2019年10月28日

覚悟といふ精神の系譜 〜小川榮太郎著『保田與重郎と萬葉集』(月刊『VOICE』掲載)を読んで〜

 
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奈良県桜井市にある保田與重郎ご生家
 

 
わたしは思ふのです。
 
 
これから先、わたしたちの国の将来において、
たとへ何が亡びて行かうとも、
偉大なる先人が書き上げた偉大なる文業は、
残つて欲しい。
 
 
優れた先人による優れた文学は、
残つて欲しい。
 
 
それらの作品が、
この国の精神の証だからです。
 
 
文芸評論家の小川榮太郎氏は、これまで、
事実に基づく記述による、
徹底的な検証が重ねられた仕事を、
たくさん重ねてをられます。
 
 
日本といふ国を守るため、
人が人として生きるための尊厳を守るための、
志高い、かつ、大変質の深い仕事をし続けてをられます。

 
下に掲げるのは、
月刊雑誌『VOICE平成二十八年十・十一月号』に掲載の、
小川榮太郎氏の論文「保田與重郎と萬葉集」に対する、
三年前のわたしの拙い感想文です。
 
 
この論文は、
密やかに、この国の底の底でわたしたちを支へ続けてきた、
我が国ならではの精神文化について論じられたものです。
 
  
「日本の巨きな亡びの自覚」は、
国史上、極めて少数の文学者によつて、
極めて意識的に、ことばにされてきました。
 
 
そしてそれを熟読する読者が、
極めて少数かもしれませんが、ゐたことと思ひます。
 
 
その精神の継承あつてこそ、
日本はいまだ、日本として、
なんとか、存続しえてゐると念ふのです。
 
 
それゆゑ、この三年前の論文の感想文を、
いま、また、掲載します。
 
 
小川氏によるその非常に素晴らしい論文は、
いつか一冊の書籍の中に収録されるのでせうか。
 
 
そのことを強く希みます。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー
 



小川榮太郎氏による論文『保田與重郎と萬葉集』を読む。
 
 
そして、保田與重郎による『萬葉集の精神』を読む。
 
 
さらに、大伴家持による『萬葉集』をひもとき続ける。
 
 
そんな毎日が続いてゐる。

 
ここに記されてあるのは、「覚悟」といふ精神の系譜だ。
 
 
そのやうなこの国に伝来の精神が、
しづしづとわたしのこころの中に流れ入つて来るのを感じる。
 
 
その「覚悟」とは、
その精神の系譜を踏んで歩くのだと腹を決めることである。
 
 
それは、静かだけれども、
こころの奥底に確かに響いてゐる「志」からの声である。
 
 
新しく小川氏によつて書き表されたこの文章を熟読する。
 
 
さう、熟読を通してこそ、 
この精神の流れは、きつと、
こころある人から人へと承け渡されるのだから。
 
 
 
 
【大伴家持の覚悟】
   
 
日本といふ国において、
皇室の存在意義を揺るがすやうな危機は、
これまでの長い歴史の中で幾度かあつた。
 
 
それは同時に我が国の危機であつた。
 
 
古き神ながらの道・古神道から離れゆく、
政治的・文化的情勢の怒涛のやうな流れ。
 
 
その流れに対する悲哀と慟哭を強く感覚した者が、
まづもつて柿本人麻呂であつた。大伴家持であつた。
おどろの下の道を歩いた幾人もの詩人たちであり、
さらに、幕末維新の志士たちであり、岡倉天心であり、
保田與重郎であつた。
 
 
そして、いま、
この論文を起こしてゐる小川榮太郎氏である。
 
 
その危機が最初に大きく現実化した壬申の乱。
 
 
それをどのやうに捉へ、
どのやうなことばをもつて記述するか。
 
 
その記述によつて、以後の一国のあり方が決められていく。
 
 
地に堕ちた人のことば(言挙げ)だけでやりくりしようとするのか。
 
 
それとも、
神々との繋がりの中で響き来ることば(言霊)に、
みづからを啓きつつ語り、歌つてゆくのか。
 
 
江戸時代の国学者たちは、祝詞と古事記と萬葉集、
とりわけこの三つこそがことばの力に依つた古典であるとした。
 
 
さう、ことばの力(言霊)こそが、
人のこころを救ひ、国の歴史を定め、後の世の流れを左右するのだ。
 
 
萬葉集の歌は、
粗暴なイデオロギーから歌はれたのではなく、
秘めやかな民の心情・草莽のこころざしから歌はれた。

 
国史への悲哀と慟哭が、壬申の乱の後に、
大君に仕へる宮廷歌人である柿本人麻呂によつて歌はれ、
そのいくつもの長歌には、
この国の精神を救ふ偉大なることばの力が見いだされる。
 
 
人麻呂は、
天智天皇・天武天皇、両統の間での、
正邪を断じて正統性を争ふやうな、
そのやうな言挙げを決してしなかつた。
 
 
内乱を描いても敵対や分離を示さなかつた。
 
 
あくまで「国の心の一つに凝り固まらうとする」、
尊皇によるこの国の根本義をもつて壬申の乱を描く。
 
 
その人麻呂の詠歌によつて、
日本の歴史は救はれ、皇室の純粋性は保たれたのだといふ、
家持の直感、保田の深い見識を、小川氏は浮かび上がらせる。
 
 
そのやうな、国の精神を救つた、
人麻呂の神ながらともいへる志からのことば遣ひを、
そのままの精神で掬ひ上げ、
萬葉集として記録したのが編纂者・大伴家持である。
 
 
しかし、藤原氏の政治的専横・暴虐によつて、
自分たち大伴氏族の勢力だけでなく、
大君を慕ひ、仕へ奉る勤皇の精神が、
政治の中枢から失墜し続けてゐる当時。
 
 
その運命的状況の中で、
家持は既に人としての
迷ひ、弱さ、絶望を充分に味はひ知つた人であつた。
 
 
だからこそ、彼こそは当時の時流に抗して、
明晰な意識をもつてその言霊に宿る精神を記録し、
みづからも歌つたのだつた。
 
 
その行為は、
己れ以外のものからの圧力や命令によるものではなく、
ひたすらに己が身の奥底から溢れ出てくる、
大君への真情、草莽のこころざしからのものであつた。
 
 
小川氏はその家持の「覚悟」を見事に描き出してゐる。
 
 
「新しい政治・文化状況を認めない。
 が、政治陰謀には加担しない。認めない事を、
 人麻呂以来の歌の伝統を継ぐことで証立てる。
 ― これが家持の覚悟だつたと見ていい。」
 
 
人の世を生き抜き、この世の栄華を勝ち誇るのではなく、
政治的に必敗の、
このやうな生き方を家持に選ばせたのは、
いつたいどのやうな念ひだつたのか。
 
 
それは、「かけまくも 畏き」「大君の思想」である。
 
 
家持は、
人麻呂の神の力に通はれたやうな志からの歌を、 
歴史の藻屑と消え去つていくことから掬ひ出した。
 
 
さらにその心境にみづから重なるやうに己れの歌を歌つた。
 
 
そして四千五百首以上の優れたやまとことばによる歌を集め、
萬葉集を編んだ。
 
 
さうして、家持は、人麻呂の大君への念ひを、継ぐ。
 
 
その継承からさらに、
家持はその念ひを、
「大君の思想」へと練り上げたのだ。
 
 
現実世界からの逃げではなく、
ことばの精神に生きることこそが
国を究極には救ふのだ。
 
 
そのやうな家持の「見識」と「覚悟」が、
萬葉集といふ我が国最高の古典の源泉、真髄であり、
その覚悟に至るまでの彼の葛藤・勘案が、
萬葉集を貫くリアリティーだつた。
 
 
家持は、
志を述べること、述志こそが、
和歌の真髄であることを意識して実行した、
一人の人だつたのである。
 
 

 
 
【保田與重郎の覚悟】
  
 
昭和の文人、保田與重郎は、
萬葉集に少年時代から親しみ、
江戸時代の土佐の国学者・鹿持雅澄の『萬葉集古義』に、
その「覚悟の系譜」を学び続け、
大東亜戦争勃発直前に、
『萬葉集の精神』といふ著述のために筆を執つた。
 
 
異常な緊張に漲つてゐた当時、
彼は己れの「覚悟」をその家持の「覚悟」に重ねた。
 
 
そしてその態度は、戦後も一貫するのである。
 
 
彼は、
当時のアララギ派を中心とした近代歌論を明確に否定し、
一首一首に表れる美、
ひとりひとりの歌人に表れる美学よりも、
それらを土台で支へる
「国の心の一つに凝り固まらうとする」
志こそが、本質なのだといふ、
萬葉集に対するもつとも古く、もつとも新しい見立てを行ふ。
 
 
そして、戦前、戦中、
ヒステリックに叫ばれる国策としての萬葉集の利用を根柢から侮蔑する。
 
 
そのヒステリックな叫びは、
右往左往する国際情勢からの、
場当たり的な論から生まれたものであり、
国のおほもとに立ち返つての、
揺るがぬ志からのものではなかつたからである。
 
 
当時のアメリカと日本の、
物量における圧倒的な彼我の差は、
当然保田にも認識されてをり、
その上で絶叫される戦意昂揚などに、
彼は全く同調することはできない。
 
 
ここで、小川氏は、
文業に対する保田の身を賭してのあり方を鮮やかに、
かう書き記してゐる。
 
 
「戦が始まつたことをまづ神意と見た上で、
 日本の祷りを行くしかない、
 これは狂信ではなく、
 あの時代に一文学者の立ち得る
 唯一の合理だつたとさへ言へるであらう。
 その意味で、これは寧ろ、時局を批判しながら、
 大東亜戦争の精神を救ふ立場だといふべきではないか。」
 
 
この立場に徹することが、保田の第一の「覚悟」であつた。
 
 
さういふ保田の姿勢を理解したものは、
出征していつた多くの多くの若者たちだつた。
 
 
そして年老いたインテリゲンチャほど、
その草莽のこころざしを理解できなかつた。
 
 
さういふ状況は、彼自身出征し、
帰国した戦後も変はりなく、
戦前親交を持つてゐた亀井勝一郎にさへ、
保田は曲解されてゐる。
 
 
さうして彼は戦後、
アメリカのGHQによる公職追放だけでなく、
文壇からの追放といふ四面楚歌のやうな立場に追ひ込まれる。
 
 
ここで、二つ目の保田の挺身、
「覚悟」が小川氏によつて記されてゐる。
 
 
それは、友であつた亀井のことばに端的に表されてゐるやうな
「いひがかり」に対する戦後のことばである。
 
 
その「いひがかり」とは、
保田の文業が多くの若者を
無残にも戦争に駆り立てたのではないか、
そのことに対する反省は如何、といふものだつた。
 
 
GHQによる占領検閲下の昭和二十四年、
戦前の日本は全否定され、
連合軍の正義と日本軍国主義の悪は絶対的なテーゼだつた。
 
 
その時に、保田は亀井勝一郎に答へる形で、
「小生は戦争に行つた日と同じ気持で、
 海ゆかばを歌ひ、
 朝戸出の挨拶を残して、死す」
と書いた。
 
 
「海ゆかば」とは、大伴家持によつて、
「大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ」
と詠はれた長歌のことである。
 
 
小川氏は書く。
 
 
「戦後かういふことを明確に、
 それもここまで激しい言葉で堂々と言ひ放つた文学者は、
 川端康成や小林秀雄を含め、
 残念ながら他に一人もゐないのである。」
 
 
 
  
 
【覚悟といふ精神の系譜】
  
 
この「覚悟」の系譜を小川氏は改めて家持から辿る。
 
 
壬申の乱後約八十年が経つた後でも、
防人をはじめとする草莽の民たちによつて、
大君への純粋な念ひが詠われる。
 
 
そして、その純粋を裏切るやうな藤原氏の陰謀の政治。
 
 
その間に立つて、
絶大な責任を感じた家持は歌をもつて
「国の柱となり神と民との中間の柱になるものは」
自分以外にないといふ自覚に達したのである。
 
 
昭和十年代に於いて保田與重郎は、
この家持の自覚・覚悟を引き継ぎ、
我が国未曽有の危機である大東亜戦争に面して、
みづからも文人として、
この神と民との間に立つ柱となる自覚を覚える。
 
 
「保田は萬葉集を解いたのではなく、
 自らの言葉で同じ道を踏まうとしたのである。
 保田自身が現に経験してゐた、
 日本の更に巨きな亡びの自覚が、
 それを彼に強ひたからだ。」
 
 
そして、この文章の最後に、
筆者小川榮太郎氏の「覚悟」が、
韜晦のかたちに包まれて記されてゐる。
 
 
「・・・真の戦ひは全く終はらぬまま、
 『国の柱となり神と民との中間の柱となる』
 覚悟のない七十年が過ぎ、
 我々は亡びの過程を今も下降し続けてゐる。
 萬葉集は決して過去の詩歌集などではない
 といふやうな言葉が、
 一体今、誰に届くのかを怪しみながら、
 ひとまづ、私は筆を擱く。」
 
 
文学者とは、
ともすれば離叛していかうとする、
精神と物質を仲介する橋にならうとする人である。
 
 
ことばをもつて、
神と民との中間の柱になることを念じ、
悲願し、
志す人である。
 
 
さういふこころざしを持つ人の系譜が、
柿本人麻呂から大伴家持へ、
そして幕末ごろの国学者たち、維新の志士たちへ、
更に保田與重郎へと引き継がれてゐることを
小川氏は書き記した。
 
 
そして、さらに小川氏自身が、
この系譜の尖端に立つてゐることをも、
わたしは改めて強く感じることである。
 
 
現実の世の混乱・危機から、
人のこころを救ふのは、
究極において、ことばである。
 
 
人のこころを覚醒させ、
非本質的なところから
本質的なところに立ち返らせる、
そんなことばなのである。
 
 
小川氏によるこの
『保田與重郎と萬葉集』といふ文章は、
さういふことばを発し続ける覚悟を固めた人の系譜を記してゐる。
    
 
 
平成二十九年二月 「ことばの家 諏訪」 諏訪耕志
(令和元年十月三十一日 加筆修正)


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2019年10月23日

小川榮太郎氏『国柄を守る苦闘の二千年』を読んで


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雑誌『天皇こそ世界の奇跡』といふ雑誌に、
寄稿された小川榮太郎氏による文章。


何度も読んでゐますが、
そのたび、感銘を深くしてゐます。


この文章を読むことから、
学ばせてもらへることは数多ありますが、
最初の一文が、まづもつて、驚きをもたらすのです。


「私たちは今、日本史上、
天皇と国民の距離の最も近い時代、
心情的にも自然な一体感を味はへる幸福な時にある。」


確かに、
昨日の新しい天皇陛下による「即位礼正殿の儀」も、
インターネットの画面で生中継で見ることができました。


さういふメディアの発達によつて、
「天皇と国民の距離の近さ」が醸成されてゐることも、
確かにあるでせう。


しかし、そんなことよりも、より本質的なことがある。


その近さとは、
江戸後期、
第119代光格天皇がなされた朝廷儀式の再興と、
それを準備したとも言へる、
水戸学や国学などの江戸思想、
それらが生み出した「新しい天皇像」ゆゑのことだつたのです。
 
 
それまでは、
「天皇と国民との紐帯が
終始一貫してゐたといふわけにはゆかない。」


「天皇伝統」は、
明治維新から本格的に再興したのです。


「伝統」とは、
人によつて明確に意識されてこそ、
初めて「伝統」たりえます。


まぎれなく考へられてこそ、
初めて人のこころに、
「引き続き大切なものごとが守られ育まれてゐる」
といふ「引き続き」に対する自覚が生まれるのです。


天皇伝統、
保田與重郎はそれを「大君の思想」と呼びましたが、
我が国の歴史の中で、
極めて高い精神をもつ幾人かの文学者たちが、
その伝統を己れの生命をもつて密かに生きました。


文芸の伝統として、言霊の思想として、
「おどろが下の道」「奥の細道」を歩んできたのです。


そして、何より、誰より、
代々の天皇ご自身が、
我が国の天皇のあり方を研究され続け、
どのやうな外的状況に国が晒されても、
その伝統意識を守り、育み続けて来られました。


小川氏は記します。


「天皇伝統とは、
その一歩一歩の危ふひ歩みの必死の務めの中から、
(天皇ご自身が)
苦心惨憺創造され続けてきたものなのである。」


その一歩一歩の危ふひ歩みのいかなるかが、
各段落ごとに歴史の流れに沿つて描かれてあります。
 

それらすべての描写は、
小川氏が最後に書かいてゐる、
ひとつの「問ひ」に向かつて、
収斂していきます。
 
 
その「問ひ」とは、かうです。
 
 
二千年以上の間、一国を、
政治的・経済的共同体たらしめて来ただけでなく、
ひとりひとりの民の自由闊達な生き方を促すやうな、
「精神的共同体」たらしめるために、
代々の天皇陛下がなされて来た苦闘に対して、
わたしたち国民はどうお応へするべきか。


いま、わたしたちは、歴代の御苦闘の果てに、
新しい天皇陛下をお迎へしてゐます。
 
 
わたしは、
いはゆる「天皇制」なるものの議論などよりも先に、
その御存在と歴史について謙虚に学ぶことが、
なによりも先であると思ふのです。
 
 
大嘗祭が施行されるこの令和元年、
まづは、わたしたち国民の中から、
天皇といふ御存在について学び始める、
そんな熱意と気運を起こしていくこと。
 
 
わたしも始めて行きたいと考へてゐます。




 
さて、この雑誌にもたくさんの寄稿文が掲載されてゐます。
 
 
しかし、石平氏や数人の外国の方の文章、そして、
在日朝鮮人でボクシング連盟前会長の山根明氏の文章を除き、
ほとんどの寄稿者の文章が、
やや情緒的で紋切り型の考へやものの言ひ方に
安住してしまつてゐる感が否めません。
 
 
天皇といふ御存在あるからこそ引き続いて来た、
またこれからも引き続いて行くべき、
我が国の歴史精神。


この歴史精神に対し、
ひとりの現代人としてどう向き合つて行くのか。
 
 
この決して他人事にはできない切羽詰まつた問ひが、
この小川氏の文章には貫かれてゐます。
 
 
この文章のうしろには、
書く人、小川氏本人の、
生活の、人生の、切羽詰まつたやうな哀感が滲んでゐます。
 
 
人生を懸けて問うてゐる問ひと、
この時代がもたらす状況との間に、
必然的に生じる不協和音が響いてゐるのです。
 
 
さうであつてこそ、
評論や批評は、
文学たりえるのではないでせうか。
 
 
そして、造形された文章・文体だからこそ、
そこに精神が存在してゐます。
 
 
文章のうしろには、精神がある。
 
 
その精神といふ光が読み手のこころにもたらす、
形、運動、色彩、陰翳・・・。
 
 
論理をもつてだけでなく、
それらを感覚させてくれる文章を書く人が、
現代とても少なくなつて来てゐるやうに思はれてなりません。




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2019年09月12日

『平成記』(小川榮太郎氏)


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●この年(平成十四年・2002年)も日本語ブームが続いた。齋藤孝の『声に出して読みたい日本語A』が計240万部の大ベストセラーになつたのである。が、残念ながらこの日本語ブームは、文学の読者層を殆ど開拓しなかった。 
 
 
●文化では啓蒙も大事だが、啓蒙がその場しのぎのビジネスになると、寧ろ文化を衰弱させる。文化で重要なのは、層を拡大する以上に、ヒエラルキーの頂点を構築する事だ。鴎外、漱石、露伴から三島由紀夫、大江健三郎を読む伝統を保持しさえすればすそ野は逆に広がる。この文化事業の基本に、平成出版界は逆行し続けた。
 
 
●一流の飲食店が味でしのぎを削れば、安価なファストフードの味も向上する。逆にマクドナルドを無限に増やしても、食文化の向上に繋がらず、資本や才能がファストフードにばかり集中すれば、食文化は崩壊する。文壇・論壇では平成を通じてそれが起きた。
 
 
●マクドナルドを増やすのでなく、高み、偉大さを求心力とした共同体を形成すべきだったが、「脱構築」の冷笑主義に飲み込まれ、業界ギルドの安易に流れ、文化事業の逆説を真に理解する者がいなかった。平成日本の最大の悲劇である。
 
 
(225ページ)
 
 
 

出版界だけでなく、平成時代のわたしたち男は、各々、頂点を極めるための熾烈な闘ひを己れに課すことを止めてしまつたのではないかなあ。
 
三十年といふ時間、わたしが大学を出てからの三十年間なのだ・・・。
 
いま、令和といふ新しい時代に入つたばかり、元年。
 
経済界であれ、政治の世界であれ、学問・芸術の世界であれ、本当に生きがいを感じたいなら、ひとりひとりが精神の高みを目指して自分の人生を全身全霊で生き切ることだと、強く念ふ。
 
さうして、日本の文化そのものが再び精神のヒエラルキーを築き上げ、若い人や子どもたちが、いや、この自分自身が、その高みを目指して、発奮しながら生きて行く、そんな令和の時代をつくつていきたいと、強く念ふ。
 
それは、男性性の健やかな発露である。
 
 

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2018年10月22日

永遠(とこしへ)に焦がれる 〜執行草舟氏『「憧れ」の思想』〜


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●私は「憧れ」に生きることこそが、人間の本質と考えている。憧れは、燃えさかる悲しみである。自己の生命が燃焼し、その燃え尽きた先にある「何ものか」だ。
(『「憧れ」の思想 』 執行草舟 著)
 
 
己れのいのちを燃やし尽くしたその先にあるものに向かふ。その時、人は「憧れ」に生きてゐる。執行氏はさう書いてゐる。
 
憧れとは、そもそも、ぼやつとした曖昧なものではない。「あこがれ」であり、わたしたちは焦がれるのだ。「あ」に向かつてこころ焦がすのだ。
 
「あ」とは、世の始源である。天地(あめつち)の初発(はじめ)である。「はじめのとき」とは、永遠(とこしへ)である。
 
その永遠に於いて、わたしは何に焦がれてゐるのか。どのやうな「憧れ」を抱いて生きようとしてゐるのか。
 
それは、もはや、単一のことばでは言ひやうがない。百万言費やしても言ひ尽くせないもの、それがわたしたちの「憧れ」ではないだらうか。
 
その言ひ尽くせないものに向かふとき、人は己れのいのちを燃やし尽くさねばゐられない。だからこそ、執行氏は憧れとは燃えさかる悲しみであると記してゐる。
 
いのちとは、脈打ち、波打つものである。勢ひよく流れることもあれば、澱み、濁り、疲れ果てることもある。
 
そのいのちの働きが、人生の様々な幸せ・不幸せに出会ふ。
 
その幸せ、不幸せを貫く「仕合はせ」を受け入れ、味はひ、つんざいて、進んでいく。
 
そこに悲しみが伴はずにゐられようか。
 
死に向かつて生きてゐるわたしたちは、死の向かうにある何かにこころ焦がして生きていく。
 
「憧れ」。それは、決して、この世に於いては成就しない、永遠(とこしへ)へと向かふ、人の性(さが)である。
 
ちなみに、この書『「憧れ」の思想』は、「本を読むことは、死ぬことである」とあつて、ここまで書き記してくれてゐる読書の奨めはないやうに思ふ。
 
 
ーーーーーーーーーー
2019年1月開校!
『言語造形と演劇芸術のための学校』
https://kotobanoie.net/school/
 

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2018年10月16日

愛読書 〜古典といふもの〜


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九月の末に行つた天武天皇の都があつた近くの飛鳥の里。 

このところ、集中して『古事記伝(ふることぶみのつたへ)』の読書を楽しんでゐます。
 
一千年間、誰もまともに読むことができなかつた『古事記』。 

漢字ばかりの難読書だつたその『古事記』を、本居宣長はよくもこれだけ、やまとことばのみで訓み下して下さつたことだ、と心底、感嘆します。
 
古い日本人が語つてゐた日本語の調べ、その語りの調べを大切に守りながら天武天皇が改めて語られ、稗田阿礼が全身で聴きとり憶へ込んだ、その調べを、宣長は見事に甦らせたのです。
 
大事なのは、調べです。
 
その調べこそが、言霊であります。
 
そこに、日本人ならではの身振り、さらには神代(かみよ)の手振りが伺はれるのです。
 
理屈ではなく、身振り、手振りにこそ、日本人の信仰の拠りどころがあります。
 
ですので、この日本には、宗教書や倫理を教唆するやうな書物は、どこかそぐひません。
 
『古事記』は物語です。
 
確かな「もの」を「ものものしく」語り伝へようとしてゐます。
 
そして、その調べを漢字のみで記録せざるをえなかつたのにも関はらず、それをなしとげた太安万侶も偉い人です。
 
そのやうな、精神のリレーがなしとげられた一冊の本。
 
心底尊敬できる著者。
 
一度読んだだけではよく分からないからこそ、何度でも愛読できる本。
 
これを座右に置くことができることは、仕合はせなことだと思ひます。
 
 

 

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2018年09月26日

国語への痛切な思ひ 〜ドーデ『最後の授業』〜


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フランスの作家ドーデの『最後の授業』をご紹介したい。
 
1871年、普仏戦争に敗れたフランスはドイツに領土を奪はれる。いよいよ祖国と別れなければならないといふ深刻な悲劇を迎える、その朝、村の小学校のアメル先生が、フランス語の最後の授業に立つ。
 
「みなさん、わたしが授業をするのはこれが最後です。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教へてはいけないといふ命令がベルリンから来ました。・・・新しい先生が明日見えます。今日はフランス語の最後のお稽古です。どうか注意してください。」
 
先生のことばに愕然として、いつもとは全く違つた真剣なまなざしで耳を傾ける子どもたちの前で、先生はフランス語について話しを始める。
 
「フランス語が、世界中でいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強いことばであること」
 
「ある民族が奴隷となつても、その国語を保つてゐる限りは、その牢獄の鍵を握つてゐるやうなものだから、わたしたちの間で、フランス語をよく守つて決して忘れてはならないこと」
 
そのやうなことをアメル先生は語る。
 
「とつぜん教会の時計が十二時を打ち、続いてアンジェリリュスの鐘が鳴つた。と同時に、調練から帰るプロシア兵のラッパがわたしたちのゐる窓の下で鳴り響いた・・・。アメル先生は青い顔をして教壇に立ちあがつた。これほど先生が大きく見えたことはなかつた。
 
『みなさん』と彼は言つた。『みなさん、わたしは・・・わたしは・・・』
しかし何かが彼の息を詰まらせた。彼はことばを終えることができなかつた。そこで彼は黒板の方へ向きなおると、白墨をひとつ手に取つて、ありつたけの力でしつかりと、できるだけ大きな字で書いた。

『フランスばんざい!』
 
さうして、頭を壁に押しあてたまま、そこを動かなかつた。そして、手で合図をした。

『もうおしまひだ・・・。お帰り』」
 
 
このやうな国語への痛切な思ひをもたないで、子どもたちに何を伝へると言ふのだらうか。
 

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2018年09月08日

形を見る詩人の直覚 〜小林秀雄『歴史の魂』を読んで〜

 
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 _______________________
 
あの本(本居宣長『古事記伝』)が立派なのは、はじめて彼が「古事記」の立派な考証をしたといふ処だけにあるのではない。今日の学者にもあれより正確な考証は可能であります。
 
然しあの考証に表れた宣長の古典に対する驚くべき愛情は、無比のものなのである。彼には、「古事記」の美しい形といふものが、全身で感じられてゐたのです。さかしらな批判解釈を絶した美しい形といふものをしつかりと感じてゐた。そこに宣長の一番深い思想があるといふことを僕は感じた。僕はさういふ思想は現代では非常に判りにくいのぢゃないかと思ふ。
 
美しい形を見るよりも先づ、それを現代流に解釈する、自己流に解釈する、所謂解釈だらけの世の中には、「古事記伝」の底を流れてゐる様な本当の強い宣長の精神は判りにくいのぢゃないかと思ひます。
(中略)
 
・・・歴史を記憶し整理する事はやさしいが、歴史を鮮やかに思ひ出すといふ事は難しい、これには詩人の直覚が要るのであります。

 
________________________
 
 
解釈・判断をしばらく置いておき、「形を見ること」「動きを聴くこと」に習熟していく。
 
そして、考へる力がゆっくりと熟してくるのを待つ。
 
あらかじめの考へや意見を、ものや人に当て嵌めてものを言ふのは、そのものや人だけでなく、自分自身を損なつてしまふ。
 
解釈や思惑を置いておき、そのときに見えてくる形、聴こえてくる動きを直覚する。
 
その感覚が、美しいものに触れることへとだんだんと近づいていく。
 
古典に対する、芸術に対する、ものといふものに対する、とても大事なあり方だと思ひます。
 

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2018年03月03日

本を読むC 〜シュタイナー『テオゾフィー』〜


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もう十年以上前ですが、この『テオゾフィー』といふ本をご紹介したく書いた拙文です。
 
ここのところ意識の真ん中にある「読書」といふことと重なるものなので、再掲します。
 
ーーーーーーーーー
   
 
『シュタイナー「テオゾフィー(鈴木一博訳)」を読み終へて』
http://www.seikodo-store.com/show1.php?show=c0006
  

先日、主宰してゐる講座で、シュタイナーの主著ともいへる一冊『テオゾフィー』を読み終へることができた。
 
なんとありがたいことだらう。足掛け三年半に渡つて、毎月二回通つてくださつた方々に本当にお礼を言ひたい。
 
当たり前のことかもしれないが、聴いてくださる方がゐて、初めてわたしは語ることができる。
 
そして、この講座があるお陰で、わたし自身、この三年半の間、集中してシュタイナーの思考に寄り添ふことができた。
 
ある人の思考に寄り添ふといふことは、その思考に迎合するとか、無批判に信じ込むといふこととは違ひ、自分をいつたんは置いておいて、客を迎へる、そんなこころの筋肉を鍛へるやうなところがある。
 
自分を置いておける、それは実は、自分に対する意識・自己意識がとても深い状態だ。
 
自己意識が深いからこそ、自分を置いて、客を迎へることができる。
 
そんなふうに、自己意識を深めることに繋がつていく読書だつたやうに感じる。
 
3年半前、みんなでこの本に向かひ合つた時は、この本を通して、それぞれのおのれの中に光を求めて歩き出さうとしてゐた。
 
さうして、読み進め、いくつもの山や谷や川を越え、読み終はつた今、この『テオゾフィー』を読むプロセスは、光と愛がひとつになりゆくやうなプロセスだつたのだなと、強く感じる。どこか、ルーツイファーとキリストがひとつになるやうな・・・
 
 
 
ある人のブログに出会ひ、読書していくことについて書いてくれてゐるのを読ませてもらつて、意を強くしてゐる。
  
 
____________________________
 
 
「必要なのは読んではまた再読し、傑出した作品に親しむやうになることだ。とにかく熟視することを学ばねばならない。教養が主な敵とするのは駆け足で行き、けつして帰つてもこず、けつして立ち止まりもしないやうな読み方だ」
         (アラン『著作集7』225頁)
 

『蒼天航路』といふコミックに出てくる呉の君主の孫権も、
「漢王朝とは何か」
「曹操と戦ふ理由は何か」
「大義とは何か」
「天下三分の計とは何か」
などについてひたすら考へ詰める。
呉の都にやつてきた劉備が、
「天下三分てなあーなあ、要は……」と云はうとすると、
「“要は”で答へるな玄徳!」と一喝する。
 
 
あるユダヤ教のラビは、聖典のたつた3行を読むのに3時間を費やしてゐたといふ。今でも真摯な神学の徒はみなさうかもしれない。
 
 
プラトンでもゲーテでも西田幾多郎でも誰でもいいから、じぶんの気に入つた作家や思想家を一人さだめ、たつぷりと時間をかけてその人の著述を隅からすみまで読みつくす・・・といふ経験をもつておくと、後々すごい財産になつていくやうな気がします。
 
 
智識はマクロ方面にまんぜんと広げるだけでは片肺飛行で、ミクロ方面にも深く根を下ろしていくことで、軸足ができ、バランスが保たれるのではないかなと思つてゐます。
   
 
___________________________
 

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2018年02月23日

この上ない文学的感銘 〜谷ア昭男著「保田與重郎」を読んで〜


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保田與重郎といふひとりの日本人。
 
「会つてみると、『一時ぼく等は誰も彼も保田党であつた』と言ひたくなるくらゐ、魅力ある男である」
 
さう壇一雄は対面した時の印象を記してゐるさうである。

先入観や浅薄なさかしさに惑わされずに、「会つて」みて、初めて感じられるその魅力を谷ア氏は「つとめて文学のことばで記したい」とはしがきに述べてゐる。
 
生前親しくその謦咳に接してゐた谷ア氏にとり、保田與重郎という人は、一言で云つて「畏き人」であつたといふ。そして、その人の死の後、全四十五巻の保田與重郎全集の編纂を荷はれた。その編纂そのものが氏の保田與重郎論であるといふ谷ア氏ご自身の述懐に、わたしは大いなる感謝と共に深く頷く者である。
 
そして、この一冊の評伝のあとがきに、執筆するのに予定よりも十年以上遅れてしまつたゆゑが述べられてをり、それをご自身の怠惰によらしむるところだとしてをられるが、仕上げられたこの書自体が、決してさうではないことを証してくれてゐる。
 
まづ一読した後、わたしが思ふのは、人といふものにこれだけ深く親しく踏み込まうとする書をものするには、懸ける必要のある時間ならば可能な限り、懸けなければならぬといふことである。
 
そして、この一書に於いては、その懸けられた時間が隅々にまでものを言つてゐることを感じる。
 
本文の最後の一文を讀み終へ、次の頁を繰ると、白紙であつた。その真っ白な頁をみたとき、わたしは保田與重郎といふひとりの人の生涯が終はりし後、宇宙の虚空に自身が放り投げられたやうな感覚に包まれたのである。それは、この上ない文学的感銘であつた。
 
日本の文学史のみならず日本の精神史に記されるべき保田與重郎といふ人を、後世のこころざしある者に伝へるべく、この評伝が著されたことは全集刊行と共に、谷ア昭男氏の偉業であると思ふ。
  
 

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2018年02月20日

丁寧で深切な讀み方 伊東静雄


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「讀書といふものは、丁寧で深切でありたいものだ。一字一字を指で押へて、丁度著者が書いてゆくのと同じくらいの速度で讀みたい・・・」
 
さう、伊東静雄といふ昭和の初期に生きた詩人が「讀み方」といふ散文の中に書いてゐる。
 
長崎の諫早出身の彼は、昭和四年(1929年)から大阪の住吉中学(のち住吉高校)の国語教師として肺結核で倒れるまで約二十年間働き続けた。
 
彼は、続けてこんなことを書いてゐる。
 
「わが國の文學の道は、言靈(ことだま)の風雅(みやび)といふことにある。それは、文字の隠微なところに宿るのだ。・・・助詞や助動詞のやうな、それだけでは意味のない言葉こそが、名詞や動詞のやうに誰にも明瞭である言葉より大切だ・・・、その大切さは、深切な讀み方でだけわかる。」
 
彼の全集にこの文章を見いだし、なにとぞこの精神の血縁をと希つてしまふ。
 
「そのへんのことを腹にしみて悟るために、自分は古来の和歌を毎日二、三首づつ讀むことを、忙しい日の読書法としてゐる」
 
精神の成長のために、ほんの少しだが具体的な処方を指し示して下さつてゐる先達に出逢へることほど、ありがたいことはないと思ふ。
 
「古典を讀むといふことが、廣く行はれてゐるさうだが、そこから知識を得てくることよりも、むしろわが國の本当の讀書法を悟ることの方を、期待してゐる。正しい讀み方で、不知不識の間に養はれる志の方に期待してゐる」
 
本を讀むといふことは、本を讀み漁ることとは根本から違ふ。さういふ精神を彼は青年たちに伝へようとしてゐたのだらう。
 
住吉高校は、我が家から歩いて十分ほどのところにある。ちなみにわたしが入試落第したところ。
 
今も走つてゐる南海の上町線(路面電車)に、伊藤静雄も毎日乗つて学校に通つてゐた。
 
初出勤の時、ぼろぼろでだぶだぶの背広を着てゐて、「乞食」といふニックネームを生徒たちからつけられてゐたさうだ。
 
挙げたい詩作品は数多あれど、今日は、こころの清澄と悲しみ、そして静かな氣の漲りを伝へるふたつの作品を挙げたい。
 
 
 
『咏唱』
 
秋のほの明い一隅に私はすぎなく
なつた
充溢であつた日のやうに
私の中に 私の憩ひに
鮮(あたら)しい陰影になつて
朝顔は咲くことは出來なく
なつた
 
 
『野の樫』
 
野にひともとの樫立つ
冬の日の老いた幹と枝は
いま光る緑につつまれて
野の道のほとりに立つ
 
 往き還りその傍らをすぎるとき
 あかるい悲哀と
 ものしづかな勇氣が
 人の古い想ひの内にひびく
 


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2018年01月20日

柳田國男の「老読書歴」を読んで


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毎日風呂に入るときに必ず本をもちこんで、半身浴をしながら頁を繰ってゐる。
 
近頃読み始めた、柳田國男の文庫全集第三十一巻に収められてゐる「老読書歴」。晩年に書いた書評や序跋を集めたもの。とても面白く、円熟したその書き振りが無類に趣き深い。
 
人が情熱をもつてひとつの仕事に仕へるといふことに対する讃仰の念ひ。
 
人といふものそのものが持つ秘めやかな能力と思ひ遣りのこころに対する素直な驚きと喜び。
 
この諸文章には、柳田の円熟した筆によつて、その味はひが直かに掬み上げられてゐる。
 
民俗学のための他の主要著作に於いては、その学問的性格のため、事物のこと細かな列記が多くならざるを得ないのだらう。
 
しかし、そこにも、その科学的論述の裏に脈打つ詩人の魂を感じることは大いにあるのだけれども、さらにこの『老読書歴』に於いては、最良の批評家・文学者としての彼が如実に表に出てゐる。
 
本への愛、人への愛と想ひ遣りがこの作品には満ち満ちてゐるのである。だから、本の紹介が一冊一冊、次から次へと続くのだが、読み続けてゐて全く飽きることがない。最後まで読み終えてしまふのが、なんだか惜しい氣がした。
 
この柳田の仕事のやうに、人がことばを綴ることそのこと自体への想ひの深さ、考への周到さ、こころ構への厚さを掬み上げるやうな文章を、わたし自身とても読みたく思つてゐたし、そのやうな文章を読んでみたいとおそらく多くの人も希んでゐるのではないか。
 
その希みとは、ことばの魅力と、それを用ひ、それによつて生かされてゐる人間を求める、静かだけれども熱烈な希みである。
 

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2018年01月16日

本を読むB


小学生の子どもたちには、どんな書物がふさはしいか。
 
などと、大人があまり考へない方がいいやうに思ふ。本人が読みたいものをどんどん読むことができるやうに、計らつてあげるだけでいい。
 
ただ、これだけはたいせつだと考へてゐるのは、一冊の本が祕めてゐる未知の何かに対する、限りない愛情、尊敬、信頼。
 
そこから、本に限らず、ものといふものに対する、愛情、尊敬、信頼がおのづと育つていく。
 
何を学ぶにしても、そのこころもち、感情さへあれば、いい。
 
もし、そこに熱烈な尊敬、熟していく愛情が育つていくなら、その人のこころには、大げさな言ひ方になるが、それさへあれば、世界中を相手に回しても、誰に何かを言はれなくとも、自分の意欲だけで学んでいく力、自分の道を進んでいく力が宿り始める。
 
自分の意欲だけで自分の道を進んでいく、それが、この身ひとつで、世を生きていく、といふ力。
 
それが、自由への道を歩いていくと云ふことではないかと思ふ。
 
学ぶ人にとつては、学ぶ対象に対する疑ひではなく(!)、学ぶ対象に対する信頼・信といふものがとても大事だ。
 
では、その対象については、はじめは未知であるのに、どうして信頼が、愛情が、尊敬が、抱かれるのか?
 
それは、その人のこころのうちに、既に信じるこころが育つてゐるからだ。
 
信じるこころが、信ずるに値する書物を引き寄せる。
 
小学生のこころとからだにまづは何を植ゑつけるか。
 
それは、信じるこころの力・感情。
 
その力が、やがて、芽をだし、葉を拡げ、花を咲かせて、きつと、その子がその子の人生に必要なものを、おのづと引き寄せるやうになるだらう。
 
その子が、その信じる力を自分の内側深くに育てていく。そのためには、その子の傍にゐる大人が、大きくて、深い役割を果たすことができる。
 
大人自身が、熱烈に、一冊の本ならその本に、何かの存在ならその存在に、尊敬と愛情と信頼を育みつづけてゐる。
 
多くの本でなくてもいい、この一冊と云ふ本を見いだせたなら、本当に幸ひ。その一冊の本を再読、熟読、愛読していくことで、その本こそが、その人の古典になる。
 
これから、我が娘たちが、そんな「わたしの古典」を創りだす時が來るのを楽しみにしてゐる。 

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2018年01月14日

雪國


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何十年ぶりに川端康成の『雪國』を讀む。二十代の時に讀んだ時もこの作品には強く惹かれた。しかし、五十代になってゐるいま、ここに登場してくる女や男の悲しみが、以前よりいつさう身に沁みるやうに感じる。
 
男は、他者の悲しみ、苦しみが分からない。
 
そして、自分自身の生きてゐる意味も見いだせない。 
 
さうして、作品の最後のところ、女が気が狂つてしまつた時、男は己れのなかへ、夜空に高く流れてゐた天の河が、さあと音を立てて流れ落ちて來るやうに感じる。
 
自分自身のありきたりの宿阿を吹き飛ばすやうな、ひとりの人の生死の境に出逢ふ時(それが他人の生死であらうと自分自身のであらうと)、天から何かが急に己れのうちに流れ込んで來て、それによつて、激しく揺さぶられ、攫(さら)はれ、洗はれ、そして、ありきたりでない自分自身に生まれ変はつてしまふといふこと。わたし自身、若い時には分からなかつたその感覚。
 
今回はいつさうのリアリティーに迫られて感銘深く頁を閉じた。
 
後の世代の日本人が、かういつた文学を愛讀していく、そんな機縁を生み出していくために仕事をしていくのだ。

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2017年12月09日

本を読むA


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本と語り合ふ。本と対話する。
 
わたしは、本を読むとき、その本と語り合ひたい。
 
本とは、ひとりの人が血と汗と涙をもつて書き上げたものであると思ふ。
 
ひとりの「人そのもの」が、そこに鎮まつてゐるのだ。
 
だから、そんなひとりの人と語り合ふとき、わたしはその人のことを信じたい。
 
はじめから疑ひつつ、半身に構へて、その人に向かひ合ひたくない。
 
さう、本を読むときは、著者とその著作に全信頼をもつてその本に向かひ合ふのだ。
 
なぜなら、ひとつのことを疑ふ出すと、次から次へと疑ひにこころが占領されて、終ひには、その本との対話など全く成り立たなくなるからだ。
 
こちらのこころのすべてをもつて、一冊の本を読む。
 
著者を尊び、敬はなければ、対話は成り立たない。
 
しかも、一度では埒が明かない。何度も何度も語らふごとく、一冊の本を何度も何度も読むのだ。
 
さうしてこそ、その本は、その人は、己れの秘密を打ち明け始めてくれる。
 
また、皆が読んでゐるから、その本を読むのではない。
 
わたしは、こころから会ひたい人と会ふやうに、こころの奥底から読みたいと思ふ一冊の本を読みたい。
 
そのやうなこころの吟味に適ひ、繰り返される読書の喜びに応へてくれるのは、よほどの良書である。
 
時の試練を越えて生き残つた「古典」である。
 
そして、そのやうな古典は、古(いにしへ)と今を貫いてゐて、現在進行形の問ひを読む人に突き付けてくる。
 
永遠(とこしへ)である。
 
わたしが、ここ数年、語らひ続けさせてもらつてゐるのは、『古事記(ふることぶみ)』と『萬葉集』と保田與重郎全集全四十巻である。
 
『古事記』は本居宣長の『古事記伝(ふることぶみのつたへ)』で、『萬葉集』は鹿持雅澄の『萬葉集古義』で読んでゐる。いづれの古典に於いても江戸時代後期の国学者に教へを乞ふてゐる。
 
ことばといふもの、日本語といふものに、すべてを賭けた先人の方々との対話。読書の豊かさ。ひとりとひとりであることの真剣勝負の喜び。
 
残りの人生のすべてをかけても、語らひは決して尽きない。
 

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2017年12月05日

本を読む@


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本を読むといふことは、わたしも子どもの頃からしてゐる。
 
しかし、いかにして本を読むかといふことについて、わたしが学び、知ることができ、またそれを実践し始めることができたのは、二十代も後半になつたときからである。
 
わたしに、本の読み方といふものを教えてくれたのは、ルドルフ・シュタイナーといふ精神科学者であり、その翻訳者である鈴木一博といふ人であつた。
 
鈴木さんの翻訳による『テオゾフィー』といふ本の序文にかう書いてある。
 
「頁といふ頁、多くも多くの文が、きつと読み手によつて稼がれる。それが、意識をもつて努めるところである。そもそも、さうであつてこそ、本が読み手にとつて、なつて欲しいところとなりうる」
 
また鈴木さんによつてアントロポゾフィー協会会報に書かれた文章「本を読むこと」にかういふことが書いてある。
 
「読み書きは、まさしく仕事です。それは、人が、することです。それは、人が、しようとしてすることです。それは、人が、独り立ちしてすることです。逆に、そのことを仕事といふなら、読み書きほどに紛れもない仕事といふのは他に見当たりません。読み書きは、労力が要ることでも、他に引けをとりません。稼ぎや儲けをもたらすことでも、他に引けをとりません。そして、人がしようとしてしてゐるうちに、人のさらなる独り立ちを促すことでも、また、人が中途半端にしてゐると、人を縛ることでも、他に引けをとりません」
 
わたしは、これらの文章に導かれ、二十代後半から五十近くまで、シュタイナーの本を毎日、毎日、倦まず弛まず、読み続けた。
 
とにもかくにも、一文一文を、一語一語を、アクティブに、舐めるやうに、穿つやうに、読んだ。
 
ときには、たつた三行の文を三時間ほど見つめ続けたことも多々あつた。
 
どんな難しい文章でも、読み続けてゐれば、見続けてゐれば、必ず、繙けるやうに分かつた。
 
それは、頭がいいからできることではなくて、意欲の漲りが導いてくれる、神秘的な、不思議な、仕業だつた。
 
さういふ、こころのアクティビティーをもつてすることが、本を読むことだと教へてくれたのは、ルドルフ・シュタイナー、鈴木一博、そのお二方であつた。
 
そのやうな本の読み方は日々の生き方にも繋がつてゐて、そここそをご教示いただけたことが、本当に本当に感謝に堪えない。

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2017年09月20日

漱石の『こころ』


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漱石の『こころ』。
 
十代の半ば頃と、二十代のはじめ頃に読んだこの本。
五十二にして再々読。
 
痛切。
 
読後、しばらく呆然とし、祈る。

静かにも 高き調べの 響きをり
   ものみな消えて 奥処(おくか)に歩まむ

             漱石ノ『こころ』ヲ読ミテ 
 

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2017年06月26日

『禁中』白楽天  〜執行草舟氏『友よ』より〜


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門厳にして九重(きゅうちょう)静かに
窓幽にして一室閑(いっしつ かん)なり
好し是れ心を修する処
何ぞ必ずしも深山に在らん

(『禁中』白楽天)
 
 
執行草舟氏はその著書『友よ』の中に、この白楽天の詩を取り上げてゐます。
 
 
●人々が住むその家を本当に大切にしたならば、そこはまぎれもなく、各々の人にとっての宮中になるという意味で、我が家を禁中と表現しているのだ。
 
●「門」を厳重にして、念には念を入れて戸閉まりをし、また出入りをする人間の質を選ばなけばならない。そうすれば、宮中と同じ厳粛さが生まれ、思索を行うにまたとない、静かな環境を我々に提供してくれる。
 
●肉眼をもってみえないものを「幽」と言う。つまり、外を見ない人間にならねばならぬ。『静にして閑』とは、この世の中で最も豊かな場所を表す。それは自己が意志で創るのである。
 
●心とは実に繊細な生き物なのだ。心は、真に美しく静かで豊かな場所でしか育むことはできない。だから、自己の心を修練し育み成長させる人物は、その環境を生み出す勇気をもたなければならない。
 
●自分のいる場所で、いつでも宮中のような静けさを創り、深山へ籠ったような深遠さを創り出せる人こそが真の人物なのだ。このことがわかれば、自分の家はこの世で最高の場所となり、自分の周りは最高の環境をいつでも維持できるようになる。またそのようにならなければ、人間は、決して本当の心の修練はできないのだ。
 
 
 
「己れ」「家」「宮」とは、大切に守り育みたいものを、じつと見つめる場所。
 
その人の意志次第で、そのやうな時と場所を意識的に創ることができる。
 
その人の意志次第で。

いつでも、どこでも。




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2017年03月16日

岡倉天心『茶の本』を讀んで


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天心の詩情溢れる文章。
英文で執筆されたものを、
桶谷秀昭氏の飜譯で讀む。
 
茶が供され、茶が服される。
その一點一事を眞ん中に、
人と人とが、
人と空間とが、
人と自然とが、
人と宇宙とが、
自由な闊達さと安らかな休息の調べを奏でる。
 
さういふ空間と時間が、
いかにして成り立つのか。
茶室といふ場で、
宇宙の大いなる息遣ひとの調和が、
茶人によつていかに織りなされるのか。
茶といふものをあひだにする、
人と人との磨かれたこころのありやうが、
いかにその空間と時間を無限に深いものにしうるのか。
日本人が美の神にいかにして仕へてきたか。
またそのためにいかにして己れを律することに努めたか。
この本では、
それらのことが磨かれたことばで述べられてゐる。
 
小册子だが、
あまりにも拔き書きしたい名文に溢れてゐる。
ひとつだけ書き冩してみる。
  
  おのれを美しくしなければ、
  美に近づく權利がない・・・
  茶人たちは藝術家以上の何ものか、
  藝術それじたいにならうとした。


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2017年03月02日

伊東静雄といふ男 〜執行草舟氏『友よ』から〜


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執行草舟氏が、
著書『友よ』の中で、
一遍の詩、
「そんなに凝視めるな」を取り上げながら、
伊藤靜雄といふひとりの詩人、
ひとりの男について、
書いてゐる。
 
 
 私は、その詩もさることながら、
 この簡單な人生をこそこよなく尊敬する。
 現今の世の中を見るにつけ、
 伊藤靜雄のやうな旧い男の美しさが
 より鮮明にわかる時代となつた。
 つまり伊藤靜雄の人生を考へる時、
 私は日本の男の生き方を考へてゐるのだ。
 いはゆる恩に生き、
 名聲を求めず、
 簡素に生き、
 默々と働く。
 そして家族の生活を支へ、
 文句を言はず、
 減らず口は叩かず、
 眞の生活から生まれる行によつて、
 肚の底から絞り出されるものだけを
 この世に殘し、
 默つて死ぬ。
 これが眞の日本男子の生き方だと
 考へさせられるのである。

 (原文は、現代假名遣ひ、當用漢字、改行なし)
 
 
 
この文章の後、
詩「そんなに凝視めるな」の一行一行が、
執行氏によつて讀み込まれる。
 
人間の深い優しさから溢れ出てくる、
逆説のことば。
 
そのやうな、
生きることの、
痛みと悲しみを知るが故の優しさ。
その優しさから生まれてくる、
逆説的なことばを発する人に、
わたし自身これまでの人生で接したことがなかつた。
 
それ故、
伊藤靜雄の詩をこれまで愛唱してきたが、
その詩には、長いあひだ、
その内なるたましいを豫感しながらも、
なぜか、こころにほどきえぬ、
隔靴掻痒のもどかしい想ひを抱いてゐた。
 
が、執行氏によつて、
この詩が取り上げられ、
長い年月のあひだのこほりが溶けたやうに感じた。
 
この『友よ』といふ書、
執行氏の全体重がかけられた一文一文で綴られる、
そのやうな文章が全四十五章。
四十五の詩歌が取り上げられ、
どの章を讀んでも、
その詩と詩人に惚れ込んでしまふ。
 
 
伊藤靜雄の詩をここに記しておきます。
 
 
そんなに凝視(みつ)めるな わかい友
自然が与へる暗示は
いかにそれが光耀(くわうえう)にみちてゐようとも
凝視めるふかい瞳にはつひに悲しみだ
鳥の飛翔の跡を天空(そら)にさがすな
夕陽と朝陽のなかに立ちどまるな
手にふるる野花はそれを摘み
花とみづからをささへつつ歩みを運べ
問ひはそのままに答へであり
堪へる痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)だ
風がつたへる白い稜石(かどいし)の反射を わかい友
そんなに永く凝視めるな
われ等は自然の多様と変化のうちにこそ育ち
あゝ 歓びと意志も亦そこにあると知れ
         (「そんなに凝視めるな」伊東静雄)


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2017年02月22日

「覺悟」といふ精神の系譜 〜『保田輿重郎と萬葉集』(小川榮太郎著)を讀んで〜


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『保田輿重郎と萬葉集』(小川榮太郎著)を讀んで
(月刊『VOICE』平成二十八年十・十一月号掲載)

 小川榮太郎氏によるこの論説を讀み、保田與重郎による『萬葉集の精神』を讀み、大伴家持による『萬葉集』をひもとき續ける。そんな毎日が續いてゐる。

 そんな毎日がわたしに何をもたらしてゐるか。それは、「覺悟」といふ精神の系譜である。その系譜を自分自身で踏んで歩くための力である。靜かだけれども、人のこころの奧底に確かに在る「こころざし」そのものの持つ力である。

 新しく小川氏によつて書き表されたこの文章を熟讀する人がゐるならば、かそけきものかもしれぬが、この國にきつと傳來の精神の底流が途切れず保持される。わたしは、さう感じてゐる。

 日本といふ國に於て、皇室の存在意義を搖るがすやうな危機は、これまでの長い歴史の中で幾度かあつた。それは同時に我が國の危機であつた。古き神ながらの道・古神道から離れゆく政治的・文化的情勢の怒涛のやうな流れに對する悲哀と慟哭を強く感覺した者が、まづもつて柿本人麻呂であり、大伴家持であり、幕末維新の志士たちであり、保田與重郎であり、そして、この論説を起こした小川榮太郎氏である。

 その危機が最初に大きく現前した壬申の亂をどのやうに捉へ、どのやうなことばをもつて記述するか。それによつて、以後の一國のあり方が決められていく。地に堕ちた人のことば(言挙げ)だけでやりくりしようとするのか。神々との繋がりの中で響き來ることば(言霊)にみづからをさらしつつ語つてゆくのか。江戸時代の國學者たちは、古事記と萬葉集、とりわけこのふたつこそがことばの力に依つた古典であるとした。さう、ことばの力(言靈)こそが、人のこころを救ひ、國の歴史を定め、後の世の流れを左右するのだ。萬葉集は、そのことばが、イデオロギーに依るのではなく、民の心情・草莽のこころざしから記された我が國最高の古典なのである。

 その國史への悲哀と慟哭が、壬申の亂の後に、大君に仕へる宮廷歌人であり草莽の民である柿本人麻呂によつて詠はれ、そのいくつもの長歌には、この國の精神を救ふ偉大なることばの力が見いだされる。人麻呂は、天智天皇・天武天皇、兩統の間での正邪を斷じて正統性を爭ふやうな言舉げを決してせず、内亂を描いても敵對や分離を示さず、あくまで「國の心の一つに凝り固まらうとする」尊皇によるこの國の根本義をもつて壬申の亂を描く。その人麻呂の詠歌によつて、日本の歴史は救はれ、皇室の純粹性は保たれたのだといふ、家持の直感、保田の深い見識を、小川氏は浮かび上がらせる。

 そのやうな、國の精神を救つた、人麻呂の神ながらともいへるこころざしからのことば遣ひをそのままの精神で掬ひ上げ、萬葉集として記録したのが大伴家持である。しかし、藤原氏の政治的專横・暴虐によつて、自分たち大伴氏族の勢力だけでなく、大君を慕ひ、仕へ奉る勤皇の精神が政治の中樞から失墜し續けてゐる當時の運命的状況の中で、家持は既に人としての迷ひ、弱さ、絶望を充分に味はひ知つた人であつた。だからこそ、彼こそは當時の時流に抗して、明晰な意識をもつてその言靈に宿る精神を記録し、またみづからも詠つたのだつた。その行爲は、己れ以外のものからの壓力や命令によるものではなく、ひたすらに己が身の奧底から溢れ出てくる大君への眞情、草莽のこころざしからのものであつた。小川氏はその家持の「覺悟」を見事に描き出してゐる。「新しい政治・文化状況を認めない。が、政治陰謀には加擔しない。認めない事を、人麻呂以來の歌の傳統を繼ぐことで證立てる。‐ これが家持の覺悟だつたと見ていい。」

 人の世を生き拔き、この世の榮華を勝ち誇るのではなく、政治的に必敗のこのやうな生き方を家持に選ばせたのは、いつたいどのやうな念ひだつたのか。それは、「かけまくも 畏き」「大君の思想」である。人麻呂の神の力に通われたやうなこころざしからの歌。それらを歴史の藻屑と消え去つていくことから掬ひ出し、更にその心境にみづからも重なるやうに己れの歌を詠ひ、そして四千五百首以上の優れたやまとことばによる歌を集めて萬葉集を編むことで、家持は人麻呂の大君への念ひを繼ぐ。その繼承によつて、家持はその念ひを「大君の思想」へと練り上げたのだ。

 現實世界からの逃げではなく、ことばの精神に生きることこそが國を究極には救ふのだといふ、その家持の「見識」「覺悟」こそが、萬葉集といふ我が國最高の古典の源泉、眞髄であり、その覺悟に至るまでの葛藤・勘案が萬葉集を貫くリアリティーだつた。家持は、美學の洗煉の中で古今集以後失はれてしまつたこころざしを述べること、述志こそが和歌の眞髄であることを意識して實行した、一人の人だつたのである。

 少年時代からその萬葉集に親しみ、江戸時代の土佐の國學者・鹿持雅澄の『萬葉集古義』にその「覚悟の系譜」を學び續けた保田與重郎は、大東亞戰爭勃發直前に『萬葉集の精神』といふ著述のために筆を起こした。異常な緊張に漲つてゐた當時、彼は己れの「覺悟」をその家持の「覺悟」に重ねた。 そしてその態度は、戰後も一貫するのである。

 彼は、當時のアララギ派を中心とした近代歌論を明確に否定し、一首一首に表れる美、ひとりひとりの歌人に表れる美學よりも、それらを土臺で支へる「國の心の一つに凝り固まらうとする」こころざしをこそ本質だとする、萬葉集に對するもつとも古く、もつとも新しい見立てを行ふ。

 そして、戰前、戰中、ヒステリツクに叫ばれる國策としての萬葉利用を根柢から侮蔑する。その叫びは、右往左往する國際情勢からの場當たり的な論から生まれたものであり、なんら國のおほもとに立ち返つての搖るがぬこころざしからのものではなかつたからである。

 當時のアメリカと日本の、物量に於る壓倒的な彼我の差は、當然保田にも認識されてをり、その上で絶叫される戰意昂揚などに彼は全く同調することはできない。

 ここで、小川氏は、文業に對する保田の身を賭してのあり方を鮮やかにかう書き記してゐる。
 「戰が始まつたことをまづ神意と見た上で、日本の祷りを行くしかない、これは狂信ではなく、あの時代に一文學者の立ち得る唯一の合理だつたとさへ言へるであらう。その意味で、これは寧ろ、時局を批判しながら、大東亞戰爭の精神を救ふ立場だといふべきではないか。」この立場に徹することが、保田の第一の「覺悟」であつた。
 
 さういふ保田の姿勢を理解したものは、出征していつた多くの多くの若者たちだつた。そして年老いたインテリゲンチャほど、その草莽のこころざしを理解できなかつた。さういふ状況は、彼自身出征し、歸國した戰後も變はりなく、戰前親交を持つてゐた龜井勝一郎にさへ、保田は曲解されてゐる。さうして彼は戰後、アメリカのGHQによる公職追放だけでなく、文壇からの追放といふ四面楚歌のやうな立場に追ひ込まれる。
 
 ここで、二つ目の保田の挺身・「覺悟」が小川氏によつて記されてゐる。それは、友であつた龜井のことばに端的に表されてゐるやうな「ものいひ」に對する戰後のことばである。その「ものいひ」とは、保田の文業が多くの若者を無殘にも戰爭に驅り立てたのではないか、そのことに對する反省は如何、といふものだつた。GHQによる占領檢閲下の昭和二十四年、戰前の日本は全否定され、聯合軍の正義と日本軍國主義の惡は絶對的なテーゼだつた。その時に、保田は龜井勝一郎に答へる形で、「小生は戰爭に行つた日と同じ氣持で、海ゆかばを歌ひ、朝戸出の挨拶を殘して、死す」と書いた。「海ゆかば」とは、大伴家持によつて「大君の邊にこそ死なめ 顧みはせじ」と詠はれた長歌のことである。小川氏は書く。「戰後かういふことを明確に、それもここまで激しい言葉で堂々と言ひ放つた文學者は、川端康成や小林秀雄を含め、殘念ながら他に一人もゐないのである。」

 論説文の最後に、この「覺悟」の系譜を小川氏は改めて家持から辿る。

 壬申の亂後約八十年が経つた後でも、防人をはじめとする草莽の民たちによつて大君への純粹な念ひが詠われる。そして、その純粹を裏切るやうな藤原氏の陰謀の政治。その間に立つて、絶大な責任を感じた家持は歌をもつて「國の柱となり神と民との中間の柱になるものは」自分以外にないといふ自覺に達したのである。

 昭和十年代に於いて保田與重郎は、この家持の自覺・覺悟を引き繼ぎ、我が國未曾有の危機である大東亞戰爭に面して、みづからも文人として、この神と民との間に立つ柱となる自覺を覺える。小川氏は書く。「保田は萬葉集を解いたのではなく、自らの言葉で同じ道を踏まうとしたのである。保田自身が現に經驗してゐた、日本の更に巨きな亡びの自覺が、それを彼に強ひたからだ。」

 そして、この論説文の最後に、筆者小川榮太郎氏の「覺悟」が、韜晦のかたちに包まれて記されてゐる。「・・・眞の戰ひは全く終はらぬまま、『國の柱となり神と民との中間の柱となる』覺悟のない七十年が過ぎ、我々は亡びの過程を今も下降し續けてゐる。萬葉集は決して過去の詩歌集などではないといふやうな言葉が、一體今、誰に屆くのかを怪しみながら、ひとまづ、私は筆を擱く。」

 文學者とは、ともすれば離叛していかうとする精神と物質を仲介する橋にならふとする人である。ことばをもつて、神と民との中間の柱になることを念じ、悲願し、志す人である。さういふこころざしを持つ人の系譜が、柿本人麻呂から大伴家持へ、そして幕末ごろの國學者たち、維新の志士たちへ、更に保田與重郎へと引き繼がれてゐることを小川氏は書き記した。そして、さらに小川氏自身が、この系譜の尖端に立つてゐることをも、わたしは改めて強く感じることである。

 現實の世の混亂・危機から、人のこころを救ふのは、まづもつて、ことばである。人のこころを覺醒させ、非本質的なところから本質的なところに立ち返らせる、そんなことばなのである。小川氏によるこの『保田與重郎と萬葉集』といふ文章は、さういふことばを發し續ける覺悟を固めた人の系譜を記してゐる。

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