2025年11月16日、京都の円町にある恬淡寮にて行いました公演から、「学者アラムハラドの見た着物」のはじめと終わりのそれぞれ、併せて18分ほどを聴いていただきます(全体では40分強の作品)。
オープニングでは小西浩子さんによるヴァイオリンの演奏「鳥の歌」が、そして間奏では「主イエスキリストの十字架の血」が、クロージングでは小西さんのオリジナル曲が奏でられます。まことに、まことに、弦と弓とのこの上ない繊細な触れあいから生まれる妙なる響きで、この演奏にこのたびの語りがどれほど引き立てられ、またこの舞台の全体が清らかな風に包まれたことでせう。
さて、この作品を稽古しているとき、たまたま、マタイ福音書を読んでをりますと、最後の第二十八章にこうありました。
「十一弟子たちガリラヤにゆきて、イエスの命じ給ひし山にのぼり、遂にまみえて拝せり。・・・イエス進み来たり、彼らに語りて言ひ給ふ。『我は天にても地にてもすべての権を与へられたり。されば汝らゆきて、もろもろの国人を弟子となし、父と子と聖霊との名によりてバプテスマを施し、わが汝らに命ぜしすべてのことを守るべきを教へよ。みよ、我は世の終はりまで常に汝らと共にあるなり』」
これは、イエス・キリストが十字架に掛かり給ひし後、甦られ、弟子たちの前にガリラヤの山の上に顕はれられた時の記述です。
学者アラムハラドと十一人の子どもたちとの間に起こつた、ひとつの透視された景色のありのままが、この作品にもまた語られてゐます(心象スケッチ)。
わたくしもまた、その透視された景色に、畏れと憧れと親しみ(リアリティー)を感じる者です。
人は、真実に触れた時、こころに靈(ひ)の風景が顕はれます。
そして、舞台芸術は、この顕はれを、そこに集ふみんなと共にすることを目指すものです。
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これからも、アントロポゾフィーに学びつつ、言語造形の研鑽に励みつつ、発信を続けて参りますので、どうぞよろしくお願ひいたします。
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