この書の題名は「愛読の方法」ですが、いかにして、どのやうにして、本を愛読するかについて説いてゐる本ではありません。
「愛読」といふ、人の精神がなさずにはゐられないひとつの鮮やかな振る舞ひがいかなるものであるかといふこと。
そして、その一冊の本を愛読する読者が、時代を超えて連綿とあり続けることによつて、その本は古典となり、また後世の誰かによつて愛読される。
その愛読といふ行為の人から人への継承が、人の世に精神からの一筋の道を通して来たことのいかなるかが、親しく語られるやうに書き記されてゐます。
たとへば、この人生をいかにして生きるかを問ふてやまない、わたしといふ人が、ここにゐます。
そのわたしが本を読む時、おのづから生じるこころからの振る舞ひ、せずにはゐられない振る舞ひ、それが、愛読といふ行為なのです。
そして、そのやうに求めるわたしには、必ず、向かうから、愛読に値する本がやつて来るのです。
著者の前田氏もこの不思議への信頼を基にして、そのやうな不思議を一途に信じて生き抜いた豪傑たちの列伝を描いてをられます。
愛読に愛読を重ねることのみで、水平世界を突き抜けて、宇宙へと通じる垂直の次元へと至つた豪傑たちです。
そして、また、この前田氏のこの本を愛読するわたしは、この本に語られてゐる豪傑たちの精神に触れることで、自分自身の本の読み方の工夫の仕方を自力で見いだす旅へと出るのです。
本を読むとは、精神が精神をみて取ることを促す、ひとつの導きです。
その尊敬する人が書き残してくれた一冊の本を愛読するとは、その著者の精神が、光の波のやうに我がこころに浸透し、貫いて来ることです。
そのありやうを、前田氏が、ことのほか、上手に指して説いてをられます。
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「影響」とは、ちょっと惹かれて、真似してみたりすることではない。
何かとひとつになって、それまでの自分が消えることである。
消えて、言うに言えない一種の振動だけが、新しくなった自分を満たしている、そういう経験をすることだ。
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文字といふ道具がこの世に生まれて以来、人はみづからを精神の牢獄へと追ひやらずにはゐられませんでした。
物質主義に傾く抽象性と、そこから生まれて来る思ひ上がつた不遜さといふ精神の牢獄です。
道具とは、常に、さういふ面があるといふこと、「なんとかと、鋏は、使ひやう」といふことわざ通りです。
文字は、人によつて生きられてゐた活き活きとしたことばの生命感やおのづから生じる身振り、表情を殺しました。そして人は殺したものを記録して貯蔵しました。そして、その貯蔵された文字を重宝がることによつて、だんだんと人は生きる活気を失ひ、衰へ、死の牢獄の中にみづから入り込んで行きます。
すべての道具には、そのやうに、人をより便利で効率的な生き方へと導きつつ、人を不精、無能にし、つひには死へと追ひやる性質があるのですが、しかし、もう一方の性質があります。
それは、道具の使用に深く習熟していくことによつて、世界の内側の奥へ、奥へと通じて行くことができる、といふ芸術的、精神的な面です。
大工さんは、鋸や金槌の使ひ方に習熟して行くことによつて、木材の内側へと深く入り込み、木といふ植物存在と対話するやうな境へと進んでゆく。さうして、木が依然呼吸し続けてゐるやうな家を、社を、彼は建てる。
米づくりに勤しむ農夫は、毎年毎年繰り返される稲の世話を通して、米粒一粒一粒に神が宿られてゐることを直感するまでになりゆく。
そして、文字といふ道具は、情報の取得や伝達といふ機能を超えて、用ゐられることがある。
いい文章といふものは、その連続された文字の記述に潜んでゐる、ことばのいのちの流れ、響きに満ちた調べ、意味、すべてを含む精神の運動・律動の中へ読む人を引き入れ、その動きが奏でてゐるリズムとハーモニーの世へと導く。
文字といふ道具を通して、人はそのやうなことばが奏でる精神の運動に入り込んでゆくことができます。
愛読とは、そのやうなことばの内に秘められた働きとひとつになりゆくことです。
そして、それは、何の予備知識も要らない、この身ひとつで辿る精神の運動です。
人はいかにして生きるかといふ問ひを持つ人にとつて、すべての道具は、己れの道を歩みゆく上でのかけがへのない導きとなりうるのです。
そのやうな道具との深い付き合ひは、時流に流されることのない、絶えざる生きる喜びを人にもたらします。
一冊の愛読書を持つといふことは、たとへばその一冊が古典であるならば、文字を介して昔の人と自分自身とを繋ぐ歴史のまことの継承を意味し、そのことが人をどれほどの充実感で満たすことでせう。
水平世界の中で閉じ込められた現世での息苦しさから自分自身を解き放ちつつ、垂直の精神の柱を打ち樹て、歴史を貫く宇宙のリズムへと連ならうとする行為、それが一冊の本を愛読することなのです。
以前、この本について書いた読書ノート『愛読のよろこび』2020年2月28日
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