昔話の「たつの子たろう」。
謡曲を言語造形作品とした「高砂」。
そして、丹後国風土記を下敷きにした劇「浦島子」。
このたびの言語造形公演『常世の濱の浪の音聞こゆ』は、茫洋とした、陸と海との境の行き来を描いたものでした。
そして、わたしたちは、この公演に臨んで、何か、大切なことを想ひ起こさうとしてゐたのでした。
海の神を祀る、住吉大社のお膝元に生きてゐるわたしたちにとりまして、この題材は、ひたひたと静かに波が寄せてくるかのやうに、わたしたちの人生にも引き寄せられて来たものなのでした。
いや、きつと、わたしたちが引き寄せられて来たのでせう。
諏訪千晴の「たつの子たろう」を舞台袖で聴いてゐて、物語の終はりに、「たつ」と「たろう」と一緒に、お客様のこころも天へと登つて行くのをありありと感じ、ありありと観たのでした。
それは、ことばに相応しい身ぶり・造形を通して、ことばの音韻から音韻への流れが息遣ひとともに、螺旋のフォルムを描きつつ、天へと巡り登つて行つたからです。
さらに、古語で詠はれ、演じられた「高砂」「浦島子」に、お客様は何を感じたでせうか。
頭の知性によるのではなく、手足の運動をもつて、詠はれ、演じられるそれらの古典作品は、日本人であるわたしたちに何を想ひ起こさせるのでせうか。
相生(あひおひ)の松風の爽やかさ、青海原の広やかさ、君の恵みのありがたさ・・・
さらには、男と女がひとつであつたこと、人と神とがひとつであつたこと・・・。
パーソナルな次元を超えた、人としての普遍的な想ひ出へと、世のはじまり、天地の初発(あめつちのはじめ)へと、いま、ここにて、わたしたちに立ち戻らせる道を示すのが、芸術のつまりの存在意味だと思ふのです。
このたびの舞台に何人かの子どもたちが聴きに来てくれてゐました。
意味をすぐには受け取り難い古語に直面した子どもたちは、はじめはきつと、むずがります。
しかし、そのことばに深い息遣ひと内的な身ぶりがあることで、だんだんと、その難しさを乗り越えていき、言語造形そのものを味はふやうになつてゆくのです。
聴き手とわたしたち演者は、ことばに波打つ「精神」こそを共有することができただらうか。
足利智子さんの奏でる楽の音(ね)が呼び起こす「精神」こそを共有することができただらうか。
そんなことを想ひ続けてゐます。
その「精神」は、時を越えて、人の意識の上層部ではなく、下層部へと働き続けます。
公演を終へて、浦島子の精神と、山幸彦と豐玉姫の精神に、感謝を捧げますと、わたしのこころはいつになく動くのでした。
能舞台。
そこは、ことばの運動にとつては、解放と凝縮が極端といつていいほど顕はになされなくてはならない場でありました。
「ことば」の芸術。
そここそを、聴き取つていただくことができるやうな舞台芸術を、これからも、とこしへに、創りつづけて行きたい、さう念つたのでありました。
ものごとの外側をわたしたちはとかく忙しく廻り続けがちです。
しかし、静かな内側へとみづから跳び込んで、精神の海にありありとある宝物を、わたしたち演者と一緒になつて掴み取る聴き手と出会ひたい。
そのために、これからも、とこしへに、創り続けて参ります。
そのために、言語を造形すること、ひとつひとつの音韻にすがたを与へていくことに、こころもからだもまるごとで取り組んでいく人へと、わたし自身ますますなりゆくのです。
ことばに仕へる人が必要です。
他業に目移りすることなく、そのことを本業にする人が必要です。(このことは、世阿弥も、そのやうなことを申してをります)
また、新しく、道を歩んで行きたいと念つてゐます。
どうぞよろしくお願ひ申し上げます。
浦島子、魚(うお)取る漁夫(あま)なり、
釣り翁(をきな)なり、
さはあれど、志は高くして、
雲を凌ぎていよいよ新たなり、
こころは強く弱く思ひやりて、
ひじりを得て、
おのづから健やかなり・・・
(「ことばの家 諏訪」版 浦嶋子より)
人のこころ!
あなたは手足に生き
手足に支へられつつ、場を経て
精神の海へと行きつく。
行なはれたし 精神の想ひ起こしを
こころの深みにて。
そこにては
世の生みなし手が司り
あなたの〈わたし〉が
神の〈わたし〉のうちに
ありありとある。
もつてあなたは真に生きるやうになる
まこと人として、世のうちに。
(ルドルフ・シュタイナー『礎のことば』より)
「ことばの家 諏訪」 諏訪耕志記
写真撮影:山本美紀子さん