喜び、痛み、快、不快が、何をわたしに教へてくれようとしてゐるのか。さう問ふ練習。
 
 
それは、享受したこと、感覚したことを、消化するといふこと。
 
 
そのやうな一時一時において、「思ひもよらない秘密」があかされる道がだんだんと啓かれてくる。
 
 
そして、もう一度、享受するといふこと、外の世に己れを開くことの大切さが述べられる。
 
 
 
ーーーーーーーー
 
 
 
●<わたし>を世にむけて開いてほしい。
その人は、きつと、享受しようとする。
そもそも、享受すればこそ、
外の世がその人へとやつてくる。
その人が享受することに対して
みづからを鈍らせるなら、
周りから糧となるものを
取り込むことができなくなつた植物のごとくになる。
しかし、その人が享受することにとどまれば、
みづからをみづからの内に閉ざす。
その人は、その人にとつてはなにがしかであつても、
世にとつては意味をもたない。
その人がみづからの内においていかほど生きようとも、
みづからの<わたし>をすこぶる強く培はうとも、
世はその人を閉め出す。
世にとつてその人は死んでゐる。
 
 
●密やかに学ぶ人は、享受するといふことを、
ただみづからを世にむけて気高くする手立てと見てとる。
その人にとつては、享受するといふことが、
世について教へてくれる教へ手である。
しかし、その人は享受することで教へを受けたのちに、
仕事へと進む。
その人が習ふのは、習つたことを
みづからの智識の富として貯へるためではなく、
習つたことを世に仕へることのうちへと据ゑるためである。
 
 
 
ーーーーーーーー
 
 
 
夏から秋へ、そして来たる冬へと、<わたし>を目覚めさせていくこと。
 
 
しかし、それは、「仕事」をすること、「世に仕へること」へと繋げていくことによつてこそ、その人の本当の糧、本当の力になつていく。
 
 
外の世との交渉を絶たないこと。
 
 
内において、メディテーションにおいて、外の世のことを深めること。
 
 
そして、その深まりから、外の世に働きかけていくこと。
 
 
それが、密やかな学びにおける筋道だ。
 
 
 
 
わたしはいま、わたしのありやうをかう感じる、
世にあるものから遠ざかれば、
みづからにおいてみづからが消え失せ、
そして、己れの基の上にのみ立つならば、
みづからにおいてみづからをきつと殺してしまふ。
 
 
 

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2022年08月23日

子どもたちと古典との出会ひ 〜国語教育のひとつの試み〜



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これは、六年前の今日、書いてゐた記事。ここでしてゐる古典文学への取り組みは、ぜひとも、我が仕事として再び新しく、より力強く展開して行かうと思つてゐる。


♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾


『子どもたちと古典との出会ひ 〜国語教育のひとつの試み〜』


小学二年生の我が次女が、『古事記(ふることぶみ)』冒頭部分の言語造形に挑戦してゐる。


天地の始まり、神々の名が次々に出てくるところで、本居宣長の訓み下しによる原文そのままだ。


古典との出会ひ。


それをふんだんに子どもたちに提供していきたい。


我が国の古典は、ことばの意味を伝へること以上に、ことばの響きが醸し出すことばの感覚、言語感覚を深く共有することに重きを置いてゐた。


過去のことば遣ひや、古い文の綴りは、芸術的であり、信仰生活に裏打ちされてゐたので、現代人であるわたしたちをも、国語の精神、母語の精神のもとへと導いてくれる力をいまだに秘めてゐる。


わけても、『古事記』は、とても強い働きを孕んでゐて、子どもたちのからだとこころに健やかに伸びやかに働きかけてゐる。


国語の精神が子どもたちに宿りだす。


それは、おのづと、ことばを大事にすること、こころを大事にすること、人を大事にすることへと繋がつてゆく。


そんな国語教育の試み。



posted by koji at 16:06 | 大阪 ☔ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月21日

我が友 高田和彦よ






16歳のときからの友人が、いま、亡くなつた。58歳だつた。わたしにとつては、たつたひとりの友人だつた。


昨日、ご自宅に見舞ひに行つたのだつた。8月の初めから立つこともできなくなり、昨日は意識も朦朧としてゐたのだけれど、わたしの顔が見えるかいと訊くと、「目が三つに見える」と笑つてくれた。そして、高校時代の思ひ出を語り合ふことができた。


「からだはかうして動かんようになつてしまふたけど、こころは動いとるやろ」と訊いたら、「めちゃ強う動いてる」と答へてくれた。


病院で、たつた独り隔離されてしまふことに比べて、自宅で家族に看取つてもらふことができた彼は、幸せだと思ふ。


しかし、自宅での看病で奥様は大変だつただらう。


高校時代に一緒に歌つた歌を病床でyou tubeを使つて彼に聴かせると、声を出して歌つてくれた。


いま、安らかに眠つた友よ。「君の欲しいものはなんですか。僕の欲しかったものはなんですか」

posted by koji at 21:33 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

相手を言ひ負かさうとしない優しさへの道






人と人とが語り合ふ、そのひととき、ひととき。


そのたびごとの、気転の養ひと優しさの醸成。

2022年08月19日

こころのこよみ(第19週) 〜繰り返し勤しむ〜



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小磯良平「斉唱」



秘めやかさに満ちて新しく受けとめたものを
 
想ひ起こしつつ、包み込む。
 
それがわたしの勤しみの、さらなる意味となれ。
 
それは強められた己れの力を
 
わたしの内において目覚めさせ、
 
そして、
だんだんとわたしをわたしみづからに与へていくだらう。
 
          
 
 
Geheimnisvoll das Neu-Empfang'ne
Mit der Erinn'rung zu umschließen,
Sei meines Strebens weitrer Sinn: 
Er soll erstarkend Eigenkräfte
In meinem Innern wecken 
Und werdend mich mir selber geben.  
 

 
 
先週の『こころのこよみ』にあつた
「世のきざしのことば」。
 
 
それは、まさに、秘めやかさに満ちて、
内において、その人その人が、受け取るもの。
 
 
その「きざしのことば」は、真夏の暑さの中で、
これまでの感じ方、考へ方を、
拡げ、深め、壊してくれるやうなもの。
 
 
皆さんは、この夏、
どのやうな「きざしのことば」を
受けとめられただらうか。
 
 
どのやうな「秘めやかなことば」を
聴き取られたであらうか。
 
 
もし、それを、この週、何度も何度も、
意識の上に想ひ起こしつつ、
こころのまんなかに置いてみるなら。
 
 
その「ことば」を何度もこころに包み込んでみるなら。
 
 
その繰り返し勤しむことが、
その「ことば」と、<わたし>を、
だんだんと、ひとつにしていく。    
 
 
「世のことば」が、
「わたしのことば」になつていく。    
 
 
地味だけれども、
そのやうな繰り返しの行為こそが、
<わたし>の力を強めてくれる。
 
 
わたしのわたしたるところが、
だんだんと、目覚めてくる。
 
 
今週の「こころのこよみ」に沿つて練習すること。
 
 
それは、秋からの、
新しい<わたし>への、
備へとなるだらう。
 
  

 
秘めやかさに満ちて新しく受けとめたものを
想ひ起こしつつ、包み込む。
それがわたしの勤しみの、さらなる意味となれ。
それは強められた己れの力を
わたしの内において目覚めさせ、
そして、
だんだんとわたしをわたしみづからに与へていくだらう。
 
 

posted by koji at 22:57 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月18日

9/9(金)「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会」(参加費無料)発足のお知らせ



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毎月、第二金曜日の午後7時から8時半まで、zoomを使つて、「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会」を持ちます。


それは、日本全国から、もしくは海外からでも、アントロポゾフィーに関心を寄せる人が、まづは、気軽に参加できることのできるオンライン上の場です。


参加費は無料です。


この「出会ひの会」によつて、アントロポゾフィーに出会ひ始めた多くの方が、アントロポゾフィーを学び、生き、アントロポゾフィーから仕事を産み出していかうとしてゐる人々との関はりを持ち始めるきつかけを産み出していくことができれば、さらには、アントロポゾフィーからの社会的な運動へと展開していく何らかの動きを産み出していくことができれば、との切なる念ひを持つてゐます。


第一回目は、9月9日(金)です。テーマは、「わたしにとつてアントロポゾフィーとは何か」です。


そして、この「出会ひの会」は、アントロポゾフィーのそもそもの精神と現代の精神に鑑みて、公開のものとして、オープンなあり方を試みて行きたいと考へてゐます。


毎回の「出会ひの会」は、録画され、編集したうえで、何らかの形で you tube などを通して公開してまいります。


アントロポゾフィーを通して、世に健やかな発信をしていくことができればとの願ひからの企図です。


とは、言ひましても、肩ひじ張らず、等身大のことばを発し合ひ、聴き合ふ中で、互ひに学び合ふことができたら、いいですね。


新しくアントロポゾフィーやシュタイナー教育に出会はれてゐる方々との出会ひをこころから待ち望んでゐます。


お申し込みいただいた方に、zoomミーティングのIDとパスワードをお送りします。どうぞ、お気軽にお申し込みくださいね。


●お申し込み先  
facebookページ「アントロポゾフィーハウス」https://www.facebook.com/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%82%BE%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9-111549167647340 のメッセージ欄にてメッセージをお送りください。
もしくは、ホームページ「アントロポゾフィーハウス ことばの家」のアクセスページ https://kotobanoie.net/access/ からご連絡を下さい。 


※お申し込みの際、簡単な自己紹介文をお書きいただければ、ありがたいです。そして、人数制限をしておりますので、お申込みいただいても、ご参加できないこともありますこと、どうぞご了承ください。



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わたし自身が受けて来た教育の中で、本当にこれこそ教育だと思へたのは、28歳から受け始めたアントロポゾフィーの学びに就いた時からでした。


何度か書いたことなのですが、30年前、1990年代初めごろに、わたしは東京都新宿区高田馬場にあつた「日本ルドルフ・シュタイナーハウス」に通ひ出し、そこでは、ほぼ毎日、何らかの勉強会、ワークショップ、講義などが行はれてゐました。


その学びは、いはゆる新興宗教のやうなものとは全く違ひ、ひとりひとりが、みづからのこころをフル回転させて「考へる」ことの価値を教へてくれる場所でした。


ですので、どこにも、押しつけがましさや無理強いされるといふことがありませんでした。


こころと精神の密(ひめ)やかな学びへと通じて行く道でありながら、他の一般の学びの場と変はらない、自由になりゆくための健やかさと希望に満ちてゐた場であつたやうに想ひ起こします。


そして、そこから、ひとりひとりが、己れのこころに尋ねながら、「感じる」ことの豊かさへ、さらには「欲する」ことの力強さと確かさへと踏み込んでいくことのできる、メディテーションと芸術実践の道が、細い道ながらも、確かにありました。


なぜ、「細い道」かといふと、その道を歩むといふことは、徹底して己れに向き合ふ目覚めた意識を要するものでしたので、学びの深まり具合ひと進展の速度は、そこに参加するその人その人に任されてゐたからです。


つまり、たとへ、人と人とが集ふ場がそこに開かれてはゐても、手取り足取り面倒を見てくれる誰かに寄り掛かることなど当然のごとく全くできず、本質的には、各々が、「ひとり」で立つことが求められてゐる場であつたのです。


そのことは、アントロポゾフィーそのものから、またそこにをられる先達の方々の立ち居振る舞ひ、ことばから、了解されるのでした。


また、毎月一回、「出会ひの会」が開かれてゐて、新しくアントロポゾフィーやシュタイナー教育に関心を抱き始めた人たちが毎回何人も訪れて来て、古参の会員と共にひとつの大きな輪になつて、話を交はし合つてゐました。


アントロポゾフィーを生きようとしてゐる人とそこで出会ふことができ、それらの人との間に生まれる「感覚」をたよりに、この学びの道を歩まうと促がされもしましたし、歩まないとこころを決めることもできたのでした。


そのやうな場が失はれて、久しい時が経つてゐます。


いま、2020年代の日本の地にそのやうなアントロポゾフィーの学びの場があつてしかるべきだといふ念ひをわたしはずつと持つてゐます。


それは、混迷を極めてゐるこの日本社会に、アントロポゾフィーからの精神の息吹をひとりひとりの学び手が吹き込んでゆくこと、つまりは、何らかの実践活動をもつて、ひとりひとりが精神から仕事を生み出してゆくこと、社会に働きかけてゆくこと、そのためには、アントロポゾフィーの学びの場と交流の場が要るからです。


しかし、バブル経済のもと、とても豊かであつた当時と違ひ、現在は30年近くになるデフレ経済の影響で、物理的な場所を持つことはとても難しい。


だからこそ、オンラインを用ゐての学びと、実際に会ふ中での学びを組み合わせる、新しい場づくりを模索してゐます。


30年前にはできなかった学びのかたちです。


オンラインにおける、「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会」です。




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2022年08月17日

子どもにとつて「逃げたらあかん」その一点






「あなたのためを思つて言つてるのよ」。

親や教師は、何度、このことばを子どもたちに言ひ続け、お勉強させて来たことでせう。

しかし、このことばは、本当にその子どもの成長を願ふ心根から生まれて来てゐるのか。

それとも、親や教師、大人たちの不安を押し隠すために言ひ募つてゐるのか・・・。

そもそも、「お勉強」は、本当に子どもの「人としての」成長に資するのでせうか。



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【アントロポゾフィーハウス ことばの家 オンラインクラスのご案内】


【「いかにして人が高い世を知るにいたるか」オンラインクラス】
●zoomによるオンラインクラス開催日時
木曜クラス(毎週) 20時〜21時
日曜クラス(毎週) 20時〜21時
●ご参加費
体験単発参加  2000円
お月謝制(基本的に月に4回) 5000円


【「テオゾフィー 人と世を知るということ」オンラインクラス】
●zoomによるオンラインクラス開催日時
毎月二回 いずれも土曜日
(正確なスケジュールは、下記の「含まれるクラス」欄にてどうぞご確認ください)
午前10時〜12時
●ご参加費
体験単発参加  3500円
6回連続    18000円


※連続ご参加の場合、ご自身のご都合による欠席は講座費は払い戻しはいたしません。後日、録画した動画をご覧いただけます。

●お振込み先
// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041
スワ チハル

// 他銀行から //
店名 〇ニ八(ゼロニハチ)
普通 2888904

参加費をお振り込みいただいた方に、zoomのIDとパスワードをお伝えします。


●お申し込み・お問い合わせ
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/


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2022年08月12日

母なる蛇の環






安易に繋がりを求めることなかれ。


安易に応援を求めることなかれ。


ひとりになれ。


たつたひとりになりきれ。


さうしなければ、汝はとこしへに、母なる蛇の環のなかに閉じ込められた男の子にすぎぬ。


当時、二十代後半のわたしに、未来のわたしが、さう語りかけてゐた。


男は、母なる蛇の環から出なければならぬ。


女は、さういふ男の子を甘やかしてはならぬ。





2022年08月10日

その人がその人になりゆく場



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朝の光が差し込む聖なる空間。


昨日まで教員養成講座のために滞在してゐた「おひさまの丘 宮城シュタイナー学園」の教室を、鳥の鳴き声が聞こえ始める早朝、観てゐて、様々なことを想ひました。


ことさら特別に驕り高ぶつた意識を持ちだして「聖なる」などといふことばを使はなくてもいいと思ひます。


ただ、「聖なるもの」は、この世にあると思ふのです。


いえ、精確に言ふと、「聖なるもの」は、人によつて創り出されるのだとわたしには思はれるのです。


本当の聖なる空間とは、子どもを含め、ひとりひとりの人が、その人になりゆく場である。


人が、自由へと羽ばたいてゆくことのできる場であり、その力を養ふ場であります。


それは、シュタイナー学校でなくても、この世のいたるところに創られうる。


ただ、アントロポゾフィーの学びに育まれて、わたしたちは意識してさういふ場を創つてゆくことができる。


その意識からなされる仕事場のひとつが、このシュタイナー学園。


そこは、シュタイナー教育の方法論ではなく、ひとりひとりの人の誠実さが生きうる場です。


そこでは、誠実にことばが語られます。


これは、成長してゆく子どもたちにとつて、何よりのことではないでせうか。


そして、わたしたち大人にとつても、何よりのことではないでせうか。


なぜなら、そこでは、大人であるわたしたち自身が、誠実にことばを語らうと努めることで、こころを誠実さへと、精神へと、引き戻すことができるからです。


誠実さとは、人がみづからのこころをみづからで観ることから、だんだんと育つてくるものです。


人は、誠実になると、その人そのものへと立ち返ります。


外から取つてつけるやうな特別なものは何も要りません。


上手くことが運ばないことも多々あるでせう。綺麗ごとでは済まないこともままあるでせう。


しかし、そんな時こそ、みづからのこころをみづからで観る。


このことが、アントロポゾフィーからの教員養成の基のことだとわたしは念ひます。


また、まうひとつのことをも思ひました。


それは、育ちゆく人を見守つてゐるこの聖なる空間の誠実さを担保してゆくためには、場をある程度の「小ささ」に留め置くこと。


日本の古いことばに、「初国(はつくに)、小さく作らせり」といふ切なく美しいことばがあります。


人と人とが誠実に語り合へる「小ささ」を守りゆくことも大切なことのやうに思へるのです。


それは、幾とせを経ようとも、「初心(ういういしいこころ)」「初国(ういういしい国づくり)」の念ひに立ち返ることへとわたしたちをみちびいてくれるのです。


さういふ聖なる場で育つことができた人は、その国を出でて、荒々しいとも言へる大海原(おほうなばら)へと漕ぎ出してゆくことのできる力をも持つことができる。


その力を持つ前に、いきなり、荒々しい大海原に子どもたちを投げ出してはならない。


さういふ意識を、ルードルフ・シュタイナーは持つてゐました。







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2022年08月08日

こころのこよみ(第18週) 〜新しい衣(ころも)〜



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藤島武二『蝶』



わたしはこころを拡げることができるのか、

受けとつた世のきざしのことばを

己れと結びつけつつ。

わたしは予感する、きつと力を見いだすことを。

こころをふさはしくかたちづくり、

精神の衣へと織りなすべく。   



Kann ich die Seele weiten,               
Das sie sich selbst verbindet
Empfangnem Welten-Keimesworte ?           
Ich ahne, das ich Kraft mus finden,           
Die Seele wurdig zu gestalten,              
Zum Geisteskleide sich zu bilden. 


 
前の週の『こよみ』において、世のことばが語りかけてきた。


「わたしの世のひろがりをもつて、あなたの精神の深みを満たしなさい」と。


夏の世の大いなるひろがり、それに沿ふことができたなら、それは沿ふ人に、これまでの生き方、考へ方、感じ方を越えるやうなものを、「贈りもの」として与へてくれる。


これを読んでくださつてゐる皆さんには、どのやうな「夏の贈りもの」が贈られただらうか。


その「贈り物」を受け入れる器。


その器が「こころ」であるならば、わたしはみづからにあらためてかう問ふことになる。


「わたしはこころを拡げることができるのか」


その問ひに応へていくことが、この夏から秋へと移つていく時期のテーマだと感じる。


新しい考へ、価値観、ライフスタイル、人生観、世界観、それらを「己れと結びつけつつ」。
 

しかし、その結びつけは、きつと、外からの結びつけではなく、内からおのづと生じてくる結びつきになる。
 

夏といふ季節を精神的に生きる。
 

それは、こころをこれまでよりも拡げることである。
 

「わたしは予感する、きつと力を見いだすことを」
 

それは、こころを拡げ、こころを、精神から織られた衣(ころも)にする力。
 

衣(ころも)とは、万葉の昔から、「恋衣」「旅衣」「染衣」のやうに、深く、活き活きと、しみじみと息づく、生活感情を言ふことばとしてよく使はれてゐたさうだ。(白川静『字訓』より)


「ころも」も「こころ」も、三つの o の母音から成り立つ、やまとことば。
 

それは、本来、精神から凝(こご)るものとしての動き、わたしたちのからだにまとふものとしての動きを、音韻として顕はにしてはゐないだらうか。
 

こころといふものが、精神といふわたしのわたしたるところ・わたしの芯〈わたしはある〉から、織りなされる。
 

そして、からだにまとふ衣となつて、身のこなし、振る舞ひのひとつひとつに顕はれる。しなやかに、柔らかく、輝きつつ。
 

そんな内なる力をきつと見いだす。
 

この夏から秋の初めにかけてのテーマであり、学び続けてゐる人への励ましでもあるだらう。



わたしはこころを拡げることができるのか、
受けとつた世のきざしのことばを
己れと結びつけつつ。
わたしは予感する、きつと力を見いだすことを。
こころをふさはしくかたちづくり、
精神の衣へと織りなすべく。


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2022年08月07日

ありがとうございました!「杜の都で学ぶ シュタイナー学校教員養成講座」第一回目



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三日間にわたるおひさまの丘 宮城シュタイナー学園教員養成講座第一回目を終えました。


静かさの内側へ入ってゆく色の体験。一心不乱に粘土に取り組む彫塑の時間。深い息遣いと体の動きから解き放たれることば。そして、アントロポゾフィーからの「こころの育み」。


ご参加された皆さんおひとりおひとりの精神からの「願い」に耳を澄ますと、講義や言語造形ワークショップが予定していたものがおのづとなりかわります。


そして、なるべき形を取り、ゆくべき道をゆき、第一回目が終わった今、思ってもみなかった場所に着いているのでした。


これ以上ない素晴らしいメンバーと二年間の船旅に出ました。


そして、ゆく先は分からず、しかし、闇の中を光を求めてただ進むのです。


なぜなら、この旅は、誰かから答えをいただくのではなく、ただ、ひとりひとりが、みづから問いを立て、その問いを持ち帰り、その問いを育て上げてゆく旅だからです。


そして、ひとりひとり、己れの成熟に相応しい答えを、きっと、手に握りしめることでしょう。


それは、他の誰でもなく、この<わたし>自身の果敢な旅でもあります。


この養成講座では、毎週一回のオンラインクラスが、さっそく来週から始まります。


この船に乗り合わせた皆さん、どうぞ、よろしくお願いいたします。


最後に、この養成講座をするにあたって、様々な準備やお手伝いを献身的にして下さった、「おひさまの丘 宮城シュタイナー学園」の皆様に、こころよりお礼を申し上げます。どうぞこれから、よろしくお願いいたします。


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9年前の福島夫妻と大村祐子さんとの教員養成講座の時。月日は巡ります。




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2022年08月03日

職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その三(完)



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そのやうな職能に繋がる学びの深まりを意識的に織りなさうとしたのが、ルードルフ・シュタイナーその人でした。そして、その織りなしは、1923年12月24日から翌年1月1日にかけて行はれたクリスマスの集ひの時に生まれた普遍アントロポゾフィー協会の中心的機能である「自由なる精神の高き学び舎(精神科学自由大学)」においてでした。


そのやうな職能への明らかな意識、このアントロポゾフィーを自分自身の天職にしていくのだといふ意欲をもつ学びだからこそ、人は真摯に学ばうとしますし、特に若者は、きつと、そのやうな精神の学びを求めてゐます。きつと、です。


アントロポゾフィーの学びを促す集ひは、そのやうな、ひとりで仕事をするべく立たうとする人を見守り、励まし、促さうとする集ひであり、運動体です。


その実践的な学びは、「メディテーション」と「芸術実践」といふ、ふたつの柱を持ちます。


@メディテーションといふ内なる密(ひめ)やかな毎日の営みが我がこころを育み、人生を支へてくれるといふこと。


Aさらに日々のすべての仕事、それ自体が、芸術実践なのだと意識しながら、その仕事に取り組んでいくこと。


アントロポゾフィーハウスも、世に仕へゆく職能のための道として、そのふたつの主なるモチーフを意識的に育んでゆきたいと希つてゐます。


その都度その都度、学びの場に、そのふたつの柱を意識的に打ち樹てながら、アントロポゾフィーの学びの場としてのアントロポゾフィーハウスは、さらに、その機能として三つの次第を持ちます。


まづ一つ目の次第として、こころの保護を求め、精神への憧れを満たすポジティブな「隠れ家」として、アントロポゾフィーハウスは機能します。その場においては、人と人とが親しく語り合ふことができる。聴き合ふことができる。胸を開いて、こころとこころを響かせ合ふことができます。


次に二つ目の次第においては、まさしく、「時をかけて習ひつつ学びを深めゆく学び舎」として、参加者みづから能動的にアクティブに学びを深めて行くことができるやう、教へ手は意識的にアントロポゾフィーの道を提示します。それは、ひたすらに、ひとりひとりが自由へとなりゆく道、その人がその人へとますますなりゆく道です。


さうして、三つ目の次第において、「実践の場」としてのアントロポゾフィーハウスです。日々の暮らしに注ぎ込む精神の働きを鍛える「実践の源」としての場であり、この場の内と外において、みづからすること、なすこと、言ふことに、責任がともなふやうになります。つまり、ひとりひとりが具体的にする仕事の場としてのアントロポゾフィーハウスです。


その三つ目の次第では、他者と共に、また時代状況と共に、アントロポゾフィーの学びから生まれる意欲と責任感を培ひつつ仕事を担つてゆく必要があります。


さうだからこそ、真摯な「内なる密(ひめ)やかな学び・練習」の必要性がいつさう意識され、その必要性をひとりひとりが自由に満たすことがきつと求められます。


ただし、その「内なる密(ひめ)やかな学び・練習」は、決して、他者から求められるが故になされることではなく、どこまでも、目覚めた〈わたし〉が求めるものとして営まれるものです。


@「ポジティブな隠れ家」としてのアントロポゾフィーハウス
A「時をかけて習ひつつ学びを深めゆく学び舎」としてのアントロポゾフィーハウス
B「実践の場」としてのアントロポゾフィーハウス


この三つの次第を生きることは、現代を生きる少なからざる人にとつて、とりわけ、若い人にとつて、こころの奥底から乞ひ求められてゐることだとわたしは考へ、実感してゐます。


この三つの次第を世に提示していくことが、アントロポゾフィーハウスが促さうとしてゐるアントロポゾフィー運動なのです。


この三つの次第を持つアントロポゾフィー運動に加はらうとする人にとつては、まづは一つ目、次に二つ目、最後に三つ目といふ、時の順序をもつて少しづつ参加して行くことになるでせう。


しかし、三つの次第は、いつまでも、どこまでも、重なり合つてゐるはずです。


今日は、「職能を育むためのアントロポゾフィーハウス」といふ観点で書かせてもらひました。


最後までお読み下さり、まことに、感謝いたします。ありがたうございます。



2022年8月3日 アントロポゾフィーハウス 諏訪耕志

posted by koji at 17:51 | 大阪 ☀ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その二



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いま、アントロポゾフィーの学びの場が、日本においても各地で行はれてゐますし、オンライン講座といふスタイルでも、ネット上にたくさんの場が生まれてゐると思ひます。


わたしが創らうとしてゐるアントロポゾフィーハウスは、オンラインクラスだけでなく、恒常的な賃貸料などが生じないやうに、固定した場所を持たず、その時、その場で、アントロポゾフィーを学ぶべくリアルに人と人とが出会ふ場を意識的に織りなしてゆかうとしてゐます。


さう、その営みは、まさしく「織りなしてゆく」ものです。ある図柄を織りなしてゆかうとしてゐます。


その図柄とは、アントロポゾフィーから仕事を創りなしてゆく志を育てるといふ、精神からの意志の図柄です。


固定的な場を持たないが故に、その精神からの意志を持続することはとても難しいことです。しかし、だからこそ、より意識的になつて、やがては、ひとりひとりの学び手がこの学びの教へ手になり、これからの日本の社会に精神からの志を注ぎ込んでゆくことを促すひとつの母体となることを考へてゐます。


その意識を明確に持つのです。学び手自身も、その意識を明確に持ち、この学びの代表者として、みづから、ひとりで立ち、仕事をして行くといふ志を育てることです。それは、〈わたし〉の育みでありつつ、同時に、世の育みです。


(続く)

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職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その一



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わたくし諏訪耕志がアントロポゾフィーを学んだのは、1990年代の新宿区高田馬場にあつたルドルフ・シュタイナーハウスといふ場においてでした。


そこでは、ほぼ毎日、大人のためのアントロポゾフィーの学びのための集まりがなされてゐて、わたしは、おほよそ七年間、毎日通ひ、アントロポゾフィーの基礎的な学びと、言語造形といふ芸術実践に勤しむことができました。そこでわたしは、明らかに、人生を貫く職能を育む道を歩み始めることができたのでした。


そのやうな場があつたからこそ、そして、そこで、我がこころとからだに精神のくさびを打ち込まれたからこそ、30年前の当時も今も変はらず、アントロポゾフィーといふ精神の営みがわたしを貫き続けてくれてゐます。まさに今もわたしの人生は、当時のあの場とあの時に支へられてゐるのです。


物理的な学びの場があるといふことは、本当にかけがへのない、貴重なことでした。


いま、そのやうな場が失はれて、久しい時が経つてゐます。


なぜ失はれてしまはざるをえなかつたのかといふことには、様々な要因がありますが、毎月支払はなければならないホールや事務所の決して少なくない額の賃貸料といふ負担が、会員からの会費だけが資本のいちNPO法人には重すぎたのでした。


(続く)

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血は全く特別なジュースだ





ギョッとするやうなタイトルですが、ゲーテの『ファウスト』にある一文です。


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【アントロポゾフィーハウス ことばの家 オンラインクラスのご案内】


「テオゾフィー 人と世を知るということ」オンラインクラス

●zoomによるオンラインクラス開催日時
毎月二回 いずれも土曜日
(正確なスケジュールは、下記の「含まれるクラス」欄にてどうぞご確認ください)
午前10時〜12時

●ご参加費
体験単発参加  3500円
6回連続    18000円
※連続ご参加の場合、ご自身のご都合による欠席は講座費は払い戻しはいたしません。後日、録画した動画をご覧いただけます。

●お振込み先
// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041
スワ チハル

// 他銀行から //
店名 〇ニ八(ゼロニハチ)
普通 2888904

参加費をお振り込みいただいた方に、zoomのIDとパスワードをお伝えします。


●お申し込み・お問い合わせ
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/


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HP「アントロポゾフィーハウス ことばの家」
https://kotobanoie.net/
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諏訪耕志ブログ『断想・・アントロポゾフィーに学びつつ・・』
http://kotobanoie.seesaa.net/
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you tube channel「アントロポゾフィーハウス ことばの家」
チャンネル登録、どうぞよろしくお願ひします。
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2022年08月01日

屈託のない時間と考へを深める時間



昨日は、わたしたちアントロポゾフィーハウスによる「ヨハネ福音書講義」の後、「イエス・キリスト生誕劇」クラスを汗だくでやり終へ、暑い夏の夕方になつて十代の若い人たちが8人ほどやってきて、バーベキュー😀 大いに食べて、大いにおしゃべりして、こころを寛がせてゐる彼らの様子を観てゐると、彼らはかういふ「大人に管理されない時間」が要るのだなあと思はずにはゐられませんでした。自由といふものに何とかして向かつて歩いて行きたい、その秘められた念ひが、表情や言葉遣ひの端々に見え隠れします。そして、同時に、「大人から何らかのきつかけが与へられること」によつて、自分自身の頭と心でしつかりと考へて行きたいといふ切なる求めがあることも垣間見ることができたのでした。バーベキューのあと、輪になつて座り、学校といふところに通ひつづけることへの意味をそれとなく問ひかけるやうなことばをわたしの方から出させてもらつた時、彼らはそれまでのはしゃぐやうな振る舞ひを一変させて、口々に想ひのこもつたことばを静かな趣きで話し始めたのでした。もちろん、そこでは、何らかの決まつた答へや大人からの誘導めいたことばなどなく、ただただ、若い人たちのこころの内で、ひとり考へつづけてゆくきつかけが生まれたかのやうでした。そのとき、ひとりひとりの若者の頭の周りにそれまでとは全く違ふ、光のやうな「考へるオーラ」が放たれてゐるかのやうな様子なのでした。若い人たちには両方が必要です。ひとつは「大人に管理されない時間」。まうひとつは「大人によつて促がされつつ考へる働きを用ゐる時間」。その両輪によつて、彼らは「自由への道」を歩き始めることができる。仲間と和しながら、たつたひとりつきりの道を歩いて行くのです。そんな若い人の輝きが、いえ、人といふもののとこしへの輝きが見えた昨日なのでした。




posted by koji at 23:30 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月29日

こころのこよみ(第17週) 〜ざわめきが止む〜



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世のことばが語る、

そのことばをわたしは感官の扉を通して

こころの基にまでたづさへることを許された。

「あなたの精神の深みを満たせ、

 わたしの世のひろがりをもつて。

 いつかきつとあなたの内にわたしを見いだすために」

 

Es spricht das Weltenwort,
Das ich durch Sinnestore
In Seelengrunde durfte fuhren:
Erfulle deine Geistestiefen
Mit meinen Weltenweiten,
Zu finden einstens mich in dir.  



閑さや岩にしみ入る蝉の声  松尾芭蕉


「蝉の声」は耳に聞こえる。時に、聴く人の全身を圧するやうに鳴り響く。
 

「閑さ」はどうだらうか。「閑さ」は、耳を傾けることによつて、聞き耳を立てることによつて、初めて聴くことができるものではないだらうか。


「閑さ」とは、本来、耳といふ感官を超えた「感官」によつて受け止められるものではないだらうか。


芭蕉は、「蝉の声」を通して、「閑さ」を聴いたのだらうか。「閑さ」を通してあらためて、「蝉の声」が聞こえてきたのだらうか。


そして、芭蕉は、「蝉の声」の向かうに、「閑さ」の向かうに、何を聴いたのだらうか。


芭蕉は、旅しながらメディテーションをする中で、そのふたつの聴覚の重なりの向かうに、己れが全身全霊で何かを受けとめるありさまを「おくのほそ道」に記した。
 

それは、芭蕉によるひとつの精神のドキュメントであり、心象スケッチであり、春から秋にかけての「こころのこよみ」であつた。


この週の『こころのこよみ』に、「世のことばが語る」とある。


わたしもことばを語る。


しかし、世がことばを語るとはどういふことだらうか。「世のことば」が語るとはどういふことだらうか。


その「ことば」は、この肉の耳には聞こえないものである。耳といふ感官を超えた「感官」によつて受け止められるものである。メディテーションを通して、「こころの基にまでたづさへることを許された」ことばである。



『いかにして人が高い世を知るにいたるか』より
 

人が人といふものの中心を いよいよ人の内へと移す。
人が安らかさの一時(ひととき)に内において語りかけてくる声に耳を傾ける。
人が内において精神の世とのつきあひを培ふ。
人が日々のものごとから遠のいてゐる。
日々のざわめきが、その人にとつては止んでゐる。
その人の周りが静かになつてゐる。
その人がその人の周りにあるすべてを遠のける。
その人が、また、そのやうな外の印象を想ひ起こさせるところをも遠のける。
内において安らかに見遣るありやう、紛れのない精神の世との語らひが、その人のこころのまるごとを満たす。 
静けさからその人への語りかけがはじまる。
それまでは、その人の耳を通して響きくるのみであつたが、いまや、その人のこころを通して響きくる。
内なる言語が ―内なることばが― その人に開けてゐる。



この夏の季節にメディテーションをする中で、精神の世が語りかけてくることば。


 あなたの精神の深みを満たせ、
 わたしの世のひろがりをもつて。
 いつかきつとあなたの内に
 わたしを見いだすために。


この「いつか」とは、クリスマスの頃であらう。この週の対のこよみが、第36週である。http://kotobanoie.seesaa.net/article/472735195.html


そこでは、「世のことば」キリストが、人のこころの深みにおいて密やかに語る。


芭蕉は、俳諧といふことばの芸術を通して、四季の巡りと共に深まりゆくこころの巡りを詠つた人である。


彼はいまも、夏の蝉の声といふ生命が漲り溢れてゐる響きの向かうに、静けさを聴き取り、その静けさの向かうに、「世のことば」を聴いてゐるのではないか。
 



世のことばが語る、
そのことばをわたしは感官の扉を通して
こころの基にまでたづさへることを許された。
「あなたの精神の深みを満たせ、
 わたしの世のひろがりをもつて。
 いつかきつとあなたの内にわたしを見いだすために」




posted by koji at 07:59 | 大阪 ☀ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月27日

自主独立することの尊さ 精神において 政治において






ひとりひとりが独り立ちしつつ、精神の領域において、経済の領域において、法・政治の領域において、どう力を発揮していくことができるだらう。


誰かに寄りかかつたり、誰かに守つてもらつたり、誰かからの援助やおこぼれに与かることをあてにしたりすることから、わたしたちは独り立ちして、自由な人へとなりゆくために何から始めて行くことができるのか。


それは、いま、ここに精神としてありありとある<わたし>の静かさから始まります。


まづは、精神において、そして政治において、さらには経済において、自主独立することへ。


わたしの働きも、何かの機縁になることを大いに強く希ひつつ。