ルオー「聖顔」
密やかに古くから保たれてきたものが
新しく生まれてくる己れのありやうと共に
内において活き活きとするのを感じる。
きつと目覚めた世の数々の力が
わたしの人生の外なる仕事に注ぎ込まれ
そしてだんだんと、ありありと、わたしを刻み込んでいくだらう。
Geheimnisvoll das Alt-Bewahrte
Mit neu erstandnem Eigensein
Im Innern sich belebend fühlen:
Es soll erweckend Weltenkräfte
In meines Lebens Außenwerk ergießen
Und werdend mich ins Dasein prägen.
この肉をもつたからだは、なんのためにあるのだらう。
この世で仕事をし、この世に仕へ、自分の周りの世をほんの少しづつでも善きものにしていくために、このからだをわたしは授かつてゐるのではないだらうか。
そして、そのやうに、「からだを使つて、今日も生きていかう」といふ意気込みはどこから生まれてくるのだらう。
日々、寝床から、起き上がれるといふこと。手を動かして、洗顔できるといふこと。ものを食べられるといふこと。歩いて、行きたいところへ
行くことができるといふこと。子どもと遊ぶことができるといふこと。そして、仕事ができるといふこと・・・。
これらすべてのことをするためには、からだが健康であることは勿論だが、さらに意気込みが要る。
その意気込みは、自分自身で生み出すといふよりも、朝起きて、眠りから覚めて、おのづといただいてゐる。それは本当に恩寵だと感じる。
これこそが、世の数々の力からの恵みではないか。
この恩寵への感謝の日々を毎日生き続けていくことが、わたしたちの外なる仕事に生きた力を吹き込んでくれる。
感謝の念ひこそが、わたしたちの心意気を日々目覚めさせてくれる。
そして、この目覚めは毎日を新しくする。わたし自身を新しくしてくれる。
感謝できないときが、人にはあるものだ。しかし、そんなとき、人は意識の上で夢見てゐる状態か、眠り込んでゐる状態だ。
さあ、当たり前にできてゐることに、あらためて目を注いでみよう。
からだを当たり前に使へることの恩寵にあらためて驚くことができるだらうか。
さらに、あなたにとつて、わたしにとつて、「密やかに、古くから保たれてきたもの」とは、何か。
それは、みづからのこころといふものの核のこと。
こころの相(すがた)は刻一刻と変はるが、こころといふものの核は、変はらずに留まり続ける。
その核を「わたしのわたしたるところ」、<わたし>、もしくは精神と言つてもよく、それを意識の上に育てていくために、メディテーションといふこころの練習がある。
この『こころのこよみ 第34週』では、そのこころといふものの核を「密やかに、古くから保たれてきたもの」と言ひ表してゐる。それは、無理をせず、どこまでも自分自身であること(精神からの光)。
そして、毎日の感謝から生まれる、「新しく生まれてくる己れのありやう」。それは、日々新鮮に自分自身を感じること(からだからの恩寵)。
このふたつが重なつて、こころそのものが、活き活きと動き出す。
活き活きと動き出して、いよいよ、わたしは、<わたし>として、ますます、「ありありと」あるやうになつてくる。
外の仕事に「ありありと」<わたし>が刻み込まれていく。
わたしが、仕事を通して、<わたしはある>といふありやうに、なりゆくこと。
これこそが、豊かさである。
ひとりひとりの<わたしはある>といふありようこそが、世を豊かにする。
密やかに古くから保たれてきたものが
新しく生まれてくる己れのありやうと共に
内において活き活きとするのを感じる。
きつと目覚めた世の数々の力が
わたしの人生の外なる仕事に注ぎ込まれ
そしてだんだんと、ありありと、わたしを刻み込んでいくだらう。