今日は、奈良の橿原をひとりでぽくりぽくりと歩きました。
わたしは、いま、萬葉集の作品を舞臺化することに取り組んでゐます。
その萬葉集を編纂した大伴家持と云ふ男が、わたしの中で大きな存在に感じられてきてゐるのです。
ちなみに、わたしが住まひを定めて、「ことばの家」を營んでゐる大阪の帝塚山は、奇しくも古代、大伴部一族の屋敷があつたところです。
帝塚山古墳も家持の祖先である大伴金村のものだと云はれてゐます。
また、奈良の佐保川の邊り、聖武天皇の御陵のすぐ前にある「日+月+星」で、今囘の舞臺をさせてもらふことになりました。
その佐保は、家持が自身の文藝サロンを開き、多くの美しく才長けた女性たちと共に、日本の歌の美を磨き上げた場所でもあります。
帝塚山も佐保も、わたしの意識の外で導かれた場所なのです。
つい最近、さう云ふご縁に氣がつきました。
不思議ですね。
そんな大伴氏への意識から、今日は、まづ、その大伴家持の祖先である、道臣命(みちおみのみこと)が創建なされた、鳥坂神社へ足を運びました。ご挨拶と何かしらのお禮をお傳へしたくなつたのです。
鳥坂神社は、大伴氏の二祖神、高皇産靈神と、その子、天押日命(あめのおしひのみこと)を祭神としてゐて、高皇産靈神は國創りに、天押日命は天孫降臨の際大功あつた神です。
そして、道臣命もまた、大伴部を率ゐて神武天皇の東征を援け、功績のあつた方でありました。
道臣命が創立された鳥坂神社
鳥坂神社内の幾柱もの末社。手前の木の根元に鎮座されているのは住吉大明神。
縄が切れてをられたので、結わひつけさせてもらつた。 その神社にお參りしたあと、次に行く橿原神宮までの道のりで何故か、急に感情がこみあげてきて涙がぽろぽろこぼれてしまひました。
そして、日本第一代の天皇、神武天皇をお祀りしてゐる橿原神宮を訪れました。
雪が羽毛のやうに天から舞ひ降りる中、重みのある澁い面持ちでそこにをられる。
いまだに坐(ゐま)せられてゐる。
そんな神々しさを感じます。
橿原神宮の外拝殿(げはいでん) 更に、その神宮の末社である長山稻荷社。
その赤い鳥居を幾つもくぐつていくうちに、神の懐へ入り込んでゆく嚴肅な感覺に包まれるのです。
言靈の神でもあられる豐受氣大神(とようけのおほかみ)をお祀りしてゐるからでせうか。
この稻荷社は、橿原神宮御鎮座以前からこの長山の地にお祀りされてゐたさうです。

畝傍山をうしろに長山稲荷社大伴家持が萬葉集と云ふことばの藝術を記録する際に貫いた、志と精神。
それをことばでいふことは簡單ではないですが、いま、「大君への念ひ」といふことばが、わたしの中に響きはじめてゐます。
橿原の道を歩いてゐて、懐かしい故郷の道を踏んでゐるやうな、もう二度と戻れない子どもの頃に急に歸つたやうな、感情の搖さぶりを覺えたのはなぜなんだらう、さう想ひながら歸つてきました。
posted by koji at 23:53
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神の社を訪ねて
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