年のはじめから思はぬことが勃発し、わたしたち日本の民は、安らかならざるこころもちを抱えて、この令和六年、2024年を生き始めてゐます。
かうしてゐるうちにも、寒さで凍えるやうな思ひでをられる方もゐらつしゃることに、想ひを馳せます。
しかし、わたしたちは、かういふ時こそ、「大丈夫だよ」といふ靈(ひ)からの念ひを積極的に抱きたいと念ひます。
メディテーションの折りや、普段の何気ないひとときに、この「大丈夫だよ」といふ念ひを拡げてゆくのです。
決して「かわいそう」だとか、「お気の毒に」ではなく・・・。
年末に、仙台でいたしました言語造形劇『古事記(ふることぶみ)の傳へ』の最後の場面で、天岩戸が開き、天照大御神様がふたたびお出ましになられた時、八百万の神々が唱へることばがありました。このことばは、『古事記』には記されてゐないのですが、『古語拾遺(こごじうゐ)』といふ大切な古書に記されてゐるものです。
あはれ
あな おもしろ
あな たのし
あな さやけ
おけ
たつぷり息を吸つてから、次に長く息を吐きながら、この詩の一音一音の音韻を空間に向かって解き放つやうに綺麗に発声するのです。
さうしますと、物理と精神の空間が、まこと晴れやかに輝かしく照り映え出し、わたしたちのこころの恐れや不安が祓ひ浄められるのを体験いたします。
この営みを、日々のメディテーションや想ひの中で、ひめやかにしていきます。
それは、ひめやかな営みですが、きつと、ひめやかに人のこころに及んでゆくのです。
日本人みんなが自覚的に、余計な悪しき想念や不安に苛まれることから自由になり、この精神を生きることに専念するなら、それは本当の陽の力の甦りをもたらす。
それは、物質的な次元から、靈(ひ)の境へと、自由に羽ばたくことのできる、これからの人の生き方を指し示すものです。
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