[アントロポゾフィーハウス]の記事一覧

2022年08月03日

職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その三(完)



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そのやうな職能に繋がる学びの深まりを意識的に織りなさうとしたのが、ルードルフ・シュタイナーその人でした。そして、その織りなしは、1923年12月24日から翌年1月1日にかけて行はれたクリスマスの集ひの時に生まれた普遍アントロポゾフィー協会の中心的機能である「自由なる精神の高き学び舎(精神科学自由大学)」においてでした。


そのやうな職能への明らかな意識、このアントロポゾフィーを自分自身の天職にしていくのだといふ意欲をもつ学びだからこそ、人は真摯に学ばうとしますし、特に若者は、きつと、そのやうな精神の学びを求めてゐます。きつと、です。


アントロポゾフィーの学びを促す集ひは、そのやうな、ひとりで仕事をするべく立たうとする人を見守り、励まし、促さうとする集ひであり、運動体です。


その実践的な学びは、「メディテーション」と「芸術実践」といふ、ふたつの柱を持ちます。


@メディテーションといふ内なる密(ひめ)やかな毎日の営みが我がこころを育み、人生を支へてくれるといふこと。


Aさらに日々のすべての仕事、それ自体が、芸術実践なのだと意識しながら、その仕事に取り組んでいくこと。


アントロポゾフィーハウスも、世に仕へゆく職能のための道として、そのふたつの主なるモチーフを意識的に育んでゆきたいと希つてゐます。


その都度その都度、学びの場に、そのふたつの柱を意識的に打ち樹てながら、アントロポゾフィーの学びの場としてのアントロポゾフィーハウスは、さらに、その機能として三つの次第を持ちます。


まづ一つ目の次第として、こころの保護を求め、精神への憧れを満たすポジティブな「隠れ家」として、アントロポゾフィーハウスは機能します。その場においては、人と人とが親しく語り合ふことができる。聴き合ふことができる。胸を開いて、こころとこころを響かせ合ふことができます。


次に二つ目の次第においては、まさしく、「時をかけて習ひつつ学びを深めゆく学び舎」として、参加者みづから能動的にアクティブに学びを深めて行くことができるやう、教へ手は意識的にアントロポゾフィーの道を提示します。それは、ひたすらに、ひとりひとりが自由へとなりゆく道、その人がその人へとますますなりゆく道です。


さうして、三つ目の次第において、「実践の場」としてのアントロポゾフィーハウスです。日々の暮らしに注ぎ込む精神の働きを鍛える「実践の源」としての場であり、この場の内と外において、みづからすること、なすこと、言ふことに、責任がともなふやうになります。つまり、ひとりひとりが具体的にする仕事の場としてのアントロポゾフィーハウスです。


その三つ目の次第では、他者と共に、また時代状況と共に、アントロポゾフィーの学びから生まれる意欲と責任感を培ひつつ仕事を担つてゆく必要があります。


さうだからこそ、真摯な「内なる密(ひめ)やかな学び・練習」の必要性がいつさう意識され、その必要性をひとりひとりが自由に満たすことがきつと求められます。


ただし、その「内なる密(ひめ)やかな学び・練習」は、決して、他者から求められるが故になされることではなく、どこまでも、目覚めた〈わたし〉が求めるものとして営まれるものです。


@「ポジティブな隠れ家」としてのアントロポゾフィーハウス
A「時をかけて習ひつつ学びを深めゆく学び舎」としてのアントロポゾフィーハウス
B「実践の場」としてのアントロポゾフィーハウス


この三つの次第を生きることは、現代を生きる少なからざる人にとつて、とりわけ、若い人にとつて、こころの奥底から乞ひ求められてゐることだとわたしは考へ、実感してゐます。


この三つの次第を世に提示していくことが、アントロポゾフィーハウスが促さうとしてゐるアントロポゾフィー運動なのです。


この三つの次第を持つアントロポゾフィー運動に加はらうとする人にとつては、まづは一つ目、次に二つ目、最後に三つ目といふ、時の順序をもつて少しづつ参加して行くことになるでせう。


しかし、三つの次第は、いつまでも、どこまでも、重なり合つてゐるはずです。


今日は、「職能を育むためのアントロポゾフィーハウス」といふ観点で書かせてもらひました。


最後までお読み下さり、まことに、感謝いたします。ありがたうございます。



2022年8月3日 アントロポゾフィーハウス 諏訪耕志

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職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その二



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いま、アントロポゾフィーの学びの場が、日本においても各地で行はれてゐますし、オンライン講座といふスタイルでも、ネット上にたくさんの場が生まれてゐると思ひます。


わたしが創らうとしてゐるアントロポゾフィーハウスは、オンラインクラスだけでなく、恒常的な賃貸料などが生じないやうに、固定した場所を持たず、その時、その場で、アントロポゾフィーを学ぶべくリアルに人と人とが出会ふ場を意識的に織りなしてゆかうとしてゐます。


さう、その営みは、まさしく「織りなしてゆく」ものです。ある図柄を織りなしてゆかうとしてゐます。


その図柄とは、アントロポゾフィーから仕事を創りなしてゆく志を育てるといふ、精神からの意志の図柄です。


固定的な場を持たないが故に、その精神からの意志を持続することはとても難しいことです。しかし、だからこそ、より意識的になつて、やがては、ひとりひとりの学び手がこの学びの教へ手になり、これからの日本の社会に精神からの志を注ぎ込んでゆくことを促すひとつの母体となることを考へてゐます。


その意識を明確に持つのです。学び手自身も、その意識を明確に持ち、この学びの代表者として、みづから、ひとりで立ち、仕事をして行くといふ志を育てることです。それは、〈わたし〉の育みでありつつ、同時に、世の育みです。


(続く)

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職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その一



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わたくし諏訪耕志がアントロポゾフィーを学んだのは、1990年代の新宿区高田馬場にあつたルドルフ・シュタイナーハウスといふ場においてでした。


そこでは、ほぼ毎日、大人のためのアントロポゾフィーの学びのための集まりがなされてゐて、わたしは、おほよそ七年間、毎日通ひ、アントロポゾフィーの基礎的な学びと、言語造形といふ芸術実践に勤しむことができました。そこでわたしは、明らかに、人生を貫く職能を育む道を歩み始めることができたのでした。


そのやうな場があつたからこそ、そして、そこで、我がこころとからだに精神のくさびを打ち込まれたからこそ、30年前の当時も今も変はらず、アントロポゾフィーといふ精神の営みがわたしを貫き続けてくれてゐます。まさに今もわたしの人生は、当時のあの場とあの時に支へられてゐるのです。


物理的な学びの場があるといふことは、本当にかけがへのない、貴重なことでした。


いま、そのやうな場が失はれて、久しい時が経つてゐます。


なぜ失はれてしまはざるをえなかつたのかといふことには、様々な要因がありますが、毎月支払はなければならないホールや事務所の決して少なくない額の賃貸料といふ負担が、会員からの会費だけが資本のいちNPO法人には重すぎたのでした。


(続く)

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2022年06月28日

芸術と精神への念ひを伝へたい  アントロポゾフィーハウス【青森三沢】



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大の大人たちが汗を流して演劇といふ芸術に取り組んでゐます。


これまで演劇をしたことのない方がほとんどです。


わたしたちは、シュタイナーの『ヨハネ福音書講義』の学びも同時に行つてゐます。


キリストといふ存在。そして、そのキリストを最初に地上で迎へた洗礼者ヨハネ。さらには、キリストが最も愛した弟子にしてこの『ヨハネ福音書』を書き記した新しいヨハネ(甦つたラザロ)。


わたしたちは、それらの方々への敬ひと尊びの念ひを深めつつ、劇創りに勤しんでゐます。


それは、この「イエス・キリスト生誕劇」そのものに対しての敬ひと尊びの念ひの深まりでもあるやうに感じてゐます。


このやうな集団の中に中学生の女の子がふたり参加してゐます。


わたしたち大人が汗を流してこの劇創りに取り組む姿を通して、彼女たちに、ものを創りゆくことの喜び、その行為に込める誠実さと真摯さ、そして何よりも感謝と敬ひの念ひが、そこはかとなく伝はればと希ふのです。


すべてが、本当に、ありがたい、出会ひです。




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2022年06月23日

夏、地を踏みつつ天へと羽ばたくとき



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毎月、青森の三沢で、今年のクリスマスに向けて、キリスト生誕劇創りのためのクラスを開いてゐます。

そこでは、演劇創りと合はせて、ルードルフ・シュタイナーによる『ヨハネ福音書講義』を毎回一時間講義させてもらつてゐます。

「ヨハネ福音書」。それは、前半と後半に構成が分かれてゐます。

前半が、洗礼者ヨハネについて。後半が、この福音書の書き手であるヨハネについて、です。

そして、いま、洗礼者ヨハネの誕生日(ヨハネ祭)を間近に控えるこの夏の日に、わたしたちは、キリストをキリストとして受け止めた最初の人、洗礼者ヨハネのことを学ぶのです。

彼は、みづからを、「ひとりにて呼ぶ者の声なり」と言ひました。(「荒野にて呼ぶ者の声なり」はふさはしくない翻訳ださうです)

「みんなで呼ぶ」のではなく、「ひとりにて呼ぶ」のです。

この「ひとりにて」といふところに、新しい時代の始まりがあります。

そして彼は、たつたひとりにて、キリストを、世の光を、陽の神を、この地に呼びました。

そのことは、何を、わたしたちに教へるでせうか。

それは、意識の目覚めです。

聴き耳をたてるのは、この<わたし>ひとりです。

誰も、わたし自身に代はつて、神の訪れを告げてくれる者はゐません。

意識の目覚めを生きる人は、協力し合ひますが、群れません。

そのひとりの<わたし>の内も内にこそ宿るのがキリスト・世の光だ、とヨハネ福音書は語つてゐます。

世の光、陽の神は、いま、この大地に立つひとりひとりの人のこころの真ん中に宿り、そこから、ヨハネの祭りのときを中心にして、夏の季節、広やかな天空の彼方へと拡がりゆかうとします。おほよそ二千年このかた、毎年です。

古代においては、この夏のお祭りにおいては、洋の東西を問はず、燃え上がる炎と共に、歌ひ、踊り、舞ひ、祈りを陽の神に捧げてゐました。

その時には、西の国では葡萄の実から絞り出したワイン、最も東の国、日本では、米から醸した酒によつて、その炎の祭りがいやがおうにも高揚したものになりました。

その夏の祭りの時にこの世に生まれた洗礼者ヨハネも、神と人とを結ぶべく、燃えるやうな情熱をもつてヨルダン川のほとりにて人々に洗礼を授けてゐましたが、ただひとつ、古代から引き継がれてきたものとは全く違ふ意識をもつてをりました。

それは、酒の助けを借りて高揚するのではなく、意識を目覚めさせて、たつたひとりでことをなすことでした。

高揚するとは、いはば、夢見つつ、神々しい天へと昇ること。

しかし、洗礼者ヨハネは、意識を目覚めさせることによつて、この大地にしつかりと足を踏みしめながら、天へと羽ばたく術を人々に与へてゐました。

それは、古代の在り方とは異なる、これからの人びとの夏の生き方を指し示してゐます。

さうして、つひに、冬のただなかにナザレの青年イエスが彼の前にやつて来たのです。

そのときから、おほよそ二千年が経ちましたが、そのような洗礼者ヨハネの生き方が、ゆつくりと、これからの多くの人の生き方になりゆくでせう。

わたしたちも、この夏、どういふ生き方をするかによつて、来たる冬の迎へ方が決まつて来るでせう。

一日の過ごし方によつて、人は、からだを満たしたり、不満を感じたりします。

しかし、人は、一年の過ごし方によつて、こころを満たしたり、不満を感じたりするのです。

ひととせを生きる。それは、こころの、ひとめぐりです。

そして、いま、夏を生きる。内的に。

今週の生誕劇クラスで、そのことをメディテーションと芸術実践をもつて、みんなと分かち合つてみたいと思つてゐます。




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2022年06月13日

問ひの矢を放つ



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和歌の浦の海



今日は、アントロポゾフィーハウス和歌山での言語造形と『いかにして人が高い世を知るにいたるか』の学びでした。芸術実践とメディテーションを織りなし合はせてゐます。


いかにして、からだ一杯、こころ一杯で、その時間に生じたことごとを受け止めるか。(シンパシー)


そして、次に、いかにして、その受け止めたことごとに向かつて、問ひを立てるか。「今日のこの体験は、わたしに、いま、何を教へようとしてゐるのか」といふ問ひの矢を放つのです。(アンチパシー)


そのやうに問ふからこそ、その問ふた人にのみ、いつの日か答へがやつて来ます。その答へが、その人によつて消化された知です。その消化された知こそが、その人の理想になりえます。(シンパシーとアンチパシーの重ね合はせ)


わたしたちは、そのやうなこころの活き活きとした働きをもつて、「理想」を稼ぐのです。


「理想」とは、その人によつて消化された理念であり、考へです。


その、わたしによつて稼がれた「理想」をもつて、わたしは世に仕へるべく、仕事を創つて行きます。


わたし自身、今日も、集まつて下さつた皆さんのお陰で、自分自身の問ひを立てることができましたし、その問ひは、ここ数年間、ずつと立て続けてゐる問ひでもあります。


危機が本当に迫つてゐるこの国に、一体、わたしは何ができるのか。未来の日本のために、子どもたちのために、わたしは何をすることができるか。


本当に、ずつと、問ふてゐます。毎日、問ふてゐます。


そして、きつと、その答へはやつて来ます。


わたしは、その答へを生きて行くのです。




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2022年06月06日

幼な子の夢見る意識を守ること



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先日の投稿で、宮沢賢治の『ざしき童子のはなし』の動画を投稿しましたが、そこでわたし自身改めて感じましたのが、幼い子どもたちの夢見るやうな意識を早々と目覚めさせずにゐることの大切さです。


幼児期に、見えないものを観る力を大切に暖め続けることができた子は、きつと、小学生や中学生になつて行つても、意志や意欲の強い子になります。そして、大人になつて、自分自身でみづからのこころを決めることのできる力を持つ人になりゆきます。


早急に意識の目覚めをさせてしまふことは、知性の早すぎる目覚めを同時に促してしまひます。


知性の早すぎる目覚めは、幼い子どもたちに特有の手足の動きをもつて大人のふるまひやことばを見よう見まねで習得していく力、すなはち、真似る力を失はせ、はやばやと自分の頭で考へさせるやうになつてしまひます。


下手の考へ、休むに似たり。


小さな頭でこざかしく考へることなど、なにほどのことでもない、といふことを子どもや若い人たちに教へることは大切なことです。そのこざかしさは、生涯にわたる禍根を残し、世に災ひを与へてしまひます。そのこざかしさは、悪知恵になるからです。


むしろ、考へる力が本来出て来るべき9、10歳あたりまでは、周りを真似る力、手足を用いて行ふ力をふんだんに育んでやることが大切です。


さうして、そのあとから、ふさはしい導きによつて子どもたちの考へる力を育んでやることができるなら、その力は子どもたちの中で、やがて、活き活きと育つ植物のやうに健やかに育ち、本質的なことを明瞭に考へることのできる、こころの強い芯、高く太い樹木となるでせう。


自分自身が考へることに信頼のおけることほど、大切なことはありません。


その考へる力には、促成栽培にはない、自然な成長の力、いのちの力、意欲の力が通つてゐることを実感するからこそ、その生命に対して信頼を置くことができるのです。にせものではなく、本物のいのちに対するおのづからな信頼です。


その考へに通ふ生命の力こそが、幼児期における夢見るやうな意識の保護によつて育つのです。


いま、「何が正しいことか分からない」と言ふ大人の声をこれほど多く聞くことになるとは、といふ忸怩たる思ひでゐます。


それは、自分自身で考へて、自分自身でみづからのこころを決められない大人の嘆きの声のやうに思へるのです。


それは、多くの国民の受けて来た幼児期から始まる教育からの、必然的な帰結です。


もう、これ以上、このやうな教育を続けて行つては、社会そのものが立ちゆかないことをはつきりと意識していい時が来てゐます。学校の先生だけに教育を任せてゐていい時代は過ぎ去つてゐます。


だから、この2020年代からは、ひとりひとりの大人が、未来の社会を担ふ子どもたちや若者たちを育てて行くために、自分自身が何ができるのかを考へて行くべき時だとわたしは考へてゐます。


本当に、考へて、何か、実際に、始めて行きたいと思ひます。




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2022年05月25日

いのちの洗濯と外の世の混乱に対する目覚め【アントロポゾフィーハウス青森三沢】



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とにかく、大人自身が健やかな息づかひを取り戻すこと。


こんな異様な世界の中で、まづはとにかく大人自身が伸び伸びと自分自身を表現すること。


自分自身を表現すると言ったけれども、正確に言ふと、精神に沿つて芸術に勤しむことによつて、自分自身をどんどん透明にしていくのです。


ひとりでも多くの大人が、透明になつてゆく。それは、嘘のない、自分自身に帰つてゆくことでもあるし、これまでにない心境に歩を進めるといふことでもある。


自分たちが創らうとしてゐるものは、そんないのちの洗濯をする学びと芸術の場を創るといふことであり、今日の【アントロポゾフィーハウス青森三沢】も、いのちを洗ひ、こころを息づかせ、精神に浸透される、そんな時間でした。


そして、このやうに精神にアクセスする時間を営むことと共に、いま、待ったなしのこととして、外側の世界の混乱にわたしたち大人は、どう向かひ合ひ、どう認識し、どう新しい活路を見いだしていくかを真剣に語り合ふ、ある意味、政治的な時間もがおのづから生まれたのでした。


大人として、精神へとこころを深めるからこそ、政治といふ外の世の仕組みをよりよくしていく営みについてこころを果敢に向けて行く時間を創つてゆく必要を感じてゐます。





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2022年05月19日

5/24(火)アントロポゾフィーハウス【青森三沢】子どもの教育の実践に向けて



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子どもの教育の実践を、どこから始めませうか。


学校教育以外のところに、どのやうな場を創つてゆくことができるでせうか。わたしたちは、いま、その必要性を感じてはゐないでせうか。


学校の先生だけにお任せすることから発想をより自由にして、わたしたち大人が総がかりで、未来の人たちに、何ができるでせうか。


アントロポゾフィーから、そのことを考へ、そして分かち合ひ、さらには何かを始めて行くことができないでせうか。


子どもは何に向かつて育てられてしかるべきなのでせうか。


それは、「自由」に向かつてです。


「自由」とは、その人がその人になりゆくことです。


自由、それは、人の理想を表す名です。


そして、世の平和とは、自由な人こそが勝ち取ることのできるものではないでせうか。


最も大いなる根底のことは、仕組みを作り変へることによる平和でもなく、力を持つことによる平和でもなく、ひとりひとりが「自由」になることによつて生まれて来る平和な世。


だからこそ、わたしたちが、まづ、みづから、「自由な人」となりゆくこころざしを持つて歩みだすこと。


そのために、「自由である」とはどういふことなのかを学び、そして、「自由になる」ためにはどういふ練習を積まねばならないかを知り、さらには、「自由な人として<わたし>は何ができるのか」を探りつつ実践していく。


わたしは、全く個人的にですが、その道を示してくれてゐるものとして、アントロポゾフィーを見いだしたのでした。


数限りない失敗を繰り返しながら、しかし、その道を自分自身で歩み続けて、さらには、ひとさまとその道を分かち合ふことを念願として生きてゐます。生かされてゐます。


人は、おのおの、道筋は違ひますが、「自由への道」「わたしが、ますます、<わたし>になりゆく道」は、共に学びながら、共に歩いて行くことができます。


子どもたちへの教育は、かならずや、わたしたち大人自身が「自由への道」を歩く人にならうとすることからなりたつてゆくはずです。


5月24日(火)9時半より13時まで、青森・三沢にて、そんな意識を持つてクラスをいたします。
フェイスブックのイベントページです。https://fb.me/e/2Cbt3FSco



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講師:
オイリュトミー 越中奉(えっちゅうたすく)
言語造形・講義 諏訪耕志(すわこうじ)
https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji
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●日時: 毎月第四火曜日 9:30〜13:00
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●場所: 自由学舎 中川塾
     青森県三沢市下久保1-4-6
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●タイムスケジュール:
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9時半   シェアリング
     (ことばの分かち合い、聴き合い)
     オイリュトミー
     (ことばや音楽に沿って動く芸術)
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10時15分  言語造形
     (子どもたちにお話を語りかけるためのことばの芸術) 
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12時    講義「これからの時代の子どもへの教育のあり方」
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13時   終わり
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●参加費: 3回連続ご参加 10000円
      単発ご参加 4000円
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●お振込み先
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// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041
スワ チハル
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// 他銀行から //
店名 〇ニ八(ゼロニハチ)
普通 2888904
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●お問い合わせ・お申し込み:
アントロポゾフィーハウス 諏訪
mail info@kotobanoie.net
tel 06-7505-6405

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2022年05月13日

文化の行い 〜仙台 シュタイナー教員養成講座〜



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人と人とが共に仕事をしていく上で、現代では、何を、どう、意識していくことが大切なことでしょう。


シュタイナーによる初めての教員養成講座(『普遍人間学』)では、そのことが冒頭にとても熱を込めて語られています。


それは、まこと、精神の学(Geisteswissenschaft)をもって、己れみずからを見てとり、人を見てとり、人と人との信頼を育むことにすべてが基づいています。


そして、「文化の行い」としての教育。「文化」とは「耕すこと」であり、つまるところ、「人を耕すこと」。


そう、わたしたちは、耕す人です。


人を耕す人になろうとしています。


この8月から始まるおひさまの丘 宮城シュタイナー学園での教員養成講座で、「文化の行ひ」としての仕事をしていくための技量を共に養っていきませんか。


ホームページに詳しく情報を掲載してゐます。
https://www.ohisamanooka-steiner.or.jp/kyouin-yousei

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2022年05月10日

自尊心を育てる土着の精神



昨日は和歌山の岩出にて、今日は滋賀の草津にて、アントロポゾフィーハウスのクラスをさせていただきました。


取り組んでゐるのは、言語造形と『いかにして人が高い世を知るにいたるか』といふ書なのですが、どちらのクラスにおいても、とても安らかで深く、親密な語り合ひ、談らひが織りなされます。


みづからのこころを育んでいく必要性を自覚してゐる方々が集まつて来られてゐて、そのためには、精神・靈(ひ)からのこつこつと繰り返される働きかけ(メディテーションと芸術実践)が要るのだといふ指針に沿つて、クラスが営まれてゐます。


そして、さらに、そこで打ち樹てられていくのは、かういふことです。


それは、そのやうにして、こころの成長を促し、こころを繰りなしていくことによつて、わたしたちは、世界中の誰しもに通じる普遍的な知識を得ること、高い世を知るにいたることを目指してゐるのですが、同時に、大切なこととして、民族性に立脚しない普遍性などありえない、といふことです。


自分自身を育んでくれた我が家族、我が地域、我が国の歴史をよく学び、固有の文化・風俗・習慣・精神を想ひ起こすことが土台となつて、初めて人はまことの普遍性、国際性へと伸び行くのです。


そのあり方は、きつと、子どもたちを育てて行く上でも大切な指針となります。


それは、子どもたちの、自分自身を敬ひ、尊ぶこころの力、自尊心を育てます。


自尊心、それは、決して他に対して驕り高ぶるこころのありやうではないはずです。


自尊心、それは、人に、謙虚さと優しさと真の強さを与へます。


これまで、わたしたちは、どれほど子どもたちの自尊心を育てることを怠つてきたことでせうか。どれほど、大人は自分自身の自尊心を傷つけてきたことでせうか。


ひとりひとりが己れのあり方を敬ひ、尊び、愛する、自尊心の育みのために、土着の精神を培ふことの大切さを、わたしたちアントロポゾフィーハウスはいつも肝に銘じ、21世紀の新しいアントロポゾフィー運動を粛々と進めて行きたいと希つてゐます。




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2022年05月05日

「ひと」になりゆく道 アントロポゾフィーからなる教員養成



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人と世についての単純ではない数多の知識。


そして光と影が交錯するやうな芸術体験。


でも、そのおほもとにしづかで安らかなこころ、安心、赦し、信頼が息づいてゐる。


まこと、「人」となりゆくための大人の営み。


それが、アントロポゾフィーからなる教員養成です。


靈(ひ)の灯るところ。靈(ひ)のとどまるところ。


それが、「ひと」です。


「ひと」とは、なんと、奇(くす)しき存在であり、奇(くす)しき名であることでせう。


「ひと」、それは、わたしたちの理想を表す名であり、「自由」の別名です。


子どもたちは、そんな「ひと」にならうと懸命に勤しんでゐる大人にこそ、信頼を寄せてくれるのではないでせうか。


大人自身が「ひと」になりゆくための教員養成講座、そのプレ講座にお集まりになつた皆さんすべて、この人生を真剣に生きたいと願つてゐる方々ばかりでした。


8月の本講座に向けて講師を務めさせていただくわたし自身も、新しく、全く新しく、「ひと」になりゆく道をますます歩いて行きます。


そして、その道を歩いて行く上で、最も本質的なことは何でせう。


それは、「ひと」になりゆかうとしてゐるわたしたちが恐れから自由になつて無私になること。


そして、わたしたちよりも高い精神の世の方々との共同作業をしていくといふことです。


その密(ひめ)やかな仕事がひとりひとりのうちでなされて初めて、自分自身を、人と人との集ひを、この地域を、この国を、この世界を、健やかにしていくための仕事をしてゆくことが赦される。さう実感してゐます。


杜の都・仙台にて、わたしたちも、また、始めました。


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「おひさまの丘 宮城シュタイナー学園」において、この二年間を通しての継続的なシュタイナーの学び(アントロポゾフィーと言います)の道を共に歩いてみたいという方々をお待ちしております。


8月5日から年4回、各三日間の実際に皆が集まっての講座に、同じ8月の第二週目の水曜日夜から始まる毎週のオンラインクラスをもって、わたしたちのシュタイナー教育教員養成講座が始まります。


ご関心のおありになる方、ぜひ、ご勘案下さい。


ホームページに詳しく情報を掲載しています。
https://www.ohisamanooka-steiner.or.jp/kyouin-yousei




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2022年04月26日

健やかな意欲とこころざし 〜キリスト生誕劇クラスにて〜



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ひとりひとりの人の内も内から、「学びたい」「知りたい」「できるやうになりたい」といふ、健やかな意欲とこころざしをどう湧きたたせていくことができる?

その問ひに答へようとしていくことが、自由なる精神の高き学び舎であるアントロポゾフィーハウスの目当てです。

いつもの日曜日、イエス・キリスト生誕劇創り、そして「ヨハネ福音書講義」勉強会に集まつて下さつた皆さんにこころから感謝😇😇😇


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2022年04月20日

5/3〜5/4 杜の都で学ぶシュタイナー学校教員養成講座 プレ講座のご案内



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今年の8月から仙台市内にある「おひさまの丘 宮城シュタイナー学園」で始まるシュタイナー学校教員養成講座に先駆けて、このゴールデンウィークに二日間連続でプレ講座を行ひます。詳しくは、学園のホームページを、どうぞご覧ください。


とても個人的なことなのですが、うちの娘はもうすぐ17歳と14歳になりますが、ふたりとも入学したばかりの高校と中学校を昨年辞め、いまそれぞれに自分自身の時間を生き始めて一年近くになります。

わたし自身は親として何の心配もしてゐません。といふよりも、むしろ、いまの公的な学校制度といふものに対する大きく深い違和感をわたし自身が持つてゐるがゆゑに、我が娘ながら、若くして、よくぞ、こころを決めることができたなとある意味、とても感心してゐます。

ちなみに、娘たちの学校のことを決めるのに、わたしたち親はこちらからは何も口出しせず、ただ、時間をかけてこのことを彼女たち自身が決め、彼女たち自身が話してくれるその理由に耳を傾け、その上で親として言ふべきこと、人として言ひたいことを彼女たちに伝へて、そして、彼女たちは学校を辞めました。

学校といふ制度から抜け出した、外れたとも言へるかもしれません。

ただ、彼女たちを傍で観てゐて、人として「学ぶ」といふことはどういふことなのかといふことを毎日考へさせられてゐます。

学びは、本当に、一生涯、続きます。

では、何を学ぶのか。

何のために、学ぶのか。

そこを徹底的に自分のこととして考へ、そして「学び」をし続ける人と自分自身がなるために、どういふ自己教育をしていくことができるのか。

そのことを本当に意識化する。

それがアントロポゾフィーであり、シュタイナー教育の目指すところであります。

今回の教員養成講座、そしてそれに先立つプレ講座は、まさしく、そのことをひとりひとりが自問自答していくものに、きつと、なります。

そのことに問ひを持つてをられる皆さん。

現代の、そして未来の若者たちが自分自身の人生を素晴らしいものにしていくためには、そして、自分の周りの人たちを幸せにしていくためには、そしてさらには、この国を素晴らしい国に、この世界を素晴らしい世界にしていくためには、何が必要なのか、懸命に考へてみませんか。

この混迷の社会の中だからこそ、わたしたちから、始めていきませう。

出会ひをこころから楽しみにしてゐます。

諏訪耕志





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2022年04月12日

しづかさの内へ 〜アントロポゾフィーハウス滋賀・草津〜



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今日はアントロポゾフィーハウス滋賀・草津。

シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』をベースにメディテーションの実際に取り組み始めました。

「しづかさ」といふ四つの音韻をもつて、こころにまさに「しづかさ」が湛へられます。そして、シュタイナーによつて設へられた七行の文によつて、深められるこころの営み。それは、精神の流れにこころが触れるひとときです。

これからも、滋賀のクラスでは、このしづかな深まりを基にしながら、こころに密(ひめ)やかな仕事を重ねてゆきます。

今日も、自宅を開放して下さつたSさんご夫妻、そして集まつて下さつた皆さん、どうもありがたうございました。

クラスのあと、比叡山の西に位置する山里、京都の大原に足を運び、麗らかな春の陽射しと花のいのち、そして風の穏やかさの中を歩いて来ました。

そして、三千院の往生極楽院から聴こえて来る声明に耳を澄ませてゐると、こころの世と目の前の世が重なり、身の周りのすべてが遠のいてゆくやうなしづかさの中へとみづからが入つてゆくことを感じるのでした。

世のすべての人が、このしづかさを想ひ起こし、安らかさに立ち返ることができるやう、いま、わたしも、こころから祈ります。




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2022年03月29日

『アントロポゾフィーハウス青森三沢 生誕劇クラス』が始まりました



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いま、本当に大切だと思ふこと。それは、人と人とが怖れから隔たり合はず、共に集ひ、目と目を交はし合ひ、息と息とを交はし合ひながら、活き活きと芸術活動に勤しみ合ひ、共に何かを創り出していくこと。

昨日から、今年のクリスマス12月25日に向かつて、『アントロポゾフィーハウス青森三沢 イエス・キリスト生誕劇クラス』が始まりました。

この劇創りに参加したいといふ、中学生の女の子ふたりの意欲の萌しにわたしも動かされ、そして、大人の方々も種々様々な都合を乗り越えて、思ひもひとつになり、このクラスを始めさせていただくことにしました。

若い人が創造することの喜びと難しさに直面しつつ、新しい何かを精神的に、芸術的に創りなしていくこと、そして自分たちにはそのやうに世を創りなしてゆく力があるんだといふ手応へをつかむこと。

精神的呼吸困難を促すやうなこの二年間を経て、わたしたちアントロポゾフィーハウスは、そのための場を、大人が創つてゆく必要があることの大切さを思ひます。

東北地方にお住まひの方、気の早い話ですが、どうぞ、今年のクリスマス12月25日は、青森の三沢にお越しください。イエス・キリスト生誕劇を通して、聖なる清らかなひとときを共に創りあげませう。

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2022年03月08日

より賢い<わたし>との繋がり アントロポゾフィーハウス【滋賀草津】



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喜怒哀楽に右往左往してゐる常日頃のわたしよりも、賢い<わたし>が、どの人にもあります。

その「より賢い<わたし>」と、どう繋がるか。

時には、その「賢い<わたし>」のことを「天使」と言ひ表すこともあります。

それが、今日のアントロポゾフィーハウス【滋賀草津】の『いかにして人が高い世を知るにいたるか』クラスのテーマでした。

一か月に一回のクラスですが、これから、少しづつ、そのテーマを深めて行きます。

クラスの後、メンバーの方がこしらへて下さつたお弁当(こころの籠つた味はひ深さ!)をいただきながら、今日の学びを分かち合ふシェアリングをしました。

本当に今日も皆さん、ありがたうございました。


●日時: 毎月第二火曜日 10時〜12時

●場所: 滋賀県草津市内 個人宅(お申し込みいただいた方に個別のご連絡いたします)

●参加費: 単発でのご参加 3500円
      4回連続参加 12000円    


鈴木一博氏訳を使います。よろしければ、ご参加の前に、お買い求め下さい。
精巧堂出版 https://www.seikodo-store.com/show1.php?show=b0007


お申し込み・お問い合わせ: 
suwa@kotobanoie.net(諏訪)



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2022年03月07日

アントロポゾフィーハウス【青森三沢】子どもの教育の実践に向けて



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わたしたちは、いま、未来の世代に向けて何をすることができるでしょうか。

それは、まずもって、教育です。

これまで、日本の国ではなかなかできなかった、ひとりひとりの子どもが独自のものを伸ばして行くことができるような教育です。

その教育を実践していくためには、「人というもの」への深い見識、そしてそこからの芸術実践が要るのではないでしょうか。

いまある社会への適応能力を子どもたちにつけさせることが第一の指針ではなく、ひとりひとりの創造力・精神の力をもって新しく社会を創ってゆくための基の力を育んでいくこと、それこそが第一の指針となっていいはずです。

ルードルフ・シュタイナーから生まれた叡智「アントロポゾフィー」に基づく子どもたちへの教育(シュタイナー教育)をあらたに始めて行くための学びのクラスを青森三沢にて始めて参ります。

教育とは、子どもを数値で判断するような科学的行為ではなく、子どもの内側から健やかなもの、美しいもの、善きものを引き出していく、芸術行為なのです。

ご関心のおありになる方、どうぞ、まずはお気軽に覗いてみて下さい。

お待ちしています。


講師:
オイリュトミー 越中奉(えっちゅうたすく)
言語造形・講義 諏訪耕志(すわこうじ)
https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji



●日時: 毎月第四火曜日 9:30〜14:00

●場所: 自由学舎 中川塾
     青森県三沢市下久保1-4-6

●タイムスケジュール:

9時半   シェアリング
     (ことばの分かち合い、聴き合い)
     オイリュトミー
     (ことばや音楽に沿って動く芸術)

10時15分  言語造形
     (子どもたちにお話を語りかけるためのことばの芸術) 

12時    講義「これからの時代の子どもへの教育のあり方」

13時   終わり


●参加費: 3回連続ご参加 10000円
      単発ご参加 4000円


お問い合わせ・お申し込み:
佐々木 千晶さん aibaru0809@gmail.com




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2022年02月27日

アントロポゾフィーハウス青森三沢公演「山月記」ありがたうございました



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かうして舞台をするといふことは何を意味するのだらう。演じるわたしたちからすれば、それは、まぎれなく、世に新しい何かを産み出さうとしてゐる。できうるならば、研鑽の果てに、恣意や自意識の滓から浄められた精神をもつて何かが生まれて来るのを乞ひ希んでゐる。そして、聴きに来て下さつた方々、観に来て下さつた方々と共に、その初めて生まれた赤子の産声を聴き取ることができれば・・・。そんな夢を抱きながら、切実に舞台に臨んでゐる。

その産声を聴き取るには、演者は内において動くことが必要になつて来る。動くこと。能動的なこと。活気に満ち溢れてゐること。汗を流すことを厭はないこと。何はなくとも、わたしたちは動く。生きる。汗を流す。さうすることで、できうる限り、こころを浄めつつ幼な子の誕生を待つ。その出産・分娩には終はりがなく、死ぬまで続く。死んでも続く。精神の幼な子を産み続ける。マリアの営みだ。

今日、来て下さつた人は、皆、共に、動き、「外郎売」を、「山月記」を、共に生き、ことばの響きを、音楽の調べを、オイリュトミストと共に汗を流しつつ、生き抜いた。それは、フィジカルなものから、こころの境へ、さらには、言語の精神の境へと共に登つてゆく作業だ。

わたしたちは、人々との、観客との、共同作業を求めてゐる。しかし、その共同作業を織りなすためには、まづは演者であるわたしたちみづからが精神の線に沿つて生き抜くことからしか始まらない。

今日といふ日を共に創つて下さつた皆様に、こころより、お礼を申し上げます。

どうもありがたうございました。


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2022年02月15日

アントロポゾフィーハウス草津



今日、琵琶湖の東南に位置する草津でのアントロポゾフィーハウス。お日様が当たる暖かいお部屋でシュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』を一文一文読み進めるのです。一体、今日は、何が生まれたのだらう。さう、クラスが終はつたあと、いつも自分自身に問ひかけます。おほまかなテーマを携へてクラスを始めるのですが、いつも計画通りにはせず、むしろ、その日その日に集まつた人たちの意識から汲み上げられたものを重ね合はせることから、いつも、新しい方向へ、今までに踏まなかつた道へと歩を進めて行きます。人と人とが、ある高いテーマのもとに集まるといふこと。そして、その集ひから、常に新しい何かを見いだし、生み出して行くといふこと。このことは、いま、本当に、たいせつなことです。大人が、目覚めてあることのたいせつさです。仕事をすることのたいせつさです。仕事とは、事に仕へることであり、事に身を捧げることであり、そこから新しい価値を生み出すことであります。かういつた密(ひめ)やかな学びを礎にしつつ、今年は、日本のどこかで、そんな仕事に共に乗り出す仲間と出会ひさうな予感が・・・。ありがたいことです。

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