このたびの『名人伝』公演終演後にいただいた感想文をもう少し掲載させていただきます。
●語りが始まったとたん、自分の耳だけでなく、全身、いや、からだが上下左右大きくのび拡がって聴いてる、というような不思議な体験をしました。圧倒されました。後半はもう語り手の諏訪さんと自分と部屋の空間の区別がつかないような状態になりました。
(y.j.さん)
●中島敦が諏訪さんに乗り移ったような、一つの物・弓・言語造形を追い求めていく姿が、重なりあっていたような気がしました。独特の世界にひきこまれました。
(m.k.さん)
●中島敦のことは全く知りませんでしたが、諏訪さんの彼についての前もっての説明を聴き、何と不運な方で、無念を残して、この世を去ったんだ、と知りました。諏訪さんの話芸も一段とそのすご味を増して、名人の域に達して来た気がします。落語、講談とは、また違った芸であると思います。応援しています!!
(m.m.さん)
●今日は人生の課題をもって観させていただきました。本格的に芸術家としてやっていけるのか、どうか、というわたしの課題です。そして、大きなヒントをいただきました。芸術家のやりたいことは、「目にみえないものをみんなにわかるように表現すること」、それに尽きる。そのことがわかりました。その媒体が、諏訪さんの場合は「ことば」であること。そして本当の媒体は「カラダ」なのだということです。そんなヒントをいただきました。
(m.s.さん)
公演が終演したすぐ後にお客様に感想文を書いていただくなど、あまりにも素早い応答をお客様に求めすぎてゐはしないか。
そんな懸念があるにはあるのですが、もう少し違ふ角度から、わたしは感想文を読ませてもらふことを楽しみにしてゐます。
ここでも、恐縮するようなことばを頂いてゐるのですが、書かれたことば、話されたことばといふものは、どこか、瞬間的にも、その人のこころのありやうをまざまざと写すものです。
そのやうな感想文は飾られた上っ面なものに過ぎない、などといふことを言ふ人がゐますが、どのぐらいのこころの深さで文字が綴られてゐるのかは読めば、たいてい人は感じます。
たとへ辛口の感想であつても、まごころを感じる感想文を終演後、読ませていただくことが、とても楽しみなのです。
その楽しみとは、演者であるわたしに対する賛辞を期待してのことと言ふよりかは、観客おひとりおひとりとの、芸術を通しての、ことばを通しての、真剣な出会ひを求めてのことです。
[断想]の記事一覧
- 2018/08/09 感想文といふもの
- 2018/08/04 ひとりの人が世界を変へる Douglas Newton
- 2018/07/12 涼しさのおすそ分け 桃尾の滝
- 2018/07/10 誠と嘘
- 2018/06/09 神さまの計らひ
- 2018/06/05 人の考へる力 (1)
- 2018/06/01 こころの環境
- 2018/05/20 文学サロンとしての百年長屋
- 2018/05/18 朝のメディテーション
- 2018/05/16 びくともしない美しさ
- 2018/05/13 和歌山 キリスト生誕劇創り始まりました
- 2018/05/09 乙女座からの贈り物
- 2018/05/08 双子座からの贈り物 〜天の香具山にて萬葉の歌を歌ふ〜
- 2018/05/07 江崎道朗氏講演『激動の東アジア、日本の命運』に参加して
- 2018/05/05 泉佐野での三日間連続、シュタイナー教員養成講座
- 2018/05/01 ていねい
- 2018/04/21 楠公さんと明治維新
- 2018/04/18 今晩8時 ラジオ番組「しぃーん〜walking with you〜」
- 2018/04/17 住吉の価値、そして神功皇后
- 2018/04/12 窓を大きく開け放つ
2018年08月09日
2018年08月04日
ひとりの人が世界を変へる Douglas Newton
ひとりの人が世界を変へる。
今回の「ねっこぼっこ合宿」では、そのことばが本当であることを知りました。
Douglas Newton、ひとりがゐるだけで、子どもたちの生きる歓びが甦る。
世の自然のいちいちに驚くことのできるこころ。
人の生まれながらのみずみずしさに涙することのできるこころ。
子どもの時からいまも依然輝き続ける彼のこころは、同時に、蒼い湖の水面(みなも)のやうに、閑かに鎮まつてゐる。
人といふものは、かうもありえるのか・・・。
わたし自身、そんな深い想ひを抱かせてもらひながら、Douglasと共に三日間を過ごすことができたのです。
集まつた子どもたちみんなが、生きて、いま、ここにあることの喜びに浸り切ることのできた、この夏の三日間は、おそらく、生涯の宝物になると、わたしは確信してゐます。
Douglas 、本当にありがたう。
また、一緒に仕事をしよう!
2018年07月12日
涼しさのおすそ分け 桃尾の滝
真白にも 落ちてたぎつる 石上(いそかみ)の
岩肌黒く 鳥の声かな
先日、奈良の石上神社の奥の宮といはれてゐる社の少し上流にある桃尾の滝に触れてきました。
涼しさのおすそ分け・・・
2018年07月10日
誠と嘘
自分のゐる場所で、いつでも宮中のやうな静けさを創り、深山へ籠つたやうな深遠さを創り出すこと。
このことがわかれば、自分のいまゐる場所がこの世で最高の場所となる。
こころとは実に繊細な生き物。こころは、真に美しく静かで豊かな場所でこそ育むことができる。
だから、己れのこころを修練し育み成長させたいならば、その環境をみづから、いま、ここで、生み出す勇気をもつこと。
肉眼をもつてみえないものを「幽」と言ふ。つまり、外の顕わなものでなく、内の幽なるものを見る練習をする。
『静にして閑』とは、この世の中で最も豊かな場所を表す。それは己れが己れの意志で創るのである。
門を厳重にして、念には念を入れて戸閉まりをし、また出入りをする人間の質を選ぶ。さうすれば、そこには宮中と同じ厳粛さが生まれ、思索を行ふにまたとない、静かな環境をその人に提供してくれる。
そこはまぎれもなく、各々の人にとっての宮中になり、社中となる。
これらのことは、以前、執行草舟氏の著書『友よ』の中で読んだことです。
「己れ」「家」「宮」とは、大切に守り育みたいものを、じつと見つめる場所。
その人の意志次第で、そのやうな時と場所を意識的に創ることができる。
その人の意志次第で。
いつでも、どこでも。
だから、「どこそこへ行かなければ、学べない」とか、「どこそこが本場だ」とか言つてゐるのは、嘘である。
さう思ひます。
2018年06月09日
神さまの計らひ
今日、和歌山行きの電車に、堺の三国ヶ丘駅で急いで飛び乗つたら、言語造形の二十五年来の我が師匠にお会ひする。
東京から、彼も和歌山での勉強会に講師として呼ばれたために、列車を乗り継いで来られたとのこと。
言語造形をしつかりと仕事としていくことのできる人をここ日本で育てていくことについて、どうしていくことがいいのか。
そのことが、ここ数か月、意識の真ん中に座り出したこともあつて、そのことを師匠に問ひ、語り合ふことができた。
非常に、非常に、有益な小一時間を、共に過ごさせてもらふことができた。
神さまは、本当に、計らつて下さつてゐる。
2018年06月05日
人の考へる力 (1)

最後の大著『本居宣長』を書き終へた小林秀雄
わたしたちのむかしむかしのご先祖さまたちのこと、ひいては、神々のことを、「考へる」こと、それが、わたしたちの歴史を織りなしてゐます。
科学的に冷たく分析しつつ検証しつつ考へていくことをわたしたちは学問だ、としてゐますが、日本に於ける本来の学問とは、対象について、親しく、愛をもつて、「考へる」こと、それを学問としてきました。
歴史とは、過去に於ける、人々の力と力の争ひや殺し合ひのレポートを書き連ねることではありません。
わたしたちの歴史とは、わたしたちひとりひとりが、信をもつて、愛をもつて、親しさをもつて、わたしたちのご先祖さまたちが苦労して積み上げて来たものごとについて「考へる」ことから織りなされていきます。
そこから、ご先祖さまたちが、何を民族の理想として考へてをられたのかを、現代のわたしたちが追つて考へること、汲みとること、それがとてもたいせつな歴史の学びであります。
その観点にこそ、学問が本当に人間的な学問に生まれ変はる可能性が秘められてゐます。
そのやうな過去を遡るべく営まれ育まれる「考へる力」が、さらに、未来を創り出す「考へる力」へとなり変はります。
未来の人たちに対する信をもつて、愛をもつて、親しさをもつて、「考へる力」へとなり変はります。
歴史を考へる力は、未来を創る力へとなり変はります。
そのやうな「考へる力」によつて織りなされた歴史こそが、未来の人たちの生きる指針、生きる理想ともなります。
考へる力は、過去を検証し、自然に潜んでゐる法則を説き明かすものですが、また、いまだこの世には存在してゐないものを新しく産み出す力でもあります。
そのやうな「考へる力」を育んでいく。
わたしたち現代人の大きな課題のひとつです。
2018年06月01日
こころの環境
皆が皆、横並びになるやうな生き方に甘んじず、ひとりひとり、高みを目指す生き方をすればいい。
各々の精神の向きに従つて、男も女も切磋琢磨して己れを磨けばいい。
わたしは、先人に学びたい。
先人とは、生きてゐる現世の人ではない。
この世を去つて数十年、数百年、数千年経つても、厳としてわたしのこころの前に直立してゐる方々である。
彼らが残した仕事の価値は、時の流れの試練をくぐり抜けて、今も果てしなく重く、高い。
彼らが残したのは、「ことば」である。書かれた「ことば」である。
その「ことば」は、ひつそりと静かに慎んでゐながら、それを読みに来る人、聴きに来る人、摑みに来る人を待つてゐる。
その「ことば」にあらはれる人のこころに思ひを致すことがたいせつである。
そしてこれからは、そのやうなこころが成り立つ環境を配慮しなければと考へてゐる。
人のこころを精神に向かつて高く育て上げる環境を創つていきたいと思ふ。
2018年05月20日
文学サロンとしての百年長屋


大阪の玉造にある百年長屋での言語造形クラス。
この春で、もう丸四年。不動のメンバーです。
皆さん、教師をされてゐた方々。
その豊穣な経験から来るふところの深さだけでなく、果敢なチャレンジ精神たるや!
古典から現代のものまで、様々な文学作品に毎回チャレンジされて、肉声のことばの響きによる文学サロンと化してゐます。
講師のわたし自身、この百年長屋での時間、楽しくて仕方がありません。
この百年長屋は、落語や浪曲、講談、狂言などの日本の古くからの語り芸の他、源氏物語の勉強会、水彩画教室や書道教室、オルガン演奏会など、様々な文化の発信地となつてゐます。
2018年05月18日
朝のメディテーション
清らかな光が溢れ出る
大いなる神が輝いてをられる
あらゆるものへの清らかな愛
わたしのこころも神の如く輝く
わたしは大いなる神と共に安らふ
わたしはわたしみづからを見いだす
大いなる神に包まれて
ルドルフ・シュタイナー
朝の静けさの中で、この七行の文をこころに唱えて、一日を始めます。
2018年05月16日
びくともしない美しさ
正岡子規といふ人が、毛唐の大砲や軍艦をもつて攻めてきても、びくともしない日本文芸を作るのだ、と、どこかに書いたさうです。
明治の人のことばですので、いま、聞くと、二重にも、三重にも、訳が分からず、藪から棒、奇妙奇天烈に感じられるでせう。
これは、人のこころの奥深くに育むべき精神は必ず土着のものでなければならない、といふことを言つてゐます。
自分の国の古典作品に出会つていくことは、外国作品に出会つていくことよりも、いまは縁遠いことのやうに感じられます。
しかし、自国の古典や物語はほとんど知らず、他国の作品には親しんでゐる、そのありやうは、どう考へても、おかしくはないでせうか。
自分の国の文物に対する縁遠さは克服していつていいのではないか。
言語造形をすること、言語造形を聴くことをもつて、我が国の昔話や古典作品に向かい合ふひとときを重ねていくことができます。
そしてだんだんと、この国に暮らしてきた先つ祖(さきつおや)たちの、こころのありように親しみを感じてきます。
そのやうに文学に親しんでいくことから、だんだんと、自国の歴史といふものを、情でもつて受け止めてゆく。
歴史といふものを、闘ひと殺戮の事件報告ではなく、人が大切な何かを、誰かを、愛さうとしたことを伝へる、精神からの叙事文学であり、抒情文学なのだと捉へる練習を重ねていくのです。
先つ祖(さきつおや)たちが歩んできた文化の営みを尊び、愛するほどに、きつと、未来の人たち、未来の子どもたちの暮らしに対する責任の情も、おのづから高まつてきます。
それが、過去の人たちと未来の人たちを繋ぐ、わたしたち現在に生きる者の、国に対する愛、地球に対する愛なのではないかと、個人的に捉へてゐます。
愛する気持ちだけが、栄えさせる。己れを愛するものだけが、己れを栄えさせるやうに、家族を愛する者が、家族を栄えさせるやうに、国を愛する者が多ければ多いほど、その国は栄えてゆくでせう。
ひとつの国が栄えるとは、覇権を誇ることではなく、暖かく開かれたこころと精神がおのづから湧き上がつてくることですし、それは世界まるごとが栄えることに繋がつてゆくことでせう。
ひとつの国が栄えるとは、静かに己れの分を守り、己れを愛するほどに他を尊び、静かに他と和することができる、そんな精神のありようが時と共に益々顕れてゆく、といふことです。
過去、何千年にもわたつて、日本の美しさは、米作りを中心にした暮らしの中に息づいてゐました。
米作りの暮らしから折々の祭りが営まれ、ことばが神と人とを繋ぐ美しさを備へてゐました。
そのことばの美しさ、暮らしの美しさがこれからも守られ、育まれるほどに、他国の人から喜びと尊崇の念いとが寄せられるでせう。
ケニア人も、アメリカ人も、フランス人も、ロシア人も、中国人も、すべての外国人たちにとつて、日本人おのおのが己れのこころの奥底に流れてゐる美を自覚し、日本で暮らすといふことが独自の美しさを取り戻すほどに、そのことは尊い喜びになるでせう。
美しさは儚いものだと言ひますが、あへて、云ふなら、びくともしない美しさ。それこそが土着の精神です。
それは、ひとりひとりの人がちよつとしたきつかけを得て、暮らしの中で実践し、発展させてゆくことのできる、文化創造です。
2018年05月13日
和歌山 キリスト生誕劇創り始まりました



和歌山県岩出市のMitteの庭のキリスト生誕劇創りが今年のクリスマスに向かつて始まりました。
この劇創りに参加することを決めたお母さん方の情熱とまっすぐに伸びていく声と笑顔!
子どもたちも、これからだんだんと、おほらかに伸び伸びと声を響かせる練習をしていきます。
「静かさと敬虔さと穏やかなユーモアに満ちたクリスマスの夜。こんな年の暮れの過ごし方があるのか」
そんな想ひを、和歌山の多くの人と分かち合ふために生誕劇創りに取り組んでいきます。
以下に、Mitteの庭の記事をシェアさせてもらひます。
ーーーーーーーーーー
第2回目のえんげき塾。
こどもたちは親子で、手足を動かしながら詩やわらべ歌などを唱えます。
大人たちは、本格的に生誕劇の練習に入りました。
みな、宗教とは関係なく、この生誕劇に取り組む意味を感じています。
クリスマスに向けて、私たち自身の中にある幼子に光を当てながら、ともに創っていくこの生誕劇。
そこには、信頼と対話が間違いなく必要です。
恐れず私のことばを放つこと、人とつながることで、私たちはまた新たな気づきををたくさんもらいます。
みなが演劇を通して自由になること、それぞれの光が輝き出し、そしてそこが信頼を育んでいく場になることが何より幸せなことなのです。



2018年05月09日
乙女座からの贈り物
先日のシュタイナー教員養成講座でもお話しさせてもらつたのだけれど、子どもたちだけでなく、まづわたしたち大人自身が、ものをよく「みる」こと、じ〜つと「みる」ことから始めることの意味深さ。
「みる」といふことばの底には、「愛(め)づ」「愛(め)でる」といふ極めて感情的・意欲的なことばが息づいてゐる。「愛(め)づ」といふことばから「めづらし」といふことばも生まれる。
人は、何でも見てゐるやうに思ひ込んでゐるが、愛してゐるものしか、実は見てゐないし、見えてゐない。
何かを「愛でる」。だからこそ、その何かを「みる」ことができる。
その「みる」といふことばは、他の動詞に付くことでその行為をますます意欲的な行為へと押し進める。
「触れてみる」「動いてみる」「立つてみる」「嗅いでみる」「味はつてみる」「見てみる」「湯加減をみる」「聴いてみる」「話してみる」「感じてみる」「考へてみる」「会つてみる」・・・。
おほよその動詞に付くことのできる「みる」。
人がその意欲的な行為をするための働きを、大いなる世から与へてくれてゐるのは、乙女座のお宮である。
乙女座。それは永遠の乙女であり、永遠の女性性であることの宇宙的表現である。
「みる」といふ行為は、対象に光を当てる働きであり、光を当てることによつて、その対象からその対象たるところ、本質といふものを引き出す愛の働きである。
だから、「みる」は多くの動詞に付くことで、その行為を意欲的なものに、愛に満ちたものにする。
本を読むとき。
本といふ人格と精神が総動員されてゐるものを、まづは、徹底的に信頼して、愛して、目を皿のやうにして愛でて読むことによつて、本は秘めてゐる秘密を初めて打ち明けてくれる。
さうして、そんな「みる」といふ意欲的・感情的な行為から、やがてゆつくりと「考へる」「知る」といふ対話的行為へと、こころが深まつてゆく。
そんな行為にいざなふ本こそが、読むべき本だと感じる。
昔の日本人は、そんな「みる」力を相当強く養つてゐたやうだ。
結婚するために、「お見合ひ」をする。
そのとき、相手の年齢や職業などをそこそこ弁えるだけで、あとは、ほとんど、「一目でみて」決めてゐた。
相手の趣味や収入や性格やその他様々な情報などは置いておき、たつた「一目みて」こころを決める力を持つてゐた。
さういふこころの力を育むことが教育の基だと念ふ。
2018年05月08日
双子座からの贈り物 〜天の香具山にて萬葉の歌を歌ふ〜
お天気に恵まれたゴールデンウィーク、わたしたちは最後の日に、天の香具山の上で萬葉集の歌をはるばると大和の国を見晴るかしながら歌つたのでした。
最寄りの駅から香具山まで歩いてゐて、数羽のひばりが田や畑の地から盛んに囀りながら空に向かつて舞ひ上がつてゐました。
わたしたちを迎へてくれてゐるなあ、と感じたものです。
萬葉集の歌は、我が国のことばの芸術の最高のものだと思ひます。
ことばの芸術、それはそもそも、人と人との間で歌ひ交はされるものです。さらには、人と神との間で歌ひ交はされるものです。
ことばのお宮、それは双子座にあります。
ふたりの子どもが、無心になつて遊んでゐる。
そんな遊びの中でこそ、ことばが美へ向かつて息づきはじめます。
遊びといふ遊びは、つまるところ、美へと向かひます。
子どもは、美を求めて、遊び続けます。
そして、すべての子音は、そもそも世とはこんなにも美しいものなのだということを伝へようとしてゐます。
すべての母音は、そもそも人のこころとはこんなにも美しいものなのだといふことを伝へようとしてゐます。
大いなる世、マクロコスモスでは、双子のお宮が、ことばを聴きあひ、歌ひあふための感官の働きを、人といふミクロコスモスに贈り物として授け続けてゐます。
ルドルフ・シュタイナーとマリー・シュタイナーも、双子が遊ぶやうにして、そんな言語造形といふことばの芸術を産み出したのでせう。
2018年05月07日
江崎道朗氏講演『激動の東アジア、日本の命運』に参加して
ものごとを現実から取り出すといふことに、
〈考へ〉をつなぐことが最も下手なのが、
社会主義を理論に於いて導かうとしてゐる人たちです。
その理論は、
ことばの説き明かしの堕落した形の最たるものです。
さういふ人たちは、
現実の何がしかをわきまへてゐるつもりですが、
その人が話し始めると、
空っぽなことばの殻をもつてやりくりします。
ーーーーーー
上のことばはルドルフ・シュタイナーが『普遍人間学』講座、第七講で話してゐることです。
できうる限り、現場に於いて、ものをよく観ること、よく聴くことを基にして、ものごとを現実から取り出すことがどれほど大切か。
そのことを近現代史研究家であり、国家安全保障の専門家である江崎 道朗 (Michio Ezaki)氏の講演で、眼から鱗が落ちるやうなお話しと共に今日は学ぶことができた。
【正論サロン 江崎道朗氏講演『激動の東アジア、日本の命運』】
世には、政治といふ極めて熾烈なバランス感覚を働かせながら、人と人とを結び、国と国とを結ぶために骨身を削つて行はざるをえない仕事がある。
さういふことがらについて本で読むだけでなく、今日のやうに、著者ご本人の生の声で学ぶことのできるありがたさよ。
この国の文化、暮らしに息づいてゐる人々のこころの安らかさと確かさと健やかさを、わたしも守つて生きていきたい。
そのための学びをこれからの日々、懸命に進めていきたい。
2018年05月05日
泉佐野での三日間連続、シュタイナー教員養成講座
大阪泉佐野でのゴールデンウィーク三日間連続のシュタイナー教員養成講座。三日間、この赤ん坊もずつとつきあつてくれました。『古事記』の言語造形をしてゐる間も、ずつと笑ひながら、はいはいして、もう、可愛くて可愛くて。
参加者の皆さんも、『普遍人間学』、言語造形、共に活き活きと取り組んで下さり、皆さんの熱とわたしの熱が混じり合ひ、嬉しくありがたい限りでした。
アントロポゾフィーは、認識の道にせよ、芸術の道にせよ、人をできうる限りのアクティビティーへと促します。
2018年05月01日
ていねい
わたしは、一冊の本をていねいに読んでゐるだらうか。
一枚の絵をていねいに観てゐるだらうか。
家族とていねいに時間を過ごしてゐるだらうか。
行くところ、行くところで、ひととき、ひとときを、ていねいに生きてゐるだらうか。
たいした用もないのに、こちらからあちらへと、忙しい、忙しい、と言いながら動き回つて、そのとき、そのときを雑に扱ひ、自分自身の存在自体をも雑に扱つてはゐないだらうか。
ゆつくりと、腰を落ち着けて、ていねいに、生きる。
それだけである。
一枚の絵をていねいに観てゐるだらうか。
家族とていねいに時間を過ごしてゐるだらうか。
行くところ、行くところで、ひととき、ひとときを、ていねいに生きてゐるだらうか。
たいした用もないのに、こちらからあちらへと、忙しい、忙しい、と言いながら動き回つて、そのとき、そのときを雑に扱ひ、自分自身の存在自体をも雑に扱つてはゐないだらうか。
ゆつくりと、腰を落ち着けて、ていねいに、生きる。
それだけである。
2018年04月21日
楠公さんと明治維新
今日は、南朝の忠臣・楠木正成を神としてお祀りする神戸の湊川神社に行き、明治天皇によつてこの社の創祀の御沙汰がなされて150年周年記念のシンポジウムに参加した。
一坂太郎氏の基調講演「楠公さんと明治維新」、また湊川神社の宮司・垣田宗彦氏その他の方々によるパネルディスカッションで、計4時間以上の時間があつといふ間に過ぎていつた。
楠木正成が死して残した志と、その志を引き継いだ幕末維新の志士たちのことを、様々な角度から考察することのできた、非常に有意義な時間だつた。
また、楠木正成の国を護らうとする志だけでなく、細やかな人としての情の深さを教えてもらへたことも、とても嬉しかつた。
神社奥にある彼が自決した場所に立つて、お祈りをしたときの風と光の優しさと静けさが、何かをわたしたちに伝へようとしてくれてゐるやうに感じられて仕方がなかつた。
2018年04月18日
今晩8時 ラジオ番組「しぃーん〜walking with you〜」

度重ねてのお知らせ、恐縮です。
インターネット・ラジオで、言語造形といふことばの芸術について、また日本の古のことばの芸術作品『古事記』について語らせていただきました。
今晩8時から30分間の再放送です。
http://www.yumenotane.jp/kansai-wed
日本人がそもそも育んでゐた「ことばへの信頼」「ことばへの信仰」について、そしてわたしたち「ことばの家 諏訪」が志してゐることについて話してみました。
パソコン・スマホなど、インターネット環境があれば、どこでも無料で放送が聴けます。
よろしければ、ぜひ、お聴きください。
中田ゆかりさんによる、
ネットラジオ番組「しぃーん〜walking with you〜」
水曜夜8時から
ゆめのたね放送局
関西チャンネルで放送中☆
〈ラジオ「ゆめのたね」の聴き方〉
@【関西チャンネル タイムテーブル】のページ
↓
http://www.yumenotane.jp/kansai-wed
A今夜8時になれば
B「関西チャンネル」下の再生をクリック
*つながるまで、数十秒かかる場合があります。その時は少々お待ち下さい。

2018年04月17日
住吉の価値、そして神功皇后

住吉大社の権禰宜を務めてをられる方とじつくり話しをさせてもらつた。
ここ住吉がどれほど歴史的、文学的に、引き出しの多い地であるか。
数限りない歴史的旧辞・旧跡をとことん知り尽くされてゐる方との話しは、いつまでも語り合つてゐたい魅力に溢れ切つてゐた。
神社であれ、どのやうな団体であれ、大きな組織になるほどに、旧態依然としたあり方を守つてゐるだけでは、さういふ精神的文化がおのづから磨滅して行つてしまふ。
だからといつて、新奇さを狙ふものなど、箸にも棒にもかからない。
聖と俗との両面を包含しながら、時の試練を潜り抜けて永遠の価値を放出し続ける場所。
それが、神の社であらう。
住吉の大神の御鎮座をここに導き住吉大社を創建された神功皇后を、その御存在にふさわしく顕彰し、芸術的に物語つていく。
そんな仕事が、神功皇后ご逝去1750周年の来年、待つてゐる。
ここ住吉の地が、住吉大社を中心に、歴史的・文化的・精神的な視野の中で新しく多くのこころある人に見いだされるやう、わたしも微力ながら邁進していきたい。
2018年04月12日
窓を大きく開け放つ
窓を大きく開け放つと、かうも見える景色が変はるものなのか。
これまでの自分がどれほど窓の扉をほんの少ししか開いてゐなかつたか。
どれほど、自分を守らうとして戦々恐々としてゐたことか。
それは、大きく開けてみて初めて分かることだつた。
精確にいふと、自分で開けたのではなく、大いなるものがわたしのために開けてくれた、といふ紛れもない感覚だ。
こんなにも、静かで、安らかで、晴々とした景色が拡がつてゐたのか・・・。

