昨日、京都の青い森自然農園から遥々、我が家を訪ねてくれた齋藤 健司さんと豊泉 未来子さん。おふたりから様々な未来に芽吹いて行く種をいただく。
その種とは、「からだ」にまで意識を確かに降ろすといふこと。
抽象的な思弁に右往左往するのではなく、毎日毎日、「からだ」といふものを慈しみながら生きて行くこと。
そして、暮らしの中で、歌と踊りとことばの美がおのづから湧き上がつて来る、そんな生き方を、暮らしの「かたち」を、ゆつくりと創り上げて行くこと。
そこには、食と仕事と芸術が、自然な調べを奏でてゐる。
豊かな充足と活力と安らかさをもたらしてくれる、そのやうな精神。
そんな古くて新しい生き方を、いま一度、意識的に創つてゆかうといふ試みをこの春から始めたいといふ、おふたり。
わたし自身、この「からだ」と「こころ」を超えた靈(ひ)なるものの自由な羽ばたきをもつて、なほかつ、この「からだ」のすみずみにまで降り切つて汗を流しながら新しい生を創つて行かうといふ新しく生まれて来た念ひを持つてゐて、その念ひとおふたりの想ひが重なり合ふ。
しづかな瞑想。活力に満ちた仕事。こころ満ち足りる芸術と学問。
シンプルな、念ひと暮らし。
その精神は、日本といふ「くに」に連綿と伝わつてきてゐる「祭り」の精神。
きつと、かういふ生き方は、これから3年から10年の間に、日本の社会に驚くほど広まつてゆくだらうと思ふ。
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