2019年03月27日

いのちに呼応することば 〜幼な子たちへの語り〜


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春が近づいて来て、幼な子たちもまるで草の芽が萌え出づるやう。
 
そのからだを創つてゐるいのちの力に呼応するやうにお話しを語つてあげると、幼な子たちはことばと共に育ちゆく。
 
昨日も、ことばのリズム、動き、かたちが、幼な子たちを導いてくれた。
 
この子たちはお話しが大好きになるし、やがて小学校へ上がるときには、本を読むことが大好きになるし、作文すること、ことばをからだまるごとで表現することが大好きになる。

造形されたことばが、子どもの教育者です。
  
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2018年03月23日

ことばと子どもの育ち(6)〜芸術的な言語の運用〜


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前回、子どもたちへの国語教育について考へたい、と書きました。また、その国語教育に言語造形といふことばの芸術を注ぎ込みたい、とも書きました。
http://kotobanoie.seesaa.net/article/458027503.html?1521246511

詩人や文人が書き記した詩や文章を、言語造形をする人が、子どもと一緒になつて声に響かせます。

そのとき、ことばのうちに、リズムのやうなものが、メロディーのやうなものが、ハーモニーのやうなものが、感じられます。さらには、色どりのやうなもの、かたちあるもの、動きあるものまでもが、感じられます。

時に晴れやかに、時に密やかに、感じられます。

言語の運用に於いて、そのやうな芸術的感覚をもたらすこと。

それが言語造形をすることの意味なのです。

さうして話されたことば、語られた文章は、頭の知性によつて捉へられるばかりでなく、音楽のやうに、色彩のやうに、彫塑のやうに、聴き手の全身に感覚される。

詩人や文人は頭でものを書いてゐるのではなく、全身で書いてゐるからです。

そのやうに言語造形をもつて口から放たれることばは、そのことばを書いたときの書き手の考へや思ひだけでなく、感情、意欲、息遣ひ、肉体の動かし方、気質の働きまでをも、活き活きと甦らせる。

そして、ことばそのものに潜んでゐる精神、言霊といふものが、リアルなものとして空間に立ちあがつてくるのを感じます。その言霊こそが人のこころとからだを爽やかに甦らせる働きをすることを実感することができるのです。

言語造形を通して、書かれたことばが、活き活きとした話しことばとして甦ります。

さういふことばを日々、全身で浴びるやうに聴き、自分も一緒になつて声に出して響かせていくならば、子どもたちは、自分自身が書く、書きことばにも、言語造形されたことばの感覚を注ぎ込んでいくことが、自然になされていきます。

話すことばの活き活きとした芸術感覚が、子どもたちの書くことばにもおのづから通ひ出すのです。

さうして、話しことばと書きことばとが、ことばの芸術的な感覚の中で、共に、手に手を取つて成長していきます。

そんな国語教育。

子どもたちがそんな言語生活を営んでいくために、わたしたち大人自身がまずは言語造形を知ることです。

言語造形をやつてみることです。

ことばのことばたるところを実感することです。

そして、子どもたちの前でやつて見せること、やつて聴かせること、共にことばを楽しむことです。




【ことばの家 諏訪 平成三十年度クラスのご案内】
 
●言語造形クラス
https://kotobanoie.net/spra/

●和歌(やまとうた)を学ぶ会
https://kotobanoie.net/yamatouta/

●生誕劇を演じるクラス
https://kotobanoie.net/spra/#pageant

●言語造形で甦る我が国の神話と歴史クラス
https://kotobanoie.net/spra/#kojiki

●日本の言霊を味わうクラス(講師:諏訪千晴)
https://kotobanoie.net/kototama/

●普遍人間学そして言語造形を学ぶクラス
https://kotobanoie.net/tue/

●名張・言語造形を体験する会『ことばを聴く 語る』

講師: 
諏訪耕志 (「ことばの家 諏訪」主宰 )

日時: 
4月16日(月) 10:00〜13:00

場所:
三重県名張市内 (お申込み頂いた方に詳細をお知らせします)

参加費: 
3,000円

お問い合わせ・お申込み: 
ことばの家 諏訪 
 e-mail info@kotobanoie.net
 Tel 06-7505-6405

プログラム:
10:00 お話しを語るワークショップ
(言語造形を体験していただきます)

12:00 お話しに耳を澄ます朗読会 
(言語造形による語りを聴いていただきます)

「風呂に入るお地蔵さん(名張の昔話)」 南ゆうこ
「和泉式部日記」より 森野友香理
「蛇の輪(創作昔話)」 諏訪耕志

12:45 シェアリング

(全員で感想を語りあい聴きあいましょう)

13:00 終了







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2018年03月17日

ことばと子どもの育ち(5) 〜話すことばと書くことば〜


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本居宣長四十四歳自画自賛像

 
これからの国語教育を考へたいのです。
 
それは、手軽で日常的な話しことばの習得や、お決まりの書きことばの練習に子どもたちを向かはせるのではない。
 
さうではなく、自分自身の考へてゐること、感じてゐること、欲してゐることを、明確に、丁寧に、活き活きと、ことばにして話すことのできる力、文章にして書くことのできる力を、養はせてあげることに向かうべきだと思ふのです。
 
昔から我が国の人は、とりわけ、美しいものを美しいと、簡潔に、かつ、委細を尽くして、ことばにする力に秀でてゐました。
 
善きものを善きものと、美しいものを美しいものと、まことなるものをまことなるものと、ことばにする、そんな力を養ふことです。
 
その力は、子どもたちがやがて成長していく中で、社会を生き抜いていく力として、さらに、社会を創つていく力として、だんだんと発揮されていきます。
 
人のことばを発する力によつて、社会は織りなされてゆくのです。
 
国語のその力は、おのづから、聴く人、読む人のこころをはつとさせるやうな、ひいては、日本の精神文化を啓くやうなことばの道へと、文章の道へと、若い人たちを導いていくでせう。
 
文章を書くためのそのやうな力は、口からいずることばに、働きかけます。
 
口からいずることばは、やがて文を綴りゆく力に、きつと、深さをもたらしていきます。
 
口語と文語は、互ひにその深みで作用しあふのです。
 
話しことばは、練られ、研がれ、磨かれた、書きことばに準じておのづからその質を深めていきます。
 
書きことばは、活き活きとした話しことばに影響されて、おのづと生命力を湛えるやうになりゆくでせう。
  
だからこそ、国語教育に、言語造形を注ぎ込んでいくことが、これからの教育になくてはならないものだとわたしは思つてゐます。
 
以下、次回に続きます。



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場所:
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2018年03月15日

ことばと子どもの育ち(4) 〜ことばの芸術?〜


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絵 渡部審也「猿曳図」


学校がなくとも、特別な教育施設がなくとも、子どもがこの世に生まれてきて最初のおおよそ七年間、昔の日本の多くの親たち、大人たちは、その幼な子に「芸術的なことば」をふんだんに聴かせてゐました。

「芸術的なことば」?

それは、わらべ歌であり、子守唄であり、労働歌であり、祭りのときの唱へ事、祝詞、わざをぎ(お芝居)であり、そして、昔話、語り物、人と人との語り合ひでした。

頭からの知性をもつて世間を切り回し、生き抜いていく現代ではなく、手足を精一杯働かせて暮らしを生きる日々の連続。そんな昔の日本でした。

その手足の運動から流される汗、胸のはづみ、こころのときめきから発せられる声、さういつたものが浸み渡つてゐた毎日。

子どもたちは、それらリズムに満ちて、素朴だけれども伸びやかなメロディーに彩られたことばの芸術を、からだ一杯に享受してゐました。

テレビもラジオもインターネットもない時代が何百年、何千年、続いたのでせう。

人の生の声で、手足を活き活きと働かせながら、発せられる歌、お話、語らひ。

これほど、ダイレクトな芸術はなかつたのではないでせうか。

生まれてから歯が生え変はるまでのおおよそ七年間、そのやうなことばの芸術に包まれ、抱きしめられながら、多くの日本の幼い子どもたちは、ゆつくりと大きくなつていつたのです。

そして、子どもたちの内側で、ことばを聴く力、ことばを話す力、ことばで考へる力がゆつくりと育つていつたのです。

さて、わたしたち現代人は、この現代的な環境、生活スタイルの真つただ中で、あらためて、どのやうにして、このことばの芸術からの恵みを取り戻すことができるでせうか。



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2018年03月10日

ことばと子どもの育ち(3)〜素朴な教育の理想〜


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「人前でしつかりと口が利けるやうになつたら、一人前だ」
 
昔の日本人は、子どもへの教育の理想をそんな風に言ひ表してゐたさうです。
 
多くを子どもに求めず、そのかはりに、ことばの力をこそ、生きていく上での基の力としてしつかりと身につけさせてやる。
 
それは素朴だけれども、どこまでも大切な理想です。
 
「人前でしつかりと口が利ける」
それは、きつと、自分自身が、考へてゐること、感じてゐること、欲してゐることを、言ひすぎることなく、言ひ足りず、もどかしい思ひをすることもなく、的確にことばにすることができるといふことでせう。
 
そのとき、そのときで、余計なことは言はず、考へてゐることとずれたことを言はず、自分が考へてゐることをピタリと、過不足なく、ものごとに即してことばを話すことができるやう、若い者を教育しようと、昔の人たちは考へてゐたさうです。
 
そして、その力は、きつと、他人のことばから、考へてゐること、感じてゐること、欲してゐることを、聴き取る力、読み取る力、思ひやる力になりゆくでせう。
 
この、ことばの力、国語の力が、現代生活に於てどれほど強く必要とされてゐるでせうか。
 
わたし自身にとつて、この力は、とてつもなく大事な力だと感じてゐます。
 
そして、わたしの周りの人たちにとつてもさうではないかと思はれるのです。
 
昔の日本人は、今のやうに義務教育もない時代、どのやうな国語教育を考へ、子どもたちに施してゐたのでせう。
  
 
諏訪耕志記


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2018年03月08日

ことばと子どもの育ち(2)〜耳を澄ます練習〜


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わたしたちは、ことばを通して、「考へ」だけが伝はればいい、「情報」だけが伝はればいいとは思つて、暮らしてゐません。
 
「考へ」を伝へること、「情報」を得ること、そしてそれらを共有することは、現代を生きる誰にとつても必要な事に違ひありません。
 
しかし、人は、ことばを通して、情のやりとりをこそたいせつにしてゐます。
 
そもそも、ことばとは、発する人の「考へ」だけでなく、「情」をも、「意欲」をも、ことばに乗せて伝へようとします。
 
その人の考へ、情、意欲が三つ巴になつて運ばれてこそ、ことばです。
 
幼い子どもは、ことばを全身で聴いてゐます。大人のやうに耳だけで聞いてゐるのではありません。全身が耳です。まるごと感覚器官なのです。
 
全身でことばを聴き、ことばに抱きしめられながら大きくなつてゆきます。

子どもは、ことばを通して、意欲、情、考へといふ順番で、自分のこころを育てていくのです。
 
子どもが大きくなつていくにつれて、過度に知的にならないやうに。
 
情といふものに鈍感にならないやうに。
 
型通りの生気のない話し方しかできない人にならないやうに。
 
そして、おほよそ七歳以降、活き活きと自分自身のことばで、自分自身の考へてゐること、感じてゐること、欲してゐることを、だんだんとことばにしていくことができるやうに。
 
そのためには、傍にゐる大人が、自分自身の発することばを、子どもの発することばを、活き活きと感覚することです。

全身でことばを聴いてゐる子どもの傍で、活き活きとことばに向き合ふことです。

それは、また、自分自身のことば遣ひに耳を澄ませてみること。

子どものことばと声と息遣ひに耳を澄ませてみること。
 
その練習です。
 
それは、人が人になりゆくための、わたしがわたしになりゆくための、練習です。

大人自身のその練習が、子どものからだとこころの育ちをひそかに支へ、促してくれます。

 


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2018年03月06日

ことばと子どもの育ち(1)〜ことばに抱きしめられる〜


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赤ん坊がこの世に生まれてきて、最初に触れる芸術。

それは、そばにゐるお母さん、お父さんの声、ことば、息遣ひです。
 
勿論、まづは、食べ物や、暖かく身をくるむ布、睡眠などが欠かせませんが、母の声、父の声、ことば、息遣ひには、赤ん坊がこれからの永い人生を生きていく上で、欠かせない基としての生きていく力が湛えられてゐます。
 
それは、いのちの力、エーテルの力と云つていいもの。
 
母の声、父の声、人のことばを通して、そのいのちの力が赤ん坊の全身に働きかけます。
 
そもそも人が、朝、寝床から起き上がる、用を足す、朝ご飯をおいしくいただく、そんな、できて当たり前だと思つてゐること。それらのことを内から司つてゐるのが、いのちの力。
 
そして、本来、人が日々を生きていくための当たり前の力を、
生みだし、呼び起こし、想ひ起こさせるもの、それこそが、芸術であり、最初に触れる芸術が、母の声とことばと息遣ひなのです。
 
それは、幼い子どもにとつて、「天地之初発(あめつちのはぢめ)」に鳴り響くことばであり、差し込んでくる光でもあるのです。
 
幼い子どもは、その芸術に触れられ、包まれ、抱きしめられて、日々を生きていきます。
 
人は、何かを抱きしめることでなく、何かに抱きしめられることによつて、より、自分自身、「わたし」と云ふ存在に目覚めます。
 
幼い子どもは、母に、父に、周りにゐる大人に抱きしめられることによつて、人の声、ことば、息遣ひに抱きしめられることによつて、ゆつくりと己れの「わたし」に目覚めていくのです。
 
その子の傍にゐる大人の深い息遣ひ、明瞭で活き活きとしたことば遣ひ、それらが子どもを抱きしめます。
 
ことばのひとつひとつ、息遣ひのひとつひとつが、子どもの周りに漂ひ、見えない手振り、見えない身振りとなつて、子どもを抱きしめます。



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2016年08月23日

子どもたちと古典との出會い 〜國語ヘ育のひとつの試み〜


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小学二年生の我が娘が、
『古事記(ふることぶみ)』
冒頭部分の言語造形に挑戦している。
 
天地の始まり、神々の名が次々に出てくるところで、
本居宣長の訓み下しによる原文そのままだ。
 
古典との出會い。
それをふんだんに子どもたちに提供していきたい。
 
我が國の古典は、
ことばの意味を伝えること以上に、
ことばの響きが醸し出すことばの感覺、言語感覺を深く共有することに重きを置いていた。
 
過去のことば遣いや、古い文の綴りは、
藝術的であり、信仰生活に裏打ちされていたので、
現代人であるわたしたちをも、
國語の精神、母語の精神のもとへと導いてくれる力をいまだに秘めている。
 
わけても、『古事記』は、
とても強い働きを孕んでいて、
子どもたちのからだとこころに健やかに伸びやかに働きかけている。
 
國語の精神が子どもたちに宿りだす。
それは、おのずと、
ことばを大事にすること、
こころを大事にすること、
人を大事にすることへと繋がってゆく。
 
そんな國語ヘ育の試み。

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2016年04月08日

ことばと子どもの育ち(5) 〜国語教育としての言語造形〜


これからの国語教育を考えるなら、
手軽な話しことばの習得や、
おざなりな書きことばの練習に子どもたちを向かわせるのではなく、
自分自身の考えていること、感じていること、欲していることを、
明確に、丁寧に、活き活きと、
ことばにして話すことのできる力、
文章にして書くことのできる力を、
養わせてあげることに向かうべきだと思うのです。

昔から我が国の人は、とりわけ、美しいものを美しいと、
簡潔に、かつ、委細を尽くして、
ことばにする力に秀でていたように思われますが、
善きものを善きものと、
美しいものを美しいものと、
まことなるものをまことなるものと、
ことばにする、そんな力を養うことです。

国語のその力は、おのずから、聴く人、読む人のこころをはっとさせるような、
ひいては、日本の精神文化を啓くような言辞の道へと、文章の道へと、
若い人たちを導いていくでしょう。
 
文章を書くためのそのような力は、
口からいずることばに、
口からいずることばは、
やがて文を綴りゆく力に、
きっと、深さをもたらしていき、
互いにその深みで作用しあうことでしょう。

話しことばは、
練られ、研がれ、磨かれた、書きことばに準じておのずからその質を深め、
書きことばは、
活き活きとした話しことばに準じておのずと生命力を湛えるようになりゆくでしょう。



そして、国語教育にさらに言語造形をすることを注ぎ込んでいくことが、
これからの教育になくてはならないものだとわたしは思っています。

前もって詩人たち、文人たちによって書き記されたことばを、
言語造形をもって発声する、その行為はいったい何を意味するのでしょうか。

話すことのうちにも、
書くことのうちにも、
リズムのようなものが、
メロディーのようなものが、
ハーモニーのようなものが、
時に晴れやかに、時に密やかに、通いうる。

さらには、色どりのようなもの、かたちあるもの、動きあるものも、孕みうる。

言語の運用において、
そのような芸術的感覚をもたらすこと。
それが言語造形をすることの意味なのです。

そうして話されたことば、語られた文章は、
知性によって捉えられるに尽きずに、
音楽のように、色彩のように、彫塑のように、
全身で聴き手に感覚される。

詩人や文人は頭でものを書いているのではなく、
全身で書いています。

言語造形をもって、口から放たれることばは、
そのことばを書いたときの書き手の考えや思いだけでなく、
息遣い、肉体の動かし方、気質の働きまでをも、活き活きと甦らせる。

そして、ことばの精神、言霊というものが、リアルなものとして、
人のこころとからだを爽やかに甦らせる働きをすることを実感する。

言語造形を通して、
書かれたことばが、活き活きとした話しことばとして甦り、
やがて、その感覚から、自分の書くことばにも生命が通いだす。

そんな国語教育。

子どもたちがそんな言語生活を営んでいくために、
わたしたち大人自身がまずは言語造形を知ることです。
言語造形をやってみることです。
ことばのことばたるところを実感することです。
そして、こどもたちの前でやって見せること、やって聴かせることです。

ここ数年、わたしも、
『古事記』や『平家物語』、能曲、
そして樋口一葉などの作品を舞台化してきたのですが、
現代語訳することなく、
原文のまま、
古語を古語のまま、
言語造形をもって響かせることで、
現代を生きているわたしたちのこころにも充分に届くのだということを、
確信するに至りました。

昔のことばだからといって無闇に避けずに、
感覚を通してそのような芸術的なことばを享受していく機会を、
どんどん与えていくことで、
子どもたちは、わたしたち大人よりも遥かに柔軟に全身で感覚できます。


これは、保田與重郎が『近代の終焉』という本の中で、
昭和15年に述べていることですが、
手軽に日常の用を足し、お互いの生活に簡便なことばだけを、
子どもたちに供するだけなら、
わたしたちの国語を運用していく力はたちまちのうちに衰えていくでしょう。
 
また、
わたしたちの祖先の方々が守り育ててきた日本の精神文化は、
日本のことばを知る労力を費やしてまで近寄るに値しないので、
出来る限り学ぶ者の負担を軽減してやろうというだけなら、
いっそうこの国はアメリカやヨーロッパ諸国の植民地となっていくのでしょう。

70年、80年前の話しではなく、
いまの、そして、これからの話しだと思うのです。

古典を古典として敬うことを学ぶ。
その学びによって、子どもたちはやがて自分たちが住んでいる国が、
一貫した国史をもっていることを実感していきます。

そうして、彼らもやがて、後の代の人たちに誇りをもって、
我が国ならではの精神を伝えていく。
それはきっと他の国々の歴史をも敬い理解していくことへと繋がっていくでしょう。

いつの日か、己れの文章を言語造形してもらうことを希う、
そんな詩人・文人が現れるでしょう。


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2016年03月18日

ことばと子どもの育ち(4) 〜ことばの芸術?〜


学校がなくとも、特別な教育施設がなくとも、
子どもがこの世に生まれてきて最初のおおよそ七年間、
昔の日本の多くの親たち、大人たちは、
その幼な子に「芸術的なことば」をふんだんに聴かせていました。

「芸術的なことば」?

それは、わらべ歌であり、子守唄であり、労働歌であり、
祭りのときの唱え事、祝詞、わざをぎ(お芝居)であり、
そして、昔話、語り物であり、
人と人との語り合いでした。

頭からの知性をもって世間を切り回し、生き抜いていく現代ではなく、
手足を精一杯働かせて暮らしを生きる日々の連続。
そんな昔の日本でした。

その手足の運動から流される汗、
胸のはずみ、こころのときめきから発せられる声、
そういったものが浸み渡っていた毎日。

子どもたちは、
それらリズムに満ちて、
素朴だけれども伸びやかなメロディーに彩られたことばの芸術を、
からだ一杯に享受していました。

テレビもラジオもインターネットもない時代が何百年、何千年、続いたのでしょう。

人の生の声で、手足を活き活きと働かせながら、発せられる歌、お話。

これほど、ダイレクトな芸術はなかったのではないでしょうか。

生まれてから歯が生え変わるまでのおおよそ七年間、
そのようなことばの芸術に包まれ、抱きしめられながら、
多くの日本の幼い子どもたちは、
ゆっくりと大きくなっていったのです。

そして、子どもたちの内側で、
ことばを聴く力、ことばを話す力、ことばで考える力がゆっくりと育っていったのです。

さて、わたしたち現代人は、
この現代的な環境、生活スタイルの真っただ中で、
あらためて、どのようにして、
このことばの芸術からの恵みを取り戻すことができるでしょうか。


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2016年03月10日

ことばと子どもの育ち(3)〜素朴な教育の理想〜

 
「人前でしっかりと口が利けるようになったら、一人前だ」
 
昔の日本人は、
子どもへの教育の理想をそんな風に言い表していたそうです。
 
多くを子どもに求めず、
そのかわりに、ことばの力をこそ、
生きていく上での基の力としてしっかりと身につけさせてやる。
 
それは素朴だけれども、
どこまでも大切な理想です。
 
「人前でしっかりと口が利ける」
それは、きっと、自分自身が、
考えていること、
感じていること、
欲していることを、
言いすぎることなく、
言い足りず、もどかしい思いをすることもなく、
的確にことばにすることができるということでしょう。
 
そのとき、そのときで、
余計なことは言わず、
考えていることとずれたことを言わず、
自分が考えていることをピタリと、過不足なく、
ものごとに即してことばを話すことができるように、
若い者を教育しようと、
昔の人たちは考えていたそうです。
 
そして、その力は、きっと、他人のことばから、
考えていること、
感じていること、
欲していることを、
聴き取る力、読み取る力、思いやる力になりゆくでしょう。
 
この、ことばの力、国語の力が、
現代生活においてどれほど強く必要とされているでしょうか。
 
わたし自身にとって、この力は、
とてつもなく大事な力だと感じています。
そして、
わたしの周りの人たちにとってもそうではないかと思われるのです。

昔の日本人は、今のように義務教育もない時代、
どのような国語教育を考え、子どもたちに施していたのでしょう。

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2016年03月08日

ことばと子どもの育ち(2)〜ことばの三つの内実〜

 
わたしたちは、ややもすると、
ことばを通して、「考え」だけが伝わればいい、
情報だけが伝わればいいと言わんばかりの、
言語生活を送ってはいないでしょうか。
 
「考え」を伝えること、そして情報を得ることは、
現代を生きる誰にとっても大切な事には違いありません。
 
しかし、そもそも、ことばとは、
発する人の「考え」だけでなく、「感情」をも、「意欲」をも、
その人の「生命力・いのちの力」に乗せて伝えようとします。
 
その人の考え、感情、意欲が三つ巴になって運ばれてこそ、
ことばです。
 
幼い子どもは、ことばを全身で聴いています。
大人のように耳だけで聞いているのではありません。
全身が耳です。まるごと感覚器官なのです。
 
全身でことばを聴き、ことばに抱きしめられながら大きくなってゆきます。
 
子どもが大きくなっていくにつれて、
過度に知的にならないように、
感情というものに鈍感にならないように、
型通りの生気のない話し方しかできない人にならないように、
そして、
おおよそ七歳以降、
活き活きと自分自身のことばで、
自分自身の考えていること、感じていること、欲していることを、
だんだんとことばにしていくことができるように、
傍にいる大人は自分自身のことばに少し意識的になることができます。
 


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2016年03月06日

ことばと子どもの育ち(1)〜ことばに抱きしめられる〜

 
今年の一月に滋賀で行った講演でお話しさせてもらったことを、
かいつまんだ形になりますが、ここに連載します。
(音声を起こしてくださった筒井さん、どうもありがとうございます)
 
 
赤ん坊がこの世に生まれてきて、最初に触れる芸術。
それは、そばにいるお母さんの声、ことば、息遣いです。
 
もちろん、まずは、
食べ物や、暖かく身をくるむ布、睡眠などが欠かせませんが、
母の声、ことば、息遣いには、
赤ん坊がこれからの永い人生を生きていく上で、
欠かせない基としての生きていく力が湛えられています。
 
それは、いのちの力、エーテルの力といっていいもの。
 
母の声、人のことばを通して、
そのいのちの力が赤ん坊の全身に働きかけます。
 
そもそも人が、
朝、寝床から起き上がる、用を足す、朝ご飯をおいしくいただく、
そんな、できて当たり前だと思っていること。
それらのことを内から司っているのが、いのちの力。
 
そして、本来、人が日々を生きていくための当たり前の力を、
生みだし、呼び起こし、想い起こさせるもの、
それこそが、芸術であり、
最初に触れる芸術が、母の声とことばと息遣いなのです。
 
それは、幼い子どもにとって、
「天地之初発(あめつちのはじめ)」に鳴り響くことばであり、
差し込んでくる光でもあるのです。
 
幼い子どもは、
その芸術に触れられ、包まれ、抱きしめられて、日々を生きていきます。
 
人は、何かを抱きしめることでなく、
何かに抱きしめられることによって、
より、自分自身、「わたし」という存在に目覚めます。
 
幼い子どもは、
母に、父に、周りにいる大人に抱きしめられることによって、
人の声、ことば、息遣いに抱きしめられることによって、
ゆっくりと己れの「わたし」に目覚めていくのです。
 
その子の傍にいる大人の深い息遣い、
明瞭で活き活きとしたことば遣い、
それらが子どもを抱きしめます。
 
ことばのひとつひとつ、
息遣いのひとつひとつが、
子どもの周りに漂い、
見えない手振り、見えない身振りとなって、
子どもを抱きしめます。



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