先日の公演におきましても、わたし自身の未熟な芸のありようが、やはり、なかなか洗い去りがたいものであることを実感いたしました。
しかし、それでも、舞台に立つことを通して、はっきりと意識していることがあります。
それは、ひとつひとつの瞬間において、どれほど〈わたし〉を透明にするかということです。
足を動かしているのも、腕を動かしているのも、声を出しているのも、ことばを語っているのも、低い〈わたし〉ではなく、息づかいの流れが拡がりゆき、ことばのひとつひとつの音韻がかたちづくられることをもって、靈(ひ)が透明な高い〈わたし〉を通して流れ出づるように・・・。そのことへの一瞬一瞬の葛藤の連続でした。
そうして生まれ出てくるものが、靈の顕われであることを目指すことです。
それは、古代の宗教施設や秘儀の場においてなされていたことで、いまという時代においては、芸術家の担ってゆくありがたい務めだと実感しています。
21世紀の半ばに向かうこれからの時代に、芸術をする人には、そのような高いものと低い世とを繋ぎ、同時に、低い世を高い世へと高め、ものというものを再び神々しいものになすべく、我が身を用いるという仕事が与えられています。
わたしの場合は、当たり前に人に与えられている「ことば」という極めて身近なものを神々しいものへと高める仕事が与えられているように感じています。
わたしたちが授かっている日本語に、そもそもの神々しい響きを再びもたらすこと。俗語を高めること。
それは、俗な〈わたし〉を高貴な〈わたし〉へと高めること。そして、人々にまことの幸福をもたらすことであります。
まことの幸福とは、この世が実は幻であり、その幻の世を生きつつ、いや、幻を幻だとはっきりと知ることによって、そのことを通してこそ、幻のこの世に感謝しつつ、逆にわたしたちは、幻ではない、まことの〈わたし〉、高い〈わたし〉を知るにいたる。まことのふるさと(この世に生まれる前の世)へと再び立ち至る。
その高い〈わたし〉は、同時に、「わたしたち」を意味するものになります。
そのとき、わたしたちは、安らかさと確かさに包まれて、この世を生きてゆくのです。
「愛」とは、「自由」とは、そのようなこころのありようから生まれ出づる、高い世からのおのずからなものだと感じます。
そして、我が国、日本では、そのこころのありよう、その生き方を、「かむながら」と言っていました。
※写真撮影 Suwa Natsuki | 諏訪夏木 https://www.instagram.com/suwa_natsuki/?igsh=MXB2azNmYmQzZG50OA%3D%3D&utm_source=qr#
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