2019年03月21日

獣道(けものみち)と人の道


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ルオー『ピエロ』

 
人は芸術に触れてゐなければ、獣となつて、のさばり出さずにはゐられない。
 
獣になるとは、己が身の要求するところに、己がこころが引き寄せられすぎる、そのやうな偏りをもつてしまふことである。もちろん、こころは、己が身の働きの充足に満ち足りを覚える。腹が減つてゐれば、当然、食べ物を欲する。
 
しかし、こころといふものは、「パン」のみにて満たされるやうにできてはゐない。こころは、精神といふ、天地(あめつち)のあり方を支えてゐる奇(くす)しきことわりに触れなければ、干乾びてしまふ。
 
その天地を貫く精神がこの世に生きて親しく人の身に味ははれるのは、ひとり、芸術をもつてである。芸術は、人が人であるために、なくてはならないものなのだ。芸術は、必ず、人に道を示す。芸術を行ふこと、生きること、そのことが、「道」である。「道」とは、ゆくところである。
 
そして、人が行ふことすべてが、芸術となりうる。この世のすべて、森羅万象が、神によつて織りなされてゐる芸術作品であるやうに、人によつてなされるすべて、作られるすべては、芸術行為となりえ、芸術作品となりうる。
 
わたしたちは、いともたやすく獣道に降つてしまふ悲しい存在である。しかし、その悲しみが、かえつて、ひとりの人として、人の道を歩まうといふ意欲を掻き立てる。わたしたちは、その意欲をこそ育てたい。意欲さへ殺さずに育み続けてゐれば、人はおのづから、人としての道をめいめい歩み始めるのだ。何度、崩れ折れても、必ず、立ち上がるのだ。
 
芸術は、意欲をもつて、毎日の練習といふ繰り返しの行為を人に求めるものである。そして、その芸術の練習が、また、人の意欲を育てる。その、芸術と自分との集中した意識の交換、己が意欲の更新を感じることは、人を幸福にする。
 
古来、日本人は、「言霊のさきはふ国」として、この国を讃えてゐた。それは、人は誰しも、生きる喜び、悲しみ、すべての感情を感じ、かつ、ことばといふ芸術の中でこそ、初めてその感情を表すことができ、その感情に対する主(あるじ)になることができる不思議に、鋭く気づいてゐたからである。ことばこそが、獣道(けものみち)から、人をまことの道へと引き戻す、なくてはならないものであることを知つてゐたからである。
 
ことばそのものに秘められてゐるたましひ・精神自身が、何を希(ねが)つてゐるか。そこに耳を澄ましつつことばを発していく。聴き耳を立てながら、ことばを話す。そのとき、ことばの精神・言霊は、ものを言ひ始める。ものものしく、ものを言ひ出す。
 
わたしたち人は、どのやうなことばを、どのやうに使ふかによつて、その「言霊」との関係を深めることもできれば、浅薄なものに貶めてしまふこともできる。それは、ひとりひとりの人の自由に任されてゐる。
 
獣道を歩むこともできるし、ひたすら長い、人の道を歩みゆくこともできるのだ。
 


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2019年03月18日

ことばは美しい音楽


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俵屋宗達『源氏物語関屋澪標図屏風』
 
 
『源氏物語』を読み続けてゐる。
 
今日も歩いて住吉大社に行つたのだが、第十四帖「澪標」にて、光源氏と明石の御方とのたまさかの出逢ひの場とされるところに、自分が立つてゐるといふのも、不思議な氣がした。
 
江戸初期の頃、松永貞徳といふ歌人が記した歌学書『戴恩記
(たいおんき)』に、こんな逸話が載せられてある。
 
文学の師匠・九条稙通(たねみち)公が貞徳に言つた。
「『源氏』を一度、わたしの前で読んで御覧なさい」
 
貞徳はいぶかしく思つたが、言はれるがままに一節を読み上げると、「すなほに読むとは存ずれど、そなたのはみな訛りです」とお笑ひあり、ご自身で読まれた。
 
これを聴いて貞徳は初めて、源氏物語が何であるかが分かった、と言ふ。
 
一体、その音声は、どんな響きだつたのだらう。
 
 
 
 

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2019年03月14日

難しければ難しいほど、面白い

 
学問においても、芸術においても、そんな風に感じられる子どもを育てていきたい。
 
いや、自分自身も、さういふところへ歩を進めていきたい。
 
たやすいところに甘んじてゐても、一向、こころは燃え立たない。
 
昭和のあるころまでの文化を荷つてゐた人たちは、その気概があつた。
 
本を読んで、人は、読みつつ考へる喜びを知つてゐた。
 
音楽を聴いてさへ、人は、考へてゐた。深く、考へてゐた。
 
そして、考へる力と繰りなすことばとが、知的に綾をなしてゐた。
 
平成といふこの三十年間は、文化の面においては何事も分かりやすいことが第一のモットーとなり、社会のあらゆる面においては行き届いたサービスこそが至上の善となつた。
 
しかし、わたしたちは、自分の人生を成熟させえただらうか。
 
社会は、人が人として、己れが己れとして誇り高く生きていく、そんな雰囲気を醸造しえただらうか。
 
人は、己れの内なる〈わたし〉を育めば育むほど、自分よりももつとたいせつな人やものがあることに気づき、そのやうに生きていく。
 
そして、過去と未来を繋ぐ存在としての自分といふ人間の役割を自覚することができる。
 
逆に、他者から与へられてばかりで、〈わたし〉が未成熟なままだと、このわたしこそがもつとも大事なものになつてしまひ、意識は自分のことだけに尽きてしまふ。
 
難しいものに取り組んでこそ、その中に、崇高と美と真実があることを体得できる。
 
さういつたものをことごとく避けて来たのが、この平成の代だつたやうに思はれる。
 
〈わたし〉を育むためには、歯応えのあるものに取り組み続けることである。 
 
わたし自身、気づくのが遅すぎたのではないか、とこの三十年を振り返る。
 
そんな平成が終はらうとしてゐるいま、新しい御代は、きつと、これまでとは趣を異にした新しい時代にするのだ、と強く念ふ。
 
ふたたび、人の自主独立した精神がものを言ふ時代に。
 
自分の頭でものを考へ、自分のことばでしつかりとものを言ふ。
 
自分の足でしつかりと立つ。
 
多少の歯応えのあるものにも恐れずに果敢に取り組んでいく。
 
そんな若者を育てていくためには、わたしたち大人が、これまでのやうな「わかりやすさ第一」「至れり尽くせりのサービス」に甘んじるやうな精神をいま一度見直していいのではないか。
 
わたしは、男なので、どうしても男の子には、そんな気概を持つてもらひたく思つてしまふ。


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2019年03月11日

小川榮太郎氏『保守思想を鍛錬して国柄を守れ』


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本日三月十一日付産経新聞掲載の【正論】『保守思想を鍛錬して国柄を守れ 文芸評論家・小川榮太郎』を読む。

あと一か月少しで平成の御代も終はるが、この三十年間以上にもわたる「保守大敗北」に、わたしたちはどう身を処していくことができるか、ここで新しく、骨身に沁みて考へざるをえない。
 
人が人としてまつたうに存在していくことができるために、言霊を傷つけずに言挙げしていくことができる言語力を、わたしたちは鍛錬して己れのものにしていかねばならない。

小川氏が勧めてゐる、小林秀雄と岡潔の対談集『人間の建設』のやうな読む者に親切で平易な一書から始め、さらに「保守を思想として積算し続ける鍛錬」のために、わたしたちは読むべき書物の系譜を打ちたてていかねばと思ふ。

読むべき本を読む。

そのことからしか、人のうちに精神は樹立できない。
 
ことばからことばへのリレー。

それが、この国をこの国たらしめてきたのだから。
 


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2019年03月09日

ことばの始源

 
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吉橋 康司さん撮影


文字といふ文字が、考へを伝へる記号として生まれたのではなく、止みがたい衝動から描かれた「絵」から生まれたものであるやうに。
 
発声されることばも、単に考へを伝へるために、発されたのではない。
 
止みがたい衝動、情動、感激が人をして思はず声を発せしめ、言語造形せずにことばを発することなどできなかつた。
 
「おっと、合点だ、こころえたんぼの・・・」
 
「このういろうの御評判、ご存じないとは申されまいまいつぶり・・・」
 
リズムに脈打ち、メロディーに彩られ、強弱を自在に繊細につけながら、人はことばを話し始めた。
 
人は、芸術からこそ、文字を創り、ことばを話し始めた。
 
わたしたちは、もう一度、ことばの始源の風景に帰りたい。
 
 

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2019年02月24日

ゲーテ 人の人たるところを求めて


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先日、普遍人間学のクラスでの言語造形の時間に、ゲーテの『ファウスト』を取り上げました。
 
ゲーテは、東の人の生き方、世の捉へ方、宇宙観、すなはち精神的浪漫主義に、激しくこころを動かされ、その感動を19世紀初めのドイツに知らせようとしてゐるやうに感じられます。
 
ドイツ、そしてヨーロッパには、もうそのやうなこころが失はれてゐたがゆゑ。
 
ここでは、『ファウスト』とは別のものですが、詩の一部を挙げてみます。
 
声に出してみるならば、この『昇天のあこがれ』も、全身全霊で詠はざるをえない。
 
一篇の詩が、オーケストラの一団が奏でる響きに匹敵することがあるのですね。
 
 
 
『昇天のあこがれ』から
 
・・・
蛾よ おまえは
火に跳びこんで 身を焼いてしまふ
 
死ね そして 生まれよ
このこころを
わがものとしない限り
おまえは この暗い地上で
はかない客人(まらうど)に 
過ぎないだらう
 

 

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2019年02月15日

『古事記』の芸術性 〜古事記朗唱大会にて〜


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先月、奈良でいたしました『古事記朗唱大会』での写真です。
 
『奈良県ようこそ』といふページで、その日のレポート記事の中で少し紹介していただいてゐました。どうもありがたうございます。↓ 
http://www.pref.nara.jp/dd.aspx?moduleid=99400&pfromid=25
 
この会は第六回目でしたが、かうして、『古事記』が現代人によつて高々と朗々と語られ、詠はれ、演じ続けられることは、とても貴重なことですね。
 
さらに、『古事記(ふることぶみ)』は、我が国の、世界の、芸術作品に於ける最高傑作のひとつだといふこと。
 
そのことを、わたしは世に問ふていきたいと考へてゐます。

明瞭なかたちある言語と芸術的な動きをもつて、古典作品を演じるとき、それは、必ず、現代に活き活きと通じるものになる。

なぜなら、古典作品は、その原型のままで、非常に優れたスタイルがあるから・・・。

そのスタイルを尊んで、かつ、新しい息吹きを吹きこんでいく作業でした。

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2019年02月07日

家庭での語りB 〜両親の問診時間〜


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家庭の中で、お父さんとお母さんが語りあつてゐる。
 
日頃の気にかかつてゐることから、お互いの最も大事に大切に考へてゐること、そして自分自身が抱えてしまつてゐる痛みや苦しみまで、ことばにしようとしてゐる。
 
何気なく過ぎていきがちな日々の暮らしの中に、そのやうなことばを交わしあふ時間を持たうとする意識。努力。習慣。
 
そんな大人の男と女の対話の時間に、思春期を迎えてゐる若者が加わることができるなら。
 
そこは、大人の言い分を無理矢理押しつけられる場ではなく、大人も若者も、各々感じてゐること、思つてゐること、考へてゐることを、ことばにする練習をし、それを聴きあふ場であるといふこと。
 
もう、お父さんもお母さんも、独自の役割を担ふといふよりは、ひとりの大人とひとりの大人としていかに向きあふことができるのか。
 
そんなことを、日々若者と共に探つていく場が、家庭です。
 
家庭での語らひが、どれほど子どもの国語力を育て、どれほど、こころと精神の関はりを深めるか。
 
子どもの成長にとつて、どれほど創造的なことか。
 
本当に大事なことです。

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家庭での語りA 〜両親の問診時間〜


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子どもがこの世に生まれてきて、その子どもにとつて、まづもつての大切な存在は母親でした。
 
ところが、小学生中学年から高学年になつてくるにつれて、子どものこころの中に、最も大切だつた母親の存在感に変化が生じてきます。
 
どのやうな変化か、それは、子どもひとりひとりで違つてくるのですが、ただ、子どものこころの中にはその変化に対する戸惑ひのやうな感情が拡がつてきます。
 
そんなとき、いよいよ、父親の出番が巡つてきます。
 
父親が、子どもに、母親のことを親しく語つてあげる。
 
お母さんは、こんなこと、あんなことを毎日してくれてゐるね・・・。
 
お母さんはああ言つたけれども、本当はかういふ気持ちだとお父さんは思ふよ・・・。
 
お母さんの好きなケーキは何だと思ふ?
  
子どもにとつて存在してゐるのがあまりにも当たり前のお母さんといふ存在を、お父さんが改めて親しくことばで描き出してみる。
 
そんなお父さんによる語りが、子どもの内側に新しい母親像をもたらします。
 
それは、子どものこころに、父性と母性の結びとして深く印づけられます。
 

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2019年02月05日

家庭での語り@ 〜両親の問診時間〜


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お父さんが仕事で忙しくて、滅多に家にゐない、ゐたとしても夜中遅く帰つてきて、子どもたちやお母さんとゆつくり話す時間などない、そんな家庭が少なくないのではないでせうか。
 
そんなとき、できるなら、お母さんはお父さんのことを子どもに話してあげてください。語つてあげてください。
 
お父さんは頑張つて仕事をしてゐるよ、お父さんがあなたたち子どものことをこんな風に話してゐたよ、あんな風に話してゐたよ、お父さんはこんなこと、あんなことが好きなんだよ・・・。
 
そのやうにお父さんのことを語つてあげることで、子どもは目の前にはゐないのにもかかはらず、お父さんのことをまざまざとこころに描くことができます。
 
子どもに、父なる存在、父性といふものがしつかりとありあはせるやうになります。
 
ことばによつて存在を描き出す。
 
その働きは、人の成長にとつて随分と大きな働きをなします。
 

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2019年01月27日

希望を与へる歴史観


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昨日は、中之島中央公会堂にての 第19回大東亜戦争を語り継ぐ会「大東亜戦争の原点を探る」に参加しました。
 
あのクラシックな会場におそらく千人以上の人々が来てゐる様は、壮観でした。
 
近現代史を色々な面から学びたい、さう思ひ、色々な所へ足を運んでゐます。
 
まづは、先の大戦に対して、ある偏つたひとつの見方に捉われることなく、多角的に、かつ、しつかりと自分の中の認識を深めたいと思つてゐます。
 
 
 

大きなものごとを動かすとき、文書といふものがたいてい残されます。
 
わたしたちは、その残されてゐる文書を丁寧に見て取つていくことによつて、時の政局の中で、人がどう考へ、どう動いたかが、客観的に見えて来る。
 
さうして得られていく認識を積み重ね、自分自身で考へ、判断していくならば、だんだんと、ことの真相が啓けてくる。
 
1995年にアメリカ政府によつて公開されたヴェノナ文書によつて、それまで秘されてゐた事実が公になつたこと、登壇者のおひとり、江崎道朗氏の著作に詳しいのですが、アカデミックな環境にゐる人ほど、ある種の一義的な価値観の中に閉じ込められてゐて、いくら真実の事柄を見せられても、理解しようとしないし、理解できない。
 
そのことから、教育といふ分野に、どういふ思惑と策略が絡んで来てゐるかに思ひ当たり、暗澹としてしまひます。
 
むしろ、いはゆる高学歴といふものもなく、ただひたすらに働き続けてゐる人が、自分自身の頭で考へ、こころで感じる経験を積み重ねることで、ことの真実がどこにあるかを摑むことができる。
 
しかし、それらの多くの人々は、それをことばに表す術を知らず、利口な人たちの雄弁の前に沈黙を強いられてゐる。
 
昨日の講演で、日本よりもアメリカでこの状況に拍車がかかつてゐるとのことを知らされ、さもありなんと思ふのです。
 
自分自身の目で見て、自分自身の頭で考へる。そして、自分自身のことばで語る。
 
この当たり前のことが如何に難しいか。
 
歴史観を自分自身の中で育てていくことは、大変なことです。
 
しかし、その営みが、きつと未来を導く。
 
わたしたち大人は、テレビや新聞、もしくはインターネットの表層的な情報やなんとなくのイメージに踊らされたり、凝り固まるのではなく、本当に学んでいきたいものです。
 
世界の歴史を、とりわけ自国の歴史を、色眼鏡をかけずに学んでいくこと、本質的にはそれはとても密やかな学びですが、きつと、子どもたちに、そして自分自身に希望を与へます。
 
失望や落胆、自虐ではありません。
 
希望と自尊です。
 
 
 

昨日の講演会・シンポジウムを通して、そんな念ひを強く持ちました。

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2019年01月16日

信じるこころが一番たいせつ


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写真撮影:山本 美紀子さん

 
小学生の子どもたちには、どんな書物がふさはしいか。
 
などと、大人があまり考へない方がいいやうに思ふ。本人が読みたいものをどんどん読むことができるやうに、計らつてあげるだけでいいと思ふのです。
 
ただ、これだけはたいせつだと考へてゐるのは、一冊の本が祕めてゐる未知の何かに対する、限りない愛情、尊敬、信頼。
 
そこから、本に限らず、ものといふものに対する、愛情、尊敬、信頼がおのづと育つていきます。
 
何を学ぶにしても、そのこころもち、感情さへあれば、いい。
 
もし、そこに熱烈な尊敬、熟していく愛情が育つていくなら、大げさな言ひ方になりますが、その人のこころには、誰に何かを言はれなくとも自分の意欲だけで学んでいく力、世界中を相手に回しても自分の道を進んでいく力が宿り始める。
 
自分の意欲だけで自分の道を進んでいく、それが、この身ひとつで、世を生きていく、といふ力。
 
それが、自由への道を歩いていくといふことではないかと思ふ。
 
学ぶ人にとつては、学ぶ対象に対する疑ひではなく(!)、学ぶ対象に対する信頼・信といふものがとても大事です。
 
では、その対象については、はじめは未知であるのに、どうして信頼が、愛情が、尊敬が、抱かれるのか?
 
それは、その人のこころのうちに、既に信じるこころが育つてゐるからだ。
 
信じるこころが、信ずるに値する書物を引き寄せる。信ずるに値する人を引き寄せる。
 
小学生のこころとからだにまづは何を植ゑつけるか。
 
それは、信じるこころの力であり、感情の育みです。
 
その信じる感情の力が、やがて、芽をだし、葉を拡げ、花を咲かせて、きつと、その子がその子の人生に必要なものを、おのづと引き寄せるやうになるでせう。
 
その子が、その信じる力を自分の内側深くに育てていく。
 
ではそのためには、大人は何をすればいいのか?
 
その子の傍にゐる先生が、親が、大人自身が、熱烈に、一冊の本ならその本に、何かの存在ならその存在に、尊敬と愛情と信頼を持つてゐる姿を、子どもに示しつづけるのです。
 
多くの本でなくてもいい、この一冊といふ本を見いだせたなら、本当に幸ひです。その一冊の本を再読、熟読、愛読していくことで、その本こそが、その人の古典になります。
 
信じる力と言つても、それは何かあやしいものを信じてしまふことになりはしないかといふ危惧は不要です。
 
信じる力の枯渇、それがまがひものを引き寄せてしまひます。
 
信じる力の育み、それが信じるに値する何かを引き寄せます。
 
 


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2018年12月31日

ことばの家 諏訪 平成三十年(2018年) 言語造形舞台活動


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7月7日『名人伝』

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10月8日『舟』

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もうすぐ平成三十年も暮れようとしてゐます。
 
お世話になつた方々、本当にありがたうございました。
 
この一年、わたしたち「ことばの家 諏訪」も、言語造形といふことばの芸術を通して、様々な活動をいたして参りました。
 
これまでのクラスや企業研修に加へて、新しい言語造形クラスとして、3月から諏訪千晴による「やまとことはを味わうクラス」、4月より三重の桔梗が丘にて「ゆいの家クラス」、和歌山の岩出にて「親子えんげき塾『ことばの泉』」、9月から兵庫の姫路の城見が丘保育園にて「むかしむかしの物語り」を毎月始めさせてもらふことができました。
 
そして、舞台活動として、4月29日に『古事記の精神』、7月7日に『名人伝』、10月8日に『舟』、11月30日に『山月記』、12月25日『キリスト生誕劇』を開催いたしました。
 
言語造形といふ芸術が、この日本の地に根付いていくやう、わたしたちはひたすらにこの仕事を続けていくことだけを考へてゐます。
 
とりわけ、舞台作品を倦まず弛まず創り続けていくことが、なによりたいせつなことなのです。
 
それは、まぎれもない、わたしたち自身による創造行為であり、さらに言へば、ぎりぎりの生命の燃焼行為であるからなのです。
 
このいのちを燃やし、使ひ切ることこそが、この世に生まれて来て、なすべきことだと念ひ至つてゐます。
 
そして、この行為こそが、本当の意味で社会的な行為であり、時代を繋いでいく歴史的・伝統的行為でありうると確信してゐます。
 
 
来たる新しい年、わたしは、そのやうな、言語造形への志をもつて舞台に立つてゆく人を求めてゐます。
 
そのための五年間に亘る、日々の学びの場を用意してゐます。
 
『言語造形と演劇芸術のための学校』
https://kotobanoie.net/school/
 
ことばの芸術「言語造形」への、まこと若々しい参加を求めてゐます。
 

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11月30日『山月記』

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12月25日『キリスト生誕劇』

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12月25日『キリスト生誕劇』山本美紀子さん撮影


 

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2018年12月08日

こころ踊るひととき


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自分自身が普段胸の底に大切に収めてゐることを、ひとさまの口から聴かせてもらへることほど、ありがたく、嬉しく、こころ踊ることはない。
 
とりわけ、芸術と人との間に脈打つ血について、こころ熱く語り合ふことができることほど、血沸き肉躍ることはない。
 
いつもは、わたしたち夫婦の間でのみ交してゐるそのやうな話しを、何の遠慮もなく語り合へた三重の名張での一夕。
 
本当に、ありがたい、得難い時間だつた。
 
来年は、こんな時間をもつと積極的に持つていかう。
 
※小西さん、写真どうもありがたうございます。

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2018年11月28日

ことばを待ち望んでゐる子どもたち


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この、にぎにぎしてゐる子どもたち。
 
ことばを待ち望んでゐる子どもたち。
 
活き活きとしたこころと生命に通われてゐることばを、待ち望んでゐる子どもたち。
 
しかし、ことばを受け取る姿勢に、1歳児と6歳児の違いが如実に写真に現れてゐます。

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ーーーーーーーーーーーー 
大阪・名張 言語造形公演『山月記』
11月30日(金)・12月1日(土)
https://www.facebook.com/events/355150188559093/
 
ーーーーーーーーーーーー
ことばの家 クリスマス公演・キリスト生誕劇2018
2018年12月25日(火)17時開演
於 大阪市立阿倍野区民センター小ホール
https://www.facebook.com/events/894100854122598/
 
ーーーーーーーーーーーー
親子演劇塾「ことばの泉」キリスト生誕劇
2018年12月28日(金)13時開演
於 和歌の浦アート・キューブ
https://www.facebook.com/events/2147958465524679/
 
ーーーーーーーーーーーー
2019年1月開校
『言語造形と演劇芸術のための学校』
https://kotobanoie.net/school/

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2018年11月20日

帯中津日子天皇の御陵、そしてカフェ杜の灯


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休日には、神社や御陵・古墳を訪ね歩くことが、この四年ほどの習慣になつてゐます。
 
神社や御陵の上に拡がる大空を見上げるのが、好きなのかもしれません。
 
お日様の光と白い雲の行き交ひ、そしてその下を吹き過ぎる風は、こころと神との行き交ひを促してくれるやうで、いのちを洗濯してゐるやうな気持ちになります。
 
今日は、大阪府藤井寺市の仲哀天皇の御陵、恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)へ。
 
仲哀天皇、御生前は帯中津日子(たらしなかつひこの)天皇と申されました。
 
この方は、かの倭武命の御子息であり、神功皇后(息長足姫命)の夫君であり、応神天皇の父君でありました。
 
神に反逆したために、命を絶たれてしまはれた帯中津日子天皇。
 
わたしは、この方を偲ぶこと浅からず、今日も陵の周りを歩き廻りながら、思ひを巡らせてゐました。
 
人類が、われらが民すべてが、経験しなければならないことを、一身に背負はれて生きられたお方。
 
その御陵の上には、秋の穏やかで静かな空が澄み渡つてゐました。
 
景色といふものは、わがこころの情と重なり合つて、情景になるものなのですね。
 
我が家から一時間も経たずに行くことのできる場所に、このやうな歴史的「情景」をふんだんに持つことができるこの日本といふ国、とりわけ近畿地方は、精神的に贅沢な地です。
 
思ひで一杯になつた自分は、御陵の近くのカフェ「杜の灯」に入りました。
 
ここは、辛國神社に面してゐる静かなカフェです。
 
美味しいコーヒーとシフォンケーキを頂きながら、マスターのコレクションされてゐる蓄音機からSP盤のジャズ、そして、大きなオルゴールから流れてきたその調べは、不思議な感覚なのですが、子どもの頃に部屋の片隅を見つめつづけてゐるうちに、壁の向こうに通ずる穴をくぐり抜けて、どこか他の世界に踏み込んだやうな感覚を、一瞬、垣間見せてくれました。

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大阪・名張 言語造形公演『山月記』
11月30日(金)・12月1日(土)
https://www.facebook.com/events/355150188559093/
 
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ことばの家 クリスマス公演・キリスト生誕劇2018
2018年12月25日(火)17時開演
於 大阪市立阿倍野区民センター小ホール
https://www.facebook.com/events/894100854122598/
 
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親子演劇塾「ことばの泉」キリスト生誕劇
2018年12月28日(金)13時開演
於 和歌の浦アート・キューブ
https://www.facebook.com/events/2147958465524679/
 
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2019年1月開校
『言語造形と演劇芸術のための学校』
https://kotobanoie.net/school/

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2018年11月07日

世は美しい


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「百人一首の歌をいまやつてるねん」と言ひながら、小学四年生の次女が、国語の教科書を持つてきました。
 
 

奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の
声聞く時ぞ秋は悲しき 
猿丸大夫
 

秋風にたなびく雲の絶え間より
もれ出づる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔
 

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
龍田の川の錦なりけり
能因法師

 
 

鹿の鳴き声が悲しいといふこと。
 
雲からもれ出づる月の光をうち見るときの感覚を「さやけさ」といふことばで言ひ表すといふこと。
 
川面に落ちたたくさんのもみぢの葉の流れる様を「錦」と見立てること。
 
子どもにとつては、いまだ経験したことのない景色と感情かもしれません。
 
しかし、まづ、このやうに、日本人は、詩人によつて「選ばれたことば」で、世を観ることを習つてきたのです。
 
さうして、鳴く鹿の声は悲しく哀れだ、散る桜は美しい、と感じてきたのです。
 
そのやうに詩に、歌に、誰かによつて、ことばで言ひ表されてゐなければ、ただ、鹿が鳴いてゐるだけであり、ただ、桜の花びらが時期が来たので散つてゐるだけとしか、人は感じられないはずです。
 
国語とは、価値観であり、世界観であり、人生観であり、歴史観です。
 
世は美しい。
 
その情を最も豊かに育むことができるのは、小学生のころ。
 
国語の風雅(みやび)を謳歌してゐる古い詩歌が、そんな教育を助けてくれます。
 
この世がどんな世であらうとも、子どもたちのこころの根底に、「世は美しい」といふ情が脈々と流れ続けるやうに、わたしたちができることは何だらう。
 
そんなことを思ひました。
 


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大阪・名張 言語造形公演『山月記』
11月30日(金)・12月1日(土)
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ことばの家 クリスマス公演・キリスト生誕劇2018
2018年12月25日(火)17時開演
於 大阪市立阿倍野区民センター小ホール
https://www.facebook.com/events/894100854122598/
 
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2018年10月27日

失はれ続ける風景に抗することばの芸術


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二日前の早朝、玉出といふ場所に降りて行く坂を歩いてゐて、西の空に落ちて行かうとする大きな、大きな満月に胸を衝かれる。
 
その坂は、大阪の上町台地の西南の端で、百何十年前からだんだんと大阪の海が埋め立てられていく前は、万葉の歌にも数多く歌はれてゐる住吉(すみのえ)の浜だつた。
 
それは、それは、美しい風景が拡がつてゐたであらう、「歴史的名所旧跡」である。
 
しかし、いま、かうである。
 
いま、落ちて行く望月を見ながら、目の前に張り巡らされてゐる電線と灰色の建物の群れを、こころの眼の前から追ひ払ふ。
 
 

住吉の岸の松が根うちさらし
寄せ来る波の音の清けさ (巻七 1159)

 
 
 
万葉の歌をもとでに想像する力をフルに使ふ。
 
さうすると、いまでも潮騒と海の香りと姫松並木、そしてその向かうに見えてゐた月が、浮かび上がつてくる。
 
失はれてしまつた風景。
 
文学といふことばの芸術を大事にしないと、人は容易に風景を壊し、そのかけがへのない美しさが失はれてしまつても、痛くも痒くも感じないやうになつてしまふ。
 
だからこそ、詩人によることばの調べをどこまでも尊重する教育を。国創りを。
 
 

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2018年10月25日

尊敬する存在


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平櫛田中作「養老」

わたしたちは、各々、尊敬に値する人をこころに持つてゐるだらうか。
 
もし、持つてゐないといふのなら、それは、しんどいことだ。
 
生きて行く上で、それはとてもしんどいことである。
 
人は、敬ひ、尊ぶ存在をこころにしつかりと持つてゐることで、人になるのだから。自分自身になるのだから。
 
人が人であることの感覚。
 
それは、他者を敬ひ、尊ぶことから、だんだんと育まれていく。
 
幼な子は、皆、この念ひを無意識に持つて生まれてくるのだが、小学校に入つて数年経つうちに、その念ひを失くしてしまふことがある。
 
大人になつて、その念ひを失つてしまつてゐる人は、自分自身の意志でその念ひを持つことができるやう、自分自身を導くことで、こころが健やかさに向かつていく。
 
 
 

日本に於いては、歴史の中で随分と長い間、人が人であることの感覚が育まれてゐた 。
 
それは、ひとりひとりの民が、各々、尊敬する存在を持つことで育まれてゐた感覚であり、延びてゆく道であつた。
 
生きていく上でのお手本を見いだすことで育つてゆく樹木であつた。
 
樹木が育つていくためには、上から陽の光と雨水が降り注がれなければならないやうに、とりわけ、子どもにとつて、そのやうな尊敬に値する存在が必要なのだ。
 
子どもは、尊敬する存在が傍にゐてくれることで、健やかに成長していく。
 
実は、大人だつて、さうである。
 
死者であり、また、それにどこまでも近い存在・・・。
 
さういふもののなかに尊敬する存在を自分自身の意志で持つことで、人は、己れのこころが健やかに浄められるのを感じることができる。
 
古来、日本の民は皆、強制されてではなく、どこまでもこころから尊敬する存在を己れのうちにいただいてゐた。
 
昔の日本人は、さういふ道を歩いてゐたのだ。
 
このことは、いま、これから、本当に強調されなければならない。
 
なぜなら、それは、これまでわたしたちが受けて来た教育では、意図的に全く教へてもらへなかつたことだからだ。
 
 
 
 
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posted by koji at 20:27 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月23日

垂直を仰ぐ


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人が、本当に、自分自身の力を発揮するには、水平的な現実や世間などをあへて視野の外にはずして、ひとりきりになつて徹底的に垂直を仰ぎ見続ける訓練をすること。
 
その訓練の内に、ゆつくりと、己れへの信頼が生まれてくることが、最近、だんだんと分かつてきたやうに思ふ。
 
己れの真ん中を貫いて樹(た)つ大いなる信を育てていく。
 
そもそも、すべての芸術や学問に於いて、この「垂直を仰ぐ」ことこそが何よりも欠かせない精神の態度だつたはずだ。
 
自分自身にとつて「垂直」とは何を指すのか。
 
それは、誰も教へてはくれない。
 
そこを常に自分で自分に問ふことで、澱んでゐたこころといのちが、ほとばしり始める。
 
 
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