2018年01月04日

木の国から明けましておめでたうございます


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有田郡の田殿丹生神社の後ろに控える白山の頂上にある白山神社にて


明けましておめでたうございます。
 
平成三十年は、紀の国(木の国・氣の国)・和歌山を歩き廻ることから始めました。
 
樹木のやうに、深く根を張り、幹を太く、枝葉を大空一杯に拡げていきたい。
 
そんな念ひです。
 
今年もどうぞよろしくお願ひいたします。

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伊太祁曽神社にて



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2017年12月30日

息長くあれ 〜生田の杜の息長帯比売命〜


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わたしたちが大事に大事に念つてゐる神々のお一柱に、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)がゐらつしゃる。
 
又の名を神功皇后(じんぐうこうごう)とおつしゃられ、その御勲功、御業績は、日本の国史に深々と刻まれてゐる。
 
昨日足を運んだ神戸三宮にある生田神社は、その息長帯比売命によつて創建せられた数ある社の中のひとつだ。
 
天照大御神と御関係の深い稚日女尊(わかひるめのみこと)を御主祭神としてゐる。
 
その生田神社の奥の生田の杜(もり)の更に奥に、息長帯比売命をお祀りする生田森坐社(いくたのもりにますやしろ)があり、そこを歳の終はりに訪れた。
 
神気満ち満ちる杜の中、いつさう息を長くお帯らしくださる(満ち足らせてくださる)姫神の息吹きにからだまるごとを貫流されるやうな時間。
 
今年のすべての仕事と暮らしが健やかであれたことへの感謝と来たる年への希みをこころの内で宣べることができた。
 
かうした行為は、決してかりそめにはできないことだと信じてゐる。
 
最後は、寒い三宮の夜、「ことばの家」ふたり忘年会。

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2017年10月09日

日本の秋祭り(生根神社)


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長女が氏神様の大阪住吉の生根神社の神輿巡行に参加させていただく。
 
本気で汗を流し、神さまのために働く大人たちに囲まれて、五時間近く、暑い日差しの中、練り歩き、太鼓を打ち鳴らし、声を張り上げ、神輿を運ぶことに、大勢の人と一緒に仕へることができた、この体験。
 
本当に、素晴らしい。
 
娘も、家に帰って来てから、「夏の祭りもよかったけど、男たちが燃えるのは、秋やな。ほんま、よかった、ほんま、よかった」と何度もつぶやいてゐる。
 
次女も住吉の神さまの御田にかかしを立てて、今年の豊作にかかわらせてもらつたが、早く大きくなつて自分も神輿巡行に参加したいと、ごねて仕方がない。
 
日本各地で、この秋祭りが行なはれてゐる。
 
日本には、ありがたいことが、本当に多い。

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 住吉大社にて


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2017年08月24日

瀧蔵神社・笠山荒神社 〜大和にをける出雲人との繋がり〜


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瀧蔵神社


奈良の三輪山の東に連なる泊瀬山(はせやま)。

麓にある長谷寺からその山を車で20分ほど登つてゆくと、出雲といふ部落。

そこは、古代の禊場(みそぎば)であつた。
 
そこには、瀧蔵神社といふ古代からの社がひつそりと鎮まつてある。
 
山上のこの瀧蔵信仰が基となつて、長谷寺が建てられたさうだ。
 
そこには、以前から何故か行きたい気持ちがあり、昨日、妻と二人で車を駆つて行つてきた。
 
また、その神社に隣りあふやうに鎮座されてゐる笠山荒神社(かさやまかうじんじや)へもお参りする。
 
いずれも出雲の人の信仰圏をわたしたちは歩いたことになるやうだ。
 
そこに惹きつけられるといふことに不思議を感じる。
 
なにせ、笠山荒神社には、いつさい表立つては知られてゐないが、スサノオノミコトといふ出雲と関わりの深い神の址があつた。
 
そこには、日、月、星の印がつけられた三本の剣が地に樹てられてゐる。
 
あまりにも不思議な印に、茫然とする。 

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笠山荒神社の隠れたところにましますスサノオノミコトに関わる址。

 
そして三輪山の西に出て檜原神社へ、さらに北に進んで穴師座兵主神社(あなしにますひょうづじんじゃ)へ。
兵主神社にお参りしている最中から、遠い空で雷が鳴りだした。
 
鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原の山を今日見つるかも
(『萬葉集』1092 柿本人麻呂歌集より)
 
人麻呂は、穴師の山人・神人の古のこころを歌ひあげた歌人である。
 
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檜原神社


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巻向あたりから西へ二上山を望む。



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2017年07月19日

地域の安寧 〜生根神社さんの夏祭り〜


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大阪市住吉区のわが氏神様である生根神社さんの夏祭り。
長女が子ども太鼓で参加。
 
真夏の炎天下、太鼓を打ち鳴らしながら、お神輿と共にうぶすなを巡る渡御式。
 
この儀式の内的な力によつて、どれほど、わたしたちの地域の安寧が保たれてゐるか。本当にありがたく、かたじけない念ひ。儀式を毎年、粛々と続けて下さつてをられる方々に感謝、感謝・・・。
 
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昨夜の宵の宮では太鼓お披露目。
演劇仲間の『丹生都比売』メンバーと一緒に。
子どもも大人も一緒になつて夏の夜のひとときを過ごす。 

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2017年06月28日

山の姿をした樹木 〜鹽竃神社を訪ねて〜


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鹽竃(しほがま)神社。
 
和歌山駅から車で20分ほどのところの和歌の浦と呼ばれてゐる海辺の神社に夫婦でお参りしてきました。
 
御祭神は、山幸神を竜宮へといざなはれた鹽槌翁尊(しほづちのおじのみこと)です。
 
この社は「輿の窟(こしのいわや)」と呼ばれてゐた岩穴の中に鎮座されてゐます。
 
その薄暗い岩の壁を見ると、それは巨大な樹木の根そのものでした。
 
この社の御神体は、山の姿をした巨大な巨大な樹木でした。
 
写真に写つてゐるこの山がすべて樹木からできてゐるやうでした。
 
この山の頂上に登ることができました。
 
岩肌がすべて樹木でした。
 
そもそも生きて動いてゐた植物状態の地球が、だんだんと死したものとなつて固体化してゐるのが、わたしたちが足の下に踏んでゐる土や岩石なのでせうが、このやうに山まるごとが樹木であつた面影をまざまざと残してゐること、そして、その山に包まれるやうにひっそりと鎮まつてをられる鹽竃(しほがま)神社に、驚嘆と畏怖の念ひを抱きました。
 
聖さを湛へたそのひそやかな穴の中の空間で、しばらくわたしたちはじつとしてゐました。


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2017年02月02日

大伴氏への念ひ 〜鳥坂神社、橿原神宮をお参りして〜


今日は、奈良の橿原をひとりでぽくりぽくりと歩きました。
 
わたしは、いま、萬葉集の作品を舞臺化することに取り組んでゐます。
その萬葉集を編纂した大伴家持と云ふ男が、わたしの中で大きな存在に感じられてきてゐるのです。
 
ちなみに、わたしが住まひを定めて、「ことばの家」を營んでゐる大阪の帝塚山は、奇しくも古代、大伴部一族の屋敷があつたところです。
帝塚山古墳も家持の祖先である大伴金村のものだと云はれてゐます。
 
また、奈良の佐保川の邊り、聖武天皇の御陵のすぐ前にある「日+月+星」で、今囘の舞臺をさせてもらふことになりました。
その佐保は、家持が自身の文藝サロンを開き、多くの美しく才長けた女性たちと共に、日本の歌の美を磨き上げた場所でもあります。
 
帝塚山も佐保も、わたしの意識の外で導かれた場所なのです。
つい最近、さう云ふご縁に氣がつきました。
不思議ですね。
 
 
 
そんな大伴氏への意識から、今日は、まづ、その大伴家持の祖先である、道臣命(みちおみのみこと)が創建なされた、鳥坂神社へ足を運びました。ご挨拶と何かしらのお禮をお傳へしたくなつたのです。
 
鳥坂神社は、大伴氏の二祖神、高皇産靈神と、その子、天押日命(あめのおしひのみこと)を祭神としてゐて、高皇産靈神は國創りに、天押日命は天孫降臨の際大功あつた神です。
そして、道臣命もまた、大伴部を率ゐて神武天皇の東征を援け、功績のあつた方でありました。

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道臣命が創立された鳥坂神社

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鳥坂神社内の幾柱もの末社。手前の木の根元に鎮座されているのは住吉大明神。
縄が切れてをられたので、結わひつけさせてもらつた。

 

その神社にお參りしたあと、次に行く橿原神宮までの道のりで何故か、急に感情がこみあげてきて涙がぽろぽろこぼれてしまひました。
 
そして、日本第一代の天皇、神武天皇をお祀りしてゐる橿原神宮を訪れました。
 
雪が羽毛のやうに天から舞ひ降りる中、重みのある澁い面持ちでそこにをられる。
いまだに坐(ゐま)せられてゐる。
そんな神々しさを感じます。

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橿原神宮の外拝殿(げはいでん)


 
更に、その神宮の末社である長山稻荷社。
その赤い鳥居を幾つもくぐつていくうちに、神の懐へ入り込んでゆく嚴肅な感覺に包まれるのです。
言靈の神でもあられる豐受氣大神(とようけのおほかみ)をお祀りしてゐるからでせうか。
この稻荷社は、橿原神宮御鎮座以前からこの長山の地にお祀りされてゐたさうです。
 
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畝傍山をうしろに長山稲荷社



大伴家持が萬葉集と云ふことばの藝術を記録する際に貫いた、志と精神。
それをことばでいふことは簡單ではないですが、いま、「大君への念ひ」といふことばが、わたしの中に響きはじめてゐます。
 
橿原の道を歩いてゐて、懐かしい故郷の道を踏んでゐるやうな、もう二度と戻れない子どもの頃に急に歸つたやうな、感情の搖さぶりを覺えたのはなぜなんだらう、さう想ひながら歸つてきました。


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2017年01月29日

新年(旧暦)の祈り 〜止止呂支比賣命神社に参りて〜


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今日は夫婦ふたりして、まつたくのお休み。
ゆつくりゆつたりと過ごした一日。
 
近くの止止呂支比賣命神社(とどろきひめのみことじんぢや)に、
お參りして、舊暦の新年を改めて祝ひ、お祈りを捧げました。
 
ここは、御祭神に素戔嗚尊と稻田姫尊をお祀りしてゐる神社で、
また承久3年(1221年)、
後鳥羽天皇が行宮(かりみや)をお立てになつたところです。
 
我が國の隱遁詩人の系譜の先人として松尾芭蕉が私淑してゐた、
後鳥羽院です。
 
日本のことばの藝術の行く先を見はるかし、
その一筋の道を守り通した、
後鳥羽院の立たれた地に自分が立てることの、
かたじけなさを念ひました。
 
そして、わたしたちの「ことばの家」の行く末を、
一心にお祈りさせてもらひました。

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2016年12月18日

若宮様のおん祭り


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昨日、奈良の御蓋山を背に抱く春日大社の攝社である、
「若宮神社」のおん祭りに足を運びました。
 
大雨洪水により饑饉、疫病が蔓延し、
丁度880年前、時の關白藤原忠通公が萬民救濟のため、
若宮の神の御靈威にすがられ、
お祭りをしたのが始まりださうです。
 
參道のすべての明かりを消し、冩眞撮影も嚴禁される中で、
眞夜中の十二時、
若宮神社本殿から、
若宮神をお旅所と云ふ行宮(あんぐう)へお遷しし、
そして、次の眞夜中の十二時までに本殿へお還りいただく。
 
わたしはその内のお晝間に行はれる、
お渡り式から行宮前でのお旅所祭までを拜見しました。
 
神にお出ましいただき、
その前で祈りと感謝を捧げる人々の營み。
その嚴肅さ、その美しさに、
わたしは激しくこころを打たれました。
 
いつの日か、
冬の真夜中の儀式に參加したいと思ひます。
 
誘つてくれた友人と、
そのことに就いて、
また來年からの新しい仕事・プロジェクトに就いて、
たつぷりと語りあへたことも本當に有難い、嬉しいことでした。

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2016年12月04日

失はれていく記憶 〜明治神宮、靖国神社、そして讀書の學〜


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夫婦楠。明治天皇神と昭憲皇太后神の強い結びつき。
 
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左端に写つてゐる男性の真摯な念ひに満ちた立ち姿がとても印象に残つてゐます。


 
何ごとも時あるものと知りながらなほいそがるる人ごころかな
(明治三十八年)
 
明治神宮へ參拜してきました。
この歌は南手水舎に12月に奉掲されてゐる明治天皇の御製歌です。
 
それにしても、原宿や澁谷と云ふ街に隣接しながら、
なんといふ神々しさをこの社と杜は湛えてゐることか。
 
たくさんの外國からの旅行者らしき人々がをられましたが、
わたし自身、その神々しさを肌身に感じることができ、
自分が日本人であることの歡びを足の下から感じることができたのでした。
 


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次の日、幕末から昭和の大東亞戰爭の時までに、
この國を守るために戰はれた英靈の方々をお祀りしてゐる、
靖國神社に初めて參拜できました。
わたしにとつては念願の日でした。
 
靖國神社は明治二年(1869年)に、
明治神宮は大正九年(1920年)に創建されましたが、
雅いとも云へるこの二つの社にこのたびお參りすることができ、
わたしは東京といふところが、
このふたつの社にいまだ強く守られてゐることを感じたのでした。
 
 
明治維新の時、それはいまから百五十年ほど前、
大きくふたつの意識が混沌の中で沸騰してゐたやうな時でした。
 
古い固有の文化・文明を守り通してきた日本。
そして、これから世界に向けて開かれていく新しい日本。
 
この古い日本と新しい日本の狹間で、
その混沌を奇蹟的にひとつにまとめ束ねられた明治天皇。
 
それまでの日本といふ國がどのやうな歴史の道を歩んできたか、
と云ふことに對する確かな深い洞察をもつてをられたからこそ、
明治天皇はあの時代を導く精神の體現者であり、
牽引者となられたのだらうと思ふのです。
 
ちはやぶる神のひらきし道をまたひらくは人のちからなりけり
(明治三十六年)
 
いま、といふ時代が、日本といふ國に何を求めてゐるのか。
この時代に、日本と云ふ國は世界に向かつて何をもつて立つのか。
 
そのやうな自分自身に重なる問ひを抱きながら、
水道橋で行はれた、
一般社団法人日本平和学研究所 月例講座(讀書の學) 
に參加し、『昭和精神史』の著者、桶谷秀昭氏と、
『小林秀雄の後の二十一章』の著者、小川 榮太郎氏、
おふたりの謦咳に接することができました。
 
桶谷氏から小川氏へと受け繼がれてゐる、
尊い理想への靜かだけれども熱い情熱と、
いつさうの深い悲しみに觸れたやうに感じたのでした。
 
わたしたちは破壞されていく日本の風景と、
失はれていく美しい記憶の果てに、
いつたい、どのやうな甦りを摑むことができるのだらう。
 
きらびやかな東京の夜の街を通り拔けて、
深夜大阪に歸つてきました。
 

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2016年10月24日

秋の大和路 巻向の神人たち


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今日はあまりにもお天氣がよくて、
こんな秋の日にはどうしても行きたくなり、
妻を誘って、またまた三輪山の邊りを歩き廻りました。

わたしは、古事記で語られ、萬葉集で歌われている場所に立ち、
その場にいまだに生きている神々と人々の思いを全身で感じたい。
 
妻は、より精神的、直感的な感覺から、
古代の神々や人々と、
自分自身とがリアルに繋がっていることを確かめたく思っていて。

JR櫻井線の卷向(まきむく)驛で降りて、
三輪山の北に續く卷向山に入っていき、
第十一代垂仁天皇の纒向珠城宮跡(まきむく たまきのみやあと)、
そして、第十二代景行天皇の纒向日代宮跡(まきむく ひしろのみやあと)を訪れました。

秋の日の光を浴びながら、どこかに水の流れを聽きながら、
その卷向山へなだらかに登っていく道は、
わたしたち二人に明るく開かれた暖かい思い、
そしてなぜかとても懷かしい念いを抱かせるのでした。

その卷向山の西の麓に擴がる地は、
纒向遺跡(まきむくいせき)というところで、
そここそが邪馬臺國であったとも云われているそうです。

そして、この卷向は、昔、穴師(あなし)とも呼ばれていて、
萬葉集歌の頂きをなしたと思える柿本人麻呂は、
この穴師出身の山人(やまびと)であり、
山人は、すなわち、神人であった、
そう保田與重郎が書き記しています。

  卷向の痛足(あなし)の川ゆ往く水の絶ゆることなくまたかへり見む
  卷向の山邊響(やまべとよ)みて往く水の水沫(みなわ)のごとし世の人われは


絶ゆることなくまたかへり見む。
水沫(みなわ)のごとし世の人われは。

わたしも、こころの中で、今日、そう歌っていました。
柿本人麻呂歌集中の歌として萬葉集に收められている歌です。


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そして、さらに山道を奧へと入っていき、
穴師坐兵主神社(あなしにいます ひょうず じんじゃ)を訪れました。

そこは、もうことばでは何も言えないほどの、
靈的な何か、精神的な何かを、わたしにもたらしたように感じました。
保田は「社殿の構へには蒼古幽遠の俤(おもかげ)が濃い」ということばも殘しています。
妻は、そんな保田のことばは知らず、
その場にいてとても靈的な感覺を語っていましたが、
わたしもその感覺を共有したように感じています。

そのあと、山の邊の道を南へ、
檜原(ひばら)神社から大神(おほみわ)神社へと下っていきました。

大神神社に着いた途端、待っていてくれていた樣に、
御神輿が鳥居前に擔がれてきました。
一年の内最も大切な祭であろう、
新嘗祭である秋の大神祭がおこなわれている最中でした。

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2016年10月16日

鎭魂(みたましづめ)・三輪山


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昨日、南 ゆうこさんご一家と一緒に、 
家族そろって奈良の大神(みわ)神社に参拝したあと、
そこで齋祀(いつきまつ)られている三輪山に初めて登ってきました。
 
山そのものが神であると。
だから山に入るということは、
神さまの體のうち、胎内に入ることだと、
登山前に神社の方が傳えてくれました。
 
御神體(ごしんたい)の内に入ってゆく、
その一歩一歩に、
様々なことを感じながらの登山でした。
 
いろいろな予備知識や教義はおいておき、
感覺を洗い、研ぎ澄ませながら、
ただ御山に向かうこと。
 
そうして、下山したあと、
我が國の古い神道における自然(かむながら)觀念で
「鎭魂(みたましづめ)」のことを想い出しました。
 
そもそも、その「鎭魂(みたましづめ)」とは、
ふたつの意味合いをもっていました。
 
ひとつは、
わが體(からだ)から離れていこうとする魂を、
身の内に蔵(おさ)め、
こころを鎭め、落ち着けること。
 
もうひとつは、
世の萬物に満ち満ちて行き渡っている、
靈妙な精神をわが身の内に取り入れ、
魂を太らせていくこと。
 
全身に滝のような汗を流しながらの、
昨日の御神體(ごしんたい)・三輪山への登頂下山は、
そのふたつの徳用(さきわい)を共に感じさせてくれたように思います。
 
そして、驚いたのは、
子どもたちが裸足になって、
三時間近くかけての登頂下山を成し遂げたことです。
 
神に近い彼らは、羽が生えたように御山を、
ほとんど駆け足で駆け上り、駆け下りていきました。

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2016年08月07日

聖と俗の両立 〜丹生川上神社への參拜と川遊び〜


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奈良県東吉野の丹生川上神社へ參拜に。
 
家族の役割として、
男性であるわたしは、
行く先を決め、その場所までみんなを連れて行く。
 
三人の女性は、
その場で杉の樹に触れながら樹木と語りあい、
社の靈気に包まれ、
社の前を流れる川の水で身を濯ぎ、遊ぶ。 

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ここの御祭神「罔象女神(みづはのめのかみ)」は、
水一切を司る神様。
 
吉野宮滝ではなく、
この丹生川上の神域こそ吉野離宮であると、
考えた研究者、文人も多く、
萬葉集を讀んでいくにつれ、
わたしもその想いが深まっている。
 
この社から車で五分ほど東へ入っていった所に、
「ふるさと村」があって、
約百年前に建てられたという小学校校舎を中心に、
宿泊や食事や温泉のためのセンターがある。
 
夏の川遊びに大勢の人が來ていて、
愉しい「俗」の空閧ェそこにしっかりと営まれている。
 
一方、少ない人しか來ていないようだったが、
神の社や、お宮址といった「聖」なる空閧焉A
強固な意志で保持されている。
 
ひとつの場所が栄えてゆくには、
そのような「俗と聖」とが両立していること、
そして、現代においては、とりわけ、
「聖」のあり方を大事に育む意識を、
子どもたちに傳えていくことが大切だと痛感している。
 
「俗と聖」を體(からだ)いっぱいに感じる、
毎年、我が家の夏の恒例行事。

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2016年06月15日

住吉大社の御田植神事


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御田植神事に先立ち御田の代掻きを荷ってくれる斎牛。

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早苗を捧げ持つ植女(うえめ)。

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昨日、我が氏神様である住吉大社の御田植神事に参詣。
 
神功皇后がここ住吉(すみのゑ)の地に水神様をお祀りするためにお社を据えられたのが、約千八百年前。
 
その時から毎年行われている古式ゆかしい神事だ。
 
我が国の神話では、
お米を作ることは、神様からことよさしされたこと。 
 
その厳粛さをもって、いまだに営まれ続けている。
 
お米は、太陽の光と熱をいっぱいに浴びて、
わたしたちのからだのなかに入り、
内なるお陽さまの力として、
毎日を生きていく力となる。
 
そのことへの信仰。
なんと古き素朴な信仰であろうか。

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2016年03月04日

鳥見山靈畤(とみやま まつりのには)


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寒さが緩み、風に春の訪れを感じた今朝、
我が国最初の天皇、神武天皇が、
天皇即位の祭り(大嘗祭)を、
いまからおよそ二千六百七十年以上前になされた場所に行ってきました。
 
奈良県櫻井市の等彌(とみ)神社に控える鳥見山の、
その頂きにある靈畤(まつりのには)です。
 
樹々のあいまから覗く春の青空と輝く陽の光りにまみえながら、
山道を登りに登って辿りついたその畤(には)は、
誰もいず、しいんとしておりました。
 
青く広がる大空と、
この靈畤(まつりのには)という小さな小さな場の間に、
太古の昔から今も引き続いているような精神的な働きが、
盛んに行き来し、呼応しあっていることを全身で感じ、
こころをひそめ、
山を降りてきました。
 
祭りの場、それは、神との交流の場であり、
また、舞台芸術の原型を造形していた場であること。
 
いまは見失われているかのような、
我が国の信仰のあり方を、
舞台芸術とのかかわりのなかで、
もっと探っていこう、
そう考えながら、山を降りてきました。


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