いよいよ秋も深まり、そぞろ寒さも感じられてくる。
冬支度もぼつぼつ始めていて、寒さに対する防御を始めた。
しかし、そういった冬に向けての自分のこころの構えに、
寒さに対する防御といった気持ちだけではなく、
今年はより一層、意気込みが台頭してきたように感じる。
それは、この秋のはじめ、
自分のイニシアティブからミカエル祭を始めたことが随分影響している。
http://kotobanoie.seesaa.net/article/58189292.htmlもう、5週間以上前になるが、いまだにわたしの中では、あのミカエル祭の余韻が響いている。
シュタイナーの『こころの暦』の第26週目が、ミカエル祭の週である。
時はそのときから随分経っているが、ここに書きとめてみる。
自然、その母のようなありよう Natur,dein mutterliches Sein,
わたしは、それを、意欲において担う Ich trage es in meinem Willenswesen;
そして、わたしの意欲の火の力 Und meines Willens Feuermacht,
それが、わたしの精神の萌しの数々を鍛える Sie stahlet meines Geistes Triebe,
その萌しの数々が、自らの情を生む Dass sie gebaren Selbstgefuhl,
わたしを、わたしにおいて担うべく Zu tragen mich in mir.
(鈴木一博訳)
秋のはじめにおいて、
こころの中の「火」の要素が際立っているのを、自分の中に感じていた。
今年は、その火の力を保ちつつ、こころの冬支度をすることができる。
その火の力とは、
例えば、出来栄えを気にせず、喜びと愛をもって、何かをやりつづけること。
それが、仕事であれ、勉強であれ、芸術であれ、瞑想であれ、なんであっても、
自分がこれと決めたことを、まさに出来栄えを気にせずにすることによって、
どれほど多くを学べることだろう。
そして、誰から言われたのでもない、自分がすると決めたからするその何かをやり続けることによって、
わたしは自分自身に対して誠実さを守ることができる。
それは、こころの中に大きな力を生む。
そして、一年で最も夜が長いとき、闇が深いとき、
冬至・クリスマスへ向かって、毎日一歩一歩歩いている。
posted by koji at 00:04
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