2017年08月26日

ユダヤと日本のひめやかな繋がり 〜クリスマスのキリスト生誕劇〜 


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今年のクリスマスに上演するキリスト生誕劇の稽古風景。
 
昨日は、歌を指導してくれる足利智子さん、ヴァイオリン担当の高垣さおりさんとともに、歌の稽古に励んだ。
 
この生誕劇では、川の流れのやうに歌の調べが深く豊かに支配する。
 
その流れをどれほどの透明度で奏でることができるだらう。
 
わたしたちの挑戦だ。
 
ユダヤの物語を日本のわたしたちが演じることの意味を、聖書の耽読と共にわたしたちは劇を創ることによつて探り求めてゐる。
 
そこには、思ひもよらないユダヤと日本のひめやかな繋がりが、きつと、聴こえてくるだらう。
  
 
『ことばの家・キリスト生誕劇』
12月25日(月)夕方5時開演 
於・大阪市住吉区民センター小ホール

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2017年08月25日

情熱と憧れ


娘たちも妻も日曜日まで外泊。
 
仕事以外の時間、自分ひとりの時間。
 
読書。稽古。読書。稽古。読書。読書。読書。
 
読みたい本、読むべき本が、たくさんある。
 
単なる知識を頭に詰め込んでも仕方がないが、これらの本から得られる知見が自分自身のことばになるまで熟読する。
 
 
 
努力をしない男は醜い。
自分のこととして、若い時、さう痛烈に感じた。
 
男の子を持つてゐるお父さん、お母さんは、自分の息子をどんな風に育てたいだらうか・・・。
 
年齢をどれだけ重ねようと、勉強し続ける男、努力し続ける男、自分自身を改革し続ける男・・・。
 
価値観はそれぞれだらうから、一概には決して言へないだらうが、わたし自身、父親からそんな姿勢を知らず知らず学んでゐたやうに思ふ。
 
また、昔の偉い人だけではなく、現代の日本でもそのやうに勉強し続けてゐる男たちがゐる。偉い男たちが何人もゐる。
 
これは、とても励みになる。勇気づけられる。 
 

『禁中』白楽天 
 
門厳にして九重(きゅうちょう)静かに
窓幽にして一室閑(いっしつ かん)なり
好し是れ心を修する処
何ぞ必ずしも深山に在らん

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2017年08月24日

大和にをける出雲人との繋がり


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瀧蔵神社


奈良の三輪山の東に連なる泊瀬山(はせやま)。

麓にある長谷寺からその山を車で20分ほど登つてゆくと、出雲といふ部落。

そこは、古代の禊場(みそぎば)であつた。
 
そこには、瀧蔵神社といふ古代からの社がひつそりと鎮まつてある。
 
山上のこの瀧蔵信仰が基となつて、長谷寺が建てられたさうだ。
 
そこには、以前から何故か行きたい気持ちがあり、昨日、妻と二人で車を駆つて行つてきた。
 
また、その神社に隣りあふやうに鎮座されてゐる笠山荒神社(かさやまかうじんじや)へもお参りする。
 
いずれも出雲の人の信仰圏をわたしたちは歩いたことになるやうだ。
 
そこに惹きつけられるといふことに不思議を感じる。
 
なにせ、笠山荒神社には、いつさい表立つては知られてゐないが、スサノオノミコトといふ出雲と関わりの深い神の址があつた。
 
そこには、日、月、星の印がつけられた三本の剣が地に樹てられてゐる。
 
あまりにも不思議な印に、茫然とする。 

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笠山荒神社の隠れたところにましますスサノオノミコトに関わる址。

 
そして三輪山の西に出て檜原神社へ、さらに北に進んで穴師座兵主神社(あなしにますひょうづじんじゃ)へ。
兵主神社にお参りしている最中から、遠い空で雷が鳴りだした。
 
鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原の山を今日見つるかも
(『萬葉集』1092 柿本人麻呂歌集より)
 
人麻呂は、穴師の山人・神人の古のこころを歌ひあげた歌人である。
 
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檜原神社


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巻向あたりから西へ二上山を望む。



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2017年08月23日

注意深くありたい


個人主義がかうまで深く浸みわたつてゐるわたしたちにとつて、意識の目覚めがどれほど難しいことか。
 
なぜなら、意識の目覚めは、他者といふ絶対的に異質なものと出会ひ、そしてその異質なものに強烈にこころ惹かれ、また強烈に反発することで、初めて自分自身といふ存在の姿が己れの意識の中に明瞭に描かれはじめるからだ。
 
わたしたちは、しかし、個人の意識を超えた想定外の出来事に遭遇することで、神の恩寵として、強制的に、目覚めさせられる。
 
そんな強制的な目覚めを促すやうな出来事が、この日本といふ国に起こらないことを祈る。
 
しかし、いつそれが起こつても、おかしくない状況であることは、覚悟したい。
 
ことが起こる前に、わたしも目を覚まして、。

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2017年08月21日

ひびきの村の皆さん、ありがたう


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北海道伊達市のひびきの村でのサマープログラムを終え、今日大阪に帰ってきました。
 
わたしの授業の準備だけでなく、我が娘たちにも存分に気を配ってくださった関さん夫妻はじめ、村の皆さんに、本当に、こころから感謝、感謝、感謝・・・。
 
そして、子どもたちに、これ以上ない最高の学びと喜びを与えてくれたDouglas先生に、こころよりの敬意と感謝・・・。
 
わたし自身も初めてこの村に来させてもらつてから、今年で14年目。
 
七年周期が二巡りして、本当に区切りとなりました。
 
これからのひびきの村がいやさかに栄えゆきますやうに!

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毎朝、7時前には、駆け出していく娘たち。

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ひびきの村の坂を登りつめると、向かうに洞爺湖が望める。


 

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2017年08月15日

明治の精神を描く舞台


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今日は八月十五日、終戦の日でしたね。
 
だから、といふ訳なのか。
 
今日、これからの仕事の方向性が明確に見えてきました。
 
来年は2018年。平成最後の年です。
そして、さらに、明治維新から丁度150年でもあります。
 
わたしは、明治天皇といふ御存在を中心とした、明治の精神を描く言語造形による舞台を来年実現すべく、これから取り組んでいきます。
 
また、十一月三日を、従来の文化の日から、明治の日へと、来年に変えるための祝日法改正運動が行はれてゐるのですが、その日に呼応するやうに舞台創りを進めていきたいと思つてゐます。
 
これからの日本に生きる若い人たちが、各々の希望を輝かせながら生きていくためには、己れの出自に対する畏敬の念を育む必要があるやうに思ひます。
 
平成の三十年間、昭和、そして大正を超えて、明治といふ、我が国の近代生活の始まりの時代、そもそも、どういふ希望と苦しみとの間をわたしたちの祖先は行き来し、その葛藤を明治天皇がどれほどの想ひで引き受けてをられたか・・・。
 
ちなみに、明治天皇は生涯におよそ十万首の和歌を残された、大歌聖でもあられます。
 
今を生きるわたしたちに、必ずや、回生の目覚めを引き起こす、ひとつのきっかけとしての仕事です。
 
ご関心のあられる方、どうぞ、御連絡をください。
 
まづは、この終戦の日にちなんで、書き残させてもらひました。
 
諏訪耕志拝 

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2017年08月11日

日本の家庭 (三・完) 〜父の姿〜


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この連載の第一回目に、大東亜戦争の敗戦以前の、日本の家庭観、父親像に就いて考へてみたいと書きました。
 
それは、さう云ふ家庭観、父親像に、わたし自身が人間と云ふ存在の美しさを感じるからなのです。
 
わたし自身、昭和三十九年(1964年)と云ふ、高度経済成長期の真つ只中に生まれたのにも関はらず、自分の父親からそこはかとなくそのやうな像を感じてゐたからかもしれません。
 

文芸評論家の保田與重郎は、昭和十九年に書いた『日本の家庭』といふ文章の中で、国を支えてきた古き日本の父の姿を書き記してゐます。
 
昭和十九年に保田がさういふ姿を書き留めようとしたといふことは、戦後にいきなり古き日本の父性が失はれたのではなく、戦中、戦前にをいてもすでにその喪失が感じられていたといふことでせうし、さらに遡つて明治維新から始まつた文明開化の風潮の中で、それらの古い日本の変容、解体が不可避の事として始まつてゐたのです。
 
 
 
仁義礼智忠信孝悌と云つた徳目や神仏への信仰を、道徳と云ふ形で荷つてゐたのは、昔の日本の父親でした。
 
父は先祖祭りを儀式として荷ひ、母は祭りの団居(まどゐ)に従事してゐました。
 
昔の日本の父は、現世的な権力や威力によつて、子弟たちを教育しようとすることは決してなく、常に神棚と仏壇の前からものを言ひました。祖先の霊から始まる、幾世もの先つ祖の、更におほもとである神々を厳重に信奉しました。
 
汝も日本人ではないのか。
 
祖先の霊をどう思つてゐるのか。
 
そのやうな数少ないことばと、位牌をもつて、家の道徳、国の道徳を、守つてゐました。それは決して、理屈や教義によつて説かれたのではありませんでした。
 
日本の父のそのやうな無口が、日本の支柱でした。
 
そして長男は、父からの神聖な根拠に立つ威厳を具へるやうな、家を精神的に継いでいく存在として教育されてゐました。
 
次男、三男は、きつと家庭に因りますが、軍人として、官吏として、商人として、願はくば国の恩、世の中の恩に仕へ奉ろうなどと考へられてをりました。
 
しかし、明治の文明開化の代から始まるわたしたちの歴史は、そのやうな父の意志、意力を、だんだんと無口な悲しさへと追ひこんで行つたことを教へてくれます。
 
異国風の新しい教育学や思想に対面せざるを得なくなり、以前よりいつさう無口になつて己れの信ずる祖先の霊と共に悲しんでおりました。
 
この辺りのことは、島崎藤村の『夜明け前』を読むと、静かにしみじみと、その悲しみが伝わつてきます。
 
日本の家庭に於る教育環境を司り、教養階級そのものであつた父が、父たる伝統を失つた、その時から、この連載の第二回で述べた炉辺の母の物語も失はれていきました。
 
そして、やがて、日本の家庭が決定的に崩されはじめたのは、大東亜戦争の敗戦によつて敷かれたGHQによる占領政策以来のことです。
 
新しい教育学、保育学、教養論が、ますます人のこころを染めていきました。
 
そして、わたしたちは日本人であることを何か劣つた、恥づかしいこととして、云々するやうになりました。自分自身への信頼をだんだんと失つていきました。
 
 
 
しかし、決して理論闘争を試みず、神仏や先祖と繋がれて生きてゐる己れのありかたを深く信じてゐた日本の父の姿は、完全に失はれたのでせうか。
 
家の儀式祭祀を司り、そこからおのづと家の道徳、躾、たしなみを、ことばを越えたところで子孫に伝へていく父の道は、果たして消え去つてしまつたのでせうか。
  
 
 
わたし自身、そのやうな昔の父の姿、風貌を新しく見いだし、自分自身の中で新しく育て、新しく次世代へ守り伝へていかうと考へてゐるのです。
 
そのために何ができるだらうか。
 
そのことを考へる毎日なのです。

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日本の家庭 (二) 〜霊異なる巫女性〜


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昔の日本の家庭の中に於る父親像を見るまへに、まづは母親像、女性と云ふもののありやうを見てみたいと思ひました。
 
女性性と云ふものと男性性と云ふものとの関はりが、とても内密で相互交流的なものだからです。
 
女性のしてゐたことのひとつは、夜ごと炉辺(ろばた)で、昔噺を語ることでした。
 
その昔噺とは、輸入物の寓話や譬喩ではなく、家の物語であり、村の物語であり、また国の歴史に繋がる物語でした。
 
それは、素朴なかたちの「神がたり」でした。
 
その語りは、インタヴューできない対象を語るのであつて、人知で測りきれないものを物語るのでした。
 
わたし個人の想ひ出ですが、祖母が同じ噺を繰り返し繰り返し布団の中で、幼いわたしをあやしながら語つてくれました。
 
その噺は、家のお墓にまつはる実話で、何度聴いても、身の震へを抑へられない怖い噺だつたのにもかかはらず、わたしは幾度も祖母にその話をしてとせがんだものでした。
 
祖母は、その噺が真実であることを固く信じてゐました。わたしは、それは彼女の暮らしの底から生まれてゐる、生きた人生観からのものだと感じました。わたしたちの人生は、すべからく、神仏が見守り導いて下つてゐるとの信でした。その信仰のあり方は、祖父が持つてゐた観念的なものよりも、より親身なものであり、霊感的なもののやうでした。
 
民族学者である柳田国男の『妹(いも)の力』を読んでみますと、そこには、古来から女性のもつてゐる霊異な力に就いて描かれてをり、その力が実に家の運命をも左右するものであることを、体感・痛感せざるをえなかつたため、いかに家の男性がその「妹の力」を畏れてゐたかが描かれてゐます。
 
ある場所や、ある期間に於て、女性を忌む風習も、実はその霊異の力を尤もよく知る男性が、それを敬して遠ざけてゐたことから生まれてきたのだと云ふことが分かります。
 
祭祀や祈祷の宗教上の行為は、悉く婦人の管轄であつたこと。
 
巫(みこ)は、我が国に於ては原則として女性であつたこと。
 
昔は、家々の婦女は必ず神に仕へ、その中の尤もさかしき者が尤も優れた巫女であつたこと。
 
なぜこの任務が女性に適すると考へられたのか。それはその感動しやすい習性をもつて、何かことあるごとに異常心理の作用を示し、不思議を語り得た点にあると云ふこと。
 
女性は、男性には欠けがちな精緻な感受性をもつてゐること。その理法を省み、察して、更に彼女たちの愛情から来る助言を、周りがいま一度真摯に受け取らうとするなら、その仕合はせは、ただ一個の小さな家庭を恵むにとどまらないであらうと云ふこと。
 
 
このやうな妹の力が、炉辺の女性による物語りとして、神がたりとして、わたしたちの昔の暮らしの内々に息づいてゐました。
 
しかし、明治の文明開化の風潮の中で、この炉辺の妹の物語り、母の物語りも失はれてきたのです。
 
それは、日本の父が荷つてゐた道徳の文化、教養のしきたり、敬の精神がだんだんと失はれていくにつれてのことでした。
 
そして、それらが決定的に喪はれてしまつたのは、先の大戦以降です。

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日本の家庭 (一) 〜我が国固有の文化としての〜


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我が家の長女も十二歳。親の言ふことにはすべて従つてゐたこれまでとは、当然のこと変はつてきて、所謂「難しいお年頃」になつてきました。
 
親子の間、家庭の中に、日々いろいろなことが起こりますが、いま、とりわけ、かう感じてゐます。
 
生まれてから十二年間、彼女は父と母のことをとてつもなく大きな愛と無条件の信頼で見守つてくれ、なによりすべてを許してくれました。
 
これからの十二年間は、こころの自立に向かつてゐる彼女を、わたしたち夫婦が、からだもこころもべつたりだつた時のやうな愛ではなく、より精神的な愛と信頼をもつて見守り、その自立を促し、世間へと送り出していく時期なのだなあ・・と。
 
さう感じてゐる今日この頃、自分は男であり、娘との向かい合ひにも必然的に意識的にならざるをえません。そこで、改めて、「父親」と云ふ役割に就いて考へることが最近増えてきました。
 
わたしは、このご時世の中、いろいろなものが入り混じつてゐて、ここ日本が東洋なのか西洋なのか、判然としないありさまに生きてゐます。
 
世の中には様々な価値観があり、また時の移り行きの中で、その時代その時代特有の価値観もあると思ふのですが、わたしはひとりの日本人として、何か確かなもの、美しいと感じられるもの、地に足の着いた土着のもの、つまり我が国固有の文化を求める気持ちの高まりを強く感じてゐます。
 
そこで、先の大東亜戦争の敗戦以前の、日本の家庭観、日本の父親像と云ふやうなものを調べ、考へてゐます。
 
戦後のあまりにも偏向した左翼的な教育思想から、できるかぎり自由になりたいと考へてゐます。
 
 
(自分自身のこの夏からの新しい出発のため、昨年書き記した文章を少し書き改めながら再び掲載したいと思ひました)

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2017年08月07日

オイリュトミスト佐々木泰祐さん


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今回の『丹生都比売』の舞台で、大きな働きをなしてくれたのが、佐々木泰祐(たいすけ)さんによるオイリュトミー、並びに演技だつた。
 
言語造形にをいて、肉声から生まれる、ことばの動き、流れ、かたちを、つねづねよりも深いことばの意味とともに感覚することができる。
 
佐々木さんのオイリュトミーを観るとき、演者の肉体を見るのではなく、演者の肉体の周りを取り巻く風のやうな流れ、色、熱を観るのだといふことが、今回明瞭に実感することができた。そして、その流れ、色、熱、かたちこそが、「ことば」である。理屈ではなく、からだによる実演から、さう認識することができたことが、何よりもわたしにとつて喜びと糧になつた。
 
舞台公演の三時間前には丹生神社にて、花岡攻事さんの言語造形と共にオイリュトミーによる「丹生大明神告門」奉納がなされた。花岡さんの肉声とひとつになつて空間に巻き上がる精神の動き。この祝詞が、いま、ここで、このやうなかたちで、響かせられてゐること。そして花岡さん、佐々木さんといふ若い藝術家がかうして自分自身の足でしつかりと立ち、歩みを刻み込んでゐること。奉納が終わると共に、予期せぬほどの感情の高ぶりを感じた。
 
佐々木さんは、笠井叡さんのもとでのオイリュトミー修業の後、スイスに渡り、修業を更に続け、いまはヨーロッパやアジアの各地で公演活動を繰りなされてゐる。
 
また、帰国されるときが、とても楽しみだ。
 
(一枚目の写真はトルネード純子さんの写真をお借りしました)

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2017年07月31日

住吉 〜和歌(やまとうた)の聖地〜


住吉大社の夏祭り。

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出店で大賑はひの住吉さんよりも、隣にひっそりと佇む大海(おほわだつみ)神社の空間に、こころほどける。普段は夕方4時には門が閉まるのだが、今日は夏祭りで特別に日暮れ前に参拝できた。

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しかし、それでも住吉さんの御神徳をありがたく感じる。
 
五十年以上ここ住吉に住みつづけてゐるが、この住吉といふ地の価値をもつと掘り下げて知りたいと思ふ。
 
なにせ、朝廷によつて公の水門(みなと)として我が国で初めて定められたのが、この住吉(すみのえ)である。
 
住吉は、幾多の大和朝廷との位置関係により、堺などよりも先に、他国との交流、貿易の拠点であつた。
 
そこからやがて、外国語と自国語とが出あふ場であることによつて、住吉といふ地にをいて、ことばへの意識が先鋭化せざるをえなかつた。
 
よつて、住吉大社は、海の神を祀りつつ、また和歌(やまとうた)の聖地でもある。
 
また、この住吉は、「すみよし(すみえし)」であり、古代には澄んだ江に臨みつつ、きつと、神々と共に住むによきところ、暮らすによきところとして、難波の宮から南の紀伊の国への最重要中継地点として人々で賑はひ、幸はつた地であつたのであらう。
 
また、私たちが「ことばの家」を構えてゐる住吉区帝塚山は、萬葉集の編纂者、大伴家持の祖先たちが屋敷を構えてゐた地である。帝塚山古墳も大伴氏のものだといはれてゐる。
 
娘たちと一緒に、我がうぶすなの歴史と風土と文学の勉強を始めてゐる。

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2017年07月19日

地域の安寧 〜生根神社さんの夏祭り〜


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大阪市住吉区のわが氏神様である生根神社さんの夏祭り。
長女が子ども太鼓で参加。
 
真夏の炎天下、太鼓を打ち鳴らしながら、お神輿と共にうぶすなを巡る渡御式。
 
この儀式の内的な力によつて、どれほど、わたしたちの地域の安寧が保たれてゐるか。本当にありがたく、かたじけない念ひ。儀式を毎年、粛々と続けて下さつてをられる方々に感謝、感謝・・・。
 
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昨夜の宵の宮では太鼓お披露目。
演劇仲間の『丹生都比売』メンバーと一緒に。
子どもも大人も一緒になつて夏の夜のひとときを過ごす。 

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2017年06月28日

山の姿をした樹木 〜鹽竃神社を訪ねて〜


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鹽竃(しほがま)神社。
 
和歌山駅から車で20分ほどのところの和歌の浦と呼ばれてゐる海辺の神社に夫婦でお参りしてきました。
 
御祭神は、山幸神を竜宮へといざなはれた鹽槌翁尊(しほづちのおじのみこと)です。
 
この社は「輿の窟(こしのいわや)」と呼ばれてゐた岩穴の中に鎮座されてゐます。
 
その薄暗い岩の壁を見ると、それは巨大な樹木の根そのものでした。
 
この社の御神体は、山の姿をした巨大な巨大な樹木でした。
 
写真に写つてゐるこの山がすべて樹木からできてゐるやうでした。
 
この山の頂上に登ることができました。
 
岩肌がすべて樹木でした。
 
そもそも生きて動いてゐた植物状態の地球が、だんだんと死したものとなつて固体化してゐるのが、わたしたちが足の下に踏んでゐる土や岩石なのでせうが、このやうに山まるごとが樹木であつた面影をまざまざと残してゐること、そして、その山に包まれるやうにひっそりと鎮まつてをられる鹽竃(しほがま)神社に、驚嘆と畏怖の念ひを抱きました。
 
聖さを湛へたそのひそやかな穴の中の空間で、しばらくわたしたちはじつとしてゐました。


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2017年06月22日

雨の季節 〜幾通りもの、ものの言ひ方〜


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昨日は、大雨が通り過ぎた日本列島だつたやうですね。

日本の古典文学研究を中心にする伝承文化研究所を営んでをられる小林隆さんが今朝書かれてゐた記事に、はつとさせられました。
https://www.facebook.com/takashi.kobayashi.737001/posts/1081542811982344
 
「日本人の七割以上の方々は『雨』に對して惡いイメージを持つてゐるやうに思ひます。 これはあくまでも私見であり、裏付けをしつかり取つた譯ではありませんが、その原因としては、日本人が雨といふ語の語彙が戰後極端に喪はれてしまつたことによつて惹起されたものと私は考へてゐます。」
 
ここで、小林隆さんは、「村雨」「霧雨」「こぬか雨」など多くの雨に関することばを挙げられてゐます。  
 
あるひとつの事象に対して、幾通りもの、ものの言ひ方を知つてゐること。そのことによつて、人は豊かで細やかな感じ方ができるやうになつてゆく。ことばを知り、そのことばを己れのものにすることは、それだけ世が深みをもつて感じられ、その人自身の内側も豊かに育まれてゆく。
 
そんなことばと人とのかかはりをわたしたち日本人は大切にしてきました。わたしたちは、さういふ民族でした。だから、和歌(やまとうた)や俳句といつたことばの藝術は、その感覚を磨く上で欠かせないものでした。「はじめにことばありき」といふことを、わたしたち日本民族はまるまる生きてゐました。
 
いま、わたしたちは、古典作品に親しんでいくこと、学んでいくことで、自分なりの、いまならではのことば遣ひに、過去の日本人たちが営んできた言語生活を重ね合はせることができます。
 
その重ね合はせが、その人を日本人にしていきます。その人の内側に歴史が息づきはじめます。自分ひとりで生きてゐるのではなく、過去の先人たちとの繋がりの中で生きてゐる己れを感じはじめます。そして、この繋がりを後の世代の人たちへと伝へていきたく念ひはじめます。
 
 

小林さんは、雨を「山のしずく」と歌つた大津皇子と石川郎女の相聞歌をはじめに掲載して下さつてゐます。萬葉集の第二巻からの歌です。
 

あしひきの山のしづくに妹(いも)待つと
我れ立ち濡れぬ山のしづくに
 107 大津皇子
  
我(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの
山のしづくにならましものを
 108 石川郎女
 
 
このふたつの歌の交響に、時の隔たりを超へ、自他の区別を超へ、人と世との隔たりをも超へる、こころとこころのまことのかかはりと深まりを感じます。
 

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2017年06月05日

春過ぎて夏きたるらし

 
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春過ぎて夏きたるらし白妙の衣ほしたり天の香具山 
持統天皇
 
天武天皇亡き後、その皇后であられた持統天皇が藤原宮を造られたのは今から1323年前です。
 
今日は、この御歌通りの天の香具山をその宮址から見はるかしながら、声に出して歌つてみたいと思ひ、足を運びました。
 
蒼く大きく拡がる初夏の空の下、この歌は風を大きくはらんで響き渡りました。何度もことばが響き渡り、そのたびに、清々しい喜びと安堵の念ひが、この無限の空間に立ち上がつてくるのを感じたのでした。
 
歌では、洗ひ清められた衣が、陽の光に白く輝きながら、初夏の風にたなびいてゐる。
 
それは、大規模な遷都のあと、民が再び元通りの暮らしのリズムを取り戻し、神ながらの暮らしぶりに立ち戻つてゐることを教えてくれたのではないでせうか。
 
そして、大空の下、香具山が静かに鎮まつてゐるのが遥かに臨まれます。
 
その山は、天界の高天原から降りてきたからこそ、天の香具山と名付けられてゐる、さう語り傳へられてゐます。
 
また、初代天皇であつた神武天皇が戦によつて死の危機に陥つたとき、その香具山の土で作つた瓦を使つた占ひによつて窮地を脱することができたのでした。
 
夫であつた先帝と共に持統天皇は、神武天皇から続くこの天の香具山に対する信仰心を育みつづけたことでせう。そして、きつと新しい国創りへの志を燃やし続けられたのではないかと思ひます。
 
春過ぎて夏きたるらし白妙の衣ほしたり天の香具山 
 
1300年以上前のことばの芸術が風景と共にいまだに残されてゐるこの日本といふ国、大和の国を本当にこころから愛ほしく想ひます。
 
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2017年05月28日

平和な、平和な時間と空間


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今日は初夏の日差しの下、爽やかな風にも恵まれ、娘たちの運動会へ。
 
特に六年生の長女は、この日のために精一杯練習してきて、全身全霊でこの祭りの日を楽しんでゐる姿がまぶしいぐらいでした。
 
やつぱり、何をやるにも一所懸命が、清々しいよね。
 
運動会の後は、家から歩いて5分のところで行われる帝塚山音楽祭へ。
 
万代池の木陰でビールを飲みながら、ゆる〜い音楽を楽しむ。
 
今年31年目の音楽祭で、本当に、平和な、平和な時間を毎年ここで過ごさせてもらつてゐます。
 
かういふ平和な時間と空間は、すべて、人の意識こそが生み出してゐる。
 
でも、ここ大阪の住吉に長年生きてゐるわたしの実感だけれども、もうひとつ、ここでは神々が働いてくださつてゐる。
 
こんな感じ方、少なくても150年前は多数派だつたらしいんだけど・・・

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2017年05月14日

母の日


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実家の母に花をもつて行きました。
玄関口で本人を前にして何かことばをかけたい気持ちがこみ上げて来たけど、何もたいしたことは言へなかつた。
母。なんとありがたい存在だらう。
おかあさん。なんと素晴らしいことばだらう。
 
娘たちも今日、妻に花を贈りました。

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2017年05月11日

静さを求める激しさ 〜聖武天皇のみささぎにて〜


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奈良の佐保にある聖武天皇のみささぎの前に立ちつつ、こころの中で語りかけさせていただくと、物凄い風が吹き出し、木々の緑がものものしく語つてゐるやうに感じられて仕方がありませんでした。
 
ご在世の頃、どれほど激しい事が、年月を継いで、日を継いで起こつたかを知り、また、そのひとつひとつに立ち向かはれた御至誠を念ひます。
 
今の日本があるのは決して当たり前のことではないことを、風にざわめく緑の木の葉がわたしに教えようとしてゐるかのやうでした。
  

聖武天皇御製歌
あをによし奈良の山なる黒木もち
造れる室(むろ)は座(ま)せど飽かぬかも

(萬葉集 一六三八)
 
奈良の山の黒木で造ったこの室は、いつまで居ても飽きない・・・。
 
 
風が山の木々と親しく密やかな対話を交わし続けてゐるやうに、すめらみことご自身も自然のあらゆるものと親しく内密な対話を交わすことに、この上ないお喜びを感じられてゐたのではないか。
 
風、水の流れ、空のあを、穏やかな日の光、たなびく雲、そして、それらに育てられた樹木で仕立てられる日本の室。
 
そのやうな室の中に身を置いてゐると、外の世にをけるあまりにも激しい有為転変から生まれるこころの動きがだんだんと静められ、今までに見たことのない静かな世が展かれてくる・・・。
 
わたしは、そんな静かさを希求する激しさを感じました。

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2017年05月09日

一目みてこころを決める


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先日のシュタイナー教員養成講座でもお話しさせてもらつたのだけれど、子どもたちだけでなく、まづわたしたち大人自身が、ものをよく「みる」こと、じ〜つと「みる」ことから始めることの意味深さ。
 
「みる」といふことばの底には、「愛(め)づ」「愛(め)でる」といふ極めて感情的なことばが息づいてゐる。「愛(め)づ」といふことばから「めづらし」といふことばも生まれる。
 
人は、何でも見てゐるやうに思ひ込んでゐるが、愛してゐるものしか、実は見てゐないし、見えてゐない。
 


本を讀むときでも、それは当てはまる。
 
本といふ人格と精神が総動員されてゐるものを、まづは、徹底的に信頼して、愛して、目を皿のやうにして愛でて讀むことによつて、本は秘めてゐる秘密を初めて打ち明けてくれる。
 
さうして、そんな「みる」といふ意欲的・感情的な行為から、やがてゆつくりと「考へる」「知る」といふ対話的行為へと、こころが深まつてゆく。
 
そんな行為にいざなふ本こそが、讀むべき本だと感じる。
 
 

昔の日本人は、そんな「みる」力を相当強く養つてゐたやうだ。
 
結婚するために、「お見合ひ」をする。
 
そのとき、相手の年齢や職業などをそこそこ弁えるだけで、あとは、ほとんど、「一目でみて」決めてゐた。
 
相手の趣味や収入や性格やその他様々な情報などは置いておき、たつた「一目みて」こころを決める力を持つてゐた。
 
さういふこころの力を育むことが教育の基だと念ふ。 

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2017年05月06日

伸びてゆくこころ


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昨日、外での仕事から家に帰つてくると、稽古場で、妻と九歳の娘が言語造形の練習をしてゐる声が聴こえてきた。
 
あとで訊いたら、娘は稽古を見てくれと自分から妻に言つたのだそう。
 
人のこころの伸びてゆく様を見せてもらえるのは、なんといふ喜びだらう。
 
今日も、わたし自身のこころが伸びてゆき太つてゆくやうに、このからだを使ひ切つて仕事をしていかうと念ふ。

posted by koji at 06:44 | 大阪 | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする