雑誌「モエ」の3月号、ミヒャエル・エンデの「モモ」の特集号。
「特別ふろく『モモ』史上初のクリアファイル」なる宣伝文句の意味の不可思議さにはてなと思ひながらも、そこに収録されてゐるエンデの昔のインタヴュー記事にまた深く感銘を受けたのでした。
「芸術といふものは、最高の意味における『遊び』なのだといふこと、そしてその遊びの本質は、『美』といふ質的シンボルを目指してゐる」といふ彼の芸術観に、まこと、意を深くするのです。
しかし、その『遊び』に通暁することが、がちがちに頭と体を固めてしまつてゐるわたしたち現代人には、ことのほか、難しいのです。
『遊び』には、必ずルールといふものが必要なのですが、ただ肝心なことは、昨日には昨日のルールがあり、今日には今日のルールがあつて、それは、その都度、自由に書き換へられるといふことなのです。
しかし、毎日変はるからといつて、でたらめなのではない。ちゃんと、その日その日のものとことをしつかり見て取つてゐて、そこに素直に順応して行くからこそ、その『遊び』は、いつも活き活きと弾みつつ、その『遊び』ならではの本質は決して失はれないのです。
「芸術」とは、そのやうなファンタジーといふシンパシーに基づいた大人の『遊び』なのです。
その『遊び』を遊びとして担保するものの要のものは、自由であり、「美」に向かふといふことであり、さらにまうひとつ挙げるとするなら、それは、互ひに互ひを聴き合ふ、耳を澄ますといふことではないでせうか。
長野県の信濃町黒姫童話館といふエンデの資料館にもなつてゐるところで、エンデが亡くなつて四年後の1999年の夏のある日、子安美知子さんのご紹介、師鈴木一博さんの演出のもとに、一柳慧作曲のオペラファンタジー『モモ』に出演させてもらつたことを想ひ起こしました。わたしは、床屋のフージーさんと吟遊詩人のジジ、二役でした。
そのオペラのパンフレットに鈴木さんが書かれた素晴らしい『モモのあらすじ』があります。その一部をご紹介したいと思ひます。
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モモがそこにゐると、仲たがひをしてゐる大人たちにも、いつかは仲なほりの道が見えてきたし、こころから遊ぶことに飢えてゐる子どもたちにも、ひとりでに遊びがわいてきたし、歌を忘れたカナリヤまでが、歌を思ひ出して鳴くやうになつた。
といつても、モモには、特別なことができたんじやない。モモは、ただ、そこにゐるだけ。いや、ゐるだけでもなかつた。おそらく、モモの友だちには、かういふことも、分かつてきてはゐないだらうか。
モモがゐるやうに、自分もゐあはせてゐると、かすかに響くいろいろな音が、いつの日か、はつきりと聞こえるやうになつてゐる。雨の時にも、風の時にも、蝉や、こおろぎの鳴き声にも、草木のたたずまひにも、大地の静けさ、青空の深み、星空のきらめき、そして人といふ人にも。
いろいろなものが、かすかに、いつだつて、響きをかなでてゐる。
でも、その響きは、耳に聞こえるやうでゐて、本当はこころに響く音だつた。
人が、時間や、音楽や、言葉と呼んでゐるものも、もともとは、その響きのことだつた。
モモに起こつたことは、これからも、いろいろなところで起こるだらう、それぞれどの人にも起こるだらう。
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さう、モモに起こつたこと、それは、人と人との間に織りなされる『遊び』、そして、そこに秘められてゐる豊かさ、美しさ、尊さだつたのです。