[断想]の記事一覧
- 2016/11/27 井戸端会議はやめた方がいい
- 2016/11/23 袖ふる、といふことば
- 2016/11/06 その地にて朗唱す 〜二上山に登って〜
- 2016/11/04 十一月三日 明治の日へと
- 2016/10/30 自然と精神の重なりから文化が生まれた 〜泊瀬道を歩く〜
- 2016/10/13 「親しみ」という根源的な感情
- 2016/10/04 秋、花の名をとなえれば・・・
- 2016/09/28 これは不思議だ・・・
- 2016/09/22 賢治さん・・・
- 2016/09/20 苦しみからの新生
- 2016/09/09 子どもたちとの言語造形
- 2016/08/22 風に靡く高原の緑!
- 2016/08/15 夏を駆け抜ける子ども
- 2016/07/29 ある學童保育の場で
- 2016/07/01 健やかな師弟關係
- 2016/06/25 眼光紙背に徹す、ということ
- 2016/06/13 神話の意義、そして感覚の協同体
- 2016/06/04 語りあうことの学びと喜び
- 2016/06/03 井の中のかわず、天空を見上げる 〜磯城端籬宮を訪ねて〜
- 2016/05/16 びくともしない美しさ
2016年11月27日
井戸端会議はやめた方がいい
語りあふ、と云ふことから程遠い「おしやべり」。
それはできうる限り避けた方がいい、と思ふのです。
そこでは、その人の身の奧の奧にこびりついてゐる泥や垢のやうなものが、
ことばとなつて不注意にまき散らかされるからです。
さうしてそのやうなおしやべりには、
似た者同士が寄つてくることにきつとなつてゐるから、
互ひに己れの内なる泥を舐めあつて安心することができます。
己れと同じ程度に互ひを引きずり降ろして人心地つくことができます。
そのとき、人は己れの品格をみづから下げてしまひます。
そして、口から出た不注意なことばは、
必ず廻り囘つて人の聞くところとなり、人韋酔Wを壞してしまひます。
更に必ず最後にはそのことばは己れのところに歸つてきて、
自分自身を傷つけてしまひます。
井戸端會議での不注意なおしやべりはロクなことにはならない。
2016年11月23日
袖ふる、といふことば
茜(あかね)さす紫野(むらさきぬ)ゆき標野(しめぬ)ゆき
野守(ぬもり)は見ずや君が袖ふる
今日の萬葉集クラスで生徒さんと稽古した額田王の歌です。
この歌に祕められてゐる切なさには、自分自身の乏しい體驗のうちにも、いくつかの憶へがあるので、この歌を聽いてゐて、とても甘酸つぱいやうな情が胸の奧からせり上がつて來るのでした。
もう何十年も前ですが、南の國のある港から出航していく船に乘つていくわたしを見送つて、岸壁でいつまでも袖を振つてくれてゐる人を船中の窓から見ながら、なぜだか滂沱の涙が止まらなかつたこと。
空港のゲートをくぐり拔け、後ろを振り返ると、周りの多くの人に遠慮しながらも袖を振つて見送つてくれた人に、こころが熱くなつたこと。
一首の歌の、ひとつのことばが、まるつきり忘れてゐた想ひ出をみづみづしく甦らせてくれることがあるのですね。
また、この歌の調べのよさ。
茜(あかね)さす紫野(むらさきぬ)ゆき標野(しめぬ)ゆき
野守(ぬもり)は見ずや君が袖ふる
「あ」の母音から始まり、
「う」の母音が歌を導いていくその切なさ。
そして下の句に入つて、「野守(ぬもり)は見ずや」の
最後の音「や」で、また一氣に「あ」の音が擴がり、
紅に色づく女の頬が見えてくるやうです。
最後は、「袖ふる」で終はり、
「う」の母音が切なさをいつさう深めながら、
餘韻としてやがて消えゆきます。
一千四百年ほど前に詠まれた、見事な歌です。
2016年11月06日
その地にて朗唱す 〜二上山に登って〜
日本の古典の學び。
それは、一册の本を何年もかけて、
丹念に繰り返し讀み深めること、
更に、歌枕や傳説の地と謳はれ語られてゐるところに、
足を運ぶこと、
さう云ふ長い年月の意欲の働きによつて、
稼がれていくものだなあと感じてゐます。
自分にまとはりついてゐる先入觀や、
現代風の考へ方、感じ方、などから自由に離れつつ、
いにしへの人の「こころ」に近づかうと希ひつつです。
また、より直かな古典の學びとして、
わたしたちは、
そのやうな歌枕や聖なる地に立つて、
まさにそこで歌はれた和歌(やまとうた)や、
物語の一節を朗ずることができます。
その聲がかすかにでも響く、そのとき、
既にこの世から離れられた、
わたしたち日本人の先御祖(さきつみおや)の方々との、
ひそやかですが、
確かに感じられる交はりが生まれ、
慰めと安らかさの情が立ち上がり、
わたしたち自身のこころも太るやうに感じるのです。
千年とそれ以上の年月を閧ノ於て、
いにしへの方とわたしたちの閧ナ、
歌とことばを介して交流が生じます。
そんなことを直かに感じることができるのも、
その地に足を運ぶからでもあります。
今日は、大津皇子(おほつのみこ)が死を賜り、
葬られてゐる二上山(ふたかみやま)に登りました。
皇子が死を目前にして詠んだ歌です。
角障(つぬさは)ふ 磐餘(いはれ)の池に 鳴く鴨を
今日のみ見てや 雲隱(くもがく)りなむ
さらに、皇子の姉である大伯皇女(おほくのひめみこ)が、
弟の死を悼んで歌つた歌です。
うつそみの 人なる吾(あれ)や 明日よりは
二上山を 我が兄(せ)と吾(あ)が見む
2016年11月04日
十一月三日 明治の日へと
今日は、文化の日で祝日でした。
大阪も拔けるような青空で、
まさしく「天高く馬肥ゆる秋」の一日を感じさせてくれました。
この十一月三日の文化の日。
そもそも明治天皇の御生誕を壽ぐ祝日でした。
それが先の大戰後、連合國軍が日本占領中に設置した總司令部 GHQ によって、「文化の日」と名稱を變えられました。
祝日の名前とは、もしかしたら、大切なものではないかと思い始めています。
この日が「明治節」と名付けられていたとき、
想像ですが、毎年、
この日に多くの人々が明治天皇のことを想い出し、
當時のことに想いを馳せていただけでなく、
きっと、「明治の精神」というものを想い出し、
再び噛みしめる機縁にしていただろう。
そう思うのです。
その精神とは、何か特別なものというよりかは、
當たり前の日常坐臥のなかに表れる人々の振る舞い、ことば遣い、生き方に、まずは見てとれるものだったのではないだろうか。
そこには、人に對する信頼、親に對する敬意、家族に對する信愛が息づいていて、それらはおのずから、萬物に宿っている神々との繋がりを大切に守り、育みつづけておられる、天皇という御存在に對する親しみ、崇敬という感情とも繋がっていたのでしょう。
さらに、あの明治の御代においては、
アメリカ、そしてヨーロッパ諸國からの侵略的壓力にどう向き合っていくか、という未曾有の國難のなかに日本人は生きていたわけですから、自分たちのアイデンティティーをどう立てていくかについて必死であり、混亂の中でも、相當な緊張感を孕んでいた精神だったのではないかと思うのです。
當時、インドも中國もその他たくさんのアジア諸國も、
歐米列強國によって植民地化され、
自國の傳統や精神を踏みにじられていましたが、
日本はそうなってはならない、
そんな緊張感だったのではないでしょうか。
わたしは、個人的には、いまだ學んでいる最中なのですが、
森鷗外、島崎藤村、岡倉天心、内村鑑三、伊藤博文、乃木希典、
それらの男たち、そして誰よりも明治天皇ご自身に明治の精神の顯現を感じます。
その精神は、
世界に向けて日本という國のアイデンティティー、獨自の崇高さを、なんとか聲を振り絞りながら歌おうとしたのではないか。
十一月三日が、明治維新からちょうど百五十年になる再來年平成三十年(2018年)には、「明治の日」とその名を持つことができるよう、わたしも希んでいる者です。
2016年10月30日
自然と精神の重なりから文化が生まれた 〜泊瀬道を歩く〜
玉列神社(たまつらじんじゃ) 明谷不動尊「赤井谷不動堂」
玉列神社(たまつらじんじゃ)
なんで、こんなに、
三輪山を中心に大和路に惹きつけられ、
歩き廻ってるのか・・・。
そこには、緑が鬱蒼と茂る山々があり、
その山々から流れ出る川の流れがあり、
そして緩やかに裾野が廣がって行き、
いまだに家々の合間合間に田園が殘っている。
天上の高天原(たかまのはら)から、
そのまま地上に降りてきたようなそれらの美しさ。
そしてさらに、その場に、
遙か古代から千二百年ほど前まで、
人によって、
ことばの精神を守り拔こうとして、
人としての最高の文化的な營みがなされ續けたということ。
このふたつが重なりあっていることに、
驚異を見るのである。
三時間も四時間も平氣で歩けてしまう。
それら自然の天惠は、
いまだに靈的で精神的な何かを人に與え續けている。
だから、そのあと、大阪に歸ってくると、
どうしてここには、
山もなく、川もなく、森もなく、泉もないのだろう・・・
そう、思ってしまう。
いにしえの聖地との行き來の中で、
いにしえといまとの行き來の中で、
何もない、平べったいところで、
しかし、かすかに海の匂いをかぎながら、
大阪の住吉で、
國語の藝術に取り組み續けようと思っている。
2016年10月13日
「親しみ」という根源的な感情
実際に、人と会って話すことで、
インターネット上でその人のことばを讀むことよりも、
その人のことがよ〜く理解できる。
その人に親しみを感じる。
そんなことを感じる、ここ數日。
今日もそうだった。
この「親しみ」という感覺は本當に大切にしたいと思う。
人と人との純なつながりであり、
人が人であることのおおもとの情だから。
ところで、
いま、自分が取り組んでいる『萬葉集』は、
このおおもとの情を、
とても大事にしようとしていた人が編んだ、
和歌(やまとうた)のアンソロジーだったことを、
改めて感慨深く思う。
天地(あめつち)の初發(はじめ)に漲っていたであろう、
天地未分の、
主客未分の、
愛以前の、「親しみ」という根源的な感情。
そう、昔は、
「愛」なんてことばはなかった。
「したしみ」であり、
「いとしみ」であり、
「いつくしみ」であった。
2016年10月04日
秋、花の名をとなえれば・・・

山上憶良の「秋の七草」として知られている歌二首を、
今日の萬葉集のクラスで生徒さんとともに稽古しました。
秋の野に 咲きたる花を 指折り(をよびをり)
かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花(をみなえし)
また藤袴 朝貌(あさがほ)の花
花の名を唱えるだけのこの歌。
しかし、その名を生徒さんが發音されるとき、
部屋の空閧ノ、
その花、その花の奥深い内部が開かれ、
各々の植物がその精神を語りだす、
そんな感覺が生まれたのでした。
そうして、秋の野原がこころの目の前に拡がるのです。
すると、不覺にも目に涙が溢れてしまいました。
親しくて、懐かしく、そして悲しい、感情です。
2016年09月28日
これは不思議だ・・・
この前、ことばの家の萬葉集のクラスで、
練習しながら、
ことばの藝術としての和歌のことから、
話しが深まって行き、
日本の文化の源としての宮廷文化、
そしてその根幹である米作りを中心にした、
神ながらの道について語りあっていた時、
天井から一粒、何かが落ちてきたのです。
拾い上げてみると、
それはまさしく、一粒のお米でした。
これまで、我が家では、ネズミはおりません。
ですから、ネズミの仕業とは考えにくい。
これは、クラスの皆が目撃していることです。
2016年09月22日
賢治さん・・・
自分が呆けてなければいいんだけど・・・。
昨晩、風呂から上がると、家族はもう寝ていて、
自分のパソコンの前に『宮澤賢治全集1』が置いてある。
「あれ、妻が讀みたくなって本棚から出してきたのかな」
と思っただけで、自分も手に取りはせず、そのままにして寝る。
今朝、妻に、
「なんで、賢治の本、讀もうと思ったの」と訊いたら、
「えっ、わたし知らないよ」と言う。
「だって、そこに置いたでしょ」とまた訊くと、
「置いてない、置いてない、
だいたい、賢治の本がどこにあるか知らないもん」と言う。
娘たちにも本をここにもってきたかと訊いても、
知らないと言う。
わたし自身も全くそこに本を置いた憶えはないし、
ここ最近、賢治の本を繙いていない。
意識も賢治に向かっていない。
ふと思いついて、
賢治の命日を調べてみたら、
昨日の九月二十一日だった。
ああ・・・と思った。
でもなぜだろう。
2016年09月20日
苦しみからの新生
この十日閧ルど、
口の内側、顎の上、下、奥、耳、喉の奥にいたるまで、
激しい痛みに襲われた。
本當に久しぶりの苦しみ。
痛みどめの藥がなかったら、と考えたら恐ろしい。
しかし、ありがたいことに、
その藥が効いている間に、
生徒さんがことばの家まで足を運んでくれ、
すべて仕事はすることができた。
さらにありがたいことに、
と言っていいのかどうか分からないのだけれど、
全く考えることができず、
本を讀むこともできず、
からだが利かないのは勿論だけれど、
心理の働きまでもが止まってしまって、
じっと痛みに耐えている閨A
なにかこころが空っぽになってゆくような、
そんな時閧過ごすことができたように思う。
ただ、痛みが峠を越した頃あたりから、
萬葉集だけがこころの寄る邊になりだして、
古い日本人が紡ぎだしたことばの調べに、
己れの感情が共に響(とよ)み、慰められ、
こういった古典が残されていることへの
感謝と喜びをしみじみと味わうことができた。
さらに、さらに、
苦しみにのた打ち回る自分をまるごと受け止めてくれ、
どんなに情けない姿をも赦し、慰めてくれる、家族。
全く新しい感謝。
ことばに言えないほどの新しい生を感じています。
2016年09月09日
子どもたちとの言語造形

日能研 ソーシャルコミュニケーションラボにおいて、
小學生たちと一緒に言語造形をやりました。
子どもたち、そしてこの場を用意・準備して下さった方々、
本當に感謝です。ありがとうございました。
そして、
こうして目に見える形で體驗したことを殘しておく。
目に触れる場所に記録がある。
こういう仕組みは、
親御さんたちへの報告ということでもあるだろうけれど、
子どもたちにとっても、
體驗の想い起こしをとても有効に助けるだろうなあ。
體驗したことを振り返ることのできる仕組み。
子どもたちには、こういった仕組みを、
大人が丁寧に用意してあげる必要もあるのかもしれないな。
大人はこれを自分自身に對して、
自主的に自覚的にやっていく。
でも、ひょっとして、
大人にもこういう仕組みが必要になってきているのかな。
どうだろう・・・。
2016年08月22日
風に靡く高原の緑!
風に靡く高原の緑!
走り出す子どもたち!
奈良県と三重県の県境にある曽爾高原に一日遊びました。
誘って下さった南ゆうこさんとたっぷり話しができて、
子どもたちもこれ以上ないぐらい、
ぶんぶん手足を振り回しながら、
山を登り、走り回った、走り回った。
大昔から人はここで憩い、神と遊んでいたのだろう。
光と風をからだ一杯に浴びることのできた、
素晴らしい一日でした。
日本の美しい場所を、
子どもたちと一緒に歩いていけたらな。
そう希っています。
倭建命(やまとたけるのみこと)の故郷をしのぶ歌をここに立って憶い出す。
倭(やまと)は 国のまほろば
たたなづく 青垣山(あをかきやま)
隠(ごも)れる 倭し 美(うるは)し
2016年08月15日
夏を駆け抜ける子ども
お氣に入りの友達と、
なんの制限もなく、
夏休みの毎日を
思いっきり走り回って、
喋くりあって、
生きる!
わたしも、小學生のとき、
こんな夏休みの日を過ごしたなあ。
大人が必要以上にコントロールしなくてもいい、
そう思う。
子どもと毎日過ごしていると、
近すぎて、
かえって見えなくなる部分もあるかもしれないが、
しかし、
子どもの感じていることに對する、
独特の繊細な感覺はたいがいの親の中に、
育っているものだ。
素晴らしい夏!
こんな時閧ニ場所を設えて下さっている高き方々に感謝!
2016年07月29日
ある學童保育の場で
今日は、ある學童保育の場で、
小學生の子どもたちと詩の音讀を一緒にした後、
昔語りをさせていただいた。
子ども、それは、大人の言うことを聞かせる相手ではなく、
一緒に傍にいることで、
實(じつ)は大人自身が助けられている。
それにしても、
子どものこの近寄り方。
シンパシーに溢れている!
本當にありがとう。
2016年07月01日
健やかな師弟關係
師が、弟子に對して、
この人は、きっと、
わたし自身よりも遥かに高く成長していく存在だ、
という見識をもって、その弟子に對することができれば・・・。
弟子が、師に對して、
この人は、きっと、
わたし自身の限りない豐かさを引き出すべく、
わたしの目の前に現れてくれたのだ、
という感情をもって、その師に對することができれば・・・。
師と弟子のかかわり、
教師と生徒のかかわり、
それは、
人という存在が、人という類が、
これからどういう道を歩んでいくことができるか、
自由への道か、
そうでない、奴隷への道かを決める、
ひとつの里程標になる。
師弟関係ということば自體が、
いまはもう意味不明というか、
死語になってしまっているのかもしれないけれども。
2016年06月25日
眼光紙背に徹す、ということ
小林秀雄の『考へるヒント』や『本居宣長』を讀んでいて、
とりわけ魅力的なのは、
江戸時代の學者たちについて縷々述べているところだ。
ものを學ぶには、
本ばかり讀んで、机上の知識を弄ぶのではなく、
外に出て、人と世に交われ、人と世に働きかけよ。
そう言う人は幾らでもいる。
しかし、江戸時代中後期に現れた學者たちは、
市井で生きていくことの中に眞實を見いだすこと、
俗中に眞を見いだすことの価値の深さを知っていた。
だから、
そういう當たり前のことはわざわざ口に出して言わなかった。
寧ろ、獨りになること、
そして、その「獨り」を強く確かに支え、励ますものが、
本であること。
師と古き友を、本に求める。
本というもの、とりわけ、古典というものほど、
信を寄せるに値するものはないと迄、
こころに思い決め、その自恃を持って、
みずからを學者として生きようとした人たち。
そして、古典という書の眞意は、
獨りきりで、幾度も幾度も讀み重ねることから、
だんだんと讀む人のこころの奥に、啓けて來る。
そのときの工夫と力量を、
彼らは心法とか心術と云うた。
一度きりの讀書による知的理解と違って、
精讀する人各自のこころの奥に映じて來る像は、
その人の體得物として、
暮らしを根柢から支える働きを密かにする。
數多ある注釋書を捨てて、
寝ころびながら、歩きながら、
體で驗つすがめつ、
常に手許から離さず、
そういう意氣に応えてくれるものが、
古典というものだろう。
そうしているうちに、
學び手のこころの奥深くで眞實は熟し、
やがて表の意識に浮かび上がってくる。
そのとき浮かび上がってくるものは、
學説などというものではなく、
眞理を追い求めた古人の人格であり、
それは浮かび上がった後も、
依然多くの謎を湛えている筈だ。
2016年06月13日
神話の意義、そして感覚の協同体
メディテーションを怠ると、
自分のこころのなかに謙虚さが見失われてしまう。
自分のこころのなかに謙虚さが見失われていると、
目の前に、謙虚さを見失った人が現れる。
そうして念い出す。
そもそも、内と外は、ひとつなのだった。
自分の日々の仕事の中で、
そのことを痛覚する。
満足や喜びよりも、痛みの方が、
より意識の目覚めをもたらすものだということを、
我が身において思い知ることがよくある。
しかし、それは、とてもありがたいものだ。
そして、この、内と外がひとつであることを
伝えようとしているのが、
我が国の古典文学であることに思い至る。
それは、神話的世界観から生まれているものだからだ。
内と外を分け隔てて、
その連絡をいかにしてとろうかと苦闘しているのが、
西洋の近代的世界観だと思うのだが、
ここ日本においては、永く、
内も外もない神話的世界観が少なくともこころに生きられていた。
しかし、やがて、その内と外の断絶の始まりは、
我が国でも、
萬葉集を編んだ大伴家持においてはっきりと意識され、
その断絶というよりかは、
その内と外という関係を撤回しようとする苦闘の跡が、
萬葉集に刻み込まれている。
平成も二十八年になっているいま、
西暦では21世紀になっているいま、
ふたたび、
幾度かのとてつもない天災・人災を経て、
わたしたち日本に生きている者から、
その神話的世界を学び直すことを始めていい時だと強く感じている。
しかも、日本語を生きる人においては、
とりわけ、我が国の神話である。
内も外も、
そもそもひとつであるということを伝える神話である。
各々のこころの内に、
いまもその神話が活き活きと生きて働いている。
言語造形を通しても、
そのことを感覚することを学び始めている。
ことばの家は、
理念の共同体ではなく、
ことばの精神をそのときそのとき共に生きる、
感覚の共同体である。
2016年06月04日
語りあうことの学びと喜び
妻のブログの記事をシェア。
http://suwachiharu.seesaa.net/article/438603932.html
妻と毎日話しながらお互いにいろいろなことに気づく。
そうして、各々気づいたことを、こうして互いに文章にしあっている。
対話、それは互いの胸の奥の扉をそっと叩き合う行為で、自分自身で叩くよりも、ときに、より奥の、本当はより叩きたかった扉を叩くことを促してくれる。
対話があるからこそ、相手を知っていきつつ、自分は自分という人をだんだんと知っていくことができる。
わたしたちは、目に見える物理の世だけを生きているのでなく、こころの世もとてもリアルに生きている。そのことは、家庭を生き、夫婦で毎日暮らしていく中でいやおうなく実感することだ。
こころの世を互いに大事にしあうこと、それは毎日同じ屋根の下で暮らす他者がいてくれることで学ぶことができた。
そして、さらに、わたしたちは、精神の世を生きている。
こころの世を突き抜けたところにあるその世は、こころの世のように不規則なものではなく、法則に則っているがゆえに、より不可思議な印象をこころに与え、神秘的な世でもある。
その世は、わたしたちの目に見える暮らしのすべてを根底から支え、動かし、導いてくれているように感じる。
その世のことを親しく語りあうことができる人と出会えたことをこの上なくありがたく念う。
2016年06月03日
井の中のかわず、天空を見上げる 〜磯城端籬宮を訪ねて〜
休みの日で、お天気のいい日に、奈良の桜井を出発点にして、そこから東西南北に、少しずつ、ひとり歩くことが楽しみ。
今日は、奈良の三輪山の南端にいまも残る、第十代・崇神天皇の磯城端籬宮(しきのみづがきのみや)があったところに足を運ぶ。
いまはもうすでに拡がってしまっている住宅の群れをこころの視界から追い出して、千八百年から二千年近く前の景色に想いを馳せた。
しかし、いまも三輪山と初瀬川に隣り合うその辺りの景色は、我が国のはじめの姿を彷彿とさせるような、小さくも、この上なく美しい場所だ。
崇神天皇は、第一代・神武天皇に匹敵する大きな事業をされた方で、日本の国のおおもとを定められた天皇として讃えられてきた。
その宮の址(あと)が、本当に小さい。
しかし、その場の光と風の流れの澄み切った清浄さと、地から天に向けて立ちのぼってゆくような力の荘厳さは、古びた我が身の疲れなど一息に洗い流してしまう。
まるで、永遠の若水が喉を潤すようだ。
小さな場であってこそ、きっと、そこに美が育まれ、高い文化・文明が育ってゆく。
外なるものの限定が、内なる無限の豊かさを生むことを、わたしたちは知っていた。
井の中のかわずは、大海を知ることよりも、天空に瞬く星を見上げることの崇高さを知っていた。
この上ないお天気の下、今日も光と風と土が穏やかだった。
山の辺の道の南の端(小林秀雄大兄筆の石碑がここにも)
大神神社
金屋の石仏
ここ、石仏に向かって歩いていた時、保田與重郎大兄が微笑んでくれているのを感じた。
2016年05月16日
びくともしない美しさ
正岡子規という人が、
毛唐の大砲や軍艦をもって攻めてきても、
びくともしない日本文芸を作るのだ、
と、どこかに書いたそうです。
明治の人のことばですので、
いま、聞くと、
二重にも、三重にも、訳が分からず、藪から棒、奇妙奇天烈に感じられるでしょう。
これは、
人のこころの奥深くに育むべき精神は必ず土着のものでなければならない、
ということを言っているのだと思うのです。
自分の国の古典作品に出会っていくことは、
外国作品に出会っていくことよりも、
いまは縁遠いことのように感じられます。
しかし、自国の古典や物語はほとんど知らず、
他国の作品には親しんでいる、
そのありようは、どう考えても、おかしくはないでしょうか。
自分の国の文物に対する縁遠さは克服していっていいのではないか。
言語造形をすること、言語造形を聴くことをもって、
我が国の昔話や古典作品に向かい合うひとときを重ねていくことができます。
そしてだんだんと、
この国の上に暮らしてきた先つ祖(さきつおや)たちの、
こころのありように親しみを感じてきます。
そんな文学への参入から、
だんだんと、自国の歴史というものを、情でもって受け止めてゆく。
歴史というものを、
闘いと殺戮の事件報告ではなく、
人が大切な何かを、誰かを、愛そうとしたことを伝える、
精神からの叙事文学なのだと捉える練習を重ねていくのです。
先つ祖(さきつおや)たちが歩んできた文化の営みを尊び、愛するほどに、
きっと、未来の人たち、未来の子どもたちの暮らしに対する責任の情も、
おのずから高まってきます。
それが、過去の人たちと未来の人たちを繋ぐ、
わたしたち現在に生きる者の、
国に対する愛なのではないかと、個人的に捉えています。
愛する気持ちだけが、栄えさせる。
己れを愛するものだけが、己れを栄えさせるように、
家族を愛する者が、家族を栄えさせるように、
国を愛する者が多ければ多いほど、
その国は栄えてゆくでしょう。
ひとつの国が栄えるとは、
覇権を誇ることではなく、
世界まるごとが栄えることに繋がってゆくことでしょう。
ひとつの国が栄えるとは、
静かに己れの分を守り、
己れを愛するほどに他を尊び、
静かに他と和することができる、
そんな精神のありようが時と共に益々顕れてゆく、
ということです。
過去、二千年以上にわたって、
日本の美しさは、米作りを中心にした暮らしの中に息づいていました。
米作りの暮らしから折々の祭りが営まれ、
ことばが神と人とを繋ぐ美しさを備えていました。
そのことばの美しさ、暮らしの美しさがこれからも守られ、育まれるほどに、
他国の人から喜びと尊崇の念いとが寄せられるでしょう。
ケニア人も、アメリカ人も、フランス人も、
ロシア人も、中国人も、すべての外国人たちにとって、
日本人おのおのが己れのこころの奥底に流れている美を自覚し、
日本で暮らすということが独自の美しさを取り戻すほどに、
そのことは尊い喜びになるでしょう。
美しさは儚いものだと言いますが、あえて、云うなら、
びくともしない美しさ。
それこそが土着の精神です。
それは、ひとりひとりの人が
ちょっとしたきっかけを得て、
暮らしの中で実践し、発展させてゆくことのできる、
文化創造です。

