
「古今和歌集」の仮名序が紀貫之によって記されています。その中で彼のコメントと共に、在原業平(ありはらのなりひら)の和歌(やまとうた)が取り上げられていて、読んでいるとこころに染み入るように響いて来ます。
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在原業平は、その心あまりて言葉たらず。しぼめる花の、色なくてにほひ残れるがごとし。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして
(「古今和歌集」の仮名序より)
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一千何百年前の古き人と密(ひめ)やかにこころを通わせることのできる喜び。
そんな喜びをこそ、子どもたちとも分かちあいたいと願います。そんな国語芸術の時間を創りたいと思うのです
確かに、小学生や中学生では(もしかしたら、高校生や大学生でも)、これらの高くて深い文学の味わいはまだ分かりかねるでしょう。しかし、すべてをすぐに分かる必要はどこにもないのです。
よきもの、本物に触れることが大切なのですから。
そして、何年かのち、何十年かのちに、想い起こし、その味わいがようやく分かること。
生きることの深みを味わえる能力は、人生を根底で支える力でもあります。
そしてその能力は、促成栽培できず、長いときの中で大切なことを学び、そしてそれを忘れ、またそれを想い起こすことの繰り返しの中で、培われてゆくのです。
その忘却と想起のダイナミズムが、人にこの人生を生き抜いてゆく力を与えるのです。

