2025年12月31日

おお 盲(めし)いしこころよ(『死者の書』より)



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おお 盲(めし)いしこころよ
聖き光にて身を鎧(よろ)へ
そして地(つち)の上の闇に 
汝の光り輝く影
天(あめ)の上のこころを取り戻すがよい
この聖き導きにつき従ひ
汝の守(も)りの靈(ひ)とせよ
これこそ 
汝の来し方とゆく先のすべてを啓く鍵を握つてゐるがゆゑに
(『死者の書』より)



この古代エジプトのことばが、これからもわたしを導いてゆくと念っています。





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2025年09月29日

草薙剣(くさなぎのつるぎ)



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秋、それは意識の目覚めが訪れていいとき。


夏の暑さ、光、色彩の輝き、そういったものが鎮まってゆき、風の音に、虫の音(ね)に、静かさに、耳を澄ますことのできる季節の到来。


その静かさこそが導く。〈わたし〉の目覚め、愛へと。


秋、それは宇宙から鉄が地球へと、人のからだの内へと、降り注ぐ季節。


からだの内を流れる血に鉄が注ぎ込まれるとき、秋。


その鉄は、わたしたちに与える。みずからに晴れやかに爽やかに目覚める力、明るく暖かな愛する念いの拡がりと深まり、さらには、こころを決める力、意志の確かさと強さを。


建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)が八岐大蛇(やまたのをろち)という大蛇を成敗した後、その大蛇の尾から取り出したのが、草薙剣(くさなぎのつるぎ)。


その剣は、人をあやめるためのものではなく、草を薙ぐためのもの。


こころに生い茂る、弱気、怠惰、虚偽、執念、情欲など、様々な邪念や悪しき想念、不健康な情を一刀のもとに断ち切り、こころの草原を見晴らしの良いものにし、一筋の歩みゆく道を見いださせてくれるもの、それが、すべての人のこころに鎮まっている「草薙剣」。


それは、ひとりひとりの人が、みずから手に握ろうとすればこそ、その働きをなす、靈(ひ)の鉄の剣。


自分自身のこころに、靈(ひ)の鉄の剣、草薙剣をもち、自分自身が歩いて行く道を見いだし、そして、一歩一歩、自分の歩幅で歩き始める、そんな秋(とき)の訪れ。


その剣は与えられてある。すべての人に。


あとは、その剣を手に取るか、取らないか。そのことは、ひとりひとりの自由な選択に任されている。



.※絵は、安田靫彦「草薙剣」
倭建命(やまとたけるのみこと)が相模で国造(くにのみやつこ)の策略により弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)と火に囲まれた際、草薙剣で草木を薙ぎ倒して難を逃れたという『古事記』に由来した場面




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2025年08月26日

仲間のこころに出会ふことの大切さ



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五年前から、オンラインで、シュタイナーの学びのときを毎週毎週持たせてもらっているのですが、わたし自身にこの仕事を喜びをもって続けることのできている理由があります。


シュタイナーの学びの大切な内実を分かち合える喜びはもちろんのことなのですが、そのことと同じぐらい、もしかしたら、そのことにも増す深い喜びがあります。


それは、学びの仲間のこころに出会えることです。ひとりひとりのひめやかなこころの営みの一端に触れられることです。


ひとつひとつのクラスにおいて、ひとりひとりは、守られ、受け入れられているという感覚、感情が静かにあって、講師をさせてもらっているわたし自身もその穏やかで神々しいお社の中にいることを毎回欠かさず感じているのです。


これは、そこで扱っているアントロポゾフィーという靈(ひ)の学びから生まれるもののおかげです。


クラスの仲間のこころにそっと聴き耳を立てることの連続が、いつしか、自分自身のこころの声に耳を澄ますことへと道が続いていることに、わたし自身、この五年の間で気づかされてきたのです。


こころとこころが触れ合うことの連続した積み重ねが、まず、わたしたち大人にとって必要であることを実感します。他者との縁(えにし)を親しく感じとることの練習が必要であることを実感するのです。





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2025年08月11日

子どもの内に入ってゆく



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「ものごとをよく知るためには、人はものごとの上に立とうとしてはならない。むしろ、ものごとの深みに分け入り、その内に生き、そこに働いているものをそこから引き出すのだ」


自然から学ぶことについてのゲーテのことばです。


それは、芸術的な感覚を育んでゆくことの大切さを言っています。


その感覚は、子どもを育てゆくときにも大切なことだと実感します。


子どもの上に立つのではなく、子どもの内に入ってゆく。


ひとえにわたしの未熟さゆえに、その内側に入ってゆけないときがあり、入ってゆくことのできない子どもとのひとときがあるのですが、わたしの勤しみは、ひとえに、内へと入ってゆくことです。





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2025年07月15日

子どもたちの瞳の奥に輝いている靈(ひ)



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いま、小学二年生、三年生と共に学び、生きる時間をそれぞれ定期的に持たせてもらっています。


これまで、シュタイナー教員養成講座などを通し、大人の方々に向けて、シュタイナーから生まれた教育に対する知識を教えさせてもらっていたわたしが、いま、ようやく60歳になって、子どもたちと触れ合いながら生きる時間を与えられています。


恥ずかしながらうまくゆかないことばかりです。しかし、授業の回数を重ねて、子どもたちとのあいだに流れている何かを感じる練習をしつづけていますと、わたし自身、本当に久しく想い出せずにいた、生きることへの輝くばかりのきらめきやときめきを、子どもたちからいただくようになってくるのです。


「きらめき」や「ときめき」などということばはとかく綺麗事に聞こえてしまうかもしれませんが、この感情は、実は、わたし自身、子どもの頃に持っていたものでした。


子どもたちの瞳の奥に輝いている、その、靈(ひ)なるもの。それは、ことばにならないところで叫んでいる「僕は僕になりたい!」「わたしはわたしになりたい!」という声であり、その声は、わたしの知性ではなく、情で聴き取られるものでした。そう、わたしの情が仲立ちしてくれて、わたし自身の靈(ひ)なるところと子どもたちの靈(ひ)の声とが繋がり、結ばれるのです。


前もって準備している授業のことごとが、子どもたちとの間に生まれて来るものによって、なり変わってゆき、ときに、崩れてゆきます。しかし、それでこそ、その時間が生きているのです。子どもたちとの、まさに、一期一会の出会いの中で生まれて来るものをこころの目でみつめ、こころの耳で聴き取り、そこから新しく何かを産みだしてゆく毎回です。


先日も、しようとしていた授業は見事なまでに吹っ飛んでゆき、子どもたちが本当に嬉しそうに持って来たカブトムシとクワガタムシ(親御さんいわく「諏訪先生にみせるんや」と言ってきかなかったそうです)を机の上に置いて、それぞれの名前を決め、物語を創り、想像を膨らませてゆく時間へとなり変わっていったのでした。


そして、これまで、ノートに文字を書くことがほとんどできなかった子どもが、一生懸命、そのカブトムシの物語を平仮名で書くのでした。わたしは、その姿を観ていて、なんだか、涙が出て来るのでした。






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2025年07月06日

冬と夏の対極性を感じ切る



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ひととせのうちに、冬なら冬、夏なら夏、それら、両極の趣きを感じ切る。


おのおのの極がおのおのの趣きで、我がこころにもいきいきと働きかけて来ます。


この対極性をめりはりをもって生きることが、こころに感覚性からの自由を呼び覚まし、季節の巡りに応じた靈(ひ)の調べを奏でさせ始めることをもたらすように感じます。


シュタイナーの『こころのこよみ』という毎週ごとの詩歌の連なりは、そういう生き方へのかけがえのない導きとなってくれます。


また、冬の白黒、そして夏の緑を下地にしためくるめくような色合いの饗宴、このそれぞれの色のひびきが湛えるものが、わたしたち人に何を伝えてくれようとしているのか。


そんなことに耳を澄ませる毎日。こころがときめきます☺️




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2025年06月06日

草木や花 陽の光に生きる 人 こころの光に生きる



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草木や花を前にし、じっと見つめながら、そのなりなりてなりゆくありように、こころの調べを重ねます。


すると、頭で考えるときには思いもよらないような情が、胸に萌して来ます。そして、その情が、こころいっぱいに満ちて来るのです。その満ちて来る情は、光の拡がりだと感じます。また、みずみずしいいのちの流れであるとも感じます。それらは、わたしのまるごとを貫き、包みこみます。


目には見えませんが、それらの確かにリアルに感覚できる密(ひめ)やかな働きが何であるのか、何ゆえそのように起こり、さらにわたしの何を育んでいるのかを、シュタイナーは確かなことばで言い表してくれています。


そのような密やかで細やかだけれども、確かに生きてこころとからだに働きかけて来るものを感覚することによって、晴れやかで伸びやかな息づかいを伴う情、まぎれない活力、希みをもって生きてゆく力が与えられるのを感じます。


さらには、それらの働きをことばにして捉えること、言語化することによって、生きてゆく上で本当に大切な何かに目覚めることができると実感します。


劇的な何かでなくても、日々の目の前にある当たり前のものに、本当に豊かなものがしずしずと湛えられています。


それをこころの意欲をもって汲み上げるほどに、我が身に健やかな力が甦って来るのです。


このようなことがらを、ことばにして言い表すことが許され、人がこういったことばに耳を傾けることができる時代になって来ていることを感じます。21世紀も、もう四半世紀が経ちました。20世紀に感じていた価値観とは明らかに異なって来ています。「怪しい」という言い方では済まない何かを多くの人が実感して来ているのではないでしょうか。


シュタイナーはこういったことばを、かれこれ120年ほど前にはもう言明していたのでした。



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●ルドルフ・シュタイナー『いかにして人が高い世を知るにいたるか』の「備え」の章から


萌し、育ち、栄える生命の現象。そして、しぼみ、枯れ、朽ちる生命の現象。その現象にしっかりと意識して目を向けること。他のすべてをこころから追い出し、しばし、ひとつの印象にみずからを委ねる。


すると、それまではこころをかすめるだけであったひとつの情が、みなぎり、力強く、意欲的なかたちをとる。その人が、きっと、その情のかたちの余韻をみずからの内に安らかに響かせる。その人が、きっと、内においてまったく静かになる。その人が、きっと、その花咲き、栄えるという事実にむけてこころが語ることに則る。


そのように育ち、花咲き、栄えること、はたまた、枯れ、朽ちることに、たびかさねて目を向けるにつれて、その情がなおさらに生きたものとなる。そして、そのようにして生じる情と考えから、明るく視る(透視する)器官ができあがってゆく。


それらの情が確かな力となり、ふさわしく培われ、なおさらにいきいきと養われるにおいて、こよなく有意義な精神の働きへと導くようになる。


こころの世、いわゆるアストラルの境が、その人の前に明るみはじめる。



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2025年05月26日

子どもへの教育における『普遍人間学』の大切さ



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大神神社の末社、天皇社の上空



この春から、小学二年生と三年生のシュタイナー教育土曜クラスを滋賀の草津で受け持たせていただいているのですが、こうして子どもたちとの時を過ごしていますと、ますます、シュタイナーのアントロポゾフィーという学び、とりわけ、『普遍人間学 教育の基として』という講義録の内容の重さが感じられて来ます。


子どもたちに何を教えるか、ではなく、子どもたちの前で、教師自身がいかにファンタスティック(創造力豊か)に、ひとりの芸術を営む人として存在するか。


子どもたちひとりひとりの表情、気配、身の動きを観てとり、臨機応変にその彼らの内に響いている調べにみずから沿ってゆくか。


そのことの大切さを念うのです。


●こころとは、月のようなものだ。お日様に照らされて、満ちたり欠けたりしながら輝く。こころとは、水のようなものだ。お日様の熱によって、熱くなったり、冷たくなったりする。


これは、イタリア中世の神学者、トマス・アクィナスのことばです。


現代の心理学は、そのお日様、つまり、人の靈(ひ)、世の靈(ひ)のなんたるかを見失っています。そういう、お日様を見失った心理学は、ひとりひとりの人のこころを暖めません。それは、こころを失ったこころの学問になってしまっているからです。それゆえ、靈(ひ)から、こころというものを捉える心理学こそが、いま求められているのです。


自分自身を、そして子どもを教育する上で、そんなお日様に照らされ、暖められた心理学が必要です。こころを甦らせる、いのちを吹き込む、そんな学問が必要なのです。


ルードルフ・シュタイナーの『普遍人間学』は、現代に本当に必要な心理学の基礎を与えてくれます。その第二講では、こんなことがまず述べられています。


感覚に偏りがちな人には、考えることの大切さを。


考えることに偏りがちな人には、感覚し、感じ、欲することの大切さを。


アントロポゾフィーは、靈(ひ)の観点から、人のこころに、その塩梅加減、釣り合いを子どもの内に見いだし、教え手自身にもたらす技量を与えようとします。





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2025年04月24日

アントロポゾフィー 人であることの意識



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「アントロポゾフィー」ということばは、各国語に翻訳しないで欲しいとシュタイナーは語りました。


ですので日本語に翻訳する時、ギリシャ語の「アントロポス」を「人の」と翻訳し、「ソフィア」ということばを「知識」や「叡智」として、それらの合成語である「アントロポゾフィー」を「人についての知識」や「人の叡智」と訳さないで欲しいということになります。


そのように辞書に則るようにして各国語に訳することによって、その訳された名前を人は記号のように受けとり、まこと、ことばが指し示そうとするところを分かったつもりになってしまうからだと語りました。


「アントロポゾフィー」ということばも、この学びの道には要らないくらいだと。


しかし、そういうわけには行かないから、あえて「アントロポゾフィー」という名をもって、この学びの道を呼ぶのだと。


そして、この「アントロポゾフィー」という学びの道を、「人であることの意識」として各々熱く受けとって欲しいと語っています。


「わたしは人である」。


その意識こそ、シュタイナーが100年前の人たちに呼び起こしたかったものでした。


「人であることの意識」。


このことばは、わたしを、いろいろな場面で実際に助けてくれました。たとえば、何か辛いことがあったときなど、このことばを想い起こすことで、なぜか本来の自分に立ち戻ることができるのです。ことばって不思議なものですね。


シュタイナーは、このことばを彫刻として刻み込みました。その前に立つ人に、「人であることの意識」をこころに呼び起こすべくです。





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2025年03月22日

死にし者への祈り



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我が愛 いま 
汝を包む想ひと ひとつに結ばれむ

そして すべての暑さを涼しくし
すべての寒さを暖めむ

愛に包まれ 光を受け
上へと昇りゆき給へ

(シュタイナーの私信 1905.12.31 ベルリンより)


春のお彼岸だからでしょうか。死にし方々との繋がりの大切さが身に染みて感じられます。


今朝もこうごうしい朝です。





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2024年09月29日

理想をことばに鋳直すお祭り ミカエルのお祭り



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秋の祭りである、ミカエルのお祭り。


それは、夏の間、高く大いなる世に拡がつてゐたわたしたちのこころと靈(ひ)が、冬のクリスマスに向けて、再び、わたしたちのからだへと戻りくることを、強く、確かに、促すためのお祭りです。


だからこそ、この秋のお祭りを創ることによつて、人は、自分自身の本当の理想やまことの考へをふさはしく、靈(ひ)の鉄の剣をもつて「ことば」にする力、「ことば」に鋳直す力を得ることができるのです。


言語の理想主義。


それは、わたしたちのこころを健やかに甦らせてくれます。


アントロポゾフィーから、そのやうな靈(ひ)のお祭りを創つてゆく。


それは、アントロポゾフィー運動のひとつの仕事なのです。



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『ミカエルのお祭り』ルードルフ・シュタイナー


我々、いまを生きる人

靈(ひ)の朝の呼び聲

ミカエルの朝の呼び聲を

ふさはしく聴き取りてしかり

靈(ひ)を知ること

そはこころに啓かむ

まことの朝の呼び聲への聴き耳を



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靫(ゆき)懸(か)くる伴(とも)の男(を)広き大伴(おほとも)に国栄えむと月は照るらし(萬葉集1086)


国のはじまり以来、宮廷を守り続けて来た武門「大伴氏」。


靫(ゆき)を背に懸(か)け勢揃ひした大伴のつはものたちの集団に、「国栄えんと」月が照つてゐる。


引き締まる秋の目覚めを思はせる。


なにゆゑか、諏訪家の娘たち二人が幼い頃、この歌を好みました。



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2024年09月24日

エーテルの世を描いている古事記



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人は、13、14歳ごろから性的な成熟がからだに現れて来ます。


男の子は、男のからだのありようへ、女の子は女のからだのありようへと、成熟していく。


しかし、ちょうど、そのころ、男の子のエーテルのからだは、まさしく女性の姿をとり始めるのであり、女の子のエーテルのからだは、男性の姿をとり始めます。(※)


そうして、フィジカル(物理的)なからだにおいて性が表立つことに対して、エーテルのからだにおいては、その対の性を姿としてとることで、人としてのバランスをとらせるという、神の計らいなのでしょうか。


さて、ここで、『古事記(ふることぶみ)』の話になります。


そこにおいては、とりわけ神代の巻にはエーテルの世のありようが描かれてあります。


天照大御神は高天原において、太陽を司る「女神」として描かれています。


それは、いまだ、フィジカル(物理的)な状態にまで凝ってはいないエーテルの状態の太陽が女性的な姿をされておられるからです。


そして、フィジカルな次元では、太陽は、まさしく男性的な働きを荷つて下さっています。


それは、光と熱を通して、すべての地上のものに命を吹き込む、受精させる、そんな働きです。


一方、月は、エーテル界においては月読命(つくよみのみこと)という「男神」として描かれています。


そしてフィジカルな次元では、月は、まさしく、女性的な働きを荷つて下さっている。


太陽の光を照り返し、夜の国をしろしめされておられる。


『古事記』は、そのように、この大宇宙と地球のなりたちをエーテルの次元において、さらにアストラルの次元において、さらにまぎれない靈(ひ)の次元において、描いているのです。



※Rudolf Steiner : Gegenwärtiges Geistesleben und Erziehung 第4講より 





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2024年07月11日

我がこころのこよみ


いま、自分の中に、ある問いがあります。しかし、どうしても、その問いに対する答えが見いだせず、苦しくもどかしいこころもちでした。まるで靄がかかっているようで、辿り着きたいところが霞んで見えない、そんな感覚です。しかし、『こころのこよみ 第15週』が丁度、今週に当たっていて、「わたしの<わたし>は己れの囲ひのうちにある」ということばを改めて見つめているうちに、こう気づいたのでした。ああ、これでいいのだ、わたしのわたしたるところ<わたし>は、いま、魔法にかかっているかのように、囲いのうちにいるのだから、これでいいのだ。そして、来たる週に、このこころは、きっとなるべくようになりゆき、答えを見いだすことを阻んでいるこの囲いを乗り越え、待つことを通して熟した答えに訪れられるだろう。そして、こころの安らかさにいたるのでした。年を重ねて、この『こころのこよみ』がますます、我がこころに重なって来、まさに、我がこころのこよみとなって来るのです。

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2024年07月07日

「分かる」の深まり



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「分かる」ということには、いくつかの順序、次第があります。まずは、眼で見て分かる、頭で理解して分かる。そこから始まり、だんだんと、こころに受け止めて分かる、胸で感じて分かるへと深まりゆき、最後に、腑に落ちる、腹で分かる、やってみてますます分かるという道を人は歩いて行くのですね。この三つの次第を生きるためには、学びを続けて行く必要がありますし、長く時間がかかることです。しかし、だからこそ、喜びがあります。同じ「分かる」でも、その質に違いがある。時をかけて、ゆっくりと、掘り進めて行くことで、深みへといたるのです。同じ本をいくたび読んでも、読むたびに、新しく「分かる」ことができ、新しく喜びが訪れます。

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2024年06月23日

ヨハネの祭り 夏、地を踏みつつ天へと羽ばたくとき



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ルードルフ・シュタイナーによる『ヨハネ福音書講義』を読み続けています。


新約聖書にある「ヨハネ福音書」。それは、前半と後半に構成が分かれています。


前半が、洗礼者ヨハネについて。後半が、この福音書の書き手であるヨハネについて、です。


そして、いま、洗礼者ヨハネの誕生日(ヨハネ祭)を間近に控えるこの初夏の日に、わたしは、キリストをキリストとして受け止めた最初の人、洗礼者ヨハネのことを改めて学んでいます。


彼は、みずからを、「ひとりにて呼ぶ者の声なり」と言いました。(「荒野にて呼ぶ者の声なり」はふさわしくない翻訳だそうです)


「みんなで呼ぶ」のではなく、「ひとりにて呼ぶ」のです。


この「ひとりにて」というところに、新しい時代の始まりがあります。


そして彼は、たったひとりにて、キリストを、世の光を、陽の神を、この地に呼びました。


そのことは、何を、わたしたちに教えるでしょうか。


それは、意識の目覚めです。


聴き耳をたてるのは、この<わたし>ひとりです。


誰も、わたし自身に代わって、神の訪れを告げてくれる者はいません。


意識の目覚めを生きる人は、協力し合いますが、群れません。


そのひとりの<わたし>の、内も内にこそ宿るのがキリスト・世の光だ、とヨハネ福音書は語っています。


世の光、陽の神は、いま、この大地に立つひとりひとりの人のこころの真ん中に宿り、そこから、ヨハネの祭りのときを中心にして、夏の季節、広やかな天空の彼方へと拡がりゆこうとします。おおよそ二千年このかた、毎年です。


古代においては、この夏のお祭りにおいては、洋の東西を問わず、燃え上がる炎と共に、歌い、踊り、舞い、祈りを陽の神に捧げていました。


その時には、イスラエルの国では葡萄の実から絞り出したワイン、最も東の国、日本では、米から醸した酒によって、その炎の祭りがいやがおうにも高揚したものになりました。


その夏の祭りの時にこの世に生まれた洗礼者ヨハネも、神と人とを結ぶべく、燃えるような情熱をもってヨルダン川のほとりにて人々に洗礼を授けていましたが、ただひとつ、古代から引き継がれてきたものとは全く違う意識をもっておりました。


それは、酒の助けを借りて高揚するのではなく、意識を目覚めさせて、たったひとりでことをなすことでした。


高揚するとは、いわば、夢見つつ、神々しい天へと昇ること。


しかし、洗礼者ヨハネは、意識を目覚めさせることによって、この大地にしっかりと足を踏みしめながら、天へと羽ばたく術を人々に与えていました。


それは、古代の在り方とは異なる、これからの人びとの夏の生き方を指し示しています。


そうして、ついに、冬のただなか(1月6日)にナザレの青年イエスが彼の前にやって来たのです。


そのときから、おおよそ二千年が経ちましたが、そのような洗礼者ヨハネの生き方が、ゆっくりと、これからの多くの人の生き方になりゆくでしょう。


わたしたちも、この夏、どういう生き方をするかによって、来たる冬の迎え方が決まって来るでしょう。


一日の過ごし方によって、人は、からだを満たしたり、不満を感じたりします。


しかし、人は、一年の過ごし方によって、こころを満たしたり、不満を感じたりするのです。ひととせを靈(ひ)に沿って生きることは、こころを健やかにするのです。


ひととせを生きる。それは、こころの、ひとめぐりです。


そして、いま、夏を生きます。目覚めつつ。静かに。かつ、燃え上がりつつ。こころの深みから。






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2024年06月21日

夏至考



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小林和作「日照雨」



いよいよ梅雨に入ったようですね。大阪でも朝から豊かな雨が降り注いでいます。


今日は、夏至で、一年のうち、最も陽(ひ)が高いところで輝き、それゆえ、日照時間が最も長いときです。


しかし、そんな、陽が高く輝き、地球に強く働きかけて来る日々のはじまりが、雨雲に覆われた梅雨の空と同居している、この日本という国の天恵のような不思議さを念います。


夏至、もしくは、西洋でのヨハネの祭りは、我が国では、旧暦での皐月(さつき)の雨、五月雨(さみだれ)の日々のさなかであります。


その不思議さは、きっと、こういうことではないだろうかとも思うのです。


我が国では、物質としての陽の働きを雲が隠し、そのことによって、靈(ひ)としての陽、陽の陽たるところ、陽の本質を感覚することこそが、人の生き方を導くものであったということです。


「お天道さま」と昔の人が言うとき、それは陽の神さまのことを言っていたはずですし、時代が下るにつれて、高い意味での「良心」のことを言うようになって来ました。


そして、いま、わたしたちへの良心のささやきは、まさしく、高いわたし、〈わたし〉からの声であると、はっきりと知る時代に入って参りました。


〈わたし〉とは、そもそも、陽(ひ)であり、靈(ひ)であったということも、やがて知るようになります。


「お天道さまがみているよ」ということば。


それは、「他の誰でもなく、このわたしのわたしたるところ、〈わたし〉がわたしをみているよ」という意識からのことばへと育って参ります。


雨雲に覆われる、この夏至からの日々、旧暦では、皐月(さつき)の後半、わたしたちはだからこそ、積極的に、隠されている「お天道さま」を、星々の彼方にまで拡がっている「〈わたし〉」を、探し求めます。


太平洋に面した極東に位置するこの国において、自然の条件が織りなすわたしたちの生き方、暮らし方。そしてそこに通い続けている靈(ひ)の働き。


そのことをアントロポゾフィーを学びつつ生きているわたしたちは、これから、新しい意識からの「祭りづくり」をもって育んで行きます。




そして、本来の日本の夏のお祭りである、七夕の節供については、新暦の八月のはじめごろ、また、書いてみたいと思います。


西洋とは異なり、夏のお祭りをおおよそひと月半ほどずらして、新暦の八月はじめ、旧暦の文月(ふみづき)七月七日に、澄み切った夜空に星々をはるかに臨みながら、わたしたちは日本の夏祭りを祝うことができるのです。





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2024年06月06日

幼な子の夢見る意識を守ること



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幼い子どもたちの夢見るような意識。


そんな夢見るような幼な子の意識をできるかぎりそのままにしてあげたい。


早急に意識の目覚めをさせてしまうことは、知性の早すぎる目覚めを同時に促してしまいます。


知性の早すぎる目覚めは、幼い子どもたちに特有の手足の動きをもって大人の振る舞いやことばを見よう見まねで習得していく力、すなわち、真似る力を失わせ、はやばやと自分の頭で考えさせるようになってしまいます。


「下手の考え、休むに似たり」と昔から言います。


小さな頭でこざかしく考えることなど、なにほどのことでもない、ということを子どもや若い人たちに教えることは大切なことです。そのこざかしさは、生涯にわたる禍根を残し、世に災いを与えてしまいます。そのこざかしさは、悪知恵になるからです。


むしろ、考える力が本来出て来るべき9、10歳あたりまでは、周りを真似る力、手足を用いて行う力をふんだんに育んでやることが大切です。


そうして、そのあとから、ふさわしい導きによって子どもたちの考える力を育んでやることができるなら、その力は子どもたちの中で、やがて、活き活きと育つ植物のように健やかに育ち、本質的なことを明瞭に考えることのできる、こころの強い芯、高く太い樹木となるでしょう。


自分自身が考えることに信頼のおけることほど、大切なことはありません。


その考える力には、促成栽培にはない、自然な成長の力、いのちの力、意欲の力が通っていることを実感するからこそ、その生命に対して信頼を置くことができるのです。にせものではなく、本物のいのちに対するおのずからな信頼です。


その考えに通う生命の力こそが、幼児期における夢見るような意識の保護によって育つのです。


また、幼児期に、夢見るような意識が守られ、だからこそ、見えないものを観る力を大切に暖め続けることができた子は、きっと、小学生や中学生になって行っても、意志や意欲の強い子になります。そして、大人になって、自分自身でみずからのこころを決めることのできる力を持つ人になりゆきます。


いま、「何が正しいことか分からない」と言う大人の声をこれほど多く聞くことになるとは、という忸怩たる思いでいます。


それは、自分自身で考えて、自分自身でみずからのこころを決められない大人の嘆きの声のように思えるのです。


それは、多くの国民の受けて来た幼児期から始まる教育からの、必然的な帰結です。


もう、これ以上、このような教育を続けて行っては、社会そのものが立ちゆかないことをはっきりと意識していい時が来ています。学校の先生だけに教育を任せていていい時代は過ぎ去っています。


だから、この2020年代からは、ひとりひとりの大人が、未来の社会を担う子どもたちや若者たちを育てて行くために、自分自身が何ができるのかを考えて行くべき時だとわたしは考えています。


本当に、考えて、何か、実際に、始めて行きたいと思います。





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2024年06月02日

メディテーションのことばと言語造形



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メディテーション(瞑想)において内に響かせられることばは、お日様に向かう花弁のように、こころに靈(ひ)を取り入れる入り口になります。


そして、ことばづくり(言語造形)で養われることばの感官(言語感覚)は、メディテーション(瞑想)するときにおいて、とてもたいせつなものです。


ことばに意味だけを求めるのではなく、その響き、リズム、動き、かたち、バイブレーションをありありと見て、聴いて、感覚する。


その機能と器官が、ことばの感官です。


このことばの感官が、日常のことばの世界を離れた、靈(ひ)の力を呼び集めてくれます。ことばづくり(言語造形)はこの感官を養います。


そして、日本人は、和歌や俳諧などことばの芸術を通して、ずつと、この「ことばの感官」を養い続けてきました。


また、この感官は、みずからの動きを感覚する動きの感官(運動感覚)と表裏一体のものですので、からだの動きを養うことでもあります。


しかし、この動きというものが、静かさ、安らかさと共にある。


せわしなく動きまわるのではなく、静かさが動いている。


そういう感官の働きを養います。


日本の神話に、「天(あめ)の安(やす)の川」という川が、出てきますが、あの高天原(靈の世)に流れている川は、弥(ゐや)進む川、流れ流れて流れつづける川でありつつ、その流れは安らかで、しずかなのです。


靈(ひ)とは、常に、一瞬も休むことなく動き続けていますが、しずかさを失わず、光が凄い勢いで流れている。


そのいのちの靈の流れは、人の疲れて病んだこころとからだを癒し、生命力を甦らせるのです。


そんな靈の流れ、天の安の川の水と共に、言語造形をしていきたいと思います。


滞らずに、安らかに、動きの中に入って行く。


それこそが、こころに健やかさをもたらし、また、人体の免疫力を上げる上で、とてもたいせつなものです。


メディテーション(瞑想)、そしてことばづくり(言語造形)。


それは、靈から生まれて来る学びと芸術です。






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2024年05月24日

音楽家ツェルターに宛てた手紙から ゲーテ



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ひと呼吸ごとに、エーテルのいのちの流れがわたしたちの内に染み渡る。


すると、喜びがほどよく拡がり、苦しみがほとんど消え去ってしまう。


そのことを想ってみるがいい。



♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾



ゲーテも、メディテーションとコンセントレーションのいかなるかを知っていました。


それは、物理的な息遣いから、靈(ひ)による光の息遣いの働きへのなりかわりをリアルに感覚することなのです。


毎朝の営みが、今日という一日に健やかさをもたらします。


こつこつと続けることだけを、みずからに課す、どこまでも自由なる行いです。








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2024年05月21日

『神秘劇』(シュタイナー作)より



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種子は力を秘めている。


その力は育つ植物にどう育つべきかを教えますか。


いいえ、教えるかわりに、植物のうちに生きた力として働きます。


わたしたちの理念も教えではありません。


教えるかわりに、わたしたちの営みそのものとなり、いのちを沸かし、いのちを解き放つにいたります。


わたしにしても、そうして理念の数々をものにして来ました。


だからいま、ひとつひとつのことに生きる意味が汲み取れます。


生きる力ばかりか、わたしはものごとを見る力をも得ています。


子どもたちを育てることにも希望があります。


これまでのやうに、ただ仕事ができる、ただ外面で役立つだけではない、内面で釣り合いがとれる、満たされたところを保って生きていける、そんな人へと育って行ってほしいのです。





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