我が家の長女も十四歳。七年期を二つ通り抜けて、所謂「難しいお年頃」も、はや過ぎ、もうひとつ別の次第に入つてきました。
親子の間、家庭の中に、日々いろいろなことが起こりますが、いま、とりわけ、かう感じてゐます。
生まれてから十四年間、彼女は父と母のことをとてつもなく大きな愛と無条件の信頼で見守つてくれ、なによりすべてを許してくれました。
これからの七年間は、こころの自立に向かつてゐる彼女を、わたしたち夫婦が、からだもこころもべつたりだつた時のやうな愛ではなく、より精神的な愛と信頼をもつて見守り、その自立を促し、世間へと送り出していく時期なのだなあ・・と。
さう感じてゐる今日この頃、自分は男であり、娘との向かひ合ひにも必然的に意識的にならざるをえません。そこで、改めて、「父親」といふ役割について考へることが最近増えてきました。
わたしは、このご時世の中、いろいろなものが入り混じつてゐて、ここ日本が東洋なのか西洋なのか、判然としないありさまに生きてゐます。
世の中には様々な価値観があり、また時の移り行きの中で、その時代その時代特有の価値観もあると思ふのですが、わたしはひとりの日本人として、何か確かなもの、美しいと感じられるもの、地に足の着いた土着のもの、つまり我が国固有の文化を求める気持ちの高まりを強く感じてゐます。
そこで、先の大東亜戦争の敗戦以前の、日本の家庭観、日本の父親像と云ふやうなものを調べ、考へてゐます。
戦後のあまりにも偏向した左翼的な教育思想から、できるかぎり自由になりたいと考へてゐます。
シュタイナー教育などを学んでゐるわたし自身、決して、我が国ならではのこの家庭観を忘れず、守り続け、この文化の礎の上に立ちながら、新しくて古い「人間教育」を追ひ求め、実践していきたいと希つてゐます。