我が「ことばの家」の裏に百年にわたって佇立していた古い家が取り壊されてしまいました。
そして、この「ことばの家」ももうすぐ取り壊されてしまいます。
何ごとも何ものも常ならざるものですが、眼の前でどんどん古いもの、親しみある馴染みのものが消えて行くのを、わたしもまた、いま、目の当たりにしています。
しかし、それは、わたしに、思い出に耽り、悲しみに憩うことよりも、人生の次なる新たなところへと歩みゆく希みを抱かせます。
わたしには、勇気が必要ですし、実際、その勇気をこころにもらえていることに恩寵を感じます。
わたしは、ひとりで生きているのではない。わたしは、生かされている。そして、赦されている。こうして生きることを赦されている。
ずっと変わらず見守って下さっている方々がおられること。
そのリアリティーを抱いて、ゆっくりと歩いて行きたいと思っています。
次の住まいが決まりましたら、その前に、大阪帝塚山のここ「ことばの家」にて「言語造形の最後の晩餐?」ができたらと切望しています。