二年前のプレ講座からずっと引き続きシュタイナー教員養成を受講して下さった大河原芙由子さんが、この二年間のことを言語化して下さいました。
このアントロポゾフィーの学びは、消化するのに、何年も何十年もかかるものです。その学びを静かに深く受け止めて下さっていることが分かります。
わたしたちは、かけるべき時間を「ゆっくり」とかけることに、これからは意識的になって行っていいと思うのです。
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5月のGWの3日間をもって、約2年にわたるシュタイナー教員養成課程が終わりました。
3日間の対面講座が8回、そしてオンラインクラスが毎週1回、本当に、本当に深い学びの時間でありました。
幼な子がどのように成長していくか。
最初の7年は身体をたっぷり使い欲する働きを育み、次の7年は胸の領域を使い感じる働きを、14歳からの7年は頭に働きかけて考える働きを育む、といった子どもの成長や教育はもちろんですが、なんといっても、子どもの前に立つ、私たち大人がどのように在るか、深い呼吸をしているか、人間とはいかなるものか、この世はいかなるものか、それらをおおいに学びました。
座学は毎回、さまざまなこの世や人生の事象が、実に有機的にシュタイナーの”人智学”により受け止められることに感動し、また、知的好奇心を掻き立てられ、一言も聴きもらすまいと全身をそばだてました。
そして芸術体験。
古事記、和歌、詩などの言葉を空間に立ち上らせる「言語造形」
身体で言葉の音韻を味わい表現する「オイリュトミー」
色そのものを味わう「水彩」
響きを味わう「音楽」
彫塑、自然観察、手仕事等々、”感覚の修練”もたっぷり行いました。
たくさんの学びがありすぎて…。
しかし、一番は、私が私であること、また、人生にはさまざまなことが起こりますが、それらをどう”仕立てるか””物語るか”の学びが大きかったでしょうか。
そういったことを、頭で知るだけではなく、学びが2年間日々の生活の中にあったので、ほんとうに日々の生活の中の修練(修行)として実践に努めてきました。
といっても、頭では分かっても心がついてかなかったり、なかなかうまくはいきませんので、まだまだ学びの細道の途上にいますが、でも、道の入り口からは道の中にだいぶ進みましたので、あとは歩んでいくのみです。
私的には、最後に学んだシュタイナーの「社会三分節」も非常にツボでありました。社会をどう考えるか。精神の世界がまずあって、そこから法・政治の世界、また、経済の世界に精神が流れ込んでいくという連関。また、「政治」とは、調和をつくる、胸・心の領域であるということ。
「慮る」という言葉が先生から出たのも唸りました。
「慮る」とは、大学で政治学を学んでいた際に、政治とは何か?という問いをずっと持っていて、当時の恩師の佐々木毅先生の著書や論文をひたすら読みまくって、たどり着いた言葉だったのです。
教員養成講座をずっと導いてくださった諏訪耕志先生、主催された仙台市中山にある「おひさまの丘宮城シュタイナー学園」の福島先生たち、そして一緒に学んだ仲間の皆さん、本当にありがとうございました。
講座が終わっても私は一生この学びを続けていくつもりでしたが、なんと有志で引き続き、シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』から学んでいく時間が週1回持たれることになりました。今後もたのしみであります😌🕊🌿
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