
今から約30年前に、わたしは、ことばづくり(言語造形)という芸術の道に入ったのですが、なぜそうなったのか、この道は何をわたしに伝えようとしているのかという問いに対する返答のようなことばが、101年前のシュタイナーの連続講演録『ことばづくり(言語造形)と演劇芸術』の最後の回に語られていました。
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【第19講 1924年9月23日 ドルナッハ】
実際、わたしが試みに話して来たこれらのことは、演じるという芸術を大いに尊ぶところから発しています。
そもそも、演じるという芸術は、人が実際、身を捧げつつ舞台に立ち、その人たるところを役というものの内に注ぐことにおいてなりたちます。
その芸術は大きな課題を有していますし、こんにちもなお、世に向かって、人に向かって、働きかけることができます。
すなわち、人が演じるという芸術によって、靈(ひ)の高みへと引き上げられます。
まるごとの人が、演劇という、靈(ひ)を湛えて生みなされたものに仕えながら、ことばと身振りに応じてどう据えられるか。それを見てとることは、靈(ひ)への道を養う道のひとつなのです。
ここに、ひとつのこころざしを観ていただけると思います。
芸術ならざる自然主義から、実際の、スタイルを湛えて立ち現れる、靈(ひ)の舞台芸術へ、道を敷こうとするこころざしです。
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そしてさらに、この連続講演の最後に詩人のアルベルト・シュテッフェンがこう述べています。
「シュタイナー博士は、人としてのわたしたちに助けの手を差し伸べました。そして、それより大きいことに、わたしたちの内なる、芸術をする人を救おうとしているのです。わたしたちそのものを、造形する人に、詩人に、演ずる人にしようとしています。わたしたちは何をもって礼を返すことができるでしょう。他でもありません。ことばを実際にある通りのものとして、すなわち、ミカエルのつるぎとしてつかみあげ、芸術への道を実際に打ち樹ててゆくことによってです。」
わたし自身、これらのことばに出会うために生まれて来たように思われて仕方がないのです。
そして、これから願うべくは、これらのことばに沿って、実際に、最後のときまで仕事をしてゆくことです。生きてゆくことです。
これまでの30年間もそのように生きて来たつもりでいたのですが、自分を包む繭の中にいたことに気づかされたのでした。
繭の外に出てみますと、そこは安らかで穏やかな光のようなものに満ちていて、その光の中を風に乗って舞うように仕事を織りなしてゆくことへの可能性を感じています。
その可能性を信じて、また、おのれに与えられている運命を信じて、そして、おのれのおのれたるところである〈わたし〉という靈を信じて、ことばの舞台芸術の道を生きて行きたい。この秋、あらためて、そう考えています。
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