
いま、小学二年生、三年生と共に学び、生きる時間をそれぞれ定期的に持たせてもらっています。
これまで、シュタイナー教員養成講座などを通し、大人の方々に向けて、シュタイナーから生まれた教育に対する知識を教えさせてもらっていたわたしが、いま、ようやく60歳になって、子どもたちと触れ合いながら生きる時間を与えられています。
恥ずかしながらうまくゆかないことばかりです。しかし、授業の回数を重ねて、子どもたちとのあいだに流れている何かを感じる練習をしつづけていますと、わたし自身、本当に久しく想い出せずにいた、生きることへの輝くばかりのきらめきやときめきを、子どもたちからいただくようになってくるのです。
「きらめき」や「ときめき」などということばはとかく綺麗事に聞こえてしまうかもしれませんが、この感情は、実は、わたし自身、子どもの頃に持っていたものでした。
子どもたちの瞳の奥に輝いている、その、靈(ひ)なるもの。それは、ことばにならないところで叫んでいる「僕は僕になりたい!」「わたしはわたしになりたい!」という声であり、その声は、わたしの知性ではなく、情で聴き取られるものでした。そう、わたしの情が仲立ちしてくれて、わたし自身の靈(ひ)なるところと子どもたちの靈(ひ)の声とが繋がり、結ばれるのです。
前もって準備している授業のことごとが、子どもたちとの間に生まれて来るものによって、なり変わってゆき、ときに、崩れてゆきます。しかし、それでこそ、その時間が生きているのです。子どもたちとの、まさに、一期一会の出会いの中で生まれて来るものをこころの目でみつめ、こころの耳で聴き取り、そこから新しく何かを産みだしてゆく毎回です。
先日も、しようとしていた授業は見事なまでに吹っ飛んでゆき、子どもたちが本当に嬉しそうに持って来たカブトムシとクワガタムシ(親御さんいわく「諏訪先生にみせるんや」と言ってきかなかったそうです)を机の上に置いて、それぞれの名前を決め、物語を創り、想像を膨らませてゆく時間へとなり変わっていったのでした。
そして、これまで、ノートに文字を書くことがほとんどできなかった子どもが、一生懸命、そのカブトムシの物語を平仮名で書くのでした。わたしは、その姿を観ていて、なんだか、涙が出て来るのでした。
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