2017年01月05日

人と國の美しさ 〜天橋立への旅〜


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新春早々、夫婦二人で京都の丹後、天橋立に旅してきました。
 
宮津灣と阿蘇海。
丹後半島の根元にひつそりと奧まつて位置してゐるふたつの海。
天橋立はそのあひだにまるで浮かんでゐるやうです。
 
いづれも靜かに波打つ水面が、
女性的なものを感じさせてくれるからでせうか。
こころを穩やかにときめかせてくれます。
 
そして西から東へ天高く吹く風が、
わたしたちをまるで、
遠い神代の世界に連れていつてくれるやうな、
そんな夢のやうな時間でした。
 
天から乙女らが舞ひ降りてきたのは、
まさにここぢやないかと、感じたのでした。
 
百人一首の歌を想ひ出しました。
 
天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ    僧正遍照

 
 
夜、おいしい魚とお酒を求めて驛前の店に入ると、
思ひもかけず、地元の方にご案内いただいて、
更に旨い店での堪へられない舌鼓と人のこころの優しさ・・・。
 
この宮津と云ふ土地を、
こころから愛してゐる方々と出會へた歡びは、
旅を本當に深く豐かなものにしてくれました。
 
美しい人、そして美しい風土。
 
日本と云ふ國はこんな豐かさと美しさをいまだに湛えてゐる。
そのことを今囘の旅でも全身で感じさせてもらへたのでした。


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2017年01月01日

あけましておめでたうございます


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皆さま、あけましておめでたうございます。
 
昨年中、お世話になりました皆さま、
本當にこころからのお禮を申し上げます。
 
今年も更に「ことばの家」諏訪印は、
皆さんのこころに觸れるやうな仕事に邁進していきますので、 
なにとぞ、どうぞ、よろしくお願ひ申し上げます。
 
平成二十九年一月一日 ことばの家 諏訪耕志・千晴

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2016年12月28日

日本の家庭 (三・完) 〜父の姿〜


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この連載の第一囘目に、
大東亞戰爭の敗戰以前の、
日本の家庭觀、父親像に就いて考へてみたいと書きました。
 
それは、さう云ふ家庭觀、父親像に、
わたし自身が人間と云ふ存在の美しさを感じるからなのです。
 
わたし自身、昭和三十九年(1964年)と云ふ、
高度經濟成長期の眞つ只中に生まれたのにも關はらず、
自分の父親からそこはかとなくそのやうな像を感じてゐたからかもしれません。
 
以下の考察は、
保田與重郎全集第二十二卷収載の『日本の家庭』から、
わたしが自由に書き起こしたものです。
 
仁義禮智忠信孝悌と云つた徳目や神佛への信仰を、
道徳と云ふ形で荷つてゐたのは、昔の日本の父親でした。
 
父は先祖祭りを儀式として荷ひ、
母は祭りの團居(まどひ)に從事してゐました。
 
昔の日本の父は、
現世的な權力や威力によつて、
子弟たちを教育しようとすることは決してなく、
常に神棚と佛壇の前からものを言ひました。
祖先の靈から始まる、幾世もの先つ祖の、
更におほもとである神々を嚴重に信奉しました。
 
汝も日本人ではないのか。
 
祖先の靈をどう思つてゐるのか。
 
そのやうな數少ないことばと、位牌をもつて、
家の道徳、國の道徳を、守つてゐました。
それは決して、
理屈や教義によつて説かれたのではありませんでした。
 
日本の父のそのやうな無口が、日本の支柱でした。
 
そして長男は、父からの神聖な根據に立つ威嚴を具へるやうな、
家を精神的に繼いでいく存在として教育されてゐました。
 
次男、三男は、きつと家庭に因りますが、
軍人として、官吏として、商人として、
願はくば國の恩、世の中の恩に仕へ奉ろうなどと考へられてをりました。
 
しかし、明治の文明開化の代から始まるわたしたちの歴史は、
そのやうな父の意志、意力を、
だんだんと無口な悲しさへと追ひこんで行つたことを教へてくれます。
 
異國風の新しい教育學や思想に對面せざるを得なくなり、
以前よりいつさう無口になつて己れの信ずる祖先の靈と共に悲しんでおりました。
 
日本の家庭に於る教育環境を司り、
教養階級そのものであつた父が、
父たる傳統を失つた、その時から、
この連載の第二囘で述べた爐邊の母の物語も失はれていきました。
 
そして、やがて、日本の家庭が決定的に崩されはじめたのは、
大東亞戰爭の敗戰によつて敷かれたGHQによる占領政策以來のことです。
 
新しい教育學、保育學、教養論が、ますます人のこころを染めていきました。
 
そして、わたしたちは日本人であることを何か劣つた、
恥づかしいこととして、
云々するやうになりました。
自分自身への信頼をだんだんと失つていきました。
 
 
 
しかし、決して理論鬪爭を試みず、
神仏や先祖と繋がれて生きてゐる己れのありかたを
深く信じてゐた日本の父の姿は、
完全に失はれたのでせうか。
 
家の儀式祭祀を司り、
そこからおのづと家の道徳、躾、たしなみを、
ことばを越えたところで子孫に傳へていく父の道は、
果たして消え去つてしまつたのでせうか。
 
わたし自身、そのやうな昔の父の姿、風貌を新しく見いだし、
自分自身の中で新しく育て、
新しく次世代へ守り傳へていかうと考へてゐるのです。
 
第一囘 http://kotobanoie.seesaa.net/article/444941046.html?seesaa_related=category
第二囘 http://kotobanoie.seesaa.net/article/445052442.html?seesaa_related=category 



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2016年12月19日

日本の家庭 (二) 〜靈異なる巫女性〜  


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昔の日本の家庭の中に於る父親像を見るまへに、
まづは母親像、女性と云ふもののありやうを
見てみたいと思ひました。
 
女性のしてゐたことのひとつは、
夜ごと爐邊で、昔噺を語ることでした。
 
その昔噺とは、輸入物の寓話や譬喩ではなく、
家の物語であり、村の物語であり、
また國の歴史に繋がる物語でした。
 
それは、素朴なかたちの「神がたり」でした。
 
その語りは、インタヴューできない對象を語るのであつて、
人智で測りきれないものを物語るのでした。
 
わたし個人の想ひ出ですが、
祖母が同じ噺を繰り返し繰り返し布團の中で、
幼いわたしをあやしながら語つてくれました。
 
その噺は、家のお墓にまつはる實話で、
何度聽いても、
身の震へを抑へられない怖い噺だつたのにもかかはらず、
わたしは幾度も祖母にその話をしてとせがんだものでした。
 
祖母は、その噺が眞實であることを固く信じてゐました。
それは彼女の暮らしの底から生まれてゐる、
生きた人生觀からのものだと感じました。
わたしたちの人生は、すべからく、
神佛が見守り導いて下つてゐるとの信でした。
その信仰のあり方は、祖父が持つてゐた觀念的なものよりも、
より親身なものであり、靈感的なもののやうでした。
 
民族學者である柳田國男の『妹の力』を讀んでみますと、そこには、
古來から女性のもつてゐる靈異な力に就いて描かれてをり、
その力が實に家の運命をも左右するものであることを、
體感・痛感せざるをえなかつたため、
いかに家の男性がその「妹の力」を畏れてゐたかが描かれてゐます。
 
ある場所や、ある期間に於て、女性を忌む風習も、
實はその靈異の力を尤もよく知る男性が、
それを敬して遠ざけてゐたことから生まれてきたのだと云ふことが分かります。
 
祭祀や祈祷の宗教上の行爲は、悉く婦人の管轄であつたこと。
 
巫(みこ)は、我が國に於ては原則として女性であつたこと。
 
昔は、家々の婦女は必ず神に仕へ、
その中の尤もさかしき者が尤も優れた巫女であつたこと。
 
なぜこの任務が女性に適すると考へられたのか。
それはその感動しやすい習性をもつて、
何かことあるごとに異常心理の作用を示し、
不思議を語り得た點にあると云ふこと。
 
女性は、男性にはしばしば缺けてゐる精緻な感受性をもつてゐること。
その理法を省み、察して、更に彼女たちの愛情から來る助言を、
周りがいま一度眞摯に受け取らうとするなら、
その仕合はせは、
ただ一個の小さな家庭を恵むにとどまらないであらうと云ふこと。
 
 
このやうな妹の力が、
爐邊の女性による物語りとして、神がたりとして、
わたしたちの昔の暮らしの内々に息づいてゐたのでせう。
 
しかし、この爐邊の妹の物語り、母の物語りも、
日本の父が荷つてゐた道徳の文化、
教養のしきたりが失はれていくにつれて、
共に失はれてきたのです。

第一囘 http://kotobanoie.seesaa.net/article/444941046.html?seesaa_related=category
第三囘 http://kotobanoie.seesaa.net/article/445318564.html?1482901681


 

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2016年12月18日

若宮様のおん祭り


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昨日、奈良の御蓋山を背に抱く春日大社の攝社である、
「若宮神社」のおん祭りに足を運びました。
 
大雨洪水により饑饉、疫病が蔓延し、
丁度880年前、時の關白藤原忠通公が萬民救濟のため、
若宮の神の御靈威にすがられ、
お祭りをしたのが始まりださうです。
 
參道のすべての明かりを消し、冩眞撮影も嚴禁される中で、
眞夜中の十二時、
若宮神社本殿から、
若宮神をお旅所と云ふ行宮(あんぐう)へお遷しし、
そして、次の眞夜中の十二時までに本殿へお還りいただく。
 
わたしはその内のお晝間に行はれる、
お渡り式から行宮前でのお旅所祭までを拜見しました。
 
神にお出ましいただき、
その前で祈りと感謝を捧げる人々の營み。
その嚴肅さ、その美しさに、
わたしは激しくこころを打たれました。
 
いつの日か、
冬の真夜中の儀式に參加したいと思ひます。
 
誘つてくれた友人と、
そのことに就いて、
また來年からの新しい仕事・プロジェクトに就いて、
たつぷりと語りあへたことも本當に有難い、嬉しいことでした。

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2016年12月16日

日本の家庭 (一) 〜我が國固有の文化としての〜


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我が家の長女も十一歳。
ここ一年ほどの間に、
親の言ふことにはすべて從つてゐたこれまでとは、
當然のこと變はつてきて、
所謂「難しいお年頃」になつてきました。
 
親子の間、家庭の中に、日々いろいろなことが起こりますが、
いま、とりわけ、かう感じてゐます。
 
生まれてからお凡そ十年間、
彼女は父と母のことを
とてつもなく大きな愛と無條件の信頼で見守つてくれ、
なによりすべてを許してくれました。
 
これからの十年間は、
こころの自立に向かつてゐる彼女を、
わたしたち夫婦が、
からだもこころもべつたりだつた時のやうな愛ではなく、
より精神的な愛と信頼をもつて見守り、
その自立を促し、世間へと送り出していく時期なのだなあ・・と。
 
さう感じてゐる今日この頃、
自分は男であり、
娘との向かひ合ひにも必然的に意識的にならざるをえません。
そこで、改めて、
「父親」と云ふ役割に就いて考へることが最近増えてきました。
 
わたしは、このご時世の中、
いろいろなものが入り混じつてゐて、
ここ日本が東洋なのか西洋なのか、
判然としないありさまに生きていゐます。
 
世の中には樣々な價値觀があり、
また時の移り行きの中で、
その時代その時代特有の價値觀もあると思ふのですが、
わたしはひとりの日本人として、
何か確かなもの、
美しいと感じられるもの、
地に足の着いた土着のもの、
つまり我が國固有の文化を求める氣持ちの高まりを
強く感じてゐます。
 
そこで、先の大東亞戰爭の敗戰以前の、
日本の家庭觀、
日本の父親像と云ふやうなものを調べ、考へてゐます。
 
戰後のあまりにも偏向した左翼的な教育思想から、
できるかぎり自由になりたいと考へてゐます。

第二囘 http://kotobanoie.seesaa.net/article/445052442.html?seesaa_related=category 

第三囘 http://kotobanoie.seesaa.net/article/445318564.html?1482901746



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2016年12月13日

ことばの道がわからなくなってしまつてゐる文学者


流行語大賞の審査員である俵万智氏の次の発言を讀みました。


 「死ね」が、いい言葉だなんて私も思わない。
 でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、
 待機児童問題の深刻さを投げかけた。
 世の中を動かした。そこには言葉の力がありました。
 お母さんが、こんな言葉を遣わなくていい社会になってほしいし、
 日本という国も日本語も、心から愛しています。



さらに、前衆議院議員の杉田水脈氏が、この発言について、かう仰つてゐる。
 

流行語大賞の審査員である俵万智氏の発言が話題になっているようです。
この問題、何度も言いますが、前提条件が間違っています。
今回の俵氏の発言も然りです。

1.「保育」は福祉施策です。
 福祉とは、“私達の税金”を使って生活力の乏しい人を支援するものであって、
 誰でもが自由に受けられるサービスではありません。
 ブログを書いた人が保育所に入れなかったのは、
 もっと必要度が高い人がいたというだけのことです。
 実際、この人は自分で何とかできるレベルだったのではないでしょうか?
 その後、このブログの主が「保育所に預けられないので生活が困窮した」
 という話は全く出ていません。

2.この問題は各自治体レベルの問題です。
 実際に待機児童が発生している自治体は、全体の1割に満たない。
 それ以外の自治体は子供が減って保育所や幼稚園を減らす方向です。
 「待機児童の深刻さを投げかけた」という発言は
 一部の都会の人にしか理解されていません。

3.地方の問題なのに国会で取り上げた山尾しおり議員ですが、
 結局、何の結果も出せていません。当たり前です。
 国の問題ではないので、法律や規則の変えようがないからです。
 「世の中を動かした」とおっしゃいますが、何も動いていません。



ことばは、
それを言つた人、書いた人から、分離して、
一人歩きして、世に働きかけ、影響を及ぼすもの。
 
だから、ことば遣ひや文章は畏るべきもので、
尊ばねばならないと思ふ。
 
これは、日本と云ふ國の古代からのしきたりである。
 
こころが濁つてゐるとき、
その濁つたこころが、
ことばをもって世に働きかけてしまふ。
 
だからこそ、
我が國では古來、ことばの運用に意識的になることで、
こころを整える道を弁えてゐた。
 
その道を荷ってゐたのは文学者だつた。
 
俵さんは、何を言つてゐるのだらう。
 


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2016年12月04日

失はれていく記憶 〜明治神宮、靖国神社、そして讀書の學〜


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夫婦楠。明治天皇神と昭憲皇太后神の強い結びつき。
 
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左端に写つてゐる男性の真摯な念ひに満ちた立ち姿がとても印象に残つてゐます。


 
何ごとも時あるものと知りながらなほいそがるる人ごころかな
(明治三十八年)
 
明治神宮へ參拜してきました。
この歌は南手水舎に12月に奉掲されてゐる明治天皇の御製歌です。
 
それにしても、原宿や澁谷と云ふ街に隣接しながら、
なんといふ神々しさをこの社と杜は湛えてゐることか。
 
たくさんの外國からの旅行者らしき人々がをられましたが、
わたし自身、その神々しさを肌身に感じることができ、
自分が日本人であることの歡びを足の下から感じることができたのでした。
 


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次の日、幕末から昭和の大東亞戰爭の時までに、
この國を守るために戰はれた英靈の方々をお祀りしてゐる、
靖國神社に初めて參拜できました。
わたしにとつては念願の日でした。
 
靖國神社は明治二年(1869年)に、
明治神宮は大正九年(1920年)に創建されましたが、
雅いとも云へるこの二つの社にこのたびお參りすることができ、
わたしは東京といふところが、
このふたつの社にいまだ強く守られてゐることを感じたのでした。
 
 
明治維新の時、それはいまから百五十年ほど前、
大きくふたつの意識が混沌の中で沸騰してゐたやうな時でした。
 
古い固有の文化・文明を守り通してきた日本。
そして、これから世界に向けて開かれていく新しい日本。
 
この古い日本と新しい日本の狹間で、
その混沌を奇蹟的にひとつにまとめ束ねられた明治天皇。
 
それまでの日本といふ國がどのやうな歴史の道を歩んできたか、
と云ふことに對する確かな深い洞察をもつてをられたからこそ、
明治天皇はあの時代を導く精神の體現者であり、
牽引者となられたのだらうと思ふのです。
 
ちはやぶる神のひらきし道をまたひらくは人のちからなりけり
(明治三十六年)
 
いま、といふ時代が、日本といふ國に何を求めてゐるのか。
この時代に、日本と云ふ國は世界に向かつて何をもつて立つのか。
 
そのやうな自分自身に重なる問ひを抱きながら、
水道橋で行はれた、
一般社団法人日本平和学研究所 月例講座(讀書の學) 
に參加し、『昭和精神史』の著者、桶谷秀昭氏と、
『小林秀雄の後の二十一章』の著者、小川 榮太郎氏、
おふたりの謦咳に接することができました。
 
桶谷氏から小川氏へと受け繼がれてゐる、
尊い理想への靜かだけれども熱い情熱と、
いつさうの深い悲しみに觸れたやうに感じたのでした。
 
わたしたちは破壞されていく日本の風景と、
失はれていく美しい記憶の果てに、
いつたい、どのやうな甦りを摑むことができるのだらう。
 
きらびやかな東京の夜の街を通り拔けて、
深夜大阪に歸つてきました。
 

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2016年11月30日

時の主(あるじ)

 
さう、時閧ニは區切ることができないものなのですね。
 
ここまでは仕事の時閨A
ここまでは家族につきあふ時閨A
ここからは自分だけの時閨E・・
なんていふことは本當はあり得ない。
 
この人生でわたしに與へられてゐるすべての時は、
誰にも奪はれることはないし、
わたしは、何かや誰かのために、
自分の時閧費やすことなど絶えてない。
 
どんな時でも、すべての時閧ェ、自分自身のものです。
 
だから、どの人とゐても、どの場所にゐても、
他の誰のものでもない、
すべて自分自身の時閧生きてゐる。
 
そのことを踏まえたうえで、更に希ふことは、 
わたしは、できる限り、仕事場にゐたい。
そして、できる限り、家族と一緒に過ごしたい。
 
それは、
仕事こそがわたしのいのちを最高に熱く高めてくれますし、
家族こそがわたしのいのちの最善の據りどころだからです。
 
すべての時閧ェ、わたしの時閧ナす。
 
だから、わたしは、時の主(あるじ)になることができます。
 

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2016年11月27日

憧れ


わたしには憧れてゐることがあります。
 
日本語を話すこと。聽くこと。
そのことが藝術であることを、
多くの日本人が想ひ出すことです。
 
想ひ出して、日本語を大切にする氣風が甦ることです。
 
さうなると、日常生活にをいても、
日本人自身が日本語を叮嚀に扱ひ始めます。
 
叮嚀に扱はれるとき、
ことばはことば自身が持つてゐる力を放ち始めます。
 
そして、ことばそのものが、
人のこころを活き活きと輝かせ始めるのです。
 
こころが活き活きとしてゐるから、
ことばが力を持つのではないのです。
ことばが叮嚀に扱はれるからこそ、
人のこころが叮嚀に育まれ、輝き始めるのです。
 
表面的に「ことばを美しく話す」と云ふ、
おためごかしのことではなく、
ことばそのものに誠實に向き合ふ、
全身全靈でことばに向かひ合ふと云ふ、
そんな、ことばの道が、
昔から日本では大事にされてきました。
 
昔の日本では、かう云ふことは、
云はば當たり前のことだつたのかもしれません。
 
いまのやうに、なんでも、
見たり、聞いたり、言へたりできるやうな世ではなく、
云はば「見ざる、聞かざる、言はざる」と云ふ、
三猿の教へのやうなものが、
昔は當たり前に人の身についてゐたゆゑに、
人はことばにもつともつと敏感だつたのでしやう。
 
しかし、いまは、
そんな當たり前のことを本當に大切に守り、育まなければ、
それらがどんどん壞され、失はれていきます。
 
わたしは、そんな道が展かれるやうな仕事に就きたい、
新しい日本の傳統が樹てられるやうな仕事の一助になりたい、
そんな憧れを抱きながら言語造形と云ふ仕事をして、
毎日を過ごしてゐます。
 
言語造形と云ふことばの藝術は、
日本の精神文化の中で意識的に育まれていくことで、
これから先、數百年以上をかけて、
新しい日本文化の傳統のひとつになつてゆきます。

そして、それはわたしたち日本人の、
古(いにしへ)からの眞の傳統文化でもあるのです。
 
そんな憧れをもつてゐると、
毎日學びたいこと、したいことが一杯です。
 
樣々な分野でも、一脈通ふやうな、
同じやうな憧れをもつていらつしやる方、同志よ、
ご縁があるならば、どうぞこの憧れを共に荷つてください。
 
來年に向けて、具體的なことを、
少しづつ語つていきたいと思つてゐます。
 
どうぞよろしくお願ひします。
 

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井戸端会議はやめた方がいい

 
語りあふ、と云ふことから程遠い「おしやべり」。
それはできうる限り避けた方がいい、と思ふのです。
 
そこでは、その人の身の奧の奧にこびりついてゐる泥や垢のやうなものが、
ことばとなつて不注意にまき散らかされるからです。
 
さうしてそのやうなおしやべりには、
似た者同士が寄つてくることにきつとなつてゐるから、
互ひに己れの内なる泥を舐めあつて安心することができます。
 
己れと同じ程度に互ひを引きずり降ろして人心地つくことができます。
 
そのとき、人は己れの品格をみづから下げてしまひます。
 
そして、口から出た不注意なことばは、
必ず廻り囘つて人の聞くところとなり、人韋酔Wを壞してしまひます。
 
更に必ず最後にはそのことばは己れのところに歸つてきて、
自分自身を傷つけてしまひます。
 
井戸端會議での不注意なおしやべりはロクなことにはならない。

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2016年11月23日

袖ふる、といふことば 


茜(あかね)さす紫野(むらさきぬ)ゆき標野(しめぬ)ゆき
野守(ぬもり)は見ずや君が袖ふる 

 

今日の萬葉集クラスで生徒さんと稽古した額田王の歌です。
 
この歌に祕められてゐる切なさには、自分自身の乏しい體驗のうちにも、いくつかの憶へがあるので、この歌を聽いてゐて、とても甘酸つぱいやうな情が胸の奧からせり上がつて來るのでした。
 
もう何十年も前ですが、南の國のある港から出航していく船に乘つていくわたしを見送つて、岸壁でいつまでも袖を振つてくれてゐる人を船中の窓から見ながら、なぜだか滂沱の涙が止まらなかつたこと。
 
空港のゲートをくぐり拔け、後ろを振り返ると、周りの多くの人に遠慮しながらも袖を振つて見送つてくれた人に、こころが熱くなつたこと。
 
一首の歌の、ひとつのことばが、まるつきり忘れてゐた想ひ出をみづみづしく甦らせてくれることがあるのですね。
 
 
また、この歌の調べのよさ。
 
茜(あかね)さす紫野(むらさきぬ)ゆき標野(しめぬ)ゆき
野守(ぬもり)は見ずや君が袖ふる 

「あ」の母音から始まり、
「う」の母音が歌を導いていくその切なさ。
 
そして下の句に入つて、「野守(ぬもり)は見ずや」の
最後の音「や」で、また一氣に「あ」の音が擴がり、
紅に色づく女の頬が見えてくるやうです。
 
最後は、「袖ふる」で終はり、
「う」の母音が切なさをいつさう深めながら、
餘韻としてやがて消えゆきます。
 
 
一千四百年ほど前に詠まれた、見事な歌です。

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2016年11月06日

その地にて朗唱す 〜二上山に登って〜


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日本の古典の學び。
 
それは、一册の本を何年もかけて、
丹念に繰り返し讀み深めること、
更に、歌枕や傳説の地と謳はれ語られてゐるところに、
足を運ぶこと、
さう云ふ長い年月の意欲の働きによつて、
稼がれていくものだなあと感じてゐます。
 
自分にまとはりついてゐる先入觀や、
現代風の考へ方、感じ方、などから自由に離れつつ、
いにしへの人の「こころ」に近づかうと希ひつつです。
 
また、より直かな古典の學びとして、
わたしたちは、
そのやうな歌枕や聖なる地に立つて、
まさにそこで歌はれた和歌(やまとうた)や、
物語の一節を朗ずることができます。
 
その聲がかすかにでも響く、そのとき、
既にこの世から離れられた、
わたしたち日本人の先御祖(さきつみおや)の方々との、
ひそやかですが、
確かに感じられる交はりが生まれ、
慰めと安らかさの情が立ち上がり、
わたしたち自身のこころも太るやうに感じるのです。
 
千年とそれ以上の年月を閧ノ於て、
いにしへの方とわたしたちの閧ナ、
歌とことばを介して交流が生じます。
 
そんなことを直かに感じることができるのも、
その地に足を運ぶからでもあります。
 
今日は、大津皇子(おほつのみこ)が死を賜り、
葬られてゐる二上山(ふたかみやま)に登りました。
 
皇子が死を目前にして詠んだ歌です。
 
  角障(つぬさは)ふ 磐餘(いはれ)の池に 鳴く鴨を
  今日のみ見てや 雲隱(くもがく)りなむ
 
 
さらに、皇子の姉である大伯皇女(おほくのひめみこ)が、
弟の死を悼んで歌つた歌です。
 
  うつそみの 人なる吾(あれ)や 明日よりは
  二上山を 我が兄(せ)と吾(あ)が見む



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2016年11月04日

十一月三日 明治の日へと

 
今日は、文化の日で祝日でした。
大阪も拔けるような青空で、
まさしく「天高く馬肥ゆる秋」の一日を感じさせてくれました。
 
この十一月三日の文化の日。
 
そもそも明治天皇の御生誕を壽ぐ祝日でした。
それが先の大戰後、連合國軍が日本占領中に設置した總司令部 GHQ によって、「文化の日」と名稱を變えられました。
 
祝日の名前とは、もしかしたら、大切なものではないかと思い始めています。
 
この日が「明治節」と名付けられていたとき、
想像ですが、毎年、
この日に多くの人々が明治天皇のことを想い出し、
當時のことに想いを馳せていただけでなく、
きっと、「明治の精神」というものを想い出し、
再び噛みしめる機縁にしていただろう。
そう思うのです。
 
その精神とは、何か特別なものというよりかは、
當たり前の日常坐臥のなかに表れる人々の振る舞い、ことば遣い、生き方に、まずは見てとれるものだったのではないだろうか。
 
そこには、人に對する信頼、親に對する敬意、家族に對する信愛が息づいていて、それらはおのずから、萬物に宿っている神々との繋がりを大切に守り、育みつづけておられる、天皇という御存在に對する親しみ、崇敬という感情とも繋がっていたのでしょう。
 
さらに、あの明治の御代においては、
アメリカ、そしてヨーロッパ諸國からの侵略的壓力にどう向き合っていくか、という未曾有の國難のなかに日本人は生きていたわけですから、自分たちのアイデンティティーをどう立てていくかについて必死であり、混亂の中でも、相當な緊張感を孕んでいた精神だったのではないかと思うのです。
 
當時、インドも中國もその他たくさんのアジア諸國も、
歐米列強國によって植民地化され、
自國の傳統や精神を踏みにじられていましたが、
日本はそうなってはならない、
そんな緊張感だったのではないでしょうか。
 
わたしは、個人的には、いまだ學んでいる最中なのですが、
森鷗外、島崎藤村、岡倉天心、内村鑑三、伊藤博文、乃木希典、
それらの男たち、そして誰よりも明治天皇ご自身に明治の精神の顯現を感じます。
 
その精神は、
世界に向けて日本という國のアイデンティティー、獨自の崇高さを、なんとか聲を振り絞りながら歌おうとしたのではないか。
 
十一月三日が、明治維新からちょうど百五十年になる再來年平成三十年(2018年)には、「明治の日」とその名を持つことができるよう、わたしも希んでいる者です。

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2016年10月30日

自然と精神の重なりから文化が生まれた 〜泊瀬道を歩く〜


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玉列神社(たまつらじんじゃ) 明谷不動尊「赤井谷不動堂」

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玉列神社(たまつらじんじゃ) 


なんで、こんなに、
三輪山を中心に大和路に惹きつけられ、
歩き廻ってるのか・・・。
 
そこには、緑が鬱蒼と茂る山々があり、
その山々から流れ出る川の流れがあり、
そして緩やかに裾野が廣がって行き、
いまだに家々の合間合間に田園が殘っている。
天上の高天原(たかまのはら)から、
そのまま地上に降りてきたようなそれらの美しさ。
 
そしてさらに、その場に、
遙か古代から千二百年ほど前まで、
人によって、
ことばの精神を守り拔こうとして、
人としての最高の文化的な營みがなされ續けたということ。
 
このふたつが重なりあっていることに、
驚異を見るのである。
 
三時間も四時間も平氣で歩けてしまう。
 
それら自然の天惠は、
いまだに靈的で精神的な何かを人に與え續けている。
 
だから、そのあと、大阪に歸ってくると、
どうしてここには、
山もなく、川もなく、森もなく、泉もないのだろう・・・
そう、思ってしまう。
 
いにしえの聖地との行き來の中で、
いにしえといまとの行き來の中で、
何もない、平べったいところで、
しかし、かすかに海の匂いをかぎながら、
大阪の住吉で、
國語の藝術に取り組み續けようと思っている。

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2016年10月24日

秋の大和路 巻向の神人たち


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今日はあまりにもお天氣がよくて、
こんな秋の日にはどうしても行きたくなり、
妻を誘って、またまた三輪山の邊りを歩き廻りました。

わたしは、古事記で語られ、萬葉集で歌われている場所に立ち、
その場にいまだに生きている神々と人々の思いを全身で感じたい。
 
妻は、より精神的、直感的な感覺から、
古代の神々や人々と、
自分自身とがリアルに繋がっていることを確かめたく思っていて。

JR櫻井線の卷向(まきむく)驛で降りて、
三輪山の北に續く卷向山に入っていき、
第十一代垂仁天皇の纒向珠城宮跡(まきむく たまきのみやあと)、
そして、第十二代景行天皇の纒向日代宮跡(まきむく ひしろのみやあと)を訪れました。

秋の日の光を浴びながら、どこかに水の流れを聽きながら、
その卷向山へなだらかに登っていく道は、
わたしたち二人に明るく開かれた暖かい思い、
そしてなぜかとても懷かしい念いを抱かせるのでした。

その卷向山の西の麓に擴がる地は、
纒向遺跡(まきむくいせき)というところで、
そここそが邪馬臺國であったとも云われているそうです。

そして、この卷向は、昔、穴師(あなし)とも呼ばれていて、
萬葉集歌の頂きをなしたと思える柿本人麻呂は、
この穴師出身の山人(やまびと)であり、
山人は、すなわち、神人であった、
そう保田與重郎が書き記しています。

  卷向の痛足(あなし)の川ゆ往く水の絶ゆることなくまたかへり見む
  卷向の山邊響(やまべとよ)みて往く水の水沫(みなわ)のごとし世の人われは


絶ゆることなくまたかへり見む。
水沫(みなわ)のごとし世の人われは。

わたしも、こころの中で、今日、そう歌っていました。
柿本人麻呂歌集中の歌として萬葉集に收められている歌です。


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そして、さらに山道を奧へと入っていき、
穴師坐兵主神社(あなしにいます ひょうず じんじゃ)を訪れました。

そこは、もうことばでは何も言えないほどの、
靈的な何か、精神的な何かを、わたしにもたらしたように感じました。
保田は「社殿の構へには蒼古幽遠の俤(おもかげ)が濃い」ということばも殘しています。
妻は、そんな保田のことばは知らず、
その場にいてとても靈的な感覺を語っていましたが、
わたしもその感覺を共有したように感じています。

そのあと、山の邊の道を南へ、
檜原(ひばら)神社から大神(おほみわ)神社へと下っていきました。

大神神社に着いた途端、待っていてくれていた樣に、
御神輿が鳥居前に擔がれてきました。
一年の内最も大切な祭であろう、
新嘗祭である秋の大神祭がおこなわれている最中でした。

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2016年10月16日

鎭魂(みたましづめ)・三輪山


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昨日、南 ゆうこさんご一家と一緒に、 
家族そろって奈良の大神(みわ)神社に参拝したあと、
そこで齋祀(いつきまつ)られている三輪山に初めて登ってきました。
 
山そのものが神であると。
だから山に入るということは、
神さまの體のうち、胎内に入ることだと、
登山前に神社の方が傳えてくれました。
 
御神體(ごしんたい)の内に入ってゆく、
その一歩一歩に、
様々なことを感じながらの登山でした。
 
いろいろな予備知識や教義はおいておき、
感覺を洗い、研ぎ澄ませながら、
ただ御山に向かうこと。
 
そうして、下山したあと、
我が國の古い神道における自然(かむながら)觀念で
「鎭魂(みたましづめ)」のことを想い出しました。
 
そもそも、その「鎭魂(みたましづめ)」とは、
ふたつの意味合いをもっていました。
 
ひとつは、
わが體(からだ)から離れていこうとする魂を、
身の内に蔵(おさ)め、
こころを鎭め、落ち着けること。
 
もうひとつは、
世の萬物に満ち満ちて行き渡っている、
靈妙な精神をわが身の内に取り入れ、
魂を太らせていくこと。
 
全身に滝のような汗を流しながらの、
昨日の御神體(ごしんたい)・三輪山への登頂下山は、
そのふたつの徳用(さきわい)を共に感じさせてくれたように思います。
 
そして、驚いたのは、
子どもたちが裸足になって、
三時間近くかけての登頂下山を成し遂げたことです。
 
神に近い彼らは、羽が生えたように御山を、
ほとんど駆け足で駆け上り、駆け下りていきました。

posted by koji at 14:14 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

「親しみ」という根源的な感情


実際に、人と会って話すことで、
インターネット上でその人のことばを讀むことよりも、
その人のことがよ〜く理解できる。
その人に親しみを感じる。
 
そんなことを感じる、ここ數日。
今日もそうだった。
 
この「親しみ」という感覺は本當に大切にしたいと思う。
 
人と人との純なつながりであり、
人が人であることのおおもとの情だから。
 
 
ところで、
いま、自分が取り組んでいる『萬葉集』は、
このおおもとの情を、
とても大事にしようとしていた人が編んだ、
和歌(やまとうた)のアンソロジーだったことを、
改めて感慨深く思う。
 
天地(あめつち)の初發(はじめ)に漲っていたであろう、
天地未分の、
主客未分の、
愛以前の、「親しみ」という根源的な感情。

そう、昔は、
「愛」なんてことばはなかった。
「したしみ」であり、
「いとしみ」であり、
「いつくしみ」であった。
 

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2016年10月04日

秋、花の名をとなえれば・・・


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山上憶良の「秋の七草」として知られている歌二首を、
今日の萬葉集のクラスで生徒さんとともに稽古しました。
 
 
 秋の野に 咲きたる花を 指折り(をよびをり)
 かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
 
 萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花(をみなえし)
 また藤袴 朝貌(あさがほ)の花

 

花の名を唱えるだけのこの歌。
 
しかし、その名を生徒さんが發音されるとき、
部屋の空閧ノ、
その花、その花の奥深い内部が開かれ、
各々の植物がその精神を語りだす、
そんな感覺が生まれたのでした。
 
そうして、秋の野原がこころの目の前に拡がるのです。
 
すると、不覺にも目に涙が溢れてしまいました。
 
親しくて、懐かしく、そして悲しい、感情です。
 



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2016年09月28日

これは不思議だ・・・


この前、ことばの家の萬葉集のクラスで、
練習しながら、
ことばの藝術としての和歌のことから、
話しが深まって行き、
日本の文化の源としての宮廷文化、
そしてその根幹である米作りを中心にした、
神ながらの道について語りあっていた時、
天井から一粒、何かが落ちてきたのです。
 
拾い上げてみると、
それはまさしく、一粒のお米でした。
 
これまで、我が家では、ネズミはおりません。
ですから、ネズミの仕業とは考えにくい。
 
これは、クラスの皆が目撃していることです。

posted by koji at 18:19 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする