「分かる」ということには、いくつかの順序、次第があります。まずは、眼で見て分かる、頭で理解して分かる。そこから始まり、だんだんと、こころに受け止めて分かる、胸で感じて分かるへと深まりゆき、最後に、腑に落ちる、腹で分かる、やってみてますます分かるという道を人は歩いて行くのですね。この三つの次第を生きるためには、学びを続けて行く必要がありますし、長く時間がかかることです。しかし、だからこそ、喜びがあります。同じ「分かる」でも、その質に違いがある。時をかけて、ゆっくりと、掘り進めて行くことで、深みへといたるのです。同じ本をいくたび読んでも、読むたびに、新しく「分かる」ことができ、新しく喜びが訪れます。
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