
大晦日から明日までのお正月三ヶ日、わたしには仕事がまったくなく、ほんとに身の周りもこころの内も静かであります。ここ京都は思ったより暖かい気候で、北風も吹かず、穏やかな空気に包まれ、時間が止まったような。ただ静かにものを考えるためにいい日本語に触れたくて、芭蕉の紀行文や吉田健一、竹西寛子のエッセーのページを繰って過ごしています。いい日本語に触れると、自分は日本語でものを考えているという、いわば当たり前のことにあらためて気づかされ、そのものの考え方の穏やかさに我ながら安心します。これは言語のもつ靈(ひ)の性質の恩恵で、日本語は強く我を主張せず、世とわたしはつまるところひとつであるという、ある種の無意識の感覚に近いものが下地になっていて、その安心感にわたしたち日本語を用いる者は知らず知らず預かっているのですね。白黒をはっきり決めず、ことばの多義性の中でまことを汲み取る。ものごとをぼやかしたままにするのではなく、ふたつの極に分かれてしまった何かの真ん中に立つ、そんなこころの技量を育むことを促すのが、日本語です。その、あまり他にはない特質を知りゆくことで、日本人ならではのものの考え方をもって生きてゆく。そのような民の靈(ひ)のあり方をしっかりと踏まえて生きてゆきたいな。そこからこそ、地球大、宇宙大の広やかさで愛のことを思えるのじゃなかろうか。そう、このクリスマスの日々に考えています。ふふ。

