2016年08月23日

子どもたちと古典との出會い 〜國語ヘ育のひとつの試み〜


IMGP6266.JPG

 
小学二年生の我が娘が、
『古事記(ふることぶみ)』
冒頭部分の言語造形に挑戦している。
 
天地の始まり、神々の名が次々に出てくるところで、
本居宣長の訓み下しによる原文そのままだ。
 
古典との出會い。
それをふんだんに子どもたちに提供していきたい。
 
我が國の古典は、
ことばの意味を伝えること以上に、
ことばの響きが醸し出すことばの感覺、言語感覺を深く共有することに重きを置いていた。
 
過去のことば遣いや、古い文の綴りは、
藝術的であり、信仰生活に裏打ちされていたので、
現代人であるわたしたちをも、
國語の精神、母語の精神のもとへと導いてくれる力をいまだに秘めている。
 
わけても、『古事記』は、
とても強い働きを孕んでいて、
子どもたちのからだとこころに健やかに伸びやかに働きかけている。
 
國語の精神が子どもたちに宿りだす。
それは、おのずと、
ことばを大事にすること、
こころを大事にすること、
人を大事にすることへと繋がってゆく。
 
そんな國語ヘ育の試み。

posted by koji at 17:29 | 大阪 ☀ | Comment(0) | ことばと子どもの育ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

ことばと子どもの育ち(5) 〜国語教育としての言語造形〜


これからの国語教育を考えるなら、
手軽な話しことばの習得や、
おざなりな書きことばの練習に子どもたちを向かわせるのではなく、
自分自身の考えていること、感じていること、欲していることを、
明確に、丁寧に、活き活きと、
ことばにして話すことのできる力、
文章にして書くことのできる力を、
養わせてあげることに向かうべきだと思うのです。

昔から我が国の人は、とりわけ、美しいものを美しいと、
簡潔に、かつ、委細を尽くして、
ことばにする力に秀でていたように思われますが、
善きものを善きものと、
美しいものを美しいものと、
まことなるものをまことなるものと、
ことばにする、そんな力を養うことです。

国語のその力は、おのずから、聴く人、読む人のこころをはっとさせるような、
ひいては、日本の精神文化を啓くような言辞の道へと、文章の道へと、
若い人たちを導いていくでしょう。
 
文章を書くためのそのような力は、
口からいずることばに、
口からいずることばは、
やがて文を綴りゆく力に、
きっと、深さをもたらしていき、
互いにその深みで作用しあうことでしょう。

話しことばは、
練られ、研がれ、磨かれた、書きことばに準じておのずからその質を深め、
書きことばは、
活き活きとした話しことばに準じておのずと生命力を湛えるようになりゆくでしょう。



そして、国語教育にさらに言語造形をすることを注ぎ込んでいくことが、
これからの教育になくてはならないものだとわたしは思っています。

前もって詩人たち、文人たちによって書き記されたことばを、
言語造形をもって発声する、その行為はいったい何を意味するのでしょうか。

話すことのうちにも、
書くことのうちにも、
リズムのようなものが、
メロディーのようなものが、
ハーモニーのようなものが、
時に晴れやかに、時に密やかに、通いうる。

さらには、色どりのようなもの、かたちあるもの、動きあるものも、孕みうる。

言語の運用において、
そのような芸術的感覚をもたらすこと。
それが言語造形をすることの意味なのです。

そうして話されたことば、語られた文章は、
知性によって捉えられるに尽きずに、
音楽のように、色彩のように、彫塑のように、
全身で聴き手に感覚される。

詩人や文人は頭でものを書いているのではなく、
全身で書いています。

言語造形をもって、口から放たれることばは、
そのことばを書いたときの書き手の考えや思いだけでなく、
息遣い、肉体の動かし方、気質の働きまでをも、活き活きと甦らせる。

そして、ことばの精神、言霊というものが、リアルなものとして、
人のこころとからだを爽やかに甦らせる働きをすることを実感する。

言語造形を通して、
書かれたことばが、活き活きとした話しことばとして甦り、
やがて、その感覚から、自分の書くことばにも生命が通いだす。

そんな国語教育。

子どもたちがそんな言語生活を営んでいくために、
わたしたち大人自身がまずは言語造形を知ることです。
言語造形をやってみることです。
ことばのことばたるところを実感することです。
そして、こどもたちの前でやって見せること、やって聴かせることです。

ここ数年、わたしも、
『古事記』や『平家物語』、能曲、
そして樋口一葉などの作品を舞台化してきたのですが、
現代語訳することなく、
原文のまま、
古語を古語のまま、
言語造形をもって響かせることで、
現代を生きているわたしたちのこころにも充分に届くのだということを、
確信するに至りました。

昔のことばだからといって無闇に避けずに、
感覚を通してそのような芸術的なことばを享受していく機会を、
どんどん与えていくことで、
子どもたちは、わたしたち大人よりも遥かに柔軟に全身で感覚できます。


これは、保田與重郎が『近代の終焉』という本の中で、
昭和15年に述べていることですが、
手軽に日常の用を足し、お互いの生活に簡便なことばだけを、
子どもたちに供するだけなら、
わたしたちの国語を運用していく力はたちまちのうちに衰えていくでしょう。
 
また、
わたしたちの祖先の方々が守り育ててきた日本の精神文化は、
日本のことばを知る労力を費やしてまで近寄るに値しないので、
出来る限り学ぶ者の負担を軽減してやろうというだけなら、
いっそうこの国はアメリカやヨーロッパ諸国の植民地となっていくのでしょう。

70年、80年前の話しではなく、
いまの、そして、これからの話しだと思うのです。

古典を古典として敬うことを学ぶ。
その学びによって、子どもたちはやがて自分たちが住んでいる国が、
一貫した国史をもっていることを実感していきます。

そうして、彼らもやがて、後の代の人たちに誇りをもって、
我が国ならではの精神を伝えていく。
それはきっと他の国々の歴史をも敬い理解していくことへと繋がっていくでしょう。

いつの日か、己れの文章を言語造形してもらうことを希う、
そんな詩人・文人が現れるでしょう。


posted by koji at 19:01 | 大阪 ☁ | Comment(0) | ことばと子どもの育ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月18日

ことばと子どもの育ち(4) 〜ことばの芸術?〜


学校がなくとも、特別な教育施設がなくとも、
子どもがこの世に生まれてきて最初のおおよそ七年間、
昔の日本の多くの親たち、大人たちは、
その幼な子に「芸術的なことば」をふんだんに聴かせていました。

「芸術的なことば」?

それは、わらべ歌であり、子守唄であり、労働歌であり、
祭りのときの唱え事、祝詞、わざをぎ(お芝居)であり、
そして、昔話、語り物であり、
人と人との語り合いでした。

頭からの知性をもって世間を切り回し、生き抜いていく現代ではなく、
手足を精一杯働かせて暮らしを生きる日々の連続。
そんな昔の日本でした。

その手足の運動から流される汗、
胸のはずみ、こころのときめきから発せられる声、
そういったものが浸み渡っていた毎日。

子どもたちは、
それらリズムに満ちて、
素朴だけれども伸びやかなメロディーに彩られたことばの芸術を、
からだ一杯に享受していました。

テレビもラジオもインターネットもない時代が何百年、何千年、続いたのでしょう。

人の生の声で、手足を活き活きと働かせながら、発せられる歌、お話。

これほど、ダイレクトな芸術はなかったのではないでしょうか。

生まれてから歯が生え変わるまでのおおよそ七年間、
そのようなことばの芸術に包まれ、抱きしめられながら、
多くの日本の幼い子どもたちは、
ゆっくりと大きくなっていったのです。

そして、子どもたちの内側で、
ことばを聴く力、ことばを話す力、ことばで考える力がゆっくりと育っていったのです。

さて、わたしたち現代人は、
この現代的な環境、生活スタイルの真っただ中で、
あらためて、どのようにして、
このことばの芸術からの恵みを取り戻すことができるでしょうか。


posted by koji at 09:15 | 大阪 ☁ | Comment(0) | ことばと子どもの育ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

ことばと子どもの育ち(3)〜素朴な教育の理想〜

 
「人前でしっかりと口が利けるようになったら、一人前だ」
 
昔の日本人は、
子どもへの教育の理想をそんな風に言い表していたそうです。
 
多くを子どもに求めず、
そのかわりに、ことばの力をこそ、
生きていく上での基の力としてしっかりと身につけさせてやる。
 
それは素朴だけれども、
どこまでも大切な理想です。
 
「人前でしっかりと口が利ける」
それは、きっと、自分自身が、
考えていること、
感じていること、
欲していることを、
言いすぎることなく、
言い足りず、もどかしい思いをすることもなく、
的確にことばにすることができるということでしょう。
 
そのとき、そのときで、
余計なことは言わず、
考えていることとずれたことを言わず、
自分が考えていることをピタリと、過不足なく、
ものごとに即してことばを話すことができるように、
若い者を教育しようと、
昔の人たちは考えていたそうです。
 
そして、その力は、きっと、他人のことばから、
考えていること、
感じていること、
欲していることを、
聴き取る力、読み取る力、思いやる力になりゆくでしょう。
 
この、ことばの力、国語の力が、
現代生活においてどれほど強く必要とされているでしょうか。
 
わたし自身にとって、この力は、
とてつもなく大事な力だと感じています。
そして、
わたしの周りの人たちにとってもそうではないかと思われるのです。

昔の日本人は、今のように義務教育もない時代、
どのような国語教育を考え、子どもたちに施していたのでしょう。

posted by koji at 19:37 | 大阪 ☁ | Comment(0) | ことばと子どもの育ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

ことばと子どもの育ち(2)〜ことばの三つの内実〜

 
わたしたちは、ややもすると、
ことばを通して、「考え」だけが伝わればいい、
情報だけが伝わればいいと言わんばかりの、
言語生活を送ってはいないでしょうか。
 
「考え」を伝えること、そして情報を得ることは、
現代を生きる誰にとっても大切な事には違いありません。
 
しかし、そもそも、ことばとは、
発する人の「考え」だけでなく、「感情」をも、「意欲」をも、
その人の「生命力・いのちの力」に乗せて伝えようとします。
 
その人の考え、感情、意欲が三つ巴になって運ばれてこそ、
ことばです。
 
幼い子どもは、ことばを全身で聴いています。
大人のように耳だけで聞いているのではありません。
全身が耳です。まるごと感覚器官なのです。
 
全身でことばを聴き、ことばに抱きしめられながら大きくなってゆきます。
 
子どもが大きくなっていくにつれて、
過度に知的にならないように、
感情というものに鈍感にならないように、
型通りの生気のない話し方しかできない人にならないように、
そして、
おおよそ七歳以降、
活き活きと自分自身のことばで、
自分自身の考えていること、感じていること、欲していることを、
だんだんとことばにしていくことができるように、
傍にいる大人は自分自身のことばに少し意識的になることができます。
 


posted by koji at 20:53 | 大阪 ☁ | Comment(0) | ことばと子どもの育ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

ことばと子どもの育ち(1)〜ことばに抱きしめられる〜

 
今年の一月に滋賀で行った講演でお話しさせてもらったことを、
かいつまんだ形になりますが、ここに連載します。
(音声を起こしてくださった筒井さん、どうもありがとうございます)
 
 
赤ん坊がこの世に生まれてきて、最初に触れる芸術。
それは、そばにいるお母さんの声、ことば、息遣いです。
 
もちろん、まずは、
食べ物や、暖かく身をくるむ布、睡眠などが欠かせませんが、
母の声、ことば、息遣いには、
赤ん坊がこれからの永い人生を生きていく上で、
欠かせない基としての生きていく力が湛えられています。
 
それは、いのちの力、エーテルの力といっていいもの。
 
母の声、人のことばを通して、
そのいのちの力が赤ん坊の全身に働きかけます。
 
そもそも人が、
朝、寝床から起き上がる、用を足す、朝ご飯をおいしくいただく、
そんな、できて当たり前だと思っていること。
それらのことを内から司っているのが、いのちの力。
 
そして、本来、人が日々を生きていくための当たり前の力を、
生みだし、呼び起こし、想い起こさせるもの、
それこそが、芸術であり、
最初に触れる芸術が、母の声とことばと息遣いなのです。
 
それは、幼い子どもにとって、
「天地之初発(あめつちのはじめ)」に鳴り響くことばであり、
差し込んでくる光でもあるのです。
 
幼い子どもは、
その芸術に触れられ、包まれ、抱きしめられて、日々を生きていきます。
 
人は、何かを抱きしめることでなく、
何かに抱きしめられることによって、
より、自分自身、「わたし」という存在に目覚めます。
 
幼い子どもは、
母に、父に、周りにいる大人に抱きしめられることによって、
人の声、ことば、息遣いに抱きしめられることによって、
ゆっくりと己れの「わたし」に目覚めていくのです。
 
その子の傍にいる大人の深い息遣い、
明瞭で活き活きとしたことば遣い、
それらが子どもを抱きしめます。
 
ことばのひとつひとつ、
息遣いのひとつひとつが、
子どもの周りに漂い、
見えない手振り、見えない身振りとなって、
子どもを抱きしめます。



posted by koji at 20:25 | 大阪 ☁ | Comment(0) | ことばと子どもの育ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする