[わたしの来し方、行く末]の記事一覧
- 2016/06/22 平成二十八年の夏至を迎えて
- 2016/03/07 ソウル・フード 〜わたしの来し方、行く末(2)〜
- 2016/03/03 わたしの来し方、行く末(1)
2016年06月22日
平成二十八年の夏至を迎えて
満月の夜の眠りを経て、昨日、夏至の日を迎えた。
己れの来し方の意味、行く末の展望、
己れの男であること、相方の女であること、
ひとりであること、
日本という国に生きていること、
いまという時代に巡りあっていること、
それらのことが、
すべて自分自身の中で結ばれているのを自覚する。
立って半畳、寝て一畳、飯を食っても二合半。
ひそかに、しぶとく、やっていこうと思う。
2016年03月07日
ソウル・フード 〜わたしの来し方、行く末(2)〜
うちでは、酵素玄米のごはんを毎日いただいているのですが、わたしにとっては、それがこの世で一番のご馳走で、それさえあれば、他の食べ物はなくても、充分生きていくことができるとまで思い込んでいます(笑)。
この旨さは、噛めば噛む程じわっと感じられるもので、毎日、毎食、いただいても飽きません。
酵素玄米に出会って、十年ぐらいになるのでしょうか。
しかし、こういったわたしの「素朴一筋」「『いつものやつね〜』的な」「保守性」は、二十七歳から二十八歳のときに旅したアフリカ漫遊の時に経験したことから始まっています。
エチオピアのある村に三週間ほど入らせてもらって、そこで牧畜や牛や山羊などを病気から守る仕事を手伝わせてもらったとき、毎朝、仕事に出て行き、結構激しい労働でくたくたになって帰ってくると、数人の女の人がその時その時に焼いてくれるインジェラに煮込んだ野菜類を包んで食べさせてくれるのです。毎晩、同じで、来る日も来る日も、インジェラでした。エチオピアの人にとっては、その食事は全くの基本食なんです。
しかし、その毎晩同じ食べ物をいただくことが、この上ない楽しみで、仕事をしている間も、「宿に帰ったら、あのインジェラがまたいただける」と思っただけで、元気百倍でした。
同じ食べ物を頂いていても、全く飽きないことがあるのだということが、当時のわたしには本当に新鮮な驚きと感動でした。
毎日の労働と質素な食事。
あの三週間の日々の充実感がこの身に叩き込まれたんです。
日本においては、お米。
しかも白米だと、わたしの場合は、そのありがたさがよく分からないままでしたが、玄米、とりわけ酵素玄米に変えてからは、本当にこれこそがわたしたち日本人のソウル・フードだと勝手に確信したわけです。
精一杯、お米を頂いて、生きていきたいと思っています。

これは毎日最高の笑顔で豆を挽いて、エチオピア・コーヒーを淹れてくれていた女の子。

毎日、昼間からインジェラを焼いてくれる。

獣医師 野田浩正さんと村の酒場に毎晩繰り出した。
1993年3月7日とあるから、丁度23年前の今日だ!
2016年03月03日
わたしの来し方、行く末(1)
今朝、妻と話しをしているうちに、なんだか、自分が若い頃、いや、子どもの頃に戻ったような気がして、何気なく思い出したことです。
自分は、小学生のころから、中学、高校、大学、会社、いずれの場所にいても、周りの人からは、どこかしら「あの人は、ちょっと、変わってる」というような気持ちを持たれていた様な気がしていたこと。
何が、どう、変わっているのか、旨くことばにして言えないですし、また、実際はどう思っているのか他者のこころの内は分からないのですが、自分自身の内では、どこか周りから自分が浮き上がっているような感覚がそこはかとなくありました。
そういう感覚のとき、寂しさを感じましたが、また、なにかしらうっすらとですが、周りから大事にされているとも感じていました。
おかしく聞こえるかもしれません。
矛盾しているのですが、周りのみんなはわたしから距離を持ちつつ、こころの深い処ではわたしを見守ってくれているような・・・。
周りのみんなとひとつになりきれていず、視野がきゅうっと狭くなっていくような感覚に苛まれている自分。
そして、まるで大きな海原にぽつんとある島の上で、それでも凱歌を上げているような自分。
いまも、変わっていないのでしょう。
いや、これから、変わっていくのかな。