[動画・ポッドキャスト・語り聴かせ教室 (キッズレーダーより)]の記事一覧

2021年03月03日

なめとこ山の熊(その三)〜この世とあの世との調和〜






死んでゆく熊たちは、死んだ後も、生き続ける。

熊は、死んでも、その息遣ひと血の巡りの調和を、宇宙へと、大いなる世へと、もたらす。

熊の胸の領域におけるその調和は、この世とあの世との調和を促す。

その調和ゆゑに、人は、熊を山の神として崇めてゐた。

そもそも、山はこの世とあの世とを繋ぐところであり、熊は山であつた。

そして、神は、我々、人に、その身を捧げて下さつてゐる。



言語造形による語り「なめとこ山の熊」、賢治の本作品からの抜粋を全四回でお届けします。

2021年03月02日

なめとこ山の熊(その二)〜音の世を培ふ〜






密(ひめ)やかに学ぶ人は、動物の声が知らせてゐる快や痛みに、みづからの情を親しく繋ぎ、そのやうな声と響き交はす。

その人は、さらにそれを超えて、その声がみづからにとつてなんであるかに迫る。

その声が心地よからうとなからうと、気に入らうと入るまいと。

その声を発するものの内に生じてゐることこそが、みづからのこころのまるごとに満ちるやうにする。

はからひに沿ひ、先立つ考へをもつて、そのやうな練習をする人は、声を発するものと、合流するやうになる。

自然のまるごとが音によつて秘密をささやきはじめる。

かつてはみづからのこころにとつて訳のわからない音であつたものが、意味に満ちた自然の言語となる。

そのやうな情の培ひにおいて、やがては、それまで思ひも寄らなかつたものを聴くことができてゐることに気づくやうになる。

その人が、こころをもつて、聴きはじめる。


(ルードルフ・シュタイナー「いかにして人が高い世を知るにいたるか」より)



言語造形による語り「なめとこ山の熊」、賢治の本作品からの抜粋を全四回でお届けします。

2021年02月28日

なめとこ山の熊(その一)〜信仰といふものの深みを引き出したい〜




宮沢賢治の「なめとこ山の熊」から部分を抜粋して、四回に分けて語らせてもらひました。

この作品には、多面的な意味や魅力が詰まつてゐます。

しかし、とりわけ、このたびは、信仰といふものの深みをこの作品から引き出して、それを提示したい。

その希ひから、作品のまるごとから四つの場面を抜粋し、また、その希ひに叶ふやうなタッチで語ることに挑戦してみました。

第一回目。

熊といふ山の生き物を殺すこと。

だからこそ、猟師の小十郎のこころが、祈りへと導かれて行く。

その悲しみ・・・。


「信仰といふものの深みを引き出したい」と書きましたが、言語造形といふ芸術は、いつも、作品といふ作品、ことばといふことばから、こころの、信仰の、祈りの、精神の、強さ、深さ、確かさ、美しさを、引き出すものだと感じてゐます。

このやうにして動画に収録することも、一回一回が、ひとつの舞台作品創りで、何度も何度もやつてはやり直し、やつてはやり直しといふ、その作業は、多くの苦しみを伴ふのですが、その苦しみがまた、とてつもなく楽しいのです。楽しんで、苦しんでゐる、といふか・・・。

なぜ、楽しいのか。それは、きつと、美とまことに向かつてゐるからだと思ふのです。

この作業は、間違ひなく、子どもの時の遊びの延長線上にあります。



※サムネイルの絵は、ken kaizuさんのブログの次のページから拝借いたしました。
http://blog.livedoor.jp/kaizuken1/archives/51376959.html

2021年02月21日

こころをことばで照らすこと






「聴くこと」と「語ること」。


このふたつの国語力を培つていく。


その力の培ひは、20世紀初頭、ヨーロッパ中部に生まれたアントロポゾフィーといふ精神の学びのまんなかのことでもあるのです。


その学びの中核には、「人とことば」の深い関はりを見据ゑる、精神からの見識があります。


その見識は、我が国・日本がはやくも古代から育み続けて来た「もののあはれを知る」といふ、こころの機能の開発でもあり、文学といふものの歴史的存在意義でもあり、人間教育の粋でもある、精神文化と、全くもつて重なるものです。


ことばとは、そもそも、その民族の精神・靈(ひ)を体現してゐるものであり、そのことばによつて、こころを照らすことが、その人その人のの成長になくてはならないものなのです。


わたしは、「ことばの家」において、アントロポゾフィーの学びの真髄と言つてもいい、その「ことばと人」との関はりを日本語において語り伝へて行くことを、天職としてゐます。


そして、「アントロポゾフィーハウス」といふ新しいかたちを持つて、多くの方々と共に仕事をして行くことを考へてゐます。

2021年02月18日

大阪公演「山月記」より





「この気持は誰にも分からない。誰にも分からない。」
 
夢や大志を抱く青年が、ひとりの男となる。
 
その長いプロセスには、己れのなかに潜む魔と対峙せずにはおれません。
 
狂気とは、理性を忘れた人が陥るのではありません。
 
理性しか信じられなくなってしまった人に襲いかかってくるものです。
 
男は、一歩間違えば、きっと、化け物になります。
 
これは、詩人になれず、虎になってしまった男の物語りです。

平成30年(2018年)11月30日 大阪で行ひました言語造形公演「山月記」から一部をご覧ください。



言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想い起こさせようとしたのです。

わたしたち「ことばの家 諏訪」は、大阪の住吉にて、その言語造形を学ぶ場を設けています。

「ことばの家 諏訪  言語造形のためのアトリエ」
https://kotobanoie.net/​​

「言語造形 ことばの家諏訪」チャンネル登録、
どうぞよろしくお願ひします!
https://www.youtube.com/user/suwachim​​...

2021年02月14日

アントロポゾフィー運動における二本の基の柱






「メディテーションと芸術実践」といふことがらにつきまして、オンラインクラスで述べさせてもらつたことをご紹介させていただきます。


このことは、先日、投稿させてもらひました「アントロポゾフィーハウス設立」のことと関はることでして、運動のまんなかの指針といふやうなことです。


「ハウス」と言ひましても、物理的な家も何も持たない、理念上、精神上の「ハウス」であります。


また、「運動」と言ひましても、そこに加はることが、何らかの思想の走狗や手先になることでもありません。


アントロポゾフィーの運動・動きは、すべて、ひとりひとりのこころの内から沸き上がり、生まれて来るものですので、誰かが誰かを動かすといふやうなことは生じ得ないものです。


ただ、「アントロポゾフィーから生まれることを仕事として共同作業して行くための意識体」であらうとするものです。


その意識体の二本柱が、「メディテーションと芸術実践」といふ営みであります。


そのことをルードルフ・シュタイナーが33歳の時に出版した『自由を考へる(自由の哲学)』の観点から述べさせてもらつたものです。


このことは、おほよそ25年ほど前に師の鈴木一博さんから教へてもらつたことでして、随分とこころに深く刻み込まれたことがらでした。


26分と長い動画ですが、ご覧いただけましたら、ありがたく思ひます。

2021年02月13日

天からの贈りもの 〜動画「天福地福」〜






昨日は、旧暦における一月一日でしたね。


わたしも、目覚ましいやうな初夢を見させてもらひました。


そして、年の初めのお年玉(新しい年のたましひ)も、そもそもは、地上のものではなく、天からの、神様からのプレゼントでした。


人に授けられる贈りもの。


それは、そもそも、天からやつて来るといふことを、洋の東西を問はず昔の人は信じてゐたやうです。


そして、こころの善い爺さまと慾深い爺さまとの対比は、わたしたち人の根本のありかたを徹底的にえぐり出すかのやうに、何度も昔話に出て来ます。


人のこころのこの両極の現はれを子どもたちにシンプルに伝へて行くこと。


それは、思つてゐる以上に大切なことはないでせうか。


善を好み、悪を嫌ふ、その人としての基本的な気持ち、感情、良心を養つて来たのは、このやうな昔話なのです。


このお話「天福地福」を聴くことで、わたしたち現代人も、もう一度、天からの贈りものを待ち望むやうな気持ちを想ひ起こすことができたら、そして、善と悪への基のこころもちを今一度、養ふことができたら、素敵ですね。




2021年02月12日

『アントロポゾフィー運動における二本の基の柱』(2021年1月23日 オンライン収録)





アントロポゾフィーといふ精神の学びの基ともいへる「自由を考へる(自由の哲学)」における、「人が自由になるべく、こころに打ち樹てて行く二本の柱」とも言へることを語らせてもらつてゐます。


「ことばの家」は、ルードルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーと言語造形を学ぶ場として大阪の住吉区帝塚山に居を構へてゐます。

そして、2020年5月から、オンラインクラスも始めてゐます。

シュタイナーの講義録『普遍人間学』をそのオンラインクラスで扱つてゐます。

その講義録では、子どもの教育はどうありうるかを考へ、自分自身のあり方と発意から教育といふ仕事を実践して行きたい人に語りかけられてゐます。

それゆゑに、自己教育の大切さを感じてゐるすべての大人に向けてこそ、「人とは何か」といふ大切な智慧を語りかけてゐます。

このオンラインクラス、2クラスあります。金曜日の夜クラスと土曜日の朝クラスです。どちらも、月に二回のペースで、進んでゐます。

いつからでもご参加、可能です。ご参加希望の方は、金曜か土曜、どちらかのクラスにご参加いただきます。

アントロポゾフィー(人といふものの意識)に根差した『普遍人間学』。共に、学んで行きませんか。

講師:諏訪耕志



●月二回 『普遍人間学』金曜夜クラス 7時半〜9時半


●月二回 『普遍人間学』土曜朝クラス 10時〜12時


●参加費    初回体験参加 3500円、 3回連続 9000円  

連続して受講していただくことが最善だと考へますので、初回体験参加を除いては、3回連続で受講していただくやう、お願ひいたします。   
またその場合でも、御自身のご都合でのお休みは、キャンセル無効とさせていただき、録画したものを見ていただくことができます。   なにとぞ、どうぞよろしくお願ひいたします。    


●お振り込み  

// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041 スワ チハル  

// 他銀行から // 店名 〇ニ八(ゼロニハチ) 普通 2888904    

.お申し込み、お振り込みいただいた方に、オンライン会議室ZoomのURLをお伝へします。    


鈴木一博氏訳の『普遍人間学』を用いてゐます。可能ならば、講座の前にでも、あとにでも、ご自身で読んでいただくことで、学びの主体性も高まりますので、ぜひ、一冊、お手元に置いて読んでみて下さい😌 しかし、本がなくても、講義をまづは聴くことから始められても、全く大丈夫ですよ。本をお求めの際は、「ことばの家 諏訪」にご連絡ください。  


ありがたうございます。   


●お申し込み・お問ひ合はせ   「ことばの家 諏訪」 https://kotobanoie.net/access/


2021年02月08日

境の守 〜動画「大工と鬼六」〜





境(さかい)の守(もり)とは、生と死の境、フィジカルな世と精神の世の境に現れる存在です。


人がその境(川)を超えようとするとき、その渡らうとする人のまさしき相(すがた)をその人の前に呈し、その人に「境を超えるな」と戒めを発する存在です。


鬼六は、大工その人の、内なる相(すがた)そのものなのです。






言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想い起こさせようとしたのです。

わたしたち「ことばの家 諏訪」は、大阪の住吉にて、その言語造形を学ぶ場を設けています。

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2021年02月01日

古事記より「スサノヲノミコトのヤマタノヲロチ退治」(現代語訳)






シュタイナー学校などでは、小学三年生から四年生にかけて、「家造り」といふ授業があります。


天から降りて来て約9年経つた子どもたちが、その家造りを通して、この地上におけるこころと精神の居場所、囲ひを造るのです。


それは、9歳の危機と言はれてゐる時期に、子どもたちが自分のこころと精神をしつかりとからだに収めることを促してくれるのです。それは、地上を生きて行くためにはとても大切なことなのです。


我が国の神話において、スサノヲノミコトといふ神も、天から降りて来られ、ある困難を乗り越えて使命を果たし(ヤマタノヲロチ退治)、そして妻を迎へ、家造り(宮造り)をなされることで、とてつもない暴れん坊だつた神が、こころすがすがしい、愛の神となられ、地上の国を守る神になられゆきます。


なしとげられるべきその人ならではの使命といふもの、造り上げられるその人その人の家といふもの、家庭といふもの、それらの意味深さを、この神話を通して、子どもたちと分かち合ひたく念つて語らせてもらひました。





言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想い起こさせようとしたのです。



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2021年01月24日

古事記より「天の岩屋戸の話」(現代語訳)






自分たちの国、民族、世界がいかにして創り上げられてきたか。


「神話」とは、そのやうなわたしたちのおほもとを語る物語として、各民族によつて、おのおのの言語でずつと語り続けられて来たものです。


「古事記」。「ふることぶみ」と訓みます。


この書に語られてゐるのは、世の始まり、天地(あめつち)の初発(はじめ)からの、我が国の神話です。


この書は、時のすめらみこと、天武天皇が御みづから口で語られた「神がたり」を、稗田阿礼が聴き取り、その詩的な音韻の並び、抑揚、リズム、調べを全身で受け取り、身につけた、ことばの芸術品であり、日本といふ国をとこしへに精神的に支へる言霊のつづれ織りでもあります。


ですので、本来は、本居宣長による訓み下しの原日本語で語ることをしたいのですが、今回は、小学生にもまづは抵抗なく聴き取つてもらへるやうに、わたしみづから現代語訳し、編集したものを語らせてもらひました。


いま、この神話を語らせてもらひましたのは、明らかに、いま、世界中が新しいまことの夜明けの前の暗闇を経験してゐるからだと実感してゐるからなのです。


動画をコメント欄に貼つてゐます。よろしければ、ご覧になつて下さい。


※サムネイルの絵は、山田 泉さんが描かれたものです。





言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想い起こさせようとしたのです。

わたしたち「ことばの家 諏訪」は、大阪の住吉にて、その言語造形を学ぶ場を設けています。

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2021年01月16日

青森公演から「小さな村で見た」「やさしい世界の終はり方」


「無言歌 no,3(G.フォーレ作曲)」
「小さな村で見た(石村利勝作)」
「Old Plantation(W.ギロック作曲)」


「やさしい世界の終はり方(石村利勝作)」
「交響曲/新世界より第2章(A.ドヴォルザーク作曲)」



この石村利勝氏によるふたつの詩、「小さな村で見た」「やさしい世界の終はり方」を初めて目に読んだ時、こころが、静かに、静かに、なつたことを憶へてゐます。


そして、このふたつの詩を何とかして言語造形をもつて奏でたい、その響き、調べを人さまに聴いてほしい、この詩の美しさと悲しさを多くの人と共有したい、といふ希ひに突き動かされて、昨年は生きました。


しかし、声に出して詠ふことで、この詩の静けさの内に漲る、みづみづしさと悲しみを損なはないだらうか・・・。


そんな畏れにも似た念ひでありました。


これらの詩が秘めてゐるこころと精神の何十分の一も表はせられたのかどうか、分からないのですが、これらのことばの精神に付き添はれ守られた昨年だつたことは、間違ひありません。これらの詩と共に生きた昨年でした。


とりわけ、「やさしい世界の終はり方」といふ作品は、本当に激しい外の世の動きの中にあつて、わたしを支へてくれたやうに実感してゐます。


この詩の作者・石村利勝氏は、この詩に以下のやうに註記してをられてゐます。https://note.com/ishimuratoshi58/n/n3838036004b6


「これは、前に世界が終はつた時のことを思ひ出してかいたものです。なつかしい思ひ出です。」


青森公演の最後の演目がこの作品だつたのですが、終演後、中学生の女の子がわたしに駆け寄つて来て、この詩に対する深い感動を様々なことばでわたしに伝へてくれました。


わたしは、かけがへのない、ひとりの聴き手に恵まれたことの仕合はせにこころから感謝しました。


令和2年12月6日 青森県十和田市東コミュニティセンターにて行ひました言語造形公演『やさしい世界の終はり方』から、諏訪耕志による言語造形・詩の朗唱と山本恵美さんによるピアノ演奏をお聴きください。


山本さんのピアノは、清潔なタッチの中にとてもみづみづしい情の漲りがあり、このたびの青森での時間が、詩と楽音との新たな響演の時となりました。


また、三瓶哲也さんによる照明もシンプルながらとても、とても、印象深く、本当に素晴らしいものです。


重ね重ねですが、この公演を主催して下さつた方々に、こころよりお礼を申し上げます。ありがたうございました。


そして、今年纏められ、出版されるであらう石村氏の詩集を心待ちにしてゐます。

             
アントロポゾフィーと言語造形「ことばの家」
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/videos



2021年01月15日

メルヘン この世とあの世の架け橋 「おこぶちゃん」





メルヘンは、この世とあの世との架け橋なのさ・・・。


ミヒャエル・エンデのメモ箱に残されてゐた小さなお話「おこぶちゃん」。


主人公の女の子の背中にあるこぶの中には翼があります。


翼をもつアストラル(星)のからだは、精神の世とこの地上の世を行き来する、目には見えないからだです。


亡くなつた方々の世(精神の世)と、生きてゐるわたしたちとの間を、行き来するからだです。


アストラルのからだ。それを大切に育むことが、人に、本当のふるさとを想ひ起こさせます。


アストラルのからだを育む。それが芸術の営みです。


動画「おこぶちゃん」、よろしければ、どうぞご覧ください。小西収氏のクラリネット演奏「マーラー作曲交響曲第三番」と共に8分にわたるメルヘンの世界をお楽しみいただければ、幸ひです。



アントロポゾフィーと言語造形「ことばの家」
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/videos

2021年01月12日

捧げる何か 大阪公演から「おこぶちゃん(ミヒャエル・エンデ作)」




この世を去りし人たちは、きつと、この世に生きてゐるわたしたちを見守つてゐる。わたしたちは、そのことを感じつつ、生きることができる。


そして、わたしたちから何かを捧げることができる。それは、祈りであり、まごころであり、メルヘンである。


その時、確かに、向かうの世にゐる方々が耳を澄まして聴いて下さつてゐるのを、リアルに感じる。


令和2年10月18日「ことばの家 諏訪」にて行ひました言語造形公演『やさしい世界の終はり方』から、お聴き下さい。



言語造形 諏訪耕志  
クラリネット 小西収


「おこぶちゃん(ミヒャエル・エンデ作)」

「交響曲第三番第四楽章(マーラー作曲)より」



アントロポゾフィーと言語造形「ことばの家」
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/videos


2021年01月10日

大阪公演から「幼い日」「おこぶちゃん」「戦場の兵士」





八木重吉の詩「幼い日」の朗唱による母音の余韻。それは、記憶の砌(みぎり)にたゆたふ、幼な子の命と世の命との対話です。


ミヒャエル・エンデの「おこぶちゃん」といふ物語りによつて開かれて行く場。そこに結ばれるのは、わたしたち生者とすでにこの世を去りし人々との対話。


そして、叙事詩「戦場の兵士」が立ち上げる、静けさの中の沈痛な情。それは、生きてゐるこのわたしと精神(靈・ひ)の境にある高い〈わたし〉との語り合ひ、語らひ、対話なのです。


小西収さんによるクラリネットの響きと共に、わたしは、この対話といふものの値を汲み上げたかつたのです。


令和2年10月18日「ことばの家 諏訪」にて行ひました言語造形公演『やさしい世界の終はり方』から、お聴き下さい。


「ことばの家 諏訪」諏訪耕志




言語造形 諏訪耕志  
クラリネット 小西収


「幼い日(八木重吉作)」

「唐八景(さだまさし作曲)」

「おこぶちゃん(ミヒャエル・エンデ作)」

「交響曲第三番第四楽章(マーラー作曲)より」

「戦場の兵士(作者不明)」

「彼方へ(冬木透作曲)」




アントロポゾフィーと言語造形「ことばの家」
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/videos

2021年01月09日

参加者の方々の声 アントロポゾフィークラス・オンライン 


参加者の方の声@


参加者の方と講師の声A
 


アントロポゾフィークラス・オンラインでルドルフ・シュタイナーの『普遍人間学』をずつと講義してゐます。


この本を読み通したいんだ、といふ人が共に学び続けてゐます。


読んだからといつて、何の役にも立たない。その役に立たないことをなぜするのだらうか。


わたし自身は、本当にたいせつなことを知りたいから、この本を読み続け、アントロポゾフィーに学び続けてゐます。


世に張り巡らされてゐる影のスクリーンを引き裂いて、その後ろにありありとある世こそを知りたいからです。この地に足をしつかりと踏ん張りながら、なおかつ、向かう側に突き抜けて、この世を生きたいからなのです。


そんな人であることの真意を真摯に追ひ求める、20世紀から21世紀にかけての人たちに向けて、ルードルフ・シュタイナーは命を削りながら仕事をしました。


百年後に生きてゐるわたしは、懸命にその精神を、思想を、せめて必死で語りたいし、身を挺してその精神と思想を生きたいと希つてゐます。さうして、この精神と思想はとても価値あるものだと確信するがゆゑに、後の世代の者たちに自国の伝統と風習に根づいた形で伝へたいのです。


まこと、とどのつまりは、母国語を通して、この身を通して、世に何かを捧げたいのだと思ひます。


このアントロポゾフィーといふ精神(靈・ひ)からの仕事、言語造形といふからだを張る仕事を通して、何かたいせつなものを世に捧げたいのです。


わたし自身がさう思ひ、さう憧れ、さう求めてゐるから、きつと、もしかしたら同じやうな、なんらかの思ひ、憧れ、求めを持つ方が集まつて下さつてゐるのだらうと思ひます。


受講してくれてゐるのはたまたま女性の方ばかりなのですが、なんだか、不思議に深い繋がりを、わたしは勝手に感じてゐます。戦友のやうな気がしてゐるなどと言つたら、別に戦つてゐるわけではないのだから、おかしいでせうか。


教へられた者は、きつと、教へる者になる。伝へられた者は、きつと、伝へる者になる。戦争時の捕虜収容所における知の渇きを想ひ出せ。さう、受講して下さつてゐる方から教へられました。


講義してゐるところを動画に撮つて公開していいだらうか、と皆に訊きました。宣伝。さう、自分がしてゐる仕事の宣伝をさせてもらひたく、皆に協力を仰いだのです。


仕事に対する情熱と同時に、わたしは、この仕事で、かかあも娘たちも喰はせていきたい、といふまことに下世話な望みも抱いてゐるのです(これも意識のスクリーンに映つてゐる影にすぎないのですが・・・)。


だから、宣伝させてもらひ、皆に協力してもらひ、助力を仰いだのです。皆、その願ひを受け入れてくれただけでなく、それぞれ時間を取つて自分の思ふところを述べたい、と仰つて下さる。本当にありがたいことだと思ひます。


ご関心のある方は、このふたつの動画を観て、一度、受講してみていただきたい。さう希ひます。

2021年01月07日

インタヴュー「言語造形とは ことばとは 芸術とは」





「問ふ」といふことは難しい。「いい問ひを持つ」ことは、難しいことなのです。「問ひを立てる」ことこそが、学びの、芸術の、生きることの、要(かなめ)と言つてもいいのではないでせうか。


つまり、何かを知りたいといふ切なる願ひと、その何かに対する深い敬意を持つてゐることこそが、その人にしか立てることのできない「問ひ」をその人に立てさせます。


このインタヴューをしてくれた前田恭仁子さん、本当に、その「問ひ」を立ててくれました。お蔭様で、わたしがつねづね思ひ、考へ、大切にしてゐることを、その問ひが引き出してくれたやうに感じてゐます。前田さん、本当にありがたう。


令和2年11月3日 
京都市北区上賀茂、カフェ・ヨージクにて収録
聴き手 前田恭仁子



アントロポゾフィーと言語造形「ことばの家」
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/videos


2021年01月06日

青森公演から「人形 (小林秀雄作)」




この青森公演の時にピアノを弾いて下さつた山本恵美さん


その音色の細やかでありつつも芯の通つたある種の強さに魅せられました。そして、さらに素晴らしく感じたことは、彼女がことばの息遣ひに呼応してピアノを弾き出し、弾き終へる、その間(ま)を共に生きる絶妙の感覚です。


リハーサルの時に山本さんにその感覚の素晴らしさについてお伝へした時、それは彼女が携わつてゐる認知症高齢者の音楽療法の臨床の経験から、相手に合はせて聴き耳を立てることをずつとしてきたからだと思ひます、とお答へ下さいました。


彼女は、青森県十和田市在住で、20年以上、認定音楽療法士として障がいのある方々や高齢者とのセッションを行って来られ、ピアノ教室もされてゐます。


令和2年12月6日 青森県十和田市東コミュニティセンターにて行ひました言語造形公演『やさしい世界の終はり方』から、諏訪耕志による語り「人形」と山本恵美さんによる繊細なピアノ演奏「Lullaby〜こもりうた〜(S.マイカパル作曲)」をお聴きください。


この「人形」といふ作品は、幾重もの細やかな情の衣を纏つてゐます。そしてその内に静かだけれども響き続けてゐる「もののあはれ」。日本人こそがとりわけ感覚できるものを、小林は薄い墨でさつと描いてゐるのですが、そこに籠められてゐる悲しみとユーモアが、わたしには澄み渡つて聴こえてきます。


和歌、そして俳諧(俳句)のやうに、極限まで切り詰めたことばの響きの内に、深々と揺蕩ひ、沈み込むやうなこころの営みと、世のまるごとに亘るやうな精神の運動を包みこむ、そんなことばの芸術が、日本といふ国に育つてきました。


「もののあはれを知る」。その文学の持つ意義を、昭和の人、小林秀雄もその批評文の中に、見事に引き継いでゐます。


この「人形」といふ小さな作品は、しかし、批評文ではありません。「もののあはれを知る」人が記しとどめた、文学の持つ機能を深める、ひとつの金字塔のやうなエッセイです。


行間といふ間(ま)に鎮められてゐる、もののあはれをわたしも引き上げたい一心で、この作品に取り組んでゐます。




2020年12月29日

大歳の焚き火




昔の日本人は、自分自身の誕生日を「はっぴ、ばーすでー、とぅー、ゆ〜」と祝つてもらふといふやいうな習慣・風習はなかつたさうです。大晦日から元日の朝になつて、皆、一緒に、ひとつ、歳をとるのでした。お母さんのお腹から出て来た時、その時すでに一歳であり、次のお正月には子どもは皆二歳になるのでした。


このことを、「ヨーロッパに比べて、個人の意識が育たない日本ならではの古臭い風習であつた」などといふありきたりのことばで言つて、片づけてしまつても甲斐ないことです。


ルードルフ・シュタイナーは『こころのこよみ』の序文において、「一年のいのち」といふ言ひ方をしてゐます。「年」といふもの、ひとつひとつに、いのちがあるのです。


大晦日まで数へ終へたら、また、もとの初めの一月一日から数へ始める。その大歳(おほとし)のいのちの甦りの感覚を、昔の人は鮮やかに持つてゐたのでせう。国民こぞつて感じることのできるその感覚は、きつと、本当に厳粛なものです。


個人の目覚めの前に、充分な備へがなされてゐた日の本の国風(くにぶり)こそを、わたしたちは見直してしかりでせう。


その大歳をとる、その刹那に火が焚かれてゐる。それは、どれほど、人を勇気づけてゐたことでせう。火は、日であり、靈(ひ)であります。暗闇のさなかに人によつて灯される靈(ひ)。


わたしたちこそ、いまこそなほ、その靈(ひ)を求める者ではないでせうか。わたしたちこそ、その靈(ひ)を灯す人ではないでせうか。

2020年12月20日

方言といふもの〜「大阪弁で人生の痛恨を救済できるか(井上俊夫作)」&「小さな村で見た(石村利勝作)」〜




方言といふものが人にもたらすもの。それは何なのでせう。


「大阪弁で人生の痛恨を救済できるか(井上俊夫作)」
「小さな村で見た(石村利勝作)」です。


大阪弁のあと、静かな標準語による詩を聴いていただく時、その語感の差異は何を物語るのでせう。


小西収さんの編曲・演奏のクラリネットと共に、諏訪耕志による言語造形・詩の朗唱をお聴きください。
https://youtu.be/zhsEZkaJJoE


キダ・タロー作曲「地底のランナー」
井上俊夫作「大阪弁で人生の痛恨を救済できるか」
ドヴォルザーク作曲交響曲第八番より
石村利勝作「小さな村で見た」
さだまさし作曲「桃花源」


2020年10月18日(日)大阪の「ことばの家 諏訪」で行ひました公演『やさしい世界の終はり方』より。