小林和作「日照雨」
いよいよ梅雨に入ったようですね。大阪でも朝から豊かな雨が降り注いでいます。
今日は、夏至で、一年のうち、最も陽(ひ)が高いところで輝き、それゆえ、日照時間が最も長いときです。
しかし、そんな、陽が高く輝き、地球に強く働きかけて来る日々のはじまりが、雨雲に覆われた梅雨の空と同居している、この日本という国の天恵のような不思議さを念います。
夏至、もしくは、西洋でのヨハネの祭りは、我が国では、旧暦での皐月(さつき)の雨、五月雨(さみだれ)の日々のさなかであります。
その不思議さは、きっと、こういうことではないだろうかとも思うのです。
我が国では、物質としての陽の働きを雲が隠し、そのことによって、靈(ひ)としての陽、陽の陽たるところ、陽の本質を感覚することこそが、人の生き方を導くものであったということです。
「お天道さま」と昔の人が言うとき、それは陽の神さまのことを言っていたはずですし、時代が下るにつれて、高い意味での「良心」のことを言うようになって来ました。
そして、いま、わたしたちへの良心のささやきは、まさしく、高いわたし、〈わたし〉からの声であると、はっきりと知る時代に入って参りました。
〈わたし〉とは、そもそも、陽(ひ)であり、靈(ひ)であったということも、やがて知るようになります。
「お天道さまがみているよ」ということば。
それは、「他の誰でもなく、このわたしのわたしたるところ、〈わたし〉がわたしをみているよ」という意識からのことばへと育って参ります。
雨雲に覆われる、この夏至からの日々、旧暦では、皐月(さつき)の後半、わたしたちはだからこそ、積極的に、隠されている「お天道さま」を、星々の彼方にまで拡がっている「〈わたし〉」を、探し求めます。
太平洋に面した極東に位置するこの国において、自然の条件が織りなすわたしたちの生き方、暮らし方。そしてそこに通い続けている靈(ひ)の働き。
そのことをアントロポゾフィーを学びつつ生きているわたしたちは、これから、新しい意識からの「祭りづくり」をもって育んで行きます。
そして、本来の日本の夏のお祭りである、七夕の節供については、新暦の八月のはじめごろ、また、書いてみたいと思います。
西洋とは異なり、夏のお祭りをおおよそひと月半ほどずらして、新暦の八月はじめ、旧暦の文月(ふみづき)七月七日に、澄み切った夜空に星々をはるかに臨みながら、わたしたちは日本の夏祭りを祝うことができるのです。
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