2018年06月16日

ぬばたまの黒き斎牛 〜住吉の御田植神事にて〜


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時間の隙間を見て住吉大社にお参りに行くと、御田植神事であつた。
 
神事を観る時間があいにくなかつたのだけれど、御田の代掻きを奉仕する「斎牛(さいぎゅう)」が、お祀りを前にして待機してゐるのを間近に拝むことができた。
 
今年は、京都の祇園祭で牛車を引いてゐる牛が大阪の住吉まで来てくれたさう。
 
黒光りする偉大な姿。
優しい目。
何事かを語つてをられる。
 
 
ぬばたまに 輝く黒は かむがへる
遠きあの世を とはにかきはに

 
諏訪耕志
 
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2018年05月21日

あそべ をさな子よ


世界といふものは、人を通して、ものごとを通して、ある勢力をもつて、わたしの内側へ押し寄せ、なだれ込んでくる。
 
しかし、こちらの努力が幾層にも積み重ねられてゐれば、なんにも怖くない。
 
しつかりと、立つてゐられる。向かひ合へる。取り組むことができる。そして、こちらのものにすることができる。
 
だから、努力できるといふことは、ありがたいことだ。
 
頑張つて準備できる意欲があるといふことは、何にもましてありがたいことだ。
 
この意欲の力がわたしの内側に根付いてゐるのは、おそらく、子どもの頃、たくさん遊ばせてもらへたからだ。

 
生涯を生き抜いていく力の秘密は、子ども時代にある。



をさな子よ その草深野(くさふかぬ) 踏みしめよ
時つらぬきて おほぞら拓けよ

 
諏訪耕志

 

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2018年05月19日

わらしべの瞳


次女のかさねと遊ぶために、小学四年生の同じクラスの男の子が我が家に訪ねて来た。
 
かさねが家にゐなかつたので、わたしが玄関に出てその子としばらく話しした。
 
その時のその子の瞳の力が物凄く感じられて、わたしは全身に強く輝く光を浴びたやうに感じた。
 
ちょつとたじろぐ位だつた。
 
 

わらしべの 我にもの言ふ そのまなこ
黄金(こがね)輝き 神しゐませり

 
諏訪耕志
 

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2018年05月09日

春過ぎて・・・


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足引きの 卯月の山を 越え来たり
駆け入る五月(さつき) 緑したたる
 
一日(ひとひ)ごと 移ろう春の ながめかな
されどこころに 杖衝き立てむ

 
諏訪耕志

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2018年04月23日

すみのえの松の面影

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今日、住吉大社の松の木を見上げた時、遥か昔にこの同じ場所で、この松の木を見上げたことを憶ひ出したやうな気がして、なぜかこころが高鳴る。
 
みあげれば まさをき空に 
すみのえの 松のすがたの 春の面影
 
諏訪耕志

 

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2018年03月19日

長女ノ卒業式ニテ


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今日は、長女の小学校卒業式でした。
 
こんなに涙が溢れて來るなんて、自分でも驚きました。
 
この東粉浜小学校の先生方、地域の方々は、チームになつて、子どもたちを暖かく、時には、とても熱く、見守つて下さつてゐる。
 
本当にありがたいことです。
 
お陰様で、娘も成長してゐます。
 
それにしても、こころ揺さぶられる式だつたなあ。
 
式の後は、感慨深く夫婦でほつと一息つきました。
 
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やうやうに 己れの櫂で 漕ぎゆけよ
この津 住吉(すみのえ) 海原開けむ
 
 
諏訪耕志

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2018年03月05日

風荒れて


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絵:フリードリッヒ「海辺の修道士」


風荒れて 水面乱れに 乱れりし 
この悲しみよ 我らを祝へ


諏訪耕志


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2018年02月27日

山の風


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昨日、山を登つてゐて、山の高みに向かつて歩いていくことは、本を読むことと似てゐると思つた。 
 
自分が自分であるために本を読むやうに、山を歩く。森を歩く。川辺を歩く。
 
文章といふもののもつ香気によつて自分自身を洗ひ流していくやうに、わたしたちは木の間からやつて來る光と風によつてみづからを洗ひ浄める。そしてそもそも持つてゐた、こころざしといふものを念ひ起こす。
 
高いところに吹く風は、人を多かれ少なかれ、素直にするのではないか。
 
また、よくよく目を見開いて歩くことの大切さを思ひ出させる。感官を開いて、やつてくる感覚をひとつひとつ目一杯味ははうとすると、山や空や風や光がものものしくものを言ひ出す。
 
本を読むときも、目を精一杯見開いて、一語一語、一文一文を噛みしめるやうに、読む。
 
さうすると、本といふ「自然」が、ものものしく読み手にものを言ひ出すのだ。
 
さて、人が書くものには、文体・文の相(すがた)といふものがあつて、それは、書き手その人の後ろ姿を見せてくれる。
 
文章とは、人の内的な姿・相である。
 
 
 文章といふのは、
 その功(こう)
 広大熾盛(こうだいしじょう)で、
 その徳(とく)
 深厚悠久(しんこうゆうきゅう)な、
 実に人間の仕事の中での
 一の大事といつて然るべきものである。
 
 
幸田露伴の『普通文章論』の冒頭の一文を思ひだす。
 
人は、そのやうな内的な姿が虚空に刻みだされたやうな文章によつて、「人といふもの」に出会えた喜びを感じることができる。
 
そして、山の風、光、雨粒も、何かを人に伝えようとしてゐるやうに感じる。
 
 
 われもまた 高みにのぼる そのごとに
 風をまとひて 風になりたし
               諏訪耕志

 

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鳥見山靈畤に佇みて


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奈良県桜井市にある鳥見山の頂上には、靈畤(まつりのには)がある。
 
ここは、我が国の初代天皇、神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)、神武天皇が、橿原宮に即位後四年にして、最初の大嘗祭(おほにへのまつり)を執り行つた場所である。
 
天上の斎庭(ゆには)の稲穂を地上の水田に植ゑて、高天原と同じ風儀を地上に実現すること。
 
それが、高天原をしらす天つ神・天照大御神から孫たる天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)が、天孫降臨のときに事よさしされた神勅のひとつだつたことが、『古語拾遺』に記されてゐる。
 
そのときの大嘗祭は、その神勅に対する天孫(すめみま)御一人による最初の厳粛な御返礼であり、御振舞であつた。
 
では、橿原宮即位の後、大嘗祭を行つたのがなぜ四年後なのか。
 
それは、米作りを中心にする国内の産業体制を整へるのに三、四年掛かつた末、満を持して、といふことである。
 
そのやうに、我が国では、暮らしを健やかになりたたせえたことに対する感謝の返礼を神に報ずることを祭りの本体とし、信仰の枢軸としてきた。
 
昨日、最初の大嘗祭が執り行はれた、その小さな聖地に、しばし佇む。
 
こころとからだが鎮まり、精神が目覚める。
 
晴れ上がつた青空から、突然、雨つぶが落ちてきた。
 
 
 み空より 落ちくる雨の しづく受く
 靈畤(まつりのには)は 何を語らむ

              諏訪耕志

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2018年02月16日

もの言はぬ古き友


旅にゆくときの楽しみのひとつは、出発前に持つてゆく本を選ぶことだ。
 
つひ、たくさん鞄の中に入れてしまふ。
 
持つべきは 古き友なり もの言はぬ 
ともなる旅路 時を忘れむ

 
諏訪耕志
 

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2018年02月06日

感情が擦り切れるやうな時間の中に


毎日を生きてゐると、楽しいことや喜ばしいことばかりではなく、悲しみや怒りに包まれ、苛まれることがある。
 
でも、さういふ、感情が擦り切れるやうな時間の中に、何かがあると思ふ。
 
遠いところからの呼びかけ。
 
何かを保て、といふ呼びかけ。
 
崩れるな、といふ呼びかけ。
 
人は、誰しも、戦つてゐるのではないだらうか。
 
さういふ、聞こえるか聞こえないかの呼びかけを聴きとらうとして。
 
 
おほうみに 小舟(をぶね)浮かべて 渡りたし
綱手悲しく ゆくへ知らずも

 
諏訪耕志


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2018年01月28日

地の靈(たま)


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旅カラ帰宅スル道スガラ・・・。
 
帰るみち われを迎へむ 地の靈(たま)は
夢かうつつか われを迎へむ

 
諏訪耕志






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2018年01月21日

夜ノ床ニテ


夜ノ床ニテ

小夜更けて あはれ拙し この身かな 
悪しき夢見に まほらみつめむ

吾が胸に 片ほほあてて まどろみし
寝息しづかに 三日月の夜


諏訪耕志


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2018年01月06日

和歌の学び 〜大歌聖としての明治天皇〜


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和歌(やまとうた)の学びは、まづ、先人の歌つた歌を一首一首深く味はひながら、できる限り数多く見て読んで声に出して歌ふことが肝心なことではないかと思つてゐる。
 
『萬葉集』はこの国で最古の詩歌集であり、最高の詩歌集であり、一昨年あたりから漸く、わたし自身はその『萬葉集』の魅力に腰を据えて触れ始めた。
 
さらに、本年平成三十年は明治維新より百五十年目といふまことに記念すべき年であるゆゑか、元日より明治天皇のお歌を集めた御集に触れ始め、その御歌心のみずみずしさ、清新さ、若年時から示される懐の深さ、剛毅さに、たちまち魅了され、驚嘆措く能はずといふ毎日を過ごしてゐる。
 
歌は、人のまごころを表す。
 
そもそも、政治のおほもとは、歌なり。法とは、そもそも、人のまごころからの生き方を高らかに歌ひ上げるものであつた。
 
よつて、明治天皇は、驚異的に御多忙を極める当時の御政治の只中にこそ、歌を歌はれ続け、歌道こそが、この日の本の国を根柢に於いて支へるものであり、決してそれが有閑時の戯芸でないことを、その御生涯をもつてお示しになられた一大歌聖であられた。
 
その歌は、教訓を民へと垂れるやうなものではなく、すべてがご自身のこころの奥底から溢れ出づる御述懐であるゆゑに、まことのことばの芸術がもたらす徳用(さきはひ)となつて、わたしたち民間人(草莽の民)のこころの糧となるものである。
 
下の歌は、明治天皇の御年十八歳から二十一歳(満十六歳から十九歳)の時の御製歌。
 
天地自然の循環の道に従ひ給ふこと、この国の古(いにしへ)からの政治の根本であり、かつ、おほらかで、雄大な御気風の趣きをはやくから示されてゐる。
 
 
 千代よろづ かはらぬはるの しるしとて
 海辺をつたふ 風ぞのどけき
 
 
 ふく風も のどかになりて 朝日かげ 
 神代ながらの 春をしるかな
 
 
 日にそひて けしきやはらぐ 春の風
 よもの草木に いよよふかせむ



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2018年01月02日

初春の神のやしろ


我ガ氏神様ノ生根神社、ソシテ大海神社ニ初詣ニ訪レテ。
 
初春の 神のやしろに つどひくる 民よ 我らよ
神代(かみよ)し念ほゆ

 
諏訪耕志
 
 
詩、歌、とりわけ、和歌(やまとうた)は、まごころだけが載る、不思議な文藝。日本の文學のおほもとである和歌を、今年はさらにもつと学んでいきたい。こころとことばの不即不離なありやうにもつと通じていきたい。さうして、先人の跡を尋ねていきたい。

文藝、文學とは、ことばの道。
 
それは、人のこころの道であり、磨けば磨くほどに、ことばとその人がひとつになりゆき、その人がますますその人になりゆく道である。
 
だから、文學史とは、その国の人のこころの歴史であり、また同時に、文學論(人とは、いかにして、人となりゆくか)でもある。

詩人とは、「人は、いかにして、人となりゆくか」を神に問ひ続ける人である。
 
そして、我が国の詩人たちは、土着のことば、先祖たちから手渡されたことば・やまとことばを通して、己れのこころの源を探り、己れのこころを先祖の方々と結ぶことで民族の血に繋がることを祈願し、未来の子孫たちにその精神を繋げることを乞ひ願つたのだ。
 
わたしは、言語造形を通して、我が国の詩人たちに連なつていきたい。

 
  

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2017年12月31日

年ノ瀬ヲ迎ヘテ・・・


年ノ瀬ヲ迎ヘテ・・・。 
 
ほとばしる 川の流れの 神の声
岸辺を洗ひ 我れここに立つ

 
 
 
青ク晴レ渡ル大空ノ下、聳エル富士山ヲ新幹線ノ車中カラ望ム。
 
いくたびも ゆきて過ぎしか その御前(みまへ)
天(そら)みつ神の こころはるけし

 
 
諏訪耕志

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2017年12月23日

天長節ヲオ祝ヒシテ


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天長節ヲオ祝ヒシテ
 
たたなづく 青垣山の あなたより
いやさかのぼる 光はるけく
 
我が内に 宿りし光 
いづこより 来たれるものか 吾(あ)は知りぬる


諏訪耕志

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2017年09月18日

前川佐美雄『植物祭』より


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昨夜の窓に叩きつける雨がすつかり上がつて、今日は美しい一日だつた。
 
そして、ひとつの仕事が終わり、大きなため息をひとつ〜。
 
一冊の歌集にまた救はれる。
 
 かなしみはつひに遠くにひとすぢの
     水をながしてうすれて行けり
 
 野の家にすこしはなれて佇(た)ちをれば
     風吹き来(きた)るあをき空より

 
          前川佐美雄『植物祭』より

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2017年09月05日

君待つと わが恋ひをれば 

 
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君待つと わが恋ひをれば 
わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く  額田王

  
この萬葉の歌を声に出してみる。
 
さうすると、「君待つと わが恋ひをれば」までの響きには、「君」を待つどこか張りつめたやうな激しい想ひの漲りが感じられる。(この「君」とは、天智天皇であられる)
 
その、希みではち切れるやうな、静止のありやうが、吐き切られる息の中で満々と感じられる。
 
しかし、次の「わが屋戸の」でその静かさが崩れ、「すだれ動かし」で女のこころを揺さぶるやうな動きへと移つてゆく。
 
最後に、「秋の風吹く」が響き終わつた後、「もののあはれ」とはかういふものかといふ感覚に包まれる。
 
 
 
川端康成は、戦時中、『源氏物語』を耽読して、そこに平安王朝の雅の男女の、こころの図が描かれ続けてゐるのを、「明るさ」と見た、と日記に記してゐる。
 
非常時の興奮ではなく、平常心の極みがもたらす明るさを見た。
 
わたしも、この非常時に、人のこころの記録である『萬葉集』を常より深く味わつてゐる。


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2017年07月30日

川の字憩ふ


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子どもたちに、何を伝へられるだらう。 
 
それは、わたしたち大人が持つ理想や主義・主張よりも、むしろ、板についた振る舞ひやことば遣い、何気ない表情、そして喜びを感じ、その喜びに生きる姿・・・、つまり普段のなにげない家族のありやう、子どもたちはそんなものを深く、とても印象深く、受け取る。 
 
蝉の声 目覚めし朝は 親と子と 川の字憩ふ むかしもいまも
 
諏訪耕志

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