
自分ひとりのいのちの営みが、つまるところ、誰かのいのち、何かのいのちと繋がっているということ。もっと言えば、永遠と繋がっているということ。それは誰が説いた教えでもなく、素朴な事実。
先日、ある人と夕方から会ってお酒を飲みながら話しをしたのですが、その人はそのときに話したいことをわざわざ前もってノートにたくさんしたためて、その場に来てくれたのでした。
いかにその人が、一期一会ということばで言い表されている真実を大切にしているか。そのことをわたしは肌身で感じました。
一期一会とは、なんと厳粛で、かつ、楽しいものなのでしょう。精神の意味では厳粛で、この世の意味ではこの上ない喜びなのです。
その場では、西洋の歴史の中で営まれて来た哲学や科学の話をしていたのですが、最後には図らずも日本の精神、靈(ひ)の伝統について、ふたりの話は深まってゆきました。
その人は五十、わたしは六十の歳になり、年齢を重ねることのありがたさを互いに認め合いつつ、酒を飲み、これほど旨い酒はないと感じ、互いを認め、敬いながら交わされることばはどこまでも爽やかで、わたしなどは和歌を唱えたくなるような時間でありました。
こころを空に放つような時間です。
これが、日本人の自然だった。そんなことを不思議にも既視感と共に感じたのでした。
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