昨日は、京都府南丹市でのことばづくり(言語造形)の一日「ことばのひ」でした。この日も、分かち合えたことなのですが、ことばとは、物理的な空間を超える、眼に見えない靈(ひ)の運動そのものなのですね。その内なる動きは、そのことばの音韻の連なりによってそこにいる人という人のこころを導き、予想もつかない新しい世の扉を開いてくれます。それは理知では捉えられない、靈(ひ)によって観られる靈(ひ)の運動なのです。そして、その運動、その動きそのものに、素直なこころを持つ人ならばどの人も触れることができるのです。その、なりなりてなりゆくもの。絶えざる変化という継続。それこそが、ことばであり、その、なりなりてなりゆくものに触れること、そのありありとあるものに直接触れる喜び、直接包まれる喜び、そのリアルな感覚は、人をお風呂上がりのように健やかに甦らせるのでした。ことばづくりという芸術。それは、そのありありとあるものに触れる喜びをはっきりと我がものにする努力そのものなのです。それは、まことの芸術行為、まことの哲学的行為、まことの道の営み、すべてに共有される、絶え間なく更新していく靈の営みであり、絶え間なくなり変わりゆくメロディーの流れなのです。その営みは、前もって決められた固定化した観念からではなく、その場その場で新しく創造される精神からの自己拡張であり、だからこそ、〈わたし〉というものは、実は、どこまでも拡張可能なものなのです。そして、拡張していくほどに〈わたし〉は、無私なる〈わたし〉へと、なりなりてなりゆきます。その行為は、決して、人を眠りへといざなうような安易なものではありませんが、そもそも、人は、狭い体に閉じ込められた日常の生から自由に飛翔し、先に書いたように、「ありありとあるものに触れる喜びをはっきりと我がものにする努力」をしたいのです。そんな機会を提供することが、わたしの仕事ですし、芸術行為が持つ意義だと思っています。この行為は、日々の暮らしの中に潜んでいる「まことのもの」を引き出す糸口を摑むための、長期的、継続的な人生の稽古そのもので、わたし自身、ずっと、道の上にいます。
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