ゴッホ「花咲くアーモンドの木の枝」
まずは、我がからだをゆっくりと使うことから始めてみる。
意識できるとき、気づいたとき、からだをゆっくりと用いるのです。
このキーボードを打つときも、立ち上がるときも、この部屋を出るときも、ゆっくり、ゆっくりと動いてみる。
そして、その動きにていねいさや静かさや落ち着きが湛えられているのを自分自身で感じてみる。
そのゆっくりとした動きが、おのずから、息遣いの穏やかさ、ことば遣いの静かさ、こころもちの安らかさへと導いてくれる。
からだをゆっくりとした時間の中へ入れて行くのです。重さ・重力の中へではなく、軽さ・浮力の中へからだを持って行くのです。
ちょっとした意識の転換で、からだの用い方を変えてみること。
そして、それをゆっくりと習慣にして行くこと。
そのような習慣を身につけることは、一朝一夕には叶わないが、それこそ、ゆっくりと、こつこつと、毎日、やっていけばいい。
なんど、慌てふためき、取り乱すようなことがあろうとも、また、気づいたとき、「ゆっくり」の中へ帰っていけばいい。
そのように、時というものを新しく生きて行くこと。
それは、このからだに授かっている「いのち」を自分自身から甦らせる、本当の保養なのです。
【断想の最新記事】