[アントロポゾフィーハウス]の記事一覧

2021年09月18日

目覚めよ



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甲山(かぶとやま)が後ろに控えるわたしが卒業した関西学院大学



十代の若い人たちに、学ぶ喜びを呼び覚ましてもらふこと。

それが、アントロポゾフィーハウスの仕事のひとつとして、どうしても来年から始めたいことであります。

わたし自身の十代後半の想ひ出として、お恥ずかしいことながらいまだ夢見心地の意識でありましたが、ひたすらに大学といふところへの期待がありました。

はつきりと意識されてはゐなかつたのですが、わたしには、学ぶといふことへの強い強い憧れがありました。それは、すなはち、「人といふもの」を知ることへの強い憧れでした。

だからこそ、人を求めてゐました。

客観的な科学などではなく、学問に、芸術に、仕事に、精魂込めて生きてゐる「人」を求めてゐました。

客観的な、冷たいものではなく、こころからの暖かさに触れたかつたのです。

しかし、大学で、人を見いだすことはできませんでした。

そこには、教室がありました。図書館がありました。研究所もありました。事務所もありました。しかし、「人」はゐませんでした。

別のたとへになりますが、子どもも、若者も、自分たちだけでは、いくら大自然のもとにゐようとも、その自然から何も学ぶことはできません。自然について生きた語りをする大人が、どうしても要るのです。

同じく、文化の営みに入つて行きたい若者も、その文化の営みを生きてゐる大人がそばにゐる必要があるのです。

そして、さらに大切なことは、学び手である若者に、「うやまひ」と「へりくだり」の情が内に育まれてゐてこそ、初めて彼は「人」に出会ふことができるといふことです。

客観的な科学を第一の主要課題とする現代の教育機関では誰も教へてくれないことです。

そのやうな客観的な科学に押しのけられて、ほんものの智慧(この「智」といふ漢字は、「とも」とも読みます)は泣いてゐる。おほよそ100年前、そんなことをルードルフ・シュタイナーは語つてゐます。

「わたしの名は、客観的な科学の前では名のることを許されてゐない。わたしは、フィロソフィー、ソフィア、智慧である。わたしは、愛といふ恥ずべき名と、その名によつて含まれてゐるものを持つてゐる。そして、それは、人のこころの奥深くの愛と関はりがある。わたしは、人前には出られない。どうしても顔を伏せて歩いてしまふ。「客観的な科学」は、「フィロ(愛)」を含まないことを誇りにしてゐる。さうして、そもそもの「ソフィア(智)」を失つてゐる。しかし、それでも、わたしは歩んで行く。そもそも、わたしは、なほ、人であることの気高い情を内に担つてゐる」(1922年10月4日 シュテュットガルト 「青年のための教育講座」から)

若い人たちは、まどろんでゐます。しかし、そのまどろみをみづから引き裂いて、目覚めたいと切に求めてゐます。

しかし、その求めに応へるには、わたしたち大人こそが、まどろみをみづから切り裂き、目覚めなければなりません。

フィロソフィー(愛智)に出会ふこと。

フィロソフィー(愛智)を生きる人に出会ふこと。

そのやうな仕事を始めて行く必要が、あります。

目覚めよ、わたし。



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2021年09月15日

アントロポゾフィアの希ひ



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青森県平舘の海



様々な学びや体験を提供する機会がわたしたち現代人には用意されてゐます。その内のひとつとして、アントロポゾフィーがあります。では、そのアントロポゾフィーが他の学びや体験と異なるところとは何でせう。


それは、こころの内に精神を求める人に応へようとしてゐることです。その精神とは、単なる考へや情報や気持ちよさやワクワクをもたらすものではなく、生理的、心理的な次元を含みつつ、精神的な次元における「いのち」を人にもたらすものです。


精神から流れ出づる「いのち」とは、人を浮かれさせたり、単なる感情的な熱狂にいざなつたりしません。


精神は、静かで、落ち着いた安らぎのうちに、確かで明瞭な内容のあることばを語ります。アントロポゾフィーとは、その精神のいのちを人々にもたらさうとする「ことば」なのです。ですので、「ことば」とは、いま、人の意識を映し出すものなのです。


アントロポゾフィーといふ精神(アントロポゾフィア)は、そもそも、「はじめにありしことば」が、いま、人の内なるものを響かせ得る「ことば」、人の高い意識を響かせ得る「ことば」として、世に発されることを求めてゐます。


わたしたちアントロポゾフィーハウスは、このアントロポゾフィアが求めてゐることを明確に意識して仕事をしていきたいと希つてゐます。それは、わたしたち日本の民が、母国語である日本語をもつて、明確に、心臓の脈打つ暖かさから、精神の「ことば」、精神のいのち溢れる「ことば」を語り出すことへと、人の教育を創つてゆくことです。国語教育を基にする人の教育です。幼な子から人生の終はりに近づいてゐる人たちまで、「ことば」を愛しみ、育て、後世の人たちに、まことの、善き、美しい生き方を伝へてゆけるやうな国語の力を養ふことです。


この世で、「ことば」を授かつてゐるのは、人のみです。人であることの証として、その「ことば」をみづからどう育ててゆくか。


アントロポゾフィーの学び手としては、まづもつて、ルードルフ・シュタイナーのことばをどう日本語で、どうみづからのことばで語るか。そこには、尽きせぬ精神からのいのちが泉のやうに沸き上がつてくるがゆゑに、学びには、こと欠きません。


共に、アントロポゾフィーの文献を熱心に読み込んで行きませう。基本文献から始まり、貪欲に、数多ある講演録を読み込んでいきませう。そして、共に、そこから、わたしたちに何ができるかを、語り合つてゆきませう。


さらには、ことばを表現する術を身をもつて学んでいきませう。小手先ではなく、全身全霊で知を、叡智を、語りゆきませう。さうして、わたしたちから、まづ、美しさを体現していきませう。他人ではなく、まづ、〈わたし〉から、です。


オンラインでも何でも、人は人と会ひ、ことばを交はし合はねばなりません。アントロポゾフィーにおいては、そのやうな人の集ひが欠かせません。わたくし諏訪は、アントロポゾフィーが真摯に語られる場を創るために、どこへでも足を運ばせていただきます。


わたしが足を運ぶすべてのところで、出会ふおひとりおひとりとそのやうな場を創りなしてゆきます。アントロポゾフィーを語り、アントロポゾフィーを生きる場を、です。


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2021年09月14日

おひさまの丘 宮城シュタイナー学園との共同作業



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10月より仙台のおひさまの丘 宮城シュタイナー学園とアントロポゾフィーハウスとの協働の仕事が始まります。


まづは、午後の一枠の時間を取つてもらつて、第二・七年期の子どもたちへの「音読指導」といふ名の言語造形😉


ことばを活き活きと声に出すこと。それは、からだまるごとをもつてする芸術的な営みなのです。


歯が生へ変はり始めてから性の成熟期に至るまでの子どもたちにとつて、胸をときめかせながら、心臓と肺を目一杯使ひながら、ことばを発声することの意味深さ。


一年生、二年生、四年生、六年生、それぞれ、どんな声を響かせてくれるだらう・・・。今から楽しみで仕方ありません。


そして、授業が終はつた午後のひととき、学園の教師の方々、理事の方々、親御さんたち、外部の方々に集まつていただき、言語造形を楽しんでいただきます。


その時間は、和歌やその他の文学作品、ことばの藝術作品を通して始まる、互ひの息遣ひの交流。


ことばといふものは、その人の声を通して、その人そのものを語り、その人の崇高なところをも語り、それゆゑに、人のこころとこころを繋ぐ精神そのものなのです。


言語造形によつて、声を出すその人がどんどん変はりゆく、その姿は、本当にどの人もどの人も美しく、「人とは、そもそも、ことばであつたのだ(はじめにことばありき)」といふことを想ひ起こすのです。


なぜ、言語造形は、そのやうな働きをするのでせう。


それは、アントロポゾフィーといふ精神の学から汲まれてゐる藝術だからです。


わたしたちは、今といふ、この混迷の時期だからこそ、100年前にルードルフ・シュタイナーによつて発せられたアントロポゾフィーの有効性と必要性を強く感じてゐます。


この秋から始まる、宮城シュタイナー学園とアントロポゾフィーハウスの共同作業は、この日本の地、東北の地に、アントロポゾフィーを日本語で日本の文化の文脈において根付かせて行かうではないか、といふ運動の始まりでもあるのです。


わたし自身も、現場の経験をたんと重ねて来られた宮城シュタイナー学園の皆さんから、できうる限り深く大きく学んで行きたいと思ひます。


未来を生き、未来を創つてゆく子どもたち、若者たちのために、アントロポゾフィーは何かをすることができるはずです。


東北地方の方々、仙台の方々、どうぞ、よろしくお願ひ申し上げます。


アントロポゾフィーハウス 諏訪耕志拝





日時: @10月7日(木) 14:30〜16:00
A11月25日(木) 同上
B12月23日(木) 同上
   C 1月27日(木) 同上


場所: おひさまの丘宮城シュタイナー学園
  第一校舎(仙台市青葉区中山2-22-18)


参加費: 3,500円/1回 (4回連続参加の方は4回で12,000円です)


持ち物など: 動きやすい服装でお越しください。ご自身で声に出して読みたい和歌を1〜2首ご用意ください。2回目以降のテーマは後ほどお知らせいたします。


なお、コロナウイルス対策としてのマスク着用は、ご参加される方の全くの自由意志にお任せします。着けたい方は着け、着けたくない方はどうぞそのままでご参加下さい。


お問い合わせ、お申し込み
電話:022-725-5086
Eメール: info@ohisamanooka-steiner.or.jp
お名前、ご住所、お電話番号をお知らせください。




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これからの28年



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この人の世を健やかに生きて行くこと。


「あなたが生きて行く上での目標は」などと、たとへば、街頭アンケートで問はれたら、わたしは、たぶん、そのやうな答へをすると思ひます。


しかし、健やかに生きて行くこと、それは、並大抵のことではありませんよね。


人生の複雑怪奇さに通暁して行くためには、何かが必要だと感じます。


そして、探します。


そして、前の人生からのご縁で、その何かに出会ひます。


様々なものと人に出会ふことができましたが、わたしにとつて決定的だつたのは、ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーとの出会ひでした。28歳の時でした。


そして、いま、56歳です。


この28年間、わたしは、アントロポゾフィーといふ海の中に飛び込み、泳ぎ続けて来ました。


その海は、ルドルフ・シュタイナーといふひとりの人の「行ひ」と「ことば」と「考へ」から、生きて織りなされてゐます。


そして、すぐに気づかされることなのですが、それらの織りなしは、個人性を超えて、深く、深く、世と人類の始原、天地の初発(あめつちのはじめ)に届くものでした。


とにもかくにも、わたしは、その海を泳ぎ続けて来たのです。


そのやうな海の深さがあるのにも関わらず、わたしは水面近くをアップアップしながらの格好のよくない泳ぎ方でしたが、それでも、泳ぎ続けては来ました。


そして、56歳のいま、もし許されるなら、かすかすながらもこの海を泳いできた力をもつて、のちの人とのちの世に少しでも資する仕事をさせてもらひたい。


世と人が健やかになりうるやうな、アントロポゾフィーからの仕事をさせてもらひたい。


さう、こころに決めてゐます。


何ができるのか、本当に未知ではあります。しかし、これまでにして来たことの先に道は長く果てしなく延びてゐます。


アントロポゾフィーといふ精神の学の根源と言つてもいい、「ことばの教育・ことばの芸術」を礎(いしづえ)にした「子どもたちの教育、若者たちの教育、人の教育」を織りなす社(やしろ)造り。


それが、全く新しく、友と力を合はせながら織りなして行きたい仕事です。


たくさんの方々に教へを乞ひながら、これまで海を泳いで来た自身の力を注ぎ込みつつ、友と協力し合つて、やつて行きたい。


これからの28年をもつてです(😆)!



posted by koji at 10:39 | 大阪 ☔ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月09日

行はれたし 精神の想ひ起こしを






わたしたちは、未来に向かつて、いまを生きてゐますね。


自分が抱くよき想ひやアイデアが実現することをひたすら願ふ人もゐる。


一方、他人が考へ、想つたことをそのまま受け入れ、押し付けられるがままに、その考へや想ひが実現しないやうに、ひたすら恐れつつ生きてゐる人もゐる。


考へが実現するやうに希ひながら生きる人。


一方、考へが実現しないやうに恐れながら生きる人。


わたしは、できうるならば、前者でありたい。


そのために、みづから抱く考へをみづからよく選びたいと思ひます。


そして、わたしみづからによつて選ばれるその考へは、実は、わたしの過去からやつて来てゐるのですね。


未来を創り上げていく上で、考へることは欠かせない。しかし、その考へとは、過去からやつて来るもの。


よつて、上手に、過去を想ひ起こすといふことが、過去と未来を繋ぎつつ、今を健やかに生きる上で、とても大切なことであり、それは日々のこころの練習なのです。


過去を上手に想ひ起こすために、昔の人は、よく、昔話を子どもたちに語り聴かせてゐました。


昔話や伝説や神話を語り、それを聴くといふことは、すべて、過去を上手に、芸術的に、想ひ起こすことに他なりませんでした。


自分はひとりで生きてゐるのではないこと、大いなるものに守られ育まれて生かされて来たこと、そのやうな「むかし、むかし」「天地の初発(あめつちのはじめ)」から続く、世と〈わたし〉との繋がりを想ひ起こすことでした。


その精神の想ひ起こしによつて、人は、未来を神々と共に創りゆくことができる、健やかな今を稼いでゐたのです。


2021年を生きてゐるわたしたちにとつて、いまといふ時代は、その想ひ起こしを、誰も外からは与へてくれない時代です。そのやうなほのぼのとこころもからだも暖まり、元気が溢れて来るやうな想ひ出を持つこと、育むことが難しい時代です。


だからこそ、その想ひ起こしを意識的に、積極的に、みづから始めようと念ひます。


アントロポゾフィー運動とは、その想ひ起こしを積極的に人に促さうとする精神の運動です。


アントロポゾフィーからの語り部の養成。それは、深い意味での「教員養成」なのです。


「教員」とは、ひとりの語りかける人のことです。


わたしも、ひとりの人として、考へを実現して行きたいと念ひます。


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2021年09月07日

毎月の合宿 アントロポゾフィーハウス



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アントロポゾフィーハウスといふ運動体は、まづもつて、アントロポゾフィーといふ精神の学に取り組み続ける人として、何か世に対してできることがあるのではないかと、まさに精神から「仕事」を創つて行かうとするわたしたち二人の人から始まつてゐます。


今年2021年を起点にし、来年2022年より、さらにエンジンをふかせて行きたいと考へてゐます。


そのエンジンをふかせるためにも、毎月、合宿をしての、オイリュトミーと言語造形の研鑽と共に、学びと勉強が、欠かせません。


いつも、いつも、シュタイナーその人のことばに立ち返ることが、とてもたいせつなことです。


その勉強を共にすること、活き活きとした読書会は、より深く、より多面的に、より実践に結びつくやうに、自分たちのこころを刺激し合ひ、耕し合ひ、一文一文においてひとりでは気づけなかつたことに気づくことができる。


そして、読み合ふ一文一文から、対話が生まれ、またその対話から新しい「仕事」を生み出してゆくためのアイデアが降りて来るのです。


わたしたちがなす仕事のひとつひとつに、アントロポゾフィーが裏打ちされ、色濃く通つてゐます。


来年以降、きつと、新しい「仕事仲間」が増えることを信じて、粛々と、ていねいに、かつ、意欲に満ち溢れて、アントロポゾフィーの営みにいのちを吹き込んで行きたいと念つてゐます。


諏訪耕志



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2021年09月04日

越中奉さんによるレポート@



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青森市荒川振り返りながら子どもたちとのひと時をお伝えします。


12時30分をすぎると受講者が集まってこられました。初めてのおとなの13時からの講座は、初々しい母さまたちが主役となります。


私とともに母さんをプレイルームで待つお仕事に勤しんでくれる子どもチームのメンバーは3人です。年中のT.Kちゃん、2年生のT.Iちゃんと2歳ちょいのU.Iちゃん姉妹がゾクゾクとやってきます。


3人からあまりに可愛いプレゼント🎁をもらいました。お母さんたちから“おやつ""青森特製カシスシロップ&水"頂きました。さあ、お母さんたちは、学びに向かいます。3人の少女たちはしばしの別れです。


Uちゃんは、とても内面の世界、母さんの守りの世界が大好きですから、カタツムリ🐌のように、母さまの守りはカイガラの家のよう、いつも護りくださるので、後ろに隠れて、人や怖いものを見送ります。できなければ涙と慎ましげな大きな泣き声で追払い、去ってゆく危機から自らを護ります。こんな時、ぼくは"アブラカダーブラ ブラダカラーバ"とおまじないを心でつぶやき、手をつなぎます。


別れの時がきました。「Uちゃん❣️母さん行ってくるね」の声と動きに、一声😭わーんと泣きましたが。魔法のように‍♀️"ぽん"と決意したように静かになり、私の抱っこに身を任せました。


Uちゃんは、一瞬にして、全てを解き明かしたのです。母さんの優しくてまっすぐな、『ことば』の精神の深みから「さあ母さんね、大事な学びに行ってくるね、でも愛するあなたよ、いつものようにだきあげにきますからね、少しまっててね……」たくさんたくさん、わかったのです。


これは彼女のイントゥイティーフな、直感のなす技でしょう(シュタイナーの本の至るところにかかれてます)


そしてまた、Uちゃんの<わたし>の意識のきざし(芽生え)でしょうか、それはあらたにドンドン育ってゆくでしょう。


また、彼女に起こったことを助けつつ、受け入れつつ、導けたのは、周りにいた、おとなたちや子どもたちのイントゥイティーフな 直感からもたらされたもので。なんて美くしいことでしょう。


Uちゃんは、わたしの腕でねむり、ソファの上でねむり、起きては、お姉ちゃんたちがつくってくれた、水や、りんごクリーム、ケーキ、ラズベリーを私の腕の中でたべてくれました。起きても、新たな自分自身の使命?母さんを待つことをわたしの腕の中で、健気ですが、静かなこころもちで、まっとうしてくださいました。


お母さんが、ワークショップを終えて彼女の元にかえってきて挨拶しました。そして諏訪耕志さんの昔話を聴きに、二人歩き出したときの晴れやかな神々しさは、今も忘れられません。


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2021年09月02日

アントロポゾフィーハウス青森 恐れや鬱屈を吹き飛ばせ!☺️



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だんだんと解き放たれてゆく、皆さんの息遣ひ、皆さんのこころもち。


音韻のひとつひとつから立ち上がつて来る、こころに響くみづみづしい情。


わたしたちは、外なる状況に上手にお付き合ひしながらも、内なるところにこそ主導権を持ち、何もないところに新しい何かを産み出してゆくことができる、創り出してゆくことができる、そんな自由な存在です。そもそも。


深く、活き活きとした息遣ひをもつて、こころから本当の声、本当の響き、本当のこころを空間に解き放つてゆくことから、まこと、高い〈わたし〉を見いだし、織りなして参りませう。


自由な精神から集まつて下さつた青森の皆さん、幼な子にひたすら寄り添ひ続けて下さつた越中さん、お世話を献身的にして下さつた五十嵐さん、緊急事態宣言発令の中、急遽、ご自宅を開放して下さつた小林さん、本当に、こころからお礼を申し上げます。


ありがたうございました。また、今月29日(水)、場所は未定ですが、青森市内にて言語造形の営みを続けさせていただきます。もしよろしければ☺️


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2021年08月26日

教へる人になりゆく・・・アントロポゾフィーハウスの仕事として






「シュタイナー教員養成」の仕事、それは、これまでに日本においても三十年近くにわたりなされて来た仕事であり、その仕事の継続と成果に多大なる尊崇の念ひを抱きます。


そして、これからアントロポゾフィーハウスが担つて行くであらう仕事として、なすべき仕事をした後の数年後になりますが、新しく「シュタイナー教育に向けての教員養成」を織りなして行くといふ仕事があります。


より精確に言ふと、「アントロポゾフィーから人の教育を荷はうとするこころざしの養成」といふ仕事です。


その仕事によつて促されるこころざしとは何かと言ふと、子どもへの教育、大人への教育、いずれにおいても、ひとりその人が、みづから学び続けつつ、人としてたいせつなことを教へる人になりゆくといふことなのです。


「学ぶ」といふことは、「教へる」人になりゆくことです。それが、「人」であることのひとつの証です。


職業として教師であるか否かにかかはらず、子を持つ親であるか否かにかかはらず、「何かたいせつなこと」を教へ、伝へる人になりゆくこと、それが「人」になりゆくといふことではないでせうか。


ですので、「教員養成」とは、子どもへの教育ばかりではなく、人として人への教育を荷ふ人を育てることを言ひます。


それは、学ぶその人自身が、学ぶことを通して、教へるといふことを通して、ますます、その人になつてゆくといふことです。


「シュタイナー教育はかうあるべき、あああるべき」「シュタイナーといふ看板を掲げるなら、少なくとも、ここはクリアーしておかねば」「どこかからのお墨付きがなければ、シュタイナー教育などと名乗ることは許されない」といふやうな考へや思ひ込みや決めつけから、学ぶ人が自由になり、本当に大切なこと、本質的なことを己れのものにするそのきつかけを分かち合ふことです。


かういふものの言ひ方は、ややもすると、誤解を招きがちな言ひ方でもあります。


確かに、資格を得るために、人は一生懸命学びますので、その資格取得が、ひとつの技量の証ともなりうる訳ですが、しかし、人の仕事といふものは、卒業証書や肩書などによつてその質を担保されるものでは全くないこと、それは、世においておのづから分かることです。


その、おのづから分かることを、暗黙の了解としてゐた20世紀から、明確に共有される意識として持つていい21世紀に入つて、すでに20年以上が経ちます。


だからこそ、アントロポゾフィーの学びをもつて、より一層、まこと、その本質に根差したスタイルで、深く、確かに、粛々と行はれる教員養成の場を創る、その明確な意識をもつ、といふことなのです。


そもそも、「学ぶ」「分かる」とは、どういふことなのか。そして、その意味を踏まえた上で、人が人へとなりゆくために、「教へる」といふことの大切さを知ることのいかなるかを、わたしたちは明らかに意識しつつ、仕事を進めて行きたいと考へてゐます。


この教員養成を経た人たちが、みづからの考へる力と観る力を基の元手にして、シュタイナー学校と名付けられてゐるところであると否とに関はらず、積極的に、人を育て、育むといふ仕事に邁進して行くことを促すことができるやうに、わたしたちアントロポゾフィーハウスは、この仕事に意を注いで行きたいと思ひます。


また、わたし諏訪ひとりでさせていただいてゐるこのオンラインクラスも、その「教員養成」に向けての、ひとつのなすべき仕事なのです。このオンラインクラスそのものが、すでに、学ぶ人みづからが自由へと育ちゆく教員養成の場であります。


※聴き手となつて下さつた鈴木さん、本当にいつもありがたうございます。


諏訪耕志





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2021年08月20日

アントロポゾフィーハウスで大事にしたいこと



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それは、本をていねいに読むといふことの大切さをからだで知ることです。


アントロポゾフィーからどんな実践的な働き、仕事をして行くにおいても、基本的な著書を熟読し続けることが大切であるといふことを伝へて行くことです。


「考へるな」「感覚がすべて」、そのやうなことばが氾濫してゐるやうに思へます。


しかし、仕事をして行く上では、そして人として生きて行く上では、考へる働きが絶対に欠かせません。


つまり、世に言はれてゐる「考へるな」といふ教へは、「余計なことを考へるな」といふことでせう。


人は、本当に大切なこと、本質的なことは何だらうと考へ続けることによつて、その人はますますその人になりゆきますし、ますます、その人は自由になりゆきます。


本質的なことについて考へる力があるからこそ、みづからを律して本質的でないことを考へずにすます力も養へます。


本質的なことについて考へる力を養つてゐないからこそ、余計なことを考へ続けて、こころを不健康にしてしまひます。


読書こそが、人から、考へる力を引き出してくれます。


引き出されれば引き出されるほど、繰り出されれば繰り出されるほど、考へる力はしなやかに、確かに、安らかに、わたしの内に育つことを実感してゐます。


アントロポゾフィーは、人の考へる力こそが人の人たるところを発揮して行く基なのだといふことをひたすらに提示してゐます。


「感覚」だけでは、人は人として生きて行くことはできません。


その「感覚」に、みづから考へる力をもつて〈考へ〉を重ね合はせることによつて、人は初めて「知る」ことができます。


そして、人は、知りつつ、知りつつ、仕事をして行くことができます。


いま、ひとりひとりの人が、世に意味ある仕事をして行くことが切に求められてゐるやうに思はれてなりません。


その仕事とは、外に出て働くこととは限りません。家の中にゐて、お料理を作る、お洗濯をする、赤ん坊の世話をする、すべてが「仕事」であります。


そして、仕事とは、書いて字のごとく、「仕へる事」「事に仕へる」です。


そもそも、仕事とは、捧げつつ仕へることです。


その、人の基のところを改めて意識的に学ぶことが、アントロポゾフィーの学びであり、そこからこそ、きつと、「仕事」が生み出されてゆきます。


アントロポゾフィーハウスは、そのやうにして、人の「仕事」をアントロポゾフィーの学びと敬虔さと見識から創つてゆかうといふひとつの自由な運動体です。



※ルドルフ・シュタイナーの基の書と言つてもいい、『自由を考える(自由の哲学)』『人と世を知るということ(テオゾフィー)』『いかにして人が高い世を知るにいたるか』といふ三冊に加へて、近い将来出版されるであらう『密の学のあらまし(神秘学概論)』、そして講義録では『普遍人間学』。これらの書は生涯読み続けて行つていいものだと念つてゐます。



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2021年08月16日

ことばの教育を礎にするアントロポゾフィーからの教員養成






日本の昔からの子どもへの教育方法。それは、「一人前にものが言へるやうにする」といふものでした。そして、それは、「しつかりと人のことばを聴き取ることができる」ことと表裏一体のものでした。


つまり、聴きつつ話す、話しつつ聴く、その力を養ふべく、国語教育が学校といふ者がない時代に盛んに行はれてゐたのです。


わたしたちアントロポゾフィーハウスは、そのやうな我が国ならではの文化・歴史におけることばへの深い見識、ことばへの芸術的な取り組みを礎にもつ教育を、これからの時代に新しく芽吹かせて行くことを、ひとつの使命としてゐます。


シュタイナー教育の我が国における独自の展開として、この国語教育をすべての教育の根底に据ゑるものを、わたしたちアントロポゾフィーハウスも準備して行きたいと思ひます。


日本のことば、国語への確かな見識を基にもつ教員養成の必要性から、その実現を考へ続けてゐます。


その養成は、いまだ日本にはほんの少ししかないシュタイナー学校での実践を超えて、あらゆる教育現場における根底的なこととして必要不可欠なものを提示していく使命を持つものです。




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2021年08月09日

9月 アントロポゾフィーハウス 青森での活動のお知らせ



何度も書かせてもらつてゐることかもしれないのですが、このアントロポゾフィーハウスといふ運動体は、これから多くの人にアントロポゾフィーといふ精神の学、そしてそこから生まれる芸術に触れてもらふ機会を日本各地で創つてゆく、固定的な場所を持たない精神のハウス、精神の社です。


そして、その社において、ひとりひとりの人がみづからの〈わたし〉に少しづつ目覚めゆくことを通して、この精神の学「アントロポゾフィー」への信頼を深め、このアントロポゾフィーを生きて行くことを促す運動体なのです。


精神の学を生きるといふこころづもりを持つことができるならば、それは限りなく終はりのない探求の道となりますし、すなはち、きつと、その人の天職にもなるはずです。


わたしたちアントロポゾフィーハウスは、アントロポゾフィーの学と芸術が、日本の各地に生きてゐる多くの人と結びつくのを「全く新しく」促さうとする運動体です。


「全く新しく」です。


まづは、本州の最北端、青森の地で、アントロポゾフィーの学と芸術が根を降ろすことを目指します。


ゆくゆくは、知的で情の籠もつた青森弁、津軽弁、南部弁で、アントロポゾフィーが活き活きと語られる日が来ることを夢見て😇




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●青森荒川 9月1日(水)10時〜12時 「言語造形の集ひ」
場所: 青森県荒川市民センター2階会議室 https://www.city.aomori.aomori.jp/.../kouminkan/07.html...
講師: 諏訪耕志(言語造形)https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji
参加費: ドネーション制
保育あり(お問ひ合はせ下さい)
お問ひ合はせ・お申し込み: 五十嵐寛子さん suedi_bobbdi_boo@yahoo.co.jp




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●青森八戸 9月5日(日)13時半〜17時 
「言語造形とオイリュトミー&アントロポゾフィーの集ひ」

場所: 青森県八戸市福祉公民館
https://www.city.hachinohe.aomori.jp/.../kenko.../4021.html

13時半〜14時 
子ども(小学高学年)たちの言語造形「音読に挑戦!」
(同じ時間帯に大人の方々とのオイリュトミー)

14時〜15時半 
大人たちの言語造形ワークショップ
「シュタイナー教育におけることばの話し方」
(おひとりおひとり、自分自身が声に出してみたい作品をひとつ持つて来て下さい。
 小説でも、詩でも、昔話でも、どのやうなものでも構ひません)

15時半〜17時 大人たちとのアントロポゾフィー講座 「7年ごとの人の成長」

14時〜 子ども(小学高学年)たちひとりひとりにオイリュトミー


講師: 
諏訪耕志(言語造形&アントロポゾフィー講義)https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji
越中奉(オイリュトミー)

参加費: ドネーション制

お問ひ合はせ・お申し込み:佐々木 千晶さん aibaru0809@gmail.com




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2021年08月05日

まふ ふるまふ うやまふ



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昔、日本のある地方では、昔話や神話、伝説などの語り物は、それは語られ、聴かれるだけでなく、舞はれるものだつたことを柳田國男がどこかで書いてゐました。


それゆゑ、「むかしを舞ふ」などと言つてゐたさうです。


話され、語られることばが、どれほど音楽的だつたことでせう。


そして、言語造形の営みは、ことばを話し語ることと、手足の動きとが、生きて織りなされてあることを想ひ起こさせる芸術。ことばとは、舞ふ営みであることを想ひ起こさせる芸術です。


このたびの青森県八戸での言語造形の集ひにおいても、皆さん、それぞれのお話や詩がいざなふ舞ひの中へ入り込んで下さいました。


その舞ひは、ことばの法則に沿つた動きであり、恣意の混じり込む余地はありません。


その法則に沿つた芸術的な「まひ」の練習は、日々の「ふるまひ」に繋がつてゆきますし、より密(ひめ)やかには、ことばに対する「うやまひ」へと深まりゆく、密やかな学びの細道となるのです。


それは、息遣ひと共に動きつつなしてゆくメディテーションとも言へます。


それは、人のこころを解き放ちます。なぜなら、人のこころとからだを世の法則に沿はせるからです。


その法則に沿つて動くことが、芸術実践、または、仕事です。


そして、法則に沿つて考へることが、学問であり、それは本物の学問であれば必ずメディテーションへと深まりゆきます。


いずれにせよ、法則に沿ふことによつて、人は、逆説的ですが、自由になりゆく道へと一歩踏み出します。


自由への道、その人がますますその人となりゆく道、その芸術実践とメディテーションとを重ねゆく道こそが、アントロポゾフィーの学びなのです。


わたしたちアントロポゾフィーハウスは、そのことを日本中で促さうとする固定的な場所を持たない運動体です。


少しづつですが、まづは東北の地で、この芸術とアントロポゾフィーの営みが新しく生まれ、育ちゆきつつあります。


いまのところの次の予定を挙げておきます。


●9月1日(水)、29日(水) 10時から12時  
青森県荒川市民センターにて 
言語造形の集ひ
参加費 ドネーション制
お問ひ合はせ・お申し込み 五十嵐寛子さん 
suedi_bobbdi_boo@yahoo.co.jp


●9月5日(日) 13時半から17時
10月2日(土) 9時半から13時 
青森県八戸市福祉公民館にて 
言語造形とオイリュトミーそしてアントロポゾフィーの集ひ
参加費 ドネーション制
お問ひ合はせ・お申し込み 佐々木 千晶さん 
aibaru0809@gmail.com


●その他その他・・・


詳しくは、後日、またお知らせいたします。


誰かが何かをしてくれるのを座して待つのではなく、自分自身から動き出す時、人は、生きてゐます。


わたしたちアントロポゾフィーハウスは、アントロポゾフィーの営みをもつて、この恐れと不安に満ちた世に、精神からの息吹きと勇気と希みをもたらしたい、さう志してゐます。


舞ひつつ、目覚めつつ、世を軽やかに生きて行く。そんな運動体です☺



posted by koji at 17:07 | 大阪 ☀ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月03日

職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その三(完)



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秋田県大湯環状列石



そのやうな職能に繋がる学びの深まりを意識的に織りなさうとしたのが、ルードルフ・シュタイナーその人でした。そして、その織りなしは、1923年12月24日から翌年1月1日にかけて行はれたクリスマスの集ひの時に生まれた普遍アントロポゾフィー協会の中心的機能である「自由なる精神の高き学び舎(精神科学自由大学)」においてでした。


そのやうな職能への明らかな意識をもつた学びだからこそ、人は真摯に学ばうとしますし、特に若者は、きつと、そのやうな精神の学びを求めてゐます。きつと、です。


アントロポゾフィーの学びを促す集ひは、そのやうな、ひとりで仕事をするべく立たうとする人を見守り、励まし、促さうとする集ひであり、運動体です。


その実践的な学びは、ふたつの柱を持ちます。


@メディテーションといふ内なる密(ひめ)やかな毎日の営みが我がこころと人生を支へてくれるといふこと。


Aさらに日々の仕事そのものが芸術実践なのだといふこと。


わたしたちのアントロポゾフィーハウスも、世に仕へゆく職能のための道として、そのふたつの主なるモチーフを意識的に育んでゆきたいと希つてゐるのです。


そのふたつの柱を学びの場にその都度その都度、意識的に打ち樹てながら、アントロポゾフィーの学びの場としてのアントロポゾフィーハウスは、さらに、その機能として三つの次第を持ちます。


まづ一つ目の次第として、こころの保護を求め、精神への憧れを満たすポジティブな「隠れ家」として、アントロポゾフィーハウスは機能します。その場においては、人と人とが親しく語り合ふことができる。聴き合ふことができる。胸を開いて、こころとこころを響かせ合ふことができます。


次に二つ目の次第においては、まさしく、「時をかけて習ひつつ学びを深めゆく学び舎」として、参加者みづから能動的にアクティブに学びを深めて行くことができるやう、教へ手は意識的にアントロポゾフィーの道を提示します。それは、ひたすらに、ひとりひとりが自由へとなりゆく道、その人がその人へとますますなりゆく道です。


さうして、三つ目の次第において、「実践の場」としてのアントロポゾフィーハウスです。日々の暮らしに注ぎ込む精神の働きを鍛える「実践の源」としての場であり、この場の内と外において、みづからすること、なすこと、言ふことに、責任がともなふやうになります。つまり、ひとりひとりが具体的にする仕事の場としてのアントロポゾフィーハウスです。そこでは、他者と共に、時代状況と共に、アントロポゾフィーの学びから生まれる意欲と責任感を培ひつつ働くことをしていく必要があります。それ故に、どうしても、真摯な「内なる密(ひめ)やかな学び・練習」の必要性がいよいよ意識され、その必要性をひとりひとりが自由に満たすことがきつと求められます。その「内なる密(ひめ)やかな学び・練習」は、決して、他者から求められるが故になされることではなく、どこまでも、目覚めた〈わたし〉が求めるものとして営まれるものです。


@「隠れ家」としてのアントロポゾフィーハウス
A「時をかけて習ひつつ学びを深めゆく学び舎」としてのアントロポゾフィーハウス
B「実践の場」としてのアントロポゾフィーハウス


この三つの次第を生きることは、現代を生きる少なからざる人にとつて、とりわけ、若い人にとつて、こころの奥底から乞ひ求められてゐることだとわたしは考へ、実感してゐます。


この三つの次第を世に提示していくことが、アントロポゾフィーハウスが促さうとしてゐるアントロポゾフィー運動です。


これを読んで下さつてゐるあなたは、どの次第をアントロポゾフィーハウスに求めますか。


ともかくも、この三つの次第を持つアントロポゾフィー運動に加はらうとする人にとつては、まづは一つ目、次に二つ目、最後に三つ目といふ、時の順序をもつて少しづつ参加して行くことになるでせう。


しかし、三つの次第が、いつまでも、どこまでも、重なり合つてあると言つてもいいでせう。


今日は、「職能を育むためのアントロポゾフィーハウス」といふ観点で書かせてもらひました。


最後までお読み下さり、まことに、感謝いたします。ありがたうございます。



2021年8月3日 アントロポゾフィーハウス 諏訪耕志



posted by koji at 11:49 | 大阪 ☔ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その二



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十和田湖



いま、アントロポゾフィーの学びの場が、日本においても各地で行はれてゐますし、オンライン講座といふスタイルでも、ネット上にたくさんの場が生まれてゐると思ひます。


わたしたちアントロポゾフィーハウスは、オンラインクラスだけでなく、恒常的な賃貸料などが生じないやうに、固定した場所を持たず、その時、その場で、アントロポゾフィーを学ぶべくリアルに人と人とが出会ふ場を創ることを意識的に織りなしてゆかうとしてゐます。


さう、その営みは、まさしく「織りなしてゆく」ものです。ある図柄を織りなしてゆかうとしてゐます。


その図柄とは、アントロポゾフィーから仕事を創りなしてゆく志を育てるといふ、精神からの意志の図柄です。


固定的な場を持たないが故に、その精神からの意志を持続することはとても難しいことです。しかし、だからこそ、より意識的になつて、やがては、ひとりひとりの学び手がこの学びの教へ手になり、これからの日本の社会に精神からの志を注ぎ込んでゆくことを促すひとつの母体となることを考へてゐます。


その意識を明確に持つのです。学び手自身も、その意識を明確に持ち、この学びの代表者として、みづから、ひとりで立ち、仕事をして行くといふ志を育てることです。それは、〈わたし〉の育みでありつつ、同時に、世の育みです。


(続く)

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職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その一



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わたくし諏訪耕志がアントロポゾフィーを学んだのは、1990年代の新宿区高田馬場にあつたルドルフ・シュタイナーハウスといふ場においてでした。


そこでは、ほぼ毎日、大人のためのアントロポゾフィーの学びのための集まりがなされてゐて、わたしは、おほよそ七年間、毎日通ひ、アントロポゾフィーの基礎的な学びと、言語造形といふ芸術実践に勤しむことができました。そこでわたしは、明らかに、人生を貫く職能を育む道を歩み始めることができたのでした。


そのやうな場があつたからこそ、そして、そこで、我がこころとからだに精神のくさびを打ち込まれたからこそ、30年前の当時も今も変はらず、アントロポゾフィーといふ精神の営みがわたしを貫き続けてくれてゐます。まさに今もわたしの人生は、当時のあの場とあの時に支へられてゐるのです。


物理的な学びの場があるといふことは、本当にかけがへのない、貴重なことでした。


いま、そのやうな場が失はれて、久しい時が経つてゐます。


なぜ失はれてしまはざるをえなかつたのかといふことには、様々な要因がありますが、毎月支払はなければならないホールや事務所の決して少なくない額の賃貸料といふ負担が、会員からの会費だけが資本のいちNPO法人には重すぎたのでした。


(続く)


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2021年08月01日

アントロポゾフィーハウスの始まり 青森八戸 



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青森県は八戸にて、初めての言語造形、オイリュトミーそしてアントロポゾフィーのひととき。それは、アントロポゾフィーハウスの始まりのときでもありました。


小学高学年の女の子ふたりとは、わたくし諏訪耕志が教科書の音読を言語造形を、越中さんがひとりづつたつぷりと時間を取つての詩のオイリュトミーを。


音読では、なんと、ひとりの子が朗々と朗唱を始めるやいなや、その息遣ひに感応して、もうひとりが誰に何も言はれてゐないのに、走り始めるのでした。こんな風に音読の時間が体育の時間にもなるのです。

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そもそも芸術であることばの力に、子どもも大人も動かされ、目覚めることができた3時間半。


また、これからもオイリュトミーの越中さんともども、ことばの芸術とアントロポゾフィーを活き活きと味はひつつ学んで行く時間を持つてゆきます。


アントロポゾフィーハウスとは、固定的な場を持たず、その場その場を精神の社とするべくアントロポゾフィーの学びと芸術実践を深めてゆく運動体です。


ご参加下さつた皆さん、どうもありがたうございました。そして、最初のこの見えない精神の社づくりに色々とご尽力下さつた佐々木さん、本当にありがたうございます。また、これからも、どうぞよろしくお願ひします。


これからの八戸での予定は、9月4日(土)、10月2日(土)、9時半から13時まで。いずれも青森県八戸市福祉公民館にて。https://www.city.hachinohe.aomori.jp/.../kenko.../4021.html


参加費: ドネーション制


お問ひ合はせ・お申し込み:
佐々木 千晶さん aibaru0809@gmail.com


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2021年07月06日

学び始めた方からのことば



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ことばの家近くの万代池の花園にて



今年、新しく、アントロポゾフィーハウスといふ精神の学の運動体が生まれました。


それは、アントロポゾフィーといふ精神の学をふたつの柱に沿つて深めて行く、固定的な場所を持たない運動体です。


そのふたつの柱とは、メディテーションと芸術実践です。


わたくし諏訪がさせてもらつてゐますいくつかのアントロポゾフィーの学びのクラスの中に、シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか(鈴木一博訳)』のオンラインクラスがあります。


木曜と日曜の夜、それぞれ毎週、続けられてゐるこれらふたつのクラスは、読書会に近い講義といふスタイルをもつて営まれてゐるのですが、それは、メディテーションを仲間と共に少しづつ深めていくための促しと励ましの時間になつてゐます。


その深まりは、だんだんとですが、きつと、ひとりひとりの人がアントロポゾフィーから著されてゐる文献を自分自身から熱心に読み始めること(スタディ)へと繋がつてゆくことで、暮らしと仕事の深みをみつめるこころの目が開き始めます。


また、かうしたクラスに参加することそのことが、ひとつの芸術実践です。


ことばを聴くといふこと、ことばを話すといふこと、それそのことが、芸術の営みだからです。


そして、ことばを聴き合ふことをもつて、互ひの人間性、その人のその人たるところを感覚し合ひ、人とみづからとの間合ひを知りゆく、そんな練習の実践の場でもあるからです。


メディテーションと芸術実践、それは、その人をますますその人になしてゆく、わたしがますます〈わたし〉になりゆく道となります。


ここで、木曜「いかにして人が高い世を知るにいたるか」オンラインクラスにご参加されてゐる n.y さんがグループメッセンジャーに書き込んで下さつた文章を、ご本人のご了承を得て、ここにご紹介させていただきます。



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先日の読書会の余韻がまだ続いているわたしです。


先日の読書会、平らに面積で見ればたった1nの学びでした。


しかし体積で見てみるとそれは果てしなく広く深く読書会中でもまるで海や宇宙空間にふわふわ浮いているような感じで私はすっかり圧倒されてしまう感覚になりました。


そして同時に『覚悟』といキーワードが頭から離れなかったのです。


後からどうしてそんなふうになったの…?とずっと考えていました。


『私がますます私になる』って…それは私が私と向き合うことからはじまり私の内なる世界を探求すること。


でもその内なる世界も途方もなく果しなく広い宇宙〜だ〜?…と私は感じたのかもしれません。


『〜高みにいたるか』その至るまでの道のりプロセスはスローステップで階段を登ったり下ったり繰り返し…だんだん自分の内奥にひそむ好ましくないものもきっとみえてくる。


その自分の不完全さを受け入れてあるがままになるまでの長い道のり。時には休憩してお茶したり泣いたり笑ったりの私に寄り添いながらの歩み。


そんなイメージがわいたのかもしれません。


そしてそれには私と付き合っていく覚悟が必要なのだと…。


もっというとそれが条件だと、先生であるこの一冊の本は私に教えてくれているのかな〜?と


勝手に宇宙旅行している私です。 ( n.y さん)



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『木曜・日曜夜「いかにして人が高い世を知るにいたるか」オンラインクラス』


●毎週木曜・日曜 夜8時から9時まで


●参加費
体験参加費 一回のみ 2000円
4回連続ご参加 5000円


御自身のご都合でのお休みは、キャンセル無効とさせていただき、録画したものを見ていただくことができます。なにとぞ、どうぞよろしくお願ひいたします。  


もし、お時間などのご都合がつかない方で、それでもご関心がおありになる方がゐらつしゃいましたら、録画受講といふ形でご参加されることもお勧めいたします。


ただ、クラスが、読書と共に、とても内密な語らひの場になりますので、録画ご視聴して下さる方のお顔とお声を参加して下さる皆さんに、ご紹介させてもらふことになります。


一度、オンライン上でお顔をお見せくださることが可能でしたら、とてもありがたく思ひます。


●お振り込み  

// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041 スワ チハル  

// 他銀行から // 店名 〇ニ八(ゼロニハチ) 普通 2888904    


お申し込み、お振り込みいただいた方に、オンライン会議室ZoomのURLをお伝へします。    


鈴木一博氏訳の『いかにして人が高い世を知るにいたるか』を用ゐます。本をお求めの際は、こちらでどうぞ。
「精巧堂出版」https://www.seikodo-store.com/show1.php?show=b0007  


●お申し込み・お問ひ合はせ   「ことばの家 諏訪」
https://kotobanoie.net/access/



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2021年06月27日

アントロポゾフィーハウスからのオンラインクラス「いかにして人が高い世を知るにいたるか」



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青森県三戸郡新郷村大字戸来のキリストの墓と言はれてゐるところ



先週、第一回目の木曜オンラインクラス「いかにして人が高い世を知るにいたるか」を開催させていただきました。
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このクラスを始めることにおいても、わたしたちアントロポゾフィーハウスが欲してゐますことは、アントロポゾフィーをまぎれなく求める人と出会ふことです。
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たとへ、「アントロポゾフィー」といふ名は知らなかつたとしても、こころの内の深みにおいて、アントロポゾフィーを求めてゐる人は、必ず、ゐるのです。
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ルードルフ・シュタイナーがこの書『いかにして人が高い世を知るにいたるか』で指し示してゐますのは、その人がいかにして自由になりゆくか、その人がいかにしてその人にますますなりゆくか、といふことに対する親しいアドバイスです。
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わたしが、ますます、わたしになりゆく。
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そのことを求めてゐる人は、ゐるはずです。
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そして、それが、アントロポゾフィーの営みです。
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昨日のクラスには、そのことを求める、まこと、フレッシュな、健やかなこころとこころが集ひ、ことばに出しては言はれませんでしたが、密(ひめ)やかなヨハネの祝祭でありました。
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わたしたちには、アントロポゾフィーをまこと、学ぶ場が要ります。アントロポゾフィーを通して人と出会ふ場が要ります。アントロポゾフィーを通してこそ創ることのできる祝祭が要ります。
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アントロポゾフィー運動とは精神から創る文化運動なのだといふことを明確に意識する集まり。
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アントロポゾフィーハウスは、そのための場を創らうとする運動体です。
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「いかにして人が高い世を知るにいたるか」オンラインクラス、
日曜、木曜、共に夜の8時から9時まで、毎週、行つてゐます。
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アントロポゾフィーを求めてゐる人の出会ひの場でもあります。
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いつからでも、お仲間にお入りください。
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●参加費
体験参加費 一回のみ 2000円
4回連続ご参加 5000円
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御自身のご都合でのお休みは、キャンセル無効とさせていただき、録画したものを見ていただくことができます。なにとぞ、どうぞよろしくお願ひいたします。  
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もし、お時間などのご都合がつかない方で、それでもご関心がおありになる方がゐらつしゃいましたら、録画受講といふ形でご参加されることもお勧めいたします。
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ただ、クラスが、読書と共に、とても内密な語らひの場になりますので、録画ご視聴して下さる方のお顔とお声を参加して下さる皆さんに、ご紹介させてもらふことになります。
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一度、オンライン上でお顔をお見せくださることが可能でしたら、とてもありがたく思ひます。
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●お振り込み  
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// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041 スワ チハル  
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// 他銀行から // 店名 〇ニ八(ゼロニハチ) 普通 2888904    
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お申し込み、お振り込みいただいた方に、オンライン会議室ZoomのURLをお伝へします。    
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鈴木一博氏訳の『いかにして人が高い世を知るにいたるか』を用ゐます。本をお求めの際は、こちらでどうぞ。
「精巧堂出版」https://www.seikodo-store.com/show1.php?show=b0007  
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●お申し込み・お問ひ合はせ   「ことばの家 諏訪」 https://kotobanoie.net/access/



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※写真は、青森県三戸郡新郷村大字戸来字野月にあるキリストの墓と言はれてゐるところ

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2021年06月12日

「自由なる精神の高き学び舎」としてのアントロポゾフィーハウス



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これは、とても長い文章です。しかし、〈わたし〉からの試みです。精神の海へのわたしなりのダイヴィングでもあります。この長文、もしお付き合ひいただけましたならば、これほどの喜びはありません。 諏訪耕志



『アントロポゾフィー運動の四つ目の次第 
「自由なる精神の高き学び舎」としての
  アントロポゾフィーハウス 』



ここ日本においても、アントロポゾフィー運動といふ生きた精神の運動は、まさに、生きてゐるものであるがゆゑに、四つの次第を持ちます。


それは、人が、フィジカルなからだ、エーテルのからだ、アストラールのからだ、そして〈わたし〉を持つことと同じです。



@【暮らしの中に新しいスタイル、かたちをもたらすこと】

これは、アントロポゾフィー運動において、人のフィジカルなからだの営みにあたります。

人は、芸術ワークショップやシュタイナー教育やアントロポゾフィーについての講義を受けることによつて、または、シュタイナー教育に関する解説書や案内書などを読むことによつて、暮らしの中に新しい息吹きが吹き込まれ、何か新しい暮らしの仕方が始まる可能性が自分自身のこころに宿り始めることを感じます。

そのための仕事をすることが、アントロポゾフィー運動の一つ目の次第です。


A【ルードルフ・シュタイナーのことばに学ぶ】

この二つ目の次第は、翻訳と言へども、シュタイナーその人のことばに触れて、こころがまるで水を得た魚のやうに甦つて来ることで、それは人のエーテルのからだの営みにあたります。

ひとりでする読書から、仲間と共にする読書会や研究会を営むことへ、さらには、自分自身が講義をすることへと深く確かにこの道へと歩を進める人も出てくることでせう。

その一連の流れを促すこと、それが、アントロポゾフィー運動の二つ目の次第です。



B【グループを作り、世に働きかけてゆく】

この三つ目の次第において、まさにアントロポゾフィー運動も人々の目に見える公けの形を持つやうになる、と言つてもいいかもしれません。

たとへば、シュタイナー学校を創ることや、医療や農業などの分野における法人格を持つた社会活動、または、芸術団体、芸術学校を創り、世に芸術的に、精神的に、宗教的に、かつ、科学的に、「人であることの意識」を守り育んで行くことの重要性を訴へるにいたります。

この三つ目の次第では、グループとしての意志と情と考へがものを言ふやうになり、そこから、おのづと、グループ内とグループ外といふ、内と外のやりとりがなされるやうになります。これは、人のアストラールのからだの営みにあたります。

社会の中で、より多くの人々と関はりつつ、アントロポゾフィー運動を繰り出して行く次第です。

この三つ目の次第において、人ひとりひとりが生きる活き活きとした組織づくり、外の社会との有機的な交流を創り出し、育て上げて行くことで、このアントロポゾフィー運動は一応の完成をみることができたと思ふこともできるのかもしれません。

しかし、アントロポゾフィー運動は、この時代の課題として、はるかに、この三つ目の次第を超えて、より深い次元と射程と淵源を見据ゑてゐるのです。



C【メディテーションと芸術実践を重ねることで、世により強く深く確かに働きかけてゆく】

この四つ目の次第において、アントロポゾフィー運動は、その運動の源の泉を持つにいたります。

1923年のクリスマスの集ひにおいて、ルードルフ・シュタイナーは、この四つ目の次第を地上に打ち樹てるべく、「普遍アントロポゾフィー協会」を新しく創り、その真ん中に「精神科学自由大学 Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft」を、まさに精神からの生きものとして生み出しました。その「精神科学自由大学」でなされるのは、アントロポゾフィー運動の代表者、責任者として、ひとりひとりが世の中に立つことができるやうに、メディテーションと芸術実践・学問研究などを通して、密(ひめ)やかな学びからの稔りを、ひとりひとりの内に生み出すことでありました。

この次第は、人の〈わたし〉の営みにあたります。

ですので、この四つ目の次第が真に息づいてこそ、この運動は、初めて、「人であることの意識」であるアントロポゾフィーを育む真の運動体としてなりたちえるのです。

三つ目の次第までですと、確かに、「地に足の着いた活動」と称しつつ、唯物観に満ちた現代風の雰囲気や成功感・達成感は得られる可能性もあるのかもしれませんが、人であることの意識を育む精神からの運動体にはなりえず、肝心要のシュタイナーといふ人を通してこの世に贈られた高い志から、遠く離れたものしか生まれないことは否めないのです。さういふ、シュタイナーの持つてゐた素志から離れたものがあつてももちろんいいのです。しかし、その志をこそ大切に受け継ぐのだといふ方向性はなんとしても守りたいと思ふのです。

だからこそ、シュタイナーは、密やかな学びを集中的に営む四つ目の次第をアントロポゾフィー運動の中心の仕事として、その課題に据ゑたのです。

しかし、約100年前に打ち樹てられたこの「精神科学自由大学」は、わずか、設立から半年あまりで、シュタイナーの病気、およびその死によつて、実質上の命を失つてしまつたのではないかと、わたしは考へてゐます。

いま、わたしは、ルードルフ・シュタイナーの精神を、まこと、受け止め、深め、より前進させて行くためには、既存の「精神科学自由大学」といふ組織のありやうから、より自由になり、しかし、それゆゑに、精神への責任を自覚、自戒しつつ、ひとりひとりの精神からの発意で、おのおの、この四つ目の次第にあたる生きた活動を始めて行く時が来てゐるやうに思へてなりません。

そこで、、わたしは、まづ、みづから始めるこの四つ目の次第の営みを「アントロポゾフィーハウス」と名付け、これは、物理的な場を持たない、どこにでも、志を持つ人と人とが力を合はせるところであるなら、その時その場で生まれる、アントロポゾフィーからの仕事をなす運動体としました。

この「アントロポゾフィーハウス」による仕事の、その中心課題は、メディテーションと芸術実践を重ねる「自由なる精神の高き学び舎」として精神の生きものへと成長していくこと、そして、そこから、日本の様々な地域において、アントロポゾフィーの仕事を、一つ目、二つ目、三つ目の次第において実際に創つて行くこと、して行くことです。

「精神科学自由大学」といふどこか堅苦しく杓子定規で、権威主義的な匂ひも漂ひかねないその名称を、より我が国のことばの調べに沿ふやうに「自由なる精神の高き学び舎」とわたしは呼んでゐます。

この四つ目の次第が生まれ、育ちゆくことによつてこそ、一つ目、二つ目、そして三つ目の次第におけるアントロポゾフィーからの仕事が、より力強いものになることは間違ひありません。

四つ目の次第に進みたい、そしてそこからの働きを持つて世に働きかけて行きたい、と明らかに意識し、こころから希む人がゐるのなら、その人と共に、この密やかな仕事を育んで行きたいと念ひます。

わたしは、この四つ目の次第を、「自由なる精神の高き学び舎」を内包する「アントロポゾフィーハウス」の営みとして、少しづつ進めて行きます。



posted by koji at 22:34 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする