2023年06月16日

四年ぶりの住吉さんの御田植神事






米といふ、わたしたちのいのちを支へてくれてゐる神からの授かりもの。


何百年、いや何千年にわたつて毎年毎年繰り返されて来た、神への感謝を捧げる祭祀が、この三年間中止されてゐましたが、四年ぶりに甦りました。


広い御供田の真ん中にある舞台の上で、神楽女(巫女)八人による八乙女舞が始まると、田から上空に向かっていのちの流れが立ち昇つて来るのですね。それを見守つてゐるわたしも、そのいのちの流れの恵みに与かることを感じます。


そして、その神事を祭るべく、田の周りを装束に身を包んだ大勢の者が練り歩き、田植歌が歌はれ、踊りが踊られ、かうして、街中、住宅街の中であるのにもかかはらず、古い様式を守り続ける住吉さんは、日本といふ国がある限り引き続きます。


そんな日本といふ「くに」を引き続かせたい、さういふ念ひを仲間たちと一緒に分かち合ひながら、見守ることができたお田植神事なのでした。





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2021年08月06日

神々の社


海をお渡りになり、この国を護られた息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)が建てられた住吉大社(すみのえのおほやしろ)。

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そして、海の神、竜宮の神であられる豊玉彦命(とよたまひこのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が祀られてゐる大海神社(おほわだつみのかみのやしろ)。

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大阪に帰つて来て、「ただいま、帰りました」とご挨拶に。


住吉大社と大海神社は境を接してゐます。


この領域に一足でも踏み込むやいなや、特別な神々しい息吹きにまるごと包まれるやうな感覚をいつも必ず感じるのです。


海と密接な関はりにあるこれらの社は、やはり海の女神のもつかのやうな優しさとおほらかさ、そして同時に芯の強さをわたしに感じさせてくれるのです。


今日も、そこは、本当に、美しい場であり、美しい時が流れてゐました。


この美しさが、ずつと、二千年近く、いや、もつとでせう、人々によつて護られて来たのです。


ここに来るたびに念ふことですが、この聖らかな美しさが、子の代にも、孫の代にも、未来とこしへに続きますやうにとお祈りせずにはゐられません。


少なくとも、我々のご先祖様たちは、ずつと、この美しさを護り続けて来て下さつたのです。


わたしたち、令和に生きてゐる者のすることは何か、本当に、大切なことを考へ、話し合ひ、護つてゆかねばならないものを護るのだと、こころに決める必要がある。さう念ひました。


この地球の始まりから終はりまでの時の流れの真ん中にあるキリストといふ方のことが、アントロポゾフィーにおいては、学びの深みに流れてゐます。


そのキリストといふ神なる存在と、この日本に言ひ伝へられ、語り伝へられ、護られ続けてゐる神々の存在との関係は、到底、この地上の観点や学識などでは、分かりえないことです。


そのどこまでも尊いご関係は、わたしたちが高い世を知るにいたるとき、初めて、伺ひ知ることの許されることだと思ひます。


わたしたち令和の代に、アントロポゾフィーを学び、生きる者として大切にしていきたいことはこのこと。


まつすぐに立ち、両手を合はせて、お辞儀をしながら、意欲的に手足の働きをもつて、みづからよりも遥かに高い方々に対する「うやまひ」と「とうとび」そして「へりくだり」のこころもち・情を培ひつづけてゆくことです。

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2020年12月11日

愛宕神社 岩手 日高見国



一昨日、新幹線で青森の八戸から秋田に向かふ途中で、勘違ひして、いわて沼宮内駅で一時間半過ごさねばならぬ羽目になつたのでした。


そこで駅を降りて北上川の上流に沿つてずつと歩いていきました。そこは、日高見国(ひだかみのくに)と呼ばれた土地だと看板にあります。わたしがこの春演じた「をとめとつるぎ」といふ戯曲にも日本武尊がこの日高見国まで征旅に赴いたことを扱つたものですから、その奇遇に様々なことを想ひました。


ずつと北上川沿ひに歩いて行くと、愛宕神社の前に出たので、山道を登つて参拝しました。


冬の最中にも関はらず、汗を流しながら山頂まで登り、愛宕神社の前に額づきました。そこは、迦具土神(かぐつちのかみ)がお祀りされてゐるのでした。


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昇りくる朝日に照らされながら、岩手の風景を山頂から見下ろし、冠雪した岩手山を遥か西に見渡してゐますと、迦具土神といふ火の神(母・イザナミの神を死に追ひやつてしまつた神)が自分をここまで招いたのだ、といふ不思議な感覚がやつてきました。


そして、日本武尊も、きつと、ここに立つただらう。そんな気がしたのでした。


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2020年09月03日

接触し浸透し合ふ感覚 〜半木(なからぎ)の神の杜〜



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半木(なからぎ)の杜に鎮まる半木神社。
(京都府立植物園内にある)


いまだ真夏のやうな暑さをくぐり抜けて、
杜の中に入つてゆくと、
静かさと涼しい風ひとひら・・・


天の岩戸開きのとき、
占ひを司られた神である、
天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀るこの社。
奈良時代からの土地柄から、
絹織物の守護神としても信仰されてゐたと言ふ。


主宰神の御性格やその御名さへ、
庶民の信仰の自然な移り行きからなり変はることにも、
日本ならではのおほらかな信仰のありやうが感じられ、
ありがたい。


わたしは、これからは、
こころと精神の織物を
新しく仲間と協力しながら織り上げていくのだと、
お宮の前で予感し、感謝の念ひを感じてゐると、
物凄い風がわたしを吹き抜けて行つた。


濃密でとても親しい接触。


土、水、風、熱、
そして光のなかに、
そのやうな接触する感覚、
浸透し合ふ感覚があつて、
それを憶えてゐるやうにしてゐる。


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2020年05月14日

祈り

 
 
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今からおほよそ二千年ほど前にも、
この国に、
天災、疫病、打ち続き、
民たち多く死にゆきて、
ところ定めずさすらひて、
叛(そむ)く者あまた出で来たつたさうです。
 
 
ときの第十代・崇神天皇、
御眞木入日子印恵命
(みまきいりひこゐにえのみこと)は、
その窮状を治めようとなされて、
祈りに祈られたことが、
古事記、日本書紀、それぞれに記されてあります。
 
 
すべてが、
己れの至らなさゆゑだとお考へになられ、
御苦衷の程、いかなるものであつたでせう。
 
 
三輪山の、西の麓にある、
お宮址の、
磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや)、
そして、
崇神天皇をお祀りしてゐる、
大神神社の末社である天皇社に、
お参りしてきました。
 
 
なぜか、ここには、幾たびも、幾たびも、
通ふやうにお参りしてゐます。
 
 
わたしたちも、
この長いお籠りの時を経て、
天岩戸開きのやうに、
きつと、遠からず、
次の歌のやうなやりとりが、
わたしたちの間でもなされることと、
信じてゐます。
 

 
此の神酒(みき)は 我が神酒ならず やまと成す
大物主の 釀みし神酒 幾久 幾久(活日)
 
 
味酒 三輪の殿の朝門にも
出でて行かな 三輪の殿門を(諸大夫)
 
 
味酒 三輪の殿の 朝門にも
押し開かね 三輪の殿門を(崇神天皇)
 
 

いま、今上陛下も、
どれほどお祈りされてゐらっしゃることでせう。

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2020年04月11日

たましひの願ひ 〜建部大社にて〜



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日本武尊を御宰神とする、
滋賀の瀬田にある建部大社。
 
 
そこからいただいた願ひ石をお返しに、
足を運びました。
 
 
 
願ひ石 建部のやしろに お返しす
桜の花の 散りゆくまぎわに
 
 

人と話さず、
神と話しに行く。
 
 
そこでは、本当は、
「願ひ」をかけるのではなく、
ただ、ひたすら、
「ここに、かうして、
 生かされてゐることがありがたいです」
とお伝へするだけなのですね。
 
 
神の顕れとして、
やしろが、木々が、桜が、苔が、
ありありとあります。
 
 
そのすべてが、
神の願ひの顕れだと感じられます。 
 
 
きつと、
人の意識の表面にある願ひではなく、
たましひの奥底にある願ひこそ、
神はすでに聴き取られてゐるやうに思ふのです。
 
 
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2020年03月24日

わたしが、つるぎをとります〜「 をとめ と つるぎ 」に見る神功皇后〜


 
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静かさに満ちてゐる住吉のやしろ。
 
 
朝ごとに参るたびに、
この地を産土の地として、
生きてくることができたことを
仕合はせに思ふのです。
 
 
これほどに美しいところであつたか。
神のゐますところ、かくも近くあつたか、と。

 
今回のわたしたちの舞台
『 をとめ と つるぎ 』は、
ここの御宰神であられる、
住吉三神と神功皇后の御登場によつて、
幕が閉められます。
 
 
神功皇后(劇中では息長帯比売命)は、
突然、御崩御された仲哀天皇に代はられ、
天照大御神の御こころを受けられた
住吉三神の御神勅のままに、
征戦を率ゐ給ひて、
韓の国に船で向かはれます。 
 
 
このときの御進発に当たつての、
全軍に下された神功皇后の御ことばが、
日本書紀に記されてゐます。
 
 
――――
 
 
吾(あ)れ婦女(たをやめ)にしてまた幼し、
しかれどもしばらく
男貌(ますらをのすがた)をかりて、
あながちに雄略(ををしきはかりごと)を起し、
上は神祇(あまつかみくにつかみ)の
霊(みたまのふゆ)を蒙(かがふ)り、
下は群臣(まへつきみたち)の助けによりて、
兵(つはもの)を起して高き波を渡り、
船を整へてもつて財の土(くに)を求めむ。
もし事ならば群臣ともに功(いさをし)あり、
事ならずば吾(あ)れ独り罪あらむ。
すでにこのこころあり、それ共に議(はから)へ。
 
 
――――
 
 
ここに、
「事ならずば吾(あ)れ独り罪あらむ」とは、
住吉の三柱の大神の御神勅のままに、
事を決する一大決心を述べられてゐます。
 
 
臣下にもし罪があつて、
事が不成功に終はつたとしたら、
その罪はすべてご自身にあると、
申されてゐます。
 
 
わたしたちの劇では、
神功皇后はかう申されてゐます。
 
 
「わたしが、つるぎをとります」
 
 
最大の男性性の体現であり、
また神の意をそのままに受け入れられる、
最大の女性性の体現者。
 
 
その方が、神功皇后であります。
 
 
このたびの劇には描かれてゐませんが、
御子の応神天皇を補佐する、
その後の御摂政でも、
神功皇后は政治を執り行ふときは、
ことごとく、
神の意を聴きながら、
なされたやうです。
 

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神功皇后が鎮まられてゐる第四本宮。朝日に浮かぶオーブが美しい。

 
 
言語造形劇『 をとめ と つるぎ 』
https://kotobanoie.net/play/
大阪公演3月28日(土)
東京公演3月29日(日)

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2020年02月18日

建部大社を訪ねて


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日本武尊様をお祀りする、
滋賀県の建部大社に足を運びました。
 
 
今回の舞台『 をとめ と つるぎ 』にて
登場されるお方のひとりです。
https://kotobanoie.net/play/
 
 
琵琶湖から流れ出る
瀬田川からほどないところに
鎮座ましましてをられます。
 
 
よく舞台創りをしてゐる者が揃つて、
神前にていねいにお参りしますよね。
 
 
そのこころもちがよく分かるやうになりました。
 
 
日本ならではの懐かしい、
素晴らしい風習だと思ひます。
 
 
ものづくりといふものは、
人間だけでしてゐることではない、
といふ感覚です。
 
 

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2019年12月28日

明治の精神 乃木神社


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東京の乃木坂にある乃木神社にお参りをしました。
 
 
御祭神に、
乃木希典命、乃木静子命
とあるのを見るだけで、
胸に迫るものを覚える。
 
 
この御夫婦の精神は、
当時でさへも理解できないものが数多ゐて、
志賀直哉などは、
この乃木夫妻の殉死を
「浅はかな下女の振る舞ひ」
と決め付け、嘲笑したと云ふ。
 
 
夜になつて、
明かりが灯され、
ひとり、ふたりと、
粛然と参拝されては、
帰つて行かれる。
 
 
この社を包む夜の静かさと冷気の漲り。
 
 
わたしにとつては、
ふさはしい年の瀬のひとときでした。


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2019年05月19日

天野の奥之沢明神にて


先日、妻とふたりで、和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にまします丹生都比売神社にお参りしました。
 
妻が「ひめの会」に参加してゐる間、わたしはひとりで奥之沢明神で時を過ごすことができました。
 
その御祭神、丹生都比売(にふつひめ)の大神が天野の里に初めてお入りになられたと伝へられる奥之沢明神。

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 森の静かさ
 沢の流れ
 梢から梢へ
 鳴き渡る鳥
 風と光が
 安らかさを
 はこびくる
 いまだ
 女神のまします
 奥之沢
 われ包まれてあり

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2019年04月27日

霊ある土 と 導きの人


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霊の力ある土を採り、神に捧げる器を作る。
 
それは、その土あるところの土地をしろしめすことでもありました。
 
それは天つ神の子孫である倭朝廷・皇室にとつては、抵抗勢力であつたその土地その土地にゐる地祇(くにつかみ)系の豪族たちをしろしめすことでもありました。 
 
大阪の「住吉大社」は毎年、祈年祭・新嘗祭の前に、奈良県にある畝傍山 (うねびやま) の埴土 (はにつち) を採って くる神事を、古来行つてゐます。
 
その伝統的行事が、住吉大社が皇室の神事に仕へてゐたことをいまも示してゐるやうです。
 

 
その埴使(はにつかひ)が畝傍山の頂上にて埴土を採る前に、祓ひを受け、禊ぎをし、神饌、祝詞を捧げ、玉串を奉り、拝礼をする神社があり、一つ目の神社が、清流曾我川の畔にある雲名梯(うなで)神社で、二つ目が橿原神宮に隣する畝傍山の西の麓にある畝傍山口(うねびやまぐち)神社。
 
昨日、林芳江さんに、二つ目の畝傍山口神社に連れて行つていただきました。
 
その神社、所在地が分かりにくく、なかなか辿り着けないでいたところ、ひとりのをじさんが現れ、その神社まで連れて行つて下さいました。その方の笑顔が、なぜか、とても印象に残つてゐるのは、不思議です。わたしたちにとつては、まるで、塩土老翁(しほつちのをじ)が現れてくださつたやうでした。ちなみに、神武天皇が天の香具山に埴土を採りに行かせた者は、椎根津彦(しひねつひこ)でありました。導く人です。
 
その神社には、神功皇后と表筒男命、そして豊受比賣命がお祀りされてゐます。
 
すなはち、住吉大社の二柱の神々がお祀りされてゐるのです。
 
その神社独特のすがすがしさ。
 
さきほど書いたをじさん、そしてここへ連れて来て下さつた林芳江さん、わたしたちにとつては、導きの人であるやうに思へて来るのでした。

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2019年03月29日

古き歌響きし 倭笠縫邑


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次女と山の辺の道を歩いた。
 
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今日のお目当ては、山の辺の道の中ほどにある、桧原(ひばら)神社。
 
元伊勢である、この神社の地は倭笠縫邑(やまとかさぬひのむら)といふ古称を持つ。
 
天照大御神はそもそも、天皇陛下と共にお宮に住まはれてゐたが、第十代崇神天皇のとき、天皇と離れ、皇女・豐鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)を斎皇女(いつきのひめみこ)として、この倭笠縫邑にお鎮まりになられた。
 
大御神が倭笠縫邑にお鎮まりになられた神人分離の最初の夜、宮人たちは、夜もすがら、この歌を歌つたといふ。
 
 宮人の大夜すがらにいさとほし
 ゆきのよろしも大夜すがらに
 
どんな想ひで、この歌を唱和したのだらう。

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大和路や古社・旧跡を訪ね歩き、その雰囲気をからだで味はふこと。
 
それは、日本の子どもにとつてたいせつなことだと思ひ、毎年一緒に歩いてゐる。



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2019年03月10日

古の人

 
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琵琶湖の西岸の少し奥に入つた所に鎮座まします近江神宮。
 
寒の戻りか、とても寒く、小雨降る中、人気も少ない。
 
ここは、天智天皇の大津宮跡ともいはれてゐる。
 
壬申の乱の兵火ですべてが灰塵と化し、当時、その華やかだつた都の荒れ果てた様を何十年か後に見て、高市黒人(たけちのくらうど)が旧都を偲んで歌を歌つてゐる。
 
 
 ささなみの国つみ神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも (萬葉集33)
 
 
歌人が歌の念ひに見舞はれた当の地にわたしも実際に足を運んで、そこでその歌を朗唱してみる。
 
そこにじつと立ち尽くせばこそ、歌に秘められてゐる深い情念が味ははれることがある。
 
どのやうことがここで起こり、どのやうな悲しみが人々を襲つたのだらう。
 
また、黒人による別の歌がある。
 
 
 古(いにしへ)の人に我あれやささなみの古き都を見れば悲しき (萬葉集32) 
  
 
「古の人」。これは単にむかしの近江の旧都の人といふ意味ではない。
 
神と己れの身体とがまだ離れてゐない状態を生きた人のこと。
 
たいせつにしなければならないさういふ人、さういふ精神が失はれていくことを偲びに偲んで、黒人は歌つた。
 
なぜ、たいせつにしなければならないか。
 
それは、たいせつにしなければならないものごと、人の想ひ、人の精神ほど、たやすく忘れられてしまふからだ。
 
さういふものは極めて繊細ななりたちをしてをり、時を経て、志ある人が、その壊れやすさゆゑ、たいせつに護り育て、後代に伝へようとして来た。
 
そして、そのやうな繊細なものを扱ふことのできる人は、いついつも、極めて少数の限られた人であるかもしれない。
 
「古の人」とは、いつの代にもをられる、さういふ人のことである。

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2019年01月06日

光の矢 〜往馬大社を訪ねて〜


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大阪と奈良の県境にある生駒山の東の麓に鎮座されてゐる往馬(いこま)大社。
 
そこは、夫婦神、伊古麻都比古神(いこまつひこのかみ)と伊古麻都比賣神(いこまつひめのかみ)がお祀りされてゐます。
 
生駒山を御神体に生駒谷十七郷の氏神としてお祀りされてゐますが、毎年秋に火祭りが行なはれてゐることから火の神としてもお鎮まりになつていらつしやるやうです。
 
火の神といふことは、日の神、陽の神であります。
 
その往馬(いこま)大社に差し込む陽の光の矢。
 
樹木を火で燃やすことから生まれる煙、それは陽の光の対極にあるものですが、それゆゑに、その煙の中を貫く陽の光が明瞭に空間に顕れてゐます。
 
それは天から射放たれた矢。
 
それは、稲を稔らせ、人のこころと生命を賦活させます。
 
そして、古くは、海人族が日の神を招ぎ迎える神事の具が、弓矢だつたさうです。
 
そのなにゆゑかが、前住吉大社宮司の真弓常忠氏の幾冊もの著作にて考察されてゐます。
 
1月13日のお弓はじめと云はれてゐる住吉大社の御結鎮神事(みけちしんじ)との関はりも気になつてゐます。
 
それらのことがらが、日本の精神の世でとても複雑に絡みあつてゐるやうです。
 
そこから、なぜ、往馬大社に、気長足比賣尊(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)、足仲津比古尊(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇)、譽田別尊(ほむだわけのみこと・応神天皇)等の方々がお祀りされてゐるのかも、より深い見地から見いだされていくかもしれません。
 
神社に今も伝はつて残されてゐる神事、祭事を訪ねる。
 
そして、長い長い皇室の伝統を身をもつて顧みる。
 
さらに、それらをその精神の躍動するままにことばの芸術として記してゐる古典文学。
 
それらを少しずつでも体験、精査していくことで、日本の精神を芸術的に探求しつつ、この時代を活き活きと生きて行くことへと繋がるならば・・・。
 
そんな希ひをもつてゐます。

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2018年11月02日

日本武尊は、いまも、動いてゐる 〜白鳥神社・白鳥陵古墳(古市)を訪ねて〜


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白鳥神社の拝殿の中

今日は、日本武尊のゆかりの所を訪れたくなり、家から一番近い、大阪府羽曳野市古市の白鳥神社と白鳥陵古墳に足を運ぶ。
 
ここのところ戯曲をずつと書き続けてゐて、そこに尊が登場される。
 
かうして、遥かな過去を生きた伝説の方々のゆかりの地を訪れるといふ行為をどうして自分はせずにはゐられないのだらう。
 
なかば、分かつてゐて、なかば、分かつてはゐない。
 
分かつてゐることをここに書いても仕方がないやうに思ふ。
 
その分かつてはゐないところに、汲めども汲めども尽きない、人と人とを時を越えて繋げ、貫いて流れてゐる精神の命があるに違ひない。
 
そんな何かをこの世に記したい。
 
それは、文字でも、ことばの響きでも、ないやうに思ふ。
 
文字や響きの向かうにありありとある、何らかの動きである。
 
尊は白鳥となつて、この御陵からも天駆け去られたといふ。
 
日本武尊は、いまも、動いてゐる。
 
その動きに学びたい。

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白鳥陵古墳の向かうに二上山が望まれる。

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大阪・名張 言語造形公演『山月記』
11月30日(金)・12月1日(土)
https://kotobanoie.net/play/
 
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2019年1月開校!
『言語造形と演劇芸術のための学校』
https://kotobanoie.net/school/

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2018年10月06日

姫嶋神社 〜阿迦留姫命を訪ねて〜


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姫神が鎮まられてゐる社へ通ふ日々が続いてゐます。
 
大阪市西淀川区にある姫嶋神社。
 
阿迦留姫命(アカルヒメノミコト)が御主宰神です。
 
並んで、神功皇后と住吉大神がお祀りされてゐます。
 
この姫神の由縁が「古事記」その他に記されてあります。
 
朝鮮の新羅にて、赤い玉から化身されたといふアカルヒメノミコトが、夫であつた天之日矛(アメノヒボコ)から逃れて、祖国に帰ると言つて、小舟に乗つてこの姫島の地に辿り着かれました。
 
そして、この姫嶋といふ地で、女性たちに機織りや裁縫、焼き物や楽器などを教へたさうです。
 
男とは異なる、女ならではの手の仕事をもつて、たいせつな何かを伝へられたのではないでせうか。
 
新羅から摂津の姫嶋までの逃避行の、そのときの彼女の情を思ひつつ、この地に新しい文化の営みをもたらされた、その精神の強さ、しなやかさをも思ひ、家族でこころを寄せながら社前に祈りを捧げてゐると、またしても、優しく心地よい風が吹き寄せて来て、雲が吹き払われ、青空に輝く陽の光がさんさんとわたしたちに降り注ぐのでした。
 
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2018年10月01日

大鳥羽衣浜神社 〜両道入姫皇女を訪ねて〜


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今日から、神無月(かみなづき)とも言はれる十月ですね。 
 
台風が過ぎ去つた今日、秋の麗らかな陽射しと青空があまりにも気持ちよく、妻と羽衣(はごろも)にある大鳥羽衣浜神社にお参りに行きました。
 
日本武尊(やまとたけるのみこと)の后、両道入姫皇女(ふたぢいりひめのみこと)をお祀りしてゐる社です。
 
いま、日本武尊をお支えになられた女性たちをテーマにした戯曲を書いてゐるのですが、両道入姫皇女に御挨拶をしたかつたのです。
 
その社の拝殿の前でお祈りをしますと、傍にある楠の大樹を吹き抜ける優しく喜びに満ちた風と輝く陽の光が、二人を包んでくれたやうな感覚でした。
 
二枚目の写真の楠の樹木の左横の部分に、なぜか神々しい方がをられるやうな気がして、画面上の写真を見ながらその部分に手を当ててみると、暖かいものが伝はつてくるのでした。

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2018年08月25日

御聖蹟の地、丹生川上神社中社


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夏休み最後の娘たちとの小旅行。
 
奈良県東吉野郡にある丹生川上神社中社へのドライブ。
 
ここは、高天原から紀伊国伊都郡に天降(あも)られた丹生津姫命が、改めて米作りを国々に伝へられるべくご巡幸の起点とされた水分(みくまり)の地であります。
 
また、神武天皇が大和国御平定の折、天つ神のみことのりに基いて、親しく天神地祇を祈り給ひし御聖蹟の地であります。
 
また、天武天皇、持統天皇をはじめとして歴代天皇が足しげく通はれた吉野離宮址でもあります。
 
ここは、とりわけ、禊ぎ、祓ひを執り行ふ祭祀の場でありました。
 
わたしたち家族は、なぜか、この場に惹きつけられて、毎年、夏に通つてゐます。

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2018年08月13日

初めての大海神社の月次祭


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今日、初めて、住吉大社の摂社・大海神社(おほわだつみのかみのやしろ)の八月(はづき)の月次祭(つきなみのまつり)に臨むこと叶へり。
 
懸けまくもかしこき海の神、豊玉彦神・豊玉姫神のいと近きところにて、膝まづき祈りを捧げることを許されたり。
 
小出英詞権禰宜の奉る祝詞の響き、五臓六腑に沁み渡ること覚へたり。
 
ありがたきことなり。

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2018年03月10日

古(いにしへ)の人 〜近江神宮を訪ねて〜


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昨日、琵琶湖の西岸の少し奥に入つた所に鎮座まします近江神宮に初めて参拝した。(車で送つてくださつたMさん、どうもありがたうございました)

寒の戻りか、とても寒く、小雨降る中、人気も少ない。

ここは、天智天皇の大津宮跡ともいはれてゐる。

壬申の乱の兵火ですべてが灰塵と化し、当時、その華やかだつた都の荒れ果てた様を何十年か後に見て、高市黒人(たけちのくらうど)が旧都を偲んで歌を歌つてゐる。


ささなみの 国つみ神の うらさびて 荒れたる都 見れば悲しも (萬葉集33)


歌人が歌の念ひに見舞はれた当の地に実際に足を運んで、そこでその歌を朗唱する。

そこにじつと立ち尽くせばこそ、歌に秘められてゐる深い情念が味ははれることがある。

どのやうことがここで起こり、どのやうな悲しみが人々を襲つたのか。

そのことに想ひを深めていくことが、文学の道であり、歴史の道であり、わたしのいのちの道である。

また、黒人による別の歌がある。


古(いにしへ)の 人に我あれや ささなみの 古き都を 見れば悲しき (萬葉集32) 


「古の人」。これは単にむかしの近江の旧都の人といふ意味でない。

日本の神のこころと身体とがまだ離れてゐない状態を生きた精神のことだ。
 
さういふたいせつにしなければならない精神が失はれていくことを偲びに偲んで、黒人は歌つた。

なぜ、たいせつにしなければならないか。

それは、たいせつにしなければならないものごと程、たやすく忘れられてしまふからである。

さういふものごとは極めて繊細ななりたちをしてをり、代々、志ある人が、その壊れやすさゆゑ、たいせつに護り育て、後代に伝へようとして来た。

そして、そのやうな繊細なものごとを扱ふことのできる人は、いついつも、極めて少数の限られた人であらう。

「古の人」とは、いつの代にもをられる、さういふ人のことである。

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【ことばの家 諏訪 平成三十年度クラスのご案内】
 
●言語造形クラス
https://kotobanoie.net/spra/

●和歌(やまとうた)を学ぶ会
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●生誕劇を演じるクラス
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●普遍人間学そして言語造形を学ぶクラス
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●名張・言語造形を体験する会『ことばを聴く 語る』

講師: 
諏訪耕志 (「ことばの家 諏訪」主宰 )

日時: 
4月16日(月) 10:00〜13:00

場所:
三重県名張市内 (お申込み頂いた方に詳細をお知らせします)

参加費: 
3,000円

お問い合わせ・お申込み: 
ことばの家 諏訪 
 e-mail info@kotobanoie.net
 Tel 06-7505-6405

プログラム:
10:00 お話しを語るワークショップ
(言語造形を体験していただきます)

12:00 お話しに耳を澄ます朗読会 
(言語造形による語りを聴いていただきます)

「風呂に入るお地蔵さん(名張の昔話)」 南ゆうこ
「和泉式部日記」より 森野友香理
「蛇の輪(創作昔話)」 諏訪耕志

12:45 シェアリング

(全員で感想を語りあい聴きあいましょう)

13:00 終了



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