小林秀雄の『ゴツホの手紙』を夜な夜な読み継いで、最後の頁を読み終へた時、ぼろぼろと涙がこぼれて来た。
そこには、狂気を抱えざるをえなかつた画家と、その狂気の向かう側にある魂の純粋をひたすらに見守り続けた画家の弟との間に通つてゐた、人といふ存在そのものへの信が刻印されてゐた。
ゴツホのポケットに入つてゐた弟テオへの最後の手紙。
それは、人と人との間に存在した最も美しいこころのひとつの表れである。
この書では、ゴツホからテオへの手紙がまことに多く引用され、その手紙の文章と次なる手紙の文章との間に、小林の文章が差し挟まれてゐる。
しかし、ゴツホと小林の文体が、まるでひとりの文学者が紡ぎあげるやうに混然一体となつて、遥かに遠く夜空に瞬く星の輝きを見つめ続けるやうなある精神の足跡が頁に刻み込まれて行く。
ゴツホも、小林も、共に、肉体に与へられてゐる機能をフルに使ひ切ることによつてこそ、人は、己れに執着するこころを、自由で広やかな靈(ひ)なる世へと解き放つことができることを知つてゐる。
そのやうなふたりの人が交互に語り交はすかのやうなスタイルをもつて、運命が待ち受けるところへとひた走りに走つてゆく人の様を批評文学として書き記すこと。
小林はそのやうな仕事を己れに課した。
肉体と精神・靈(ひ)といふ相反するものが、実は深いところで共鳴し合ふことの神秘を知つてゐる者から発せられる言語の美。
それは、結末へ向かふにつれて昂じて来る切迫感と共に読む者の胸の底を叩くやうに打つ。
そして、その言語の美は、つひに突然襲い掛かつて来る悲劇といふ暗黒の雲の合間に覗く遥かな青空のやうに、人そのものの美へと昇華して、この作品は幕を閉じる。
残されてゐるゴツホの絵と手紙から、他者という他者に伝はつてゆかうとしてゐるもの。
それは信仰を見失つてしまつた現代人が、もし、それでも純粋なこころがゆく道があるならば、その道は神へといたる道以外ないといふこと。
小林は、そのことを告げ知らせてくれてゐるやうに思ふ。
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