[アントロポゾフィーハウス]の記事一覧

2022年10月03日

10/14(金) アントロポゾフィーハウス 出会ひの会 第二回目のお知らせ!(参加費無料)



毎月、第二金曜日の午後7時から8時まで、zoomを使つて、「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会」を持つてゐます。


それは、日本全国から、もしくは海外からでも、アントロポゾフィーに関心を寄せる人が、まづは、気軽に参加できることのできるオンライン上の場です。


今月は、10月14日(金)午後7時から8時まで、参加費は無料です(時間が延長することもあると思ひます)。


この「出会ひの会」によつて、アントロポゾフィーに出会ひ始めた多くの方が、アントロポゾフィーを学び、生き、アントロポゾフィーから仕事を産み出していかうとしてゐる人々との関はりを持ち始めるきつかけを産み出していくことができれば、さらには、アントロポゾフィーからの社会的な運動へと展開していく何らかの動きを産み出していくことができれば、との切なる念ひを持つてゐます。


この会では、参加して下さつた皆さんのこころとことばが花開くやうな時間になることを願つてゐます。つまり、皆さんからのアントロポゾフィーに対する積極的な思ひをことばにしていただけたらといふ願ひです。


そして、この「出会ひの会」は、アントロポゾフィーのそもそもの精神と現代の精神に鑑みて、公開のものとして、オープンなあり方を試みて行きたいと考へてゐます。


毎回の「出会ひの会」は、録画され、編集したうえで、何らかの形で you tube などを通して公開してまいります。


アントロポゾフィーを通して、世に健やかな発信をしていくことができればとの願ひからの企図です。


とは、言ひましても、肩ひじ張らず、等身大のことばを発し合ひ、聴き合ふ中で、互ひに学び合ふことができたら、いいですね。


新しくアントロポゾフィーやシュタイナー教育に出会はれてゐる方々との出会ひをこころから待ち望んでゐます。


お申し込みいただいた方に、zoomミーティングのIDとパスワードをお送りします。どうぞ、お気軽にお申し込みくださいね。


●お申し込み先  
ホームページ「アントロポゾフィーハウス ことばの家」 のアクセスページからメッセージをお送りください。


※お申し込みの際、簡単な自己紹介文をお書きいただければ、ありがたいです。そして、人数制限をしておりますので、お申込みいただいても、ご参加できないこともありますこと、どうぞご了承ください。


前回の第一回目の録画動画





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2022年09月29日

理想をことばに鋳直すお祭り ミカエルのお祭り



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秋の祭りである、ミカエルのお祭り。


それは、夏の間、高く大いなる世に拡がつてゐたわたしたちのこころと精神が、冬のクリスマスに向けて、再び、わたしたちのからだへと戻りくることを、強く、確かに、促すためのお祭りです。


だからこそ、この秋のお祭りを創ることによつて、人は、自分自身の本当の理想やまことの考へをふさはしく、精神の鉄の剣をもつて「ことば」にする力、「ことば」に鋳直す力を得ることができるのです。


言語の理想主義。


それは、わたしたちのこころを健やかに甦らせてくれます。


アントロポゾフィーから、そのやうな精神のお祭りを創つてゆく。


それは、アントロポゾフィー運動のひとつの仕事なのです。




posted by koji at 18:37 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月28日

いまといふ時代



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ルードルフ・シュタイナーは、1916年に、こんな発言をしてゐます。「21世紀の初めに、今はまだ述べることができないやうな形で、悪が現れるでせう」


そして、オランダのアントロポゾーフであつたベルナード・リーヴァフッドが1992年、死の一か月前に語つたことばにも驚かされます。


「この戦ひが最もひどくなるのは、2020年から2040年あたりに来るといふのがわたしの予測です。そのときに、悪魔の奈落が開くでせう。ナチスやボルシェビズム(共産主義的全体主義)はこれと比べれば青ざめてしまふでせう。その時、何百万もの人々が奈落に突き落とされるでせう。しかし、何百万もの人々が抵抗するでせう」(『魂の救済』より)


いま、まさに、そんな時代に突入してゐる。


いま、現実化してゐるのは、多くの愚行が多数派によつて常識とされ、健全な考へを持つ人が変人扱ひされようとしてゐる状況です。


恐怖を与へることによつて大衆をコントロールする全体主義の跋扈が、だんだんと始まつてゐます。これは、確かに、ナチズムよりも、ボルシェビズムよりも、巧妙で恐ろしいものです。


なぜなら、この大衆洗脳を意図するプロパガンダによつて、人は、権力に圧迫されなくても、自分自身から愚行に走るからです。


他人を守る、他人に迷惑を掛けないといふ、美辞麗句の裏では、恐怖がその人のこころを支配し、その恐怖から他人に指図しようとしてゐます。


恐怖といふ網が、人のこころを覆ひ尽くし、社会まるごとをがんじがらめにしてしまつてゐます。


きつと、その影響でせう、若い人の自死が、わたしの周りでさへも、聴かれるやうになつて来てしまひました。


人々をこころの檻の中にがんじがらめにするために、実は、国際資本主義者たちと国際共産主義者たちはひとつに繋がつてゐる。


マスコミやアカデミズムや政府からの声明によつて、表舞台では対立してゐるやうに見えるのですが。


と言ふよりも、どちらも、共通の巨大な経済の力でいいやうに動かされてゐて、その力が全世界を一元化して支配しようとしてゐる。


裏側でうごめいてゐたその悪魔的な動きがはつきりと表面化しだしたのは、コロナパンデミックが始まつた2020年からではないでせうか。


それは、ずつと以前から周到に用意されてきたことだつたことを、わたしは知ることができました。その、「ずつと以前」が、どの位の「以前」なのかを、たとへば、林千勝氏やその他の方々の書物を通しても知ることができました。


いま、まさに、ひとりひとりの人に問はれてゐるのは、「人にとつては物質的生命がすべてであるとする唯物主義」か「生命と同じほど、いや、それよりも大切なものとしてのこころと精神の価値を認める見識と覚悟」か、どちらを選ぶのかといふことです。


わたしも、その意識を持つて、今を生きてゐます。この危機感からアントロポゾフィーハウスを始めてゐます。


この21世紀の今、アントロポゾフィーが必要だと強く感じてゐます。


アントロポゾフィー運動において、わたしたちは小さなグループをいくつも作り、恐怖から自由になり、この時代を生き抜いて行く叡智と勇気を各々ひとりひとりの胸の内に育んでゆくのです。


最後にふたたび、先に書いた、国際資本主義者と国際共産主義者とをひとつに繋げてゐる者たちについて語つてゐる1908年のシュタイナーのことばに帰ります。


「ロスチャイルド家の四人の人物がフランクフルトから世界各地に移住した時のことをお話ししなければなりません。サロモン・ロスチャイルドはウィーンへ、ナータン・ロスチャイルドはロンドンへ、カール・ロスチャイルドはナポリへ、ヤコブ・ロスチャイルドはパリへ移りました。そして、銀行といふものが、彼らの天分によつて、エゴイスティックなものになつてしまつたのです。人といふものが、金銭のために売り渡されてしまつたのです。・・・人であることを無力にする力がすでに蔓延つてゐます。かうして、世界をよく観ると、いかに人といふ人が、いま、唯物主義の深淵に向かつて突き落とされようとしてゐるかが見えてきます。しかし、人であることが救はれえます。ふたたび、精神の世に昇りゆくことができます。内なるこころの力を強めることを通して、人といふものをよそにした資本の力から自由になることを学びつつ、人は救はれるのです」(『ヨハネ黙示録』より)





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2022年09月11日

いかにして人は学びにどつぷり浸れる場を創るにいたるか 〜日本におけるこれからのアントロポゾフィー運動〜



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先日の「出会ひの会」においても、「アントロポゾフィーの学びにどつぷりと浸れる場がどんどん無くなつて来てゐる」といふ話に深く聴き入りました。


ヨーロッパやアメリカなどにおいても、その傾向はどんどん進んで来てしまつてゐるといふことでした。


ましてや、アントロポゾフィーといふ百年以上前に中部ヨーロッパで生まれた精神の学を、日本語で、日本の文化において捉え直し、日本の土着性の中で根付かせて行かうとしてゐるわたしたち日本人にとつて、そのやうな環境はあるのでせうか、ないのでせうか。


わたし個人の中では、それは「あつた」と言へます。しかし、いまは、「ない」としか言へません。


事実として、約30年前の1993年から、東京都新宿区高田馬場にあつた「日本ルドルフ・シュタイナーハウス」において、わたしは毎日、言語造形といふ芸術実践に就くことができ、アントロポゾフィーといふ精神の学にどつぷりと浸ることができました。


そこには、七年間、通つたのでした。


1980年代に盛んにスイスやドイツに留学した、わたしよりもひとつ前の世代と言つてもいい方々が日本において学びの場を生み、育てて下さつたお陰と言へます。


さう、そのときは、人から人への生きた受け伝へがありました。まるで、江戸の幕末から明治維新後の私塾のやうな形でした。


厳しい指導でした。しかし、間違ひなく、そこには愛があり、涙があり、汗があり、何よりも、掛けに掛けた時間の蓄積がありました。


人が成長するための学びにおいて必要なものとは何でせう。


それは、必要であるならば必要なだけ、時間を掛けることです。はしょらないことです。いいとこ取りしないことです。安全地帯から飛び出して、学びに没頭する一定の時間を持つことです。


さうして、初めて、人は、己れといふものに信頼を持つことができ、少々のことがあつても挫けずに、学びの道を歩き続ける強さが血と肉となつて身につきます。


だからこそ、その学びが、その人の仕事へと転化されてゆきます。一人前の仕事となるべく、仕事も、その人も、共に成長して行きます。


アントロポゾフィーは、ひとりひとりの人の「仕事」になつてしかるべきものなのです。その人の「人生そのもの」「生きることそのこと」になつてしかるべきものなのです。


そのためには、どつぷりと学びに浸る時間の蓄積が、どうしても要る。


さう思はずにはゐられないのですが、そのやうな志は、精神からしか出て来ません。


経済のことや他のしがらみなどのことを考へてゐては、全くもつて、そのやうな精神からの発意は死んでしまひます。


萌してきた精神の発意を殺さずに、発芽させ、成長させていくことを専一に考へ、実行して行きさへすれば、経済的なことやその他のことなどは、後からついて来ます。


わたしのこれからの仕事は、リアルな場とオンラインでの場とを連携させながら、アントロポゾフィーと芸術実践に没頭できる場づくりであり、そのためには、いま一度、わたしみづからが、経済的なことやその他のことなどを措いて、我が精神の発意の芽を伸ばしていくことなんだとこころに決めてゐます。


このままだと、いくらインターネット技術が便利になり、栄へようとも、日本においては、アントロポゾフィーを仕事にする人はゐなくなり、必然的に、アントロポゾフィーといふ精神運動は絶えます。


しかし、ひとりの人からの発意が、何かと結ばれて、日本のこれからのアントロポゾフィー運動のひとつとして、きつと、なりなりてなりゆくのです。



アントロポゾフィーハウス 諏訪耕志

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2022年09月10日

同時代を生きてゐる〜「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会 第一回目」〜






昨日の第一回目「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会」にお集まりくださつた皆さん、本当にありがたうございました。


真摯に、熱く、アントロポゾフィーについて語り合へる、あのやうな場が生まれたのは、ひとへに、ご参加くださつた皆さんのお陰です。


ある人から問ひが発せられ、問はれた人はその問ひを元手に、考へ、そして、その考へをことばにしてみる。


その姿は、美しい。そのやりとりは、自由が息づく空間が拡がつてゆくやうな感覚を感じます。


そして、第一回目を終へ、わたしがとりわけ強く感じましたのは、「わたしたちは、いま、同時代を生きてゐる」といふ情と感覚でした。


何がどうなるか全く分からないこの世において、それでも、わたしたちは踏ん張つてこの人生を生き抜いて行く、その心根と目覚めた意識を持つ人が、アントロポゾフィーの生成に情熱と希望を抱いて、この同じ時代を共に生きてゐる。


この出会ひの会は、はじめてアントロポゾフィーに触れ始めた人が、そのやうな「アントロポゾフィーを生きる」人に出会ふ場でありたいと思ひます。


この会が、アントロポゾフィーといふ「人を知る」学びへの入り口、入門の場になることができれば、とも希つてゐます。


そして、昨日の会でも話題に上つた、「アントロポゾフィーの職能への道」に着手する糸口を探る場に成長していくことができれば、といふ志が、わたしの内に、脈打つてゐます。


アントロポゾフィーには、教育、農業、医学、芸術などの様々な領域があります。


それらすべての実践活動には、すべて、密(ひめ)やかな学び、こころの育みが裏打ちされてゐます。


アントロポゾフィーのその様々な領域に関心を寄せる、様々な人が自由に集まることができる、そんな場にしていきたいと考へてゐます。


そして、この時代を生き抜いていく、暖かく豊かでしなやかな意識を、共に、強め合ひませう。


次回、第二回目は、第二金曜日、10月14日、夜の7時から8時までの予定です(時間が延長することもあると思ひます)。


●お申し込み先  
「アントロポゾフィーハウス ことばの家」ホームページのアクセスページからメッセージをお送りください。


※初めてのお申し込みの際、簡単な自己紹介文をお書きいただければ、ありがたいです。そして、人数制限をしておりますので、お申込みいただいても、ご参加できないこともありますこと、どうぞご了承ください。




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2022年08月30日

8/30 子どもの教育の実践に向けて アントロポゾフィーハウス【青森三沢】



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今日は、子どもの教育への実践に向けて、オイリュトミー、そしてお話しの語りの実践練習。さらに、ことばを語るときの三つの次第の意識化。


11月26日(土)の発表会に向けて、各々の意識も引き締まり、高まつて来ました。


そして、クラスが終はつた後の、メンバーの皆さんが用意して下さる美味しいお食事!


ありがたさと充実感みなぎる一日。

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2022年08月29日

8/28 アントロポゾフィーハウス【青森・三沢】イエス生誕劇クラス



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イエス・キリストは、なにゆゑ、この世に現れられたのでせうか。


そのことを解き明かすルードルフ・シュタイナーのキリスト論。


その中でも、『ヨハネ福音書講義』は、聖書に記されてあるひとことひとことのことばを、金の秤にかけるがごとき敬ひと慎ましさをもつて、その値を見て取ることで、人といふものの、来し方行く末を遠く遠く見晴るかす精神の観点から、イエス誕生の意味を、キリスト誕生の意味を解き明かしてゐます。


そこに取り組む午前。


そして、午後には、今年の12月25日に青森の三沢で行ひます「イエス・キリスト生誕劇」に向けての稽古。


わたしたちは、演劇といふ芸術を通して、からだからこころを解き放ち、精神の境へと羽ばたいてゆくことを試みてゐます。


その試みは、キリストその方が今もわたしたち人といふ人に促してゐる、「自由への道」を歩くことなのです。


その促しを「キリストのこころざし Christ Impuls」と、シュタイナーは言ひ表してゐます。


わたしたちは、そのこころざしを学ぶ午前から、そのこころざしに貫かれようと稽古に勤しむ午後へと、今日も走り抜けました。




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2022年08月18日

9/9(金)「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会」(参加費無料)発足のお知らせ



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毎月、第二金曜日の午後7時から8時半まで、zoomを使つて、「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会」を持ちます。


それは、日本全国から、もしくは海外からでも、アントロポゾフィーに関心を寄せる人が、まづは、気軽に参加できることのできるオンライン上の場です。


参加費は無料です。


この「出会ひの会」によつて、アントロポゾフィーに出会ひ始めた多くの方が、アントロポゾフィーを学び、生き、アントロポゾフィーから仕事を産み出していかうとしてゐる人々との関はりを持ち始めるきつかけを産み出していくことができれば、さらには、アントロポゾフィーからの社会的な運動へと展開していく何らかの動きを産み出していくことができれば、との切なる念ひを持つてゐます。


第一回目は、9月9日(金)です。テーマは、「わたしにとつてアントロポゾフィーとは何か」です。


そして、この「出会ひの会」は、アントロポゾフィーのそもそもの精神と現代の精神に鑑みて、公開のものとして、オープンなあり方を試みて行きたいと考へてゐます。


毎回の「出会ひの会」は、録画され、編集したうえで、何らかの形で you tube などを通して公開してまいります。


アントロポゾフィーを通して、世に健やかな発信をしていくことができればとの願ひからの企図です。


とは、言ひましても、肩ひじ張らず、等身大のことばを発し合ひ、聴き合ふ中で、互ひに学び合ふことができたら、いいですね。


新しくアントロポゾフィーやシュタイナー教育に出会はれてゐる方々との出会ひをこころから待ち望んでゐます。


お申し込みいただいた方に、zoomミーティングのIDとパスワードをお送りします。どうぞ、お気軽にお申し込みくださいね。


●お申し込み先  
facebookページ「アントロポゾフィーハウス」https://www.facebook.com/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%82%BE%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9-111549167647340 のメッセージ欄にてメッセージをお送りください。
もしくは、ホームページ「アントロポゾフィーハウス ことばの家」のアクセスページ https://kotobanoie.net/access/ からご連絡を下さい。 


※お申し込みの際、簡単な自己紹介文をお書きいただければ、ありがたいです。そして、人数制限をしておりますので、お申込みいただいても、ご参加できないこともありますこと、どうぞご了承ください。



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わたし自身が受けて来た教育の中で、本当にこれこそ教育だと思へたのは、28歳から受け始めたアントロポゾフィーの学びに就いた時からでした。


何度か書いたことなのですが、30年前、1990年代初めごろに、わたしは東京都新宿区高田馬場にあつた「日本ルドルフ・シュタイナーハウス」に通ひ出し、そこでは、ほぼ毎日、何らかの勉強会、ワークショップ、講義などが行はれてゐました。


その学びは、いはゆる新興宗教のやうなものとは全く違ひ、ひとりひとりが、みづからのこころをフル回転させて「考へる」ことの価値を教へてくれる場所でした。


ですので、どこにも、押しつけがましさや無理強いされるといふことがありませんでした。


こころと精神の密(ひめ)やかな学びへと通じて行く道でありながら、他の一般の学びの場と変はらない、自由になりゆくための健やかさと希望に満ちてゐた場であつたやうに想ひ起こします。


そして、そこから、ひとりひとりが、己れのこころに尋ねながら、「感じる」ことの豊かさへ、さらには「欲する」ことの力強さと確かさへと踏み込んでいくことのできる、メディテーションと芸術実践の道が、細い道ながらも、確かにありました。


なぜ、「細い道」かといふと、その道を歩むといふことは、徹底して己れに向き合ふ目覚めた意識を要するものでしたので、学びの深まり具合ひと進展の速度は、そこに参加するその人その人に任されてゐたからです。


つまり、たとへ、人と人とが集ふ場がそこに開かれてはゐても、手取り足取り面倒を見てくれる誰かに寄り掛かることなど当然のごとく全くできず、本質的には、各々が、「ひとり」で立つことが求められてゐる場であつたのです。


そのことは、アントロポゾフィーそのものから、またそこにをられる先達の方々の立ち居振る舞ひ、ことばから、了解されるのでした。


また、毎月一回、「出会ひの会」が開かれてゐて、新しくアントロポゾフィーやシュタイナー教育に関心を抱き始めた人たちが毎回何人も訪れて来て、古参の会員と共にひとつの大きな輪になつて、話を交はし合つてゐました。


アントロポゾフィーを生きようとしてゐる人とそこで出会ふことができ、それらの人との間に生まれる「感覚」をたよりに、この学びの道を歩まうと促がされもしましたし、歩まないとこころを決めることもできたのでした。


そのやうな場が失はれて、久しい時が経つてゐます。


いま、2020年代の日本の地にそのやうなアントロポゾフィーの学びの場があつてしかるべきだといふ念ひをわたしはずつと持つてゐます。


それは、混迷を極めてゐるこの日本社会に、アントロポゾフィーからの精神の息吹をひとりひとりの学び手が吹き込んでゆくこと、つまりは、何らかの実践活動をもつて、ひとりひとりが精神から仕事を生み出してゆくこと、社会に働きかけてゆくこと、そのためには、アントロポゾフィーの学びの場と交流の場が要るからです。


しかし、バブル経済のもと、とても豊かであつた当時と違ひ、現在は30年近くになるデフレ経済の影響で、物理的な場所を持つことはとても難しい。


だからこそ、オンラインを用ゐての学びと、実際に会ふ中での学びを組み合わせる、新しい場づくりを模索してゐます。


30年前にはできなかった学びのかたちです。


オンラインにおける、「アントロポゾフィーハウス 出会ひの会」です。




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2022年08月03日

職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その三(完)



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そのやうな職能に繋がる学びの深まりを意識的に織りなさうとしたのが、ルードルフ・シュタイナーその人でした。そして、その織りなしは、1923年12月24日から翌年1月1日にかけて行はれたクリスマスの集ひの時に生まれた普遍アントロポゾフィー協会の中心的機能である「自由なる精神の高き学び舎(精神科学自由大学)」においてでした。


そのやうな職能への明らかな意識、このアントロポゾフィーを自分自身の天職にしていくのだといふ意欲をもつ学びだからこそ、人は真摯に学ばうとしますし、特に若者は、きつと、そのやうな精神の学びを求めてゐます。きつと、です。


アントロポゾフィーの学びを促す集ひは、そのやうな、ひとりで仕事をするべく立たうとする人を見守り、励まし、促さうとする集ひであり、運動体です。


その実践的な学びは、「メディテーション」と「芸術実践」といふ、ふたつの柱を持ちます。


@メディテーションといふ内なる密(ひめ)やかな毎日の営みが我がこころを育み、人生を支へてくれるといふこと。


Aさらに日々のすべての仕事、それ自体が、芸術実践なのだと意識しながら、その仕事に取り組んでいくこと。


アントロポゾフィーハウスも、世に仕へゆく職能のための道として、そのふたつの主なるモチーフを意識的に育んでゆきたいと希つてゐます。


その都度その都度、学びの場に、そのふたつの柱を意識的に打ち樹てながら、アントロポゾフィーの学びの場としてのアントロポゾフィーハウスは、さらに、その機能として三つの次第を持ちます。


まづ一つ目の次第として、こころの保護を求め、精神への憧れを満たすポジティブな「隠れ家」として、アントロポゾフィーハウスは機能します。その場においては、人と人とが親しく語り合ふことができる。聴き合ふことができる。胸を開いて、こころとこころを響かせ合ふことができます。


次に二つ目の次第においては、まさしく、「時をかけて習ひつつ学びを深めゆく学び舎」として、参加者みづから能動的にアクティブに学びを深めて行くことができるやう、教へ手は意識的にアントロポゾフィーの道を提示します。それは、ひたすらに、ひとりひとりが自由へとなりゆく道、その人がその人へとますますなりゆく道です。


さうして、三つ目の次第において、「実践の場」としてのアントロポゾフィーハウスです。日々の暮らしに注ぎ込む精神の働きを鍛える「実践の源」としての場であり、この場の内と外において、みづからすること、なすこと、言ふことに、責任がともなふやうになります。つまり、ひとりひとりが具体的にする仕事の場としてのアントロポゾフィーハウスです。


その三つ目の次第では、他者と共に、また時代状況と共に、アントロポゾフィーの学びから生まれる意欲と責任感を培ひつつ仕事を担つてゆく必要があります。


さうだからこそ、真摯な「内なる密(ひめ)やかな学び・練習」の必要性がいつさう意識され、その必要性をひとりひとりが自由に満たすことがきつと求められます。


ただし、その「内なる密(ひめ)やかな学び・練習」は、決して、他者から求められるが故になされることではなく、どこまでも、目覚めた〈わたし〉が求めるものとして営まれるものです。


@「ポジティブな隠れ家」としてのアントロポゾフィーハウス
A「時をかけて習ひつつ学びを深めゆく学び舎」としてのアントロポゾフィーハウス
B「実践の場」としてのアントロポゾフィーハウス


この三つの次第を生きることは、現代を生きる少なからざる人にとつて、とりわけ、若い人にとつて、こころの奥底から乞ひ求められてゐることだとわたしは考へ、実感してゐます。


この三つの次第を世に提示していくことが、アントロポゾフィーハウスが促さうとしてゐるアントロポゾフィー運動なのです。


この三つの次第を持つアントロポゾフィー運動に加はらうとする人にとつては、まづは一つ目、次に二つ目、最後に三つ目といふ、時の順序をもつて少しづつ参加して行くことになるでせう。


しかし、三つの次第は、いつまでも、どこまでも、重なり合つてゐるはずです。


今日は、「職能を育むためのアントロポゾフィーハウス」といふ観点で書かせてもらひました。


最後までお読み下さり、まことに、感謝いたします。ありがたうございます。



2022年8月3日 アントロポゾフィーハウス 諏訪耕志

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職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その二



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いま、アントロポゾフィーの学びの場が、日本においても各地で行はれてゐますし、オンライン講座といふスタイルでも、ネット上にたくさんの場が生まれてゐると思ひます。


わたしが創らうとしてゐるアントロポゾフィーハウスは、オンラインクラスだけでなく、恒常的な賃貸料などが生じないやうに、固定した場所を持たず、その時、その場で、アントロポゾフィーを学ぶべくリアルに人と人とが出会ふ場を意識的に織りなしてゆかうとしてゐます。


さう、その営みは、まさしく「織りなしてゆく」ものです。ある図柄を織りなしてゆかうとしてゐます。


その図柄とは、アントロポゾフィーから仕事を創りなしてゆく志を育てるといふ、精神からの意志の図柄です。


固定的な場を持たないが故に、その精神からの意志を持続することはとても難しいことです。しかし、だからこそ、より意識的になつて、やがては、ひとりひとりの学び手がこの学びの教へ手になり、これからの日本の社会に精神からの志を注ぎ込んでゆくことを促すひとつの母体となることを考へてゐます。


その意識を明確に持つのです。学び手自身も、その意識を明確に持ち、この学びの代表者として、みづから、ひとりで立ち、仕事をして行くといふ志を育てることです。それは、〈わたし〉の育みでありつつ、同時に、世の育みです。


(続く)

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職能を育むためのアントロポゾフィーハウス その一



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わたくし諏訪耕志がアントロポゾフィーを学んだのは、1990年代の新宿区高田馬場にあつたルドルフ・シュタイナーハウスといふ場においてでした。


そこでは、ほぼ毎日、大人のためのアントロポゾフィーの学びのための集まりがなされてゐて、わたしは、おほよそ七年間、毎日通ひ、アントロポゾフィーの基礎的な学びと、言語造形といふ芸術実践に勤しむことができました。そこでわたしは、明らかに、人生を貫く職能を育む道を歩み始めることができたのでした。


そのやうな場があつたからこそ、そして、そこで、我がこころとからだに精神のくさびを打ち込まれたからこそ、30年前の当時も今も変はらず、アントロポゾフィーといふ精神の営みがわたしを貫き続けてくれてゐます。まさに今もわたしの人生は、当時のあの場とあの時に支へられてゐるのです。


物理的な学びの場があるといふことは、本当にかけがへのない、貴重なことでした。


いま、そのやうな場が失はれて、久しい時が経つてゐます。


なぜ失はれてしまはざるをえなかつたのかといふことには、様々な要因がありますが、毎月支払はなければならないホールや事務所の決して少なくない額の賃貸料といふ負担が、会員からの会費だけが資本のいちNPO法人には重すぎたのでした。


(続く)

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2022年06月28日

芸術と精神への念ひを伝へたい  アントロポゾフィーハウス【青森三沢】



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大の大人たちが汗を流して演劇といふ芸術に取り組んでゐます。


これまで演劇をしたことのない方がほとんどです。


わたしたちは、シュタイナーの『ヨハネ福音書講義』の学びも同時に行つてゐます。


キリストといふ存在。そして、そのキリストを最初に地上で迎へた洗礼者ヨハネ。さらには、キリストが最も愛した弟子にしてこの『ヨハネ福音書』を書き記した新しいヨハネ(甦つたラザロ)。


わたしたちは、それらの方々への敬ひと尊びの念ひを深めつつ、劇創りに勤しんでゐます。


それは、この「イエス・キリスト生誕劇」そのものに対しての敬ひと尊びの念ひの深まりでもあるやうに感じてゐます。


このやうな集団の中に中学生の女の子がふたり参加してゐます。


わたしたち大人が汗を流してこの劇創りに取り組む姿を通して、彼女たちに、ものを創りゆくことの喜び、その行為に込める誠実さと真摯さ、そして何よりも感謝と敬ひの念ひが、そこはかとなく伝はればと希ふのです。


すべてが、本当に、ありがたい、出会ひです。




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2022年06月23日

夏、地を踏みつつ天へと羽ばたくとき



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毎月、青森の三沢で、今年のクリスマスに向けて、キリスト生誕劇創りのためのクラスを開いてゐます。

そこでは、演劇創りと合はせて、ルードルフ・シュタイナーによる『ヨハネ福音書講義』を毎回一時間講義させてもらつてゐます。

「ヨハネ福音書」。それは、前半と後半に構成が分かれてゐます。

前半が、洗礼者ヨハネについて。後半が、この福音書の書き手であるヨハネについて、です。

そして、いま、洗礼者ヨハネの誕生日(ヨハネ祭)を間近に控えるこの夏の日に、わたしたちは、キリストをキリストとして受け止めた最初の人、洗礼者ヨハネのことを学ぶのです。

彼は、みづからを、「ひとりにて呼ぶ者の声なり」と言ひました。(「荒野にて呼ぶ者の声なり」はふさはしくない翻訳ださうです)

「みんなで呼ぶ」のではなく、「ひとりにて呼ぶ」のです。

この「ひとりにて」といふところに、新しい時代の始まりがあります。

そして彼は、たつたひとりにて、キリストを、世の光を、陽の神を、この地に呼びました。

そのことは、何を、わたしたちに教へるでせうか。

それは、意識の目覚めです。

聴き耳をたてるのは、この<わたし>ひとりです。

誰も、わたし自身に代はつて、神の訪れを告げてくれる者はゐません。

意識の目覚めを生きる人は、協力し合ひますが、群れません。

そのひとりの<わたし>の内も内にこそ宿るのがキリスト・世の光だ、とヨハネ福音書は語つてゐます。

世の光、陽の神は、いま、この大地に立つひとりひとりの人のこころの真ん中に宿り、そこから、ヨハネの祭りのときを中心にして、夏の季節、広やかな天空の彼方へと拡がりゆかうとします。おほよそ二千年このかた、毎年です。

古代においては、この夏のお祭りにおいては、洋の東西を問はず、燃え上がる炎と共に、歌ひ、踊り、舞ひ、祈りを陽の神に捧げてゐました。

その時には、西の国では葡萄の実から絞り出したワイン、最も東の国、日本では、米から醸した酒によつて、その炎の祭りがいやがおうにも高揚したものになりました。

その夏の祭りの時にこの世に生まれた洗礼者ヨハネも、神と人とを結ぶべく、燃えるやうな情熱をもつてヨルダン川のほとりにて人々に洗礼を授けてゐましたが、ただひとつ、古代から引き継がれてきたものとは全く違ふ意識をもつてをりました。

それは、酒の助けを借りて高揚するのではなく、意識を目覚めさせて、たつたひとりでことをなすことでした。

高揚するとは、いはば、夢見つつ、神々しい天へと昇ること。

しかし、洗礼者ヨハネは、意識を目覚めさせることによつて、この大地にしつかりと足を踏みしめながら、天へと羽ばたく術を人々に与へてゐました。

それは、古代の在り方とは異なる、これからの人びとの夏の生き方を指し示してゐます。

さうして、つひに、冬のただなかにナザレの青年イエスが彼の前にやつて来たのです。

そのときから、おほよそ二千年が経ちましたが、そのような洗礼者ヨハネの生き方が、ゆつくりと、これからの多くの人の生き方になりゆくでせう。

わたしたちも、この夏、どういふ生き方をするかによつて、来たる冬の迎へ方が決まつて来るでせう。

一日の過ごし方によつて、人は、からだを満たしたり、不満を感じたりします。

しかし、人は、一年の過ごし方によつて、こころを満たしたり、不満を感じたりするのです。

ひととせを生きる。それは、こころの、ひとめぐりです。

そして、いま、夏を生きる。内的に。

今週の生誕劇クラスで、そのことをメディテーションと芸術実践をもつて、みんなと分かち合つてみたいと思つてゐます。




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2022年06月13日

問ひの矢を放つ



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和歌の浦の海



今日は、アントロポゾフィーハウス和歌山での言語造形と『いかにして人が高い世を知るにいたるか』の学びでした。芸術実践とメディテーションを織りなし合はせてゐます。


いかにして、からだ一杯、こころ一杯で、その時間に生じたことごとを受け止めるか。(シンパシー)


そして、次に、いかにして、その受け止めたことごとに向かつて、問ひを立てるか。「今日のこの体験は、わたしに、いま、何を教へようとしてゐるのか」といふ問ひの矢を放つのです。(アンチパシー)


そのやうに問ふからこそ、その問ふた人にのみ、いつの日か答へがやつて来ます。その答へが、その人によつて消化された知です。その消化された知こそが、その人の理想になりえます。(シンパシーとアンチパシーの重ね合はせ)


わたしたちは、そのやうなこころの活き活きとした働きをもつて、「理想」を稼ぐのです。


「理想」とは、その人によつて消化された理念であり、考へです。


その、わたしによつて稼がれた「理想」をもつて、わたしは世に仕へるべく、仕事を創つて行きます。


わたし自身、今日も、集まつて下さつた皆さんのお陰で、自分自身の問ひを立てることができましたし、その問ひは、ここ数年間、ずつと立て続けてゐる問ひでもあります。


危機が本当に迫つてゐるこの国に、一体、わたしは何ができるのか。未来の日本のために、子どもたちのために、わたしは何をすることができるか。


本当に、ずつと、問ふてゐます。毎日、問ふてゐます。


そして、きつと、その答へはやつて来ます。


わたしは、その答へを生きて行くのです。




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2022年06月06日

幼な子の夢見る意識を守ること



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先日の投稿で、宮沢賢治の『ざしき童子のはなし』の動画を投稿しましたが、そこでわたし自身改めて感じましたのが、幼い子どもたちの夢見るやうな意識を早々と目覚めさせずにゐることの大切さです。


幼児期に、見えないものを観る力を大切に暖め続けることができた子は、きつと、小学生や中学生になつて行つても、意志や意欲の強い子になります。そして、大人になつて、自分自身でみづからのこころを決めることのできる力を持つ人になりゆきます。


早急に意識の目覚めをさせてしまふことは、知性の早すぎる目覚めを同時に促してしまひます。


知性の早すぎる目覚めは、幼い子どもたちに特有の手足の動きをもつて大人のふるまひやことばを見よう見まねで習得していく力、すなはち、真似る力を失はせ、はやばやと自分の頭で考へさせるやうになつてしまひます。


下手の考へ、休むに似たり。


小さな頭でこざかしく考へることなど、なにほどのことでもない、といふことを子どもや若い人たちに教へることは大切なことです。そのこざかしさは、生涯にわたる禍根を残し、世に災ひを与へてしまひます。そのこざかしさは、悪知恵になるからです。


むしろ、考へる力が本来出て来るべき9、10歳あたりまでは、周りを真似る力、手足を用いて行ふ力をふんだんに育んでやることが大切です。


さうして、そのあとから、ふさはしい導きによつて子どもたちの考へる力を育んでやることができるなら、その力は子どもたちの中で、やがて、活き活きと育つ植物のやうに健やかに育ち、本質的なことを明瞭に考へることのできる、こころの強い芯、高く太い樹木となるでせう。


自分自身が考へることに信頼のおけることほど、大切なことはありません。


その考へる力には、促成栽培にはない、自然な成長の力、いのちの力、意欲の力が通つてゐることを実感するからこそ、その生命に対して信頼を置くことができるのです。にせものではなく、本物のいのちに対するおのづからな信頼です。


その考へに通ふ生命の力こそが、幼児期における夢見るやうな意識の保護によつて育つのです。


いま、「何が正しいことか分からない」と言ふ大人の声をこれほど多く聞くことになるとは、といふ忸怩たる思ひでゐます。


それは、自分自身で考へて、自分自身でみづからのこころを決められない大人の嘆きの声のやうに思へるのです。


それは、多くの国民の受けて来た幼児期から始まる教育からの、必然的な帰結です。


もう、これ以上、このやうな教育を続けて行つては、社会そのものが立ちゆかないことをはつきりと意識していい時が来てゐます。学校の先生だけに教育を任せてゐていい時代は過ぎ去つてゐます。


だから、この2020年代からは、ひとりひとりの大人が、未来の社会を担ふ子どもたちや若者たちを育てて行くために、自分自身が何ができるのかを考へて行くべき時だとわたしは考へてゐます。


本当に、考へて、何か、実際に、始めて行きたいと思ひます。




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2022年05月25日

いのちの洗濯と外の世の混乱に対する目覚め【アントロポゾフィーハウス青森三沢】



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とにかく、大人自身が健やかな息づかひを取り戻すこと。


こんな異様な世界の中で、まづはとにかく大人自身が伸び伸びと自分自身を表現すること。


自分自身を表現すると言ったけれども、正確に言ふと、精神に沿つて芸術に勤しむことによつて、自分自身をどんどん透明にしていくのです。


ひとりでも多くの大人が、透明になつてゆく。それは、嘘のない、自分自身に帰つてゆくことでもあるし、これまでにない心境に歩を進めるといふことでもある。


自分たちが創らうとしてゐるものは、そんないのちの洗濯をする学びと芸術の場を創るといふことであり、今日の【アントロポゾフィーハウス青森三沢】も、いのちを洗ひ、こころを息づかせ、精神に浸透される、そんな時間でした。


そして、このやうに精神にアクセスする時間を営むことと共に、いま、待ったなしのこととして、外側の世界の混乱にわたしたち大人は、どう向かひ合ひ、どう認識し、どう新しい活路を見いだしていくかを真剣に語り合ふ、ある意味、政治的な時間もがおのづから生まれたのでした。


大人として、精神へとこころを深めるからこそ、政治といふ外の世の仕組みをよりよくしていく営みについてこころを果敢に向けて行く時間を創つてゆく必要を感じてゐます。





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2022年05月19日

5/24(火)アントロポゾフィーハウス【青森三沢】子どもの教育の実践に向けて



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子どもの教育の実践を、どこから始めませうか。


学校教育以外のところに、どのやうな場を創つてゆくことができるでせうか。わたしたちは、いま、その必要性を感じてはゐないでせうか。


学校の先生だけにお任せすることから発想をより自由にして、わたしたち大人が総がかりで、未来の人たちに、何ができるでせうか。


アントロポゾフィーから、そのことを考へ、そして分かち合ひ、さらには何かを始めて行くことができないでせうか。


子どもは何に向かつて育てられてしかるべきなのでせうか。


それは、「自由」に向かつてです。


「自由」とは、その人がその人になりゆくことです。


自由、それは、人の理想を表す名です。


そして、世の平和とは、自由な人こそが勝ち取ることのできるものではないでせうか。


最も大いなる根底のことは、仕組みを作り変へることによる平和でもなく、力を持つことによる平和でもなく、ひとりひとりが「自由」になることによつて生まれて来る平和な世。


だからこそ、わたしたちが、まづ、みづから、「自由な人」となりゆくこころざしを持つて歩みだすこと。


そのために、「自由である」とはどういふことなのかを学び、そして、「自由になる」ためにはどういふ練習を積まねばならないかを知り、さらには、「自由な人として<わたし>は何ができるのか」を探りつつ実践していく。


わたしは、全く個人的にですが、その道を示してくれてゐるものとして、アントロポゾフィーを見いだしたのでした。


数限りない失敗を繰り返しながら、しかし、その道を自分自身で歩み続けて、さらには、ひとさまとその道を分かち合ふことを念願として生きてゐます。生かされてゐます。


人は、おのおの、道筋は違ひますが、「自由への道」「わたしが、ますます、<わたし>になりゆく道」は、共に学びながら、共に歩いて行くことができます。


子どもたちへの教育は、かならずや、わたしたち大人自身が「自由への道」を歩く人にならうとすることからなりたつてゆくはずです。


5月24日(火)9時半より13時まで、青森・三沢にて、そんな意識を持つてクラスをいたします。
フェイスブックのイベントページです。https://fb.me/e/2Cbt3FSco



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講師:
オイリュトミー 越中奉(えっちゅうたすく)
言語造形・講義 諏訪耕志(すわこうじ)
https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji
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●日時: 毎月第四火曜日 9:30〜13:00
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●場所: 自由学舎 中川塾
     青森県三沢市下久保1-4-6
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●タイムスケジュール:
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9時半   シェアリング
     (ことばの分かち合い、聴き合い)
     オイリュトミー
     (ことばや音楽に沿って動く芸術)
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10時15分  言語造形
     (子どもたちにお話を語りかけるためのことばの芸術) 
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12時    講義「これからの時代の子どもへの教育のあり方」
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13時   終わり
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●参加費: 3回連続ご参加 10000円
      単発ご参加 4000円
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●お振込み先
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// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041
スワ チハル
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// 他銀行から //
店名 〇ニ八(ゼロニハチ)
普通 2888904
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●お問い合わせ・お申し込み:
アントロポゾフィーハウス 諏訪
mail info@kotobanoie.net
tel 06-7505-6405

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2022年05月13日

文化の行い 〜仙台 シュタイナー教員養成講座〜



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人と人とが共に仕事をしていく上で、現代では、何を、どう、意識していくことが大切なことでしょう。


シュタイナーによる初めての教員養成講座(『普遍人間学』)では、そのことが冒頭にとても熱を込めて語られています。


それは、まこと、精神の学(Geisteswissenschaft)をもって、己れみずからを見てとり、人を見てとり、人と人との信頼を育むことにすべてが基づいています。


そして、「文化の行い」としての教育。「文化」とは「耕すこと」であり、つまるところ、「人を耕すこと」。


そう、わたしたちは、耕す人です。


人を耕す人になろうとしています。


この8月から始まるおひさまの丘 宮城シュタイナー学園での教員養成講座で、「文化の行ひ」としての仕事をしていくための技量を共に養っていきませんか。


ホームページに詳しく情報を掲載してゐます。
https://www.ohisamanooka-steiner.or.jp/kyouin-yousei

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2022年05月10日

自尊心を育てる土着の精神



昨日は和歌山の岩出にて、今日は滋賀の草津にて、アントロポゾフィーハウスのクラスをさせていただきました。


取り組んでゐるのは、言語造形と『いかにして人が高い世を知るにいたるか』といふ書なのですが、どちらのクラスにおいても、とても安らかで深く、親密な語り合ひ、談らひが織りなされます。


みづからのこころを育んでいく必要性を自覚してゐる方々が集まつて来られてゐて、そのためには、精神・靈(ひ)からのこつこつと繰り返される働きかけ(メディテーションと芸術実践)が要るのだといふ指針に沿つて、クラスが営まれてゐます。


そして、さらに、そこで打ち樹てられていくのは、かういふことです。


それは、そのやうにして、こころの成長を促し、こころを繰りなしていくことによつて、わたしたちは、世界中の誰しもに通じる普遍的な知識を得ること、高い世を知るにいたることを目指してゐるのですが、同時に、大切なこととして、民族性に立脚しない普遍性などありえない、といふことです。


自分自身を育んでくれた我が家族、我が地域、我が国の歴史をよく学び、固有の文化・風俗・習慣・精神を想ひ起こすことが土台となつて、初めて人はまことの普遍性、国際性へと伸び行くのです。


そのあり方は、きつと、子どもたちを育てて行く上でも大切な指針となります。


それは、子どもたちの、自分自身を敬ひ、尊ぶこころの力、自尊心を育てます。


自尊心、それは、決して他に対して驕り高ぶるこころのありやうではないはずです。


自尊心、それは、人に、謙虚さと優しさと真の強さを与へます。


これまで、わたしたちは、どれほど子どもたちの自尊心を育てることを怠つてきたことでせうか。どれほど、大人は自分自身の自尊心を傷つけてきたことでせうか。


ひとりひとりが己れのあり方を敬ひ、尊び、愛する、自尊心の育みのために、土着の精神を培ふことの大切さを、わたしたちアントロポゾフィーハウスはいつも肝に銘じ、21世紀の新しいアントロポゾフィー運動を粛々と進めて行きたいと希つてゐます。




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2022年05月05日

「ひと」になりゆく道 アントロポゾフィーからなる教員養成



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人と世についての単純ではない数多の知識。


そして光と影が交錯するやうな芸術体験。


でも、そのおほもとにしづかで安らかなこころ、安心、赦し、信頼が息づいてゐる。


まこと、「人」となりゆくための大人の営み。


それが、アントロポゾフィーからなる教員養成です。


靈(ひ)の灯るところ。靈(ひ)のとどまるところ。


それが、「ひと」です。


「ひと」とは、なんと、奇(くす)しき存在であり、奇(くす)しき名であることでせう。


「ひと」、それは、わたしたちの理想を表す名であり、「自由」の別名です。


子どもたちは、そんな「ひと」にならうと懸命に勤しんでゐる大人にこそ、信頼を寄せてくれるのではないでせうか。


大人自身が「ひと」になりゆくための教員養成講座、そのプレ講座にお集まりになつた皆さんすべて、この人生を真剣に生きたいと願つてゐる方々ばかりでした。


8月の本講座に向けて講師を務めさせていただくわたし自身も、新しく、全く新しく、「ひと」になりゆく道をますます歩いて行きます。


そして、その道を歩いて行く上で、最も本質的なことは何でせう。


それは、「ひと」になりゆかうとしてゐるわたしたちが恐れから自由になつて無私になること。


そして、わたしたちよりも高い精神の世の方々との共同作業をしていくといふことです。


その密(ひめ)やかな仕事がひとりひとりのうちでなされて初めて、自分自身を、人と人との集ひを、この地域を、この国を、この世界を、健やかにしていくための仕事をしてゆくことが赦される。さう実感してゐます。


杜の都・仙台にて、わたしたちも、また、始めました。


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「おひさまの丘 宮城シュタイナー学園」において、この二年間を通しての継続的なシュタイナーの学び(アントロポゾフィーと言います)の道を共に歩いてみたいという方々をお待ちしております。


8月5日から年4回、各三日間の実際に皆が集まっての講座に、同じ8月の第二週目の水曜日夜から始まる毎週のオンラインクラスをもって、わたしたちのシュタイナー教育教員養成講座が始まります。


ご関心のおありになる方、ぜひ、ご勘案下さい。


ホームページに詳しく情報を掲載しています。
https://www.ohisamanooka-steiner.or.jp/kyouin-yousei




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