[断想]の記事一覧
- 2017/10/18 三十年
- 2017/10/15 「親しみ」といふ根源的な感情
- 2017/10/01 己れのすがた 己れのみなもと
- 2017/09/19 剣を研ぐ
- 2017/09/19 鏡を磨いて待つ
- 2017/09/13 右往左往せず大本に帰ること
- 2017/09/12 全身全霊で語る人 〜ベン・チェリー先生〜
- 2017/08/28 国語力
- 2017/08/26 ユダヤと日本のひめやかな繋がり 〜クリスマスのキリスト生誕劇〜
- 2017/08/25 情熱と憧れ
- 2017/08/23 注意深くありたい
- 2017/08/21 ひびきの村の皆さん、ありがたう
- 2017/08/15 明治の精神を描く舞台
- 2017/08/11 日本の家庭 (三・完) 〜父の姿〜
- 2017/08/11 日本の家庭 (二) 〜霊異なる巫女性〜
- 2017/08/11 日本の家庭 (一) 〜我が国固有の文化としての〜
- 2017/08/07 オイリュトミスト佐々木泰祐さん
- 2017/07/31 住吉 〜和歌(やまとうた)の聖地〜
- 2017/06/22 雨の季節 〜幾通りもの、ものの言ひ方〜
- 2017/06/05 春過ぎて夏きたるらし
2017年10月18日
三十年
昨日、難波に向かふ電車に乗ると、黒いスーツを着て席に座つてゐる一人の男に目が行つた。
髪も髭も真つ白で、だいぶん薄くなつてゐる長めの頭髪を後ろに撫でつけてゐる。長い身丈をかがませるやうに座つてゐる。彫りの深いその顔には、疲れと苦悩を感じさせる表情が刻まれてゐた。じつと瞑目してゐるやうに見えた。
ぱつと視て、歳の頃は六十代後半から七十代に一瞬思つた。
しかし、その男は、わたしの友だつたことに、漸く気づいた。胸がなぜだか高鳴つた。
高校生から大学生だつた頃、お互いの家を行き来しながら、ギターを弾き、ドラムを叩きながら、音楽に夢中だつた頃の友だつた。同じ歳だ。
彼は、その後大阪を離れ、若くして結婚して、しばらくして離婚した、といふことは風の噂で聞いてゐた。
なかなか連絡が取れなくて、彼の親御さんを通して、「会ひたい」といふことを伝へたが、彼の方は「会ひたくない」といふ答へだと親御さんから伺ひ、それつきりになつてしまつてゐた。
三十年以上ぶりに彼をみた。
電車の中で少し離れたところに座つたわたしは、彼から目が離せなかつた。しかし、近寄つて行つて声をかけることはできなかつた。
終点の難波に着いて、思はずわたしは彼の後をつけてしまつたが、やがて彼は街の雑踏の中に消えてしまつた。
三十年。
互いに生きて来たんだなあ。
2017年10月15日
「親しみ」といふ根源的な感情
昨年の今日10月13日、自分が書いた文章を讀むと、同じ時期には同じやうなことを考へ、感じるものなんだなあ、と思ふ。
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実際に、人と会つて話すことで、インターネット上でその人のことばを讀むことよりも、その人のことがよ〜く理解できる。その人に親しみを感じる。
そんなことを感じる、ここ數日。今日もさうだつた。
この「親しみ」といふ感覺は本當に大切にしたいと思ふ。
人と人との純なつながりであり、人が人であることのおほもとの情だから。
ところで、いま、自分が取り組んでゐる『萬葉集』は、このおほもとの情を、とても大事にしようとしてゐた人、大伴家持が編んだ、和歌(やまとうた)のアンソロジーだつたことを、改めて感慨深く思ふ。
天地(あめつち)の初發(はじめ)に漲つてゐたであらう、天地未分の、主客未分の、愛以前の、「親しみ」といふ根源的な感情。
さう、昔は、「愛」なんてことばはなかった。「したしみ」であり、「いとしみ」であり、「いつくしみ」であつた。
2017年10月01日
己れのすがた 己れのみなもと
奥飛鳥の大仁保神社にて
藝術の世界での国際性は、民族の伝統を大切にする者からのみ生まれるのではないか。
一国と他国とを人間的に繋げていくことができるのは、己が国を愛し、民族の歴史と伝統を貫く精神のみではないか。
絵に描いたやうな普遍的な精神では、国と国とは繋がることができないのではないか。人と人とが繋がることはできないのではないか。
国といふものは大切なものではないか。
家といふものは大切なものではないか。
内と外との境をしつかりと形作り、見守り続けるといふことはとりわけ現代にをいて大切なことではないか。
かたちを持つといふこと、そのかたちを新たに新たに造形し続ける力を育むといふことは、大切なことではないか。
無国籍のものではなく、国籍をしつかりと持つてゐるもの。
精神的な漂流者ではなく、精神的土着の者。
さういふもののみが、他者へと通じる道を持つのではないか。
民族の伝統とは、民族の造形力である。
ひとりひとりの人には、実は、無限の創造力がある。
そして、ひとつひとつの民族には、民族独自の無限の造形力がある。
さういふ民族の無限の造形力、ひとりひとりの創造力をわたしたちが発揮していくことこそが、次の世代への希望のともしびとなる。
それは、よそからの借り物ではなく、己れの源泉からこんこんと湧き上がつてくる、尽きることのない精神の力なのだ。
己れのすがた。己れのみなもと。
わたしの仕事として、それこそをしつかりと見るやうな気風を育てること。そのやうな自己教育の指針を示唆していきたい。
2017年09月19日
剣を研ぐ

しかし、かうして、毎朝、「今日も学ぼう、学ぼう」といふ意欲が湧いてくるのはどうしてなんだらう。
学んで、学んで、何をしたい?何になりたい?
分からない。
ただ、人様と深い喜びを分かち合ひたい。
その意欲とは、常に、未来へと立ち上がり続ける剣(つるぎ)だ。
スサノオノミコトによつてヤマタノオロチの尾から取り出された剣、草薙(くさなぎ)の剣だ。
殺し合ふための剣ではなく、草を薙ぎ、人が歩くことができる道、人が耕すことのできる田、人と人とが睦みあへる広々とした野原を現出させるための剣だ。
その剣は、スサノオノミコトによつて高天原の天照大御神に預けられ、その上で、天照大御神から地上に降臨するホノニニギノミコトに授けられた。
その剣は、意欲の力としてひとりひとりの人に授けられ、ひとりひとりの人によつて未来へと掲げられる。
死の後の世にまで届く剣だ。
わたしも、この剣を毎日研ぎ続け、掲げ続けていくのだ。
鏡を磨いて待つ

シュタイナーの『普遍人間学』講座を受け持たせてもらつた昨日までの三日間の教員養成講座では、自分自身こそが学んだと思ふ。
想ふ、考へる、想ひ起こす、かういふ一連の瞬間的な作業をしつつ、ことばにして他者に語りかけるといふ行為がなされる。
想ひ起こすって大変だ。
自分独りで想ひ起こさう、想ひ起こさうとして、かえつて空回りしてしまふ。ことばが宙に浮いてしまふ。
そのやうにして独力でなんとかしようと焦らずに、過去からの光に我がこころの鏡が照らされるのを安らかに待つことができるとき、想ひ起こすといふことが健やかに立ち上がつてくるのに!
日本神話から、こんなイメージ、想ひが、こころに降りてくる。
過去からの光、それは、つまるところ、高天原にをわします天照大御神からの光であり、それがわたしたちの抱く考への像であり、わたしたちはひとりひとり、その光を照らし返し、像を映し出す鏡をこの身にことよさしされ、授かつてゐる。
「この鏡は、もはら吾(あ)が御霊(みたま)として、吾が御前をいつくがごとく、いつきまつり給へ」と天照大御神がホノニ二ギノミコトにことよさしなされたやうに。
わたしたちは、己れのその鏡を磨いて待つほどに、鏡面は曇りなく像を映し出し、しつかりと想ひ起こすべきことを想ひ起こすことができる。
その「待つ」といふこと、それは、できうる限り準備を重ねるだけでなく、落とされる小石が拡げるどんな波紋も見ることができるやうにこころを平明に静かに整えておくこと。
そのためには、深い息遣ひ、呼吸のありやうが、鍵を握つてゐる。
想ひ起こすこと、考へること、その考へを的確に精確にことばに鋳直すこと、それは、高天原からの光を我が鏡に出来る限り曇りなく映し出すことだ。
本当に、学びには限りがないなあ・・・。
2017年09月13日
右往左往せず大本に帰ること
目隠しをされつづけてゐると、その目隠しされてゐることを忘れてしまふ。
そして、いまがどのやうな時なのかが分からないまま、漫然と今日といふ日を過ごしてしまふ。
間違ひなく、いま、日本は国際関係にをいて緊張状態にある。
しかし、そんな非常時だからこそ、情勢に右往左往せずに、むしろ、大本のところへ帰りたいと思ふ。
わたしにとつて、大本とは、精神に立ち返ること。
立ち返るべき精神とは、まづもつて無国籍の精神ではない。
日本の国にはこの国ならではの土着の精神性がある。
そこを掘り起こすためには、古典に常に立ち返ること。
さう立ち返ることのできる国が、世界で唯一、日本なのだ。
古事記(ふることぶみ)は、その序文に、天武天皇の勅命で作成が始められたとある。
そこでは、きわめて芸術的に、天地(あめつち)の初めからの物語が語り起こされてゐて、代々の天皇による肇国(はつくに=国創りのはじめ)の精神が説きつくされてある。
驚くべきことに、その精神が代々125代に亘つて継続されてゐるのが、我が国である。
古事記に記されてゐる歴代の御存在が、いま現在も存続してをられる。
だから、顕教ではなく、密教的な観点で、現代にをいて神がかつてゐる唯一の近代国家が日本である。
そのやうな国のあり方を伝える古典は、他の国には皆無なのだ。
あるとしても、その精神性は他国にをいて現代の社会生活の中では完全に断ち切られてゐる。
宇宙と国のはじまりを説く神話と歴史。
『古事記』は語り物として、それをいまに伝へてくれてゐる。
『萬葉集』は詩として、それをいまに伝へてくれてゐる。
この二書を熟読玩味することが、大本へ帰る志を己れの中に育てる。
2017年09月12日
全身全霊で語る人 〜ベン・チェリー先生〜

今週末に三日間連続でシュタイナー教員養成講座があり、そこで普遍人間学講座が控えてゐる。
わたしがこのやうな講座をするに当たつて、お手本にしてゐる先生がひとりゐる。
それは、ひびきの村で十数年前にご一緒したベン・チェリー先生だ。
彼はそのときオカルト生理学を一週間担当されてゐた。
彼の授業の進め方は、一冊の本を深く深く読み込み、咀嚼した上で(その作業はおそらく何年もの長い年月が掛けられてゐるだらう)、その本の記述に捉われることなく、きわめて自由自在に毎日の授業を繰りなしておられた。
ベン先生は、普段はもの静かな立ち居振る舞ひをされる方なのだが、授業になると、とても表情豊かに、身振り豊かに、全身全霊で語り、説かれるのだつた。
わたしは、授業内容の魅力と共に、彼のあり方そのものにとても惹かれた。
高い叡智に満ちたことばを、精神、こころ、からだのまるごとをもつて、語る人。
さういふ存在に出会えたことは、本当に僥倖だと念ふ。
ベン先生は、いまも、お元気だらうか。
2017年08月28日
国語力
自分の考へてゐること、感じてゐること、欲してゐることを、無駄なことばを使はず、ふさはしいことばで、端的に、語る力。
そして、そのやうに、書く力。
一方、他者の考へてゐること、感じてゐること、欲してゐることを聴き取る力。
そして、他者の書いたことば、読むべきことばを熟読、味読し、行間を読み取る力。
これら四つの力、話す力、書く力、聴く力、読む力を育むことが、すべての人にとつて、人として生きていく上で、とても、とても、大切なことであるやうに思ふ。
とりわけ、読む力、書く力は、時代を越え、地域さへも越えて、人と人とが繋がりあふために育みたい大切な力だが、まづは、読む力について述べたい。
ことばと深く、長く、付きあひ続け、ことばが描く世界を最後まで辿り抜く内的な経験。
そんな熟読・味読といふ行為こそが、人が人であることを想ひ起こさせ、人を歴史と文化に接続し、精神的存在とする。
それは、己れと己れを囲んでゐる狭い時代性と地域性とを忘れてしまふやうな深い驚きと、孤独と孤独を繋ぐ安らぎと満ち足りを読者にもたらし、または、古と今を貫く連続性、伝統といふものに目覚めさせる。
この驚きと喜びを知ることが、どれほど生きることに力と指針を与へてくれることか。
そして、聴く力を促し、育むやうな働きをするのが、言語造形といふ芸術であると思ふ。
言語造形の舞台は、上に書いたやうな読書体験での味はひを、聴く体験へと精神的に深める。
ことばといふものが、知的に理解されるものであるだけでなく、全身で感覚され、情で感じられるものへと、その働きを拡げ、深める。
ことばを聴く時間を芸術的なものにすること。
読書を情報収集と一緒にしないこと。
その積み重ねが、芸術的に話す力へと、人間力そのままが出てしまふ書く力へと、おのづからなりかはつてゆく。
国語力が、人をその民族の子とし、その人をその人とする。
2017年08月26日
ユダヤと日本のひめやかな繋がり 〜クリスマスのキリスト生誕劇〜
今年のクリスマスに上演するキリスト生誕劇の稽古風景。
昨日は、歌を指導してくれる足利智子さん、ヴァイオリン担当の高垣さおりさんとともに、歌の稽古に励んだ。
この生誕劇では、川の流れのやうに歌の調べが深く豊かに支配する。
その流れをどれほどの透明度で奏でることができるだらう。
わたしたちの挑戦だ。
ユダヤの物語を日本のわたしたちが演じることの意味を、聖書の耽読と共にわたしたちは劇を創ることによつて探り求めてゐる。
そこには、思ひもよらないユダヤと日本のひめやかな繋がりが、きつと、聴こえてくるだらう。
『ことばの家・キリスト生誕劇』
12月25日(月)夕方5時開演
於・大阪市住吉区民センター小ホール
2017年08月25日
情熱と憧れ
娘たちも妻も日曜日まで外泊。
仕事以外の時間、自分ひとりの時間。
読書。稽古。読書。稽古。読書。読書。読書。
読みたい本、読むべき本が、たくさんある。
単なる知識を頭に詰め込んでも仕方がないが、これらの本から得られる知見が自分自身のことばになるまで熟読する。
努力をしない男は醜い。
自分のこととして、若い時、さう痛烈に感じた。
男の子を持つてゐるお父さん、お母さんは、自分の息子をどんな風に育てたいだらうか・・・。
年齢をどれだけ重ねようと、勉強し続ける男、努力し続ける男、自分自身を改革し続ける男・・・。
価値観はそれぞれだらうから、一概には決して言へないだらうが、わたし自身、父親からそんな姿勢を知らず知らず学んでゐたやうに思ふ。
また、昔の偉い人だけではなく、現代の日本でもそのやうに勉強し続けてゐる男たちがゐる。偉い男たちが何人もゐる。
これは、とても励みになる。勇気づけられる。
『禁中』白楽天
門厳にして九重(きゅうちょう)静かに
窓幽にして一室閑(いっしつ かん)なり
好し是れ心を修する処
何ぞ必ずしも深山に在らん
2017年08月23日
注意深くありたい
個人主義がかうまで深く浸みわたつてゐるわたしたちにとつて、意識の目覚めがどれほど難しいことか。
なぜなら、意識の目覚めは、他者といふ絶対的に異質なものと出会ひ、そしてその異質なものに強烈にこころ惹かれ、また強烈に反発することで、初めて自分自身といふ存在の姿が己れの意識の中に明瞭に描かれはじめるからだ。
わたしたちは、しかし、個人の意識を超えた想定外の出来事に遭遇することで、神の恩寵として、強制的に、目覚めさせられる。
そんな強制的な目覚めを促すやうな出来事が、この日本といふ国に起こらないことを祈る。
しかし、いつそれが起こつても、おかしくない状況であることは、覚悟したい。
ことが起こる前に、わたしも目を覚まして、。
2017年08月21日
ひびきの村の皆さん、ありがたう
北海道伊達市のひびきの村でのサマープログラムを終え、今日大阪に帰ってきました。
わたしの授業の準備だけでなく、我が娘たちにも存分に気を配ってくださった関さん夫妻はじめ、村の皆さんに、本当に、こころから感謝、感謝、感謝・・・。
そして、子どもたちに、これ以上ない最高の学びと喜びを与えてくれたDouglas先生に、こころよりの敬意と感謝・・・。
わたし自身も初めてこの村に来させてもらつてから、今年で14年目。
七年周期が二巡りして、本当に区切りとなりました。
これからのひびきの村がいやさかに栄えゆきますやうに!
毎朝、7時前には、駆け出していく娘たち。
ひびきの村の坂を登りつめると、向かうに洞爺湖が望める。
2017年08月15日
明治の精神を描く舞台

今日は八月十五日、終戦の日でしたね。
だから、といふ訳なのか。
今日、これからの仕事の方向性が明確に見えてきました。
来年は2018年。平成最後の年です。
そして、さらに、明治維新から丁度150年でもあります。
わたしは、明治天皇といふ御存在を中心とした、明治の精神を描く言語造形による舞台を来年実現すべく、これから取り組んでいきます。
また、十一月三日を、従来の文化の日から、明治の日へと、来年に変えるための祝日法改正運動が行はれてゐるのですが、その日に呼応するやうに舞台創りを進めていきたいと思つてゐます。
これからの日本に生きる若い人たちが、各々の希望を輝かせながら生きていくためには、己れの出自に対する畏敬の念を育む必要があるやうに思ひます。
平成の三十年間、昭和、そして大正を超えて、明治といふ、我が国の近代生活の始まりの時代、そもそも、どういふ希望と苦しみとの間をわたしたちの祖先は行き来し、その葛藤を明治天皇がどれほどの想ひで引き受けてをられたか・・・。
ちなみに、明治天皇は生涯におよそ十万首の和歌を残された、大歌聖でもあられます。
今を生きるわたしたちに、必ずや、回生の目覚めを引き起こす、ひとつのきっかけとしての仕事です。
ご関心のあられる方、どうぞ、御連絡をください。
まづは、この終戦の日にちなんで、書き残させてもらひました。
諏訪耕志拝
2017年08月11日
日本の家庭 (三・完) 〜父の姿〜
この連載の第一回目に、大東亜戦争の敗戦以前の、日本の家庭観、父親像に就いて考へてみたいと書きました。
それは、さう云ふ家庭観、父親像に、わたし自身が人間と云ふ存在の美しさを感じるからなのです。
わたし自身、昭和三十九年(1964年)と云ふ、高度経済成長期の真つ只中に生まれたのにも関はらず、自分の父親からそこはかとなくそのやうな像を感じてゐたからかもしれません。
文芸評論家の保田與重郎は、昭和十九年に書いた『日本の家庭』といふ文章の中で、国を支えてきた古き日本の父の姿を書き記してゐます。
昭和十九年に保田がさういふ姿を書き留めようとしたといふことは、戦後にいきなり古き日本の父性が失はれたのではなく、戦中、戦前にをいてもすでにその喪失が感じられていたといふことでせうし、さらに遡つて明治維新から始まつた文明開化の風潮の中で、それらの古い日本の変容、解体が不可避の事として始まつてゐたのです。
仁義礼智忠信孝悌と云つた徳目や神仏への信仰を、道徳と云ふ形で荷つてゐたのは、昔の日本の父親でした。
父は先祖祭りを儀式として荷ひ、母は祭りの団居(まどゐ)に従事してゐました。
昔の日本の父は、現世的な権力や威力によつて、子弟たちを教育しようとすることは決してなく、常に神棚と仏壇の前からものを言ひました。祖先の霊から始まる、幾世もの先つ祖の、更におほもとである神々を厳重に信奉しました。
汝も日本人ではないのか。
祖先の霊をどう思つてゐるのか。
そのやうな数少ないことばと、位牌をもつて、家の道徳、国の道徳を、守つてゐました。それは決して、理屈や教義によつて説かれたのではありませんでした。
日本の父のそのやうな無口が、日本の支柱でした。
そして長男は、父からの神聖な根拠に立つ威厳を具へるやうな、家を精神的に継いでいく存在として教育されてゐました。
次男、三男は、きつと家庭に因りますが、軍人として、官吏として、商人として、願はくば国の恩、世の中の恩に仕へ奉ろうなどと考へられてをりました。
しかし、明治の文明開化の代から始まるわたしたちの歴史は、そのやうな父の意志、意力を、だんだんと無口な悲しさへと追ひこんで行つたことを教へてくれます。
異国風の新しい教育学や思想に対面せざるを得なくなり、以前よりいつさう無口になつて己れの信ずる祖先の霊と共に悲しんでおりました。
この辺りのことは、島崎藤村の『夜明け前』を読むと、静かにしみじみと、その悲しみが伝わつてきます。
日本の家庭に於る教育環境を司り、教養階級そのものであつた父が、父たる伝統を失つた、その時から、この連載の第二回で述べた炉辺の母の物語も失はれていきました。
そして、やがて、日本の家庭が決定的に崩されはじめたのは、大東亜戦争の敗戦によつて敷かれたGHQによる占領政策以来のことです。
新しい教育学、保育学、教養論が、ますます人のこころを染めていきました。
そして、わたしたちは日本人であることを何か劣つた、恥づかしいこととして、云々するやうになりました。自分自身への信頼をだんだんと失つていきました。
しかし、決して理論闘争を試みず、神仏や先祖と繋がれて生きてゐる己れのありかたを深く信じてゐた日本の父の姿は、完全に失はれたのでせうか。
家の儀式祭祀を司り、そこからおのづと家の道徳、躾、たしなみを、ことばを越えたところで子孫に伝へていく父の道は、果たして消え去つてしまつたのでせうか。
わたし自身、そのやうな昔の父の姿、風貌を新しく見いだし、自分自身の中で新しく育て、新しく次世代へ守り伝へていかうと考へてゐるのです。
そのために何ができるだらうか。
そのことを考へる毎日なのです。
日本の家庭 (二) 〜霊異なる巫女性〜
昔の日本の家庭の中に於る父親像を見るまへに、まづは母親像、女性と云ふもののありやうを見てみたいと思ひました。
女性性と云ふものと男性性と云ふものとの関はりが、とても内密で相互交流的なものだからです。
女性のしてゐたことのひとつは、夜ごと炉辺(ろばた)で、昔噺を語ることでした。
その昔噺とは、輸入物の寓話や譬喩ではなく、家の物語であり、村の物語であり、また国の歴史に繋がる物語でした。
それは、素朴なかたちの「神がたり」でした。
その語りは、インタヴューできない対象を語るのであつて、人知で測りきれないものを物語るのでした。
わたし個人の想ひ出ですが、祖母が同じ噺を繰り返し繰り返し布団の中で、幼いわたしをあやしながら語つてくれました。
その噺は、家のお墓にまつはる実話で、何度聴いても、身の震へを抑へられない怖い噺だつたのにもかかはらず、わたしは幾度も祖母にその話をしてとせがんだものでした。
祖母は、その噺が真実であることを固く信じてゐました。わたしは、それは彼女の暮らしの底から生まれてゐる、生きた人生観からのものだと感じました。わたしたちの人生は、すべからく、神仏が見守り導いて下つてゐるとの信でした。その信仰のあり方は、祖父が持つてゐた観念的なものよりも、より親身なものであり、霊感的なもののやうでした。
民族学者である柳田国男の『妹(いも)の力』を読んでみますと、そこには、古来から女性のもつてゐる霊異な力に就いて描かれてをり、その力が実に家の運命をも左右するものであることを、体感・痛感せざるをえなかつたため、いかに家の男性がその「妹の力」を畏れてゐたかが描かれてゐます。
ある場所や、ある期間に於て、女性を忌む風習も、実はその霊異の力を尤もよく知る男性が、それを敬して遠ざけてゐたことから生まれてきたのだと云ふことが分かります。
祭祀や祈祷の宗教上の行為は、悉く婦人の管轄であつたこと。
巫(みこ)は、我が国に於ては原則として女性であつたこと。
昔は、家々の婦女は必ず神に仕へ、その中の尤もさかしき者が尤も優れた巫女であつたこと。
なぜこの任務が女性に適すると考へられたのか。それはその感動しやすい習性をもつて、何かことあるごとに異常心理の作用を示し、不思議を語り得た点にあると云ふこと。
女性は、男性には欠けがちな精緻な感受性をもつてゐること。その理法を省み、察して、更に彼女たちの愛情から来る助言を、周りがいま一度真摯に受け取らうとするなら、その仕合はせは、ただ一個の小さな家庭を恵むにとどまらないであらうと云ふこと。
このやうな妹の力が、炉辺の女性による物語りとして、神がたりとして、わたしたちの昔の暮らしの内々に息づいてゐました。
しかし、明治の文明開化の風潮の中で、この炉辺の妹の物語り、母の物語りも失はれてきたのです。
それは、日本の父が荷つてゐた道徳の文化、教養のしきたり、敬の精神がだんだんと失はれていくにつれてのことでした。
そして、それらが決定的に喪はれてしまつたのは、先の大戦以降です。
日本の家庭 (一) 〜我が国固有の文化としての〜
我が家の長女も十二歳。親の言ふことにはすべて従つてゐたこれまでとは、当然のこと変はつてきて、所謂「難しいお年頃」になつてきました。
親子の間、家庭の中に、日々いろいろなことが起こりますが、いま、とりわけ、かう感じてゐます。
生まれてから十二年間、彼女は父と母のことをとてつもなく大きな愛と無条件の信頼で見守つてくれ、なによりすべてを許してくれました。
これからの十二年間は、こころの自立に向かつてゐる彼女を、わたしたち夫婦が、からだもこころもべつたりだつた時のやうな愛ではなく、より精神的な愛と信頼をもつて見守り、その自立を促し、世間へと送り出していく時期なのだなあ・・と。
さう感じてゐる今日この頃、自分は男であり、娘との向かい合ひにも必然的に意識的にならざるをえません。そこで、改めて、「父親」と云ふ役割に就いて考へることが最近増えてきました。
わたしは、このご時世の中、いろいろなものが入り混じつてゐて、ここ日本が東洋なのか西洋なのか、判然としないありさまに生きてゐます。
世の中には様々な価値観があり、また時の移り行きの中で、その時代その時代特有の価値観もあると思ふのですが、わたしはひとりの日本人として、何か確かなもの、美しいと感じられるもの、地に足の着いた土着のもの、つまり我が国固有の文化を求める気持ちの高まりを強く感じてゐます。
そこで、先の大東亜戦争の敗戦以前の、日本の家庭観、日本の父親像と云ふやうなものを調べ、考へてゐます。
戦後のあまりにも偏向した左翼的な教育思想から、できるかぎり自由になりたいと考へてゐます。
(自分自身のこの夏からの新しい出発のため、昨年書き記した文章を少し書き改めながら再び掲載したいと思ひました)
2017年08月07日
オイリュトミスト佐々木泰祐さん

今回の『丹生都比売』の舞台で、大きな働きをなしてくれたのが、佐々木泰祐(たいすけ)さんによるオイリュトミー、並びに演技だつた。
言語造形にをいて、肉声から生まれる、ことばの動き、流れ、かたちを、つねづねよりも深いことばの意味とともに感覚することができる。
佐々木さんのオイリュトミーを観るとき、演者の肉体を見るのではなく、演者の肉体の周りを取り巻く風のやうな流れ、色、熱を観るのだといふことが、今回明瞭に実感することができた。そして、その流れ、色、熱、かたちこそが、「ことば」である。理屈ではなく、からだによる実演から、さう認識することができたことが、何よりもわたしにとつて喜びと糧になつた。
舞台公演の三時間前には丹生神社にて、花岡攻事さんの言語造形と共にオイリュトミーによる「丹生大明神告門」奉納がなされた。花岡さんの肉声とひとつになつて空間に巻き上がる精神の動き。この祝詞が、いま、ここで、このやうなかたちで、響かせられてゐること。そして花岡さん、佐々木さんといふ若い藝術家がかうして自分自身の足でしつかりと立ち、歩みを刻み込んでゐること。奉納が終わると共に、予期せぬほどの感情の高ぶりを感じた。
佐々木さんは、笠井叡さんのもとでのオイリュトミー修業の後、スイスに渡り、修業を更に続け、いまはヨーロッパやアジアの各地で公演活動を繰りなされてゐる。
また、帰国されるときが、とても楽しみだ。
(一枚目の写真はトルネード純子さんの写真をお借りしました)
2017年07月31日
住吉 〜和歌(やまとうた)の聖地〜
住吉大社の夏祭り。
出店で大賑はひの住吉さんよりも、隣にひっそりと佇む大海(おほわだつみ)神社の空間に、こころほどける。普段は夕方4時には門が閉まるのだが、今日は夏祭りで特別に日暮れ前に参拝できた。
しかし、それでも住吉さんの御神徳をありがたく感じる。
五十年以上ここ住吉に住みつづけてゐるが、この住吉といふ地の価値をもつと掘り下げて知りたいと思ふ。
なにせ、朝廷によつて公の水門(みなと)として我が国で初めて定められたのが、この住吉(すみのえ)である。
住吉は、幾多の大和朝廷との位置関係により、堺などよりも先に、他国との交流、貿易の拠点であつた。
そこからやがて、外国語と自国語とが出あふ場であることによつて、住吉といふ地にをいて、ことばへの意識が先鋭化せざるをえなかつた。
よつて、住吉大社は、海の神を祀りつつ、また和歌(やまとうた)の聖地でもある。
また、この住吉は、「すみよし(すみえし)」であり、古代には澄んだ江に臨みつつ、きつと、神々と共に住むによきところ、暮らすによきところとして、難波の宮から南の紀伊の国への最重要中継地点として人々で賑はひ、幸はつた地であつたのであらう。
また、私たちが「ことばの家」を構えてゐる住吉区帝塚山は、萬葉集の編纂者、大伴家持の祖先たちが屋敷を構えてゐた地である。帝塚山古墳も大伴氏のものだといはれてゐる。
娘たちと一緒に、我がうぶすなの歴史と風土と文学の勉強を始めてゐる。
2017年06月22日
雨の季節 〜幾通りもの、ものの言ひ方〜

昨日は、大雨が通り過ぎた日本列島だつたやうですね。
日本の古典文学研究を中心にする伝承文化研究所を営んでをられる小林隆さんが今朝書かれてゐた記事に、はつとさせられました。
https://www.facebook.com/takashi.kobayashi.737001/posts/1081542811982344
「日本人の七割以上の方々は『雨』に對して惡いイメージを持つてゐるやうに思ひます。 これはあくまでも私見であり、裏付けをしつかり取つた譯ではありませんが、その原因としては、日本人が雨といふ語の語彙が戰後極端に喪はれてしまつたことによつて惹起されたものと私は考へてゐます。」
ここで、小林隆さんは、「村雨」「霧雨」「こぬか雨」など多くの雨に関することばを挙げられてゐます。
あるひとつの事象に対して、幾通りもの、ものの言ひ方を知つてゐること。そのことによつて、人は豊かで細やかな感じ方ができるやうになつてゆく。ことばを知り、そのことばを己れのものにすることは、それだけ世が深みをもつて感じられ、その人自身の内側も豊かに育まれてゆく。
そんなことばと人とのかかはりをわたしたち日本人は大切にしてきました。わたしたちは、さういふ民族でした。だから、和歌(やまとうた)や俳句といつたことばの藝術は、その感覚を磨く上で欠かせないものでした。「はじめにことばありき」といふことを、わたしたち日本民族はまるまる生きてゐました。
いま、わたしたちは、古典作品に親しんでいくこと、学んでいくことで、自分なりの、いまならではのことば遣ひに、過去の日本人たちが営んできた言語生活を重ね合はせることができます。
その重ね合はせが、その人を日本人にしていきます。その人の内側に歴史が息づきはじめます。自分ひとりで生きてゐるのではなく、過去の先人たちとの繋がりの中で生きてゐる己れを感じはじめます。そして、この繋がりを後の世代の人たちへと伝へていきたく念ひはじめます。
小林さんは、雨を「山のしずく」と歌つた大津皇子と石川郎女の相聞歌をはじめに掲載して下さつてゐます。萬葉集の第二巻からの歌です。
あしひきの山のしづくに妹(いも)待つと
我れ立ち濡れぬ山のしづくに 107 大津皇子
我(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの
山のしづくにならましものを 108 石川郎女
このふたつの歌の交響に、時の隔たりを超へ、自他の区別を超へ、人と世との隔たりをも超へる、こころとこころのまことのかかはりと深まりを感じます。
2017年06月05日
春過ぎて夏きたるらし
春過ぎて夏きたるらし白妙の衣ほしたり天の香具山
持統天皇
天武天皇亡き後、その皇后であられた持統天皇が藤原宮を造られたのは今から1323年前です。
今日は、この御歌通りの天の香具山をその宮址から見はるかしながら、声に出して歌つてみたいと思ひ、足を運びました。
蒼く大きく拡がる初夏の空の下、この歌は風を大きくはらんで響き渡りました。何度もことばが響き渡り、そのたびに、清々しい喜びと安堵の念ひが、この無限の空間に立ち上がつてくるのを感じたのでした。
歌では、洗ひ清められた衣が、陽の光に白く輝きながら、初夏の風にたなびいてゐる。
それは、大規模な遷都のあと、民が再び元通りの暮らしのリズムを取り戻し、神ながらの暮らしぶりに立ち戻つてゐることを教えてくれたのではないでせうか。
そして、大空の下、香具山が静かに鎮まつてゐるのが遥かに臨まれます。
その山は、天界の高天原から降りてきたからこそ、天の香具山と名付けられてゐる、さう語り傳へられてゐます。
また、初代天皇であつた神武天皇が戦によつて死の危機に陥つたとき、その香具山の土で作つた瓦を使つた占ひによつて窮地を脱することができたのでした。
夫であつた先帝と共に持統天皇は、神武天皇から続くこの天の香具山に対する信仰心を育みつづけたことでせう。そして、きつと新しい国創りへの志を燃やし続けられたのではないかと思ひます。
春過ぎて夏きたるらし白妙の衣ほしたり天の香具山
1300年以上前のことばの芸術が風景と共にいまだに残されてゐるこの日本といふ国、大和の国を本当にこころから愛ほしく想ひます。

