幼な子にお話を語る時、それは、昔話であり、神話であったりするのですが、大切にしたいことがいくつかあります。
その内のひとつに、お話を「まこと」と信じることがあります。
風や山や動物、植物のひとつひとつが、人と同じようにいのちを持ち、こころを持っている。そして、互いに語り合ったり、喧嘩したり、仲直りしたり・・・。
そして、そのようなお話はまことを語っているのだと信じることを大人であるわたしたちは学ぶのです。
それは、どの人も幼い子どもの頃に感じていたリアルなことです。
幼な子は、いまだ、いのちのあるものとないもの、こころのあるものとないもの、〈わたし〉と世とを、分かつことをしません。分かつことができません。
〈わたし〉を含めて、世はまるごとでひとつ。そんな意識を幼な子は生きています。
それは、神々しい意識とも言えます。その神々しい意識は、いまだ神々のお姿を見ますし、神々のお声を聴きます。
そして、そのような神々の振る舞い、姿を描いたものが、昔話であり、神話であります。
幼な子は、そのような昔話や神話を、ことばに出して言ったりしませんが、こころの底から、からだまるごとで求めています。
幼な子にお話を語る時、こんな昔話は荒唐無稽だけれども子どもは喜ぶんだから、まあ、それ風に語っておこうというような意識で、頭に分別をたっぷりと詰め込んで声を出す時には、幼な子のこころもからだも荒(すさ)んでしまいます。
一方、わたしたち大人がみずからの心臓にファンタジーを湛えつつ、このお話は真実を語っているのだという念いで声を響かせることで、繊細な感覚を持つ幼な子は、からだとこころまるごとでそのお話を聴き、血の巡りと氣の働きを活き活きとさせます。
そして、そのような繰り返されるお話体験は、その後の人生に、自分自身から創りなすアクティブな力(創造力・想像力・ファンタジー)に満ちた健やかなこころの礎をもたらします。
アントロポゾフィーは、昔話や神話にはまことが湛えられていることをわたしたちに教えてくれます。
アントロポゾフィーによって、昔話や神話を信じることをわたしたちは学ぶことができるのです。
アントロポゾフィーからの叡智を咀嚼しつつ、メディテーションを重ねつつ、ことばづくり(言語造形)を通してお話という芸術に通じて行く、そのような芸術実践を重ねて行き、日本中の多くも多くの幼な子たちにお話を語り聞かせてゆく。それは、昔、吟遊詩人と呼ばれた方々がしていた仕事です。
わたしも、まっさらな気持ちで、この仕事をして行こうと思っています。
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