2020年11月16日

萬代池の秋


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今朝の萬代池はきれいだつたナ。澄み切つた青空の下、家族連れや年老いた方々が歩いてゐた。幼いころ父や母に連れてきてもらつたことを想ひ出す。池の周りにある家の窓が開け放しになつてゐて、中からその家の親子らしい笑ひ声が聴こゑてきました。


この池は 千代に八千代に 萬代(よろづよ)に
秋を奏でむ 黄みどりくれなゐ


亡き父の みまもるひとみ 微笑みて
幼な子あそぶ 萬代(よろづよ)の池


秋空に ひと筆ふた筆 走らせて
青地に白く たなびく雲かな


今日もまた 池のほとりに 佇みて
いのち洗ひし 秋の青空


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2020年09月16日

夕暮れの空 と とこしへのみづの流れ



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こころの濁りを自覚しては、
毎度毎度、空に救はれてゐる。


 夕暮れの 南の空の みづいろに
 溶けゆく我の 幼なごころよ


母なる湖、琵琶湖のそばでの勉強会。
参加者の皆さん(男性も含めて)から、
女性性の素晴らしいところが滲み出てゐて、
毎回、毎回、わたし自身、命が甦るやう。
ありがたう。


 やすの川 みづの流れは とこしへに
 いのちながるる をとめの川よ




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2020年09月02日

玉出への夜の坂道にて



望月に 近きこよひの 坂道を
降りゆく我も この星愛(いと)し

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2020年04月15日

天之御中主神と繋がりて詠む


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わたしにとつて、いま、
一日一日がとてもたいせつです。
 
 
何をするかといふことと共に、
何をどう考へ、どう感じ、どう感覚するか。
 
 
こころの深く大きな転換がなされようとしてゐます。
 
 
きつと、皆さんも、さうではありませんか。
 
 
ずつと読んできた『古事記』の冒頭も、
いまさらながら、
こころの根底からの変容を促してくれるのです。
 
 
そこに記されてゐることばを、
メディテーションすることで、 
常に、意識を、
天地(あめつち)の初発(はじめ)に、
立ち戻らせるのです。
 
 
――――― 



陽はいまも とどろきかがやき つんざいて
をたけびあげり ここに我あり
 
 
天地(あめつち)の 初発(はじめ)のときに 
なりませる 神いまここに はるかあをぞら
 



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2020年04月13日

ぢつと観る

 
 
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速水御舟 『春の宵』
 


 
外の世の生きて動くありやうを
ぢつと観る。
 
 
そして、我が内の世、こころを、
より活き活きとしなやかに働かせながら、
外の世と内の世が
働きかけ合つてゐるさまをも、
ぢつと観る。
 
 
その、観るといふ作業に、
日々、習熟していく。
 
 
 渦巻きて 人を洗はむ 春風や
 桜散りゆき いましめざめむ
 
 
 春雨の 天(あめ)の流れの その波の
 しづかにしづむ むらさきもゑぎ
 
 
 いまはただ 膝まづきつつ 待つのみか
 嵐過ぎゆき 光し昇らむ
 
 
 
 

 

  

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2020年03月10日

一枚の絵

 
 
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丹生川上の夢淵付近

 
 
今月、次々と仕事がキャンセルになり、
わたしのやうに、
フリーランスで生計を立ててゐる者にとつては、
ピンチであります。
 
 
しかし、さういふ、いまだからこそ、
チャンスであると考へてゐます。
 
 
勉強できます。
 
 
そして、
この世は、いはば、
神が描く一枚の絵です。
 
 
だから、
絵をみるときのやうに、
この世をぢつと、ぢつと、みる。
 
 
絵の前に立つとき、
わたしは静かに立ち尽くし、
画面を凝視する。
 
 
からだとこころを静止のうちに置くのです。
 
 
さうして、
絵のうちに渦巻いてゐる精神が、
こちらのこころに働きかけて来るのを、
待つのです。
 
 
ときにゆるやかに、
ときに一気呵成に、
精神が働きかけて来て、
やがてこころが激しく動き始める。
 
 
そのこころの動き、働きは、
強制されてのものではなく、
みづからのもの、
統制されつつ、自由の翼を得たものです。
 
 
要(かなめ)のことは、
絵をみるときのやうに、
こちらが右往左往せずに、
ぢつと立ち止まり、
ぢつと立ち尽くし、
ぢつとみつめること、
さう自戒してゐます。
 
 
さうして、
こころに、
精神の風と光と熱を流し込むのです。
 
 
いま、外なる仕事はありません。
 
 
こころだけになり、
精神に親しくつきあふ、
そんなチャンスのときだと感じてゐます。
 
 
 
 

我れ立たむ ながるる川の 岸の辺に
淀みも早瀬も 同じ神川
 
 
 
 

 
 
 



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2020年02月27日

山の風

 
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山を登つてゐて、
山の高みに向かつて歩いていくことは、
本を読むことと似てゐると思つた。 
 
 
自分が自分であるために本を読むやうに、
山を歩く。森を歩く。川辺を歩く。
 
 
文章といふもののもつ香気によつて
自分自身を洗ひ流していくやうに、
わたしたちは木の間からやつて來る
光と風によつてみづからを洗ひ浄める。
そしてそもそも持つてゐた、
こころざしといふものを念ひ起こす。
 
 
高いところに吹く風は、
人を多かれ少なかれ、
素直にするのではないか。
 
 
また、よくよく目を見開いて歩くことの
大切さを思ひ出させる。
感官を開いて、
やつてくる感覚を
ひとつひとつ目一杯味ははうとすると、
山や空や風や光がものものしくものを言ひ出す。
 
 
本を読むときも、
目を精一杯見開いて、
一語一語、
一文一文を噛みしめるやうに、読む。
 
 
さうすると、本といふ「自然」が、
ものものしく読み手にものを言ひ出すのだ。
 
 
さて、人が書くものには、
文体・文の相(すがた)といふものがあつて、
それは、書き手その人の後ろ姿を見せてくれる。
 
 
文章とは、人の内的な姿・相である。
 
 
 文章といふのは、
 その功(こう)
 広大熾盛(こうだいしじょう)で、
 その徳(とく)
 深厚悠久(しんこうゆうきゅう)な、
 実に人間の仕事の中での
 一の大事といつて然るべきものである。
 
 
幸田露伴の『普通文章論』の冒頭の一文を思ひだす。
 
 
そのやうな内的な姿が
虚空に刻みだされたやうな文章によつて、
「人といふもの」に出会へた喜びを
感じることができる。
 
 
そして、山の風、光、雨粒も、
何かを人に伝へようとしてゐるやうに感じる。
 
 
 われもまた 高みにのぼる そのごとに
 風をまとひて 風になりたし
               
 
 



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2020年02月11日

建国記念日の朝に



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あな清(さ)やけ 初国知らしし この朝の
まさをきみそら 昇る陽のたま
 
 
初国の 朝に昇らむ 陽のたまは
われをも浄めむ 彼をも浄めむ

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2019年12月31日

このたびこそ 〜令和元年の歳の暮れ〜



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秋の暮れの、和歌の浦の海



令和元年の歳の暮れを迎へました。
 
 
 
お世話になつたすべての皆様、
本当にありがたうございました。
 
 
この人生のなかで、
これまでにないことに、
漸く行き当たらせてもらへてゐることに、
本当に奇しきものを感じてゐます。
 
 
これを読んで下さつてゐる方々には、
何のことだか分からないものだと思ふのですが、
個人的なつぶやきを詩のやうなものとして、
歳の瀬に記し置かずにはゐられませんでした。
 
 
来年も、どうぞ、よろしくお願ひ申し上げます。
 
 
 
―――――
 
 
 
吾(あれ)、父のことよさしのまにまに
このたびこそ
海原(うなはら)しらさむ
大海原とひとつになりて
世を幸(さき)ははせむ
 
 
いくたび泣きいさちきか
いくたび青山枯らしきか
いくたび母を求めしか
 
 
さはあれ
このたびこそ
海原しらさむ
大海原とひとつになりて
世を幸ははせむ
 
 
 



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2019年12月06日

酌み交はす 盃あれば


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酌み交はす 盃あれば 酔ひのまま
こころほぐさむ 晩(をそ)き秋の夜 
 
  

ものづくりをする人と人とが集まるとき、
そこには様々なドラマが生まれますね。
 
 
そこには、苦しみも喜びも織り込まれて、
ひとつの織物が創られていきます。
 
 
ものが出来上がつていくプロセスと共に、
人の感情も、その行き場を求めます。
 
 
その感情の交錯をほぐすべく、
宴の場が設えられます。
 
 
その思ひやりは、
これまでの長い時間があつたからこそ、
さりげなく人から人へと
手渡されます。
 
 

わたしは、そんな織物づくりのプロセスに、
ことばの芸術を通して、
ほんのひととき、
ひと息つく時間を皆さんにもたらすべく、
伺はせてもらつてゐます。
 

 

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2019年11月23日

和歌の浦のひかり



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今朝、
和歌の神を祀る、
玉津島神社の裏山に登り、
和歌の浦を見渡す。
 
 
 
穏やかに 秋のまさをき 和歌の浦
こころいざなふ 潮の満ち引き
 
 
ひかりかな この世をかくも あらしめて
己れ隠れて ことば与へし
 
 

 

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2019年11月22日

靖国の坂、降り来る人々



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西に傾いていく陽射しに、
われ、靖国の社の坂をのぼる。
 
 
参拝のあとの人々の
坂を降り来るを見つつ。
 

 
 
沈む陽を 背に受け来たる 人々も
くれなゐいろに かんばせ染めて 
 
 
 

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2019年11月14日

今宵、大嘗祭(おほにへのまつり)

 
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平成の大嘗祭の御様子です
 
 
 
本年、令和元年五月一日、
新しく天皇陛下御即位され、
践祚の儀において、
三種の神器をお受けになり、
皇位を継承なされました。
 
 
十月二十二日、
即位礼正殿の儀において、
内外に御即位を宣言なされました。
 
 
そして今日、十一月十四日、
大嘗祭です。
 
 
天照大御神より、
「斎庭(ゆには)の穂(いなほ)」の
ことよさしを享けられて、
皇祖であられる大御神と霊的に、
おひとつになられる儀式です。
 
 
太古より行はれて来た大嘗祭です。
 
 
このやうな儀式を行ひ続けてゐる近代国家は、
唯一、日本だけです。
 
 
 
 

大嘗(おほにへ)の 
祭りに向かふ 今日一日(ひとひ)
雲間にひかる 天(あま)つ日まぶし
 
 
 

大君は われらの希ひ 背負はれむ
人と神との むすぶ夜かな
 
  



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2019年11月13日

志の鎮もる所 義仲寺


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琵琶湖の南端にある義仲寺に、
日の暮れる前にお参りしました。
 
 
木曾源義仲公の、
松尾芭蕉翁の、
保田與重郎大人の、
御墓所であります。
 
 
我が志を確かめることができました。
 
 
 
 
学び舎の 子どもら帰る 夕暮れ道
そつと鎮もる 御霊(みたま)よきかな
 


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2019年11月11日

新幹線の車窓から、養老山地を眺めて


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おほぞらは 青きこころの 住み処かな
峰吹きゆきて 走る白雲
 
 
のぼりこし 天(あめ)の御光 矢のごとく
朝の浄めの ひとときひとり
 

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2019年06月02日

春の終はりのこころのふるへ


深く 澄み徹る音を求めてゐる
己れの濁りゆゑに
 
春から夏へ なぜ 人は擦れ違ふのか
鳥は舞ひ上がり こころは求めてゐるのに
 
一日の終はりに 糸のふるへを みる

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2019年05月21日

千七百五十年目の神功皇后祭


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本日は旧暦の四月十七日にあたり、『日本書紀』によると、神功皇后(息長帯比売命)の千七百五十年目の御命日。
 
住吉大社の第四本宮の御祭神であられるゆゑ、そこにて神功皇后祭が行なはれました。
 
(石清水八幡宮でも同じくこのお祭りが今日、行はれてゐます)
 
五十年前には、千七百年祭が行なはれたさうです。
 
今日、本殿の扉が開かれるのを初めて見ました。
 
神主により祝詞が唱へられるのを耳を澄まして聴いてゐると、そのことばの一音一音を通して、これまで感じたことのないものが流れてくるやうで、まるで他の参列者も誰もゐず、息長帯比売命と自分だけになつたやうな感覚に包まれ、からだが熱くなりました。 
 
一緒に参列した妻も、同じやうな感覚に包まれたと言ひます。
 
また、祭りが終はつた後、お宮の前で、嬉しい出会ひにも恵まれました。
 
その方から、立ち話ながらも、色々なとても興味深いお話しを伺へたこと、望外の喜びでした。
 
「ことばの家 諏訪」から歩いても十四、五分のところに、住吉さんがあり、神功皇后のお宮があり、週に何日もお参りできること、自分たちは本当に恵まれてゐるなあと思ふのです。 
 
 
この国を守りし女神とこしへに息吹きかよはす西へ西へと


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2019年05月20日

あそべ をさな子よ

 
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世界といふものは、人を通して、ものごとを通して、ある勢力をもつて、わたしの内側へ押し寄せ、なだれ込んでくる。
 
しかし、こちらの努力が幾層にも積み重ねられてゐれば、なんにも怖くない。
 
しつかりと、立つてゐられる。向かひ合へる。取り組むことができる。そして、こちらのものにすることができる。
 
だから、努力できるといふことは、ありがたいことだ。
 
頑張つて準備できる意欲があるといふことは、何にもましてありがたいことだ。
 
この意欲の力がわたしの内側に根付いてゐるのは、おそらく、子どもの頃、たくさん遊ばせてもらへたからだ。
 
生涯を生き抜いていく力の秘密は、子ども時代にある。
  
 
をさな子よ その草深野(くさふかぬ) 踏みしめよ
時つらぬきて おほぞら拓けよ



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2019年04月12日

背に負ふ色


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大神神社末社の金折神社


どの人も背に負ふ色は見えぬもの背に負ふ影は見えぬものなり
 
空覆ふ雨雲の下いかにして人は歩かむ人は笑はむ
 
歌ひとつまたひとつと辿り見む我が悲しみの溶けてゆくかも
 
悲しみの風に吹かれてやうやくにものも見えたり人も見えたり
 
 

 


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2019年04月08日

翁と媼


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住吉大社の池のほとりの松の下を、共におほよそ八十路を越ゆらむひとくみの翁と媼、歩きけり。
 
媼、翁の左の肘を持ちて、うしろにつきて歩きけり。
 
池の周りにて遊ぶ童たちに、翁、微笑みつつ話しかけたり。
 
春の日の麗らかなるひととき、我、桜の下から、その姿、うちまもりたり。
 

ともに老ひ 
うち歩みゆく とこしへに みちはつづかむ 
春霞立つ
 

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