飛鳥川上座宇須多岐比売命神社 昨日は、文化の日で祝日でした。大阪も抜けるやうな青空で、まさしく「天高く馬肥ゆる秋」の一日を感じさせてくれました。
この十一月三日は、そもそも明治天皇の御生誕を寿ぐ祝日「明治節」でした。
それが先の大戰後、連合国軍が日本占領中に設置した総司令部 GHQ によつて、「文化の日」と名称を変えられました。
祝日の名前とは、もしかしたら、大切なものではないかと思ひ始めてゐます。
この日が「明治節」と名付けられてゐたとき、想像ですが、毎年、この日に多くの人々が明治天皇のことを想ひ出し、当時のことに想ひを馳せてゐただけでなく、きつと、「明治の精神」というものを想ひ出し、再び噛みしめる機縁にしてゐただらう。さう思ふのです。
その精神とは、何か特別なものといふよりかは、当たり前の日常坐臥のなかに表れる人々の振る舞ひ、ことば遣ひ、生き方に、まずは見てとれるものだつたのではないだらうか。
そこには、人に対する信頼、親に対する敬意、家族に対する信愛が息づいてゐて、それらはおのづから、萬物に宿つてゐる神々との繋がりを大切に守り、育みつづけてをられる、天皇といふ御存在に対する親しみ、崇敬といふ感情とも繋がつてゐたのでせう。
さらに、あの明治の御代に於いては、アメリカ、そしてヨーロッパ諸国からの侵略的圧力にどう向き合つていくか、といふ未曾有の国難のなかに日本人は生きてゐたわけですから、自分たちのアイデンティティーをどう立てていくかについて必死であり、混乱の中でも、相当な緊張感を孕んでゐた精神だつたのではないかと思ふのです。
当時、インドも中国もその他たくさんのアジア諸国も、欧米列強国によつて植民地化され、自国の伝統や精神を踏みにじられてゐましたが、日本はさうなつてはならない、そんな緊張感だつたのではないでせうか。
わたしは、個人的には、いまだ学んでゐる最中なのですが、森鷗外、島崎藤村、岡倉天心、内村鑑三、伊藤博文、乃木希典、それらの男たち、多くの多くの日本の男たち、そして誰よりも明治天皇ご自身に明治の精神の顕現を感じます。
その精神は、世界に向けて日本といふ国のアイデンティティー、独自の崇高さを、なんとか聲を振り絞りながら歌はうとしたのではないか。
十一月三日が、明治維新からちやうど百五十年になる來年、平成三十年(2018年)には、「明治の日」とその名を持つことができるやう、わたしも希んでゐる者です。
posted by koji at 16:37
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