今日の午前は、毎月通って来て下さっている方々とのことばづくり(言語造形)。
ひとつひとつの物語には、「風」が吹いています。
それは、様々な強さと穏やかさ、乾きと湿り気、熱の高低をはらんでいて、そして様々な色合いまでも感じさせます。
その「風」とは、物語や詩に潜んでいる情感であり、日本の古来の言い方ですと「もののあはれ」であります。
人は、己れのアストラ―ルのからだをもって、その「風」を生きます。語り手も聴き手も共に生きるのです。
肉の目には見えませんが、語り手によって作られるオイリュトミッシュな身振り、とりわけ母音の身振りから空間に情が風の流れのように生まれます。
その流れに乗るように、包まれるように、ことばが空間の中を運ばれ、語り手も聴き手もその動きを共に生きるのです。そうして、「もののあはれ」を分かち合うのです。
それは、本当に、味わい深い、ひとときです。
物語を聴くとは、ストーリーを理解することではありません。詩を聴くとは、ことばの意味を分かることではありません。
「もののあはれ」という情を感じること、それこそが、ことばの芸術、いや、すべての芸術がもたらそうとしているものです。
「あはれ」とは、悲しみだけを指すことばなのではなく、人が「ああ・・・」と長い息をつきつつすべての深い情を生きるとき用いられたことばです。
ものというものに触れ、ものというもののうちへと入り込んでゆき、そこに交わされる密(ひめ)やかな交わりの感覚を意識すること。それを「もののあはれを知る」と言います。
その芸術実践から生まれる状態は、たとえて言うならば、アストラ―ルのからだによる「風」が、エーテルのからだに湛えられている「水面(みなも)」にいのちの波立ちを起こし、その芸術の場にいるわたしたち人を靈(ひ)において、こころにおいて、生命において、甦らせる、一連の芸術プロセスです。
今朝も、まさにそのような「もののあはれを知る」、そんな本当に豊穣な時間の連続でした。
そして、今日のその時間を終えて、こう思わざるを得ませんでした。
あと何か月、いや何日、ここでこのような芸術活動ができるのだろう。
この大阪の帝塚山の「ことばの家」は、本当にことばづくりという芸術にとって絶好の場でした。
十二年にもわたってここでなされてきた芸術実践がこの物質の場を靈(ひ)の次元において変容させ続けて来ました。
今朝も、そのような濃厚なひとときが生まれたのでした。
いま、次なる「ことばづくりの場」を探し求めています。
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