奈良の桜井といふ場。
そこがどのやうな意味を持つ場であるか。
神々の神々しい足跡、先人の尊い足跡が、深く大地の底に鎮められているだけでなく、山や川の様相に今も残っている場、それが桜井であること。
そのことを親しみをもつて、かつ明らかに語つたのは、この桜井出身の昭和の文人、保田與重郎でありました。
この春、『保田與重郎の文学』を上梓された前田英樹氏は、この日の講演を次のやうなことばから切り出されました。
「保田與重郎こそは、その身に神が降りて来られ、神の意志のままに語り、動き、生きざるを得なかつた、歴史にまれに現れるひとりの文人である」と。
100年少し前の桜井といふ地にそのやうな人が出現したといふことも、奇(くす)しくも驚くべきことではないかと、前田氏は桜井市民に向かつて、真つ向から語るのでした。
この桜井といふ地で保田與重郎が一身を賭けて説かうとした、たいせつな精神を知りゆき、引き継ぎゆき、繰り出しゆく必要が令和のこの時代にどうしてもある。
19世紀後半、ドイツのヴァイマールに設立されたゲーテ・シラー文庫において、近代化に抗するまことのドイツ精神を守らうとしたルードルフ・シュタイナーをはじめとする人々の仕事のやうに、まことの日本精神を学び、守り、伝へゆき、さらには、芸術的、教育的な発展を生み出してゆくためのセンターを桜井に創ること。
その仕事をわたしは担ふのだといふ、念ひ。
前田氏のことばを聴きつつ、わたしはそのことを考へてゐたのでした。
また、前田氏によつて、保田の親しみに満ちた趣深いことばが紹介されました。
それは、日本といふ国を支へてゐるたいせつな何かを知り、その上で現代に生きてゐるわたしたちが何をなしてゆくことができるか。そのことについて、「相談を人々にもちかけたい」といふことばです。
相談を互いにもちかけあひ、談らひあふ。
そこからこそ、ひとり、また、ひとりの人のこころの深い内側に火(靈)が灯る。
こころの内に灯る靈(ひ)・精神の働きこそ、ひとりひとりの自主独立を求めるものはありません。
さうして、初めて、人と人とがまことの意味で力を合はせて働くことができる。
前田氏、そして桜井の土舞台顕彰会の方ともお話を交はすことができ、そんな想ひをさらに暖めることができた、わたしにとつては、かけがへのない一日で、また、桜井の保田與重郎の生家の前に立ち寄り、礼をして、大阪に帰つて来たのでした。