
アントロポゾフィーといふ学問に随分と長い間、取り組んできて、念ふところあつて、以下のやうな文章をしたためてみました。長文です😇
(アントロポゾフィーとは、ルドルフ・シュタイナーによる精神科学のことです)
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アントロポゾフィーが「地上で」繁栄することは、すでに20世紀末で終焉を迎えた。
いま、アントロポゾフィーは、各国、各地域においてその国の文化、精神とひとつとなり、いはば地下に潜り、土壌となつて、つまりアントロポゾフィーといふ名が消えて、生き抜いていく時代になつてゐる。
(いはゆるアントロポゾフィーの本場と考へられてゐるドイツを中心としたヨーロッパ人や、またはアメリカ人などがどのやうに思はうと、です)
しかし、精神を求め、精神に学ばうとする人は世に絶えないだらう。
(特に、日本においては、です)
さういふ潜在的なニーズに、どう、応へて行くかが、アントロポゾフィーを学んで来たわたしの人生のテーマのひとつである。
シュタイナーやアントロポゾフィーといふ名のついた、なんらかの団体や協会や学校が地上的に栄える時も、すでに終はつてゐる。
さうではなく、一冊一冊の本と、ひとりひとりの人(精神の人)が、最後の拠り所になるだらう。
本を真摯に読み抜くことを通して、ひとりの精神の人からどこまでも真摯に学ぶことを通してこそ、学びがどこまでも深められて行くだらう。
その孤独な学びをもつて自分の足元にある土壌を耕すのだ。
孤独に学ぶひとりひとりの人から生まれて来る創造的なもの。
その創造的なものをもつて、自分自身にすでに与へられてゐる現場で、働くのだ。
それは、ことさらに新しくアントロポゾフィーの共同体作りに向かふものではなく、すでに持つてゐる自分自身の家庭や職場に活かされる学びと働きである。
そのやうなゲリラ的な働きをもつて、世に密やかにアントロポゾフィーを問ふていく時代になつてゐる。
これからは、世にゲリラ的に、かつ密やかにアントロポゾフィーは浸透していき、志をもつひとりひとりが各々の働く現場でその精神的な力を発揮していく時代だ。
これまでのシュタイナー学校やアントロポゾフィー的な共同体は残るだらう。
しかし、より多くの子どもたちが通ふ一般の学校の中、アントロポゾフィー的人間学を踏まえた、たつたひとりの先生によつて、確かな教育が少しずつ少しずつ広まつてゆく可能性。
たつたひとりの人によつて、少しずつ何かが変はりゆく可能性。
家庭の中が、少しずつ、変はりゆく可能性。
その可能性を育むために、どんな仕事ができるかを考へてゐる。
共にこの仕事を考へる人、共にこの仕事をする人を、求めてゐる。
公立や私立の学校の先生たち、社会で働いてゐる人たち、家庭の親たち、それらの方々おひとりおひとりに、アントロポゾフィーからの人間学とことばの芸術「言語造形」をお伝へしていくことが、わたしの仕事である。