
これは、とても長い文章です。しかし、〈わたし〉からの試みです。精神の海へのわたしなりのダイヴィングでもあります。この長文、もしお付き合ひいただけましたならば、これほどの喜びはありません。 諏訪耕志
『アントロポゾフィー運動の四つ目の次第
「自由なる精神の高き学び舎」としての
アントロポゾフィーハウス 』
ここ日本においても、アントロポゾフィー運動といふ生きた精神の運動は、まさに、生きてゐるものであるがゆゑに、四つの次第を持ちます。
それは、人が、フィジカルなからだ、エーテルのからだ、アストラールのからだ、そして〈わたし〉を持つことと同じです。
@【暮らしの中に新しいスタイル、かたちをもたらすこと】
これは、アントロポゾフィー運動において、人のフィジカルなからだの営みにあたります。
人は、芸術ワークショップやシュタイナー教育やアントロポゾフィーについての講義を受けることによつて、または、シュタイナー教育に関する解説書や案内書などを読むことによつて、暮らしの中に新しい息吹きが吹き込まれ、何か新しい暮らしの仕方が始まる可能性が自分自身のこころに宿り始めることを感じます。
そのための仕事をすることが、アントロポゾフィー運動の一つ目の次第です。
A【ルードルフ・シュタイナーのことばに学ぶ】
この二つ目の次第は、翻訳と言へども、シュタイナーその人のことばに触れて、こころがまるで水を得た魚のやうに甦つて来ることで、それは人のエーテルのからだの営みにあたります。
ひとりでする読書から、仲間と共にする読書会や研究会を営むことへ、さらには、自分自身が講義をすることへと深く確かにこの道へと歩を進める人も出てくることでせう。
その一連の流れを促すこと、それが、アントロポゾフィー運動の二つ目の次第です。
B【グループを作り、世に働きかけてゆく】
この三つ目の次第において、まさにアントロポゾフィー運動も人々の目に見える公けの形を持つやうになる、と言つてもいいかもしれません。
たとへば、シュタイナー学校を創ることや、医療や農業などの分野における法人格を持つた社会活動、または、芸術団体、芸術学校を創り、世に芸術的に、精神的に、宗教的に、かつ、科学的に、「人であることの意識」を守り育んで行くことの重要性を訴へるにいたります。
この三つ目の次第では、グループとしての意志と情と考へがものを言ふやうになり、そこから、おのづと、グループ内とグループ外といふ、内と外のやりとりがなされるやうになります。これは、人のアストラールのからだの営みにあたります。
社会の中で、より多くの人々と関はりつつ、アントロポゾフィー運動を繰り出して行く次第です。
この三つ目の次第において、人ひとりひとりが生きる活き活きとした組織づくり、外の社会との有機的な交流を創り出し、育て上げて行くことで、このアントロポゾフィー運動は一応の完成をみることができたと思ふこともできるのかもしれません。
しかし、アントロポゾフィー運動は、この時代の課題として、はるかに、この三つ目の次第を超えて、より深い次元と射程と淵源を見据ゑてゐるのです。
C【メディテーションと芸術実践を重ねることで、世により強く深く確かに働きかけてゆく】
この四つ目の次第において、アントロポゾフィー運動は、その運動の源の泉を持つにいたります。
1923年のクリスマスの集ひにおいて、ルードルフ・シュタイナーは、この四つ目の次第を地上に打ち樹てるべく、「普遍アントロポゾフィー協会」を新しく創り、その真ん中に「精神科学自由大学 Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft」を、まさに精神からの生きものとして生み出しました。その「精神科学自由大学」でなされるのは、アントロポゾフィー運動の代表者、責任者として、ひとりひとりが世の中に立つことができるやうに、メディテーションと芸術実践・学問研究などを通して、密(ひめ)やかな学びからの稔りを、ひとりひとりの内に生み出すことでありました。
この次第は、人の〈わたし〉の営みにあたります。
ですので、この四つ目の次第が真に息づいてこそ、この運動は、初めて、「人であることの意識」であるアントロポゾフィーを育む真の運動体としてなりたちえるのです。
三つ目の次第までですと、確かに、「地に足の着いた活動」と称しつつ、唯物観に満ちた現代風の雰囲気や成功感・達成感は得られる可能性もあるのかもしれませんが、人であることの意識を育む精神からの運動体にはなりえず、肝心要のシュタイナーといふ人を通してこの世に贈られた高い志から、遠く離れたものしか生まれないことは否めないのです。さういふ、シュタイナーの持つてゐた素志から離れたものがあつてももちろんいいのです。しかし、その志をこそ大切に受け継ぐのだといふ方向性はなんとしても守りたいと思ふのです。
だからこそ、シュタイナーは、密やかな学びを集中的に営む四つ目の次第をアントロポゾフィー運動の中心の仕事として、その課題に据ゑたのです。
しかし、約100年前に打ち樹てられたこの「精神科学自由大学」は、わずか、設立から半年あまりで、シュタイナーの病気、およびその死によつて、実質上の命を失つてしまつたのではないかと、わたしは考へてゐます。
いま、わたしは、ルードルフ・シュタイナーの精神を、まこと、受け止め、深め、より前進させて行くためには、既存の「精神科学自由大学」といふ組織のありやうから、より自由になり、しかし、それゆゑに、精神への責任を自覚、自戒しつつ、ひとりひとりの精神からの発意で、おのおの、この四つ目の次第にあたる生きた活動を始めて行く時が来てゐるやうに思へてなりません。
そこで、、わたしは、まづ、みづから始めるこの四つ目の次第の営みを「アントロポゾフィーハウス」と名付け、これは、物理的な場を持たない、どこにでも、志を持つ人と人とが力を合はせるところであるなら、その時その場で生まれる、アントロポゾフィーからの仕事をなす運動体としました。
この「アントロポゾフィーハウス」による仕事の、その中心課題は、メディテーションと芸術実践を重ねる「自由なる精神の高き学び舎」として精神の生きものへと成長していくこと、そして、そこから、日本の様々な地域において、アントロポゾフィーの仕事を、一つ目、二つ目、三つ目の次第において実際に創つて行くこと、して行くことです。
「精神科学自由大学」といふどこか堅苦しく杓子定規で、権威主義的な匂ひも漂ひかねないその名称を、より我が国のことばの調べに沿ふやうに「自由なる精神の高き学び舎」とわたしは呼んでゐます。
この四つ目の次第が生まれ、育ちゆくことによつてこそ、一つ目、二つ目、そして三つ目の次第におけるアントロポゾフィーからの仕事が、より力強いものになることは間違ひありません。
四つ目の次第に進みたい、そしてそこからの働きを持つて世に働きかけて行きたい、と明らかに意識し、こころから希む人がゐるのなら、その人と共に、この密やかな仕事を育んで行きたいと念ひます。
わたしは、この四つ目の次第を、「自由なる精神の高き学び舎」を内包する「アントロポゾフィーハウス」の営みとして、少しづつ進めて行きます。