大阪の中之島美術館に、モネの作品を観に行きました。
絵の横に付してある題名も解説も何も読まず、ただただ、色だけを観てをりました。
その色彩から、めくるめくやうな、音楽が響いて来るのでした。一枚一枚の絵に固有のメロディーとハーモニーが奏でられてゐるのです。色彩と音楽がひとつとなつて流れ出し、絵の前に立つわたしはその流れに包み込まれるのでした。
そして、こう思はざるを得ないのでした。池に浮かぶ蓮の花、岩壁に波を打ち寄せる海の向かうに拡がる空を、こんな色あひで観た人は、モネ以外誰もゐない。色は、眼で見るのではなく、こころで観るのだ。
絵の前から絵の前へと流れゆく大勢の来場者の中においても、絵と音楽とわたしといふ、密(ひめ)やかな時間を生きることができるのでした。
家に帰つて来て、二十年ほど前に読んだ小林秀雄の『近代絵画』のモネの章を読み直してみました。
そこには、次にやうなことが書いてあります。
もつと直接に風景を摑みたい、光を満身に浴びて、鳥が歌う様に仕事をしたい。
モネの内に迸り始めた狂気のやうな情熱の根本の動機とは、それであつた、と。
そして、小林は、こう書いてゐます。
●光の音楽で、身体がゆらめく様な感じがする。これは自然の池ではない。誰もこんな池を見た事もないし、これからも見る人はあるまい。私はモネの眼の中にゐる、心の中にゐる、そして彼の告白を聞く。
●モネの印象は、烈しく、あらあらしく、何か性急に劇的なものさへ感じられる。それは自然の印象といふより、自然から光を略奪して逃げる人の様だ。
●印象主義によつて解放された光の新しい意識は、画家達を、今迄はつきり感じた事のない、音楽と絵画との相関関係の意識に導いた事は否めない。
文章を上手に書くといふことは本当に凄いことだと唸つてしまひました。
そして、絵であれ、文章であれ、芸術家は、手の内にある素材と格闘し、世の浅瀬ではなく、深淵を新しく開示する人なのだと、あらためて念ふのでした。
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