2020年11月25日

小さな芸術共同体



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今日の言語造形のクラスで、石垣りんの詩「儀式」に生徒さんと共に取り組んだのです。


「儀式」石垣りん

母親は
白い割烹着の紐をうしろで結び
板敷の台所におりて
流しの前に娘を連れてゆくがいい。

洗い桶に
木の香のする新しいまないたを渡し
鰹でも
鯛でも
鰈でも
よい。

丸ごと一匹の姿をのせ
よく研いだ庖丁をしっかり握りしめて
力を手もとに集め
頭をブスリと落すことから
教えなければならない。
その骨の手応えを
血のぬめりを
成長した女に伝えるのが母の役目だ。

パッケージされた肉の片々(へんぺん)を材料と呼び
料理は愛情です、
などとやさしく諭すまえに。
長い間
私たちがどうやって生きてきたか。
どうやってこれから生きてゆくか。


何度も何度も取り組んでいくうちに、朗唱してゐる者も聴いてゐる者も、たつた一語と一語の間に、涙が溢れてくる時が突然やつて来たのでした。

それは、語と語のあひだ、音と音の間(ま)に隠れてゐた扉が開けられ、詩の作者の思ひや意図を遥かに超える、人類の抱き続けざるをえない悲しみが溢れ出て来たのでした。

たつた一音の扱ひによつて、人は激しく情を動かされたりするのです。

ことばの芸術によつて、そこに集まる人たちが皆、涙を流す。

このやうな小さな場において芸術・文化・精神が育まれて来たこと、芭蕉の俳諧、連句の場などで江戸の元禄時代には特に集中的になされてゐました。

まことと美、それを真ん中に据ゑて、こころを開いた少数の人が集まる。そんな芸術共同体が、ふたたび、日本の各地に数多く生まれて来ることこそ、文化の国、日本の再生を促します。

クラスの終はりに、秋の七草の花の名を歌つた山上憶良の萬葉歌を言語造形でたつぷりと味はひました。

萩の花 尾花 葛花 なでしこの花
女郎花 また藤袴 朝貌の花  (萬葉集 1538)

花の名を唱へるだけで、花といふものの精神が空間一杯に拡がり、花の神さまと交はることの喜びを感じることができるのです。

この国の精神文化をふたたび甦らせることができると信じて、また今日も励んでゐます。



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2020年11月19日

間(ま)が怖い?


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言語造形をするときに大事にされるまづ最初のことは、息遣ひ、呼吸です。

深く吐き出される息が、ことばとことばのあひだ、文と文のあひだに、おのづと間(ま)を生み出すのです。

その無音の間は、豊かないのち溢れる動きを孕んでゐます。ことばが発音されるときよりも、むしろ、その無音の間の中にこそ、ことばの精神、言霊が響きます。ですから、時閧ニ空間を、ことばといふもので埋め尽くさないのです。無音の間が活き活きとしてゐる事で、そこに物質的なものではない、精神的な豊かさが立ち顕れてくるのです。

その精神の豊かさは、人の頭にではなく、胸から腹、そして手足へと働きかけてきます。

そのやうな間(ま)に触れるとき、人によつて、随分と違ふ反応が表れます。

からだの調子が悪い時、そのやうな間に触れて、人は眠りにいざなはれるやうです。きつと、精神がその人を休息へと導いてくれるのでせう。

逆に、からだもこころも健やかな時、そのやうな間は、その人の意識をますます目覚めさせ、ことばの響きと間に呼び起こされる、様々な感覚を享受させてくれます。色合ひ、音、匂ひ、熱、風、光、こころ模様、それら様々な情景を「もののあはれ」として、人は享受することができるのです。

また更に、次のことは、これからの時代、ますます顕著になつてきます。それは、こころの奥に自分自身で隠し持つてゐるものがあるとき、自分自身に嘘をついてゐるとき、自分自身のこころの闇を見やうとしないとき、人は、そのやうな間に触れると、不快感を感じたり、不機嫌に成つたり、耐へられない思ひに捉はれたりするやうになります。

現代人に、「間(ま)」を嫌ひ、「間(ま)」を避けやうとする傾向が見られるのは、この自分自身のこころの奥底に眠つてゐるものを直視する事への恐れがあるのかもしれません。

「間(ま)」とは、魔なのかもしれません。しかし、それは、きつと、「真(ま)」なのです。「真(ま)」に触れて人は、だんだんとみづからの真実に目醒めつつ、健やかに、欣びを存分に享受しながら仕事をしていくでせう。

芸術はそんな仕事を荷つてゐます。

言語造形もそのやうな芸術のひとつだと思ひます。





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2020年11月18日

自分自身の声を聴くこと


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保育園の0〜2歳児、3歳児、4歳児、5歳児、それぞれのクラスで昔話をさせてもらつた時、その保育園の先生方と言語造形のワークショップもしたのですが、その時、おひとりおひとりの先生に、こんなことを訊きました。

皆さんは、御自身の声が好きですか。すると、すべての先生が、嫌ひだとお答へになりました!

そこで、こんなお話をさせてもらひました。先生といふ職業は、その存在まるごとで、子どもたちに向き合ふお仕事。だけれども、まづもつて、子どもたちに働きかけるのは、先生の声とことばです。その先生自身が、御自身の声を好きになれないとしたら、その好きになれない声で、子どもたちに話しかけることになりますね。

声とことばが、人にとつての道具だとするなら、その人自身が愛してゐない道具で決していい仕事はできません。声とことばは道具だと言ひましたが、道具にしては、あまりにも、我が身と我がこころに密着している道具です。だからこそ、まづもつて、我が親しい道具である、自分自身の声を好きになることから始めませう。

そんな話をさせてもらひました。
 
その後、保育園からの帰りの電車の中で、こんなことを考へました。 

なぜ、自分自身の声が好きになれないのだらう。たとへば、録音された自分自身の声を聴く時の違和感。自分は、こんな声で話してゐるのか!そのショックは、どこからやつて来るのだらう。

もちろん、録音された音声は、生の音声とは質が全く違ふ。しかし、本質的なこととして、そのショックは、普段、自分自身の声に耳を傾けることがほとんどないことから来てゐる。

思ひ切つたことを言つてみよう。そもそも、ことばとは、意を伝へるものではない。ことばで、自分自身の言ひたいことが、他人に伝はると、本当に思ふか。どこまで、ことばを尽くしても、人と人との間には、常に理解の差異が存在しないだらうか。むしろ、ことばとは、自分自身が聴くために、発せられる。そして、自分自身を知るために、発せられる。

自分が発する声とことばに、どこまで、自分自身が耳を澄ますことができるか。その瞬間瞬間に、わたしたちは、ことばといふものの本当の価値を感じる。

自分の声を好きになるには、自分自身の声を、よおく聴くことだ。自分自身の声とことばに、よおく意を注いであげることだ。

そもそも、どの人の声も、美しい。

その美しさは、人から、自分自身から、意を注がれて、初めて顕はになる。



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2020年11月10日

風の人


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ルオー『キリストと漁夫たち』


芸術をする人は、ときどき、おかしなことを言ひます。普通の感覚では決して捉えることができない、おかしなことを言ひます。今日もおかしなことを言ひます。


人の息遣ひから、ことばが、生まれる。
さらに、風から、人は生かされてゐる。
風、それは、神の息遣ひである。
そこに、言語造形の稽古は常に帰つていく。


昨日の言語造形クラスでも、言語造形の基本に立ち返つて、まづ最も基本の身ぶりに取り組んだ。それは、歩みつつ「息をする」といふ身ぶりだ。


普段よりも活き活きとした、より深くなされる息遣ひから、ことばと共に、見えない身振りが生み出され、繰りなされてくる。その息遣ひの中にこそ、生きた身ぶりが不可視のつくりでつくりなされる。


外から取つてつけた身振りではない、息遣ひから生まれてくる「空氣人間のすがた」「風からなる人のすがた」だ。そのすがたは、わたしたちに「人のおほもとのすがた」を想ひ起こさせてくれる。


そのすがたは、遙かな昔に人がとつてゐたすがたであり、そして、遙かな先にわたしたちが意識的に勝ち取るであらうすがたでもあつて、芸術に取り組む人は、そのことをだんだんと先取りしながら、未來にあるであらう「人のすがた」を密やかに提示していく。


それは、ことばが、單に情報を伝へるためだけの抽象的なものではなく、活きたことばとなり、人そのものとなり、そして、だんだんと、人がことばそのものとなることである。


「はじめにことばありき」へと、これからはだんだんと遡つていくのだ。


ヨハネ福音書に、キリストのことばとして、かうある。


まこと、まこと、わたしは、あなたに言ふ、
それ、人、水と風から生まれん、
そも、さにあらずんば、人、天の国に入るを得ず
(ヨハネ 三章五節)





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2020年11月08日

旋律造形と言語造形



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ここに書かれてゐる「指揮するといふこと」についての小西収さんの文章は、何十年来持ち続けてゐるわたしの自問自答の道に一筋の光をもたらすものです。


時間といふ動きの世界の中で、何をよりどころにして、そして、いかにして、人は新しい世界を創造していくことができるのか。


一瞬一瞬の精神の身振りによつて、おのづから鳴らされる一音一音の音、音韻にわたしたち演者は導かれてこそ、恣意から大きく飛翔できる何かにまみえることができる。


その身振りの創造。その持続。


「冷静に言えば、できるはずのないこと」に「賭けている」。


その行為そのもの、その行為の持続そのことに、かけがへのない「意味」がある。


わたしには、さう思へて仕方がありません。


なぜならば、大仰な言ひ方になつてしまひますが、それこそが「音楽の神」「ことばの神」に導かれつつ、歩いてゆく道だと思ふからです。


出逢ひの僥倖をひたすらに思ひます。


ーーーーーー


言語造形家・ 諏訪 耕志さんの公演『やさしい世界の終はり方』、大阪、京都の2公演が終わりました。クラリネット演奏で共演させて頂きました。写真は今回のために編んだ楽譜の一部です。こんなことを考えこんなものを作るのもなかなか珍しい、と我ながら思っています(笑)。
 
今回はトークのコーナーもありました。が、当意即妙というのは苦手で…特に京都では、せっかく諏訪さんに振ってもらったお話に十分には応じることができなかったなあ、と省みておるところです。そこで、今ここで答えてみようかと思い立ちました。本来会場でこそ聞けるトークでしたので、ご来場頂いた方々にはご寛容のほどお願いしたく…、野暮を承知で書こうと思います。
 
指揮者とは何をしているのか。
 
「奏者が気持ちよく音を出せるように」とか「合わせやすいように示す」といったところに焦点を持つ指揮法・指揮者論が主たる潮流の一つとしてあることをもちろん知っていますが、私の指揮はそれとは異なる方の流儀といえます。もちろん、私の全身を奏者が読み取ってくれたおかげで、その奏者が弾きやすくも合わせやすくもなる…というふうに進めばたいへん幸いなことで、ぜひそうありたいものですが、それでもそれは結果に過ぎず、私にとっては、それが指揮をする目的ではありません。
 
「身振りそのものが、何らか、演奏する音符自体音楽自体をそのまま体現するものである」ように注力すること。私は、普段からほぼそれだけを考えています。極言すれば、その動きさえ追えば音を聴かなくとも曲がわかりどんな演奏かもわかる!のが理想です(笑)。実際の音楽は無くてもよいというのは、何とも荒唐無稽で反転した言い方ではありますが…。しかし、自らは音を出さずに、ひたすら空を切っては消えていく指揮者の動き、それは、1曲のスコアの中身を表すのにはあまりにも持ち合わせが少な過ぎるように思えます。しかも、上記で「全身」と書きはしましたが、主として用いるのはせいぜい両腕と両五指のみ。そのような指揮者の身振りに、1曲の音楽世界のすべてを体現する…なんて、冷静に言えば、できるはずはないのでしょう。が、そこに賭けている、というのもほんとうなんです。
 
初めて諏訪耕志さんの言語造形の舞台に接したとき、ああ、この人は私と同様の格闘をされている!と強く感じたのでした。一文・一語・一音を生成させることに賭けるという、無二の芸術。京都公演に来場した親友のKがいみじくも「神は細部に宿る」と。そう!この言葉こそふさわしい。その一瞬一瞬を聴き追うことが、言語造形鑑賞の醍醐味です。私は私の表現追求のことを「旋律造型」という造語で言うことがあるのですが、言語造形という語句との共通性も偶然ではないと思いました。そのようなわけで、諏訪さんとの共演(諏訪さんへの助演)は、指揮ではなくクラリネット演奏によってではありますが、他ではけっして得られない体験を与えられ、私の芸術活動の中でも小さくない意味を持ち続けます。

文 小西収氏


ーーーーーー

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2020年11月06日

息遣ひの徳用(さきはひ)〜フィジカルなからだから羽ばたく〜



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ある秋の日の四条畷の空


あなたは、フィジカルなからだの中に、こころを持つてゐるのでは全くない。

あなたの息遣ひのうちに、こころは生きてゐる。

わたしたちは、風の中にこころを持つて生きてゐる。

息を吸ひ、吐くときに、こころは風の中を、風と共に泳いでゐる。

地球は絶えず重力をもつて、人を病と死に追ひやらうとするが、呼吸をすることで、人は地球のその働きかけから守られ、健やかに生きることができる。

息遣ひとは、地球から与へられてゐる働きではなく、大いなる世(宇宙)から与へられてゐる働きであり、人のこころとからだの健やかさを守り、育む。

(ルドルフ・シュタイナー「精神科学における感官への教育の礎」第八講より)


言語造形といふ芸術は、その息遣ひを促すことにおいて、法則に沿ひつつ、かつ、フィジカルなからだから羽ばたいて、空間へとこころを自由に解き放ちます。その行為が、する人を、また聴く人をも、健やかさへと促すのです。




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2020年10月29日

大阪公演のご感想



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先日の言語造形公演を聴いて下さつた方が、
感想を寄せて下さいました。
ありがたいことです・・・。


ーーーーーー


大阪公演を実際に見てきました。
言語造形。
ことばで説明するのはとても難しいですが、
ことばとして響いているものの奥に、
何かほんとうのものがある。
クラリネットの素晴らしい音の奥にも
同じように深く響くものがある。
それがわたしの奥で触れ合って、
ただただ感動しました。
一つ一つの物語が、
ほんとうにあったことのように思えました。
見終わった後も、
自分の生活のなかに物語のかけらが生きているのです。
本当にあたたかく優しい舞台です。
(t.m.さん)


ーーーーー


11/3(火・祝)京都言語造形公演 
詩と物語「やさしい世界の終はり方」




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2020年10月21日

ひとつの批評 〜漱石「夢十夜」〜



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今日、言語造形のクラスをしてゐて、
夏目漱石の『夢十夜 第一夜』によつて、
部屋一杯に満ちる悲しみと、
その情の昇華に、
激しくこころを揺さぶられたのでした。


黙読するだけでは、
感じることのできないやうな、
女といふものへの、
漱石の乞ひ求めの切実さと切迫。
男といふものの性(さが)が持つ、
どうしやうもなさからの救ひへの渇望の深さ。


それは、神話に語られてゐる、
イザナギノミコトとイザナミノミコトによる、
「みとのまぐはひ」から、
「黄泉平坂(よもつひらさか)での別れ」以来の、
男と女の間に起こらざるをえない運命の必然を思はせます。


漱石に対する評論は、
全く読んだことはありませんが、
(近々、江藤淳のものを読むつもりでゐるのですが)
言語造形によつて作品が「演奏」されることは、
ひとつの最上の批評になりうるのではないか、
さう実感するのです。



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2020年10月04日

秋の花の名



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山上憶良の「秋の七草」として知られている歌二首。
『萬葉集」からの歌です。


 秋の野に 咲きたる花を 指折り(をよびをり)
 かき数ふれば 七種(ななくさ)の花


 萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花(をみなえし)
 また藤袴 朝貌(あさがほ)の花


花の名を唱へるだけのこの歌。


しかし、その名を發音するとき、
部屋の空閧ノ、
その花、その花の奥深い内部が開かれ、
各々の植物がその精神を語りだす、
そんな感覺が生まれたのでした。


さうして、秋の野原がこころの目の前に拡がるのです。


すると、不覺にも目に涙が溢れてしまひました。


親しくて、懐かしく、そして悲しい、感情です。



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2020年09月19日

母なるいのちの源からの力



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子どもがこの世に生まれて来て、
初めて地上で触れる芸術。


それが、
お母さんの声、
お母さんのことばですよね。


声といふ芸術は、
母なる生命の源から流れ來る、
命の川の流れにも似た、
人生の始まりを支えるものです。


それゆゑ、
人生の終はりにおいても、
その源へ帰るといふ情から、
戦争などで死んでゆく若者などは、
「おかあさあん!」と絶叫するのかもしれません。


いのちの流れ、
それはエーテルの流れです。


息遣ひに裏打ちされた声とことばは、
エーテルの流れに沿つて、
人から人へと働きかけ、
空間を満たさうとします。


親からことばをかけてもらふことが、
幼い子どもにとつて、
どれほど欠かせないことか。


子どもに食べ物さへ与へれば、
からだは大きくさせて行くことができるかもしれません。


しかし、その子にことばがかけられなければ、
その子は、生命力を育むことができないのです。


生命力。
生きて行くための力。
根源の力。
母なるいのちの源からの力。


それは、子どもの傍にゐる、
大人からのことば遣ひ、息遣ひによつて、
子どもに与へられるのです。


言語造形は、
そのことをリアルに感覚するための絶好の芸術です。


幼い子どもたちへのことば。


いま、始まつたばかりの四日間連続講座で、
身をもつて学んでゐます。



※絵は、安田育代氏


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2020年09月10日

楽器の音色を聴く感官とことばを聴く感官の違ひ



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公演のための打ち合はせを小西さんと。


クラリネットから響く調べが、
空間に満ち渡ります。


小西さんのクラリネットからは、
公演のたびごとに、
様々な色合ひが感じられるのですが、
このたびの響きからは、
どこか懐かしいやうな少年のころの風景と、
老いて初めて見えてくるであらう情景とが
ことばの響きと輻輳して感じられます。


楽器の調べは、
天の使ひ(天使)が、
ことばの響きは、
大いなる天の使ひ(大天使・民族の精神の方)が、
わたしたち人の体内の水を震はせ、動かしつつ、
運んでくれる。


さういふシュタイナーのことばから
示唆をもらひながら、
人の芸術作業を見守つてゐる、
人以上の存在の方々からの繊細な働きかけを
かうして舞台への集中した時間の中で、
聴き取らうとする試みでもあります。


天の使ひの方と、
大いなる天の使ひの方との、
働きの違ひ・・・。


分別で、ではなく、
こころの感官、精神の感官において、
それらを聴き取らうとすればこそ、
そこにきつと豊かなハーモニーが生まれてくる。


さう、固く信じて、作業を行つてゐます。


しかし、わたしにとつては、
音楽の音を精確に聴き取るのは、
本当に難しいと感じます。
いはば、夢見心地で楽の音を聴いてゐるのでせう。
精確さにまだまだ欠けるのです。


ですので、音楽を奏で、
聴き取る耳を持つ方との共同作業には、
作品を創る上で本当に助けられるのです。
小西さん、今日もありがたうございました!



●大阪・京都 言語造形公演『やさしい世界の終はり方』
http://kotobanoie.seesaa.net/article/477284901.html


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2020年08月14日

基礎練習といふものの意味



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二十六年ほど前からわたしは、
言語造形といふ芸術に携はり始めたのですが、
基礎練習を、
本当に毎日、毎日、
繰り返しすることができてゐるのは、
我ながら不思議な感じがします。
 
 
それまでは、
つまり二十代までのわたしは、
ひとつのことを継続してやれた験しがなかつた(-_-;)
 
 
ですから、何かを継続できる、
その意志の力といふものは、
無理強ひして育つやうなものではなく、
この人生を越えたところから導かれる力であり、
継続してすることのできる何かは、
向かうからやつてくるものだと思ひますね。
 
 
しかし、それはさうとしても、
子どもの頃、たくさん遊ぶといふことは、
意志の力の育みにおいて、
とてもたいせつなことです。
 
 
そして、理想を言へば、
シュタイナー教育のやうに、
小学校時代に、芸術を通して、
繰り返し、繰り返し、創ることに挑むことができたら、
さぞかし、その人の意志の力は強まり、
感覚し、感じる情の力は豊かになる、
さらには、大人になるプロセスにおいて、
本当に行きたいところへ行くことができ、
会ひたい人に会ふことのできる、
その力が強まる、
さう思ひますねえ。
 
 
さて、わたしの基礎練習には、
40分から1時間ぐらゐ掛かります。
 
 
基礎練習をすることによつて、
芸術といふ仕事に必要な、
様々な要素が見えてくるのです。
 
 
歳を追ふごとに、
その基礎練習に対する感覚に、
深みが加はつてくることを感じるのですが、
以前は、汗を一杯かいてやり終へた後の、
「なすべきことをしてゐる」といふ、
充実感がずつと嬉しかつたのです。
 
 
しかし、ここ半年ほどは、
その基礎練習をすることそのことの中に、
喜びと楽しみを感じ始めました。
 
 
なんと、遅い、とても遅い、成長でせう!
 
 
これは、わたしにとつて、
とてもゆつくりと進行してきた、
ひとつの内なる変容、
大袈裟に言へば、
ひとつの小さな大革命(?)です。
 
 
どの芸術、どの仕事にも、
その営みを根底で支へてゐる、
基本の型といふものがあります。
 
 
仕事をする際に、
その型をいかに崩さないか。
 
 
そして、その崩れない型の中に、
いかに豊かで深い色合ひと調べが息づいてゐるか。
 
 
そのやうな型が身についてゐるからこそ、
仕事の対象に対する感覚が研ぎ澄まされて来ますし、
だからこそ自由自在に羽ばたくやうに仕事ができる。
 
 
そして、その型自体が、
長いときをかけてゆつくりと成長して行く。
 
 
どの仕事においても、
そのやうな基礎練習に支へられてゐる型が、
あるのではないでせうか。
 

むしろ、積極的に、
見いだして行つていいものだと思ひます。
 
 
 

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2020年06月29日

外郎売 〜教員養成のための言語造形〜


 
『普遍人間学』。それは、ルドルフ・シュタイナーが、世界で最初のヴァルドルフ(シュタイナー)学校の開校前に行つた教師に向けての14日間連続の講義です。
 
 
その『普遍人間学』のあとの演習の時間に、言語造形のレッスンのための素材を、ほぼ毎日、受講者に授けてゐます。
 
 
それは、意味のあつてないやうな、ことばの群れですが、それらを繰り返し練習することで、言語の器官を体操させ、しなやかにすることができるのです。
 
 
教師が、ひとつひとつの音の響きに全身で入り込んで、意識的に明瞭に話すことができること、子どもへの教育におけるそのことの重要性を彼は語つてゐます。
 
 
そこで与へられてゐる素材は、もちろんドイツ語です。
 
 
たとへば、こんな感じです。
 
 
Lalle Lieder lieblich
Lipplicher Laffe
Lappiger lumpiger
Laichger Lurch

 
わたしたち日本人が、そのやうな素材を探すとするなら、歌舞伎の『外郎売(ういろううり)』といふものがありますよ。
 
 

 
 
子どもたちの前で話すことを仕事にしてゐる方は、ぜひ、暗記して、繰り返し繰り返し、練習してみることをお勧めします。
 
 
言語造形を通して、母音、子音に意を配りながら、息遣ひ豊かに、内的な身振りをもつて、練習していくことができます。
 
 
子どもたちが求めてゐる「ことば」とはどのやうなものか、感じられてくると思ひます。
 
 
 

 
 
 

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2020年06月17日

シュタイナーが語る「ことばの家」



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ことばには、光が潜んでゐます。
色彩として顕れ、
そして、詩には音楽が密かに響いてゐます。
 
 
その光と楽の音をこそ引き上げたくて、
言語造形といふ芸術に携わつてゐます。
 
 
今日も、再開したクラスで、
その光と音楽を感覚する喜びを
味はふことができたのでした。
 
 
ずつと我が仕事場・アトリエである、
「ことばの家」では、
様々な人によつて、
様々な作品から、
光と音楽が生みなされてきました。
 
 
その精神で、
「ことばの家」は営まれてきました。
 
 
「ことばの家」とは「神が語る家」であるといふ、
ルドルフ・シュタイナーのことばに、
どこまでも支へられてゐるからです。
 
 
第一ゲーテアヌム建築中の、
106年前の今日、
1914年6月17日にドルナッハの丘の上で響いた、
彼のことばから、いまも、
わたしの胸の内にその精神が、
泉のやうにこんこんと湧き上がつてきます。
 
 
 
―――――――
 
 

(要約)
 
 
人びとは口から耳へと伝へられるものが、
平和と調和を作り出せると本当に信じてゐます。
 
 
しかし、平和、調和、人が人としてあるありやうは、
神々がわたしたちに語りかけるとき、
初めて生まれるのです。
 
 
このゲーテアヌムの壁、
そして窓に施される芸術的なフォルムによつて、
神々はわたしたちに語りかけてきます。
フィジカルな壁は生きてゐませんが、
エーテルの、精神の、壁は、生きて動くものなのです。
 
 
地球の大地がその懐から植物たちを生み出すやうに、
わたしたちが造形する壁のフォルムは
(内において)生きて動くものを生み出します。
 
 
わたしたちの建築は、そのフォルムによつて、
きつと、神々のことばを語り始めます。
植物のエーテルのフォルムに耳を傾け、
それらをわたしたちの壁のフォルムによつて
創らうではありませんか。
 
 
自然に潜む神々が、人に、語る喉頭を創つたやうに、
わたしたちは、芸術によって、
神々が語りかける喉頭を創るのです。
 
 
わたしたちは、
これらのフォルムが
何を意味するのかを解釈するのではなく、
心臓で聴くかのやうに、
神々のことば、精神のことばを分からうとします。
その分かる力を育むこと、
それがわたしたちのなすべきことです。
 
 
このやうに、
精神への道を見いださうといふ聖きこころもちが、
この仕事場に満ちますやうに。
 
 
仕事場とは、きつと、人がその精神を愛の内に見いだし、
平和と調和を地上に拡げていくやうな
精神への道を見いだす場です。
 
 
真の芸術への、真の精神への、
そしてすべての人への愛をもって、
「ことばの家」「神が語る家」を建てようではありませんか。
 
 
       (1914年6月17日 ドルナッハ)
 
 
 

―――――――
 
 
 


本当に、このことばに尽きます。
 
 
そして、この精神があるところならどの場所も、
「ことばの家」「ことばの宮」「ことばの社」
になりえます。
 
 
このシュタイナーのことばに何かを感じる方は、
この世のどこかにをられるはずだ、
さう信じてゐるのです。
 
 
 
 

posted by koji at 23:03 | 大阪 | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月15日

まっさらな、新しい21年



「言語造形をしたい!」といふ人たちと、
今日、言語造形をすることができました。
  
 
参加者の方が綴つて下さつた文章です。↓
『 あたらしく、はじまる。 mitteの庭 note 』

 

 
リアルな空間で、
ことばのまぎれもない精神が拡がりゆくのを、
感覚することの神秘と喜び。
 
 
なんて、ありがたいことか。
 
 
わたし自身、
師匠の下から離れて、
おほよそ21年経つのですが、
今日から、
まっさらな、新しい21年を始めるのだ、
と念ひました。
 
 
クラスご案内 ↓

『言語造形クラス〜宮澤賢治と共に〜
(和歌山県岩出市)』


 
 
 

posted by koji at 22:52 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月02日

瞑想のことばと言語造形


  
CIMG6139.JPG


メディテーション(瞑想)において
響かせられることばは、
お日様に向かふ花弁のやうに、
こころに精神を取り入れる入り口になります。
 
 
そして、
言語造形で養はれることばの感官(言語感覚)は、
メディテーション(瞑想)するときにおいて、
とてもたいせつなものです。
 
 
ことばに意味だけを求めるのではなく、
その響き、リズム、動き、かたち、
バイブレーションをありありと見て、聴いて、
感覚する。
 
 
その機能と器官が、ことばの感官です。
 
 
このことばの感官が、
日常のことばの世界を離れた、
精神の力を呼び集めてくれます。
 
 
言語造形はこの感官を養ひます。
 
 
また、この感官は、
みづからの動きを感覚する動きの感官
(運動感覚)と表裏一体のものですので、
からだの動きを養ふことでもあります。
 
 
しかし、この動きといふものが、
静かさ、安らかさと共にある。
 
 
せわしなく動きまわるのではなく、
静かさが動いてゐる。
 
 
さういふ感官の働きを養ひます。
 
 
日本の神話に、
「天(あめ)の安(やす)の川」といふ川が、
出てきますが、
あの高天原(精神の世)に流れてゐる川は、
弥(ゐや)進む川、
どんどん流れて流れつづけてゐる川でありつつ、
安らかな流れなのです。
 
 
精神とは、常に、
一瞬も休むことなく動き続けてゐますが、
静かさを失はない、
静さが凄い勢ひで動いてゐる。
 
 
その生命の精神の流れは、
人の疲れて病んだこころとからだを癒し、
生命力を甦らせるのです。
 
 
そんな精神の流れ、
天の安の川の水と共に、
言語造形をしていきたいと思ひます。
 
 
滞らずに、安らかに、動きの中に入つて行く。
 
 
それこそが、人体の免疫力を上げる、
とてもたいせつなものです。
 
 
瞑想、そして言語造形、
精神からの学びと芸術です。
 
 

posted by koji at 08:13 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月24日

天と地の交流としての息遣ひ

 

わたしたちは毎時毎瞬、
呼吸をしてゐます。
 
 
させていただいてゐる、
と言ふ方がいいやうに思ひます。
 
 
その営みによつて、
いのちを授けられてゐるのですから。
 
 
その呼吸の営みとは、実は、
驚くべき営みなのです。
 
 
そもそも、それは、
大気を吸ふことによつて、
天の次元にまで昇つていき、
吐くことで、
その天の実質を地に降ろし、
地にもたらし、
地に拡げる、
そんな天と地を交はらせる働きなのです。
 
 
毎時毎瞬、
呼吸によつて、
こころが天と地を往復する。
 
 
それは、瞑想に通ずる営みです。
 

息遣ひは、
神からいのちを吹き込まれ、
神へといのちを送り返す、
そんな風に言つてみてもいい働きです。
 
 
ですから、
ことばを話すといふ営みも、
実は、その天と地の交流である、
息遣ひを動力にして働いてゐます。
 
 
本当に、奇しき働きです。
 
 
ことばをそのやうな、
清々しく爽やかな息遣ひに載せて発していく。
 
 
さうであつてこそ、
ことばはその生命を甦らせます。
 
 
息を吸ふたびごとに、
「天地(あめつち)の初発(はじめ)」に還り、
息を吐くたびごとに、
ことばといふ形をもつ「国」生みをするのです。
 
 
ことばを話すといふことは、
そのやうに、
神からの息吹きによつて、
国生みをしていく作業なのです。
 
 
芸術は、
そのやうな宇宙の根源の力と共に働くものです。
 
 
ことばを話す営みも、
芸術として甦りうるのです。
 
 

posted by koji at 08:05 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月04日

継続することのたいせつさ



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4年前の今日も舞台をやつてゐたんだなあ。
 
 
樋口一葉の『十三夜』です。
 
 
一葉の擬古文を現代語訳せず、
そのまま言語造形にかけたものでした。
 
 
ことばの意味ではなく、
ことばの動きや間、
内的な身振りや音楽的な調べで、
表現して行つていいんだ、
といふことを、
理屈ではなく身体で学び始めたのは、
この作品あたりからでした。
 
 
何事も続けることがたいせつだと、
いまあらためて念ひます。
 
 
――――― 
 
 
先日の川崎市まぶね教会での言語造形公演、
「十三夜」を無事終へさせていただきました。
 
 
足を運んでいただいた皆さん、
本当にありがたうございました。
 
 
当日を終へて個人的に感じましたことが、
ふたつありました。
 
 
まづは、
樋口一葉の文章を
全身をもつて発声していくといふこと。
 
 
きつと、作家は、
頭だけで文章を書いてゐません。
全身で書いてゐます。
ですから、文章を書くには、
健康なからだが要ります。
 
 
しかし、一葉は、
からだを健やかに保つだけの
生活的条件にあまりにも恵まれてゐませんでした。
それゆゑ、みづからのからだを蝕んでしまいました。
  
 
そのやうに、
からだに刻み込むやうにして
記された文章といふものを、
わたしたちが発声するとき、
口先だけで発するのではなく、
充分な健康をもつて、
全身をもつて発するときにこそ、
文章はその精神を顕はにしてくれる
といふことです。
 
 
精神的な仕事といふものは、
全身を使つての、
からだまるごとからの仕事からのみ
成り立つのだといふこと。
 
 
ひとつひとつの発声で
自分自身の立ち位置が決定されてきます。
一文一文、
前方に限りなく広がつてゐる空間に
ダイヴィングするやうに、
ことばを発していくことによつて、
世界が変はつていくのです。
活路が開かれていくのです。 
 
 
そして、もうひとつは、
小さなことをていねいに描くことを、
いくつもいくつも積み重ねることによつてのみ、
大きなことを表現することができるのだといふこと。
 
 
具体的なディテールを
どんどん描き続けていくうちに、 
ぐわつと大きな感情の波が立ち上がつてくる。
この作品の奥底に静かに流れてゐるテーマの
大きさに触れることができる。
 
 
今回の稽古においては、
わたしの方が、
パートナーの千晴にたくさんの細やかな示唆をもらひ、
多くのことを学び、助けられました。
 
 
地に足をしつかりとつけて、
この手でしつかりと物を摑むが如く、
この目で見、
この耳でじかに聴くが如く、
汗を流し、
涙と血を流すが如く、
このからだを通してこそ響いてくるものを、
ひとつひとつ大事にすること。
 
 
どれほどのものが聴いて下さつた方々と共有できたのか、
それは未知のものではありますが、
同じ時と場を共に創ることができたやうな、
そんなこの上ない充実感を
わたし自身いただくことができました。
 
 
素晴らしいギター演奏をしてくれた清水さん。
司会を務めて下さつた大原さん。
受付をひとりでやつてくれた志穂ちやん。
会場の外でお客様を誘導してくれた瓦吹さん、加藤さん。
お客様にお茶の用意をしてくださつた愛さん。
暖かいこころで
わたしたちの儀式を見守つてくださつた石井牧師。
そして来て下さつたすべてのお客様。 
皆さんのお蔭で公演は成り立ちました。
かさねがさね、本当にありがたうございました。
 
 
またこれからも言語造形の舞台を
創りつづけていきますので、
どうぞ、どうぞ、よろしくお願ひいたします。 


posted by koji at 10:16 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月06日

仕事と死生観



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人それぞれ、仕事がありますが、
人生観、もつと突つ込んで言へば、
死生観と重なるやうな仕事を毎日していくことが、
とても仕合はせなことであると思つてゐます。
 
 
わたしの場合、
なぜか若い頃から、
言語と人間の関係を摑みたいといふ、
漠然とした希みがあり、
二十代の終はりに、
言語造形に出会つたとき、
まるで生まれる前から希んでゐたことに
出会へたやうに感じたことを憶えてゐます。
 
 
言語と人間の関係を、
学問的にでなく、
科学的にでなく、
芸術的に追ひ求めていく。
 
 
我が身をもつて、
わたしのまるごとをもつて、
言語に取り組んでいく。
 
 
さういふ芸術的行為が、
真の認識の訪れを招きよせる。 
 
 
舞台の上で、
一回限りの、
ことばとわたしといふ人との合一が起こるなら、
そのときのリアリティこそ、
わたしに、
ことばが人に授けられてゐる意味、
文学といふことばの芸術が存在する意味、
世が存在する意味、
神がありありとあられる意味を、
教へてくれる。
 
 
舞台とは、
新しい世紀における宗教的トポスだと、
感じざるをえません。
 
 
そんな舞台の上で、
生き、死んでいく。
 
 
そのやうな仕事をしていきたいと思ひます。
 
 
 
言語造形劇『 をとめ と つるぎ 』
大阪公演3月28日(土)
東京公演3月29日(日)
https://kotobanoie.net/play/
 
 

posted by koji at 21:55 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月21日

見た夢を想ひ起こす 〜『 をとめ と つるぎ 』に向かつて〜


 
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自分が夜見た夢を想ひ起こす。
 
 
本番に近くなり、
そんな練習をわたしたち舞台に立つ者はします。
 
 
それは、表の練習といふよりも、
裏の練習・密の練習と言つてもいいかもしれません。
 
 
夢の中で、
あの人はこんな表情をして、
わたしを見つめた・・・。
 
 
あの人はこんな風に背中を向けて、
向かうへと去つて行つた・・・。
 
 
こんな風に扉が閉まり、
わたしは家の外に締め出されてしまつた・・・。
 
 
たとへばそのやうに、
夢の中に起こつたできごとを、
目覚めた今、追ひかけ、辿つてゆく。
 
 
その作業は、
わたしたち舞台に立つ者の身の振る舞ひを、
芸術的にします。
 
 
夢を生きる。
 
 
それは、芸術を芸術的に生きるといふことです。
 
 
夢、
それはなかば目覚めつつ、
なかば眠りつつの世です。
 
 
それは、情の世でもあります。
 
 
だから、目覚めてゐるときでも、
虹の七色を大空に見たり、
風のそよぎを頬に感じたり、
道端に咲く花びらにこころを注いだり、
雷鳴轟く響きに身を震はせたりするとき、
つまり自然の営みを感覚するとき、
わたしたちは、
その自然が送つてよこす情を、
注意深く生きること。
 
 
それが、
芸術をする人にとつての深い養ひになります。
 
 
 
 
 

言語造形劇『 をとめ と つるぎ 』
大阪公演3月28日(土)
東京公演3月29日(日)


posted by koji at 21:16 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする