2019年12月09日

健やかな判断力

 
 
知識の図式化・組織化はできるのだらうけれど、 
判断力の組織化はできない。
 
 
いいか、悪いか。
 
 
美しいか、醜いか。
 
 
まことか、嘘か。
 
 
判断を下すのに、公式も図式もない。
 
 
その判断は、その時、その場で、
その人によつて、なされる。
 
 
だから、判断力とは、
知性や教養よりも深いところでなされる、
働きである。
 
 
では、判断力といふ、
人が生きて行く上でなくてはならない力は、
どこから生まれて来るのか。
 
 
それは、知性ではなく、
その人の内側で育まれて来た、
感じる力、情の力である。
 
 
だから、人は、少年少女の時にこそ、
感じる力・情の働きを育むことこそが、
最も肝要である。
 
 
混迷を極めるこの世において、
これから、ますます、人は、
何を選ぶか、どちらを選ぶか、
判断を迫られることが増えて来るだらう。 
 
 
健やかな判断力。
 
 
それは、
その人の感じる力をもつて、
そのつど、その場で、なされる。

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2019年12月08日

ものが見え過ぎる人

 

先日、ある友人と話しをしてゐて、
様々なことを思ひました。
 
 
長いお付き合ひの中で、
感じてきたことですが、
その人は言はば、
「ものが見える」人でした。
 
 
「ものが見え過ぎる」人、
と言つてもいいかもしれません。
 
 
さて、
今日12月8日は、
大東亜戦争の火蓋が切つて落とされた日ですが、
その戦時の真っ只中に、
文芸批評家の小林秀雄が書いた古典論のひとつ、
「徒然草」といふ短い一篇があります。
 
 
その中で、こんなことが記されてゐます。
 
 
――――――
 
 
(吉田兼好の)あの正確な鋭利な文体は
稀有なものだ。
 
 
一見さうは見えないのは、
彼が名工だからである。
 
 
『よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。
 妙観が刀は、いたく立たず』、
 
 
彼は利き過ぎる腕と鈍い刀との必要とを
痛感してゐる自分の事を言つてゐるのである。
 
 
物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか、
これが『徒然草』の文体の精髄である。
 
 
――――――
 
 
「ものが見え過ぎる」人の苦悩は、
ものの見えてゐないわたしなどには、
到底分かりやうのないものだと思ひます。
 
 
その友人は、だからこそ、
外側の世界に向かつて己れを表現するときには、
きつと「少し鈍き刀を使」つてゐることでせう。
 
 
おのづから手にしてしまつてゐる鋭過ぎる刀では、 
外の世をあまりにも鮮やかに切つてしまふからです。
 
 
わたしなどの凡庸な者にできることは、
そのやうな友人が語らざるところをこそ、
我が乏しい力でも、なんとか、
汲み取り、聴き取ることです。
 
 
いや、そのことをどれほど、
し損ねてきたことか、
忸怩たる念ひがあります。

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2019年12月02日

精神が泣かないやうに



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一冊の本を書棚から引き抜き、
頁を開いて、
一行一行読んで行く時、
当り前のことだが、
その時、他の本を読むことはできない。
 
 
その時には、
わたしはまさにこの一冊を選び取つてゐる。
 
 
この世に幾千万とある他の本を読むことはできない。
 
 
他のすべての本を読むことを断念しなければならない。
 
 
そこで、もし、いま、
この一冊といふ本を選び取つて、
その一頁一頁に向かひ合ふならば、
わたしはみづからがみづからに課す責任において、
その一頁一頁を全力で読みたい。
 
 
ややもすれば、
今読んではゐない本のことを、
ちらちら思ひながら、気にしながら、
こころここにあらずの状態で
本を読んでしまふ。
 
 
しかし、さうではなく、
今向かひ合つてゐるこの一冊に、
己れのまるごとをもつてぶつかつて行きたい。
 
 
なぜならば、
己れの自由の精神のもとにおいて、
このひとときをみづから選び取つたのなら、
そこに己れの全精力を注ぎ込まねば、
己れの精神が泣くではないか。
 
 
これは本を読む時だけでなく、
わたしたちの一挙手一投足に
かかはつて来ることだと思ふ。
 
 
わたしたちは己れの行為を
自由の精神のもとでみづから選んでゐる。
 
 
それならば、
その行為そのものを
〈わたし〉の行ひとして、
全精力をもつて行ひたい。
 
 
その時に、人は、
この人生を支配しようと襲ひかかつてくる、
相対性といふ甘い罠から脱し得ることができる。
 
 
〈わたし〉は、ここにゐる。
 
 
この〈わたし〉は、
この世でたつたひとりの人であり、
わたしがそのことを選び取つたのだ。
 
 
精神とこころとからだが重ね合はさる
絶対の境に立つことができる。

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2019年11月25日

若さと老い

 
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若い時、わたしはよく人と群れてゐた。
 
 
しかし、内においては、孤独であつた。
 
 
なぜなら、からだをもつて生きてゐたから。
 
 
からだは、ひとつひとつ離れてゐるから。
 
 
年老いるに従ひ、群れずに仕事をするやうになつてきた。
 
 
しかし、内においては、世と繋がつてゐる。
 
 
なぜなら、精神において生きるやうになるから。 
 
 
精神は、時空を超えて、自由自在に交はりうるから。
 
 

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2019年11月24日

道を訊く



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大神神社摂社の桧原神社から西の二上山を臨む道


携帯もスマホも持たないわたしは、
初めての場所に行く時、
よく道に迷ひ、
よく道ゆく人に道を訊きます。
 
 
特に、旅してゐる時など、
見知らぬ土地で、
見知らぬ人に、
道を訊くことが楽しみでもあるのです。
 
 
道で人から話しかけられることに、
警戒する人もゐますが、
なぜか喜んで案内して下さる方もゐます。
 
 
さういつたことも、
文明の機器を持たないことから得られる、
人とのふれあひです。
 
 
五十五才にならんとする自分も、
人に道を尋ねる時は、
なぜか、
二十五才くらゐの自分になつてゐます。
 
 
不思議な感覚であります。
 
 


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老いることと考へる力

 
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先日、ある方とお話しをたつぷりすることができた。
 
 
その方は、わたしよりも八歳年長の方であつたが、
精神的には、もつと年上の方であるやうに感じた。
 
 
それは、その方の考へる力から来るやうに思はれた。
 
 
人文学の領域であるが、
古典文学その他の読書の量が本当に豊かであられる。
 
 
そして、
御自身独自の見識をしつかりと保持されながら、
話し相手であるわたしのことばにも、
注意深く耳を傾け、
それに対して、
確かな口調で答へられる。
 
 
読書で育まれた考へる力によつて、
対話といふものを、
健やかに爽やかに営むことができることを、
その方は身をもつて証明してをられる方だつた。
 
 
対話とは、
考へる力と、
感じる力と、
それらをことばに鋳直す力、
これら三つの力の共同作業である。
 
 
さらには、
聴く力である。


人は、五十から六十の年齢へと進んで行くにつれ、
若い時のやうにからだは利かないし、
こころもみづみづしさや弾みを失ひがちだ。
 
 
さうして、さらに老いていくに従つて、
考へることや言ふことも、
的を得なくなり、
どこか支離滅裂になつていくことを見るのは、
とても、とても、悲しいことだ。
 
 
からだは老いていく。
 
 
しかし、その衰えていくからだの甦りの力が、
考へる力・精神の力としてなり変はりゆく。
 
 
さうして、こころは、
みづみづしさを失ふことを避けることができる。
 
 
精神の働きによつて、
こころは、若々しくあることができるし、
年令を重ねることによつて、
熟していくことができる。
 
 
ただ、そのためには、
からだから自由になる考へる力を
うまく汲み取ることを、
若い頃から先だつて習ふことが必要になる。
 
 
理想をもつて生活し続けること。
 
 
自分などよりも、
遥かに上を行く存在があることを知つてゐること。
 
 
己れのライフワークがあることを自覚してゐること。
 
 
それらは、
読書によつて、
歴史を知り、
文学を知り、
人生を感じ、
己れを知りゆくことからこそ、
生じる意識である。
 
 
生命力は、
からだを保持する働きからだんだんと、
こころを精神に向けて、
透明にしていく働きへとなり変はつてゆく。
 
 
さうして、
みづからのこころに炎をつけることもできる。 
 
 
若いうちから読書を通して、
考へる力を養ひ続けることは、
人生の終盤において、
何かが深く違つて来るだらう。
 
 
そのことは、
男性も女性も変はりはない。
 

生きてゐて、
先達に出会ふことができるといふことは、
ありがたく、仕合はせなことだ。
 
 

 


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2019年11月18日

自分自身の声を好きになること


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今日も、
保育園の0〜2歳児、3歳児、4歳児、5歳児、
それぞれのクラスで昔話をさせてもらひました。
 
 
そして、
その保育園の先生方と
言語造形のワークショップをしたとき、
おひとりおひとりの先生に、
こんなことを訊きました。
 
 
皆さんは、
御自身の声が好きですか。
 
 
すると、すべての先生が、
嫌ひだとお答えになりました!
 
 
そこで、こんなお話をさせてもらひました。
 
 
先生といふ職業は、
その存在まるごとで、
子どもたちに向き合ふお仕事。
 
 
だけれども、まづもつて、
子どもたちに働きかけるのは、
先生の声とことばです。
 
 
その先生自身が、
御自身の声を好きになれないとしたら、
その好きになれない声で、
子どもたちに話しかけることになりますね。
 
 
声とことばが、
人にとつての道具だとするなら、
その人自身が愛してゐない道具で
決していい仕事はできません。
 
 
声とことばは道具だと言ひましたが、
道具にしては、あまりにも、
我が身と我がこころに密着している道具です。
 
 
だからこそ、まづもつて、
我が親しい道具である、
自分自身の声を好きになることから始めませう。
 
 
そんな話をさせてもらひました。
 
 
その後、保育園からの帰りの電車の中で、
こんなことを考へました。 
 
 
なぜ、自分自身の声が好きになれないのだらう。
 
 
たとへば、
録音された自分自身の声を聴く時の違和感。
 
 
自分は、こんな声で話してゐるのか!
 
 
そのショックは、
どこからやつて来るのだらう。
 
 
もちろん、
録音された音声は、
生の音声とは質が全く違ふ。
 
 
しかし、本質的なこととして、
そのショックは、
普段、自分自身の声に耳を傾けることが
ほとんどないことから来てゐる。
 
 
思ひ切つたことを言つてみよう。
 
 
そもそも、ことばとは、
意を伝へるものではない。
 
 
ことばで、
自分自身の言ひたいことが、
他人に伝はると、
本当に思ふか。
 
 
どこまで、ことばを尽くしても、
人と人との間には、
常に理解の差異が存在しないだらうか。
 
 
むしろ、ことばとは、
自分自身が聴くために、
発せられる。
 
 
自分が発する声とことばに、
どこまで、
自分自身が耳を澄ますことができるか。
 
 
その瞬間瞬間に、
わたしたちは、
ことばといふものの本当の価値を感じる。
 
 
自分の声を好きになるには、
自分自身の声を、
よおく聴くことだ。
 
 
自分自身の声とことばに、
よおく意を注いであげることだ。
 
 
そもそも、
どの人の声も、美しいのだ。
 
 
その美しさは、
人から、
自分自身から、
意を注がれて、
初めて顕わになる。
 
 


 
 



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2019年11月01日

「利用」と「入門」の違ひ



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この言語造形といふ芸術に携わはり始めて、
二十六年ほどになります。
 
 
東京で、師匠のもとに入門して七年を過ごし、
地元の大阪に帰つてきて、
なんとかこの芸術を仕事にし始めました。
 
 
ですので、いはゆる「言語造形をする人」として、
ひとさまの前でひとり仕事を始めて、
約二十年が経つたことになります。
 
 
お陰様で、この仕事ひとつで、家族四人が、
幸せに暮らしていくことができてゐることに、
本当にありがたい念ひがします。
 
 
この芸術を自分の「仕事」にすることができたのは、
ひとへに、
「入門」したからだと確信してゐます。
 
 
「入門」とは、
文字通り、「門」に入ることです。
 
 
それは、身を預けることです。
 
 
わたしの場合は、月曜日から金曜日まで、
毎日、師匠のもとに通ひました。
 
 
大切なことを学ぶことができたのは、
師匠といふ「人」がこの世に存在してゐたからでした。
 
 
言語造形といふ芸術に身を投じてゐる、
まさにその人あつてのことでした。
 
 
そこで毎日繰り広げられてゐたのは、
まさに、人と人とのわたりあひに他なりませんでした。
 
 
七年間、毎日、です。
 
 
そのやうな「毎日」があつたからこそ、
師匠の許から離れた後、
その「毎日」が「仕事」として結晶化し、
おのづから世に発展・展開していきました。
 
 
それは、能力のあるなしが問題なのではなく、
積み重ねてきた「時間」と「労力」と「精神」の問題です。
 
 
わたしは、とりわけ、「時間」といふものの積み重ねは、
決して馬鹿にならないものだといふことを、
この身で実感してゐます。
 
 
既定の自分のできる範囲でしか動こうとせず、
何かを、誰かを、「利用」しつつ、
それを「仕事」にすることは、
決してできません。

 
その「入門すること」と「利用すること」の
違ひが、現代人の多くに分からなくなつてゐるやうです。
 
 
わたし自身、その違ひに対する認識が、
これまで甘かつたがゆゑに、
自分の生徒さんたちに、
このことを明確に伝へてゐ来なかつたことを、
痛感してゐます。
 
 
よつて、何人かの人が、
「入門」してゐないのにも関はらず、
それを「仕事」にしようとしました。 
 
 
さう、いくらでも「利用」していいと思ふのです。
 
 
それは、現代人にとつて、ごくごく、
当たり前のことです。
 
 
しかし、
その「利用」と「入門」とは違ふのだ、
といふことは明確にするべきです。
 
 
「入門」しなければ、
仕事にはならないこと。
 
 
より精確に言ふと、
「入門」してゐなければ、
片手間の仕事にはなるかもしれませんが、
決して、本物の仕事として展開していかないこと。
 
 
このことは、平成の三十年間には、
誰も教へてくれなかつたことのひとつです。
 
 
だから、現代人は、
この「利用」と「入門」の違ひを、
「知らない」のです。
 
 
「入門」できる仕組みを創ることでしか、
このことは、現代人には分かり得ないことでせう。

 
これは、
派閥を造ることとか、
王国を築き上げるといふやうなこととは、
精神を異にすると確信します。
 
 
言語造形といふ芸術を、
まこと、この日本の地に根付かせ、
芽を出させ、
花開かせ、
稔らせること、
そのために他なりません。
 
 
わたしの令和年間の仕事は、
そのための仕組みを創り始めることです。
 
 
師匠がして下さつたやうに。
 
 


『言語造形と演劇芸術のための学校』
https://kotobanoie.net/school/
 


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2019年10月27日

「現実」といふ詩


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現実に己が身の周りに起こることごとと、
〈わたし〉が抱かざるをえない「理想」とは、
どういふ関係にあるのだらう。
 
 
着々とその「理想」が現実化してゐる一方、
その「理想」を嘲笑ふかのやうな出来事も目の前で起こる。
 
 
そのやうな出来事が起こるたびごとに、
自分自身の「理想」など、
身の程知らずの愚か者が喋々する「夢物語」に思へてくる。
 
 
そんな「理想」を喋々してゐる自分自身への不信感に苛まれる。
 
 
自己不信の淵に立つてしまふとき、
わたしには昔の人の事績に救われる思ひがする。
 
 
偉大な先人は、皆、苦闘されてゐた。
 
 
甘い道など、何もなかつた。
 
 
再読してゐる最中の保田與重郎の『後鳥羽院』の頁をまた開く。
 
 
ーーーーー
 
 
限あれば さても耐へける 身の憂さよ
民のわらやに 軒をならべて
 
 
この遠い孤島(隠岐の島)に十九年の歳月を送られたことは、
ご壮健の玉体によるとはいへ、
それ以上に激しい精神と烈々の意志に、
末世の我らは畏れ多い教訓さへ感じられたのである。
 
 
(後鳥羽院の詩心は)
廣い茫漠とした天地と人間の歴史からわく感銘の自己反省であらうし、
ある永遠な決意と志の詩化である。
 
 
ーーーーー
 
 
志を貫かうとされた人が、
外的な敗北ゆゑに、
内なる精神が光り輝くありやうを、
かういふ文章からも知ることができる。
 
 
いや、そのこと以上に、
失意の中でも「理想」を決して手放さうとはなさらなかつた、
後鳥羽院の孤島での日々の過ごされ方に、
驚異を覚えるのだ。
 
 
偉大な先人と自分を比べるのは、
余りにもの不敬の誹りを免れえないが、
しかし、その精神のありやうに、
わたしは最大限に励まされる。
 
 
「理想」を生き抜くためには、
毎日、「理想」を熱く考へることではないだらうか。
 
 
毎日、その「理想」と内においてひとつになること。
 
 
毎日、この「道」を歩くのだといふ決意を、
新たにすること。
 
 
そして、毎日、少しずつでも、
この「理想」を現実に行為に移すことである。
 
 
毎日、考へ続けることを通して、
「理想」を決して手放さず、
毎日、決意と志から、
「現実」といふ詩を作ることである。



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2019年10月25日

尊敬する存在


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平櫛田中作「養老


 
わたしたちは、各々、
尊敬に値する人をこころに持つてゐるだらうか。
 
 
もし、持つてゐないといふのなら、
それは、しんどいことだ。
 
 
生きて行く上で、
それはとてもしんどいことである。
 
 
人は、
敬ひ、尊ぶ存在を、
こころにしつかりと持つてゐることで、
人になるのだから。
 
 
自分自身になるのだから。
 
 
人が人であることの感覚。
 
 
それは、他者を敬ひ、尊ぶことから、
だんだんと育まれていく。
 
 
幼な子は、皆、
この念ひを無意識に持つて生まれてくるのだが、
小学校に入つて数年経つうちに、
その念ひを失くしてしまふことがある。
 
 
大人になつて、その念ひを失つてしまつてゐる人は、
自分自身の意志でその念ひを持つことができるやう、
自分自身を導くことで、こころが健やかさに向かつていく。
 
 
 

日本に於いては、歴史の中で随分と長い間、
人が人であることの感覚が育まれてゐた 。
 
 
それは、ひとりひとりの民が、各々、
尊敬する存在を持つことで育まれてゐた感覚であり、延びてゆく道であつた。
 
 
生きていく上でのお手本を見いだすことで育つてゆく樹木であつた。
 
 
樹木が育つていくためには、
上から陽の光と雨水が降り注がれなければならないやうに、
とりわけ、子どもにとつて、そのやうな尊敬に値する存在が必要なのだ。
 
 
子どもは、
尊敬する存在が傍にゐてくれることで、
健やかに成長していく。
 

実は、大人だつて、さうである。
 
 
あなたには、尊敬する人がゐるだらうか・・・。
 
 
大人になつてゐる以上、
おのづと尊敬できる存在が目の前に現れてくることはない。
 
 
尊敬する存在を自分自身の意志で持つことだ。
 
 
さうすることで、人は、
己れのこころが健やかに浄められるのを感じることができる。
 
 
人は、
己れよりも、高い存在がゐる、といふことを認めることで、
初めて謙虚になることができる。
 
 
古来、日本の民は皆、強制されてではなく、
どこまでもこころから尊敬する存在、
大君といふ存在を己れのうちにいただいてゐた。
 
 
昔の日本人は、さういふ道を歩いてゐたのだ。
 
 
このことは、令和元年のいま、これから、
国民的な趨勢として、
意識的に学び直されて行くだらう。
 
 
なぜなら、それは、
これまでわたしたちが受けて来た教育では、
意図的に全く教へてもらへなかつたことだからだ。
 
 
批判的に、客観的に、
ものごとや、人や、すべてのものを見るやうに、
つまり、科学的に見ることを、
ひたすらに教へられてきたのだ。
 
 
これからは、ひたすらに意識的に古(いにしへ)を学ぶ、
そんな古学が甦つて来るだらう。
 
 



 
 

 

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2019年10月22日

「即位礼正殿の儀」を祝します


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新しい令和の御代。
 
 
「ことばの家 諏訪」も、
内において、
大きな変はり目に来てゐます。
 
 
言語造形を通して、
日本の国語の生命が甦ること。
 
 
そして、言語造形をもつて、
人間教育の基としての国語教育が、
新しく立ち上がつて来ること。
 
  
語り・演劇・詩歌の朗唱。
 
 
それら、国語芸術が、
言語造形を通して、
舞台芸術として、
古来の精神を引き継ぎつつ、
新しい精神文化として甦り来ること。

 
 
それらこそが、
わたしたちの何よりの希ひ。
 
 
その希ひをなんとか具現化していくべく、
毎日毎日、
考へ続け、想ひ続け、念じ続け、
仕事をしてゐます。
 
 
もつと、もつと、
勉強し、稽古し、動き、創つていくことで、
令和の新しい御代を、
よき時代にしていきます。
 
 
皆様、なにとぞ、どうぞ、
よろしくお願ひ申し上げます。

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2019年10月16日

もののあはれを知る 〜日本人ならではの学びのサイクル〜



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秋きぬと目にはさやか見えねども風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行朝臣)



世の季節の移り変はりを敏く感じ取つてゐたわたしたち日本人は、和歌のことばに沿つて、内なるこころの移り変はりをも敏く感じ取る訓練をしてきました。



外なるものとともに、内なるものをも、深く味はふ。



感じたこと、見て取つたこと、感覚したこと、想ひ描いたこと。



それらを「ことば」に鋳直す。



それは、感覚の享受に留まつてゐるのではなく、それをアクティブに消化するといふことです。



そして、その消化を経て、わたしたちは、ものやことやこころのありさまをより深く「知る」。



感覚の享受から、内においてそれをアクティブに消化することへと進む。



さらに、その消化し、稼がれた知を自分の中に溜め込むのではなく、世に向けて、発信する。



そのアウトプットの仕方を学んでいく。



享受し、消化し、発信していく。



この一連のこころの訓練を通して、人は、自分自身の「内なる神々しさ」を、だんだんと学び取つていくことができます。



本居宣長は、そのこころの訓練を「もののあはれを知る」ことと言ひ、その学びの粋を、紫式部による『源氏物語』に観ました。



そこに、歌と物語がことばの芸術として活き活きと織りなされてゐること。
 
 

日本人が、人として、世にどう呼応し、どう向き合つてゐるのか、といふことがありのままに活写されてゐること。
 

 
そのやうなことを宣長は言ひました。



心情のこころを育んできた時代において、日本人は、和歌と『源氏物語』を、こころから愛し、それを読み、詠みこむことを通して、こころの糧にしてきたのです。



そして、意識のこころの時代に入り、宣長は、その享受への愛と、消化し発信していく勤しみを連動させていく学びのサイクルを、日本人のものの学びのありようの粋として、意識的にことばに捉えたのでした。
 

 
それを、「もののあはれを知る」ことと言つたのです。



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2019年10月12日

数多の本を分かち合ひたい


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台風19号ゆゑ、今日は家族全員、家に籠もつてゐる。
 
ふと、購つてそのままにしておいた『遠山一行著作集(二)』を読み始める。
 
ヨーロッパのクラシック音楽に対する批評文集である。
 
はじめの数十頁を読んだだけであるが、すぐさま感じとられたのは、昭和の文人による文章の素晴らしさである。
 
想ひが思索によつて整へられ、奥行きのある清潔な文体。
 
著者にとつては、その対象は音楽であるが、対象が何であれ、考へる働きをもつてこころを導きながら、己れの想ひを深めて行くことのできる対象に出会へたとき、その人は仕合はせである。
 
そのやうな「もの」との出会ひ方、つきあひ方、取り組み方ができたとき、その人は対象についての知だけではなく、己れみづからの〈わたし〉といふものの充実をも受け取ることができる。
 
それが、科学的認識とは一線を画する芸術体験(芸術的認識)のもつ意味なのだ。
 
そのやうな芸術的認識へと導くものこそが、批評といふものであらう。
 
文章といふものそのものが、芸術になりうる。
 
遠山氏の文章も、そのやうな文章である。
 
たとへ、そこに記されてある音楽をこの身で聴いたことがなかつたとしても、文章そのものを読む喜び、感動、知的刺激を得ることができる。
 
芸術としての文章、そのやうなものをたくさん読みたい、声にも出してみたい、といふ気運を多くの人と分かち合ひたいと念ふ。
 
先人の織りなしてきた文目(あやめ)豊かな文章の織物に触れ、それを着こなして己れのものにする、そんな自己教育のあり方を模索していかうと念ふ。
 
時代から時代へとそのつど情勢は移りゆくが、それらを貫いて、決してそれらに左右されない根本の精神を語り、謡ふ、文芸の道、ことばの道を指し示してゐる数多の本を、多くの人と分かち合つていきたいと念ふ。
 
こころを慰め、疲れを癒し、喜びを感じること、それは人が何よりも芸術に求めるものではあるが、そこだけに尽きない、考へる働きを促し、想ひを拡げ、得心を深める、そんなこころの使ひ方をしたくなるやうな芸術や文章に出会ひたい。
 
また、これは大変な身の程知らずの不遜な言ひ方になつてしまふが、自分自身もそのやうな芸術作品を生み出していきたい。

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2019年10月04日

企業といふ場においてさへも


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今日は、ある企業での言語造形研修でした。
 
言語造形のレッスンに入る前に、ひとりひとりの方が、こころに溜まつてゐる想ひをことばにするのを、他のメンバー全員が静かに耳を傾け続ける。
 
そのときに発せられることばが、胸の奥底から出て来るものでありつつも、聴き手である他者をどこまでも意識したことば遣ひであるとき。
 
しかも、論点をずらさず、非本質的なところから本質的なところを掬い取つて、話しをするとき。
 
そこで交はされる対話から生まれる、人といふ存在の深さと真率さに、わたし自身、聴かせてもらつてゐて、今日はとりわけ胸が一杯になつてしまひました。
 
企業といふ場は、そのやうなこころの奥底を語りあふ場にはなりにくいところだと思ひます。
 
あくまでも利益追求を第一にする場であると思ひます。
 
にもかかはらず、そのやうな企業といふ場に、人と人とが真実、触れ合ふ時間が生まれること。
 
そんな場に居合はせることができたことの僥倖を念ひます。

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2019年10月02日

こころの安らかさ、静けさ、まぎれなく考へる、そしてリアリティー



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奈良の山の辺の道に咲くコスモス
 


「その人のこころの内側に、静けさがなければ、平和な外側の世界は生まれない」
 
こころの安らかさ、静けさ。
 
ここにこそ、<わたし>がある。
 
ここにこそ、個人があり、
 
さらには、個人といふパーソナリティーをも超える、
 
<人>(インディヴィジュアリティー)がある。
 
意識のこころの培ひは、人と議論をしたり、批判的に考へたりすることによつてではなく(それは15世紀以前の分別のこころの培ひにおいてなされてきたことでした)、意識的にみづからのこころを静かに、安らかにする訓練の中から生まれてくる精神の声に耳を澄ますことによつてこそ、促される。
 
それが、「まぎれなく考へる」といふこと。(シュタイナーはそのことを「reine Denken」と言つてゐますが、「純粋思考」といふ訳語はわたしには分かりにくく、「まぎれなく考へる」といふ言ひ方をさせてもらつてゐます)
 
わたしたちは、とかく、ある観点、ある立場のもとに立つて考へることによつて、さうではない観点、さうではない立場を批判することに傾いてしまふ。
 
「批判的にものごとを考へる」といふあり方は、どうしてもそのやうなあり方にならざるをえないのではないでせうか。
 
一方、「まぎれなく考へる」といふあり方は、そのやうに、批判的にものごとを捉へることを言ふのではなくて、ものごとをまづは、優劣なしに、高低なしに、正邪なしに、純粋と不純を分けることなしに、ありのままに、迎へ、親しく付き合つてみることを言ひます。
 
さうでこそ、まさしく、理性的なあり方に立つことができるのではないでせうか。
 
そこからこそ、本質的なところが、本質的でないところからおのづと別れる道が開けてくるのではないでせうか。
 
 
 

しかし、だからこそ、この「意識のこころの培ひ」「まぎれなく考へる」は、誰にでも啓かれてゐる自己教育の指針でありつつも、決して誰にでもいますぐに当て嵌めることのできない「高い理想」なのです。
 
現代、隆盛を誇つてゐる「個人主義」は、実のところ、たいがいが、エゴイズムです。
 
そのエゴイズムは、おいそれとは、簡単に、その理想、つまり「インディヴィジュアリティー」へと「進化」などいたしません。
 
アントロポゾフィー界隈では、「意識魂の時代」といふやうなことばを、あまりにも、安易に用い過ぎてゐます。
 
「自分はすでに意志魂の時代に生きてゐる」などと、あまりにも安易に思ひ込んでゐます。
 
その「理想」は、わたしたちのこれまでの習ひのありやうには、いまだ、馴染まない、ある種の跳躍をわたしたちに要求します。
 
牛の歩みのごとき遅さでしか、エゴイズムに満ちたパーソナリティーはインディヴィジュアリティーへとは成り変はらないのだ、といふリアリティーをもつことは、とても大切なことだと強く自戒します。
 
だからこそ、意識のこころの培ひです。
 
その培ひの備へが「こころの安らかさ、静けさ」ですし、それは、己れを統御して行く長い道のりの始まりです。
 
そして、それは、だんだんと、外なる世が安らかになりゆくことへの礎に、きつと、なります。
 
 
 
わたしたちは、いまの精一杯の己れの現状からの「批判的に考へる」といふあり方と、高い理想としての「まぎれなく考へる」との間に、妥協点、中和点を見いださなければなりません。
 
そこにこそ、きれいごとではない、リアリティーが息づきます。
 
 
 


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2019年09月09日

人は必ず育つ、といふことを考へる

 
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なぜだかとても疲れた時などには、いろんな疲労回復法があるのだらうけれども、自分はよくシュタイナーの『自由を考える』を読む。
 
そして、そこに書かれてある文に沿つて、考へることによつて、自分自身の偏つてゐるこころを立て直すことができ、救はれることがよくある。
 
第5章の「世を知る」を読むと、そこにこんなことが書いてある。
 
 
___________________
 
 
いま、わたしが、蕾をつけた薔薇の枝をもつてゐるとすれば、きつと、その枝を水に活けるだらう。
 
なぜか。
 
薔薇の蕾は、薔薇の花となるからだ。
 
薔薇が蕾の状態であることも、薔薇であることのひとつのプロセスだし、花開いてゐる状態も、薔薇であることのひとつのプロセスだ。
 
しかし、プロセスの中のそのときそのときの面持ちを見るだけでは、これこそが薔薇だ、といふことは、やはり、できないし、水に活けて花開かせるといふ想ひにも至り得ない。
 
考へることで、プロセスといふものを捉へるからこそ、薔薇の枝を水に活ける。
 
その薔薇が、「なる」といふこと、「育つ」といふこと、「成長する」といふことを、考へるからこそ、わたしは薔薇の蕾がついた枝を水に活け、その薔薇が薔薇としての美しさを十全に出し切るのを待つ。
 
見てゐるだけで、考へなければ、きつと、水に活けはしないだらうし、薔薇が薔薇であることも分からないままだらう。
 
 
___________________
 
 
 
わたしが、「薔薇は育つ」といふプロセスを考へずに、水に活けてもてなさなければ、薔薇の蕾は枯れてしまい、その美しさを見せてくれはしない。
 
きつと、人であるこのわたしも、薔薇と同じだらう。
 
薔薇が育つやうに、わたしといふ人も必ず育つ。
 
そこで、このわたしといふ人に与へるべき水とは、何だらう。

この考へに立ち戻るのだ。
 
  
 

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2019年09月06日

前夜の準備

 
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仕事をする上でわたしが大切にしてゐることのひとつに、前日の晩、眠る前に、次の日に会ふおひとりおひとりのお顔、姿、声、表情などを親しく想ひ浮かべるといふことがあります。
 
さらに、そのおひとりおひとりの後ろにをられる、目には見えない存在の方々と共にわたしが仕事をすることができるやう、祈ります。
 
ちょつと、ぎょつと思はれるかもしれませんが、そのやうな精神の世の方々との共同作業こそが、次の日の仕事のありやうに大きく影響します。
 
精神の世の方々は、いまのところ、わたしの肉の目には見えませんが、こころに考へることはできる。
 
そのやうに、考へる働きは、精神の世への架け橋になること、そして、そのやうに、精神の世と繋がることによつて、わたしは物理の世で健やかに仕事をし続けることができてきたこと、それらを念ひます。
 

 
また、メルヘンや昔話を、夜寝る前に味はふことがとてもいいやうに思ひます。
 
その行為によつて、お話しの中に息づいてゐる精神の世の方々との協働が翌日生まれます。
 
例へば、グリムメルヘンの『ルンペルシュティルツヘン』といふお話など、内容も、そのやうな精神の世の方々との協働を描いてゐます。
 
小人のルンペルシュティルツヘンは、夜の間に藁(わら)を紡いで金にすることができ、それによつてお姫様を牢屋から救ひ出す。
 
わたしもそのメルヘンを夜眠る前に味はふことで、わたしの内なる藁(粗いこころ)が眠りの中で、金(輝くこころ)に変はる感覚。
 
考へる働きは、夜眠つてゐるあいだも、密かに続いてゐるのです。
 
夜眠る前に、どのやうな考へを抱いたかが、眠りの時間と、翌朝の目覚めの質へと、そしてさらに、翌日の仕事へと密かに働きかけるのです。
 
だからこそ、願ひではなく、そんな実感と確信をもつての前夜の準備です。
 

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2019年09月04日

星のお宮と感官と我が名前

 
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十二の感官の育みと十二の黄道上にある星の宮との関はり。
 
先日の講座『シュタイナー教育と自己教育』で述べさせてもらつたことなのですが、講義をしたわたし自身、あの日以降も、様々な想ひがこころの内に揺曳してゐるやうです。
 
昨日、こころの内に漂つてきたのは、我が家族ひとりひとりの生まれた月日の星座と名前についてです。
 
次女のかさねは、おうし座生まれ。おうし座は、他者の考へを感覚する「考への感官」の育みに力を贈り続けてゐる星のお宮です。彼女は十一歳ですが、学校での学びでも、日々の暮らしの中でも、家族中で一番際立つた「思考家」です。考へを「かさねて、かさねて、かさねながら」日々成長してゐるのを強く感じます。わたしが彼女の名前を「かさね」とつけたのは、松尾芭蕉の『奥の細道』にその名の少女が出てきて、「かさねとは八重撫子の名なるべし」といふ句に魅了されたからなのですが、まさしく、こころの細道を辿りゆく芭蕉は、北へ北へと、那須から陸奥へと旅を進めて行つたのでした。それは、また、考へを重ねて行くことで行き着くこころの北方を目指してもゐたのでした。
 
長女の夏木は、かに座生まれ。かに座は、響きに耳を澄ます「聴く感官」の育みに力を贈り続けてゐる星のお宮です。いまは十四歳で、やはり吹奏楽部に所属し、休むことのない音楽漬けの毎日です。聴くといふ営みは、物理的な空気の振動を精神的な調べに変換させることでなりたつてゐること、アントロポゾフィーから学ぶことができることの内の驚きのひとつです。7月半ば、くすのきの大樹に蝉が鳴きしきる夏の最中に生まれて来た長女。直感的に「夏木」と名付けました。同じく、芭蕉で有名な句「閑かさや岩にしみいる蝉のこゑ」がありますが、芭蕉は、蝉の声と共に、閑かさといふ沈黙の調べに耳を澄ましてをりました。物理の次元と精神の次元とを重ねつつの句であります。長女も、きつと、物理の次元と精神の次元とを結びつけるやうな人へとなりゆくであらうこと、我が子ながら、その独特のセンスにどこか感じるところがあります。
 
妻の千晴は、ふたご座生まれ。ふたご座は、何らかの響きや音声とは全く別に、ことばをことばとして受け取る感官「ことばの感官」の育みに力を贈り続けてゐる星のお宮です。双子のやうに、ふたつの腕のやうに、自由に動き、自由に遊ぶ、そんなときこそ、こころが羽ばたき、ことばが息づく。まさに、そんな人です(笑)。その双子といふことばに象徴されるふたりの幼な子の間には、遊びを通してこそ、自由と美が生まれます。それが、そもそも、本来的な「ことば」です。彼女は言語造形に生きてゐます。「千晴」といふ名も、とこしへの晴天を指してゐるのでせうか。ゲーテが、たしかこのやうなことをどこかに書いてゐました。「人と人とが語りあふこと、それは、光よりもすこやかさをもたらすものだ」。すこやかさと晴れやかさ。晴れ渡る大きな空を吹き過ぎる千の風です。
 
わたくしこと耕志は、いて座生まれ。いて座は、自分自身のからだが動いてゐることを内側から感覚する「動きの感官」を育む力を贈り続けてゐる星のお宮です。志(こころざし)を耕すといふ名を父がつけてくれたのですが、こころが指す方向に向かつて動いて行く、その力はいて座から、そして名前から頂いてゐるのかもしれないと思つてゐます。また、子ども時代に体を目一杯動かしながら遊べば遊ぶほど、ことばを活き活きと話すことができる、そんな関連に、我が子ども時代の環境をありがたく思ふのです。
 
昨日、妻といろいろなことをカフェで語らつたあと、空を見上げると、虹が懸つてゐました。
 
わたしにとつては、自分自身の存在の根底を洗つてくれるやうな会話をしたあとだつただけに、この虹が応援の言葉を語りかけてくれてゐるやうに感じられてなりませんでした。
 
長文、読んで下さつた方、どうもありがたうございます😇
 

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2019年08月12日

日本の家庭 (三・完) 〜父の姿〜


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この連載の第一回目に、大東亜戦争の敗戦以前の、日本の家庭観、父親像について考へてみたいと書きました。
 
それは、さういふ家庭観、父親像に、わたし自身が人間といふ存在の美しさを感じるからなのです。
 
わたし自身、昭和三十九年(1964年)と云ふ、高度経済成長期の真つ只中に生まれたのにも関はらず、自分の父親からそこはかとなくそのやうな像を感じてゐたからかもしれません。
 

文芸評論家の保田與重郎は、昭和十九年に書いた『日本の家庭』といふ文章の中で、国を支えてきた古き日本の父の姿を書き記してゐます。
 
昭和十九年に保田がさういふ姿を書き留めようとしたといふことは、戦後にいきなり古き日本の父性が失はれたのではなく、戦中、戦前においてもすでにその喪失が感じられていたといふことでせうし、さらに遡つて明治維新から始まつた文明開化の風潮の中で、それらの古い日本の変容、解体が不可避の事として始まつてゐたのです。
 
 
 
仁義礼智忠信孝悌といつた徳目や神仏への信仰を、道徳といふ形で荷つてゐたのは、昔の日本の父親でした。
 
父は先祖祭りを儀式として荷ひ、母は祭りの団居(まどゐ)に従事してゐました。
 
昔の日本の父は、現世的な権力や威力によつて、子弟たちを教育しようとすることは決してなく、常に神棚と仏壇の前からものを言ひました。祖先の霊から始まる、幾世もの先つ祖(おや)の、更におほもとである神々を厳重に信奉しました。
 
汝も日本人ではないのか。
 
祖先の霊をどう思つてゐるのか。
 
そのやうな数少ないことばと、位牌をもつて、家の道徳、国の道徳を、守つてゐました。それは決して、理屈や教義によつて説かれたのではありませんでした。
 
日本の父のそのやうな無口が、日本の支柱でした。
 
そして長男は、父からの神聖な根拠に立つ威厳を具へるやうな、家を精神的に継いでいく存在として教育されてゐました。
 
次男、三男は、きつと家庭によりますが、軍人として、官吏として、商人として、願はくば国の恩、世の中の恩に仕へ奉ろうなどと考へられてをりました。
 
しかし、明治の文明開化の代から始まるわたしたちの歴史は、そのやうな父の意志、意力を、だんだんと無口な悲しさへと追ひこんで行つたことを教へてくれます。
 
異国風の新しい教育学や思想に対面せざるを得なくなり、以前よりいつさう無口になつて己れの信ずる祖先の霊と共に悲しんでをりました。
 
この辺りのことは、島崎藤村の『夜明け前』を読むと、静かにしみじみと、その悲しみが伝はつてきます。
 
日本の家庭における教育環境を司り、教養階級そのものであつた父が、父たる伝統を失つた、その時から、この連載の第二回で述べた炉辺の母の物語も失はれていきました。
 
そして、やがて、日本の家庭が決定的に崩されはじめたのは、大東亜戦争の敗戦によつて敷かれたGHQによる占領政策以来のことです。
 
新しい教育学、保育学、教養論が、ますます人のこころを染めていきました。
 
そして、わたしたちは日本人であることを何か劣つた、恥づかしいこととして、云々するやうになりました。自分自身への信頼をだんだんと失つていきました。
 
 
 
しかし、決して理論闘争を試みず、神仏や先祖と繋がれて生きてゐる己れのありかたを深く信じてゐた日本の父の姿は、完全に失はれたのでせうか。
 
家の儀式祭祀を司り、そこからおのづと家の道徳、躾、たしなみを、ことばを越えたところで子孫に伝へていく父の道は、果たして消え去つてしまつたのでせうか。
  
 
 
わたし自身、そのやうな昔の父の姿、風貌を新しく見いだし、自分自身の中で新しく育て、新しく次世代へ守り伝へていかうと考へてゐます。
 
そのために何ができるだらうか。
 
そのことを考へる毎日なのです。



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2019年08月11日

日本の家庭 (二) 〜霊異なる巫女(みこ)性〜

 
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昔の日本の家庭の中における父親像を見る前に、まづは母親像、女性といふもののありやうを見てみたいと思ひました。
 
女性性といふものと男性性といふものとの関はりが、とても内密で相互交流的なものだからです。
 
女性のしてゐたことのひとつは、夜ごと炉辺(ろばた)で、昔噺を語ることでした。
 
その昔噺とは、輸入物の寓話や譬喩ではなく、家の物語であり、村の物語であり、また国の歴史に繋がる物語でした。
 
それは、素朴なかたちの「神がたり」でした。
 
その語りは、インタヴューできない対象について語るのであつて、人智で測りきれないものを物語るのでした。
 
わたし個人の想ひ出ですが、祖母が同じ噺を繰り返し繰り返し布団の中で、幼いわたしをあやしながら語つてくれました。
 
その噺は、家のお墓にまつはる実話で、何度聴いても、身の震へを抑へられないほどの怖い噺だつたのにもかかはらず、わたしは幾度も祖母にその話をしてとせがんだものでした。
 
祖母は、その噺が真実であることを固く信じてゐました。
 
それは彼女の暮らしの底に生きてゐる人生観からのものだとわたしは幼いながらも感じてゐました。
 
わたしたちの人生は、すべからく、神仏が見守り導いて下つてゐるとの信でした。
 
その信仰のあり方は、祖父が持つてゐた観念的なものよりも、より親身なものであり、霊感的なもののやうでした。
 
民族学者である柳田国男の『妹(いも)の力』を読んでみますと、そこには、古来から女性のもつてゐる霊異な力について描かれてをり、その力が実に家の運命をも左右するものであることを、体感・痛感せざるをえなかつたため、いかに家の男性がその「妹の力」を畏れてゐたかが描かれてゐます。
 
ある場所や、ある期間において、女性を忌む風習も、実はその霊異の力をもつともよく知る男性が、それを敬して遠ざけてゐたことから生まれてきたのだといふことが分かります。
 
祭祀や祈祷の宗教上の行為は、ことごとく婦人の管轄であつたこと。
 
巫(みこ)は、我が国に於ては原則として女性であつたこと。
 
昔は、家々の婦女は必ず神に仕へ、その中のもつともさかしき者がもつとも優れた巫女(みこ)であつたこと。
 
なぜこの任務が女性に適すると考へられたのか。それはその感動しやすい習性をもつて、何かことあるごとに異常心理の作用を示し、不思議を語り得た点にあるといふこと。
 
女性は、男性には欠けがちな精緻な感受性をもつてゐること。
 
その理法を省み、察して、更に彼女たちの愛情から来る助言を、周りがいま一度真摯に受け取らうとするなら、その仕合はせは、ただ一個の小さな家庭を恵むにとどまらないであらうといふこと。
 
 
このやうな妹の力が、炉辺の女性による物語りとして、神がたりとして、わたしたちの昔の暮らしの内々に息づいてゐました。
 
しかし、明治の文明開化の風潮の中で、この炉辺の妹の物語り、母の物語りも失はれてきたのです。
 
それは、日本の父が荷つてゐた道徳の文化、教養のしきたり、敬ひの精神がだんだんと失はれていくにつれてのことでした。
 
そして、それらが決定的に喪はれてしまつたのは、先の大戦以降です。



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