
保育園で続けている昔語り。
その園では、三つのクラスで、それぞれ二つから三つのお話をするのですが、その日の最後にしたクラスで、子どもたちからのアンコールの声、鳴り止まず( ´艸`)。
その日に用意してきたお話はすべてしてしまったし、どうしようかと。
そこで、「たぬきのメガネ屋さん」というお話をアドリブで語り始めてみたところ、子どもたちの眼がそれまで以上に爛々と輝いて来るではないですか。
いつも、ひとクラスで二十人ほどの子どもたちがいるのですが、その中には、お話を本当は聴きたいのに、なんらかの事情やこころもちで拗ねたようなふりをして向こうを向いていたり、お話の途中で大きな声を上げたりする子がいるものです。
その時もそんな子が何人かいたのですが、特にその子たちが、アドリブのお話を始めるやいなや、まさしく笑顔を顕わにしながらこちらを凝視し、じっとお話を聴くのです。また、お話のふしぶしで、そのふしぶしに応じた受け答えをするような声を上げ始めるのです。
そして、わたし自身も結末がどうなるか知らないまま、息づかいが導いてくれるままにお話をくりなしてゆき、そして行きつくべきところに行きつくかのようにお話を終えた時、子どもたちがみんなまとわりついて来ます。
楽しいのでしょうね。嬉しいのでしょうね。ファンタジーの奔出に触れることが。
アドリブでお話を創るのです。誰にでもできます。語る本人が楽しめばいいのです。
そう、幼い子どもたちが求めているものはこれなのです。
ファンタジーとは、お定まりの思考から生まれて来るのではなく、その都度その都度の意欲からおのずと繰り出して来るシンパシーの働きから生まれ出づるものなのです。それは、エゴからの働きではなく、高い世からものを仕立ててゆく力なのです。
その意欲の力を育みたがっている幼な子たちは、そういうファンタジーを通して、自分自身のからだを、自分自身の息づかいを育みたがっているのですね。
意欲の力、それは、息づかいに通います。からだまるごとの動きに通います。こころまるごとに通います。
そのように通われた意欲の力は、後年、その人の情の豊かさと、活き活きと考える力として、植物が成長してゆくように繰りなして行きます。意欲の力とは、人の根にあたるところに通う力なのですね。
深い息づかいとことばの内側に孕まれている身振り、そして音韻の細やかな造形から生まれる昔語り。
この子たちが大人になって40歳、50歳、60歳、70歳になったとき、目に見えないもの、遠く憧れを呼び起こし続けるものに対する感受性をもつ人になることを確かに見込んで、この芸術の営みを続けています。
ことばって、本当に人にとって生涯魅力を感じるものなのです。それは、幼児期、少年少女期に活きたことばをからだまるごとで味わうことから、その感受性が育ちます。
そして、そういうことばの魅力を知っていることから、人として、こころをどうくりなしてゆくことができるのかという自己教育の源に常に立ち返ることができるのです。

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