[断想]の記事一覧
- 2022/01/16 父の思ひが分かること
- 2022/01/09 からだといふ自然
- 2022/01/03 永遠(とこしへ)の文学
- 2021/12/31 「責任」といふことばのかけがへのなさ
- 2021/12/31 天の使ひ
- 2021/12/30 夜更けの慰め
- 2021/12/25 元保育士の方のことば
- 2021/12/09 冬の夜 本と語らふ
- 2021/10/25 神なる鹿
- 2021/10/21 崩壊と再生
- 2021/10/15 夜明け
- 2021/10/08 奥入瀬川沿ひにて
- 2021/10/08 虹の輪
- 2021/09/22 よくみる人、よく考へる人
- 2021/09/19 時間どろぼうと言語造形
- 2021/09/16 我が内に潜む愛
- 2021/09/10 この世に生まれてきた意味に対する予感
- 2021/09/05 奥入瀬川のほとりで
- 2021/09/03 これからの28年
- 2021/09/01 風と光の津軽半島
2022年01月16日
父の思ひが分かること
父が亡くなつてから、もうすぐ15年が経たうとしてゐるのですが、夜更けになつて、ふと、父が生前、話してくれた、彼自身の幼い頃の思ひ出話を想ひ起こしました。それは、彼の母親(わたしの祖母)が水商売をしてゐたため、大阪の難波の店から生駒近くの家まで帰つて来るのが毎日夜の遅い時間、自分が眠つてしまつた後だつたこと。そして、自分の寝床にまで聴こえて来る、家の近くを過ぎ行く電車の走る音がするたびに、お母さんがこの電車で帰つて来てくれたのではないかと寝床の中で待つてゐたこと。
父よ。いまは、もう、お母さんと一緒にゐるのだね。
・・・・・・・
父の感じてゐた悲しみや切なさに、当時のわたしはやはり距離を持つて感じざるをえなかつたのですが、それが、何十年と経つことで、その距離が埋められて、とても、とても、リアルに感じてしまふやうになつてしまひました。
・・・・・・・
小林秀雄の『栗の樹』といふ短いエッセイからの文章を想ひ起こしました。
「思ひ出となれば、みんな美しく見えるとよく言ふが、その意味をみんなが間違へてゐる。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思ひをさせないだけである。」
わたしたちは、さう、つまらないことは忘れるに任せ、本当に大切なことを想ひ起こすことができる。それがまことの歴史といふものではないでせうか。
本当に大切なことを上手に想ひ起こすといふことは、時間がかかることですし、難しいことであると思ひます。
2022年01月09日
からだといふ自然
冬本番になつたとはいへ、自然の美しさに触れることもなく、大阪の家に籠もるやうに生きてゐました。自然といへば、窓から見上げる青い空と流れる雲ぐらゐでせうか。
しかし、このクリスマスからお正月を超えて、ひとり、部屋にゐるわたしは、どこか透き通るやうな考へに恵まれるやうな日々を過ごしてゐるやうに思へたのです。本当にありがたいことです。
どこにゐようとも、いつであらうとも、自然はわたしを包み込み、貫いてくれてゐる。そして、最も豊かで密やかな自然が一番近くにある。それが、自分のからだです。このからだを、こころをこめて用ゐれば用ゐるほど、その働きは豊かなものをこころにもたらしてくれる。
こころをこめて目を用ゐれば、神からいただいた目といふ自然がこころに密やかに「徳」といふ精神の質をもたらしてくれはしないか。
こころをこめて耳を用ゐれば、神からいただいた耳といふ自然がこころに密やかに「聖」といふ精神の質をもたらしてはくれないか。
「徳」は目の働きに順(したが)ひ、「聖」は耳の働きに順ふ。
漢字といふ文字が人に教へようとしてくれてゐることにも、耳を澄ますことができます。
目といふ自然も、耳といふ自然も、唯物的感覚に裏打ちされた情報を仕入れるためだけに使はれるのではなく、そのやうにこころをこめて用ゐられることで、人のこころに、深く、豊かで、澄んだ情を育むことができるやうです。
からだといふ自然は、偉いものです。
そのやうに精神からの作法で、自然と共にあり、自然とつきあひ、自然を用ゐることで、高い感官(こころと精神の感官)を養ふことができるのだなあ・・・。
そんな思ひでゐます。
2022年01月03日
永遠(とこしへ)の文学

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天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、
高天原(たかまのはら)に成りませる神の名(みな)は、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。
次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、
次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。
この三柱(みばしら)の神はみな、
獨神(ひとりがみ)成りまして、
身(みみ)を隠したまひき。
次に國稚(くにわか)く、
浮き脂(あぶら)の如くして、
海月(くらげ)なす漂よへる時、
葦牙(あしかび)のごと
萌えあがる物によりて成りませる神の名(みな)は、
宇摩志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこぢのかみ)、
次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)。
この二柱(ふたばしら)の神もまた、
獨神(ひとりがみ)成りまして、
身(みみ)を隠したまひき。
上(かみ)の件(くだり)、
五柱(いつばしら)の神は、
別(こと)天(あま)つ神。
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本居宣長による訓み下しで『古事記(ふることぶみ)』の冒頭です。
古き人(神)が唱へたままの「古語(ふること)」を、その息遣ひのままに、唱へ唱へて、とこしへに、この神語りを語り継いでゆく。
その声から声への継承をもつて、この国を、地上の国でありつつ、とこしへに精神の国たらしめん。
それが、第四十代・天武天皇の悲願でありました。
古事記冒頭の「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時」から、この「別(こと)天(あま)つ神」まで、まさに、人のことばではなく、神のことばだと感じる感覚。
『古事記(ふることぶみ)』のこれらのことばは、世(宇宙)のはじまりを描きつつ、いま、ここにある、〈わたし〉のありやうを描いてゐるやうに感じられてなりません。
〈わたし〉においては、つねに、いまが、「天地の初発」です。そして、次々に神々が生まれてをられます。
その精神の生命力。賦活力。創造力。
日本の文学の大元であり、とこしへを希ふ、この神語りを、令和のわたしたちが声に響かせる。
この国をこの国たらしめつづけるべく、この神語りを、これからの日本の子どもたちにも、伝へてゆきたいと念ふのです。
2021年12月31日
「責任」といふことばのかけがへのなさ
とても個人的なことですが、思へば、2019年からこの2021年の終はりにいたるまで、いくつもの「なぜ・・・!?」といふことにわたしは襲ひかかられて来ました。襲ひかかられてゐる最中は、「なぜ、俺が、こんな目に会はねばならないのか」と歯ぎしりするやうな苦しみと怒りに懊悩しました。
でも、いま、それらすべての不合理が、わたしにとつて、なくてはならないものであつたことを知るのです。すべては、わたしのこころの奥底にあるものが引き起こして来たことであり、すべてがわたしの責任に負ふてゐるのです。
この世を生きるといふことは、この不合理を抱きしめることだといふことを、わたしはいま実地に学ばせてもらつてゐる、そんな思ひでゐます。
このやうな生き方は、多くの、無数の、勇気ある人がして来たことだと思ひます。すべてが自分自身の責任なのだといふ考へ方、生き方です。
わたしには、まだまだ、そのやうな胆力はついてゐないのですが、それでも、生きるといふことの深みに、少しづつ、少しづつ、触れさせてもらへてゐる、そんな感触があり、わたしは、この感触を愛さうとしてゐます。
天の使ひ
朝、家を出て、駅まで歩いて行かうとすると、道でひとりの女の子が向かうから歩いて来ました。この近くの私立の小中高一貫学校の制服を着てゐます。とても背が小さいので、おそらく小学一年生だと思ひました。本当に珍しいことに、その子はマスクをせずに歩いてゐます。わたしもマスクをせずに歩いてゐます。歩いてゐて、互ひの距離が狭まつて来るにつれて、その子はわたしの顔をまぢまぢと観ます。わたしもその子の顔を観ました。とても白い肌をした美しい大きな瞳をした子でした。わたしは思はず微笑み、その子もうなづきながら微笑んでゐます。すれ違ふときに、わたしはゆつくりと「おはようございます」と声にしました。すると、その子は立ち止まつて「おはようございます」ととても丁寧に声にしてくれました。さうして、すれ違つて、互ひに、それぞれの方向へ歩いて行きました。
わたしは、天の使ひが女の子の姿をとつて、わたしの前に現れて下さつたと思はずにゐられませんでした。昨晩、眠る前から、天の使ひの方の助力を願つてゐたのです☺️。
2021年12月30日
夜更けの慰め
夜更けになると、からだもこころも疲れてゐるので、もう根を詰めた読書はできないが、美しい日本語を読むことは、本当にこころを慰め、暖め、潤してくれる。萬葉集、保田與重郎の『日本の文学史』、石村利勝氏の詩集『ソナタ/ソナチネ』の冬の詩をひとつ、またひとつと、味はふ。日本のことばといふものがもたらす美しさと悲しさ。それは、物の世を離れ、こころと精神の世への憧れと感覚の啓けを促すことばの力である。この国の強みのひとつは、ことばを美しく、確かに用ゐることのできる人がゐることだと思ふ。
2021年12月25日
元保育士の方のことば
下にご紹介する文章は、この秋、二回の枠珍接種を受けられた保育士をされてゐた女性の方のことばです。わたしの言語造形のクラスにずつとご参加されてゐた方で、接種を受けられる前は、ほとんど病気などもなされず、ごく健康な日常を送つてをられました。
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「元保育士の方のことば」
もともと打つ気など全然無かったが、職場の同調圧力に負けて業務命令としてうってしまいました。園で体調を崩して、早退・休職してから、傷病手当の受給を条件に自己退職に追い込まれました。
私の住む市は保育士は職域接種の対象ではないです。しかし勤務先の園のある市は、保育士も職域接種の対象になり、予約の取れない他市から通う保育士には、キャンセルがでたら接種に行くようにと市から再三連絡がありました。
園長は枠珍推進派で、自分の娘に頸がん枠珍の接種もさせていた人で、「正職は『子ども達のために』接種して」と再三同調圧力をかけられました。
保育士は『子どものために』と言われたら命もかけられます!
1回目の接種の時は子ども達が一緒にいる前で『キャンセルが出たから子ども達のために接種に行って』と言われて拒否出来ず、私はそれを『業務命令』と受け止めて行きました。
左親指が腫れて腕に痺れが出たのですが高熱が出なかったので、大したことないと思ってしまい、2回目も市役所から連絡を貰い接種に行きました。
接種2回目後から体調不良となり、紹介された病院から処方された薬が合わず、体調が悪化していくうちに、理容院のヘアスプレーの匂いで呼吸困難などの症状が出ました。
現在は歩行障害があり杖歩行となっています。平衡機能検査では100点中1点という結果で、浮遊性のめまいで常に船酔いの状態です。脳の平衡機能を司る部位をやられたそうで、1点というのは、私が平衡感覚が命と言えるオイリュトミーの稽古を積み、身体が記憶していて無意識のうちにバランスをとっていたので取れた1点だと先生が仰っていました。
そこでセカンドオピニオンで化学物質過敏症の専門クリニックを受診して、重度の化学物質過敏症と、それに伴う神経機能障害と診断されました。事実、感覚過敏も酷く特に五感に常に攻撃されている感覚に襲われております。化学物質過敏症は、誰でも発症する可能性があります。
私の無念をどうか世の人に伝えて、世界が正しい判断をすることを祈ります。
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そして、接種後、この方は言語造形をお休みされてゐたのですが、わたしにメッセージを下さいました。(ご本人の許可を得て載せさせていただいてゐます)
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こんばんは。
先日、化学物質過敏症とそれに伴う神経機能障害で確定診断がおりました。(念のため受診した精神科でも精神疾患ではなく、例のモノにより脳が誤認し誤作動がおきていると診断されました)
神経機能障害により、歩行障害がでて杖歩行となっていましたが、坂を転げ落ちるように日々悪化の一途をたどり、杖なしでは立っていることも難しくなってきました。(座位はとれています)
更に歯が1本知覚過敏をおこしたら、あっというまに全ての歯に痛みが拡がり、今は離乳食の中期レベルのものしか食べられない状態です。
今の苦しみは喩えるなら、生きながら煉獄に投げ込まれたような感覚です。
しかし私には信仰という盾と、言語造形という芸術という槍がまだ残されている事を信じて生きていく所存でございます。
もう、以前のような声量もなく、記憶、思考もとびだしていて、なかなか稽古も進みません。
日々色々なことが出来なくなって箸も上手く使えなくなり、まるで赤ちゃんに戻っていくような感覚です。
化学物質過敏症の先輩患者さんに聞いた話では、寝たきりになる方もいるそうです。
私も、もしかすると先々そうなっていくかもしれませんが、もし寝たきりになり何も出来なくなったとしても、呼吸し声が出せて話しが出来るかぎり、天に向かって物語を語り続けていきたいと思います。
今の私にとって、それが生きる証です。
26日の稽古、どこまで出来るかわかりません。もう、座ってしか語ることが出来なくなりました。それでも参加させていただけますでしょうか?
もう保育士に戻ることは出来ませんが、もし少しでも回復したならば、いつか子どもたちの前で物語を語りたい。その夢だけが、今の私の支えになっております。
日本語には『万が一』という言葉が示すように、その万が一が起きてしまったのです。
私は、保育者、教育者、そして人智学徒として、これを世に示していくことが、私の使命と感じております。
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この方は、40代です。接種前は、本当に元気であられました。
そして、いま、ここに書かれてゐるありやうへと「坂を転げ落ちるやうに」なられたのです。
わたしが、この方だつたら、果たして、かうして、ことばにする気力を持つことができるだらうか、さう思ひます。
本当に、物凄い営みです。ことばにするといふことは。こころのまるごとが懸かつてゐます。いのちが懸かつてゐます。
調べると、すぐに出て来ますが、このやうな苦しみを味はつてをられる方がたくさんゐらつしゃり、彼らの多くも、なんとか、からだを引きずるやうにして、ことばを綴り、ツイッター上に思ひを吐露されてゐます。
つい先日、ほかの言語造形の生徒さんの親しいご友人のご子息、19歳の青年が接種後、心筋梗塞で急に亡くなられました。その因果関係も伏せられてゐます。
「デマ」などではないと感じてゐます。
そして、この苦しみの中から皆さん同じく漏らされてゐることばには、病院もマスコミも政府もこの苦しみに至る因果関係をほとんど認めようとせず、それどころか、隠蔽しようとしてゐることへの困惑であり、そしてそれ以上の何かです。
なぜ、多くの被害実態を隠蔽しつつ、接種をこれほどまでに勧めるのか。
そのことについて、「何かある」と考へられない人はゐないはずです。
ともかくも、どうか、苦しんでゐる方の痛みや苦しみが少しでも治まりゆき、静かな夜を過ごす時が増えますやうに。
2021年12月09日
冬の夜 本と語らふ

冬の夜は、本と語り合ふ時間です。本と対話するのです。
わたしは、本を読むとき、できるならば、その本と語り合ひたいなあと思ひながら読んでゐます。
本とは、ひとりの人が血と汗と涙をもつて書き上げたものであると思ふのです。
ひとりの「人そのもの」が、そこに鎮まつてゐる。
だから、そんなひとりの人と語り合ふとき、わたしはその人のことを信じたい。
はじめから疑ひつつ、半身に構へて、その人に向かひ合ひたくない。
さう、本を読むときは、著者とその著作に全信頼をもつてその本に向かひ合ふのです。
なぜなら、ひとつのことを疑ひ出すと、次から次へと疑ひにこころが占領されて、しまひには、その本との対話など全く成り立たなくなるからです。
こちらのこころのすべてをもつて、一冊の本を読む。
人を尊び、敬はなければ、対話は成り立ちません。
本の著者を尊ばなければ、本との親密な対話は生まれません。
しかも、一度では埒が明かないので、何度も何度も語らふがごとく、一冊の本を繰り返し読み重ねます。
さうしてこそ、その本は、その人は、己れの秘密を打ち明け始めるのです。
また、皆が読んでゐる本だから、その本がベストセラーだから、その本を読むのではありません。
わたしは、こころから会ひたい人と会ふやうに、こころの奥底から読みたいと思ふ一冊の本を読みたい。
そのやうなこころの吟味に適ひ、繰り返される読書の喜びに応へてくれるのは、よほどの良書です。
時の試練を越えて生き残つた「古典」。
そして、そのやうな古典は、古(いにしへ)と今を貫いてゐて、現在進行形の問ひを読む人に突き付けてきます。
永遠(とこしへ)です。
わたしが、ここ数年、変はらず語らひ続けさせてもらつてゐるのは、『古事記(ふることぶみ)』と『萬葉集』と保田與重郎全集全四十巻、そして、ルードルフ・シュタイナーの全集から限られた数の翻訳されたものです。
『古事記』は本居宣長の『古事記伝(ふることぶみのつたへ)』で、『萬葉集』は鹿持雅澄の『萬葉集古義』で、ルードルフ・シュタイナーは鈴木一博氏の翻訳で、読んでゐます。
ことばといふもの、日本語といふものに、すべてを賭けた先人の方々との対話。読書の豊かさ。ひとりとひとりであることの真剣勝負の喜び。
残りの人生のすべてをかけても、語らひは決して尽きないのです。
2021年10月25日
神なる鹿
秋の奈良。春日大社をはじめ摂社を巡り、こころの内に敬虔さが降りて来る恩恵を深く感じさせてもらつた後、参道で一匹の鹿と目が合ひました。
他の鹿たちは、餌を求めてうろつき回つてゐるのに比して、その鹿は静かに脚を曲げて座つてゐるのでした。
わたしも立ち止まり、数秒間、その鹿と眼差しを交はしながら、「優しい目をしてるね。ありがたう」とこころの内に呼びかけると、明らかにその鹿は、微笑み始めました。
そして、その眼差しに、なんとも言へない、慈愛、慈しみを湛へる光を宿し始めました。
その光に照らされ、包まれて、神がをられる、さう、ぢかに、わたしは感じました。
日本語における「神」は、英語における「God」ではなく、神々しいものすべて、精神の通ふものすべてを、そのやうに、呼んでゐたのですね。
ですので、山にも風にも海にも、狐にも、牛にも、そして一木一草にも、神々しいもの、普段のありやうを超える何かを感じるものには、「神」と名付けたのでした。さうして、それらの「神々」は、人のこころの営みを見通す、見晴るかす、見守る、といふことでした。
よつて、我が国では、「現人神(あらひとがみ)」は当然をられるわけです。西洋の観点で捉へるべきものではありません。
話がずれました。
要(かなめ)のことは、こころに宿す敬虔さ、敬ひの情のあるやなしやで、外の世は、思ひも寄らぬ秘密を打ち明けることもあれば、沈黙することもあるのだといふことなのです。
※写真の鹿は、ここで述べさせてもらつた鹿ではなく、春日大社にたどり着く前にカメラに収めさせてもらつた鹿たちです。当の神々しい鹿は、わたしには写真に撮ることはできませんでした。
2021年10月21日
崩壊と再生
子どもたちに、かういふことを言はせなければならないことが、歯痒く、悔しく・・・。
しかし、ここで言つてゐることは、すべて、この一年半、わたし自身がまさに思ふて来たことであり、わたし自身の認識のことばでもある。
この小学校の校長先生の仰ることがひどすぎると感じる。学校に勤められてゐる方々にはたくさんの素晴らしい方々がをられることは、もちろん承知してゐるが、わたしは思はざるをえない。学校といふ場所は、もはや、真実が伝へられるところでは全くない。
この全世界的な「プランデミック」は、見えざる世界大戦であると同時に、思ひもかけなかつた崩壊と再生の大いなる機縁だ。
2021年10月15日
夜明け

ものごとを考へるきつかけは、やはり、痛みや苦しみに触れるところからではないでせうか。
人は、どれほど、幸ひを求めて生きようとしましても、その人の成長に必要な痛みならば、必ずそれはやつてくる。そして、その痛みはその人に何かを教へようとしてゐる。
しかし、その痛みや苦しみが何をわたしに教へようとしてゐるのかと、その人がみづから問ひを立てなければ、その痛みや苦しみは消化されることなく、繰り返し繰り返しその人を訪れる。
問ひを立てるといふ内なる行為は、考へるといふ内なる行為によつて起こされます。
少し話は別のところへ赴きますが、ここ数十年、感じ続けてゐることがあります。
それは、男であること、肉体的なことよりもより深い性質としての男性性といふ、人におけるある側面、表現が否定される場面に出くわすことが多いといふことなのです・・・。
男性性とは、昔流のことばで言へば、「男らしいあり方」となるでせうか。もしくは、肉体のあり方から離れ、より抽象的に表現するならば、「優れてゐる」「強い」「大きい」「立派な」「偉い」「緊張感」「一頭地、抜きんでてゐる」「理想的な」「高みを目指す」「すること」「創ること」「なしとげていくこと」「変へていくこと」、そんなことばで表現されてゐた「何か」だと感じますが、いかがでせうか。
しかし、わたしは、この言ひ方が指し示さうとしてゐるものが否定されてゐるのでは、実はなく、男性性の不健康なあり方が、人々に嫌悪されてゐる、さう思はれてならないのです。
上にあげた「ことば」がすべて、他者を抑圧する方向へと人を陥れる向きをいつしか持つてしまつた。人の自由を抑圧する向き、人の存在を抑圧する向き、人の精神を抑圧する向きを、上にあげた男性性を表す「ことば」といふ「ことば」が持つやうになつてしまつた。なぜ、さうなつてしまつたのかを書かうとすれば、一冊の本になつてしまふのかもしれません。
人は、いま、その不健康な向きを嫌悪します。激しいと言つてもいいほどの怒りをもつて嫌悪します。
しかし、だからと言ひましても、一方の女性性といふものだけで、世は出来てゐるのではないがゆゑに、世のまるごとが傾き、崩れゆかうとしてゐる。
その女性性といふものを言はうとするなら、これも昔流の言ひ方ですが、「女らしいあり方」となるでせうか。このことばは、「優しさ」「繊細さ」「柔らかさ」「細やかさ」「ふくよかさ」「うちとけること」「リラックス」「あること」「あるがまま」「護ること」「変はらないこと」などなどを指し示すやうに思はれます。
わたしは、あへて、男性性といふものを「精神」と捉へます。そして、女性性といふものを「こころ」と捉へます。
どちらも、人において、なくてはならないものです。
精神とは、天からの光といふやうにイメージされます。叡智や高い知識、イデー、理念、理想です。
一方、こころとは、そもそも、天からの光を受け止め、宿し、孕み、産みなし、育てる、大地の豊かさ、そのやうにイメージされます。
天と地といふふたつの健やかなあり方が内において重なり合つて、その人はその人になりゆく。
問ひを立て、天からの光を降ろす、それがそもそもの男性性の健やかなあり方ではないだらうか。
その天からの光、天からの答へを待ち望み、そして降りて来た光を受け止め、孕み、産みなし、育む、それがそもそもの女性性の健やかなあり方ではないだらうか。
そのふたつのあり方、働き方は、ひとりの人の内側に、そもそもあるものですし、育ちゆくものです。
しかし、現代は、喜びだけではなく、すべての人が、天と地の間に立たうとするみづからといふ存在を意識せざるをえないがゆゑの、痛みや苦しみを負つてゐる時代、意識のこころの時代です。
いや、むしろ、痛みや苦しみを通してこそ、こころを豊かに、成長させることができる時代に生きてゐはしないでせうか。
なぜならば、痛みや苦しみが人生に訪れることによつて、人は、初めて、この世に生まれて来たこと、いま生きてゐること、死にゆくことの「意味」を問ふからです。
楽しみや幸せや快楽だけに包まれてゐますと(それらは、とても、とても、大切なことであり、天からの恩寵でもありますが、そもそも、それのみの人生はありえません)、人は、決して、問ひません。
痛みや苦しみ、そして死を避けて避けて避け続けた果てに、わたしたちは何を生きるのでせうか。
その痛みや苦しみを恐れずに、勇気を持つて問ひを立て続けることが、男性性のそもそも持つてゐる本当の健やかな仕事ではないでせうか。
問ひを立てればこそ、その痛みや苦しみこそが、思ひもよらぬ秘密を明かすやうになります。
そして、その明かされる秘密こそが、その人のこころが稼ぐ、その人の理想です。
その理想は、痛みや苦しみを潜り抜けてこそ得られる宝物ではないでせうか。
夜明け前の闇が最も暗いやうに、わたしたちが、いま、闇を見ざるをえないのならば、勇気を持つてその闇をあるがままに迎へ、闇であること、そして、闇があることそのものを認めること、闇が教へてくれようとしてゐることに対して、勇気を持つて問ひを立てることをするならば、きつと、思ひもよらない秘密が明かされる。
夜明けが来ます。
※写真は、なかむら よしこさんが撮られた青森県田子町(たっこまち)の大黒森の丘からの夜明けの光景です。
2021年10月08日
奥入瀬川沿ひにて

あるところから駅まで歩いて行かうと、道を歩いてゐて、静かで大きな夜空の下、自分が今どこにゐるのか分からなくなり(スマホを持つてゐないわたし)、しばらくさまよひ歩いてゐました。
街灯も乏しいところを歩いてゐて、だんだんと、のんきなわたしもなぜだか不安になつて参ります。
そんなとき、「ああ、かうして、若い時から道を歩いて、道に迷ひ、途方に暮れたこともたくさんあつたけれども、必ず、誰かに出会ひ、助けてもらへたなあ・・・」と想ひ起こすのです。
さうして、このたびも、中に明かりがついてゐる消防団の施設の前にやつてきました。
中で、人の声がします。人の声つて、かういふとき、とても暖かく感じるものです。
「すみませーん」とわたしが声を上げてみると、中から屈強な男の人が出てきてくれました。
「すみません、スマホを持つてゐないものですから、駅までの道が分からなくなつてしまひました。ここから、どう行けばいいでせうか」とわたしが尋ねると、その人は「どこから来たの」。
「はい、向かうのイオンからです」。「はあ、そんで、歩いて行くの」「はい」「遠いよ」「はい」「ちょつと待つてて」。
さう言つて、中に入り、仲間の人と話しした後、また出てきてくれて、「この前を流れてる奥入瀬川に沿つて、まーすぐ歩いて行つたら、線路にぶつかるから、そこを左に曲がつて、また、まーすぐ歩いて行けば、着くよ」と教へてくれました。
「ありがたうございます。助かりました」と言ふと、にこつと笑つて、「気をつけてね」と言ひながら見送つてくれました。
青森の南部の訛りのあることばが、何か暖かいものをわたしに贈つてくれるのでした。
スマホがないから、かうして、人に道を訊ける、といふこともあります。
さうして、奥入瀬川沿ひを、誰も人がゐないのをいいことに、大声をあげて、なぜだか笑ひながら、歩いて行きました。
虹の輪
このたびの東北への言語造形行脚の旅。
行きの飛行機からも、帰りの飛行機からも、雲の上に映る我が飛行機の影の周りを囲む虹の輪。
かういふものは、よく観られるものなのでせうか。
わたしは初めてでした。
まるで、虹と共に東北へ入り、虹と共に東北から帰つて来たやうです。
さう言へば、昨年冬に初めて東北への行脚に出かけ、神戸空港に帰つて来たときも、六甲の山並みに大きな虹が架かつてゐたなあ・・・。
※
最近、また、『蛇の輪』といふお話を語つたのですが、わたし自身が、今年、そこで語られてゐる「蛇の輪」から出ることができたのではないか、と思つてゐるところなのでした。
ちなみに、「虹」とは、大空に架かる美しく大いなる「蛇」のことを言ひます。漢字もどちらも虫偏で、「虹」はノアの箱舟のエピソードの中でも語られてゐる、ノアと神とのとこしへの契りの徴(しるし)ですね。
2021年09月22日
よくみる人、よく考へる人
最近、解剖学者の養老孟司さんが話してをられる動画を観まして、年老いた人が、このやうに、当たり前でありながら本質を見抜いた高い見識をまつすぐにことばにして下さることのありがたさをひしひしと感じたのでした。
そして、こんなことを思つたのです。
人と人との集まりの中で、いはゆる人間関係における世代間での断絶といふやうなものがありますね。
もしかしたら、いまは、その集まりそのものが成り立つてゐないのかもしれませんが・・・。
いまから100年前、20世紀初頭、理想を求めてルードルフ・シュタイナーのもとに集まつた人たちの中でも、その世代間の断絶といふものから生まれる情のせめぎ合ひが激しくきしんださうです。
当のシュタイナーは、若い世代には「もつと謙虚になつて、これまでに古い世代が積み重ねてきたものを敬ひつつ認めることを学んではどうか」と問ひかけ、古い世代には「変に若ぶらずに、しつかりと精神において老いるやうに、こころにおいて熟するやうに」と諭しました。
しかし、おほもとの問題は、激変しようとしてゐる時代の精神そのものの中で、古いものにしがみついてゐる古い世代と、新しく生まれ変はらうとしてゐるものを先取りしてゐる若い世代との間の葛藤であることを、シュタイナーは勿論見抜いてをりました。
さらに、より根源的なことは、よくみて、よく考へてゐる人たちと、よくみず、よく考へてゐない人たちとが、いつの代にも存在してゐて、争ひは、よくみず、よく考へない人たち同士の間で起こつてゐるといふことです。
よくみず、よく考へない古い世代と、よくみず、よく考へない若い世代とがぶつかり合つてゐたといふことではないか、とわたしは思ふのです。
つまり、シュタイナ―のもとに集まるアントロポゾーフの人たちの例で言ふならば、ぶつかり合つてゐる人たちは、まこと、いま、何が本質的に大切なことで、何が非本質的なことであるかをみづからで、よくみず、よく考へてゐない。
本質的なところとさうでないところを見分ける、その力は、ひとり、まぎれなく考へることからしか生まれない。
そのためのひとつの学びの手口として、シュタイナーの「ことば」を、みづから、よくみること、そしてよく考へることがあるわけですが、皆、シュタイナーから発された「ことば」を、分かつたつもりになつてゐるだけで、みづからで、よくみてゐない、よく聴いてゐない、よく読んでゐない、よく考へてゐない。(特に次の二冊の書。『自由を考える(自由の哲学)』と『いかにして人が高い世を知るにいたるか』)
自分の立場や、自分にとつてこれまでのお決まりの思ひ方、感じ方、考へ方にしがみついたまま、そこからものを言ふことによつて、わたしたちは、万人が万人の敵となる、あの黙示録に予言されてゐるあり方へと突き進んでゐるのでせう。
本当に、2021年を生きてゐるわたしこそが、自戒するところです。
賢者のことばを一言一句厳格に捉えることをもつて、それで足れりとしてゐる老人も、自由にものを言ふことこそが人であることの証だと思ひ込んでゐる若者も、みづからを律すること、みづからを研ぐこと、みづからを磨くことによつてのみ、「ことば」は人と人とを繋ぐ自由な何かになりうる、といふことを学ぶ必要があるやうです。
世代間の断絶などといふものは、幻である。さう思ひます。
2021年09月19日
時間どろぼうと言語造形

以下の文章は、8年前に二人の娘たちとの家庭読書会のことを書いたものです。
いま、中学生一年生となつてゐる次女と、ふたりで『源氏物語』を毎日、読み継いでゐます。
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小学二年生の長女に、まだ少し早いかもしれないのだけれども、ミヒャエル・エンデの『モモ』の読み聞かせをここのところずつとしてゐます。
5歳の次女も、分かつてても分かつてなくても、ぢつと耳を澄まして聴いてゐる。
今日は、前半のクライマックスと言つてもいい、「時間どろぼう」の章に差し掛かつてきた。
「時間どろぼう」の語りかけることばにこころを奪はれてしまつた人は、いかに時間を節約して、いかに無駄を省き、いかに計算通りに効率的に生きていくかに血道を上げていくことになる。
その生き方、そのこころのあり方が、他の誰でもない、まさに俺のことではないか!
「時間が足りない」「お金が足りない」「・・・が足りない」「足りない」「足りない」・・・。
そんな、思考にもならない深い感情のところで何かに急かされるやうに意識が焦つてゐる。
そして、どれほど子どもの前で「早くしなさい!」「ぐずぐずするなつ!」といふことばを連発してゐることだらう。
自分自身のあり方が戯画として描かれてゐるのを観て、『モモ』を読むそのたびごとに、こころが治癒されるのです。
「時間どろぼう」に取りつかれてゐた自分自身をこの読書が治癒するのです。
この本を読むことで、お父さん自身の呼吸がだんだんゆつくりとなり、表情も豊かに優しくなつてくるのを、子どもたちも感じるのでせう。
「お父さんやお母さんが『早くしなさい!』なんて言ふ時、時間どろぼうがお父さんやお母さんの背中に張り付いてるねん」なんてことをわたしが話しても、娘たちはにこにこして、親のそんなあり方を懐深く広く受け止めてくれる。
次女がこんなことを今日言つたので大笑ひしました。
「生まれてくる前に、神さまにお願ひしてん。時間どろぼうさんが一杯ゐるところぢやなくて、言語造形さんが一杯ゐるところに生まれますやうにつて。そやからお父さんも言語造形さんになつてん」
さうや、さうや、言語造形をするから、普段よりもずつと息を深くして間(ま)をもつてことばを話すことができるな。言語造形さんは、時間どろぼうさんを追ひ払ふんや。
そんなことを娘たちと話して笑ひながら、本当に言語造形さんがある意味をいつもよりも深く感じたのでした。
2021年09月16日
我が内に潜む愛

青森県平館の海
ああ、わたしたちは、なぜ、星の世からこの世へやつて来たのでせう。
その意味は、きつと、分からない、分かり切れないのでせう。
でも、わたしがこの世にかうしてやつて来たことは確かです。
そこに意味を見いだすことができるとしたら、それは、わたしがそのことを問ひ続けるからこそでせう。
この世にどんなことが起こり、どんな風に繰りなして行かうと、わたしがこの世に降りて来たことには意味がある。
その意味を探る、この人生です。
その意味は、外の世にはなく、ひたすら、我が内の世にあります、きつと。
我が内の世にどのやうなものが秘められてゐるか。楽しみだなあ。
2021年09月10日
この世に生まれてきた意味に対する予感

今日、中学校を休んでゐる(やめた?)次女と、ゆつくりと話をすることができました。
多くの同級生たちが、本当に自分が考へてゐることや感じてゐることを表現せず、彼ら、彼女らは、友だちに嫌はれず、先生や親に怒られないやうなキャラクター設定を自分でしてゐて、そのいくつかのキャラクターを上手にその都度その都度出してゐるだけだ、と。
だから、ずつと仲良くはやつて来たけれども、多くの同級生たちの喜びが、お腹の底から全く共有できない、と。
学校の先生方も皆一生懸命やつてをられるのだけれど、その授業にこころを動かされたことがない、と。
中学一年生の一学期まで学校に通ひ続けてゐたが、本当に辛かつた、と。
上辺の喜びでなく、こころの底からの喜びが学校ではひとつもなかつた、と。
次女が言はうとしてゐる「喜び」とは、きつと、この世に生まれてきた意味に触れる時に訪れる喜びなのですね。
誰かに褒められたり、好かれたりすることで得られるものとは、違ふやうです。
この世に生まれてきた意味に対する予感。
さう、わたし自身も、その予感に従つて、ここまで生きて来たやうに思ふ。
取り繕ふことなく、誤魔化すことなく、そして、焦ることなく、その意味を予感しながら、道を歩いて来たし、これからも歩いてゆく。
そんなわたしのことも話し、彼女もたつぷり話してくれて、午後のひとときが過ぎ、またそれぞれ、自分の部屋に戻つて本を読み始めました。
かうして同じ家の中で過ごすことも、後から思へばかけがへのない時間だつた、と想ひ起こすこともあるのかもしれません。
2021年09月05日
奥入瀬川のほとりで
青森の三沢駅から電車に乗り、下田駅で降り、まるつきり知らない町を歩かうと、おいらせ町の奥入瀬川のほとりまでたどり着きました。
なにせ、わたしはスマホを持たない、超現代人。
見渡す景色を頼りに、歩く、歩く。
ひとりでゐること、ひとりであることを、いま、学んでゐる。そんなことを奥入瀬川を見てゐて思ふのでした。
ひとりであることで、初めて、何か大いなるものに守られてゐる〈わたし〉に目覚めることができる。
〈わたし〉と世。
そのやうに分かれて見えてゐたふたつが、ひとつであることを知る旅。
〈わたし〉と世はひとつであることに目覚めることで、このからだを持つた小さなわたしが誰かに愛されようと愛されまいと、どちらでもよくなるやうな・・・。
〈わたし〉と世がひとつであること、それは、そのひとつであることそのものが愛する主体であつたことへの更なる目覚め。愛される客体としての小さなわたしでなく。
久しぶりに4〜5時間も歩いて、脚のいろんなところが痛くなつてしまひました😅
2021年09月03日
これからの28年
この人の世を健やかに生きて行くこと。
「あなたが生きて行く上での目標は」などと、たとへば、街頭アンケートで問はれたら、わたしは、たぶん、そのやうな答へをすると思ひます。
しかし、健やかに生きて行くこと、それは、並大抵のことではありませんよね。
人生の複雑怪奇さに通暁して行くためには、何かが必要だと感じます。
そして、探します。
そして、前の人生からのご縁で、その何かに出会ひます。
様々なものと人に出会ふことができましたが、わたしにとつて決定的だつたのは、ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーとの出会ひでした。28歳の時でした。
そして、いま、56歳です。
この28年間、わたしは、アントロポゾフィーといふ海の中に飛び込み、泳ぎ続けて来ました。
その海は、ルドルフ・シュタイナーといふひとりの人の「行ひ」と「ことば」と「考へ」から、生きて織りなされてゐます。
そして、すぐに気づかされることなのですが、それらの織りなしは、個人性を超えて、深く、深く、世と人類の始原、天地の初発(あめつちのはじめ)に届くものでした。
とにもかくにも、わたしは、その海を泳ぎ続けて来たのです。
そのやうな海の深さがあるのにも関わらず、わたしは水面近くをアップアップしながらの格好のよくない泳ぎ方でしたが、それでも、泳ぎ続けては来ました。
そして、56歳のいま、もし許されるなら、かすかすながらもこの海を泳いできた力をもつて、のちの人とのちの世に少しでも資する仕事をさせてもらひたい。
世と人が健やかになりうるやうな、アントロポゾフィーからの仕事をさせてもらひたい。
さう、こころに決めてゐます。
何ができるのか、本当に未知ではあります。しかし、これまでにして来たことの先に道は長く果てしなく延びてゐます。
アントロポゾフィーといふ精神の学の根源と言つてもいい、「ことばの教育・ことばの芸術」を礎(いしづえ)にした「子どもたちの教育、若者たちの教育、人の教育」を織りなす社(やしろ)造り。
それが、全く新しく、友と力を合はせながら織りなして行きたい仕事です。
たくさんの方々に教へを乞ひながら、これまで海を泳いで来た自身の力を注ぎ込みつつ、友と協力し合つて、やつて行きたい。
これからの28年をもつてです(😆)!
2021年09月01日
風と光の津軽半島

青森県津軽半島最北端に近い、平舘(たいらだて)に連れて行つてもらひ、こころの洗濯をすることができました!
大地に沈みこんでゐるわたしたちの先つ祖(さきつおや)の方々の血と涙に、足で触れさせてもらへた。そんな感覚です。
わたしたちの国、日の本の国の民もまた、神と共に生きてゐて、ことばには出さずとも、日々の暮らしの営み、四季の季節の巡り、一年一年(ひととせひととせ)に繰り返される恵みと艱難を通して、誇り高く、自分たちのライフスタイルを謳歌してゐた、そんな息吹きをいまだ感じさせてくれる土地。
それが、青森でした。
いまも、なほ、限りなく、限りなく、美しい空と海の青!
風と光のどこまでもすがすがしい精神!
足で踏む海辺の砂と石から沸き上がつて来る喜び!
本州の最北に位置するこの土地には、大都会にはない、どんな力が眠つてゐるのか、どのやうな四大(地水風火)の精神の方々の働きが盛んなのか、からだとこころと精神の感覚をフルに働かせて、この土地の方々と親しく交はりながら、わたしも生きて行きます。
ご案内して下さつた千葉さん、工藤さんに、感謝!
