下北半島の突端から
日本にもシュタイナー教育が入って来て、おそらく50年近く経っていると思われるのですが、わたしの内には、日本でのシュタイナー教育実践においてのひとつの問いがありました。
それは、子どもたちに「歴史」を教えてゆく際に、アントロポゾフィーの人間観・世界観から得られる歴史への見識に基づく授業をすることと、日本の歴史について教える際の、微妙な(もしくは、明らかな)違和感を現場の先生方はどう感じ、実際にどう授業されているのか、という問いでした。
次のような考え方があると思います。
洋の東西南北を問わず世界中の物語の中から、子どもがいま求めているもの、子どもの成長に資するものを、絵姿豊かに語ることが、大切であるということ。
まことにその通りだと思いますが、それを踏まえた上で、やはり、わたし自身の中で、さらなる問いが生まれて来ます。
人がする学びという学びは、つまるところ、己れを知るということ、自己認識を目指しています。
古代ギリシャの密儀の中のことば「汝みずからを知れ」は、いまも、わたしたちに痛切な響きをもたらしているように実感します。
それは、個人個人のことでもありますが、きっと、民族のこと、国家のことでもあるでしょうし、歴史を学ぶとは、人類が人類を知る、民が民を知る、人が己れみずからを知るということに他ならないように思います。
そして、その学びの営みのうちに、二つの方向性がある。
己れみずからを知りたければ、世をみよ。世を知りたければ、己れみずからをみよ。
そして、この二つの意識の方向性は、長いときをかけた学びのうちに、ついには、ひとつになる。「〈わたし〉は世であり、世が〈わたし〉である」。
さて、話は、「歴史教育」のことに戻ります。
世界の中に日本があり、外があるからこそ、内がある。
外国のことをよく知ること、知的にも情的にも世を広く見晴るかし、親しく他者について知りゆくことを通して、内なる国、自国のことを知る、そんな自己認識のありかた。
学びには、そういう側面が欠かせません。
そして、もうひとつ、自分自身の中心軸をしっかりと打ち樹てるべく、我が民族、我が国の独自の精神文化をより深く追求していくこと、足元を深く掘り進んで行くことによる自己認識のあり方。
どちらかひとつではなく、両方の学びの間に釣り合いが取られて、わたしたちは、個人においても、民族のことにおいても、国家のことにおいても、内と外とのハーモニーを健やかに生きることができるように思います。世界史と日本史の間に、ある歴史的繫がりを見いだすべく、わたしたちは学びを進めて行かねばなりません。
小学生から中・高校生の歴史の学びにも、その視点がとても重きをなします。
ただ、ここに大きく深い問題があるように感じています。
それは、日本の近・現代史は、精確に言うならば、日本の精神は、相当、屈折している、もしくは、屈折させられているということです。
明治維新以来、西洋の最新の文明に追いつけ、追い越せという文明開化のスローガンの下、とりわけ、若いエリートたちは、それまでの自国の文明文化をある意味、大いに否定し、父や祖父、母や祖母の持っていた考え方、生き方を古臭いものとして葬り去ろうとして来た、そんな近代の歩みであったからです。
言い方を変えますならば、もともと成長していた樹木を、真ん中、もしくは根もとからぶった切って、全く違うところで育った木を接ぎ木した上で、「それ生えろ、それ伸びろ、それ花咲け、それ稔れ」とばかりに大急ぎでやってきたものですから、無理がたたる。
それは、外国から開国を要求され、植民地化されるかどうかという瀬戸際での国家的判断からなされたことですので、歴史の必然としか言いようがない、けれども、何とも言えないような苦しみと哀しみを感じざるを得ないことがらです。
その無理が無理のまま最後に爆発してしまったのが、79年前の世界大戦での日本の大敗北であったのではないかと思うのです。
そして、戦後、明治維新以来の無理の反動でしょうか、わたしたちは自主独立する心意気など全く失い、しかし、また、明治維新以来のヨーロッパとアメリカこそが主(あるじ)であり、我々は従(おきゃく・しもべ)であるという底深い観念・心情がこころの奥底に染み付いてしまっているように思われますが、どうでしょう。
そして、シュタイナー教育が、今は亡き子安美知子さんの「ミュンヘンの小学生」という一冊の新書の1975年発刊以来、約50年近くに亘って、日本に少しずつ広まって参りました。
ヨーロッパからの精神文化として伝わって来たシュタイナー教育運動、その日本における伝播においても、やはり、先ほど書きました、日本民族の近・現代にずっと引きずっている、どうしようもない屈折とコンプレックス、自己不信感が、多くの場合、自覚なく、伴われて来たのではないだろうか。
いわゆる、「自虐史観」の囲いの中で自国の歴史を捉えて来たがゆえに、シュタイナー教育においても、その影が無自覚に教育実践の上に落とされて来た嫌いはなかろうか。
わたし自身の問題意識として、そのことがずっとあります。
子どもたちに歴史を教えるということは、そういう事情の上になされることだからこそ、わたしたち大人の意識のありようがまことに難しい。
その屈折を屈折のまま子どもに伝えることもひとつの教育と言えるのかもしれませんが、やはり、大人自身が、明治維新以来の屈折を、ひとり、引き受け、人としてその屈折をまっすぐにしようという意識と気概が要るように念うのです。
屈折を屈折と自覚せずに、子どもたちに歴史を教えることは、子どもたちを複雑な、まさに屈折せざるを得ない存在へと育ててしまうことにならないだろうか・・・。
わたしたち昭和の後半から平成に教育を受けて来た者たちは皆、そういう教育を受けて来たのではないだろうか。だからこそ、内において、皆、とても屈折している・・・。
アントロポゾフィーを学ぶわたしたち日本人は皆、そのことに向き合い始めていると思います。
そして、これは、大変なことだであり、だからこそ、この問い、この考える営みを持続させていくことが大切なことだと、わたしは考え続けています。
さらには、実際の教育現場を創りなしてゆくことで、新しい時代の教育を新しく創ってゆくことが、この問いに答えを見いだしゆくプロセスになるでしょう。
それは、わたしにとっての人生の大きな課題のひとつなのです。