2020年10月25日

さとりの化けもん 〜精神みづからによる自己教育〜





秋も深まつて来ますと、
人のこころも、
外のものごとに向けられることから、
内なる精神に、
向けられるやうになりはしないでせうか。


その人その人の内なる精神のことを、
シュタイナーは、
「精神みづから Geistselbst」と名付けました。


わたしが〈わたし〉に意識を向け、
〈わたし〉に問ひかけるとき、
精神である〈わたし〉、
「精神みづから」は、
どのやうな内容をわたしに伝へるでせうか。


まづもつて、
わたしが考へてゐること、
感じてゐること、
欲してゐることを、
鏡に映すやうに伝へてくれるでせう。


それが、精神みづからによる、
自己教育の始まりです。


もしかしたら、
精神みづからが示す鏡像は、
おぞましいものかもしれません。
精神みづからも美しいすがたで現れるか、
おぞましいすがたで現れるか、
その人のこころのありやうをきつと示すはずです。
そして、それは、秋から冬にかけて、
内において顕れます。


ドイツでは、
庶民のことばで「マーネン(Mannen)」として、
日本では、八百萬(やをよろづ)の神々として、
「低いわたし」の顕れから、
「高い、まことの〈わたし〉」の顕れに至るまで、
それら精神みづからがらが言ひ表されてきました。


そのやうな精神からこころへの、
自己教育(こころざし)の内実は、
絵姿を湛えた神話や昔話、メルヘンを通して、
どの民族においても語られてきました。


日本にも、さういふお話があります。
『さとりの化けもん』です。




言語造形(Sprachgestaltung)とは、
ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーから生まれた、
ことばの芸術です。
ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、
シュタイナーは、人に想い起こさせようとしたのです。


わたしたち「ことばの家 諏訪」は、
大阪の住吉にて、
その言語造形を学ぶ場を設けています。


「ことばの家 諏訪  言語造形のためのアトリエ」
https://kotobanoie.net/




「言語造形 ことばの家諏訪」チャンネル登録、
どうぞよろしくお願ひします!
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/featured?view_as=subscriber

2020年10月15日

小林秀雄「人形」 〜行間に秘められてゐるもの〜






和歌、そして俳諧(俳句)のやうに、
極限まで切り詰めたことばの響きの内に、
深々と揺蕩ひ、沈み込むやうなこころの営みと、
世のまるごとに亘るやうな精神の運動を包みこむ、
そんなことばの芸術が、
日本といふ国に育つてきました。


「もののあはれを知る」。
その文学の持つ意義を、
昭和の人、小林秀雄もその批評文の中に、
見事に引き継いでゐます。


この「人形」といふ小さな作品は、
しかし、批評文ではありません。
「もののあはれを知る」人が記しとどめた、
文学の持つ機能を深める、
ひとつの金字塔のやうなエッセイです。


行間といふ間(ま)に鎮められてゐる、
もののあはれをわたしも引き上げたい一心で、
この作品に取り組んでゐます。



2020年10月08日

お聴き逃しなく!言語造形公演「やさしい世界の終はり方」






わたくし諏訪耕志、
そしてクラリネット演奏の小西収氏とでの、
リハーサルでのひとコマです。


よろしければ、秋も深まるひと日、
耳で、からだまるごとで、
文学を味はひにお越しになりませんか。


大阪公演 於ことばの家 諏訪
令和2年10月18日(日)

京都公演 於 カフェ・ヨージク
令和2年11月3日(火・祝)

詳しくは、ホームページにて
https://kotobanoie.net/play/


2020年10月07日

日本昔話「桃太郎」〜死からの甦り〜






皆さん、お馴染みの「桃太郎」です。


やはり、川から流れて来るものは、
「栗」でも「柿」でも「すいか」でもなく(笑)、
「もも」でなければなりません。


「桃」は、
人が、死といふものを乗り越えて、
再び命の甦り(黄泉帰り)を果たす際に、
働かれた神であるからです。
(『古事記』より)


また、「もも」といふ音韻の持つやはらかさが、
その命の持つういういしさを表はしてはゐないでせうか。

 
「桃太郎」といふお話が、
ずつとずつと語り継がれて来たのには、
桃太郎といふ精神の人が、

鬼の住むこころの混沌(鬼が島)から、
お姫様(まことのこころ)を救ひ出す、
そんな死からの甦りを描いてゐるからでせう。



わたしたち日本人はずつと、
このお話を愛してきました。


どうぞ、お楽しみください。






言語造形(Sprachgestaltung)とは、
ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーから生まれた、
ことばの芸術です。
ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、
シュタイナーは、人に想い起こさせようとしたのです。

わたしたち「ことばの家 諏訪」は、
大阪の住吉にて、
その言語造形を学ぶ場を設けています。



「ことばの家 諏訪  言語造形のためのアトリエ」
https://kotobanoie.net/


2020年09月27日

日本昔話「天福地福」






日本昔話「天福地福」、
ゆつたりとした時に、
よかつたら、
聴いてみて下さい。



言語造形(Sprachgestaltung)とは、
ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーから生まれた、
ことばの芸術です。
ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、
シュタイナーは、人に想い起こさせようとしたのです。


わたしたち「ことばの家 諏訪」は、
大阪の住吉にて、
その言語造形を学ぶ場を設けています。
「ことばの家 諏訪  言語造形のためのアトリエ」
https://kotobanoie.net/


動画「天の岩屋戸のはなし」






動画による、
古事記神話(現代語訳)に、
素敵な絵を描いて下さいました。
https://www.youtube.com/watch?v=MxuzMi5Iqn4


こと、動画といふ伝達手段を通すときでは、
「絵」は生きますね!


なまの語りには、そもそも、
絵は必要がないのです。
それは、聴き手がこころの内側で
みづから絵を自由に描くからです。


しかし、
動画といふ加工されたヴァーチャルな次元においては、
逆に絵の要素がこの動画芸術を助けてくれます。


描いて下さつた方に感謝!

2020年09月20日

動画 外郎売を通してA 母音の位置取り






ことばを話すための器官。

それは、もちろん、
口、舌、歯、唇、鼻、気管、肺・・・ですよね。

しかし、実際は、からだのすべてを使つて、
人はことばを話してゐます。

いや、からだのすべてどころか、
実は、自分の身の周りの空間を総動員して、
ことばを話すのです。

なぜって、空気・風を動かすことで、
人は声を出し、声を聴くことができるのですから。

ここでは、再び、歌舞伎の演目『外郎売』を通して、
母音のそれぞれ(あえいおう)が、
空間のどのあたりにおいて鳴りたがつてゐるかを探つてゐます。

さう、ことばの音韻そのものが求める、
鳴らし方、響かせ方があるのです。

口の中をぐ〜んと拡大して、
空間そのものが、ものを言ふやうに、練習していきませう。

そのやうに言語器官をより強く、
しなやかに育んで行くことで、
表現が一層生彩を帯びてきます。






『言語造形 外郎売を通して@ 身振りの学び』
https://youtu.be/d8UBmUnGzws



言語造形のためのアトリエ『ことばの家 諏訪』
https://kotobanoie.net/
 

諏訪耕志ブログ『斷想 ・・日本の精神に學びつつ・・』
http://kotobanoie.seesaa.net/

2020年09月06日

言語造形・身振りの学び 外郎売を通して@





ことばを話すことを仕事にしてゐる方、
とりわけ、
子どもたちに語りかけることを仕事にされてゐる方に、
言語造形に取り組んでいただけたら、
さう願つてゐます。


「語るとは、身振り(勢ひ)に潜んだ、人の甦りである」


ルドルフ・シュタイナーの講演録
『言語造形と演劇芸術』の中のことばです。


ことばの一文一文、一語一語、一音一音に、
相応しい身振りが胚胎されてゐます。


そのやうなことばそのものに潜んでいる、
身振りを引き上げて話すことで、
どれほどことばに命が吹き込まれることか!


ここでは、歌舞伎の演目『外郎売』を通して、
言語造形の基礎のほんのひとつを示させてもらつてゐます。


三回に分けて動画にしました。
日々のことばを話すことに、
また、ことばといふものに向き合ふために、
少しでもお役に立てていただければ嬉しいです。
 
 
             
 
 


 
令和二年 9/19〜9/22 秋の連続講座
『 言語造形 その実践と理論 』 大阪「ことばの家 諏訪」

 


2020年07月22日

意味よりもリズムを われらが萬葉集 その一


 


 
 
我が国最古の抒情歌集『萬葉集』。
 
 
その開巻第一首目の歌、
第二十一代・雄略天皇による長歌を
歌はせていただきました。
(訓みは、土佐の国学者・鹿持雅澄のものです)
https://youtu.be/TTRcCkYLQvE
 
 
籠もよ み籠持ち 
堀(ふ)串(くし)もよ み堀串持ち
この丘に 菜摘ます子 
家告(の)らせ 名のらさね
そらみつ 大和の国は 
おしなべて 吾(あれ)こそ居れ 
しきなべて 吾(あれ)こそ座(ま)せ 
吾(あ)をこそ 夫(せ)とは告らめ 家をも 名をも
 
 
なんと、恋の歌です。
野に若菜を摘む、をとめに対する求婚の歌です。
 
 
我が国において、
精神文化の中心であり、かつ、
神と通じる霊的な役割を荷ひ続けられる天皇様が、
をとめに恋をし、結ばれ、御子をお生みになること、
それは、国といふ共同体が弥栄に栄へゆくための、
とても、とても、たいせつなことなのでした。
 
 
だからこそ、
『萬葉集』の第一首目なのです。
 
 
言語造形による朗唱。
 
 
ことばのひとつひとつの意味よりも、まづ、
短短長、短短短長・・・
と重ねられる響きのリズムと母音の広がり、
それらの音楽的要素を感じてみませう。
 
 
その、上昇していくおほらかな調べは、
この歌を口ずさむたびに、
わたしをまるで桃源郷の世界へと、
いざなふやうなこころもちにさせるのです。
 
 
共に味はつていただくことができればなによりです。
 
 
 
 
 
なぜ、『萬葉集』といふものが、
この世に生まれたのか。
 
 
それは、当時の日本が危機に直面してゐたからです。
 
 
我が国の先祖伝来の精神文化が、
隣の大国・唐からの最新の文化・文明に、
駆逐されさうになつてゐたからです。
 
 
ご先祖様から受け継いできたものの考へ方、
暮らしの立て方、人生の送り方、
そして、何よりも、古くからのことば遣ひ、
それらが失はれさうになつてゐたからです。
 
 
明治の文明開化の約一千年前にも、
同じやうな深刻な矛盾を、
我が国は抱えざるをえなかつたのです。
 
 
『萬葉集』は、
古くからのことばに対する信仰、
ことばに対するたいせつな感覚を保持し、
未来永劫の日本民族に、
そのことばの美、言霊の力、言語芸術を、
なんとか残さうとして、
大伴家持によつて編まれたものです。
 
 
この『萬葉集』が編まれたことによつて、
その後も辛くも、
日本は日本であり続けることができたのだ、
さうわたしは確信してゐます。
 
 
 

2020年07月01日

弔ひの声  平家物語


 

 
このウィルス騒ぎの三か月間、
家に籠もる時間が多くなり、
『平家物語』を最初から最後まで、
じつくり読むことができました。
 
 
読み進めてゐる最中も、
読み終はつた今でも、
何より、わたしに強い印象を残してゐるのは、
「死」といふものに対する当時の人々の態度です。
 
 
今のわたしたちのやうに、
死ぬことが怖くて怖くてたまらない人も、
当然をりますが、
これほどまでに人は、
死といふものに、
潔く突き進んで行くことができるものか、
と感嘆するしかないやうな人も、
たくさん、たくさん、出てくるのです。
 
 
そして、泣くのです。
 
 
多くも多くの人が、武士たちが、
涙に濡れる袖を絞るのです。
 
 
この物語は、いつたい、何なのか。
 
 
読んでゐる間中、
ずつと、弔ひの声が聴こえてくるのです。
 
 
わたし自身、恥ずかしい話ですが、
この齢になつて初めて、
世は無常であるといふことを痛感しました。
 
 
本当に、世は、無常なのですね。
 
 
そして、そのときに感じざるをえない、
もののあはれを詠ひ、語り継いで来た、
わたしたちの祖先の皆様に、
本当に尊敬の念を覚えます。
 
 
なぜならば、それを詠ひ、語るといふ行為は、
「もののあはれ」の情をみづからつかみとり、
その情の上に立たないとできることではないからです。
 
 
そのことばの響きは、
死といふものを貫く、
人の真のいのちがあることを教へます。
 
 
全十三巻の物語を読み終へた今、
冒頭にある、
諸行無常の響きがあるといふ、
祇園精舎の鐘の声を、
切に聴きたいですし、
盛者必衰の理をあらはすといふ、
沙羅双樹の花の色を、
切に見たいと念ひます。
 

動画は、その「死」を描いた場面ではありませんが、
二十歳の若武者が己れのいのちを懸けて弓を放つ、
「那須与一」の段の語りです。
https://youtu.be/FR70tahwzO0
 

2020年06月20日

イソップ物語『狐と月影』 言語造形






イソップ物語から「狐と月影」といふ短いお話です。
ドイツ語版からの翻訳は、鈴木一博氏です。


寓話は、お話の最後に教訓が添えられてゐます。
望むべくは、聴く人の知性にではなく、
情に訴へるやうに語りたいものです・・・(^_^;)。 


ことに動物寓話は、
9,10歳あたりの子どもたちの情に訴へることによつて、
健やかな意識の目覚めを促します。
 

ちなみに、一連の動画では、
お話の前に題名を言つてゐますが、
子どもたちに語る時には、
その親しい雰囲気ゆゑに、
題名をあまり引き立てないことにおのづとなるでせう。
 
 
 

2020年06月18日

6年前の公演「グリム童話のひととき」




 

6年前の2月に「ことばの家」にて行ひました公演です。
 
 
この時は、小学2年生だつた長女が、
『星の銀貨』を語りました。 
 

演目・出演は、
「兎の花嫁」(諏訪千晴)
「星の銀貨」(諏訪夏木)
「白雪姫」(諏訪耕志)
音楽作曲・演奏(森田徹さん)
 
日本語翻訳 鈴木一博氏です。
 
 
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2020年06月12日

動画・グリム童話『星の銀貨』〜アントロポゾーフの仕事 〜



 

 
アントロポゾフィーといふ精神科学を学ぶほどに、
昔話、童話、メルヒェンといふものに対する、
いのちの通ふ理解が、
こころの深いところで生まれて来るやうに感じます。
 
 
それは、精神科学における考への内容といふよりも、
その考への「かたち」に、
お話のひとつひとつが触れるのを感覚する、
そんな実感です。
 
 
お話の中に、神々しい叡智が息づいてゐるのです。
 
 
昔の人は、
その叡智を感じるところからお話を語つてゐた。
 
 
唯物的世界観の中でその叡智を失つてしまつた、
現代人であるわたしたちは、
もう一度、芸術を通して、
その叡智を活き活きと汲み上げ、
意識的に、
土地から土地へ、
オンラインで(笑)、
旅しつつ、語り歩くことができます。
 
 
精神科学を広めようとしなくてもいい。
 
 
それをこころから求める人が必ずゐて、
その人には、必ず、その学問が届くはずだから。
 
 
ただ、アントロポゾーフの仕事があるとするならば、
精神科学といふ現代の人類に与へられてゐる叡智を、
各々、各自のスタイルにメタモルフォーゼさせ、
すべての人、すべての子どもたちに、
彼らが求めてゐるものとして、
何かを供していくことにあるのではないでせうか。
 
 
いま、精神科学の観点からお話を語るといふ作業は、
中世の聖なる吟遊詩人の仕事の再現です。
 
 
「メルヒェン、伝説とは、
 人がこの世に生まれて来る時に、
 人生の旅路に備へて、
 精神の故郷から授けられる、
 善き天の使ひである。
 それは、人生といふ旅路を通して、
 人にかいがいしく付き添ふ友である。
 その人にその友が付き添ふことによつて、
 人生は、まこと、内において、
 活き活きとしたメルヒェンとなる」
     (ルートヴィッヒ・ライトナー)
 
 
人生がメルヒェン・昔話・神話になるとは、
人生が精神的なものになる、
といふことです。



2020年06月04日

こころの食べ物 グリムメルヘン「おいしいお粥」



 
 
 
グリム童話の「おいしいお粥」です。
https://youtu.be/XMpIxE4_oD8
翻訳は、言語造形家の鈴木一博氏。
 
3歳、4歳、5歳あたりから、
聴かせてあげたいお話です。
(もちろん、7歳、8歳、9歳でも楽しむことができます)

その頃の子どもといふのは、
自分自身の内なる丸いお鍋の中で、
お粥を煮ては、食べ、煮ては、食べることを
だんだんとし始めるものです。
 
さて、内なるお鍋とは、内なるお粥とは、何でせう。
 
ぐつぐつぐつぐつ・・・。
 
 
 
ほんものの昔話、メルヘンは、子どもたちにとつて、
なくてはならないこころの食べ物です。
 
こころが成長していくための糧です。
 
なぜなら、それらのお話はすべて、
子どもたちが生まれる前にゐたところ、
精神の世から生まれてゐるのですから。
 
どうぞ、お子さんと一緒に、お楽しみください。
 
 

2020年05月18日

『外郎売』Speach Formation「KABUKI Speach UIROUURI」by SUWA KOUJI






歌舞伎の演目から『外郎売』です。
 
 
この「外郎売」のセリフ、
演劇人やアナウンサー、
声優によつてよく取り上げられます。
 
 
早口ことばによる滑舌の稽古として、
用いられてゐるのですね。
 
 
言語造形においても、
特に早口ではないのですが、
ことばのひとつひとつの音韻を、
その音韻に相応しく形造つたり、
前で鳴らしたり、後ろで鳴らしたり、
昇らせたり、くだらせたり、
様々な内なる身振りを試みたりで、
本当に取り組みがいのある魅力的な作品です。
 
 
途中、一箇所、間違ひました!
どうぞご容赦下さい^_^;
 

聴いていただき、
お楽しみいただけたら、嬉しいです。
 
 

2020年04月27日

語り『架ける橋』






ここのところ、
夜に見た夢を朝になつてもよく憶えてゐます。
 
 
それらの夢に刺戟されたのでせうか、
この人生におけるわたしの念願といふものが、
いまさらながら意識に浮かび上がつてきてくれました。
 
 
今生において、
離れざるをえなくなつた人たちが、
たくさんゐます。
 
 
その人たちともう一度、話しができたら。
 
 
そんな念ひから、
このお話を語つてみました。 
 
 
この作品は、以前、オランダのWim Wolbrinkさんが語つてをられたものです。


このお話「架ける橋」のテーマ、
それこそがわたし自身の永遠のテーマであります。


お聴きいただければ、嬉しいです。



2020年04月18日

語り『蛇の輪』







言語造形の語りを聴いていただきます。


川手鷹彦氏(藝術治療教育家)作「蛇の輪」です。


かうして自粛が長引く中、
少しでもこころに静かさと安らかさを
皆さんにお届けすることができたらと思ひ、
童話を語る動画を撮つてみました。
 
 
お時間がありましたら、
ご覧いただければ嬉しいです。
 
 
これまでは、
今週の〜曜日には、どこそこへ出かけて、
どこそこで仕事して、誰と会つて、などなど、
予定が一杯詰まつてゐましたね。
 
 
先が見え過ぎるくらい見えてゐました。
 
 
いかし、いま、全く先が見えません。
 
 
予定が立てられません。
 
 
手帳が真っ白です(笑)。
 
 
でも、だからこそ、
先が見えないこの時だからこそ、
「いま、ここ」だけを見つめる練習ができます。
 
 
「いまの真つ只中」
「Right Here Right Now」
「Geistes-Gegenwart(精神がいまここにあること)」
を味はつていきませう☺️
 

皆さんのこころに静かさと安らかさが戻りますやうに・・・。
 

 
※表紙の彫刻は、ミンヌ『聖遺物箱を担ぐ少年』です。

2018年03月26日

動画『白雪姫』




2014年2月16日「ことばの家 諏訪」でのグリム童話『白雪姫』。50分の語りの内の始めの3分の部分です。






【ことばの家 諏訪 平成三十年度クラスのご案内】
 
●言語造形クラス
https://kotobanoie.net/spra/

●和歌(やまとうた)を学ぶ会
https://kotobanoie.net/yamatouta/

●生誕劇を演じるクラス
https://kotobanoie.net/spra/#pageant

●言語造形で甦る我が国の神話と歴史クラス
https://kotobanoie.net/spra/#kojiki

●日本の言霊を味わうクラス(講師:諏訪千晴)
https://kotobanoie.net/kototama/

●普遍人間学そして言語造形を学ぶクラス
https://kotobanoie.net/tue/

●名張・言語造形を体験する会『ことばを聴く 語る』

講師: 
諏訪耕志 (「ことばの家 諏訪」主宰 )

日時: 
4月16日(月) 10:00〜13:00

場所:
三重県名張市内 (お申込み頂いた方に詳細をお知らせします)

参加費: 
3,000円

お問い合わせ・お申込み: 
ことばの家 諏訪 
 e-mail info@kotobanoie.net
 Tel 06-7505-6405

プログラム:
10:00 お話しを語るワークショップ
(言語造形を体験していただきます)

12:00 お話しに耳を澄ます朗読会 
(言語造形による語りを聴いていただきます)

「風呂に入るお地蔵さん(名張の昔話)」 南ゆうこ
「和泉式部日記」より 森野友香理
「蛇の輪(創作昔話)」 諏訪耕志

12:45 シェアリング

(全員で感想を語りあい聴きあいましょう)

13:00 終了




2018年03月25日

結婚披露宴での『高砂』




たいせつな友人の結婚式・披露宴。
 
お祝ひとして謡曲『高砂』を、歌詞を少し変へて言語造形の朗唱を聴いていただく。
 

2018年02月17日

青いスミレ




以前、キッズレーダーに掲載させてもらつてゐた『語り聞かせ教室』。ルドルフ・シュタイナーの「青いスミレ」。
 
齒が生え変はり始めてから九歳~十歳ごろまでの子どもたちの感情を育んでいく。
 
そのことの重要性は、我が家の下の娘(丁度九歳、まうすぐ四年生)を観てゐても、いたく感じるところだ。
 
植物や、動物や、青い空の色や、雪の冷たさなどに触れるとき、彼女の感情が深く深く動かされる樣子を観て、もう既に大人になつてしまつてゐるわたしはとても新鮮な驚きと懐かしさを覚える。
 
この時期にある子どもならではのこころのありやう。自分自身のその頃のことを想ひ起こすと、とても懐かしく感じる。
 
世界のどの部分も、息をし、ことばを話す生き物のやうに捉へてゐた。自分のこころと世界が、密やかな話しを交はしてゐた。
 
そんな時期にある子どものこころを育んでいくために、とりわけ、感情生活を豐かに息づかせていくために、たとへば、このやうなお話を、石も植物も川も雲も山も動物たちも人に語りかけてくる存在として、芸術的に語つてあげられたなら、と思ふ。
 
そんな風に、この年代の子どもの感情を耕すこと。
 
それは、その子の生涯の感受性、世の捉へ方の質を深めていくことに、おそらく繋がつていくのではないだらうか。